「発達障害」developmental disordersという誤訳

【「発達障害」developmental disordersという誤訳】

「障害者」「障がい者」「障碍者」といった表記にこだわる人が少なからずいるようですけど。個人的には正直あまり気にしていません。
元々リハビリ系なので「身体障害の作業療法」「精神障害の…」、「発達障害の…」といった言葉に慣れており違和感がなかった。
障碍者という表記が一般的になったら、もちろんそれを使いますけど。

しかし、治療法を身に着けて、実践するようになってからは、「精神障害」という言葉はあまりにも違和感があり、使わなくなりました。
必ずしも適切ではないかと思いつつ「精神疾患」は多用してますが。
理由はおわかり頂けるかと思います。

聴覚障害のことを「つ○ぼ」、聾唖のことを「お○」、視覚障害のことを「めく○」脚が不自由な人のことを「びっ○」と言うのも当然止めたほうが良いと思いますが、要は使う人と受け取る側の問題で、そもそもはそんなに悪い言葉ではなかった気もします。

液体や気体などを扱う機器の領域では、盲栓という言葉が多用されており、私のように古い人間は、ついついメク○センと言ってしまうが、今はモウセンと言うのだろうか?漢字だとで同じだし、読みだけ変えてもどうなんだろう?という気はする。

言葉はそれを使う人の意図や理解、考えや感情などの問題であって、差別や蔑視などが悪いのであって、多くの場合、言葉が悪いわけではないような…

もちろん、差別感や蔑視などを伴って使うことが多い言葉や、そもそもそうした意図があって使われるようになった言葉は、受け取る側の多くが傷ついたり不快になる言葉は止めるなり変えるすることが必要だと思います。実害を減らすことにもなる。

知人に、外国人を前にすると、やたらと「ke唐」とか「アme公」なんて連発する爺さんがいましたが。相手はもちろんわからない。医者で大学教授だし英語もできるし、面白くて良い人でしたけど。戦中派だからか趣味悪いね。

「キチ○イ」と言うのも元々そんなに悪い言い方でも無かった気がします。要するに「気が違う」ということで差別的でもないような?
「気」という言葉は明確ではなく、わかったような使われ方をするので、事実の理解はつながらず、あまり良い言葉ではないと思いますけど。

あまりにも問題が多い「発達障害」という言葉ですが…

ところで問題の「発達障害」ですが、これは昨今一般的に広まったのとは違う意味で使っていました。
要するに精神疾患ではなく、主に遺伝や先天的もしくは周産期の問題による(主に)中枢疾患など、具体的には、脳性麻痺、精神遅滞、知的障害、自閉症、ダウン症など。
英語ならdevelopmental disability だと思いますが、英語は不得手なのであしからず。

DDと言っても、developmental disabilityを発達障害と訳すのは一応可としても、developmental disorders を発達障害と言うのは誤訳なので改訂されるようです。

逆に「発達障害」を英語にしてもdevelopmental disordersにはなりません。disorderの日本語訳は無秩序、混乱、不調、不具合であり障害とはならず、障害は英語だと、機能障害(impairment)、能力障害(disability)、社会的不利(handicap)なので。
そのため、2023年を目処に正式な訳語が決められ改訂されるようです。

特に精神発達上の問題を「発達障害」と言うのは完全な誤りで、様々な害があり、精神医療はこの誤りに陥り、拡大させています。
AD/HD、広汎性発達障害、アスペルガー症候群、学習障害などと称する場合に使われている「発達障害」のことですが。

この場合は「善意の陰謀」というより多分に無自覚に利用され、疾患喧伝、過剰診断、向精神薬害をもたらすばかりでなく、学校の教師や親や当人にも様々な問題、弊害を生じさせる言葉でもあります。
そうしたことは他でも述べたし、ここではこれ以上論じませんが。

developmental disorderが、どういう訳語になるのかはわかりませんが、社会不安障害、双極性障害、気分変調性障害などの誤訳は○○症になるようです。
心身症を身体表現性障害などと言うようになったので、むしろ逆戻りですけど、その方が良いと思います。

こうした誤訳はDSMと共に広がり定着したようですが、当初はそんなに悪い言い方ではないように思いました。
しかし、専門家とされる精神科医や、患者さん、一般の方の受け取り方や使い方は我々とは違ったようで、大いに問題アリの言葉になりました。

誤訳を訂正するのは良いことですが、精神分裂病が統合失調症になった時と同様に、名称を変えても精神科医の誤解や無理解、有害な精神医療は改善しそうにないので、悲観的にならざるをえませんが、どちらかと言えばマシになるのでしょうか?
精神科医や臨床心理士よりも、一般の人に期待したいところです。

子供のうつ病が増えています!?シオノギ製薬会社

子供のうつ病が増えています!?シオノギ製薬会社
最近また、病気喧伝の対象が拡大し、「子どもにもうつ病があります」なんて宣伝し、被害を拡大しようとしているらしい。

子どもに対する抗うつ薬の治験 シオノギ製薬会社
https://ameblo.jp/momo-kako/page-4.html
シオノギ製薬の治験について(続報)
https://ameblo.jp/momo-kako/page-3.html

もはやここまでくると、被害者も加害者、共犯者だな。無知も沈黙も共犯だ。
最近 me too とか話題になっているけど。
伊藤詩織さんの告発に意義があるのは加害者の山口敬之や、逮捕状を握りつぶして警視庁刑事部長から警察庁総括審議官兼警備局付に出世した、中村格らの名前を明らかにしたことだろう。もちろん自分にもリスクがあり、勇気のいることだ。彼女の言うことが全くのウソだとは到底考えれない。

薬害自殺、薬物中毒死や離脱症状の苦しみを訴えるのは大いに必要なことだが、誰に騙されて被害にあったのか、固有名詞、すなわち特定個人(精神科医)、特定病院、特定製薬会社を明確にして訴えたほうが良いと思う。
名誉棄損と逆襲されるかもしれないが、そこまでやらなければ意味がないだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず。

自分さえ良ければと言う邪な価値観、行動原理が被害を拡大させたのだ。
皆でやれば怖くない、団結頑張ろう!

俺はガキの頃から「うつ病」だったよ。中高年と違ってむしろ軽くない重症な精神病、ホントのうつ病かどうかはともかくとして。でも何万人患者を診てもむしろホントの「うつ病」は俺しかいないようようにも思う。少なくともとてつもない重症だった。地獄の下には地獄があることを子供の頃に知った。
小学校の頃はまだマシだったけどね。勉強はやらなくてもできたし、皆を笑わせるのが得意で友達も多くけっこう人気者だったし、女の子にもモテた。
しかし中学に入ったとたんに重症化した。
きっかけは特にないが、環境の変化かな、最近は中一ギャップとか言うみたいだけど。

もちろん勉強も遊びもできない。運動なんて以ての外だ。でも何とか体育にも無理して参加した。いくらなんでもそんなに惨めな子供は暴力教師からも殴られることはなかった。奴らも人の子である。

もちろん抗うつ剤なんて一回も飲んだことはないし、病院も受診していない。従って向精神薬害の被害者ではない。精神病院に勤めていたことはあるけど。
ガキの頃から向精神薬害について知っていたのだ。
たぶん1969年12月、小学校5年の時だ。大掃除で職員室の廊下を掃除していた。というよりサボっていて、廊下の掲示板を見たら…
「こんなケシの花はありませんが?見かけたら警察に通報してください」というポスターが貼ってあったのだ。ケシの花なら家にも咲いているかも?、でも種類が違うんだろうな…、どうやら麻薬・覚せい剤の原料になるらしい。

その頃は学生運動も終息に向かい、退廃的な雰囲気が広がっていた。
シンナー、ボンド、ハイミナール(過度期の睡眠薬)なんかの薬物も当時の若者に流行していた。裏山で遊んでいたら、カップルがアンパンやってるのを見てしまい、警察に通報しなくてはいけないかとドギマギしたり。当時はマリファナや覚せい剤は殆ど手に入らない。それが何でいけないのか?もちろん向精神薬も同じことだ。

どうやって調べたの忘れたが、家にあったのは百科事典くらいだろうか?新聞なんかもこの頃から読むようになった。
それで麻薬・覚せい剤のことも一応理解したのだ。もちろん向精神薬も基本的には同じ。

俺はこう見えても、ガキの頃は賢かった?と思う。たぶんね。自信ないけど。
「二十過ぎればただの人」と言うけど、俺の場合は「5歳で神童、七つで才子、十を過ぎれば精神病」だ。
俺は医学部は出ていないし、大学は
「♪チョッとココ、♪チョッとココ、♪足りないのは明治♪」だけど。
大学に入ったばかりの頃、浪人中の友達に電車の中で会ったら、
「お前どこ行ってんの?」 「明治だよ」 「明治製菓か?」 「いや一応大学だよ」 「ウソだろ!」 彼は明治も落ちたらしい。
良く誤解があるみたいだけど、(明治製薬ではなく)明治製菓は向精神薬を作り薬害を拡大しているとんでもないブラック企業だ。あんな所、就職するわけないだろ。菓子だけ作ってれば良いのに。

俺はダントツでビリだったが4カ月くらい勉強したら受かった。大した高校じゃないので、現役でMARCHなら羨ましがられる位だった。
俺の所に来た奴には勉強にもやる気が出る、集中できる方法も教えるぞ。

コレでもガキの頃はIQがありえないくらい高かった。教師に「皆は彼の真似をしちゃダメです。彼はやらなくてもできるけど皆はやらなければできません」なんて言われて、見放されたようで悲しくなったな。
精神病でパーになったけどな。アスペルガーとか発達障害じゃなくて精神病だよ。発達上の問題もいろいろあるけど。

この歳まで勉強は殆ど全くやってない。うつ病は怠け病だから仕方がないよ。もちろん怠けたくて怠けるわけじゃないけど。若いころに、やるべき時にやるべきことをやっていないとなかなか身につかない。病気のせいにしちゃいけないだけど。

それでも三十の時、大学教師になった。精神医学はそもそも勉強するものがないし。サリヴァンとか新フロイト派の本なんかは読んだけど、そういうので勉強したわけではなく、自分の見方や考えを確認するために読んだだけだ。他の本やらも同じ。
悪いけど田舎の大学の医学部教授なんてバカばっかりにしか見えなかった。地頭は俺の方が良いはずだし。たぶん。自信ないけど…
その大学もいろいろと医療事故を起こして問題になっているので、御家取り潰しになってしまうかも?今は国立大学じゃなくて法人だし。つぶしてもイイと思う。

これでも高慢はいけない、謙虚じゃなくては、と心がけているつもり。
自慢しているわけではない。
子供でも明らかな事実を捻じ曲げるな!ということだ。
少なくとも精神科では。医者も患者も業界も。それでは専門家どころではない。
近年は医学部が大ブームで、底辺医大も難しくなったようだ。東大とか慶応はどっちかと言えばやや落ち目。底辺出身でも医者にはなれるということらしい。
でも医学部も医者も、多すぎるんで減らさないといけない。もちろん製薬会社も。
そんなの支える金なんてない。精神科は人々を害すること甚だ多いし。他の一般科でもそうした問題は大きい。

医療が何とかしてくれると思うから健康に気遣うことも疎かになり、医療依存も高くなる。
今どきのガキに将来何になりたいか?と聞くと、殆ど医者と答えるらしい。他にはユーチューバーとかトレーダーとか。サッカー選手とかゲームの会社の社長とか言うガキは殆どいないようだ。

医者に非ずは人に非ず、驕る医療は久しからず。
俺は医者じゃなくてリハビリ出身で、今は民間療法家だよ。念のため。
若い頃の俺は何になりたいのかさっぱりわからなかった。ずっと今まで。やりたい職業もない。もちろん会社員は論外。だから、誰もやらないこと、できないことをするしかなくなってしまった。
というより、自分の精神病を何とかしないと、どうにもならなかったのだ。廃人だし。

学校だけは行ってた。人には迷惑をかけないように、それは徹底して心がけてきた。当時は不登校とかニート引きこもりなんてジャンルはない。今はそれが役割と言うか職業みたいになってるけど。専業不登校、専業ニート・引きこもり
義務教育は義務だ、軍隊よりはよほどマシだと思ったのだ。行かなきゃ家族と殺し合いになってしまうかも。軍隊なら殺し合いと言うか殺されてしまう。もちろん殺人はもっといやだ。

働くのも嫌だし、もちろ精神病院に入るのも嫌だし、薬もヤバいが電パチなんてクワパラクワパラ恐ろしや、考えただけで身の毛がよだつ。
というわけで何とか首も吊らずに苦しみあがいて生きてきた。結果的にはミイラがミイラ取りになったわけである。

でも良かったよ。そのまま優等生なら、今頃は精神科医になって患者を殺しまくっているのかもしれない。進路は文系理系いろいろ考えたが、医学部だけは選択の範囲外で、医者になろうとは露ほども思ったことがない。
話しはズレたが…、というよりズレまくっているが。

国際的な大資本製薬会社は、もはや日本は相手にしていないだろう。
日本でのパイロットスタディーを元に、欧米以外の諸国に向精神薬を売り込み、薬害を拡大させ行くだろう。陰謀論に与するつもりはないが。
ホーキング博士が言うように、これからは資本主義そのものが脅威となるだろう。
天才ホーキング博士「3つの大予言」人類にとっての真の脅威とは?
「人類にとっての脅威は、ロボットではなく資本主義」
https://news.infoseek.co.jp/article/zuuonline_184053/

俺は昔からサヨクでも何でもないが、ガキの頃から資本主義は大嫌いだ。天才ホーキング氏が言うことを、ガキの頃から言ってたところが俺の神童たる所以だろうか?あっ!自慢しちゃいけないね。

病気でないものを病気にして、薬漬け有害医療を行い、ますます悪化して、他の病気も併発すれば、病院も医者も製薬会社も儲かるし感謝されるし尊敬され、依存せせざるを得ない。それが資本主義的には最も成功したビジネスモデルであり、目指すべきところである。
人間は基本的には理性的存在であり、そんなことは例外だ、そういう弊害は政治的に対処すれば良い、それを民主主義で修正すればよい、などと言うのがかつての資本擁護論者である。

しかし格差社会が問題だと誰もが思ってももはや修正はできない。資本主義は民主主義よりもはるかに(見えない)ファシズム、(独裁というより衆愚支配)と融和性がある。むしろこうした問題が資本主義の本質であることを俺は子供の頃から見抜いていたのだが、そんな奴は大人でもいなかったような…?
精神病は脳の病気ではなく精神の病気、PTSD心的外傷後ストレス障害であることを理解し、向精神薬の薬害についても見抜いていたのも神童たる所以だろうか?自分じゃ当たり前としか思ってなかったけど。

しかし、被害がここまで拡大するとは思ってなかった。医者も患者もバカばかりじゃないし。でも俺が思ったよりも遥かにバカだったということなのか?。こんなこと恐ろしくてとても言えないよ。と思いつつ書いてるけど。

俺も日本を相手にするつもりはない。多国籍製薬資本の横暴、アヘン(向精神薬)世界大戦、ファシズム精神医療と、独力で抵抗し断固戦うつもりだ。それが若い頃からの夢だし。
アジア、アフリカ、ラテンアメリカなど貧しい地域の傷ついた人をも救える精神医療は俺の手中にしかない。俺が発見したわけじゃないし、俺が凄いのではなく、治療法が凄いのだが。

昔からの友人にそんなこと話したら「暗殺されるぞ」と言われたけどな。
イイじゃないか。ジョン・レノンやゲバラ、トロツキー、ガンジーらに連なることができたら光栄だ。
そうそう人生長いもんじゃないし、この世にたいした未練もない。病気で何年も苦しんで死ぬなんてまっぴらごめんだ。

というわけで、もはや被害者も被害を訴えなければ犯罪の片棒担ぎ、無知も沈黙も共犯と言わざるをえなくなりつつある。
「精神医療批判は国民の義務」と井原裕氏(獨協大学精神科医)も言っていた。義務は果たさなければならない。
向精神薬害、精神医療過誤に対抗するつもりがないなら、病気喧伝に加担し、むしろ被害を日本だけで拡大させ、炎上させた方がイイのかもと思ったりする。
江戸時代の火消しが、まだ火がついてない周辺の建物を倒壊させ炎上を局限し、延焼拡大を防ぎ、被害の最小化を図ったように。
そうすればいずれ社会的大問題となり、世界に被害を拡大させることは防げるかもしれない。世界史的な利益を考えるならその方が良いはず。日本より世界が、現在より未来が大事だ。

誇大にして非現実的、過激なことを言ってるようだが、精神医療問題について認識がある人にはわかってもらえると思う。
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末田耕一氏の著書 『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない』

『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない
ヒロシマで見つけた「無意識の病」PTSDの薬物療法』末田耕一 著
文芸社 (2017/11/1)


著者のサイコドクターSこと末田耕一氏とは一応、面識があり知り合いでもある。
といっても、特に交流らしいものはないのだが。
私の知り合いの精神科医はみんな10歳以上年上で、既に物故者が多い。
長らく精神科医とはなるべく関係を持たないことにしており、年下の精神科医の知人はおらず、もしかすると彼が唯一の知り合いかもしれない。
私は精神科医にケチばかりつけており、今は嫌われているかもしれないけど、これでも若い頃は精神科医に尊敬、とまでは言わなくても、一目も二目も三目も置かれていのですよ。

別に自慢にもならないが。考え方も言うことも昔から変わらないのに。
医療系専門学生の頃も、精神疾患脳病説や薬物療法を批判し、テストにもそう書いたが、精神科関係の科目(医学部の数倍はあった)を落としたことはないという筋金入りだ。(他の科目はずいぶん落として落第しそうになったけど)
ついでに書くと、帯評を書いている清水寛氏とも面識というほどのものはないが、30年近く前に一度お会いしたことがある。当時、私が勤めていた大学の同僚の先輩ということだった。

末田氏には、最初、私が彼のブログを読んで、少々批判めいたメールを出し、それに対して返事が来た。反論と言うほどではなく、特に対立するような内容でもなかったが。
その後、彼が自身のブログで、私がブログに書いた記事についてコメントしていたので、お礼のメールを出しておいた。俺のことを「面白い人」なんて評していた。

それからしばらくして2014年に横浜で日本精神神経学会に行った際に、彼の発表も聴いて、話しかけてみた。お会いしたのはこのときのみ。
そのときに停戦協定と軍事同盟を結んでいる。というのは大げさで、実際そのような話さえも明確にしたわけではないのだが…
以下のような点で合意があったと私は考えており、おそらく彼も同意してくれるはず。

・お互い立場や考え、実践法などいろいろ違いはあるが、基本的には正しい真の精神医療推進派であり、現状の有害精神医療に対しては反精神医療派である。
・(現状の)精神疾患は事実上すべて遺伝ではなく、精神的要因、心的外傷(トラウマ)が原因である。精神疾患は脳の病気ではなくすべてPTSD(心的外傷後ストレス障害)であるゆえ、それを前提に治療する必要がある。
・現状の悪質精神医療蔓延・拡大しているような状況では、お互い対立したり批判すべきではない。
・現状の有害精神医療に対しては、特に協力するわけではないが、それぞれの立場で共に批判し断固戦う。

といったことが合意された内容であると私は解釈している。
ゆえに、ここでも批判や対立点については触れないことにする。
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読者の皆様は、まずタイトルの意味が分かりにくいのではないかと思うが…。
『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない』というのは、
「うつ病」というのは内因性精神病のことであり(末田氏はそれは消滅したという認識)、現在「うつ病」と称されているのは「PTSDのうつ状態」である。

PTSDを否認しこれを誤魔化すためか「うつ」と言うようになったが、「うつ状態」という言葉あるが「うつ」という言葉は医学的には成立しないので、やはり「PTSDのうつ状態」と言うべきである。(ということだと思う)
彼の提唱するPTSDの薬物療法と言うのは、一般の有害精神科医の薬物療法とは全く違うもので、彼が独自に考え実践している治療法である。(ということだと思う)

すなわち
「トラウマの傾聴・共感(ラポール形成)後のSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬、新型抗うつ剤)SDA(セロトニン・ドーパミン拮抗薬、非定型抗精神病薬)処方」
「トラウマ強化受容療法」 「化学的フラッシュパック誘発療法」
ということです。
この辺を一応、知っておかないと本文もわかりにくかもしれない。
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私にとってはとりあえず、精神医療の歴史や現状については「この本を読んでくれ」でだいたい事足りるので非常に便利な本である。だいぶ体験も違うのだが。今後、私が著作を書く時にもこの部分はかなり端折れる。面倒だし。
自分のふんどしで他人に相撲をとってもらうみたいで、ズルくてセコイので恐縮ですけど。

奇妙になことではあるが…
精神医療過誤・向精神薬害について指摘したり、精神医療、精神科医にケチをつけると当の加害者側の精神科医や製薬会社関係者よりも、実際に被害を受けている患者さん側からバッシングを受けるのが常である。
精神分析で言うところの、抵抗・防衛であり、「ストックホルム症候群」と同様な心的機制によるものである。

精神科医もまた抵抗・防衛を起こしているのである。(誰も治療ができないので)誰も言わない、というか知らないことだけど、抵抗・防衛は良い治療に対しては強く起こるものであり、患者とかかわる他者にも起こることである。
そのへんは前にも書いた。
「なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?」
https://self-therapy.info/2016/03/

今は私も精神科医の批判はするが議論などする気はさらさらない。高慢・僭越に聞こえるのは百も承知。
私は末田氏と立場や考えや実践法も異なる点が多いが、精神医療関係者も患者さんもこの本をよく読むことをお勧めする。正しいことは知りたくなくても知った方が良いのである。

精神科医の皆様はこの本や論文(ネットで公開している)を熟読した上で、末田氏の弟子になるなりして、指導や教えを乞いながら臨床経験を積んでいくべきだろう。精神科医の地位や立場、診断権やら薬の処方権やら医者としての権限などを守りたければそうするしかないはず。
こっちとしては話はそれからだ。

なぁに、ビビるこたぁないさ。
前にも書いたように末田氏は、ブログの印象では強面の印象をもつかもしれないけど、優しそうで物腰も柔らかく(物理的にも?)腰の低い人ですよ。(私も口は悪いが優しい人ですけど)
16,000人の精神科医の中でも、弟子にしてくれと言う精神科医は一人もいないみたいだから、今がチャンスです。
堺正章はグループサウンズ全盛期は「向かうところ敵なし」だったのが2年ほどで「向かうところ客なし」になったと言ってたけど、精神医療もそうなるんじゃないかなぁ?と期待しているのだけど。
ブームの頃は後が予測し難いものだけど、希望的観測すぎるか?

いくらたくさん患者が来るからといっても、有害なことばかりやっていれば愛想つかされるのは当然、精神科医がいくら「甘く優しい言葉」で誘って愛想良くしてもね。
末田氏も表立って活動を開始した。私は彼よりもたぶん5歳上であり、来年は還暦を迎えることもあって表立って活動するつもり。彼の活動も大いに励みになる。

自分がいくら正しくても、損するだけのことや、非難攻撃を受けたり、カドが立つだけのことは止めた方が良いと言われるけどな。
一人で何でもできるわけでもないけど、残された時間もそうそうはない。できるうちに伝えることは伝えて残すべきことは残したいと思う。人生は儚いものだ。
人間、生きているうちが全てではないし、狭い日本が全てでもない。自分は自分自身だけのものではないし、現在が全てではなく過去も未来もある。
ご理解、ご厚情、ご支援を賜りたく存じます。
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なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)

なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)。
精神科医も患者もバカだから、騙し騙されたのか?
そういう面もあるだろうけど、人間なんてそもそも愚かで弱いものだ。
そこから出発するしかない。
アンタかてグーミンやろ、ウチかてグーミンや。ほな・いこか
(ハナ肇、古いなぁ)
本来医療はなるべく原因に近いところから治療を目指すべきだが、近代西洋医学は無自覚に目先の対症療法を目的化させてしまった。
原因と結果の逆転は精神医療においては甚だしい。
「うつ病はセロトニン不足」⇒原因ではなくせいぜい結果の一面だ。
もちろん悪しき資本主義、金儲け主義という面はある。
医療は患者を簡単には死なないように悪化させ、ずっと精神科病院に通わせれば一番儲かるし、最も優れたビジネスであり、その意味ではあらゆる産業の中で医療は最も成功した例と言える。
現代ビジネスは、いかに相手から恨みをかわないように、恨まれても反撃されないようにしつつ、相手から最大の利益を得るか、というのが無自覚に目的化されている。一方では、消費者は自分にとって有利で合理的な行動をするのだから、需要に対して供給し利潤を追求するのは善であるといった価値観が、無自覚な自明の前提になっている。
近代資本主義には常にこうした矛盾や欺瞞を内包しており、その乖離は精神医療において最も甚だしいと思う。
医療訴訟が起こり裁判沙汰になっても医療側は負けないし、負けても損失は僅かで、痛くもかゆくもないし、そもそもコストに織り込み済み、もちろん暴動など起こりようもない。
製薬会社や精神科病院・心療内科に対する焼き討ちなど起こって当たり前という気もするけど、もちろんテロは許されません。
しかし精神医療過誤・向精神薬害の本質は、金儲け主義でも、「陰謀論」でもないと思う。
「陰謀論」なんて昔は左翼の人が言ってたもんだ。若い頃の私は左翼ではなく、エコロジストだった(まだそんな言葉はない)。「自分たちさえ、目先のことさえ良ければというのは最もエコに反する」とか言ってた。(若気の至り)
しかし、なぜ良くなりもせず有害な向精神薬を使うのか?
それ以前にそれが認識されないのか?といったことは、随分長いこと、少なくとも40年以上は考えてきたが、正直なところ未だによくわからない。殆どの精神科医はもっとわかっていないはずである。
もっとも、かつては向精神薬が処方されるのは重症な精神分裂病患者が殆どで、それも良いことだとは思わないが、一部の場合については必要悪という面も認められないではなかった。
優生思想、もちろんそれもあるだろうけど。
精神科医は表に出さずとも前近代的な優生主義の人が多い。自分たちはエリートで優性とでも思っているのか?「医者に非ずは人に非ず、まして患者においてをや」
もちろん一般の人も多かれ少なかれ優生思想を克服・脱却できていないだろうし、そういう面は私も無いわけではないが、それを克服する努力は常々してきたつもりだ。
いつものことだが前置きが長くなっても何だし、他の人たちが言ってることをここで繰り返してもしょうがない。
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ほぼ全方面から反感をかいそうなので、というより仕事に支障も出そうなので、正直、今までブログに書く勇気もなかったんですが、ズバリ言ってしまうと…
精神医療過誤・向精神薬害の本質は「抵抗・防衛」「転移」といったことであると思う。
精神分析的に言えば。
「抵抗」とは…、
患者は意識的、主観的には良くなりたいけど、無意識的には良くなりたくない。良くなることは無自覚に抵抗し拒否する。
「防衛」とは、抵抗と表裏一体みたいなもんだけど。
患者は辛い症状は取ってもらいたいが、自分の病理性はむしろ手放したくない。無意識に病理性を防衛し固守しようとする。
「防衛機制」というのは抵抗・防衛の分類でもあるが、一般的には臨床上というよりその日常的な現われ。これは中学の保健体育や高校の倫理社会の教科書にも書いてあるので、覚えている人も多いと思う。
否認、退行、解離、抑圧、反動形成、分離、打ち消し、投影(投射)、取り入れ(摂取)、知性化、合理化、向き換え(自虐)、昇華、分裂、といいったアレである。
私はこれを教科書に見つけたとき、こんなに凄いこと、役に立つ正しいことを中学生に教えしまって良いものだろうか?教科書会社や文部省はどうなってるんだ!と驚いてしまった。(授業ではやらなかっと思うけど)
文字通り中二病だったので、教科書に書いてあることは勉強する前に疑え、と全く勉強はせず、中学三年でフロイトの「精神分析学入門」を読んだが、中学三年間を通して勉強したことはそれ以外には殆どないように思う。
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当然、患者さん当人は認めたくはないだろうし、反感もあり、反発するだろうけど、主観的には良くなりたいが無意識には実は良くなりたくない。
無意識にあるということは「ある」というだけではなく、意識せずとも行動や結果に必ず現れるということである。
したがって、いくら有害なものでもあっても患者側に精神医療、向精神薬漬けを求める「合理的なニーズ」があったことになる。
「新型うつ病(実際にはディスティミア神経症だろう)」の人に疾病利得感情を見出す人は多いだろうが、そうした人でなくとも患者の多くは意外に病識が無い。
もちろん自分の苦しい症状には自覚しているが、自分の精神の健康や幸福を阻害している本当の理由、要因を認識して理解し、それに対処することを避ける傾向がある。
それは過去の心的外傷(トラウマ)についてもそうだが、現在の自分のあり方についても。
これでは悪しき精神医療、対症療法至上主義に引っかかってしまうのも当然である。
病気の症状(痛みや熱など)は病気の原因でも本質でもなく、痛み止めと解熱剤だけでは患者は死んでしまうかもしれない。風邪のように短期で自然に治る病気ならば、それでもいいだろうし(良くないという話もあるが)、対症療法も必要悪という面は否定できない。
しかし、向精神薬による薬物療法は対症療法としても甚だ有効性に乏しく、もちろん有害性、危険性は高い。
精神分析学の祖フロイトは、真の精神医療を阻害するこうした無意識の要因、心的機制を看破していた。
良い治療があっても、患者の病理性の克服のために有益なことであっても、患者はそれを無自覚に拒否するので、その前に無意識の抵抗・防衛や転移を意識化、自覚・対象化して克服する必要がある、というのが精神分析の出発点であろう。
そのために必要とされた精神分析療法、自由連想法は治療法ではなく、探索法・研究法である。患者にとっても分析者にとっても。
治療はなくとも膨大な時間や労力、お金をかけてもその意義があるとされたのである。実際にそうかもしれない。
従って、多少とも精神分析をかじっている人の中には、精神医療過誤・向精神薬害の原因に抵抗・防衛を見出す人もいると思う。
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ここからは殆ど誰も言ってないのではないか?
基本的な見方や考え方としては既に精神分析の中にもあるけど。
実は治療者側、精神科医にも臨床心理士や心理カウンセラーにも、患者の友人知人など周囲の人(特に親や家族)にも起こる。しばしば患者本人以上に激しく。
これに気づいている人は殆どいない。
患者本人よりも、親や家族、場合によっては親友など周囲の人の方が、自分と他人の区別がついていない人が多い。親離れ子離れは、精神の自立は精神発達上だいじなことだが。
抵抗・防衛や転移は無意識の心的機制であり、患者に起こるものと考えるのが一般的であるが、それはきちんと教育や訓練を受けた精神分析医や心理療法家が適切なセラピーを行っている場合のことであって、実際の精神科医と患者関係の場合はむしろ逆の方がはるかに多い。
もちろん無意識に起こることであるから、精神科医本人には自覚されない。
それ以前に、ほとんどの精神科医は精神分析否定、否認であり、抵抗・防衛や転移といった概念について知識はあっても理解している人は殆どいない。
(この問題についてはまた項を改めて論じるつもりです。)
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上述のような両者の無意識の心的規制によって、ものの見事に患者と精神科医、需要と供給の利害が激しく合致してしまうのである!!
精神科医とて患者を害したくて害するわけではない。少なくとも当初は患者の役に立ちたい、救いたいという思いはあったはずで、主観的にはその後もずっとそうかもしれない。また、精神医療は100%有害というわけでも、もちろんない。
「精神科医は合法麻薬の売人です」なんてブログもあるし、実際にかなり正しいけど、だからこそ患者も精神医療に群がる。
違法性がなくて安ければ麻薬、覚せい剤の類をやりたい人はいくらでもいるのではないか?ちょっとくらいお試しなら。
「覚せい剤やめますか?人間やめますか?」なんてフレーズは知らない人はいないだろうし、とっくに耳タコでも。
脱法ドラッグ、危険ドラッグも蔓延しているが、この手は長い歴史の中でもあとをたたない。
酒は過度でなければ害は少ないが、過度をとっくに通り越した飲酒者が非常に多いのも似たような事情ではある。
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向精神薬害を唱え、断薬、減薬すべしという人も、薬害に気づく患者も多くなった。
しかし不思議なことに莫大な被害を蒙っている患者当人が断薬、減薬に抵抗する。もちろん薬物依存(精神依存)はそのようなものであるが、効果が無く症状は改善せず、ひどい副作用に悩まされており、様々な身体病さえ引き起こしているのに、そういう人が薬物肯定派だったり、減薬・断薬が必要なことはわかっていても受け入れなかったり。
そんな例は数えきれないくらい見ている。
※断薬・減薬の指導をしているわけではありません。(念のため)
もちろん苦しい離脱症状が嫌だというのもあるし、向精神薬のため脳が上手く働くなり判断ができなくなるという理由もあるが、それだけでは説明がつかない。
既に精神科医(加害者)と患者(被害者)の間で、負のラポール、奇妙な相互信頼関係に基づいた主従関係が形成され、ストックホルム症候群のようになっている場合が多いのである。
負のラポールは、独裁者と国民、DVカップルの共生関係、重症なアルコールや薬物依存症者とその妻など,患者と毒親、などに優位、支配的であり、実際に重症患者にはそのような人間関係以外を殆ど知らない人もいる。
ストックホルム症候群とは「誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意、信頼などの感情に基づいた関係形成」のことである。
もちろん、薬を飲まなければ悪化する、医者の言うことを聞かない患者は診察しない、薬を処方しないという脅迫に屈する場合も多い。
背景には医療信仰、薬物崇拝などもあり、「医療」に背くこと、薬物を捨てることに罪悪感をもつ人も多い。
周囲の者だけでなく、友人知人会社関係の人など、殆どの人はちゃんと受診し、精神科医の言うことを聞いて、きちんと服薬して、というわけなので社会的には精神医療過誤、向精神薬害を阻止する要素は殆どない。
これは悪質信仰宗教や悪質セミナーなどのシステム、メカニズムと同様であるが、精神医療問題は社会には殆どその歯止めがない点が大きく異なるのである。
世間を揺るがせた「オウム真理教事件」も対象化、検証・理解がさほどされないまま風化しつつある。
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精神疾患を脳の病と考え、原因となるトラウマを無視、否認するということはどういうことか?
トラウマ-過去の出来事が現在の患者の心を苦しませ続けるということを無視することは、当然のこと心の痛みや苦しみだけでなく、身体的苦痛も無視することになる。
他者の痛みを見たり知ったりすることは、自分にとっても痛みになる。
それが解離しており、自覚されないのである。
いじめ問題も同様である。
普通の人間は虐めの現場を見ることができない。自分が苦痛だからである。
だからこそ、虐めを見て見ぬふりするとも言えるのだが。
しかし、人の痛みが自分の快感という場合ももちろんある。
犯罪者などがその例だが、むしろ他者の苦しみこそが自分が癒されるという倒錯にさえ陥っている。
このような心的機制が精神科医に働いているのである。
電気ショックを行う精神科医はとても嬉しそうで楽しそうであるばかりでなく、使命感にあふれ自分の任務を遂行する戦士のように逞しくも凛々しくもあり、他者も同調する。
話を広げすぎかもしれないが、戦争防止のためには精神疾患=脳病神話を排さなければならない。
病因となるトラウマを無視することは、他者の心の痛みや苦しみを無頓着になり、否認・無視することになるからである。
戦争トラウマの影響は当然のことながら
殺人は孫の代から7代祟ると言われている。
当然のことながら子供は既に幼児期を脱しているからである。
kyupinのような精神科医には首を吊って自殺した人は窒息死、電車に飛び込んで自殺した人は外傷や多量出血で、薬物中毒死は心不全やその他の身体病で死んだものとしか認知されない。本質を理解できないのである。
死亡診断書の死因は本質的な死因ではない。
認知の欠落、認知の歪みを認知行動療法で治せるなら大いにやってもらいたいものだが、トラウマ否認、無意識無視ではハッキリ言って効果はない。
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従って、向精神薬害から逃れるためには、向精神薬に対する理解も大事だし、この世の仕組みを知るのも大事だが、ニヒリズムに陥ってももちろんダメだろう。
何よりも大事なのは、こうした無意識の抵抗・防衛や転移を理解し、克服する意思を持つことだと思う。
もちろんまず自分自身の無意識的行動や考えを対象化し自覚することも大切だが、精神科医や医療関係者の、ひいては世の中の人全体、社会全体の無意識の心理も理解する必要がある。
この視点は反精神医療派の人にも徹底的に欠けていると思う。
殺してしまおう 五つの赤い風船

この歌を初めて聞いたのも中学1年だったか。身につまされた。
先ほど改めて聞いたら、40数年間ずっと思い違いをしていて
「かわいそうけど」⇒「かわいそうだから」殺してしまおう
と誤解していた。
語弊もあるだろうし、多くの人に反感を買いそうだが、気分悪くなさらず読んでいただけ
れば…
(続けるつもりだが)

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うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?

【うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?】
憶えている人もまだ多いだろうが、2015年2月、川崎市の多摩川の河原で、当時中学1年の上村遼太さんが虐めにより殺害された事件があった。何ともやるせない事件である。
被害者の家庭は母子家庭で、母親は離婚し働きながら5人の子供を育てていたらしい。そのこともいろいろ物議を呼んだ。
多摩川の現場には多くの花束が供えられ、追悼する人も多く訪れて、ゴミの処理も問題になっていた。
主犯の少年も加害者グループではボス格だが、もっと年上の不良仲間に虐められ脅迫されており、家庭では虐待されていたという。
主犯者の子分格の一人は、被害者と仲が良かったらしいが「ゴメンな」と言いながらナイフで切り付けたという。
今一歩の冷静さや勇気と洞察力、判断力があったら虐めを止めらる可能性もあったのではないかという気もするが、彼らもまた幼児期からのトラウマに支配され、集団的な感応現象が起こっていたのだろう。
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ネットでたまたま見た記事なので、詳細は憶えていないのだが…
ある霊能力者の有名人に、相談するという形の記事である。
相談者は被害者や家族とも、もちろん加害者とも関わりはなく、現場近くに住んでいるとかその程度の関係。
事件の報道を知ってからもうだいぶ経つのに、とにかく被害者の少年がかわいそうで、哀しくて辛くてしょうがない、悲しんでもしょうがないと思うけど、という内容である。
これに対して霊能力者の回答は…
悲しむべきではない、それは貴女の自己満足に過ぎない。為すべきことは虐めを無くすための努力、具体的な行動や活動であり、それをせずに悲しむだけでは供養にもならない、といったものであった。
ありきたりの答え、当たり前、常識と言えばそうだが…
現実的には虐めを無くすための具体的な活動が、一般の人にそうそうできるものでもない。
虐めの現場やその兆候を見つけたら介入する止める、それだけでも大人にとっても難しい。教師でさえ見て見ぬふり、それを咎めることさえ難しい。もちろん自分だったらどうか、ということにもなる。
悲しい、辛いからこそ虐め撲滅のために働く動機にもなる、とはいう面ももちろんあるだろうけど…
では、被害者を憐れんだり悼み哀しむだけしかできないなら、そんなことしない方が良いのか、供養にもならないのか??
そんなのは自己満足、というのは被害者に自分を投影しているだけだから??
悲しいことは忘れて、あるいは忘れずとも、前向きに明るく楽しく生きた方が供養になるのか?
あの世や魂がなければ、神の存在を前提にしなければ供養って成立しない?
弔いは不要か、自己満足のためか?あるいは遺族や関係者の癒しのため??
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うつ病の本質、少なくともその一部は悲感哀、罪業感、虚無感といったことであるのに異存はないと思う。
かつて昭和の時代の、うつ病患者(主に中高年)の生活史を調べると、以下のような幼児期もしくは遠い過去の患者の周囲に、大きな悲しみや精神的ショックをもたらす出来事や状況が多くみられる。
パニック障害などの場合は、患者の憶えていない、知らないような遠い過去ではなく、割に最近の出来事が病因の大きな要素であることが多いが、それにしても当人はその意味に気づいていないことも多い。
例えばであるが…
患者本人の少し年上・あるいは年下の兄弟姉妹(となるはず)の人がいたが、病気や不慮の事故に遭って亡くなり、妊娠中、もしくは患者の幼児の頃、母親は悲しみにくれ、その中で幼児である患者の子育てをしたせざるをえなかった、といったケースが非常に多い。
昔は医療も発達していないし衛生状態も悪く、幼児が病気や不慮の事故で亡くなることは非常に多かったのである。
あるいは母親の肉親が亡くなり、ショックに打ちひしがれ、悲嘆にくれていたなど。
もちろん父親の関係者が亡くなったなどの場合もあるが、その場合父親自身の精神が荒れすさんだりして、母親もその影響の中で子育てをせざるを得なかった、といったような場合。
そうしたことが無い場合でも、両親の結婚が悲しい妥協結婚で家庭内離婚状態であったとか、嫁姑問題で激しい確執や葛藤があって、嫁である母親は大いに苦悩したり悲嘆にくれていた場合など。
さらに言えば、そうした問題がなくとも、祖先にそうした問題や事件などがあり、子孫に大きな悲しみや苦しみを残し、患者の幼児期の家族関係に影響していた場合など。
何代も代替わりすれば、おそらくそれなりに忘却され浄化され、それ程の影響はなくなるのが殆どだろうけど。
それでも何代も前のことが、大きな影響を残す場合もあれば、十何代も前(数百年前)の殺人事件がど、うつ病患者の幼児期、家庭環境にも影響し、それが主な原因としか考えられない場合もある。
精神医療には、患者個人のの成育歴、生活史だけでなく歴史的背景を知ることも必要である。
霊障というような先祖代々からの精神的な直接的な影響もあるのかもしれないが。
そうしたことよりむしろ、世代にわたって子供育て方・接し方、家庭環境などを通して、しばしば増幅されて心理的・精神的に連鎖する。(トラウマの連鎖)
このようなことをを示唆したら患者本人も、激しく納得していたことは何度もある。
本人も家系的な問題は知っていたのである。
もちろん、加害者側の場合も被害者側の場合もあるし、祖先ではなくその関係者の場合もある、というよりむしろその方が多いかも…
(被害者のトラウマももちろんあるが、加害者としてのトラウマもある)
「うつ病」を遺伝による脳病としての内因性精神病と考えてしまうと、当然のこと「(非)選択的非注意」により病因となる出来事や状況は見えないし、詳細な病歴をとっていてもその意味が見えることはない。
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霊能力者にはそのようなことが見えるのだろうか?
わかっても対処法はなく、一般に霊能力者が対象にするのは憑依精神病の患者であり、統合失調症やうつ病、神経症なども対象にはしない。
精神疾患の人を対象にしても何ら改善せず、金ばかり取るのはインチキ霊能力者の常套である。
私の昔の知人に、『精神分裂病(統合失調症)もうつ病も神経症も、あらゆる精神疾患は憑依精神病・神経症でもある』、と言う霊能力者がいた。『無意識と心霊現象は同じことを別な見方をしているだけ』とも言っていた。
当初は私はその意味がよく分からず、理解に苦しんだ。
科学主義者、合理主義者というのでもないけど、そういう胡散臭いこと、眉唾ものは大嫌い、根拠のないことをもっともらしくいうのも大嫌いだった。
その霊能力者も除霊をするのは(狭義の)憑依精神病に対してだけで、一般の精神疾患の患者にはカウンセリング、心理療法・精神療法といったことで対応していた。
その能力は「黙って座ればピタリと当たる」というような天才的なもので、精神科医や臨床心理士などとは圧倒的に次元が違う。私も大いに参考にさせて頂いた。
仏教が祖先を大切にしましょう、お墓や仏壇を拝みましょうというのは、もちろん理由のあることだろう。
健康的、幸福であるならば当然のことであるが、そうでないならば…。
したくないのに無理に拝んだり供養するよりも、おそらくしない方が精神の健康、メンタルヘルスのためには良いと思う。
むしろ心から拝めるようになるよう努力すべだろうし、そうなってから拝めばいいと思う。
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話を戻すと、肉親の悲しみがあたかも乗り移ったように、時限爆弾のように作用して、中年期を過ぎて「うつ病」を発症する人が多かったのである。
(私と考え方、見方は全く違うのだが)誰かの言葉を借りれば、遅発性・晩発性PTSD・心的外傷後ストレス障害としての「うつ病」である。
子供のころは発達する力があるので、そうそう問題を呈さず、若い頃はまだ元気でそれなりの適応性・順応性があり、仕事や家庭、人間関係など日常生活が特になく問題なく適応できていれば、その段階では、うつ病に陥るようなことはないが。若い頃から「うつ病」というのはよほどの重症だ。
昔から私は「うつ病」をそのように認識していた。
なぜ根拠のない、もしくは現実に相応しくない過度の悲哀感や罪悪感を持たざるを得ないのか?
生まれて数カ月も経たない子供でさえも、悲しみに打ちひしがれて、傷つき落胆している親を何とかしようとする。慰め、励まし、勇気づけ、癒し、導こうとさえする。
またそれができなくては自分自身の生存自体も危うく、良い発達環境も得ることはできない。親の養育なしに幼児は生きては行けないのだ。
親は幼児期の子供のセラピストでもあり、またそうなければならないが、それよりも遥かに幼児は親のセラピストとしての役割を無意識に果たそうとする。
親に対する子供、すなわち幼児の無自覚、非意図的な「心理療法・精神療法」が効果をを上げ、親も幼児の無意識な努力やその成果を認めつつ、感謝しつつ子育てをしていれば,将来的な問題はそれほど起こらないはずである。
それが効をなさなければ、幼児は無力感に打ちひしがれ、(自分が悪いわけではないのに)あたかも自分が親の悲哀や不安、抑うつなどの原因であるかのように思い込み、かつそれを補償できなかった、親を助けなかった、といった罪悪感、罪責感に苛まれる。
もちろん幼児はそれを自覚するわけではないし、記憶もしていないが、だからこそ無意識に影響し、大人になってからこそ、その影響は発現する。
うつ病の罪業感,自責感・無力感などは過去の(主に幼児期の)親に対する罪責感であろう。またそれを助長するような育て方、接し方を無自覚にしている。
罪悪感、罪責感、(理不尽な)要求に応えなければ罰する、叱責すべきでないことを叱責したり、過度に厳しく傷つて罰する、といった親の抑圧の内面化でもある。親にされたように不適切に自分を罪深い罰せられるべきものと考える。
得てして過保護な親は必要な安心感を与えないし、過度に厳しい親は必要な躾はしないものである。
親が「幼児の親に対するセラピー」を感じ取り理解し、感謝しつつ子育てができれば将来的な問題は少なく、一般的には健康的な親、家庭環境であればそうしたことができているはずである。
多く患者の場合は、親に対する子供の治療(心理療法)は部分的には成功するが、親にはそれを認めてもらえず感謝もされず、そのプロセスで子供は傷つくがその補償もされない、むしろ余計に傷つけられる。
もちろん、心の補償が必要なのであって、物質的なもので代えられるわけではないし、歪んだ愛情の押し付け「姑息の愛」や不適切な過保護はその代替にもならない。
上に述べたようなことが、うつ病に限ったことではないが精神疾患の根源的、本質的な原因、トラウマ(心的外傷)ではないかと思う。
「精神疾患は親を治療する過程で傷ついたトラウマが根本の原因、患者とは傷ついたセラピスト」
「あらゆる精神疾患は逆転移精神病・神経症である」
大雑把にいえば…
【健康に育った人】
 親のセラピーに成果を上げ、そのことを感謝され、発達促進的な養育を受けた子供。
 そもそも親が健康であるために、それほどのセラピーは必要ではなく、子供にとって達成不可能な過大な課題ではなかったという面もある。
【精神疾患に陥る人】
 親のセラピーに失敗し、ある程度の成果を上げているのにそれを認めてもらえず感謝もされず、むしろ恨まれたり妬まれたり攻撃されたり。
 そもそも親が健康的でなく、過大な癒し要求を押し付けセラピストとしての子供の心を破壊し傷つける。
 お前は私を癒し救ってくれないだけでなく、負担ばかりかけた、むしろ親を傷つけたと子供は責めを負う。
 傷ついた子供は大人になって、親を救えなかったという悲哀感、罪悪感、無力感、虚無感といった幼児期の反応に加えてもしくは重なって、青年期もしくは成人期以降のの不適応、ストレスで抑うつ状態など精神の不健康に陥る。
 うつ病の親は普通、虐待はしないが、精神的虐待という面もあり、一般の虐待なども類似の心的機制によるものと思う。
「毒親」と言うが、親もまた病んでおり、そうならざるを得ない背景や事情、要因がある。
親は健康そうに見える場合や、親自身に病識はなく自分は健康という場合もあり、それなりの適応能力を持っているからでもあるが、それは子供の親に対する「治療効果」のおかげである。
統合失調症の原因は?(ある同級生)
悲哀や罪悪感などに苛まれているだけでは何にもならない、それを克服し前向きに生きるべき、というのは治療志向ではあるだろうけど。
精神分析的には、悲しみにくれ、自責の念を持ち続けなければならない、明るく楽しくやっていくのは身勝手だ、不謹慎だ、というのは抵抗であり、自分は悲嘆に暮れ自責し続けねばならないというのは防衛ではあるだろう。
但し、抵抗・防衛には現実的な根拠もありうる。
現在も親によるトラウマ・ストレスが子供(患者)に与え続けられている場合である。そこから逃れることは親を見捨てることになる、実際に親の精神状態が悪化することを意味する。
ネガティブな毒は子供(患者)に向けられなくなると、それは自分自身に向けられ、対処・克服できない親は毒が回って自分自身が病気に陥らざるを得ない。
しかし自分のことは自分で解決し、克服なければならない。人に押し付けて抑圧してはいけないのである。
ちょっと極端な言い方で気を悪くする人もいるだろうけど。
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うつ病の症状は現実的なストレスには対応しておらず、あたかも何も理由がないのに激しい抑うつ状態に陥っているかのように見える。
実は「実存的問題」で激しく悩んでいたりもするのだが。そうしことは普通は若い頃に苦悩するものだが、その頃は「順調に」やっていおり悩む必要もなかった である。
患者がそうしたことを言うことが少ないのは、そうした言葉や表現は持たない(哲学者でも心理学者でも文学者でもなし)、相手に言うようなことではない、恥ずかしいと思ったり、通じるわけはない(もちろん精神科医やカウンセラーにも)、精神的に相手を押しつぶしてしまうのではないか、そうなったら自分も罪悪感に潰されてしまう、などといった理由によるものだろう。
あるいは患者が現実のショックやストレスを被ってはいても、抑うつ症状、悲哀感や罪悪感が現実的には見合ったものではとうていなくなく、その程度をはるかに超えており、全く相応していないほど激しく過大であったり。この場合は、うつ病というより抑うつ神経症、抑うつ反応というべきかも知れないが。
だからこそ、「うつ病は脳の病気」とも言われてしまうのだが。脳の病気で頭が狂っているから悲哀感、罪悪感にとりつかれ打ちひしがれているのではない。
もちろん脳の状態は良くないが、それを脳の病気とするのは医学的には間違いである。
抑うつ神経症というのは良いとしても、抑うつ性障害ともいうべきではない。
過去の(多くの場合、主には幼児期)のことに影響され、精神・神経が反応しているためにそのようなことが起こっているはずである。
ストレスに弱い、打たれ弱い、対応能力が低いのは、やはり幼児期の問題から、発達期に身に着けた適応能力が乏しいからである。
適応性が保てるうちは病的状態とはならないが、幼児期のトラウマと現在のトラウマ・ストレスが重なると発症する。
もちろん、幼児期のトラウマがさほどなくても、現在のストレスがあまりに激しければ、抑うつ反応が起こり、激しい「うつ状態」に陥るし、それも精神疾患ではあるが、本来の「うつ病」とは言えないだろう。
患者の幼児期には、年の近い兄弟姉妹が病気や事故で亡くなることも少なく、まだ祖父母も健在であることが多いし、とりあえず戦争が終わってからもだいぶ時間が過ぎた。
もしくは、そういったことと類似のショックや悲しみをもたらす出来事が少なくなったことが、典型的な「うつ病」の人が減ったり理由ではないだろうか。
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10数年前からの『うつ病キャンペーン』により、精神科病院、心療内科クリニックの受診者は劇的に増えて、うつ病と診断される人も、新型抗うつ剤の売り上げも激増した。
しかし、かつてのような典型的な「うつ病」患者はむしろ殆どいなくなったのは上述のような背景によるものだろう。もちろんショックや悲嘆がなくなったのではなく、世の中の移り変わりとともに人の心も大きく変化したのである。
統合失調症や他の精神疾患の病像変化も似たような事情や背景があると思う。
「新型うつ病」なんて言葉も広まったが、それはうつ病ではなく、抑うつ神経症でさえなく、敢えて言うならディスティミア神経症とでも言うべか。
そういう人は昔から多かったが、「プライド」も高いので、病気扱いされるとむしろ激怒し、だからこそ何とか社会的威信、自己評価は保てるように努力していたはずである。
またそれが可能な社会でもあった。
世の中も人の心も、見方や考え方や価値観、生活様式なども随分違ってきた。祖先やら家系がどうのという人も少なくなった半面、霊がどうのという人も増えたようである。
もちろん、心の傷、トラウマをもたらすような出来事や、その影響が無くなったわけでも減少したわけではない。悲しい事件や出来事が減ったわけでももちろんない。
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小保方晴子さん、ベッキーちゃん、(引き寄せの法則、ポジティブ・シンキングの陥穽)

小保方晴子さん、ベッキーちゃん、(引き寄せの法則、ポジティブ・シンキングの陥穽)
小保方晴子さんの手記、「あの日」が出版されたことが話題になっている。
ベッキーとゲス極川谷という人の不倫も随分マスコミを賑わせた。
手記には大事なこと不都合なことは書かないだろうけど、たぶん大部分は事実なのだろう。彼女の見方、解釈による事実でしかないが。
矛盾も多く認知の歪み、認識の欠落は甚だしく、解離が大きい。
ただでさえ自分のことはわかりにくいのは人の常。人のふり見て我がふり直せもむずかしいことである。
サルも木から落ちるし、豚もおだてりゃ木に登るが落っこちてケガをする。
登る人がいるから梯子かけられるんだし。階段を登っていくことは同時に落とし穴を深くする、梯子を登っていくことは当然リスクを大きくすることである。
彼女の言う真実を全てを認めたとして、若山照彦さんだけでなく他の関係者も含めて五十歩百歩だろう。若山さんは先攻、小保方さんは後攻か。人のせいにすればなんだって人のせいではある。
若山さんは怯懦か狡猾か逃げ足が速く巧妙だったのだろう。
悪く言えば詐欺の仲間割れのようなもの。今更言っても。2年前の会見の時に言うべきことだった。その後でもネットで表明するなどいくらでも機会はあったはず。それどころじゃなかったんだろうけど。
おそらく陰謀・策略というというような大げさなものではなく、無自覚にのせたりのせられたり、欲に動かされ自己保身に走りコトが進んで拡大してしまったのだろうけど、これは歴史的な事件あるい犯罪史上でもありがちな悪いパターンである。
私は文系出身で医学部にいたので多分に偏見はあるだろうけど、科学者ってのは物的現象以外の日常的な現象については驚くほど事実を認識しない、自分の目でしか物事を見られない、自分の頭の中のみが事実、という人が多いと思う。それが訂正できずまかり通るので恐ろしい。
自己中でありながらコロコロと人に動かされ騙されるので、集団病理現象になりやすい。
精神科医なんて殆どそうだし。悪い意味で科学者、(科学者でもないか?)
だからこそ精神医療被害、向精神薬害がここまで拡大したのだ。
脳の病気なら脳波やCT、MRIなどいくらか役立つものもあるが、精神疾患には確認できる物的事象は何もない。光トポグラフィーなどもちろん何の役にも立たない。
小保方さんも若山さんもベッキーちゃんも、笹井芳樹さんのように抗うつ剤SSRIの賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームで自殺しないで欲しいです。
うつ状態といっても、広い意味では症状ではあるが、脳の病気のうつ病なんかにはなりません。理由があってなってるんだから、それ自体は正常な反応。抗うつ剤では当初は楽になったかのように見えて悪化するのは当たり前。
きちんと釈明して謙虚に頭を下げれば男を上げることもできたはずだ。それができないのが病気ともいえるし、そこまでに至ったプロセスが病気ともいえる。
精神疾患に発病はないし、厳密には発症という概念も成立しない。
小保方さんや関係者もベッキーちゃんも、そもそもあまり健康ではなかったのだろうけど。
少なくともネームバリューはあるので、何なりとやっていくことはできるはずです。
人から騙され、騙されたことに気がつけば逆襲されるのは当然。もちろん良いことではないが。
マスコミも大衆もそういうもんだろ。彼らは彼らの価値観や倫理、行動様式でしか動かない。
小保方さんのことは前にもまとまらない文章を書いたけど。
もちろん、小さい範囲では理研全体が、大きく言えば社会全体の集団病理現象を少なくとも反映している。
これだけ注目を集めた事件であるから、若山さんの反論が聞きたいだけでなく関係者の意見も聞きたいところだが、もはや『藪の中』だろう。
関与した人が無自覚で自分で自分を偽る面があれば今更かもしれない。
STAP細胞も再生医療も、一部の人にしか関係ないし、ホントの医療の進歩につながるとも言えない。
資本主義医学、ビジネス医療、では大きいというだけだ。少なくともやるべきことは他に沢山ある。
STAP細胞でノーベル賞がとれるなら、俺なんか10個くらいもらっても良さそうなもんだが。
いらねーけど、企業秘密だし。賞金だけ欲しい。
保険料がこんなに高いのでは医療以前にメシが食えない。自営業の人はこんなに高い国民健康保険料が払えるのだろうか?保険抜けることはできないし。
食うや食わずの低所得者でも上限近くになってしまう。みんな所得ごまかしているのか?低所得だとごまかしようもないのだが。不思議だ。
医療を縮小すべきだ。そのために私はずいぶん貢献しているのだが多勢に無勢。
金持ちしか享受できない医療になんで貧乏人が金を出さなくてはいけないのか?
そもそも医療は必要か??誰得? 「この国は医療で潰される」
話がズレたがいつものことだ。
人助けをしたいのは大いにけっこうなことだが、尊敬や感謝、称賛が得られることではなく、もちろん金になることでもない。純粋に世のため人のために貢献したいとしても、非難攻撃を受けるのが世の常である。
ベッキーっていう人は知らなかったけど、彼女も小保方さんも基本的には同様だろう。
元気は病気という面も無きにしも非ず。好感度と言っても悪く言えば人を騙しているようなところがある。演じているわけだが。テレビはそういうもんだし、悪い意味で相性が良かった。
特に才能や能力があるわけでもなし、両者とも人に取り入り取り立てられ、『引き寄せの法則』 『ポジティブ・シンキング』で成り上がり、堕ちていった。
禍福は自ら招く、糾える縄のごとし。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。
両者ともスピリチュアル系、というか少なくともそういう影響を受けているのだろう。
プラス思考、ポジティブと言ってもマイナス、主観だけのもの、ネガティブの補償でしかなかったり。
ネガティブが良いわけではないがそれだけ理由や背景があってのことで、有るものを無いものにするわけにはいかない。
「無意識に嘘は通用しない」それが無意識の法則である。
世間的にも他者にも自分にも、嘘がそうそう通用するわけではないが。
無意識について一知半解、事実を理解せず「無意識の法則」を適用すると落とし穴にはまる。
偽り、まやかしは無意識の逆襲を食らう。
単純化していえば、小保方さんもベッキーちゃんも意識の上では無理にポジティブ、無意識ではかなりネガティブ。表プラス、裏マイナスの傾向が強かったのだと思う。
意識の上で無理にポジティブ・シンキングだと無意識にも徐々にポジティブになるとはもちろん限らなず、むしろネガティブを強め、解離甚だしくなり、運気上昇から一気に落とすことになりがちです。
何でそうなるかどうしたら良いのか?
スピリチュアル系の人の殆どがそうしたことを理解していません。
ネガティブ⇔ポジティブの二分法、二項対立の思考もあまり適切ではないですが。
ヒプノセラピスト、スピリチュアル・カウンセラー、○○セラピー、無意識に働きかけて…、などと称する人のほぼ全てが無意識の法則を理解せず、勝手に思い込んでいる。
「心的決定論」の身勝手な解釈と適用。それが一時的に成果を上げることもあるが、ツケが回ってくる。後が危ない。
上辺をつくっても動かしても砂上の楼閣、やはり基本が大事だ。
指導・援助する側も正しい治療を受けて訓練する必要があります。
傾向は違うけど心理カウンセラー、臨床心理士、精神科医も同様。
精神科医は事実を理解せず知識を当てはめてしまうので、知識は真実でも適用は間違い。間違いを検証もできないのに信じ込む。
身体の病気なら僅かながらも検証の方法があるのだが。
認知行動療法も似たようなもので、認知の歪みと言ってももちろん理由があってなるべくしてなってるんだから。こっちは無意識無視。
小保方さんの母親もお姉さんも心理学者ということで、いかにも、ではある。
ヒーリング系、スピリチュアル系の人も患者さんも注意して欲しい。

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発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害
こちらの続きです。
発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害 (2) : 発達障害(誤診)の病名など
思いつくままにいくつか挙げておきますが、以下のような子供はいくらでもいる。
【その1】中学1年、女子
両親とともに本人も一緒に相談に来た。
不登校と言っても間欠的に学校には行っており、保健室登校や午前中で帰ったりしている。
「そういうのも辛いでしょ?そんなことするよりちゃんと出席した方が楽じゃないの?」と聞くと「もうそういう人だと思われているから、皆もあまり気にしていない。なので自分もあまり苦ではない」という。
今どきは不登校も多いのでそんなもんらしい。
我々の頃はサボるもの「勇気」が必要だったが。
不登校になったきっかけは友人と思っていた人からも悪口を言われてショックを受けたり。
親は普通に話している分には至って普通に見える。ちょっと過保護、心配症、子供依存の傾向はありそうだが。
本人はちょっと美人系、オシャレ系ではある。
気が弱く少し神経質なところはあるが、やはり今時少数派?嫌味のない素直で子供らしい感じの娘である。
同じクラスのやはり美人系だが意地悪な子にライバル視というよ敵視され、ボス的になったその子がクラスメイトを従え、悪口を言ったり仲間外れにしたようである。
いじめではあるが、そう激しいものではなく、いつの世もどこでもありがちな程度かと思われる。
野球部のマネージャーになったが入学早々不登校になったので幽霊部員だという。
そのこともネタにされて「ぶりっコ」などと言われたようである。そう言われるのもわからぬではないが、大人から見れば前述のように嫌味のない素直で可愛い子である。
その位の年代なら男の子にモテたい、仲良くしたいなんて当たり前だが、特にそれを期待している様子でもない。
Lineでも悪口を書かれたりしたらしい。そのため当人はLineは止めたという。
そうすると当然のことながら、自分の知らないところで悪口を言われたり書かれたりしているんじゃないか?、と気になってしまう。
そういったことを精神科医の前で口にしてしまったために、言質を取られた形となり、妄想ということにされて診断名は「統合失調症」だが、なぜかSSRIを服用している。
アホか!もちろん子供じゃなくて精神科医のことですよ。
子供が「統合失調症のような病的な妄想ではなく、本当にそうなのか事実かどうかを確かめてもいないけど、ついついそう思って落ち込んでしまうことかあります」なんていちいち精神科医に説明はしません。
そこまで説明されても、統合失調症にしてしまうのが昨今の精神科医だが。
本人によるとSSRIで少し楽にはなったという「効果」はあるらしいが、もちろん甚だしく危険である。
薬のことなど話していたら、父親も「お父さんも酒止めるから薬は止めよう」と言ってた。
その後「いい先生だし(治療を)受けたいけど、部屋がちょっと汚いし」などと言ってたらしく(神経質ではある)、相談1回だけで治療を受けには来なかった。
そりゃ元気できちんと学校に行くようになれば来ないわな。
てなわけでちょっと話しただけで(お金も取らず)、とりあえず問題解決したりするのであるが、精神科医にかかると本格的障害者(薬害性の中枢神経障害)にされてしまう。
薬漬け、慢性薬物中毒・後遺症で生涯台無しだ。
※統合失調症についてはこちらをご参照ください。
ある同級生のこと(統合失調症)
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【その2】中学2年、女子
当所に相談に来たわけではなく会ってもいない。母親から電話で相談があっただけである。
具体的なことはあまり覚えていないが、やはり上述の子と似ている。
本人は真面目で勉強熱心、成績も良かったのだが、やはりLineで悪口を言われたりして、親しい子もそれに加わったことがショックで、勉強も集中できなくなり、今回のテストの成績もだいぶ落ちたという。それがまたショックで落ち込んでいるらしい。
学校には行っている。
そこで例のごとく、あざとい教師に精神科受診を勧められ、拒否するわけにも行かず受診した。
医者は話もロクに聞かず、というより子供とまともに話もできない児童精神科医で、いきなり薬てんこ盛り、こんなの飲ませても大丈夫かか?などと心配した母親からの相談の電話であった。
「これはエライことですよぉ~これは病気ですよ!発達障害ですよ!統合失調症かも知れませんよ!」
BYルーキー新一

診断名は忘れた。統合失調症の疑いだったか、小児うつ病だったかなぁ? 
聞かなかったのかもしれないが、もちろんどうでもいい。もちろん誤診。
母親もずいぶん心配して落ち込んでいたが、特に毒親でも教育ママでもなく、気が弱く心配症の傾向はあるだろうが、やはり普通の範囲を超えない感じ。 
「精神科医の言うことなんて真に受けちゃだめですよ」「ハッキリ言ってバカだし嘘つきだし」
「んなこと、子供が成長するためにはむしろ必然的なプロセスだよ。」「似たようなことはお母さんもあったんじゃないの?」
「心配症は良くないよ。肝っ玉かあさんでいかなくちゃ(知らねーか)」
「親は距離を置いて離れて見守る位にして、自分のことを楽しくやればいい」「親戚の娘さん、姪御さんくらいに思ったほうが良い。」
などと、こっちも好き勝手なことをまくし立てた。お金も貰ってないし。
本人の心理、学校での状況、母親自身のことや家庭のこと、精神医療のことなど事実を確認しただけである。
うそやまやかし、取り繕いなど、自分を偽り、事実を捻じ曲げることは不安や葛藤、心を不穏にさせ不健康をもらたす。精神科医の得意分野である。(殆ど無自覚にやっている)
母親は随分心配していたが、安心したようですっかり明るくなった。
それだけで本人も元気を取り戻すはずで、学校には行ってるわけだし、そりゃこっちにも来ないわな。
ウチに来れば勉強やる気になったり集中できる方法も教えますけど…
というわけで親と電話で話しただけでも、とりあえず問題解決するわけだが、そのまま受診服薬を続けていたらたいへんなことになる。
障害者化→廃人化、一生台無しだ。
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【その3】小学校5年、男子
診断名はお決まりのAD/HD注意欠陥多動性障害(誤診)、発達障害(誤診)
年齢の割に随分体格は小さく子供っぽく見える。2歳くらい下の感じ。実際にそのように見られることが多いようだ。知的障害ではないが知的にも少し低いようだ。
緊張感が非常に強く、座っていても最初はえらく落ち着かなかった。
初めてへんなオッサンの所に来て、目の前に座らされたということもあるのだが、普段も緊張が強いはずである。
親はまぁ普通のオバサン(失礼)、精神疾患の親という感じはもない。
学校ではその場に不適切な言動があり、KY、空気読めないなどと盛んに言われるらしい。家庭ではそう問題はなく、どうしてもゲームをやってしまい勉強はしないことくらいか。
激しいいじめではないのだが、やはりバカにしたりからかわれたりしている。
そこで本人も怒っても犯行はできないし、というよりむしろ今時めずらしく素直な子供らしい健康的な子なので、それがストレスになり、授業中にも席を立ったり奇声を上げてしまうこともあるらしい。
ついつい耐えられず、手を出してしまうこともあるようだ。もちろん、からかったりするやつのほうが先に手を出しているに違いないが、「空気読める」ので教師や大人たちには気づかれないのである。
そこをまたからかわれたりバカにされたりするので悪循環。
教師からもいろいろ言われたり注意されたりしている。
母親も呼び出されて注意を受け、母親もストレスになる。
学校のことなど、なんでも親に報告などしないほうが良い。それぞれ別の環境であり空間であり小社会だから良いのに。
結局、お決まりのADHD(注意血痰多動性障害)の疑いがあるからと、精神科医の受診を勧められる。
そんなの真に受けたら命取り、一生台無しだ。
しかし、何と!
そのような子があまりにも多いので、児童精神科医の受診は半年待ちらしい。
ゆえにまだ被害も拡大したとはいえ、そんなに激しくはは広がらずとどまっているとも言えるのだが、児童精神科医が増えたらほとんどの子供は発達障害(誤診)にされてしまう。
昔なら「大器晩成」なんて言われるくらいのものである。大器晩成なんて今は死語か?
空気読むなんて本来、子供のすることではない。社畜にでもなってからすれば良いことだ。(良くないか?)
子供は素直で優しくて思いやりのある良い子ならそれでいいのだ。
今の教育や家庭環境は子供時代をすっ飛ばして、いきなり社畜にでもなることを要求しているようなところがある。それも過当競争で。
いつから会社がそんなに偉くなったのか?正社員になるのが夢だとか。
我々が学生の頃は今のニート引きこもりと大差ない、社会に出る前からの社会からの落ちこぼれでさえヤツでさえ「サラリーマンなんかになりたくねぇ」「何が一流会社だ、大企業だ。ケッ!」てなもんだった。
 例によって話がズレたが。(誰のことだ?)
母親はそれなりに本も読んでおり、教養程度には精神発達や心理療法的な知識もあるので、精神分析学的な難しい話も随分したけど(3時間位ぶっ続けで)本人も落ち着いて、真剣に一生懸命聞いている。
正しいことを言えば知的には低くても子供は素直に入ってくるので、難しい話をしても通じるものがある。
「たいくつな話で疲れた?」「…」(首を横に振る)
「難しいけどわかったかな?」「…」(首を傾げて)
「でも、ちょっとわかった?」「うん!」
授業を落ち着いて聞いていられないのは、たぶん教師の教え方が下手で指導力がなさすぎるからでもあるな。
発達障害(誤診)、病気扱いして受診を勧めるなら、むしろいじめる側の子供、というより本来はその親だ。
この場合は、ホントの発達障害と紛らわしいところはある。やはり未熟児で生まれ、かつ早生まれだ。もう一学年下に入ったとすれば、ずっと適応しやすかったはずだ。
知的な発達の遅れがあるといってももちろん脳の病気ではない。
AD/HDと言うならそのものではなくとも脳の障害を証明すべきであるが、もちろん精神科医にはそんなことはできない。
何で脳の病気でないとわかるのか?
実は脳の病気と精神疾患の症状は似てはいてもまったく重なることはない。普通の人間と違うところはないが、問題が拡大している、表面化しているというだけである。
精神科医にはもちろんそんなことわからないが、むしろ神経内科の医者なら(心療内科ではないよ、念のため)たいていわかる。
脳の病気についてよく知っており、中枢疾患の患者をたくさん見ているので。
実は素人目にもパッと見ただけでわかるのだが、精神疾患を脳の病気としてしまうと全てがわからなくなり、まやかしやごまかし、自己欺瞞を言うしかなくなってしまったのが今の精神科医である。
脳の病気であろうがなかろうが、ホントに発達障害であろうがなかろうが、精神科を受診してももちろん治療はできず、向精神薬の服薬では徐々に悪化する。
一時的には良くなったかのように見える場合もあるが、副作用満載、危険であり、徐々に身体も壊して廃人化。当然だが。
ストラテラ、コンサータは向精神薬の中でも覚せい剤に近いものである。
もちろん、てんかん発作でもあれば話は別だが、てんかんは精神疾患ではなく中枢疾患であり、精神科の対象ではない。
※この項、続きます。
 こちらもご参照ください
発達障害 (1):発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害 (3b):発達障害(誤診)の症例-2

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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発達障害 (2) : 発達障害(誤診)の病名など

発達障害(2)
発達障害(誤診)の病名など
この項は前項の「発達障害(1):発達障害(誤診)の拡大と混乱」の続きです。
発達障害(誤診)では以下のような診断名も良く使われるので、それについて。
児童精神科医が言うことの多くは間違いであり、精神医学に反しておりエビデンスもない。
ウィキペデアなんかを見ると間違いがないわけでもないが、基本的にはほぼ精神医学の定説に沿った記述なので、精神科医の言うことは真に受けず、とりあえずそれを見るのも良いと思う。
【ADHD 注意欠陥・多動性障害】
ネットを見るといろいろ出てくるが、殆どは製薬会社のものかスポンサーになっているものだ。もちろん薬の拡販のためである。
「昔はADHDなんてなかった。そういうのは子供と言ったんだよ」なんて反精神医療派、CCHRの人なんかが良く言ってるけど、元々はある精神分析家の言ったこと、けだし当然である。
しかし、最近は分析家と称する者さえ、発達障害(誤診)の虜である。
これを製薬会社は逆手にとって、ADHDは昔からいたが見過ごされており、既に大人になった「大人の発達障害」がたくさんいるとして、盛んに発達障害(誤診)キャンペーン、病気喧伝を行っている。
ADHDの父と呼ばれる、アイゼンバーグ氏はADHDを提唱したことを、激しく後悔して、2009年に亡くなられたらしい。
『ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める』
http://gigazine.net/news/20130529-adhd-is-made-by-industry/
結果として過剰診断がとどまることなく広がり、子供に対する薬害を広めてしまった。もちろん氏の意図するところではなかったはずだ。
ホントに発達障害「ADHD・注意欠陥・多動性障害」に該当するような子供は全くいないわけではないが、ごく僅かであり、ある種の精神遅滞(知恵遅れ)なので特に分ける必要もないし、もちろん治療法があるわけでもない。
精神遅滞はもちろん多様であり、その子に応じた療育・訓練・リハビリをすべきであるが、精神科医に通う必要はない。
ADHD・注意欠陥・多動性障害なんて精神科医の殆どが知らない頃、30年以上前から私は知っているが、それに該当すると考えられるような人は1人しか知らない。もちろん精神遅滞(知恵遅れ)である。
その後100人位は、ADHDと診断された,ADHDの疑い、自分でADHDではないかと思う、といった人に会ったことがあるが、すべてADHDではない。殆どは敢えて言うなら神経症。
発達障害(誤診)の二次障害とか、「お薬を飲む事で息子さんの頭の中が整理されて、考えがまとまりやすくなる事によって、本人もすごく楽になるんですよ~」なんて児童精神科医に言われると親も逆らえない。
薬を飲ませないことは医療を受けさせない=虐待とさえ考える親もいる。
その頭の中を自分で整理することを身に付けるのが成長・発達というものであり、むしろその学習経験を阻害してしまうのに。
もちろん薬の効果はあっても一時的、長期では逆効果となる。
ADHDと診断される子供は、早生まれが多い(3月と4月生まれでは1年近く発達の差があるのが当然)という調査報告もあるようだ。
ストラテラとかコンサータといった向精神薬を処方されるが、そんなの殆どヒロポン※だろ。
子供をポン漬け、ポン中にしてどうするつもりだっ!
※知らない人も多いだろうから下に注
【アスペルガー症候群】
今世紀に入る前後、インターネットの普及と共に素人の中で広まったように記憶する。2chなどで人を蔑む言葉として。
これに精神科医がだいぶ遅れて追従した。要するに素人ヲタより遅れている。
例によってDSM流の項目当て嵌め方式だと多くの人が当てはまってしまう。まったく○×式は子供のテストだけにして欲しい。
子どもをテストするんじゃなくてお勉強のテストですよ。答えるもの面倒だし採点するのも面倒だから。
要するに高機能自閉症だが、元々は殆ど都市伝説みたいなもので、昔も今もそういう人がいないわけでもないが極々まれである。
前述の自閉症のリハビリの第一人者だけでなく、ホントの発達障害のリハビリをしている知人も何人かいるので、自閉症の話はしょっちゅう聞いているが、アスペルガーなんて20年以上前から聞いたことはない。
○○博士とか□□オタなんてのは男の子なら普通のことだ。私は車好きで5歳以前に、大人の読む車の本を見ていたので相当な知識であった。漢字も結構読めたし。当時は車の絵本さえ少なかった。
今のように情報過多だったらどうだろうか?末恐ろしい!??
車が好きだったのは小学校低学年までで、その後は一時的にバイク、それからサイクリング、登山と順調に成長している??
自閉症の中でもアスペルガー症候群は皆無に近く、そうではない子供、だけでなく大人にも広げてしまった。実際には殆どの場合、神経症的問題であり解離による思考パターンや学習経験の甚だしい不均等、認知の偏り、欠落など。
子供なら特に病気と看做す必要もないが、生涯続いてかつ人生に大きな支障をきたすなら、まぁ神経症(と言えば中らずと雖も遠からず)だ。
当然のことながらDSMからも第5版からは削除されたが、精神科医や教師の頭の中では今も増殖中。
今は自閉症スペクトラム障害ということで特に区別されなくなった。そんなの当り前でDSMだと第3版以前に戻っただけ。昔の専門学校の学生でも知っていた。自閉症児の介助のボランティアをやっていたので。自閉症は多様である。
自閉症も対人関係や認知などある種の傾向や偏りがあるだけで、ホントは精神遅滞(知的障害、知恵遅れ)に過ぎないという説もあり、少なくともそう考えた方が良いだろうと思う。
(ホントの発達障害のプロはそう考える人が多いようだ)実際に昔は一緒くただったし。
ホントの発達障害児、精神遅滞だって多様なのはあたりまえだ。
鬼の首を取ったように得意になって、特徴を数え上げてチェックリストに当て嵌めて分類するのは素人や精神科医だ。
DSMの弊害であり、受検勉強のやりすぎや血液型占いなんかの影響もあるかも知れない。
ミソもクソも一緒はまずいが、分類できないものを分類して分かったよう気になってしまうのも非常にまずい。
【広汎性発達障害】
もともと非常にあいまいな使われ方をしており、今日小児科領域ではあまり使われなくなったようだ。多くの場合、精神的・情緒的問題の大きい精神遅滞、知的障害などに使っていたと思う。
ところが最近は軽症のフツーのオバサンやオッサン(軽度神経症)にまで使うようになった。
最初はお決まりの、「うつ病(誤診)」だの、神経症やパニック障害だったのが向精神薬を服用して悪化、元々の症状も副作用も離脱症状も後遺症も区別がつかなくなってしまう。
気分変動が激しいわけでもないので双極性障害とも言えず、幻覚妄想があるわけでもないので統合失調症とも言えず、服薬で悪化した結果をさらに取り繕おうと悪あがき、薬てんこ盛りにするための苦肉の策として使われるようになり広まったようだ。
【統合失調症(の疑い)】
統合失調症はホントの発達障害でも発達障害(誤診)でもないが、統合失調症と診断すれば、「精神科医は今日も明日もやりたい放題」であり何でもありだ。
発達障害(誤診)というよりも殆どの場合、悪質であり薬漬けも激しくなり電気ショックなどの有害・危険性の高いこともやり放題になってしまう。
発達障害(誤診)は統合失調症(誤診)に対しては多少の歯止めにはなると言う面もないわけではなく、一部の反精神医療派の人が発達障害(誤診)の呪縛・陥穽にはまるのはこうした事情もある。
しかし、発達障害(誤診)でも統合失調症(の疑い)でも、薬漬けで薬害性中枢神経疾患、障害者化されてしまうので、結局の所行きつくところは同じだ。
最初は発達障害(誤診)とされても薬害性の統合失調症様の中枢神経障害になることは、すでに多く報告されており、そういうケースは今後どんどん増えるはずである。
もちろん精神科医にはホントの統合失調症と、薬害性の中枢神経障害の区別はつかず「もっと早く受診して服薬していれば予防できたはずだ」と自己欺瞞・正当化するのであるが。
もっともそれ以前に、コンサータだのストラテラで上がったり下ったり、双極性障害と診断されるようになる場合も多い。当然のことながら常用量離脱も起こる。そんなことをしていれば当然、脳破壊され薬を止めても不可逆的な後遺症が残る。特に子供の場合は大人よりも。
多くの場合は、子供が「皆が自分の悪口を言ってるかもしれない」などと言うと、妄想扱いされて統合失調と診断されることが多い。
子供は言葉足らずなのは仕方がないのに、そこを分かってもらえず言質を取られる。
早期化している事情はあるだろうが、思春期なら多くの人が思うことだ。
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この分野ではやはりものごとは正しく理解し、言葉は正確に使わなければ有害甚だしくなってしまう。
精神科医が今後、薬漬け障害者化の先に目指すところは、薬害を誤魔化すためにも脳内チップ埋め込み電気刺激などであろう。
昔はそんなこと言うだけでも、考えるのも憚れるのであったが。
ふた昔前はロボトミーはもちろん電気ショックも廃れており、精神科医でも大多数は脳そのものを弄るのは反対派が多かった(本音はともかく)。
マッドサイエンティストみたいな精神科医は少数派であり、精神科医の中でもそのような者は嫌われていたのであるが、それが主流派となった。
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しかしながら,発達障害(誤診)が広まるそれなりの背景、もしくは理由、混乱が生じる要因も全くなかったわけでもない。
例えば、超未熟児や乳幼児疾患で昔なら助からず生きていけなかったはずの子供が、保育器の中に入れられて生後数か月も親の直接的愛情や養育を受けることができなかったなど。
こうしたことは旧来の心的外傷とは別質の、オジサン・オバサン以上にはほぼあり得ない、トラウマももたらしていることはある。
家庭環境や親の療育の問題や犯罪被害などのショックな出来事による、いわゆる心的外傷・トラウマとは異なる質を持つものである。
もちろんこの場合も基本的には後天的であり環境因であり、遺伝的・先天的な脳の病気ではないので発達障害(誤診)と言うべきではない。
私の知るところでは「こういう子供なら素人的には発達障害(誤診)と考えてしまうのももっともだな」と思えるケースはすべてこうした事情や背景があった。
こうした子供の場合、知的障害とは言えないがやや知能の遅れがあったり、知的には優れていてもいろいろと偏りや歪み、学習経験の乏しさがある。
ADHDと診断される子供は、早生まれが多いと前にも書いたが、超未熟児だとそれに数か月の遅れと、それプラスその間の発達促進環境の乏しさが加わることになる。
病院を離れて母親の手に返された時を誕生日とするならその差は小さくなるが。
やはり身につけるときに身につけるべきことを身につけないと後が難しくなるのもまた事実である。
幼稚園や保育園、学校などで同じ年齢の子供を集めるのはもちろん理由がある。回りの子が少し年上の子供ばかりだとメリットもあるだろうが、やはりハンデを負いやすく後々まで尾を引くこともあるだろう。
そのようなことはあるのだが、子供ならまだこれからの学習経験が必要であり、療育,教育環境や対応が大事である。
それを精神医療漬け、薬漬けにしたら脳の発達を阻害するばかりでなく、発達・学習経験も奪い元も子もなくなる。
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でも、「子供が精神的問題を呈して本人も周りも困っている例は現実にたくさんあるだろ、どうしたら良いのか?」
発達障害(誤診)と考えず神経症(心因性、環境因、PTSD)とすれば中らずと雖も遠からず、害は少ないとは言える。神経症は精神科の治療対象ではないのが定説である。
神経症とは神経そのものの病気ではなく、使い方や状態はもちろん良くない不適切だとは言えるが、もうちょっと正確に言えば無意識による神経の使われ方がまずい、ということである。
くり返すがもちろん脳の病気としたり、安定剤だの抗精神病薬だのは論外。しかし精神科医はそれをやる。
児童精神科医が行う有害なことはいくらでもあるが、有益なことはほぼない。
臨床心理士や心理カウンセラーなら良いと思うかもしれないが、全く悪いわけではないにしても、彼らの果たす主な役割は、結局の所、精神科につなげるということである。
適切な家庭環境、教育環境において健全適切な対応をすべし、と言うしかない。
家庭は家庭の、親は親の、学校は学校の、教師は教師の本来の役割をきちんと果たすべき責任がある。もちろん社会的問題でもあるが、とりあえずはそこに戻るべし。
教師も余計なことばかりで忙しくなったりストレス多くなっているようだが、無駄なことから解放されて、本来の役割を果たすべきである。
「子供を精神科医に近づけてはならない。
少なくとも今の段階では。
もちろん当所の治療は、適切に受ける意思があればどんな人でも改善できるもので害もありませんから子供でも治療可能です。
対象は今の所、小学校高学年くらいから。
あまり小さい子には向かない治療法ですので、その場合は親が受けた方が良いです。親が良くなれば家庭環境や子供の接し方も変わるので、子供の方も改善が見られます。
※ポン中なんて言葉を知る人も少なくなったので余談ですが。
ポン中というのはヒロポン中毒でシャブ中といった言葉が広まる前に使われていました。
ヒロポンは昭和20年代前半には一般市販薬だった覚せい剤(旧向精神薬)、肉体労働者や看護師など夜も働く人を中心に広まり、薬物中毒が蔓延した。
昭和25年には発売禁止となり、これをきっかけに「覚せい剤取締法」や「麻薬及び向精神薬取締法」が施行された。
私の知人は戦後間もない小学生の時にポン中になり、中学生の頃、コレはヤバいと気づいたので、のたうち回って死に物狂いの苦しみを乗り越え短期で断薬し、発売禁止になってから闇で仕入れて売りさばき、極貧なのに大儲けした金で高校に進学できたという。
そうした経験があるので向精神薬についても熟知していた。
その頃の高校進学率は今の大学より少ない位。何とも隔世の感あり。
こちらもご参照下さい。
発達障害 (1):発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱

発達障害(誤診)-その1
発達障害(誤診)の拡大と混乱
今日、「うつ病キャンペーン」病気喧伝、即ち受診者(薬害被害者)の増加も頭打ちとなった現在、精神科医が遺憾なく無能さや有害さを発揮しているのは子供に対してである。
そもそも、職業として成立しないはずの児童精神科医と称する者もやたらと増えてきた。
悪しき「発達障害(誤診)ブーム」、発達障害喧伝は数年前から拡大し続けている。
もちろんこれを問題にせざるを得ないのは、言葉の使い方が間違っているばかりでなく、子供を犠牲にする悪質な精神医療過誤・向精神薬害問題だからである。
発達障害については前にも少し書いたことがありますが、ここで一応整理しておきます。
駄文なので整理にはなっていないかもしれませんが。
NHK クローズアップ現代 「子どもに広がる向精神薬の被害」
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発達障害(誤診)問題は言葉も非常に錯綜しており誤解も招きやすい。
ここでは、とりあえず、本来の発達障害を「発達障害」として、最近増えている精神科医や教師、児童相談所関係者等から発達障害とされている子供もしくは大人(敢えて言うならただの子供か精神的問題の大きい人、あるいは精神疾患(脳の病気ではなくPTSD)、を「発達障害(誤診)」とします。
ホントの発達障害に関しては別問題であり、精神医療の対象ではないし、当所の治療の対象でもなく、私自身も門外漢です。
そもそも発達障害というのは医学上すでに確立した概念である。
発達障害(誤診)は有害なだけでなく、これまでの医学に反しており医学を全く無視した間違いでもある。
発達障害とは具体的には、脳性麻痺、精神遅滞(知的障害・知恵遅れ)、ダウン症、(ホントの)自閉症、重度心身障害、二分脊椎などのことであり、殆どは遺伝や周産期のトラブルの後遺症であり、多くは中枢神経障害でもあるが、基本的には精神疾患ではなく、精神疾患はは発達障害には含まれない。もちろん併合することはある。
基本的には発達障害は養育訓練やリハビリの対象であり治療の対象ではない。
リハビリも広義には治療ということになるが、病気・疾患そのものを治すという意味での治療と言う言葉は当てはまらない。
私の長年の親友には、発達障害(ホントの)リハビリ分野では第一人者がいて、しょっちゅう会っているので発達障害について話を聞く機会は多いし、私自身もボランティアで介助などしていたこともあるし、発達障害児施設に数か月いたこともあります。
元々はリハビリ系なので多くの発達障害児を見ていますが、治療の対象として関わることは今後もありません。
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精神疾患は常に精神発達上の問題でもあるので、発達障害(誤診)と言うのは一見正しい見方で、悪いことではないように思う人が多いかもしれませんが…
精神科医や(養護学校ではなく一般の小中学校の)教師が発達障害(誤診)と言う場合はほぼ全て間違っており、反精神医療派の人でさえその間違いを踏襲し誤診の陥穽に囚われている人が多い。
障害とは疾患そのもの病気そのものは治らない、ということでありそれを受け入れた上での対処が必要だということです。
スキーで骨折しギプスを着けて杖をついている者はケガ人であって身体障害者とは言いません。
精神障害という言葉も本来望ましい言葉ではありませんが、かつて長らく精神医療の対象の殆どは重篤な精神分裂病であり、治らない(精神科医には治せない)ことを既定の事実とした上で広まり一般化したわけです。
日本でバイクと言えば、かつてはエンジン付のオートバイ、カブやスクーターなんかのことで、今もそうした言い方はしていますが、最近は自転車のことをバイクと言うようになりました。
(ホントの原チャリ、原動機付自転車を知ってる人はかなりの年輩ですね)
それで特に混乱も問題もないし、米国ではバイクといえば昔から自転車のことなので、むしろ訂正したことになります。要するに二輪車ということですから、いずれにしても間違いではありません。
机のことを椅子、椅子のことを机と言ったとしても(そのような使われ方をすることあるし)、多少の混乱はあっても人の勝手で、机に座って椅子の上のメシを置いて食べたって大して害はありません。
机が木製だとしても植物に分類し、水や肥料をやって、もっと高くしようとする愚かな人はいませんね。
しかしそれ以上に愚か、奇妙でかつ甚だしく有害、危険、被害甚大なことを行っているのが子どもに対する精神医療の現状です。発達障害・誤診蔓延と向精神薬漬け。
もちろん治療ができるなら、あるいは発達上の問題を克服するための援助ができるのなら,大いに精神医療はどんどん拡大すべきです。程度はともあれ、いかなる人も精神疾患という面はあります。
しかし現状では子供に対する精神医療は甚だしく有害、危険でしかありません。
例によって話がくどくなりましたので、ここで整理しておきますと。
・認識、行為の誤り:精神科医や教師、毒親など
 発達障害(誤診)は脳の病気として子どもを薬漬けにする。
・言葉遣いの誤り:一般の人や一部の反精神医療派の人など
 精神発達上の問題に対し発達障害(誤り)という言葉を使う。
もちろん前者の方がはるかに悪質ですが、後者も絶対に訂正すべきです。単なる間違いでは済まされません。
子どもを被害者とした犯罪的「医療」行為に加担し、精神医療過誤・向精神薬害の拡大、増長させることになるからです。
 反精神医療派の一部の人は、発達障害なんてないと言うけど、前述のとおり、もちろんホントの発達障害はある。自閉症は社会毒の影響などと言うのは矛盾している。それがないというのではないが、別に自閉症が増えたわけでもなく昔から多いし。
----------------------------
なぜ発達障害(誤診)が広まったのか?
ここ数十年で特に新たな精神医学上の発見があったわけでもないし、新しい種類の精神疾患の発症があったわけでもありません。
典型的な「統合失調症」や「うつ病」などはむしろ少なくなり、精神疾患は多様化したという面もありますが、それも表面上のことです。
精神疾患の子供が増えたわけでもなく、発達障害(誤診)という言い方は誤診であるばかりでなく医学的にも定義上間違いです。
専門用語は定義されており、その定義から著しく外れている物事に対してその言葉を使ってはいけません。誤解や間違った対応を広めるからです。
精神分析は廃れたが、学問としての精神医学の中で、特に何かの変化があったわけではなく、誤診、誤解、混乱が広がり、子供にまで大いに精神医療の被害を広げてしまったということです。
悪い意味で精神科の敷居が低くなり、受診者が増え、うつ病キャンペーン、病気喧伝は既に頭打ちとなり、発達障害(誤診)すなわち脳の病気とすることで、その対象を子供に向けて拡大し、被害も拡大しているわけです。
「心の時代」と言われるようになり「スピリチュアル・ブーム」はあっても、精神医療の世界では口先だけで、うつ病は脳の病気という根拠のないウソがばら撒かれ薬害が広まり、心の問題ははないがしろにされてきました。
何と!生後数か月の子供さえ、発達障害(誤診)とされ、薬漬けにされている例も少なからずあるらしい。
そんなに子供に薬を飲ませたいなら、自分の子供に飲ませればいいじゃないか(そんなことできるわけないだろ!)」という人もいるけど、実際に自分の子供に向精神薬を飲ませて発達をデザインしたいなんていう、とんでもない精神科医もいるらしい。もちろん結果は目に見えている。慢性薬物中毒、中枢神経障害者だ。
昔、自分に生まれたばかりの子供を預けてもらえば、芸術家にでもスポーツ選手にでも学者にでも宗教家にも、いかようにでもしてみせる、と豪語して顰蹙をかいまくった心理学者がいましたけど。
もちろん結果は目に見えてる。精神病、PTSD・心的外傷後ストレス障害である。
フロイトの症例にもそういう人(の子供)がいたな…。
シュレーバーだっけ? ねずみ男? 忘れたけど。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と提唱した毒オヤジのスパルタ教育で息子2人は精神病になった。
世知辛い世の中になり、子供をとりまく環境も大いに変化し、要求されることも多くなり、子供も多くのストレスにさらされるようになったとは言えますが、過保護で甘やかされている面もあります。
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かつては児童精神科医という職業は成立しなかったし実際にほぼ皆無であった。なぜか?
そもそも精神の発達や成長とは子供が様々な精神病的・神経症的問題に陥りつつそれを克服していくことである。
従って、多少の神経症的問題は発達上の必要なプロセスでもあり、治療の対象にはならないし、すべきでもない。
もちろん精神医療に治療はできない。
そのある段階で優位な神経症的もしくは精神病的な状態に戻って、そこから抜け出せなくなっているのが精神疾患の症状である。(悪性の退行と固着)
逆に良性の退行により健康的な精神を取り戻すことが治療にもなる。子どもの頃は精神的には健康的なものである。神経も生き生きと働いている少なくとも殆どの人は大人になってからよりも。
一見、異常にあるいは奇妙に見える、病的で重篤な精神疾患といえども、普通の人に全くないことを症状として呈しているのではなく、程度や時期や状況の問題であるともいえる。
これを理解している人は精神科医に限らず殆どいないが。
優れた天分を持つ人が、若い頃から純粋に深く苦悩すれば精神的な危機に陥るのはむしろ当然であり、優れた業績を残した芸術家や学者、思想家などは殆どそうだと言っていいくらいで、枚挙にいとまいがない。
またそれを乗り越えることを通さなくてはそうした才能・能力は開花、実現しないだろう。
中高年のうつ病なんていう人の苦悩と同じようなことを10代の頃から、とっくに先取りしているわけで、まだ若いのでそれなりに元気はあり、典型的なうつ病みたいにはなり難い。
そうした若い人も少なくなり、芸術家や学者なんかも小ぶりな人ばかりになった気がする。中高年の「典型的なうつ病」も殆どいなくなったと思う。苦悩することは目先のことや自分とせいぜい周辺のことばかりか…
♪ドブに落ちても根のある奴は~ いつかは蓮の花と咲く~♪

ドブもなくなったけどな。花が咲かなくても悪い人生とは言えないが、薬漬け廃人ではそうも言えないだろう。
感染症にもならなければ免疫がつかないので健康でもありえない。ということは精神的な病気や健康についても言える。
純粋培養で育った人間は保育器から出せば途端に病気になる。現実にはありえないけど。
強迫神経症になってはいけないが、何事かを成し遂げるには強迫性も必要である。
不安や恐怖を積極的に持たない人間は、トラブルやリスクに対する認知能力も対処能力も身につかない。幼児の頃なら大人が守ってあげればよいだけかもしれないが、いつまでも過保護は子供をダメにする。
また「神経症的能力」を身につけてそれを生かすことも発達において必要なことでもある。
強迫的能力を持たない者は、一廉のことを身に着けたり成し遂げることもできないだろう。
皆が好きな受験戦争に勝ち抜いて一流大学に入ることでさえも、強迫的、完全主義的学習能力が必要である。
強迫神経症の人は強迫観念や行動が問題というよりも、それが有用なことには生かせず無駄で有害なのが問題だろう。それなりのことを達成する人もいるが、自分や他者に有用な強迫行動はむしろ乏しいことが多い。
不安もしくは恐怖神経症の人は無用な不安や恐怖に憑りつかれていても、持つべき不安・恐怖はむしろあまり持たず、そのための対処能力が低いのが問題だろう。強迫神経症の人は強迫的になるべきことではあまり強迫的にはならない。単純化していえば。
但し、もちろんそれも理由があってのことであり、基本的には現在のことではなく過去(主に幼児期)のことに反応、影響されている。
また、ほぼ健全な発達といえども、子供は不均等発達するものであり、同年代の子供より著しく劣っている面があっても、少なくとも一時的には普通である。
必要なことは「普通の適切な養育者の対応や教育」であり、もちろん薬や精神医療ではない。
多くの場合、年齢が進むにつれて「発達凸凹」は目立たなくなる。(これも精神科医や教師や毒親が使うし基本的な認識の誤りを伴っているのてあまり使いたくない言葉だが)
数学など天才的な能力を発揮する子供もいるが、簡単なこともなかなかできない盆暗もいる。しかし、そのような勉強嫌いの子でも、小学校高学年ともなれば掛け算割り算ができない子は殆どいない。
因数分解などとっくに忘れた大人は多い。それができなければ微分・積分もできないはずだが。
連立方程式さえ忘れた大人も多いだろう。殆どの人には日常的には必要なく、必要なら身に着ければ良いだけだ。
大器晩成なんて言葉はもはや殆ど死語ではないだろうか?
昔は手のかかる子供の方が可愛いなんて親も教師も良く言ってたものである。
確かに虐待は増えたし、(暴力や遺棄など)犯罪的な虐待の範疇には入らない、精神的虐待は元々多かったし、それは傍で見ていたとしてもわかり難い。
あまり使いたくない言葉だが「毒親」としか言いようがない人は、昔から少なからず存在した。
そうした場合、子供の方は青年期以降、重篤な精神疾患に陥ること必至だが、子供の頃にはむしろ問題は表面化しない場合が殆どである。
親は自分の育て方は問題なく、むしろ良かったはずだと正当化する。
「他愛的な子供は身を亡ぼすのが常である」、「手のかからない良い子ほど危ない」そうした子供こそ後に重篤な精神疾患になったり問題が起こりやすい、などとはよく言われていたことである。
前項でもココにそうした例を挙げておいた。
「ある同級生(統合失調症)」
仮に将来重篤な精神疾患に陥ることが分かった子供がいたとしてとしても、精神科医にできることはなく(せいぜい優しくお話を聞いてあげる位か)、むしろ無自覚に親と一緒に抑圧し、精神的虐待のお先棒を担いだり,増長されてしまうのがオチである。
かつては実際にはそういう子どもが、発症以前に精神科を受診することはほぼ皆無であり、受診しても精神科医にできることは全くないし、発症してから受診してもらうしかなかった。
(といってもやはり薬漬けだったが)
向精神薬は必要悪ではあっても良くなるわけではない、という認識は当然で、まして予防に使えるものでは到底あり得えずそんな発想をする愚か者は精神科医と言えども皆無であった。
ベンゾ系安定剤の有害さについてもそれなりには知られており、大して効果がないこともわかっていた。
実際に神経症的問題で精神科を受診しても、多少のことは「あまり気にするな、誰でも多かれ少なかれはある」などと言って帰すことが多かった。
従ってホントの発達障害でも、発達障害(誤診)でも児童精神科医の出る幕などない。
ふた昔位前のまともな精神科医には、そのくらいの理解や分別はあったのである。
今の精神科医を教育・指導したのはそういった先輩精神科医ではなくではなく、製薬会社の営業の人である。
(教育というより洗脳であるが。)
今はプロパーではなくMRって言うのか?何の略だ?
脳の伝達物質云々は実際にあっても原因ではなく結果である。なるべく原因に近いところで治療を行うのが当然であるが、いつの間にか精神医療に限らず医療の常識ではなくなってしまった。
エビデンス主義は本質的治療よりも目先の利だけの追及となり、対症療法自体が医療の目的化した。
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児童精神科医が出始めたのは、摂食障害など比較的早く発症する例が増えたのがきっかけであろう。治療ができるわけではなくとも栄養補給などとりあえず医療的な必要な面はあった。
不登校が問題になり、多くの場合は神経症的問題を抱えているのも事実であった。後に触れるがこの傾向は今は随分違ってきている。
それでも我々が若い頃は児童精神科医を自称するものなど数えるほどもいなかったのである。大人の神経症でさえ基本的には精神医療の対象外で、実際に受診する人も殆どいなかった。
しかしここ数年、自称児童精神科医も雨後の筍のように増え、精神科医と言えば猫も杓子も発達障害(誤診)と言い出し、子供まで餌食にして薬害を広めるようになってしまった。
発達障害(誤診)拡大は虐待やいじめなどの問題から目をそらし、見て見ぬふり、否認するためでもある。 実際にADHD等、発達障害(誤診)とされている場合、精神的虐待であることも多い。いじめも大人の目から隠れて行うことが多いので見過ごされやすい。
向精神薬は控えめ、カウンセリング、精神療法と言ってもそんなことが精神科医にはまともにできるわけではなく、薬漬けのためのアリバイ作り、口実づくりでしかない。
薬は使わないずに治療の努力をしてきましたが、やはり発達障害(誤診)遺伝の脳の病気なので薬が必要です、というわけです。
服薬すれば一時的には「効果」のある場合も一部はあるので、受診が必要だと錯覚してしまう。もちろんその「効果」さえ長く続くことはない。
子供にって向精神薬は脳破壊薬でしかない。もちろん大人にとっても同様だが、まだ脳が発達途上にある子供に対する有害さ危険性は桁違いに大きく、結局の所、薬漬け、ホントの障害者(薬害性の中枢神経障害)にさせてしまう。ハッキリ言ってしまえば化学的虐待である。
親や教師、臨床心理士や心理カウンセラーでさえ本来の役割を放棄し、有害さしか発揮しない危険な児童精神科医に丸投げ。
悪いのは教師ではなく学校の責任ではなく、もちろん親の育て方や家庭環境でもなく、子供が悪いのでもないけど、問題は子供の脳の病気・発達障害(誤診)だというわけです。
学校、教師、親と精神医療の間に現実歪曲空間が形成され、子供はそこから逃れることができない。
モンスター・ペアレントという言葉も殆ど死語になりつつあるようです。「毒親」という言葉は今でも患者は良く使うけどタブーかな。あまり良い言葉ではない。毒親もそうならずをえずなるべくしてなっており、被害者でもあり自分では直せないのだから。
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既に被害甚大だが、まだまだ被害の拡大はこれからである。
というのは、発達障害(誤診)ブームはもうすでに何年も前から激しい勢いで拡大しており、何と!児童精神科医を受診するだけでも半年待ちだったりするからである。
教師などから受診を勧められても(というより強要されても)まだ未受診の子供も多く、既に精神医療の毒牙にかかった子供は全体から見ればそれ程多くはない。
自殺者の数は(反精神医療派のおかげで)近年は僅かながらも低下しているのに、若い人の自殺が増えているのはそれが要因もである。SSRIによる賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームも若い人の方が起こりやすい。
酒でさえ全く悪いとは言わないが、徐々に脳を破壊させる。我々くらいの歳にもなれば、ほぼ毎日飲んでる人と、飲まないかもしくは時々しか飲まない人とでは随分差が出ている。
やはり前者は身体の病気にもなっているが、酒が明らかに脳に悪影響があることがわかる。精神科医や一般の人、もちろん本人には特に、にわかり難いが。
なぜ子供に酒を飲ませてはいけないのか。向精神薬よりは酒でも飲ませた方がまだましだが、さすがに子どもに酒を飲ませるバカは滅多にいない。
このままの勢いだと、普通より健康的な子供でさえ発達障害(誤診)とされ、殆どの子供が発達障害(誤診)とされてしまう。
不健康な子供より、むしろ子供らしく素直で健康的な子供の方が発達障害(誤診)とされる傾向さえ既に起こっている。
そういう子が生きにくい時代だという背景はあるにしても。
Sさんの子供も学校で発達障害(誤診)扱いされて、教師に精神科の受診を勧められたと言ってたな。
「うちの夫は精神科医なんですけど」
結局の所、アクチベーションシンドロームによる自殺を免れて命が続いたとしても,障害年金や生活保護をもらって廃人的障害者の人生か。
そうなると、もちろんそれを支える人も必要である。税金、保険料も上がるばかりだ。
まともな医療が行われているなら消費税の増税など必要なかったはずである。もしくは税金は上げても保険料は下げることができるはず。
「このままだと、この国は医療で潰される」ある医療ジャーナリストの言、決して大げさではない。
「子どもを精神科医に近づけてはならない」
この項、続きは…、こちらをご覧ください。
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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DSMの終焉、神経症の復権:うつ病、発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ

DSMの終焉、神経症の復権:精神障害(うつ病)・発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ
神経症(ノイローゼ)という言葉は、精神科医の中でも一般の人の中でも殆ど使われなくなった。
精神分裂病→統合失調症、というように差別的である、実態を正確には表していない、といった事情で、名称変更が決められたわけではない。
統合失調症への名称変更は、典型的な精神分裂病の発症は殆どなくなったし、病像の変化も伴っており、これとは事情はかなり異なる。
あたかも自然の流れのように消えていったが、もちろん製薬会社、広告会社、精神科医が一体になった情報操作である。
神経症も病像の変化はあるが、昔も今も多いので、私から見れば、昔も今も病気の人はぜんぜん増えてないし、典型的な「うつ病」なんてむしろいなくなり、ただ精神科・心療内科を受診し服薬する人が増えただけである。
うつ病キャンペーン(病気喧伝)により受診者が増え、うつ病という診断がつけられ、抗うつ剤を処方され、それも多剤大量処方が多かったため、そのためアクチベーション・シンドローム(賦活化症候群)で自殺する人も増えた、ということは既にだいぶ知られるようになってはきた。
本来、キャンペーンに従って(踊らされて?)受診した人の多くは「うつ病」ではなく、普通の診断法なら「抑うつ神経症」という診断名が与えられたはずである。
「うつ状態」が主症状ならば、であるが。実際にはそうではない人も多い。
「新型うつ病」なんてのは敢えて言えばディスティミア神経症だろう。
神経症(ノイローゼ)も死語に近いが、本来患者数は多いはずの「抑うつ神経症」は殆ど完璧に死語になって久しい。
ドイツ語ではノイローゼだが、この言葉は、昔の人にはかなり悪いイメージがあったと思う。
有名人が自殺したり、一般人でも妙な事件を起こすと昔の新聞では「周囲の者によると○○さんは最近ノイローゼ気味だったということである」などと書かれていることが多かった。
これは実際には精神分裂病である場合も多かったはずだが、さすがにそうは書かなかった。
こうしたマイナスイメージはノイローゼという言葉にはあったが、同義ではあるが神経症という言葉にそれ程なかった気がする。
また、最近ノイローゼ気味で、など言うのは、あることに悩んでいて落ち込んでいる、と軽い意味で使われることもあり結構広い意味で使われており、あながち間違いでもなかった。
日本では一時、神経衰弱という言葉も使われたようだが、それは大正時代くらいであり、森田療法では森田神経質などと言っていたが、それが広まった頃には一般的には神経症と言う言葉が主流になっていたはずである。
ところが、なし崩し的に言い換えがなされた。
抑うつ神経症⇒うつ病、もしくは抑うつ性障害、気分変調性障害
躁うつ病⇒双極性障害
強迫神経症⇒強迫性障害
不安神経症⇒社会不安障害
ヒステリー⇒転換性障害
心身症や自律神経失調症⇒身体表現性障害、
名前の付けようがない神経症は適応障害といった風に。
これはDSM由来でもある。DSMは当初、日本の精神科医にはなかなか受け入れられなかったが、製薬会社にとっては、薬漬けにするためには甚だ都合が良かったのである。
従来なこれらの精神障害とされる患者の殆どは神経症というカテゴリーに入るはずだが、それでは心因・環境因ということになり「薬物療法」の対象にならない。
実際に昔から神経症の患者は多かったが、殆ど病院には行かず、基本何もしようがないし、病気というほどではない、性格的なものだとか、あまり気にすんななどと言って帰すことが多かった。カウンセリングなども殆どなかったし。
精神科医も気休めに精神安定剤など出し、漫然と服薬して良くなりもしないのにダラダラ通わせることも無いではなかったが、ほとんどの場合、単剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
また、人に言うのも憚られるので情報が共有されることも少なく、こんなの自分だけかとひそかに恥じている人が多かった。もちろん、ネット等もない。
うつ病キャンペーンは大成功のうちに収束していったが、「発達障害」のデタラメ診断、空手形乱発!「問題児、発達障害児狩り」がそれに続いて盛んになった。
発達障害についてはまたいずれ書きますが、最近だと週刊誌「女性セブン」に医療評論家による良い記事が連載されたようです。
障害というのは本来治らず機能欠損や低下が長期にわたるということである。
したがって、狭義の医療の対象ではなく、訓練・療育やリハビリ、福祉の対象。
手足を切断した者を身体障害者と言うが、スキーで骨折した者はケガ人であって、身体障害者とは言わない。
精神障害者という言い方は昔からあるが、精神医療の主な対象疾患は長らく精神分裂病が殆ど、不治の病とされていたというそれなりの背景があった。
私は昔から障害とは言わず「精神病・神経症」「精神疾患」と言っている。これもネガティブな響きが伴うし、あまり適切な言い方ではないが、他に言い方もないし、あえてそう言わざるを得ない。
うつ病は受診・服薬で治ると宣伝されているが、当然、実際には治らない。もちろん、うつ病だけではない。製薬会社、精神科医が「障害」というのは、治らないことの言い訳のためのでもあり、障害なんだんから治らなくて当然という、開き直りを隠しつつも準備していたということである。
薬で治る⇒薬害⇒やっぱり病気だったでしょう⇒障害者化⇒薬でコントロールしながら障害とうまく付き合っていきましょう⇒(こういう言葉は使いたくないが)廃人化
うつ病に限っては、抑うつ性障害などとあまり言わなかったのは、宣伝・イメージ形成に齟齬や不協和を来たして、マインド・コントロールに不利になるからだろう。
いきなり、治る病気ではありません、リハビリが必要ですなどと言うわけはにはいかない。
気分変調性障害と言い方も、あまり使われないが、気分だけじゃないし、精神科医・患者の双方から不満が出そうであまり広まらなかったか。
もちろん神経症→○○障害という置き換えも、何でも「うつ病化」も、薬漬けにするため、製薬会社や精神科医の利益のためである。
もっともDSMではdisorderだろうから(面倒なので確かめる気もなし)障害と訳すのは不適切であり、敢えて訳すなら不調とかそういった意味だろうから、特に間違いとも言えない。そもそもDSMの原因論を避けるという方針に基づいた表現だとはいえる。
しかし、日本では神経症→○○障害という言葉の置き換え自体が、医療信仰と薬物崇拝とDSM流の見方が結びつき、精神医療過誤・向精神薬害を広める役割を果たしてしまった。多分に無自覚に、だとは思うが、頭の良いコンサルや広告会社の人は悪意の解離された意図に基づいて積極的に広めたのかもしれない。
神経症の凋落は同時にDSMの蔓延であり、精神分析学の凋落でもあった。
記述精神医学にはそもそも原因論はないか、根拠のない恣意的な「遺伝による脳の病気という仮説」にしがみつく精神科医も多く、横滑り的にそれが精神医療全体の見解となり、患者の多くもそれを受け入れてしまった。
精神分析学は1950年代に既に原因論に迫っており、製薬会社や精神医療側がこれに脅威を感じ対抗措置として出されたのがDSMでもあり、原因論を理解しない者がもともと多数派ではあったが、圧倒的勝ち組となり学問的にはるかに劣る側が勝利したのである。
神経症というと心因性精神疾患ということなり、心因性ということは心的な原因ということだから脳の病気ではなく、そのようなものとして対処しなくてはいけない、ということになってしまい、脳の病気、向精神薬(抗うつ剤)を飲めば治る、という嘘と齟齬を来たしてしまい、向精神薬を売り込むことはできない。
心因ということになれば、現実のショックな出来事やストレスについての洞察・理解や、発達心理学的、精神分析学的な理解をするしかなく、これは殆どの精神科医が非常に苦手で避けたい、無視したいことである。
神経症に向精神薬では、せいぜい神経の状態をごまかすだけの悪質な対症療法と捉えるしかなく、精神科医も処方し難い。
ふた昔前の精神医療の対象はほとんどは精神分裂病であり、神経症の人が受診しに来ることは少なく、精神科医は対処法もないので、帰らせることも多く、重症な人以外を対象とする必要もする気もなかったのである。製薬会社にとっても金になる分野ではなく、利益追求・拡大の余地があるとはそうそう考えられなかったのである。
神経症ではなく○○障害という置き換えは、DSM由来でもあるが、当所DSMは精神科医に受け入れたのではなく、コンサルティングや広告会社、製薬会社が積極的に取り入れ、広めてしまったために、むしろ精神科医は従わざるを得なくなったものと思う。
当初、精神科医でDSMをあまり受け入れず、積極的に取り入れ広めたのは一部の余程の愚かな精神科医だけである。
神経症とは基本的にはうつ病や統合失調症などよりも軽症であり、病因が器質的な精神疾患のことをさす。命名の歴史はかなり古く、元々は原因がよくわからない疾患に広く使われていたようだが、精神医学的理解が進むにつれて19世紀の終わり頃には、基本的には心的な要因が原因である精神疾患のこととして理解されるようになった。
20世紀までは一般医学に伴って、精神医学も一応進歩していたのであり、甚だしい退行が起こったのは20世紀も終盤からである。
神経症は精神疾患とはいえ、従来、あまり精神医療の対象ではなく、実際の患者は多くとも受診する人は非常に少なかっかった。
これといって治療法もなく、無形のサービスにお金を払うと言う習慣も乏しく、カウンセリングや心理療法を受ける人も少なかった。
心療内科など殆どなく、精神科に行っても神経症の人は「病気とういほどではない、性格的なものだ」とか、「あまり気にするな、薬は適切ではない」などと言われて帰されることが多かったと思う。
漫然と精神安定剤など処方されて良くなりもしないのにダラダラ通わせることもあったが、ほとんどの場合、短剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
神経症は脳の病気ではないが、もちろん、脳の状態、神経の状態や使い方はもちろん良くない。もうちょっと正確にいうと「無意識による神経の使われ方」は良くない。
普通の人にない症状があるのではなく、誰でもある問題がたいした理由もない(と思われる)のに、甚だしく大きくかつ継続し、人間関係や日常生活などに様々な支障をきたすということでもある。
逆に脳の問題によることがわかれば、それは神経症からはもちろん、精神疾患からも除外されていた。脳梅毒、てんかんなど、これらは今日では中枢神経疾患であり精神科の対象ではない。
神経症はもちろん、心的外傷とストレスが原因であり、Sさんに流に言えば全てPTSDである。
神経症より精神症というべきかもしれないが、自律神経症状や心身症等、身体的問題もあるので、やはりそれは適切ではない。
やはりすべて心的外傷後ストレス障害、PTSDと言べきではある。PTSDと言うのもまたいろいろと語弊や問題があり、私はあまり使わなくなり、狭義のPTSD、広義のPTSDとも言っていたけど。
狭義のPTSDではなく神経症の場合、心的外傷(トラウマ)とは犯罪被害やいわゆる幼児虐待等ではなく、日常のショックな出来事とか、恥をかいたとか、失敗体験とかそういうこともでなく、主に幼児期からの本人も覚えていないか、覚えていてもよくわかっていないことである。
具体的に言えば、親や養育者の不適切な対応、過干渉、過保護、抑圧的、支配的、安心感を与えない、脅かす、などなど、広い意味では精神的虐待とは言えるが、遺棄や暴力は無いほうが普通である。こうした問題が無い人もいおらず、完全に健康な人もいないが、程度問題とも言えるが、その差は甚だしく結果的には重症な人も軽症の人ももちろん多い。
幼児期のトラウマに、大人になってからのショックな出来事や過剰なストレスが加わり、それらが重なり、複合して症状がもたらされる。適切な養育を受けていない人は適応性に乏しく、犯罪被害など病因となるようなショックな出来事にも遭いやすい。
あらゆる精神疾患は複合的PTSDとは言えるが、一般には大したことでもことで対処能力、克服能力に欠けるのは発達的問題ではあるが、これを「発達障害」というのは、少なくとも精神医学的、臨床心理学的には完全に間違った使い方、見方である。
今となっては精神科医や心理関係者こそ間違った理解しかしておらず、それが根本から何重にもなっているので、もはや誤解を解くというレベルではない。
「発達障害」蔓延は、神経症の無理解によるものでもある。神経症を理解できれば、「発達障害」の大きな誤りも明白である。
従来の精神医学では、神経症の理解が非常に狭く浅すぎたのである。もっと広く深く理解すべきであり、診断名を変える必要はなかった。
認知の歪み、認識の欠落といったことは、解離、抑圧といった精神分析の概念で説明できる。神経症を、精神分析が理解できれば、認知行動療法などが付け入る余地もなく、「発達障害」蔓延もなかったはずである。
診断なんてどうでもいいと言えばいいんだけどね。
本来、人間の分類ができないのと同じように精神疾患の分類はできない。過去や現在のさまざまな影響から、いろんな不調や問題が起こるだけなので。精神的に完全に健康な人ももちろんいない。
したがって、とりあえず障害という言い方は極力やめて「神経症の復権」は必要ではある。
私は「緊張症」と言う言葉も良く使うのであるが。医学的な言葉ではないけど、医者じゃないしね。
多くの場合、抑うつ状態とされているのは、緊張の連続の成れの果てでもあり、少なくともそうした面がを伴っている。ひどい緊張が継続し、もはや緊張さえできないほど神経は疲労し「まいってしまい」鈍くなり、今さら神経が反応できなくなってしまう。そうした意味では実際に即している。
抗うつ剤では当初は効いたかに見えて、神経に負担は増えるし、余計にウツになるのはあまりにも当たり前である。
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睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン

最近になってようやくこんな記事も新聞に載るようになりました。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意(朝日新聞)
 医師から処方された睡眠薬・抗不安薬を飲んでいて、薬物依存になってしまう患者がいる。薬をやめられなくなったり、やめた後に離脱症状が出たりして、苦しんでいる。広く使われている薬だが、量を減らす試みも始まっている。
 長野県松本市に住むウェイン・ダグラスさん(47)はニュージーランドから1992年に来日し、英語教師や国際交流の仕事に携わっていた。日本語が堪能で、仕事は順調だった。
 2000年にめまいの症状が出て、耳鼻科にかかった。脳の病気と診断され、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を処方された。この薬は不安、不眠、抑うつといった症状がある患者に、広く使われている薬だ。
 飲み始めると、めまいは落ち着いたものの、2カ月たたないうちに体のふらつきが起きた。4カ月後からは強い不安に悩まされた。
 仕事を続けられず、01年にニュージーランドに帰国。ベンゾジアゼピン依存症と診断された。薬物中毒治療専門の医師を受診し、薬の量を少しずつ減らしてゼロにした。しかし、断薬後も離脱症状に苦しんだ。
 ひどい不安感や情緒の不安定。光を異常にまぶしく感じ、テレビを見られない。体に力が入らず歩けない。断薬して1年間で多くの症状は消えたが、突然の不安感は10年ごろまで続いた。「依存症は生き地獄。希望を失う人もいる。離脱症状の適切な治療を受けられる施設が必要です」
 神戸市の40代男性も、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の離脱症状で苦しんできた。社会不安障害と診断され、09年まで4年半、医師の指示通り飲み続けた。やめた2日後から、異様にまぶしい、目が痛いなどの症状が出た。医師に相談すると「離脱症状の可能性がある」と言われた。今でもまぶしさや、まぶたのけいれん、筋肉がぴくぴくする症状があるという。
 ベンゾジアゼピンの常用量依存とは、医師が治療のために処方する常用量でも長期間使うことで薬の依存が起きる状態を指す。8カ月以上続けるとなりやすいという報告もある。薬をやめると離脱症状として不安や、不眠、発汗、けいれん、知覚過敏などが出ることがあるとされる。
■「自己判断で中止は危険」
 杏林大学の田島治教授(精神保健学)によると、欧米では1970年代以降、ベンゾジアゼピン系薬による依存や乱用が問題になり、英国では処方日数が制限された。「日本で長期に漫然と使われているのは問題。医師が依存をつくっている」と指摘する。
 田島さんは薬をやめられない患者や、やめた後の症状に苦しむ患者から相談を受ける。1年以上かけ少しずつ薬を減らしてやめた人もいる。「急にやめると離脱症状が出る。患者の自己判断でやめてはいけない」
 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部の松本俊彦室長らは、精神科がある全国の病院を対象に、薬物関連障害の調査を2年ごとに実施している。原因の1位は覚醒剤、2位は有機溶剤が定位置だったが、2010年に、それまで3位だった睡眠薬・抗不安薬が有機溶剤を上回って2位になった。全体の17・7%を占め、この薬による依存は珍しい問題ではないという。
 薬の量をなるべく減らそうという動きもある。
 東京女子医科大学病院では、ベンゾジアゼピン系薬を処方されている患者数が一昨年の8588人から昨年は7054人に約18%減った。医師と薬剤師が対策に取り組んだ結果だ。
 ベンゾジアゼピン系睡眠薬・抗不安薬の作用や副作用、薬以外の対処法を知ってもらおうと、患者向けの冊子をつくって薬剤師が配った。医師や薬剤師が参加する勉強会も開いてきた。
 東京女子医大の稲田健講師(精神医学)は「患者は副作用に気付いていないこともあるので、情報提供が大切だ。薬をやめるときは1年で半減するくらいゆっくりとです」と説明する。
 厚生労働省は薬の使い過ぎ対策に乗り出す。1回の処方で抗不安薬を3種類以上出した場合、医療機関に払われる診療報酬を減らす改定を10月から実施する。(編集委員・浅井文和)

画像

まったく今さらです。
我々は何十年も前から、睡眠薬、抗不安薬(精神安定剤)の依存性、危険性は指摘してきた。もちろん他の向精神薬の問題も。
医者でも薬剤師でも薬の専門家でもないし、薬のことは見るも聞くもおぞましく、特に勉強したことも無い。
当たり前のことを言ってただけである。
もっとも、昔はむしろ脳病派精神科医でも多くの場合、薬にそうそう肯定的ではなかった。
そもそも服用しなければ、副作用(作用)もないし、依存もしないし、止める必要もなければ離脱症状、後遺症で苦しむこともない。当たり前ですね。
ベンゾ系が日本で普及したのは60年代の後半だったか?
数年を経た70年代初め頃には、既にベンゾ系の精神安定剤、睡眠薬の耐性や依存性、有害性・危険性は問題になっており、俺も中学1~2年の頃だったか、新聞だったか、立ち読みした雑誌か書物だったか忘れたが、同様の記事を読んだ記憶がある。
当時は不安だの不眠だので精神科に行く人は少ないが、内科医等に睡眠薬を処方されることも多かったものと思われる。今もそうだが。
人体実験の結果も何年かすれば徐々に明きからかになってくる。当時は重症な精神分裂病でもなければ基本単剤だし。
よく精神科医は無謀な人体実験をしていると言われるが、単剤ならともかく多剤大量処方では人体実験にもならないのである。
動かして良いパラメーターは1つだけ、仮説の上に仮説を積み重ねてはいけない、というのは科学実験の基本中の基本である。私は文系だしもちろん実験など昔からやらないけど。精神医学は科学であるにしても、実験科学ではなく観察科学である。そこを徹底すべきであるが、医学者は科学といえばガキの理科の実験みたいなのしか知らず、それ以外の概念はほぼ持っていない。
もっとも、とっくの昔にわかりきっていることを実験などする必要はない。
やはり同じ頃、70年代の初めだろうか、「今日では、睡眠薬は『安全性の高い』新世代のものに置き換えらており、○○○○という旧世代の睡眠薬は、たいへん危険で、耐性も強く、依存性が強いため、新たに処方されることは殆どなくなったが、古くから服用している依存症患者が多いため、やむなく現在も生産、処方されている」という記事も読んだことがある。
その薬物の名前は失念していたが、今から考えるとたぶんベゲタミンのことだろう。
致死量が低く非常に危険なバビルツール酸が含まれており、危険性を弱め効果をあげるためだろうか、合剤になっている。
それから40年以上も経っているのに、ベゲタミンは今日でも睡眠薬、抗不安薬としても未だに広く用いられており、ベンゾ系の耐性がついて効かなくなった場合も処方されているようである。
70年代当時、朱理エイコという実力派歌手がいたが、もう10年ほど前にベゲタミン中毒で亡くなっていたことを最近知った。もちろん、活躍していた頃は、まだ睡眠薬など飲んでいなかったはずだ。
晩年は身体ボロボロで何度も生死を彷徨い、長期入院の末、まだ50代の若さで亡くなったという。
私は既に薬物問題は知らないわけではなく、やっぱりそうか、そんなの当たり前だろ、とも思ったが、自分たちは文明国、文化的な社会にいるつもりが、実は随分野蛮な世のかなに生きているんだなと思った。
大人は信用できないとも思った。中二ですから。永遠の中二病か?
資本主義の矛盾についても激しく考えざるを得なかった。
私は学校の勉強はほぼ全くせず、特に暗記するのは大の苦手だったが、その分かどうだか、そういうことはけっこう覚えている。
皆も新聞くらい読んでいのだったら知ってたはずだ。
フロイトを読んだのはもう少し後だと思う。向精神薬のような野蛮なモノは我々が大人になる頃にはとっくに廃れるだろうと、希望的観測をもっていたのだ。
上で「野蛮」という言葉を使ったのは、当時もそう思ったからであるが、学校で見た映画『父ちゃんのポーが聞こえる』の影響である。
映画の中では難病に冒された主人公(吉沢京子、中学生)が徐々に悪化し、結局亡くなってしまうのだが、主人公の父(小林桂樹、蒸気機関車の機関士)の同僚(藤岡琢也、機関助手)が、治療もできず悪化していくことを嘆いて、「医者も病院も信用できないね。野蛮だよ!月に石を取りにいく時代なのに、日本は野蛮国だよ!」と言うシーンが印象に残っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=hLM_KRxMgmM
https://www.youtube.com/watch?v=kLR0e5shTOM
勉強はしないので、そういうことも良く覚えている。
医者も病院も病気の治療ができないならまだしも、悪化させ、さらに別な病気を加えたり、死に追い詰める現状を「野蛮」と言わずして何と言うか?野蛮なんてもんじゃないな。
現在でも優れた抗不安薬、精神安定剤や睡眠薬など開発されてはおらず、相変わらずベンゾ系はバンバン処方されている。
抗うつ剤は新型になりSSRIができたが、良くなったわけではなく、作用の範囲が狭まり、見かけ上の初期の副作用が減っただけで危険性は高まった。
精神科医がベンゾ系の睡眠薬や精神安定剤が安全だというのは、昔のバビルツール酸など、1粒天国、2錠で地獄、3粒飲んだらあの世行き、といった睡眠薬に比べて、ということである。
昔の睡眠薬は有名作家が自殺に使ったり、吉永小百合なんかも昔の睡眠薬で浜田光夫と心中したり、自殺したりでスクリーン上では何回か死んでるはず。
ベンゾ系を飲んだだけではそう簡単には死ねず、身体ボロボロになって身体病で死ぬまで飲めるらしい。もちろんオーバードーズで死ぬこともあるし、脳が一発でパーになってしまうこともある。
稀には短期少量でも死ぬ人もいるし、かなり大丈夫な人もいないことはないが、危険極まりない。
精神科医は「薬は安全、うつ病は薬で治る」などと、人を騙しているうちに自分の嘘にも騙されてしまった。患者だって医者やマスコミのいう事を鵜呑みにして、悪意はないとはいえ他の人をだましたり、加害者側になってしまった人も少なからずいる。
ベンゾジアゼピン中毒、依存症やベンゾジアゼピン離脱症候群はありとあらゆることが起こりうる。
とうていここでは書けないので、とりあえず、ウィキペデア等でも調べて欲しい。
諸外国では2~4ヶ月で禁止、何年も処方するのは日本と韓国くらいだと聞いたが、私見では効果があるのはせいぜい1ヶ月位で、その後はむしろ逆効果になり、もちろん止めるのは余計苦しくなる場合が多い。もちろん効果があったからといっても良くなっているわけではない。
では短期、少量、短剤ならいいか?
覚せい剤だって違法性は別としても、短期少量、お試し程度なら良いとはとても言えない。
睡眠薬は気絶させるように意識障害を起こさせて眠らせている、とも言われている。
そこで脳波を持ち出して反論するのは愚の骨頂精神科医である。
薬害を正当化したいのだろうが、それ以前に受験勉強のやりすぎで脳がバカになってる。
睡眠薬で寝ても、どう見たってまともな睡眠ではない。
激しい鼾をかいて、このまま放っておくと、呼吸や心臓が停止して死んでしまうのではないか?と周囲の者はドギマギしてしまうのに、当人は「自分は寝ていない、意識はある」と言ったりする。
ずっと飲んでいれば逆効果になるばかりではなく、止めても不安は後でまとめて襲ってくるし余計に眠れなくなるし、筋弛緩作用があるはずだが、それももちろん続かず肩こり等もひどくなる。
克服できないまでも、対抗しよう耐えよう何とかしようとさえしていない、しなくなってしまうのだがら当然である。
さほど長期でなくとも目が見えなくなってきたり(緑内障にも白内障にもなる)、重度の身体障害者になった人も何人か診たことがある。
40代前半で、お婆さんのようにしか見えない人も診たことがある。
自分は歳の割りに見た目も若々しく活動的で社交的、積極的で、誰からも羨まれなどと言っていたが、おそらく嘘ではなく、よほど悔しかったのだろう。もちろん見た目だけでなく、身体もボロボロは言い過ぎかも知れないが、老人病満載である。
わずか1年半ほどのベンゾ服用で、あっと驚く玉手箱!2~30歳も老け込んでしまった。
短期で耐性がつき、睡眠薬中毒で1年半も寝ていないという人も、1日1時間も寝れらないと言う人も。
寝ていても意識はあるとか、日中も眠気があてっボーっとはしてるのだろうが。
そういう人も当所では施療中に寝てしまうことが多く、「(ポンポンと肩を叩き)、ダメですよ、寝ちゃ」って起こすけど。
えっ!何で寝たのかしら??!って驚愕していたが。もちろんリラックスしたからではあるが。
催眠は眠ると言う字を使うけど、眠ったら何もできないですから施療中に寝てはダメです。起こしますけど。
急に断薬せず、カミソリで削りながら微量調節して減薬しても離脱症状は激しく苦しい場合が多いようだ。
ベンゾジアゼピン依存症について書いた、アシュトンマニュアルが有名だが、やはり賛否両論あり、そうそう当てにするわけにはいかない。
「医師が依存をつくっている」と一時は指摘していた田島治は、今も薬物を大いに推奨しており、依存をつくり続けているようだし、あらゆる精神疾患はPTSDだというのも確かだが、今となっては殆どの患者は薬物依存症、慢性薬物中毒、薬害性の中枢神経障害を合併しており、元の病気は軽症なのに、合併症が重篤である人が多い。
医原病を合併症というのは妙であるが。
向精神薬のようなあまりにも危険な薬物は処方薬にせず、市販薬にしろ、と言った人がいるが大いに理のあることではある。それも危険だが、被害に遭うのは一部の愚か者だけで済むだろうから、ここまで被害は広がらなかったはずだ。
医者に言われりゃガソリンだって、青酸カリだって飲むぞっ!なんて人もいないだろうに。
精神科医を信用することが依存であり、向精神薬や精神医療に対する依存はそれ自体が健康の放棄である。
医者の処方どおり飲めば安全で、そうでなければ危険なんて魔法の薬があるわけはない。
むしろ精神科医が出せば小麦粉でも危険だ。ホントに。
精神疾患について、殆ど間違った診断、見方や対応しかしないから。
プラシーボはあるにしても、結局の所、逆効果になる。
ビジネスに被害者はいない。いるのは勝者と敗者だけだ。
ビジネスマンはよくそういうことを言うようだが、精神科医でそういうことを言う人はいない。
それは既に徹底しきっており、いまさら言う必要もないどころか、あまりにも当たり前で自覚さえしないからである。
ビジネスマンは一応は法規制など社会的ルールを守ること、コンプライアンスが前提だが、精神医療は治外法権みたいもので、普通なら犯罪とみなされることも医療の名の下に何でもアリだ。
今の所、産業社会、資本主義社会においてにおいて、精神医療かかわる製薬会社や宣伝会社、大手コンサルティングや精神科医は最強の勝ち組であろう。資本主義の論理、倫理にあまりにも忠実な模範的経済活動である。
そりゃ、疾患喧伝で需要を喚起し、病気が良くならなくて悪化してずっと病院に通えば、一番儲かる。生かさぬように殺さぬように、訴訟問題等起こってもそれは経費のうちに織り込み済み、暴動でも起こらない限り痛くもかゆくも無い。
医療過誤とは言え、被害者は誰もいない?!死んだ人は暴動も訴訟も社会運動も起こさない。
もちろん、医者の言うことを聞いたら、楽に止められるわけではもちろんなく、適切な減薬・断薬の指導ができる精神科医や薬剤師も存在しません。
それができるくらいなら、最初から向精神薬等飲ませるわけはないし、適切な減薬・断薬の指導などそもそもありえない、飲むのも止めるのも危険だから危険な薬なのであります。
「精神科医に近づけば命の保証はない」 確かに。
「自己判断で中止は危険」なのは事実ですが、おそらく殆どの場合、医者の判断で中止はもっと危険でしょう。
酷な言い方になってしまいますが自己責任、自己管理せざるを得ないのが現状かと思います。
もちろん飲み続けるのが危険なのは言うまでもありません。しつこいですが。
当所は精神疾患の治療をしており、ベンゾジアゼピン依存症、薬物中毒、離脱症状症状、後遺症等、中枢神経疾患の治療をしているわけではありません。また、医師でも薬剤師でもなく、民間療法家、プロのセラピストですので、減薬・断薬指導をするわけにはいきません。
断薬して落ち着いてから受療することが望ましいのですが、良くなってきてから減薬する方でも、減薬はしやすくなりますのでぜひお越しください。
よく眠れる方法も教えますけど、やはり不眠症の上にベンゾジアゼピン依存症、慢性中毒症を合併している人は難しくなります。

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統合失調症の薬服用で21人死亡 ヤンセンのゼプリオン(精神医療過誤・向精神薬害)

『統合失調症の薬服用で21人死亡 ヤンセンのゼプリオン』
2014年4月18日00時25分 朝日新聞DIGITAL
 厚生労働省は17日、統合失調症治療薬「ゼプリオン水懸筋注」(ヤンセンファーマ社)を使用していた21人が死亡したと発表した。因果関係はわかっていないが、厚労省は同社に対し、使用上の注意を改訂し、医療関係者らに注意を呼びかけるよう指示した。
 厚労省と同社によると、「ゼプリオン水懸筋注」は昨年11月に販売を始め、使用した患者は推定約1万900人という。死亡例のうち、詳しい情報が公開された14例の死因は心筋梗塞(こうそく)や多臓器不全、肺炎などで、半数はわからなかった。12例はほかの抗精神病薬と併用していた。使用してから死亡するまでの期間は3~107日だった。
 同社は、抗精神病薬との併用を控え、ほかの薬から切り替える際には用法・用量を守るなどの注意を呼びかけている。84の国と地域で承認されているが、発売から短期間の死亡例は報告されていないという。

統合失調症治療薬「ゼプリオン水懸筋注」に関する安全性速報(ブルーレター)の発出について 厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000043861.html
既にアリスパパさんのブログ『八咫烏(やたがらす)』でも詳しく分析されていますが。
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11821177669.html
実に氷山の一角に過ぎないです。
推定約1万900人のうち21人では、抗精神病薬服役者の死亡率としては、むしろ少ない!?
実際にはもっとずっと多いはずだし、徐々に表面化するのでしょうけど。
水懸筋注の効能は4か月も続くらく、まだ発売・使用されてから間もないので、これからもっと被害者も出てくる。
影響が無くなり止めても離脱症状も後遺症もある。
これだけでも相当危険性が高いと思われますが、場合多剤併用なので飛躍的に危険。
どれだけ死人が出ても不思議ではない。むしろ人間ってかなり頑丈だなと思ってしまうが。
お役所も製薬会社も精神科医も、むしろ、向精神薬はそんなには危なくない、死ぬのはほんの一握りだけ、安全管理は行われている、ということにしたいのでしょうか?
それでもこうした記事が、新聞社の中でも精神医療擁護派の朝日新聞に載るくらいだから、進歩はしているのでしょう。マスコミも精神医療過誤、向精神薬害は無視できなくなってきた。
このヤンセンのゼプリオンが使われるのは、もちろん利害もある。注射1本8万円だとか。
そりゃ医者はとびつくだろうな。
もちろん誰かが負担しているのである。
国民健康保険などもはや一般の自営業者が払えるような金額ではないのだが。
税金も上がったし。
抗精神病薬による中毒死が多いのは昔からわかりきった事実。
そもそも昔から、悪性症候群は短期に1%、殆ど死亡と言われていたくらいだし。
もちろん、もっと長く服用した場合の中毒死は、悪性症候群ということにならないだけで、長く服用したほうが当然、中毒死のリスクは高い。中止するのも、もちろん危険。
短期で死なない人は割に耐性があるということにはなるだろうが、それでも肝臓壊したりするし、もちろんずっと大丈夫というわけではない。
そういうことは本にも書いてあるし、医療関係者なら皆知っているはずだけど。
なぜ薬は安全といえるのだろう?
向精神薬による薬物中毒死は表面的にはそれとわからない場合も含めると、とてつもなく多い。
精神科病院の死亡退院率の高さ、不審死の増加などを見ればわかるが、その中に薬物中毒死が相当含まれているのは間違いない。直接的な死因が向精神薬中毒死という人だけでも年間万単位いるはず。
間接的に死亡の最も大きな要因が向精神薬という人は、それよりもう1ケタ多いのではないか?

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理研と小保方晴子さん、STAP細胞、精神医療過誤・向精神薬害と科学技術の未来など

小保方晴子さんとSTAP細胞に関しては当初から、そんなのできるかぁ?ホンマかぁ~ウソやろ!?往生しまっせぇ~と思った人や、虚言の臭いや胡散臭さを感じたり、何がリケジョだ女子力だ、と訝しく思った人も多かったのだろうけど。
小保方さん個人の精神病理や、組織や社会の集団力学、社会心理には関心が無いわけでもないけど、彼女を直接知っているわけでもないし。
母親とお姉さんが教育心理学者?だか、いかにもさもありなんではありますが。
当初からツッコミどころはいろいろあったし。
しかし、ここではそうしたことを問題にする気もないし、関心もないです。
彼女に対するバッシングに与したくもない。
彼女のことは精神科医の香山リカ(中塚尚子)や熊木徹夫が演技性人格障害、自己愛パーソナリティと言ったり、片田珠美が空想虚言症とか言っているらしいですが、「お前が言うか」、
精神科医は他人のことより自分のことを診断してもらって、お薬飲むか電パチでも受けて治療してもらうべきでしょう。
研究上の疑念が多いことや、結果が捏造かどうかは問題ではあろうが、それも問題にする気も関心もない。
もっと酷い論文などいくらでも存在する。
業績のための業績のための論文など、一般的にはごく当たり前である。特に医学関係は。
学問的価値のある論文なんてどのくらいあるのか?
少なくとも精神医学に関しては、皆無に等しいかもしれない。
個人的には得るものがないわけではないにせよ、読む価値もないので、昔はそれなりに読んだが、ここ20年以上ほとんど読んでいない。
彼女が間違えたり、仮にウソをついているとしても、可能性を見せたという意味では評価されてしかるべきかもしれないし、おそらく多くの教訓を残すだろうという意味では有益である。
まだまだSTAP細胞が確実作れるとは言えず、確実に出来るかどうかは今後も検証が必要である、とでもしておけば良かったのかもしれない。
卒業文集や博士論文まで引っ張り出されて、ちょっと気の毒ではある。
俺なんかは、知人の某医大元精神科教授に気に入られたのか、医学博士をとらせてやる、お前は書くの嫌いだろうから学位論文は書いてやる、教授たちは皆、後輩や教え子だから通せる、もちろん見返りはいらない、せっかく親切に言ってるのに人の好意は素直に受けなくちゃダメだよ、なんて言われたこともあるし。
今では考えられないことだが、20数年前のこと。
もちろん断ったが、とった方が良かったのか、とらなくて良かったのか?
そもそも向精神薬の研究・開発に関することなど、捏造やら収賄やら当たり前の世界である。言わば、腐りきった科学技術。
内部告発などで既に多くがバレているが、問題にしているのは一部の反精神医療派だけである。
STAP細胞の存在やら研究の捏造より、向精神薬の臨床研究や治験のインチキ、デタラメの方が、既に夥しい人の生死に関わっているし、はるかに大問題なのだが、ほとんど話題にもされない。
多くの人の命に直接かかわっていることだし、既に向精神薬の研究・開発、疾病喧伝は、既に多くの人の健康を奪い、多くの人命にかかわっており、計り知れないほどの被害をもたらしている。米国なんかでは既に多くの訴訟が起こってはいる。
(既に書いたように向精神薬害による中枢神経障害、中毒死、自殺や殺人衝動促進、《賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム》などなど)
そもそも向精神薬害など昔からわかりきっていたことだったのに、問題にもされず、問題化してからも殆ど無視されている。
うつ病は脳の病気、セロトニン不足なんて、仮説にもなっていないことがあたかも証明された事実のように言われており、その仮説らしきも既に否定されているのに、今も事実のように精神科医や患者の間ではまかり通っている。
そしてまた時折、思い出したように出てくる、うつ病の原因がわかってきたとか、遺伝子がらみとか、マウスの精神疾患モデルやら脳の血流だとか、ホルモンだとか、そういう「研究」は前にも取り上げたことはあるけど、あまりにバカバカしいのでここではやめておく。
そういうのはヤラセみたいなもんで出来レースだし、後で検証するとかそんなこともないし、論文そのものもまともに取り上げられることはない。
間違っていたとバレても、あくまで可能性ということで、お茶も濁さず終わりにすることになっている。
ホントに何か発見したなら、それこそノーベル賞もんだが。
そのノーベル賞自体も、当然いろいろ問題がありすぎで、精神医学の分野で受賞したのはあの、ロボトミーのエガス・モニス、60年以上経った今も取り消すべきだという反対運動があるらしいけど、そもそもノーベル賞なんてそういうものだろう。
もう多くの人が忘れているかもしれないが、確か佐藤栄作(安部の大叔父?)も平和賞をとったはずだったよな?幻だったか?
日本という国が受賞したのであって、彼はその代理に過ぎないと考えればあながちおかしいわけでもないが。
もっともSTAP細胞でノーベル賞がとれるなら、俺なんか10個くらいもらっても良さそうなもんだが。
いらねーけど、企業秘密だし。賞金だけ欲しい。
ノバルティス問題など、氷山の一角だが、むしろカモフラージュだろう。今問題になっているセプリオンも。
そういう問題は、あたかも例外であり、監視されており、野放しにされているわけではないということにするために。
ほどほどにしておけよ、という製薬会社に対する見せしめ、牽制の意味はあるのかもしれないが。
全ての科学研究者、技術者は“精神医療過誤・向精神薬害問題についてよく知るべきであり、以って他山の石とすべし”だろうが、それ以前に当然これを許してはならないはず。
独協医大、精神科医の井原裕さんは「精神医療批判は国民の義務」と言っており、去年の流行語にもなったが、科学研究者、技術者は特にその責を負うべきではないか。
STAP細胞が捏造だの何だのと言う人も。
向精神薬の関係者、精神科医など、学者・研究者、科学技術者の風上にも風下にも置けないはず。
義憤を感じ行動を起こすべである。
STAP細胞だの再生医療だのに、うつつを抜かしている場合ではねぇ!んである。

STAP細胞のおかげで医者にかからなくても、絆創膏を貼り付けるように、自分で、もしくは周囲の人の協力程度で有害性も無く治せるとかなら良いけど、んなぁこたぁねぇよな。
しかし、ここではそれは置いといて…(またの機会に書くつもり)。話がくどいのはジジイの癖だ。
ところで、STAP細胞であるが…
誤解を恐れずに敢えて言えば、それ自体が存在するか、もしくは将来的に存在しうるのかもどうでもいいことだ。
存在しなかったとしても、間違いは誰にでもあることだが、彼女が意図的、もしくは非意図的に人を騙しているとしたらちょっと面白い社会現象ではある。
医療が人の健康に貢献しているという面はもちろん否定できないが、多くの人にとって甚だ有害、危険なものにもなっててしまった。多くの人を死に至らしめている一方で、再生医療もないだろう。
とりわけ問題なのは、向精神薬の作用、賦活化症候群による自殺、殺人など自傷他害などの衝動行為、薬物中毒死など、精神医療過誤・向精神薬害である。被害者の数が桁違い、とてつもなく、なお拡大している。
早く対策すべきは、こうした精神医療過誤・向精神薬害対策などの有害、医療問題だ。話がくどいが。
今すぐできることもいくらでもあり、費用効果も絶大である。
有害医療を制限できれば、消費税など3%に戻してもいいか、あるいは10%に上げても保険料を下げれば良いはずだ。少なくとも財政面で有利、国民経済も潤い、景気が悪くなるのは医療関係だけだ。
彼女だけの問題ではないのも明らかなこと。理研発表のように彼女個人の問題だとしたら、周囲はそれを諌めることもできず、引きずりまわされたということになる。当然、科学者の権威もモラルも地に落ちる。理研や早稲田大学だけのことではない。
共同著者として名前を連ねるのは、研究を手伝ったとか指導したとかいうことではなく、学説に共同して責任をもつ、ということである。この点でも、一般の人だけでなく当事者さえ理解していないようである。
ちなみに私が手伝ったり指導した医学論文はいろいろあるが、名前を連ねた論文はない(実はほんの少しある)。分野も違うし、関係ねぇ。
彼女がウソをついていたとしても、虚言症が周囲やマスコミ、大衆を引っ掻き回しただけ。
マスコミは十分、稼ぎのネタにできただろうし、大衆は面白がった人も、勉強になった人もいただろう。
STAP細胞はホントに無いのかはまだわからず、これで終わるわけでないので、しばらくは楽しめるはず。
引っ掻き回しただけでも、学問研究に寄与したという面もあるかもしれない。
ウソ出鱈目だったとしても大して実害はなく、向精神薬害と違って、直接、大きな被害を蒙った人はいない。
理研、大学、リケジョ、マスコミなどの面目を潰した、人々の期待を裏切ったなどというのは問題外。
(あ、何か話がまたくどいな)
既に存在していた大事なモノを潰してしまったわけでもなく、なければないだけのことだ。
存在したところで応用、実用化、応用は難しいだろうが、それが可能かよりも、むしろできたらどうなのかが問題ではないのか。
まだ実現できないものを取り越し苦労することはない、とりあえずできることが必要、それから考えれば、という人も多いだろうが、世の中の流れとしては、できてからではもう遅いのだろう。
こうしたことはiPS細胞とて同じことであり、手放しで賞賛することなど、とうていできない。
「他人の為に、百年後の世の為に、少しでも何か役に立つことをしたい」
だったら、そんなことするか?
「数十年後とか100年後の人類社会への貢献を意識して研究を進めたい」
そういうこと考えてないからやってられるんじゃないか?
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
昔から、そういうことを考えていたのだが。
小保方さんが「子宮をなくし、子供を産めなくなった女性を救いたい」と言ってたので、それを例にするけど。慢性関節リウマチで関節が崩れた場合でももちろん同様。
【そもそも、そんなことやる必要があるのか?】
ニーズがあるからやるべきとはもちろん限らない。
科学技術の目的は、欲望への奉仕、科学者や技術者は欲望の奴隷か?
ラカンが「あらゆる欲望は他者の欲望だ」と言ってたな。
再生を諦めろなどとはとうてい言えることではないが。
子宮を無くす理由はいろいろだろうが、無くさなくて済むにはどうしたら良いかを考えるべきだろ。
むしろそれが医学と言うものだ。
子供は諦めるとか、それを受け入れるというのも人生だろうし。里子、養子でもいいじゃないか?
選択肢が増えれば良いというわけでもないはず。
子供を生みたいからって、生めない人などいくらでもいる。独身者の皆が子供が欲しくないわけでもない。
子供を生んで育てることはエゴであってはならないはずだ。
それは多くの精神疾患の原因にも関係することである。
若返ってどうするの?人皆老いて人生有限だから意味があるんだろ。
あの世がないなんて保証もないし。
もちろん、学問、科学研究は役に立つからやるものではなく、真理の追究ではあるだろうけど。
応用、実用、役に立つばかりを追求すべきでもないだろうし、それがまた学問研究の歪みをもたらすこともあり、今回のことも、“応用の要請”があせりにつながり、問題が起こったという面もあるだろう。
今回の発見が事実とすると
「発生と分化に関する生物学の常識を覆す驚天動地の大発見」でもあるらしい。
小保方さん、理研やその他の関係者も、それには殆ど触れておらず、おそらく意識あまり意識もしていないのだろう。
意図するせざるにかかわらず、科学技術は目先の利害、その他さまざまな条件づけを受けている。
知らなくても良いことを追求し、知るべきことを否認するのが科学の常でもある。
科学技術は常に不均等発展するものである。
【大きな危険や有害性をもたらすのではないか?】
遺伝子がらみのことは特にありうるのではないか。
予めそれを予測することはできず、明確になるのは問題は広まってからであり、そうなってはもはや対処不可能であろう。
抗生物質が人類に大きな利益をもたらしたことは間違いないが、それも歴史に属することではなく、その影響がどうなることかはまだまだわからない。殆どの場合、ワクチンが広まって病気が終息したのではなく、病気が終息してからワクチンが広まったのだとも言われている。
子宮頸がんワクチンの危険性、有害性や無効性が問題になったが、そんなことは当初からわかりきっていたことでもあった。
既に子宮に毛髪が生えたとか、歯が生えたとか、昔は珍しかったことが、やたら増えているらしい。子宮筋腫とか卵巣腫瘍か。
どういう理由か知らないけど、シャンプー・リンスやら歯磨きやらで細胞が破壊され、子宮にとんで毛髪や歯を作るのか、卵子がそうなるのか、子宮は形態形成の場ということか、細胞間情報交換の問題なのか?私が論じられるようなことでもないが。こうしたことも問題ではあるだろう。
【他にやるべきことはいくらでもあるだろ。】
そもそも、科学技術の進歩が人類の幸福に貢献したなどといえるか?もちろん目先の利はあるが。
少なくとも歴史に属すことではなく、まだまだ途中でのことだ。
健康や幸福を目指すならば、それよりもやるべきことはいくらでもある。
いくら良いこと、必要なことでも、やる人がいるとは限らない。
金になりそうなことにはすぐに飛びつくが。
科学技術も人々の意識や考え、社会のあり方に規定されており、金になるほうにしか向かっていかない。
STAP細胞は大いに利権が絡んでいるという。
今回の問題も、小保方さんを潰して、業績を理研のモノにするとか、米国が支配しようとか、韓中が横取りしようとしているとか、実際にできているから、絶対にそれを明らかにすることは出来ない、むしろできないことにしてカモフラージュするためとか、いろいろ言われているらしい。もちろんそうしたことの真偽はわからない。
そうした費用はいったい誰が負担するのか?外貨稼ぎのため?
「この国は医療で潰される」とさえ言われているのに。
(医療費のほかに、生活保護費など社会保障費の増大、財政破綻などなど)
国民健康保険費などいったい誰が払えるのかと思うくらい、すでに高額である。
全ての人が医療を受けれら時代は終わりつつある。目指すべきは医療の縮小だろう。
適正医療が行われていれば、消費税など増やす必要はなく、むしろ減らしても良かったはずだ。
いつから科学研究、科学技術が利権まみれになったのだろうか? 昔は公共・共有財産だった軌はするけど??
せいぜい、名誉や地位を得る位で。それさえ得られなくても、真理を追求し、人々に有益なことを追求するから、学問、科学であったはずなんだが??
真理や事実そのものには著作権もないし特許も取れないという。
科学技術上のノウハウは真理や事実ではないのか??
資本主義にどっぷり使っている人間は、金にもならず、地位や立場の向上にもならず、権力や利益も得らないないこと、むしろそれと逆行することはやろうとしない。資本主義とはそういう原理・法則だろう。
ニーズがなければそれを作り出してでも、モノやサービスを売りつける、そうして経済が発展していくと。
ホントに必要なことはカネにもならなかったりするので、誰もやろうとはしなかったり。
資本主義とは経済体制であるよりも、人々の価値観、考え方やものの見方、行動様式、行動原理のことである。
【そんなこと、やってもいいのか?】
マウスの背中に耳を生やすとか、それだけでも嫌悪感や罪悪感を持つ人も多いだろう。
その根拠は、ハッキリしないだろうけど、それには相応の理由があるはずである。
宗教云々は別としても。
そもそも、科学的真理なんて、真理そのものではなく、せいぜい、その時点で科学的には疑いようがなく正しい、ということに過ぎないし。
といったことなどなどである。
それでは人類は進歩しない、と言いたい人もいるだろう。
まだまだ野蛮な社会である。科学技術が進歩しなくても、人類の健康や幸福を目指す方法はいくらでもある。
むしろそれをしないのが問題だろう。
もしかすると科学の進歩はそこから遠ざかるのかもしれないとさえ思う。
かつて勤めていた大学の同僚。(旧帝大系大学院、分子生物学?生命科学?出身)にそういうことを話したことがある
彼は憮然として即座にこう言った。
「そういう人に科学技術の恩恵を享受してもらいたくないね」
アンタは中学生かよ!大学教授、教育・研究職だろ。お話にもなにもならないのである。
20歳位の頃、自分の父親(車の会社のエンジニア)に話したこともあった。
「そりゃ、禁断の実を食べてしまったんだから、もう戻れない」 
お前はそんなことも分からないのか?と言いたげに即答された。
オヤジは何も考えていない、わかっていない、どうせ話も通じないし、と思っていたので意外だった。
精神医学問題、精神医療過誤・向精神薬害、も軌を一にした問題である。
およそ非科学的、科学技術以前ともいえるが、科学技術のなれの果てを示してもいるだろう。
思考停止、認知の欠落、あるいは隠蔽記憶。知らぬがほっとけ。
要するに精神科医が精神疾患のことも向精神薬のことも実は殆ど考えていないように、殆どの科学者は科学や科学技術のことはあまり考えてない。
そんなこと考えていたらやってられない、ということはもちろんあるだろう。
かといって他の人の言うことに、謙虚に耳を傾けるか?? 
少なくとも精神医療関係者、製薬会社の技師や精神科医などはそうではない。
精神疾患の本質や、治療についても精神科医は殆ど誰も考えない。
ゆえに、向精神薬もそうだが、電気ショックECT、光トポグラフィー、磁気刺激療法、果ては再び脳深部刺激療法DBSとか、愚にもつかないことしか考えないし、そういう方向にしか向かわない。
幼稚園からやり直しだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
そういうわけで科学技術については、子供の頃からいろいろ考えていた。
きっかけは公害問題だった。排ガスの鉛中毒とか、車大好き少年だったけど。
水俣病、四日市喘息などの公害病、光化学スモッグ、なども毎日のようにニュースになっていた。
それとベトナム戦争。北爆が始まったのが小学校1年の時、毎朝ニュースを見て暗い気分になって学校に行くのだった。
大学時代は社会科学系だし、あまり関係ないのだが、一時期、気になって、科学哲学、自然科学思想や科学技術論に関する本を読みあさっていた。精神医学、精神分析学関係の本も読んでいたが。
もはや反科学か、少なくとも科学に懐疑的、科学技術批判が主流だった。
既に私のようなことを考えている人がいることにも、ちょっと安心した。
しかし、大学を出る頃にはもうそういうことはあまり考えなくなった、というか考えるのはやめたのである。
俺が考えなくてもいいや、考えてもしょうがない、何かできるわけでもないし。
自分が直接、自然科学研究に携わったり、技術職に就くこともありえない。
新潟の原発建設反対運動にも1回行っただけでヤメた。
エコロジー研究会を作ったが、大学ももう卒業だった。
どちらかと言えば、科学技術は必要とされなくなる、終息に向かうだろう、人間そうそう愚かでもないし、飽く無く欲望の追求に邁進するとは考えられず、と楽観的に考えたのである。
その頃、「ニュートン」という雑誌が出たが、反科学・科学技術批判の雑誌が出たのか?ようやく世間も俺たちに追いついてきたのか!?と中身も見ずに早とちりしてしまった位である。
既にそれ以前から、向精神薬についても、どちらかと言えば、楽観的に考えていた。
薬害が拡大する以前に、危険性も有害性も明らかになるだろうし、医者も患者もバカばかりじゃなし、騙されないだろうと。
精神疾患の原因が、トラウマ(心的外傷)・ストレスであるのは明らかで、それを前提にしたうえで、精神医学も変わって行くだろうと。
まだそうなっていないと思うこと自体が、人類の英知、学問に対する冒涜にも思えたのである。
実際「冒涜」していたのかも知れなけど。今も。
それより自分が何をすべきがが問題だ。もちろんそうしたことを踏まえたうえで。
会社員にもなれるわけないし、もちろんなりたくもないし。就職もしたくない。
いつの間に会社がそんなに偉くなったんだだろう?
ブラック企業なんて言葉もなかったが、企業なんてみんなブラックだと思っていた。
社会も良くなっていくだろうと、楽観的に考えていたが。
我々の頃は、オイルショックの後、景気もだいぶ回復した頃である。名の知れた大学を出れば、たいていはそこそこ名の知れた会社に就職することできた。バブルはまだだいぶ後のことで、ほぼ予測もされていなかった。
私自身は会社員にはなりたくない、という以前になれない、なっても勤まるわけないのであったが。
会社員、何やってんのかあまり知らなかったけど。
仕事なんもろくにできないくせに、何が良い大学、一流企業だ、会社なんか就職してやらねぇよ、俺なんかもうとっくの昔に人生棒に振ってるぞ、悪ぃかよ、ってな具合である。
私だけでなく、周りにもそういうヤツが多かった。
やりたいことも全くないけど、もちろん働かなくては食っていけない。
私自身は大学は一応卒業して、自転車店員として毎日、汗と泥と油にまみれて肉体労働に励むことになった。
キツかったなぁ。
自転車以上のテクノロジーは不要ではないか?とも思ったのである。
それが人生、リスタートのきっかけになった。
例によってジジイの癖で、昔の話、自分語りになってしまったけど。歳のせいだ。許して欲しい。
ともかくやるべきことが見つかって良かったです。ハイ。
オルターナティブ・テクノジーやら代替医療やらもいろいろ考えたが、精神医療に関しては代替案、代替医療もダメだ、本医療、本案でなくてはならない、と思ったのである。
そういえば、普通の人が普通に乗る自転車ってのが無いな。
ロードバイクとMTBとクロスバイクと小径車ばかり。
自転車もブームになって、やる人増えたのに。
いろいろ考えたけど、時代は思ったようには向かわなかった。

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精神科医の犯罪を問う

ここで触れるのは、精神医療過誤、精神科医の職業上、医療上の犯罪ではなく、刑法上の一般的な犯罪のことである。
「精神科医の犯罪を問う」というブログがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55
数年前に
「精神科医の(刑法上の)犯罪は多いし、両者全く関係がないわけではないが、これと精神科医の職業上,医療上の犯罪は別に考えるべきではないか。」といった書き込みをしたところ、このブログの主宰者に怒られたことがある。要は、決して別モノではない、精神科医は犯罪者である、といったようなこと。
このブログ主がどういう考えかはあまり良く知らないが、反精神医療の一部の人には以下のように考える人もいるようだ。
精神医療の目的そのものが、患者の健康を害し死に至らしめるなど、犯罪的なものである。
良い人が精神科医にはなれないし、なろうとも思わないはずだ。
なってもやっていけるわけはないし、辞めるのが当然である。
そもそも精神疾患などは存在せず、精神科医がつくりだしたものに過ぎない。
精神医学、精神医療そのものが犯罪である以上、当然これを廃絶すべきである。

しかし、私はこうした考えに与しない。少なくとも基本的な考え方は随分違う。
私の周囲の精神科医は良い人が殆どであり、少なくとも友人・知人は皆、良い人であったのだ。精神科医だけでなく、パラメなど精神医療関係者も良い人が多い。
殆どの精神科医は曲がりなりにも、患者の健康と幸福に貢献したいと思っているはずである。
精神科医には人非人のような奴もいるし、マッドサイエンティストのような人もいるが、それはむしろ例外である。少なくとも私の知る限りではごく少数派。
そういうヤツからも、私は特に危害を加えられたことはない。こちらが無視していれば、相手も特に絡んでくることはなかった。内科など、他科の医者には随分やられたことがあるが。
私の考え方は昔からほとんど変わらないが、精神医療関係者からイジメや排斥、攻撃を受けたことは殆どなく、尊敬とまで言わなくとも、一目も二目も三目も置かれた方である。
こうした考えだからこそ、気の弱い、(かつては)生意気な若造であっても、精神科医は無意識に私を恐れていたのかも知れない。
なるべく精神科医とは接触をもたないことにしていたが、今でも若干の関係はある。
ところで最近(いや、ずっと前からか…)、文字通り(刑法上の)精神科医の犯罪が多く、ニュースを賑わわせている。
精神科医の数は15,000人とも16,000人とも言われているが、聖人君子ばかりでもあるまい、それだけたくさんいれば、犯罪者が出るのも当然だろうと思いきや、実は人数の割には、既に捕まって新聞沙汰になっただけでも随分犯罪者が多い。
数字があまりピンと来ないので比較するとすれば、たぶん私の出身高校の卒業生の数は似たようなものである。中には犯罪者となったものもいるのだが、精神科医よりは遥かに少ない。
私がかつて住んでいた某市のとある地域の住民の数もそんなものであろう。やはり犯罪者はいるのだが、精神科医よりも遥かに少ないはずである。
例えば、最近2013年11月、こういう犯罪が報道された。
『精神科の36歳担当医、覚醒剤使用容疑で逮捕』
読売新聞 11月24日(日)10時58分配信
 福岡県警直方署は23日、北九州市八幡東区西本町4、医師益淵(ますぶち)大輔容疑者(36)を覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕した。
 発表によると、益淵容疑者は今月中旬から21日までの間に覚醒剤を使用した疑い。21日午後10時頃、同県宮若市の自動車整備工場に車で突っ込む事故を起こし、警察官が駆けつけた際、言動に不審な点があったため尿検査を行ったところ、覚醒剤の陽性反応が出たという。
 益淵容疑者は山口県下関市内の病院で精神科を担当していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131124-00000255-yom-soci
他にも調べると覚せい剤使用の犯罪も多い。
向精神薬を正当化してしまえば、覚せい剤も肯定するのは当然だ。そうでなければ認知不協和が起こり辛くなる。「覚せい剤はやっちゃダメ」という、子供でさえ知ってることさえわからなくなるのは理の当然である。
罪悪感から、自殺したり、精神が病む(元々か)精神科医も多いと聞くが、実際にどの位多いのかはわからない。そういう人は、むしろ「良い人」なのであろう。
人の健康を害したり、しばしば死に至らしめたりしていれば、当然のこと、無意識の自己処罰欲求から衝動行為に走ってしまう、それを止める精神の働きがなくなっている、と考えることもできる。
精神科医は患者の健康を害したり、死に至らせても、多くの場合悪いことをしているという自覚はなく、人格から解離している。
悪いことをしている、悪いことをすれば罰せられる、罰しなくてはならない、という無意識の衝動に支配された行動をとってしまう。
普通の人間なら無意識の自己処罰欲求に支配されても、基本的には自罰行為に至るだけである。 原因が自身のトラウマであり、自身が犯罪を犯したわけではないからである。(犯罪的なのはむしろ親や加害者)
したがって、自傷したり、自殺したり、覚せい剤を使用してもヘロヘロの廃人になるだけで、車の事故を起こすにしても、自損自爆事故である場合が多く、犯罪行為には走らないのが普通である。
覚せい剤に手を染めるような相当ガラの悪いロックスターやタレントなども、そうそう薬物以外の犯罪を犯すわけではない。チャー坊も山口君もマーちゃんものりピーもけっこう良い人だったらしいし、薬物以外で捕まったわけではない。
自己処罰欲求に支配された行動により、他者への加害、侵害→逮捕、刑罰を受け、社会的立場を失なう→結果として自己処罰の実現、という形となるのは(ただ精神が病んでいるといった)一般の患者ではなく、犯罪者である。
覚せい剤をやったとしてもおとなしくしていればいいものを、人の工場に車で突っ込むなど、他に危害を加えるとは、犯罪者的であり、いかにも精神科医らしいとも言える。
犯罪者も、犯罪を犯した挙句、自暴自棄でさらに犯罪を重ね、自殺するのは最後であるが、一般的には詐欺と強盗は両立しない、窃盗犯は人を脅迫したりしない、というように一種類の犯罪しかしないのが普通である。
※続きを書く予定。

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行ってもイイ精神科、ダメな精神科(心療内科)・優しい精神科医

「行ってもイイ精神科、ダメな精神科」  ひろ新子  
という本が出ており結構売れているようだ。これまたたいへん気色の悪い本である。
取材のやり方など、倫理的な問題もいろいろあるのだが、そんなものは精神医療問題に比べて比較にならないほどの小さな問題なのでココでは触れない。
もちろんこの人は、うつ病でもないのだが、それについても触れません。知りたい人はこちらをご参照下さい。
近くの本屋にずっと平積みしているのでいやでも目に付いてしまう。
ついつい手にとってちょっとばかり立ち読みしてしまったが、内容について書くのも気分が悪いので、かこさんのブログを参照して欲しい。
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11670997058.html

行ってもイイ精神科、ダメな精神科
バジリコ
ひろ新子

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かこさんのブログによると、
(私は一部立ち読みしただだけだが、同様の印象である)
ともかく、この人が○と思った医者の条件は――
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。
 らしい。

しかし、多くの場合「ここが地獄の一丁目」である。
もちろん行っても良い精神科を知っているはずの著者も長年病院に通っても良くなってはいない。甚だしい薬害にはまだなっていないようだが、それも時間の問題だろう。
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。

これが何故良くないのか?
何もできないから、話を聞くだけなのである。精神科医だからといって、カウンセリングの勉強や訓練をしているわけでもない。殆どの精神科医はカウンセリングや精神療法は苦手だが、むしろ患者を旨く騙す、言い包めることは得意である。
「うつ病は誰でもなる」「心の風邪」「良い人、責任感の強い人、まじめなひとがなりやすい」「うつ病は本人の考えや生き方の問題、心の病気ではなく脳の病です気」「今は副作用も少ない安全で良い薬がある」「無理をしてはいけない、頑張らなくて良い」「服薬してゆっくり休めば治る」
こうしたことを言われると、弱っていて元気がない時には、人間ついついありがたい、やさしい言葉として受け取ってしまう。むしろ病気を軽んじてしまう。
この精神科医は患者のことをわかってくれる、この人に頼れば大丈夫と言う気になってしまう。こうしたことはもちろん非常に危険である。
「良い精神科医」に薬物を処方されれば、良くならず副作用ばかりが酷くても反発や拒否はし難く、言いなりやすい。
最初から恐面で脅してくるヤクザなどいない。最初は優しいのが当たり前である。
金を借りに行っても、まともな銀行などは厳しいが、ヤクザの金貸しは優しいのである。「私どもも貴方様のような人々や社会に貢献する事業をしている方のお役に立てることが嬉しいです。きちんと、返して頂ければ良いのです。」といったふうに。
返せば良いかというと、そうはいかいかない。「あの時、助けてやったじゃないか。恩を忘れたのか」という具合になるのが関の山である。
多くの場合、無自覚ではあるが、悪質なことをやっているからこそ、それを隠蔽するために表面的には「やさしい精神科医」を演じることができる、そう演じないわけにはいかないのである。
好意的に考えれば、何もできない、ロクなことはできないので、せめて患者にはやさしく接する、といった見方もできるし、実際そういう人もいる。
患者がそれを望むから、患者の要求、ニーズに応えているだけ、医者はサービス業だ、患者をビビらせて何になる、という精神科医も多いだろう。患者を騙すのがサービスか?
受け入れ難いことであっても,正しいことを伝えるのがやさしさというものである。
「良薬口に苦し」 もちろん向精神薬は良薬ではありえない。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。

よほど悪質な精神科医でなければ、最初はあまり多くの向精神薬を出さないのが普通である。
それで効かない、もしくは効いてもだんだん効力がなくなるから、徐々に薬の種類も増えてしまう。もちろん悪循環。
当然、副作用も酷くなるが、殆どの場合、元々の病気のせいにされる。そうでなくとも副作用止めなど、余計に薬が増える。
副作用の説明を丁寧にしてくれるといっても、どちらと言えば当たり障りのないことだけである。それ以外の副作用は患者の元々の病気のせいにするため、と言っても良い。説明が事実の隠蔽になっている。
副作用がどんどん酷くなっても、元の病気が酷くなったから(そもそも悪化する病気ではないのだが)とされ、だからこそ病院に来て良かった、薬をきちんと飲まなければ、ということになってしまう。
常用量離脱も起こるし、薬の変更などでも当然、離脱症状は起こる。
基本的には薬は最低限しか出さないのは当然であるが、そこからむしろ徐々に減らしていくものである。もちろんそれでも有害であり、良くなるものでもないが。
少ない薬から徐々に慣らして、本格的な向精神薬依存症、向精神薬中毒による中枢神経障害に至らしめるのが、「良い精神科医」の常套法である。
では、これらの逆「悪い病院や精神科医」ばかりであればどうか?
精神科医なんてロクでもない連中、所詮そんな物とわかり、精神科には行きたくない、行ってもしょうがない、と思う人が増えるであろう。
精神科医そのものの評判が落ちる、というより正確な評価に落ち着き,精神科や心療内科には行かない人が増えるだろう。
いきなり大量の薬を最初から処方されれば、リスクは高くなるかもしれないが、その分薬は危険、決して良くなるものではない、ということもに気づき易いはずである。そこまで行かなくとも医者の言いなりに服用はしないだろう。
精神科医は「向精神薬は医師の処方を守って服用すれば安全」と言うが、小さい子供や余程の愚か者でない限り、自分で調べて、自分の身体や精神状態に聞きながら服用した方がずっとマシなはずである。
向精神薬はあまりに危険なので、処方薬ではなく、むしろ容易に手に入るように一般市販薬にした方が良い、という医者がいたがそれも大いに理由のあることだ。
しかし、向精神薬を服薬すると言うことは、自分の意思やコントロールを徐々に失ない、処方者や売人、薬そのもののど奴隷となるということでもある。精神に影響するのだから当たり前である。
オーバードーズ、過量服用はもはや患者の考えや意思の問題をとっくに超えている。
したがって、「良い精神科医ほど悪い精神科医」とも言えなくもないが、これは反精神医療派の人が良く言うことではある。
私個人は精神科医が不要とも思わないし、向精神薬完全否定派でもない。精神病院にもそれなりの役割があり、現状でさえ必要悪と言う面は認めざるを得ないと思っている。
世の中にはいろいろな人がいるもんである。
重症の精神病の人ももちろんいるし、絶対に良くなりたくない人も少なからずいる。良くなりたくないからといっても、さらに悪化させさせたり、自殺に陥れても良いわけではもちろんない。
かつては、精神病院など自分から行く所ではなく、無理やり連れて行かれたり、やむを得ず従って行く所であったが、その頃の方がまだマシだったと思う。病者の数が増えたのではなく、受診する患者が増えたのである。
新薬が出たとはいえ良い薬ができたわけではなく、かつてはほとんど行われなくなった電気ショックが復活し、禁止されていたロボトミーさえ復活しようとしている。
薬物では良くならないと認めたとしても、何等治療法もなく、悪化法がエスカレートするばかりである。反復性経頭蓋磁気刺激療法 rTMS や、脳深部刺激法 DBS
「良心的」で悪質であれ、現状の精神科や心療内科は、少なくとも健康や成長を目指す人が、行くような所ではない。
「天は自ら助く者を助く」
では、なぜ良い人、良心的な精神科医が、表面的には優しくとも、患者を向精神薬依存症、向精神薬中毒にさせ、病気を悪化させ、自殺に追い詰めたり、悪質なことをするのだろうか?
※続きはまた項を改めて書く予定です。

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『医師・医療機関に製薬業界から4700億円提供』 読売新聞

医師・医療機関に製薬業界から4700億円提供
 製薬業界から2012年度に国内の医師や医療機関に提供された資金の総額は4700億円を超えることがわかった。
 国の医療分野の研究開発予算1700億円の2・7倍に上る。
 医学研究の発展のためには産学連携が不可欠だが、高血圧治療薬「ディオバン」の研究データ改ざん問題では、背景に企業との不透明な関係が指摘された。専門家は「資金提供の透明化が必要」と指摘する。
 主要な製薬企業70社で作る日本製薬工業協会の指針に基づき、10月上旬までにホームページで初めて金額を自主公表した65社分を読売新聞社が集計した。
 公開された金額は、各社が大学などの研究機関や医師に支払った〈1〉共同研究などに使われる研究・開発費〈2〉寄付金などの学術研究助成費〈3〉講師謝礼や原稿料など〈4〉医師向けの講演会、説明会などの情報提供関連費〈5〉飲食や中元歳暮などの接遇費。
 項目別で最も多かったのは研究・開発費で計2438億円。その4分の3は、薬の承認を得るために行う治験などの臨床試験費(1840億円)だった。
 寄付金などの学術研究助成費は計532億円。うち、指定した研究者が自由に使える奨学寄付金は340億円、研究者を指定せずに大学などに提供する一般寄付金は84億円だった。ディオバン問題では、臨床研究の事実上の見返りとして、販売元のノバルティスファーマから多額の奨学寄付金が支払われていた。

画像

(2013年10月22日07時48分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131021-OYT1T01622.htm
製薬会社から医師に体する利益供与が、精神医療過誤、向精神薬害蔓延の原因の一部になっているのは確かでしょう。
こうしたことも明らかにされてはいます。
ブログ「精神科医の犯罪を問う」より
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/folder/1601504.html
これだけなら、さほど問題ではないかも知れませんが(いや、やっぱり問題だな)実際にはずい分裏金が回っているはずです。実は私も受け取ったことがあります。
昔20年以上前のことですが、同僚の内科医が製薬会社主宰のホテルで行われる講演会の招待状をくれたので行って見ました。リハビリ系の内容だからって。
もしかすると貧しい私に小遣いをくれようとしたのかも知れませんが、そこはよくわかりません。
あまりにもつまならいので、途中で出ようとしたのだったか?
会場を出たら、製薬会社の人がすっとんで来て、さっき渡した封筒を返して欲しいと詰め寄って着ました。
私は直ぐ返したのですが、一緒に行った知人が「何を返せと言うのか?」と中身を見たら、薬のパンフレットの他に(たぶん)5万円入っていました。
私は封筒には薬のパンフレットが入ってるだけだと思ったのでしたが。
私たちが医師ではないと製薬会社の人が気づいて、すっ飛んで取り返しにきたようです。
というわけで、貰ったと言っても、すぐに取り返されたので実際には貰っていません。パンフレットも返そうとしたら「それはいいです」って言うのでゴミ箱に捨てましたが。
ただ怪しげなつまらない講演を聴きに行っただけで5万円です。
講演をしたピエロ役の医者はいくらもらっているのかわかりません。もちろんタダでやるわけはないだろうし、表の金はもちろん裏の金もあると考えるのが自然でしょう。
この時は、薬の宣伝が目的ではあったようですが、講演の内容はあまり関係のないことだったと思います。
製薬会社が講演を準備して、ピエロを演じるだけの場合や、自ら宣伝係、太鼓持ちをかって出る人もいるのでしょう。
私が直接知っているのはその位のことです。
けしからん、と思う人は多いかもしれませんが、私はこの問題に割に寛容かもしれません。
というか、あまり良くわかりません。世間知らずでしょうか?ゼニ金のことは苦手なんです。
拝金主義、金儲け主義、利潤追求が精神医療過誤の拡大、向精神薬害蔓延に通底する大きな動因であるのは間違いないですが。
被害を拡大させても儲からないならやるわけないし、製薬会社や病院、精神科医が裁判等で訴えられて賠償しても、それを遥かに上回る利潤があるからやっているわけで、その費用は織り込み済みらしいです。
これから先もそれでやっていけるのかはわかりませんが。
私が直接知っている医師の殆どは(元)公務員で、給料は安く、金儲け主義の人や、お金に汚い人はほとんどいません。
 (実際にかなり安い、そこそこの大学を出てそこそこの会社でそれなりの地位を得ている人よりだいぶ安いと思う。国立大学医学部の教員だと最初は事務職より良いけど、しばらくいると抜かれてしまう。残業手当もないし。バイトも申請して許可を得ればできるけど。)
これまたずいぶん前だが、個人売買で中古車(安い外車)を買った相手がたまたま某私立医大の先生だったことがある。
多少のやりとりがあっただけですが、金にちょっと汚いのでは?外車を何台も持ってる位なんだから、金はあるはずなのに。やっぱり私立医大なんかは金の世界なんだな、と思ったことはある。
後で知ったことでは、その地域の(その種の)車のマニアの間では、ズルイ人、金に汚い人、あの人は○○医大だからね…として、ちょっとばかり知られている人でした。
今時、金だけで入れる医大なんかホントにあるのか?都市伝説か??私立医大の底辺校なんて簡単に入れるし、と思っていましたが、実際にあることを知ったのは実は最近のことです。(医学部にいるときは知らなかった)入るのも出るのも医者になるのも金の世界、それだけではないですが。
医療の中にいても自分の周囲以外のことはなかなかわからないもんです。私は公的施設以外で勤めたことはないし、医者ではなくリハビリ職だったし。
・精神医療過誤、向精神薬害万円の主な要因が、製薬会社から医師に渡るお金、利益供与にあるとは思えない。
・金儲け主義の医者は、製薬会社から貰うより別の方法の方が効率はいいはず。
・金をもらっても動かされなければそう大した問題ではないはず。
  皆、そんなに金で動くのかなぁ??医者はその傾向は強いのではないかという気はするけど…
 私なら製薬会社からお金をもらったら別の会社の薬を使ったりするけど。ひねくれ者なので。少なくとも金では影響されない。
  そうすれば、収賄は実質成立しない。お金をくれるから貰ってあげただけだ、という言い訳が立つかも?と思ってしまう。すなわち、袖の下を贈る方が損をすることになる。でも私のような奴には不思議なことに賄賂は廻ってこないもんである。
そういえば思い出したが、ある大学のリハビリ系学科の設立準備を手伝ったことがあるが、私にはそういう話すらなかった。別な人はたいして仕事もしていないのにそういうのがあったという話。確かめてはいない。
 結局の所、貧乏人は金で動かないので貧乏だが、金で動く医者などは金で動くから金持ちなのか?
 金で動かされ無い人には金は回らず、動かされる人には金が回ってくるのか?
 世の中全体が、そういう仕組みになっているのが問題で、医療の問題とは別だと思う。金が回る(金を回すための)ことを追求するのが、当たり前の行動原理になっている社会だから。そういう拝金主義資本主義に医療も絡めとられているというより、医療はまさにその中心にあるということ。
結局の所、皆が変わらなければ世の中は変わらないのでしょう。精神医療過誤、向精神薬害問題も。

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『うつ病の痛み』 キャンペーン  病気喧伝

またまた性懲りも無く、製薬会社の大規模なうつ病キャンペーン、病気喧伝、疾患喧伝が行われているようです。
今度は「うつ病の痛み」です。
日本イーライリリー社
https://www.lilly.co.jp/pressrelease/2013/news_2013_041.aspx
シオノギ製薬
http://www.utsu.ne.jp/?utm_source=YDN_interest_match&utm_medium=banner&utm_campaign=utsu1007
各社共同、タイアップで第三世代抗うつ剤、SNRIサインバルタの販売促進のための、患者、精神科医に対する「啓蒙宣伝活動」、病気喧伝、疾患喧伝のようです。
主導は電通ですか?博報堂とかかな? あの手この手で執拗ですね。
そんなに影響はなく、どちらかと言えば最後の悪あがきだと思いますが。もっとも製薬会社の病気喧伝、疾患喧伝による売り込みは抗うつ剤よりワクチンなどに移行し、「うつ病キャンペーン」は十分な成果を得て逃げの体制には入り、「発達障害」なっていますが。
「おとうさん眠れてますか?」睡眠障害、不眠症キャンペーンもあまり大きな影響なかったようだし。
これはむしろ、睡眠改善ブームみたいなことになり、いろいろ本も出たり雑誌で特集されたり、ネット上も話題になっており、いろいろ問題もありますか。これは宣伝自体の直接的効果はなくとも、性懲りもなくそれに動かされたマスコミが問題かな。
ベンゾの依存性や危険性に関する認識もようやく広まりつつあり、そうそ一般の人も騙されないかと思います。
※「うつ病の痛み」はなぜそうしたことが起こるのか、薬は解決にはならない、どうしたらよいのかについては、追加して書くつもりですが。
※追記
「うつ病の痛み」キャンペーン(病気喧伝、疾患喧伝)は適応外処方が問題になり、製薬会社(宣伝会社)も後を恐れて引っ込めたようです。

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丸岡いずみさんは、ホントにうつ病か??うつ病、躁病、躁うつ病の誤診

テレビも見ないので丸岡いずみって人は知りませんでしたが。
最近、バリバリのうつ病と称して、『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』という本を出したらしい。
もちろん私は読んでいません。
週刊文春「丸岡いずみ、うつ地獄からこうして脱出した」という電車の中吊りも見た。
せっかく山登りに行くところだったのに楽しい気分が削がれた。
ネットなんか見ていても、最近やたら目について非常に気分悪いのでちょっと書いておきます。

仕事休んでうつ地獄に行ってきた
主婦と生活社
丸岡 いずみ

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14~5年前にタイムスリップしたかのような、うつ病キャンペーン、疾患喧伝をマスコミを通じてさかんにやっているらしい。こういう世の中に取り残されたような人材はもはや貴重?だから、ひっぱりダコ、精神医療業界のピエロ、製薬会社や精神科医やジャンキーのアイドル、儲けまくるでのでしょうか。
体験者の書いた本が少ないからって、そんなのもうとっくに絶版だから少ないんですよ。何の役にも立たないし今さら需要も無いし、本屋も売りたがらない。患者が書いたモノも役には立たないが「うつ病になった精神科医の話」なんてのはもっと役に立たない。
こういう本自体も、うつ病に対する偏見を助長するものでしょう。
患者さんはうつ病は理解されていない、偏見が多いと言う人が多いですが、患者さん自身が偏見の虜になっている場合が多い。それがまた偏見を呼ぶことが多く、偏見Vs偏見になっている現状がある。
当然のこと、精神科医の甘言にだまされやすい。薬だけでなく、精神科医の「やさしい言葉」も麻薬みたいなところがある。
丸岡さんはホントにうつ病か?
そんなに元気で、簡単に回復するうつ病ってあるのか??
躁うつ病とか双極性障害ではないのか??
などと疑問をもつ人も多いかと思います。
結論から言えば、誤診であり、うつ病ではなく軽度の躁病ですね。
アナウンサーですか。
かこさんも書いてましたが、ジャーナリストなら、ちょっと位、病気のことや薬のことを調べてから、テレビで話したりメディアに書いたりするはず。
そういうことしないで無知蒙昧なまましゃべりまくるだけの仕事だから、世の中から取り残されること甚だしい。
あるいは確信犯か?製薬会社から袖の下、もらってるのか?なんて勘繰りたくもなるけど。
たぶん本人には悪意は無いのでしょう。偽善きわまる。
電波芸者と軽口を叩かれるのも当然。芸はないので芸者さんに失礼か。
マスコミ、特にテレビは社会の木鐸どころではなく「下層の娯楽」なんて言う人もいますが、世の中の百歩跡を行ってます。今時、うつ病キャンペーン、疾患喧伝をやるのは百歩遅れどころか、何周遅れだろうか?
バリバリのうつ病の人が、アナウンサーなんかになれるわけない。
声もロクに出ないし。名前聞いても3秒待ってやっとぼそぼそと聞こえるくらいで。仕事なんか一生できない。
丸岡さんは酒豪らしいが、うつ病なら酒は飲めても余計に気分悪くなるだけだし、頭痛くなるので飲まないはず。
うつ病にせよ何にせよ、疾患名はあまり意味は無いです。要するに疾患単位では無く、症状に応じた便宜的な名称に過ぎないので。誤診だろうかなかろうが精神科医に治療はできないし。
それでもやはり甚だしい誤診は問題ではあります。
うつ病に抗うつ剤も良くないし危険ですが、躁病に抗うつ剤はもっと危険でしょうから。
根本的には「脳の病気、うつ病」はすべて誤診です。ホントは広義の心的外傷後ストレス障害PTSDなので。
てなわけで、一応分類。
1)本来のうつ病は中年発症、もしくは初老期うつ病。これは殆どの場合、自然経過で3ヶ月位したら回復します。繰り返す人もいるけど。うつ病は治るなんて言ってたのは、こういった事情もある。
特に理由が無くても急に激しいうつ状態にはなりますが、風が吹いても病気になるわけではなく、もちろん理由はある。中年発症と言われていますが、実は既に若い頃に発症してます。長年問題が表面化せず、一応適応を保ってきた神経症の行き詰まり、みたいなものだと思います。
かなり少なくて人口の0.1%以下とも言われていたが、典型例はもはや絶滅したか?
2)むしろ、ホントのうつ病は他の精神疾患と同じく、思春期~青年期発症だと私は思いますが(破瓜型精神分裂病の一歩手前で踏みとどまったような人)、これは昔からめったにいないので見たことがない精神科医が多いはず。
私も典型例は1人か、拡大解釈しても5~6人か。仕事なんて生涯殆ど無理。
でも、私の所の治療で良くなり、学校に入りなおしたりしたが、後に大学教師にもなっている。
3)躁うつ病(循環型精神病)も昔からめったにいません。たぶんホントにいるんだろうし、私も聞いたことはありますが、万単位で患者を診ても少なくとも典型例には出会ったことがありません。
4)今時、双極性障害と言ってるのは、元々の疾患に薬害性の中枢神経疾患が加わったものです。元々誤診も多いが、もはや躁かうつか、躁うつだか、何がなんだかわからなくなってしまう。
DSM由来ではあるだろうが、「うつ病は薬で治ると言ってたのに誰も治らないどころか皆悪化してるじゃないか!」という批判をかわしたり、向精神薬害をごまかしさらに患者を増やし、利潤をえるためにために、製薬会社が中心に広めた名称。「うつ病キャンペーン」と同じく、広告会社とかコンサルティング会社とのプロジェクトだろう。それに精神科医が乗っかった、もしくは従ったということである。
5)軽度うつ病、軽症うつ病とか、抑うつ神経症、そういう言葉は昔からあり、もちろんそれなりに多いです。昔は病院に行く人は少なかった。最初にうつ病キャンペーンに引っかかったのはこの手の人か?
新型うつ病も精神医療過誤、向精神薬害をごまかすための言葉。
メランコリー型とディスチミア型と分けるのは一応有意義だとは思うが、後者は鬱とは言えないと思う。
6)軽躁状態という言葉はあるが、軽躁病は殆ど使われず、躁神経症なんて言葉はありません。しかし昔からそういう人も少なからずいます。
不祥事が問題になっても、簡単に禊をすませて復活する政治家とか、お笑いタレントなんかに多い。
周囲は迷惑でも本人は苦しいわけではないし、病識も無く、受診もしないので病名もない…はずであるが、そのあたりの事情は後述。
7)躁病、これも少ないがそれなりにはいる。人に甚だしく迷惑をかける。
横山やすしとか、ハマコーあたりになるとこのクラスか。動物園の熊と同じで、テレビで見ている分にはいいけど、実際にはかなりのもんだろう。
いずれにしても、広い意味ではPTDS、心的外傷後ストレス障害であり、幼児期のトラウマが主な原因ではあります。直接のきっかけ、誘因(ショックなでき事、不適応、現実のストレスなど)は大きい場合も小さい場合もあります。
脳の病気ではない。もちろん脳の働きや状態は良くないですが。
1)のうつ病なんて増えるどころかむしろ絶滅種でしょう。文化的、社会的背景によるものと思われます。うつ病、診断名の無原則拡大はそうした事情もあり。
今や古典的症例や典型例は絶滅かな?要するに世の中の変化に伴って、精神疾患の症状も多様化し、病像、病形も従来の診断名は適用し難くなったということです。
今時、うつ病うつ病と言っているのは殆どの場合、緊張症のなれの果てです。緊張症と言う言葉は医学的にはありませんが、神経症と言うよりは事実に即しており、患者も納得しやすい場合が多いので、私はよく使います。ちなみに神経症というのは神経の病気ではなく、神経の状態、使い方が悪く神経が消耗してしまうこと。もっと正確に言えば、主には無意識による神経の使い方が良くない、ということです。
ちなみに私は5分診察なんて精神科医より、ずっと多くの患者を診ています。
短期治療なので。患者数こなさなければ食えません。
丸岡いずみさんは、ハッキリ言えば、軽度の躁病です。躁うつ病でもない。
うつ病か、躁病か、躁うつ病かの三択なら、圧倒的に躁病!百歩譲っても、うつ病ではない。
躁病をうつ病と言うのは、昔から多い古典的な誤診。
そんなことありえないっ!と思うでしょうけど。
精神科医の方は初級の引っ掛け問題なので良く覚えておいてね。自称ベテランでもたいてい間違えるけど。
DSM当てはめて、薬出すだけなら、そういう自販機でも作った方がよほどマシです。
野村君、大野君、樋口君、わかりましたか。
丸岡めぐみさんの場合は、6)~4)ですね。
「バリバリのうつ状態」、「うつ病地獄」と言うのは、認知行動療法とか向精神薬でこじらせただけのでしょう。
「母親に砒素を盛られたかと思った」「(彼氏…今の夫が)ストーカーかと思った」
うつ病の人は普通は被害妄想じゃなくて加害妄想だし。
「鯉みたいに口をパクパク、過呼吸」
うつ病の人は呼吸がひどく重くて固いので過呼吸はほぼ不可能。
躁病は交感神経優位、うつ病は副交感神経優位だし。
昔から、躁病の人は必ず、現実の壁にぶつかり、(病識が無く主観的にはそう思わない場合も多いが)敗北感、自責感やら罪責感、絶望感などでうつ病ではないけど、うつに近い状態にはなります。
うつ病でも軽度うつ病でもなく、うつ状態と言うより、ウツにやらた弱い人。
気分の落ち込みは誰でもあるけど、躁病の人は落ち込まないと言うより、落ち込めない人。
うつ病、抑うつ神経症などの人はいつもウツと戦わざるを得ないから忍耐強い。
しかし、ついにポッキリ心が折れることがあるわけです。
やはり普段から適応が良くはありませんから、現実の壁にぶつかるというか、現実の落とし穴にはまると言うか。
薄氷の上をスキップしながら歩いていると、いつかは氷が割れて落っこちる。
普段が病気なのに自覚せず、そうなると苦しいので、これは「うつ病」に違いないと思ってしまい、精神科医も殆どの場合、そう診断する。
震災で死体をたくさん見たら誰だってショックで落ち込むでしょうけど、彼女の場合はそれまでのことがいろいろあるので。
解離していた自責感とか罪悪感などが、自己に噴出して来たのでしょう。
そこで落ち込むのは当然ですが、必要なのは今までの行状の反省でしょう。
本来なら、それを自己の成長の契機として、考え方、生き方を改めるのが治療と言うもんです。
安易に抗うつ剤なんかでごまかすのは治療に反する。放っておいたってまたまた元気になるし。
普段の躁状態の時は周囲は迷惑でも病識はないし、苦しくもないので病院なんか行かない。現実の壁にぶつかり、凹むと、やたらウツというか落ち込んだり凹むのに弱いから、苦しくなって受診する。
そこで、トーシローの精神科医は(はっきり言って昔も今も皆トーシーローだけど)、凹んでいるので躁病には見えない、死にたいとか言うし、うつ病に見えてしまう。そこでうつ病と誤診する。
生育歴や生活史を聞いても分析・解釈するの能力がないからこういう誤診がおこる。
普段を知ってる周囲の人からすると、しばらくちゃんとウツやって反省しなさい、今までの考え方や行動パターンを改めなさい、口先だけじゃダメですよ、仕事はもうずっ~と出てこなくていいですよ、大きい声じゃ言えないけどあの人が死んでも…ってところですが、性懲りも無く安易に回復して元気になってしまい、またまた、ハタ迷惑をやらかします。
私が以前、勤めていた大学の学科長もそういうタイプ。
内科医ですが、下品なヤクザ、ガラの悪い政治家か悪質な土建屋か?といった雰囲気、風貌。
普段はやたら人を脅したり攻撃しまくっている。
「うつ病の方がいいじゃん、治らない方がいい」「あの人は病気の時が正常」なんて周囲の人は言っていましたが、おもてヅラ、ヘイコラしてる人も多かった。
宴会ではいつも「マイウェイ」と「昴」、もちろん下手、自己陶酔、声がでかい。
よく「私はうつ病を克服して…」なんて自慢してました。
聞いている方が恥ずかしくなる。冷笑、苦笑するのみ。
主治医はたぶん当時の精神科教授のMではなかったか?
1950年代に台弘なんかと一緒に、ロポトミー手術のついでに脳の切片を切り取ってくすねて、10数年も経って、刑事告発された。不起訴になったので刑法上の犯罪者ではないが、その後も人体実験めいたアブナイことを続けていたらしい。そんなヤツが巾をきかせていられるのが精神医療の世界である。
もう一人、よく思い出すのは20年位前、私が今の治療を始めて数人目に来た人。
元気なオバサンのはずだが、精神科では「うつ病」という診断名。薬をハンドバッグにいっぱい、ごっそり持っていた。
自分は社交的で人に好かれるので、友人知人も多く、活動的で○○もしたり□□もしたり…なんて自慢していた。
身体をしょっ中めった切りするので、数cm位の傷跡が顔にも身体にも無数にある。満身創痍、リストカットではない。
古くて傷跡もわからなくなっているのやら、新しい血のにじんでいるリアルなものまで、全部で数百箇所か?
今日も3箇所切ったので、病院で縫ってもらったなんて、肩まで袖をまくって見せ、何の深刻さも無く得意げに言う。
受診・服薬前に自傷行為はなかった。
もちろん向精神薬の作用、薬害。躁病に抗うつ剤飲ませるんだから錯乱して当たり前である。
死なれては困るって、精神科医はやたら薬増やすので、めった切りもエスカレートして悪循環。
うつ病なら確実に死ねる方法を選ぶはず。何百箇所も切っても、今まで死んでないんだから…
薬は徐々に減らして薬止めた方がイイと言うと、ちょっと驚いたようだったが、一応納得したようで、そうしますとは言っていた。もちろんそれで治るわけではないが一応、回復はしたのだろうか?
1回相談に来ただけで、治療を受けに来るとは言ってたが、その後は来ないし連絡もないので治療はしていない。
他にもいろいろいましたけど。躁病をうつ病と間違える古典的な誤診。
こうした誤診が「薬でうつ病が治った人もいる」という根拠にされているところがある。
躁病なんだから放っておいてもすぐ元気になるのは当たり前なのに。
丸岡いずみさんは、またビジネスチャンスを把んだ、本も出せる、テレビに出て復活だってことで、元気になったわけでしょ。それと結婚か。夫婦共謀らしい。もちろん精神科医とも結託して共謀。
本書いたり、テレビに出る前に、やるべきことがあるでしょ。それをやったらそうそう元気になんかなれないのがむしろ健康的というものです。口先だけの反省じゃダメですよ。
本書いたり、ミヤネ屋何たらという番組でやらかしたことは病気から回復じゃなくて、病気に回復、症状復活です。
安易に回復して人に迷惑かけないで欲しいです。
そればかりでなく、このままだとまた何かやらかしそうではある。ご自愛されたし。
ここを読んでも、自分や薬や精神医療を正当化するだけでしょうけど。
もちろんホントに良くなりたければ、ウチには良い治療法があります。でも良くなりたくないか…
というわけで、宣伝ですけど、
うつ病など、PTSD心的外傷後ストレス障害に有効な自己治療法のマニュアルを販売し施療指導しています。

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新型コロナ陽性、有村昆、

『PTSDに初の治療指針』朝日新聞

日本トラウマティック・ストレス学会 『PTSDに初の治療指針』 朝日新聞

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災害や犯罪などの体験が心の傷となり、強い不安や不眠などが続く心的外傷後ストレス障害(PTSD)への対応や治療の指針を、専門医の学会が初めて作った。東日本大震災などがきっかけだ。医師による適切な治療のほか、呼吸法など患者自身ができる対処法も紹介している。
 世界保健機関(WHO)の2005年の調査では、日本国内で生涯にPTSDになる人は人口の1・1~1・6%、20代~30代前半に限ると3・0~4・1%だった。
 しかし、専門医が少なく、適切な治療を受けていない患者も少なくない。精神科医らで作る日本トラウマティック・ストレス学会による指針は、正しい診断には、医師が患者の体験を丁寧に聞くことが重要と指摘。最初の2~3回の診察は時間を十分とって、患者のペースで話してもらうよう求めている。さらに医師は、患者に「誰にでも起こる病気で患者が悪いわけではない」と説明することも大切とした。自分を責める患者が多いためだ。
 つらい体験がよみがえる「フラッシュバック」や息苦しさなどが起きた時に症状を和らげる方法を患者が行うのも有効だという。気持ちを落ち着かせる呼吸法などを紹介している。
 薬による治療は、最終的な手段として慎重に行うよう助言している。「SSRI」と呼ばれる新しいタイプの抗うつ薬を推奨する。最低でも1~2週間は続け、症状が無くなった後も1年間続けると、再発防止効果があるという。
 抗不安薬として広く使われているベンゾジアゼピン系の薬は、PTSDの主な症状には効かず、依存を起こしやすいため、長期的な使用は推奨していない。
 指針作成委員の重村淳防衛医大講師(精神科)は「PTSDでは、適切な治療でつらさが軽減できることを知って欲しい」と話す。

http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309160429.html
http://digital.asahi.com/articles/TKY201309160429.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201309160429
PTSDの薬物療法ガイドライン・初期対応マニュアルの発刊について
「PTSD の薬物療法ガイドライン:プライマリケア医のために」
「PTSD初期対応マニュアル:プライマリケア医のために」
こりゃひどい、PTSDにSSRIjh!しかもパキシル、ジェイゾロフト! PTSDは心の病気ではなく「脳の病気」、トラウマ(心的外傷)ではなく「セロトニン不足」が原因ですか?
パキシル等SSRIは「効果」も乏しく、あまりにも有害、危険であることをようやく精神科医も認めざるを得なくなって、ここ数年は売り上げが減ってきたはずだが。
そのおかげで2012年はようやく自殺者が3万人を切ったのに。
予測通り、2012年『自殺者、15年ぶり3万人下回る』 その理由、原因は?
あえて、パキシル、ジェイゾロフトを勧めるということは、JSTSSはグラクソ、ファイザーからだいぶ貰っている人がいるのだろうか?

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どんだけ自殺者増やしたいんだ。っつう本気で殺したいのか!?
震災被害者を減らせば、補償のための費用がへら減らせるとか、原発事故被害者はガンになってたらだと補償問題とかやっかいなので、その前に殺せとか、そういうことか!んな意図はないだろうけど、そう言うわざるを得ない。
あの何の役にもたたない、日本トラウマティック・ストレス学会JSTSSだ。
日本トラウマティック・ストレス学会と聞けば知らない人はまともな学会だと思うかもしれないが。
震災の後も何も出来ず、活動らしいことはお茶を濁す程度で、ナリを潜めていたようだが。
おとなしくしてればまだイイのに。何をトチ狂ってんだ?
最近までEMDRを推奨していたような気がするが、いくらEMDRが有効でないからってSSRIはないだろ!
ちなみに9/14のNHKの番組では、今まで「うつ病に抗うつ剤SSRIを宣伝して被害を拡大したことは反省?してか、EMDRが良いと宣伝をしていたらしい。
『トラウマからの解放』 NHK ETV特集
震災被害者には、そんなには精神科医が入り込んでいなかったからまだ良かったのに。
(すでに被害はかなりあるようですが)
震災から既に2年半、震災被害者PTSDの症状もこのあたりから山場を迎えそうでもあります。
精神科医にとっては虎視眈々と狙っていたビジネスチャンス到来と見ているのか。
マスコミもトラウマ、PTSDと言うようにはなってきたが、性懲りも無くやはり受診、服薬を勧めるとは…
日本トラウマティック・ストレス学会JSTSSとしては、どちらかと言えば、何もしてないという負い目の払拭、周囲からの圧力に対する言い訳でしょうか。
ベンゾ系抗不安薬は効果がなく、依存性が強いことは認めているようだが。
好意的に考えると、ベンゾ系抗不安薬の依存性、離脱症状等のあまりの強さ、有害性を考えるとSSRI新型抗うつ剤の方がまだマシ、無原則な多剤大量処方を抑えようと訴えたいのかもしれない。
これはどちらかと言えば身体ボロボロより、精神錯乱、自殺のリスクの方がまだマシということですか?
このままでは、精神医療過誤、向精神薬害があまりに広まっても精神科医集団の墓穴を掘ってしまう、という危機感があるのか?
あまりに評判を落としたパキシル、ジェイゾロフト等SSRI、精神科医を擁護したいのか?
いずれでもありそうですが。
既に多くの精神科医はパキシルSSRI抗うつ剤等の効果の乏しさ(プラセボの1割マシ程度、良くてコーヒー程度とも言われている)や、激しい危険性をいくらかなりとも認めているので、もはや日本トラウマティック・ストレス学会 JSTSS のごときのガイドラインに従うわけではそうそう無いだろうが、多剤大量処方もそうそう簡単にはなくならない。
トラウマ・ストレスを謳うJSTSSでさえ、だからこそか、カウンセリング、認知行動療法はもちろんEMDRもダメだし、何もできない、やっぱり良くならないし超危険だけどけど精神科医には薬しかない、といった開き直りの自己正当化、末期状態と見えます。
呼吸法も無理にやったらよけいに悪くなる。神経の働きを根本から良くしないとダメ。

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 『トラウマからの解放』 NHK ETV特集

見なかったんですが、そういう番組をやったらしい。
これ見てウチを探してに来たという患者さんが教えてくれた。ウチはEMDRはやってませんけど。
『トラウマからの解放 NHK ETV 特集』
薬が効きづらいうつ病や、摂食障害などの複雑な心の病、自傷行為・薬物依存などの問題行動の背景に、幼い頃に受けた虐待や性被害の心の傷・トラウマが深く関わっている場合が多いことが、最新の研究から明らかとなっています。
トラウマは戦争や災害、事件・事故などの惨事に限らず、日常生活の中の身近な問題でも長期に渡りさらされることで、心や身体にさまざまな不調をもたらす原因となります。そうした中で、最近、トラウマを解消する治療法が登場し、治療の現場で効果を発揮しています。トラウマの記憶そのものを治療することで、多くの人が心の病や体の不調の原因となっていたつらい記憶から解放される時代となってきています。
番組では、トラウマ治療を行う日本とアメリカのカウンセリングルームに密着。心の傷・トラウマをどのように癒していくのか、最前線の治療現場からの報告です。

https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0914.html

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EMDRにがさも有効な治療法として紹介されたようですが、EMDRは既に海外では無効とされています。
惜しい「治療法」なんですけど。肝心な所を外しまくり。
薬物とは違ってそう侵襲的ではないでょうけど、やりようによるか。
トラウマと言えば、レイプ、犯罪被害、災害被害ばかりがとりあげられ、それはもちろん、精神健康にとって大いに有害なもので、重篤な精神疾患の要因にもなりますが。
それらについてそれなりの認識がある人でも、基本的には幼児期のトラウマについて理解していない人が多い。
逆に大したことないことを、トラウマと考える患者さん(一般の人も)も多い。
人前で恥を書いたとか、失敗体験とか。
それもトラウマではありますが、病因ではなくせいぜい、きっかけ誘因に過ぎないです。
そんなこと誰にでもあるとか。何もわからない、覚えてもいない幼児にそんな影響はないだろうとか。
もちろん幼児虐待もトラウマになりますが、いわゆる虐待とは言えないような、「精神的虐待」が精神疾患の主要な原因であることが殆どです。
脳病派、薬物療法派、生物学主義者ではなく、心理療法派であっても、本来のうつ病や旧来の精神精神分裂病が脳の病気と考えてしまうのは、ひとつにはそうした理由によるものと思います。
成長してからのトラウマと、幼児期・発達期からのトラウマは別なものではありませんが、かなり意味は異なり、たいしたことないようでも、精神疾患の主要な原因になり得ます。
実際には、程度は様々、多かれ少なかれ複合しているわけですが。
トラウマについてはまだ詳しく書いたことはないので、そのうち書くつもりです。
ところで今になってマスコミがなぜこんな番組をやるようになったか?
前にも書きましたが、ようやく抗精神薬害、精神医療過誤の問題に気づきだした人が増えたからでしょう。NHKもかつてはさかんに、うつ病キャンペーン、さんざん病気喧伝を行い、精神医療過誤、向精神薬害の被害者を増やしてきました。
製薬会社や精神科医の犯罪のお先棒担ぎをやったという批難を避けるため、責任逃れが主な理由でしょう。あるいは贖罪か。
マスコミはこれまで、震災被害PTSD、原発被害PTSDを激しく無視してきましたが。
精神疾患は脳の病気とばかり言って、向精神薬服用を勧めて来たばかりではない、と言いたいのはわかりますが。まずは、PTDSの正しい理解が必要です。
基本的にはすべての精神疾患は脳の病気ではなく、PTSDでありトラウマ・ストレスが原因です。脳の病気は精神疾患ではなく中枢神経疾患、今の精神医療は医学的に間違っています。もちろん結果も悪化。
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