発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱

発達障害(誤診)-その1
発達障害(誤診)の拡大と混乱
今日、「うつ病キャンペーン」病気喧伝、即ち受診者(薬害被害者)の増加も頭打ちとなった現在、精神科医が遺憾なく無能さや有害さを発揮しているのは子供に対してである。
そもそも、職業として成立しないはずの児童精神科医と称する者もやたらと増えてきた。
悪しき「発達障害(誤診)ブーム」、発達障害喧伝は数年前から拡大し続けている。
もちろんこれを問題にせざるを得ないのは、言葉の使い方が間違っているばかりでなく、子供を犠牲にする悪質な精神医療過誤・向精神薬害問題だからである。
発達障害については前にも少し書いたことがありますが、ここで一応整理しておきます。
駄文なので整理にはなっていないかもしれませんが。
NHK クローズアップ現代 「子どもに広がる向精神薬の被害」
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発達障害(誤診)問題は言葉も非常に錯綜しており誤解も招きやすい。
ここでは、とりあえず、本来の発達障害を「発達障害」として、最近増えている精神科医や教師、児童相談所関係者等から発達障害とされている子供もしくは大人(敢えて言うならただの子供か精神的問題の大きい人、あるいは精神疾患(脳の病気ではなくPTSD)、を「発達障害(誤診)」とします。
ホントの発達障害に関しては別問題であり、精神医療の対象ではないし、当所の治療の対象でもなく、私自身も門外漢です。
そもそも発達障害というのは医学上すでに確立した概念である。
発達障害(誤診)は有害なだけでなく、これまでの医学に反しており医学を全く無視した間違いでもある。
発達障害とは具体的には、脳性麻痺、精神遅滞(知的障害・知恵遅れ)、ダウン症、(ホントの)自閉症、重度心身障害、二分脊椎などのことであり、殆どは遺伝や周産期のトラブルの後遺症であり、多くは中枢神経障害でもあるが、基本的には精神疾患ではなく、精神疾患はは発達障害には含まれない。もちろん併合することはある。
基本的には発達障害は養育訓練やリハビリの対象であり治療の対象ではない。
リハビリも広義には治療ということになるが、病気・疾患そのものを治すという意味での治療と言う言葉は当てはまらない。
私の長年の親友には、発達障害(ホントの)リハビリ分野では第一人者がいて、しょっちゅう会っているので発達障害について話を聞く機会は多いし、私自身もボランティアで介助などしていたこともあるし、発達障害児施設に数か月いたこともあります。
元々はリハビリ系なので多くの発達障害児を見ていますが、治療の対象として関わることは今後もありません。
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精神疾患は常に精神発達上の問題でもあるので、発達障害(誤診)と言うのは一見正しい見方で、悪いことではないように思う人が多いかもしれませんが…
精神科医や(養護学校ではなく一般の小中学校の)教師が発達障害(誤診)と言う場合はほぼ全て間違っており、反精神医療派の人でさえその間違いを踏襲し誤診の陥穽に囚われている人が多い。
障害とは疾患そのもの病気そのものは治らない、ということでありそれを受け入れた上での対処が必要だということです。
スキーで骨折しギプスを着けて杖をついている者はケガ人であって身体障害者とは言いません。
精神障害という言葉も本来望ましい言葉ではありませんが、かつて長らく精神医療の対象の殆どは重篤な精神分裂病であり、治らない(精神科医には治せない)ことを既定の事実とした上で広まり一般化したわけです。
日本でバイクと言えば、かつてはエンジン付のオートバイ、カブやスクーターなんかのことで、今もそうした言い方はしていますが、最近は自転車のことをバイクと言うようになりました。
(ホントの原チャリ、原動機付自転車を知ってる人はかなりの年輩ですね)
それで特に混乱も問題もないし、米国ではバイクといえば昔から自転車のことなので、むしろ訂正したことになります。要するに二輪車ということですから、いずれにしても間違いではありません。
机のことを椅子、椅子のことを机と言ったとしても(そのような使われ方をすることあるし)、多少の混乱はあっても人の勝手で、机に座って椅子の上のメシを置いて食べたって大して害はありません。
机が木製だとしても植物に分類し、水や肥料をやって、もっと高くしようとする愚かな人はいませんね。
しかしそれ以上に愚か、奇妙でかつ甚だしく有害、危険、被害甚大なことを行っているのが子どもに対する精神医療の現状です。発達障害・誤診蔓延と向精神薬漬け。
もちろん治療ができるなら、あるいは発達上の問題を克服するための援助ができるのなら,大いに精神医療はどんどん拡大すべきです。程度はともあれ、いかなる人も精神疾患という面はあります。
しかし現状では子供に対する精神医療は甚だしく有害、危険でしかありません。
例によって話がくどくなりましたので、ここで整理しておきますと。
・認識、行為の誤り:精神科医や教師、毒親など
 発達障害(誤診)は脳の病気として子どもを薬漬けにする。
・言葉遣いの誤り:一般の人や一部の反精神医療派の人など
 精神発達上の問題に対し発達障害(誤り)という言葉を使う。
もちろん前者の方がはるかに悪質ですが、後者も絶対に訂正すべきです。単なる間違いでは済まされません。
子どもを被害者とした犯罪的「医療」行為に加担し、精神医療過誤・向精神薬害の拡大、増長させることになるからです。
 反精神医療派の一部の人は、発達障害なんてないと言うけど、前述のとおり、もちろんホントの発達障害はある。自閉症は社会毒の影響などと言うのは矛盾している。それがないというのではないが、別に自閉症が増えたわけでもなく昔から多いし。
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なぜ発達障害(誤診)が広まったのか?
ここ数十年で特に新たな精神医学上の発見があったわけでもないし、新しい種類の精神疾患の発症があったわけでもありません。
典型的な「統合失調症」や「うつ病」などはむしろ少なくなり、精神疾患は多様化したという面もありますが、それも表面上のことです。
精神疾患の子供が増えたわけでもなく、発達障害(誤診)という言い方は誤診であるばかりでなく医学的にも定義上間違いです。
専門用語は定義されており、その定義から著しく外れている物事に対してその言葉を使ってはいけません。誤解や間違った対応を広めるからです。
精神分析は廃れたが、学問としての精神医学の中で、特に何かの変化があったわけではなく、誤診、誤解、混乱が広がり、子供にまで大いに精神医療の被害を広げてしまったということです。
悪い意味で精神科の敷居が低くなり、受診者が増え、うつ病キャンペーン、病気喧伝は既に頭打ちとなり、発達障害(誤診)すなわち脳の病気とすることで、その対象を子供に向けて拡大し、被害も拡大しているわけです。
「心の時代」と言われるようになり「スピリチュアル・ブーム」はあっても、精神医療の世界では口先だけで、うつ病は脳の病気という根拠のないウソがばら撒かれ薬害が広まり、心の問題ははないがしろにされてきました。
何と!生後数か月の子供さえ、発達障害(誤診)とされ、薬漬けにされている例も少なからずあるらしい。
そんなに子供に薬を飲ませたいなら、自分の子供に飲ませればいいじゃないか(そんなことできるわけないだろ!)」という人もいるけど、実際に自分の子供に向精神薬を飲ませて発達をデザインしたいなんていう、とんでもない精神科医もいるらしい。もちろん結果は目に見えている。慢性薬物中毒、中枢神経障害者だ。
昔、自分に生まれたばかりの子供を預けてもらえば、芸術家にでもスポーツ選手にでも学者にでも宗教家にも、いかようにでもしてみせる、と豪語して顰蹙をかいまくった心理学者がいましたけど。
もちろん結果は目に見えてる。精神病、PTSD・心的外傷後ストレス障害である。
フロイトの症例にもそういう人(の子供)がいたな…。
シュレーバーだっけ? ねずみ男? 忘れたけど。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と提唱した毒オヤジのスパルタ教育で息子2人は精神病になった。
世知辛い世の中になり、子供をとりまく環境も大いに変化し、要求されることも多くなり、子供も多くのストレスにさらされるようになったとは言えますが、過保護で甘やかされている面もあります。
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かつては児童精神科医という職業は成立しなかったし実際にほぼ皆無であった。なぜか?
そもそも精神の発達や成長とは子供が様々な精神病的・神経症的問題に陥りつつそれを克服していくことである。
従って、多少の神経症的問題は発達上の必要なプロセスでもあり、治療の対象にはならないし、すべきでもない。
もちろん精神医療に治療はできない。
そのある段階で優位な神経症的もしくは精神病的な状態に戻って、そこから抜け出せなくなっているのが精神疾患の症状である。(悪性の退行と固着)
逆に良性の退行により健康的な精神を取り戻すことが治療にもなる。子どもの頃は精神的には健康的なものである。神経も生き生きと働いている少なくとも殆どの人は大人になってからよりも。
一見、異常にあるいは奇妙に見える、病的で重篤な精神疾患といえども、普通の人に全くないことを症状として呈しているのではなく、程度や時期や状況の問題であるともいえる。
これを理解している人は精神科医に限らず殆どいないが。
優れた天分を持つ人が、若い頃から純粋に深く苦悩すれば精神的な危機に陥るのはむしろ当然であり、優れた業績を残した芸術家や学者、思想家などは殆どそうだと言っていいくらいで、枚挙にいとまいがない。
またそれを乗り越えることを通さなくてはそうした才能・能力は開花、実現しないだろう。
中高年のうつ病なんていう人の苦悩と同じようなことを10代の頃から、とっくに先取りしているわけで、まだ若いのでそれなりに元気はあり、典型的なうつ病みたいにはなり難い。
そうした若い人も少なくなり、芸術家や学者なんかも小ぶりな人ばかりになった気がする。中高年の「典型的なうつ病」も殆どいなくなったと思う。苦悩することは目先のことや自分とせいぜい周辺のことばかりか…
♪ドブに落ちても根のある奴は~ いつかは蓮の花と咲く~♪

ドブもなくなったけどな。花が咲かなくても悪い人生とは言えないが、薬漬け廃人ではそうも言えないだろう。
感染症にもならなければ免疫がつかないので健康でもありえない。ということは精神的な病気や健康についても言える。
純粋培養で育った人間は保育器から出せば途端に病気になる。現実にはありえないけど。
強迫神経症になってはいけないが、何事かを成し遂げるには強迫性も必要である。
不安や恐怖を積極的に持たない人間は、トラブルやリスクに対する認知能力も対処能力も身につかない。幼児の頃なら大人が守ってあげればよいだけかもしれないが、いつまでも過保護は子供をダメにする。
また「神経症的能力」を身につけてそれを生かすことも発達において必要なことでもある。
強迫的能力を持たない者は、一廉のことを身に着けたり成し遂げることもできないだろう。
皆が好きな受験戦争に勝ち抜いて一流大学に入ることでさえも、強迫的、完全主義的学習能力が必要である。
強迫神経症の人は強迫観念や行動が問題というよりも、それが有用なことには生かせず無駄で有害なのが問題だろう。それなりのことを達成する人もいるが、自分や他者に有用な強迫行動はむしろ乏しいことが多い。
不安もしくは恐怖神経症の人は無用な不安や恐怖に憑りつかれていても、持つべき不安・恐怖はむしろあまり持たず、そのための対処能力が低いのが問題だろう。強迫神経症の人は強迫的になるべきことではあまり強迫的にはならない。単純化していえば。
但し、もちろんそれも理由があってのことであり、基本的には現在のことではなく過去(主に幼児期)のことに反応、影響されている。
また、ほぼ健全な発達といえども、子供は不均等発達するものであり、同年代の子供より著しく劣っている面があっても、少なくとも一時的には普通である。
必要なことは「普通の適切な養育者の対応や教育」であり、もちろん薬や精神医療ではない。
多くの場合、年齢が進むにつれて「発達凸凹」は目立たなくなる。(これも精神科医や教師や毒親が使うし基本的な認識の誤りを伴っているのてあまり使いたくない言葉だが)
数学など天才的な能力を発揮する子供もいるが、簡単なこともなかなかできない盆暗もいる。しかし、そのような勉強嫌いの子でも、小学校高学年ともなれば掛け算割り算ができない子は殆どいない。
因数分解などとっくに忘れた大人は多い。それができなければ微分・積分もできないはずだが。
連立方程式さえ忘れた大人も多いだろう。殆どの人には日常的には必要なく、必要なら身に着ければ良いだけだ。
大器晩成なんて言葉はもはや殆ど死語ではないだろうか?
昔は手のかかる子供の方が可愛いなんて親も教師も良く言ってたものである。
確かに虐待は増えたし、(暴力や遺棄など)犯罪的な虐待の範疇には入らない、精神的虐待は元々多かったし、それは傍で見ていたとしてもわかり難い。
あまり使いたくない言葉だが「毒親」としか言いようがない人は、昔から少なからず存在した。
そうした場合、子供の方は青年期以降、重篤な精神疾患に陥ること必至だが、子供の頃にはむしろ問題は表面化しない場合が殆どである。
親は自分の育て方は問題なく、むしろ良かったはずだと正当化する。
「他愛的な子供は身を亡ぼすのが常である」、「手のかからない良い子ほど危ない」そうした子供こそ後に重篤な精神疾患になったり問題が起こりやすい、などとはよく言われていたことである。
前項でもココにそうした例を挙げておいた。
「ある同級生(統合失調症)」
仮に将来重篤な精神疾患に陥ることが分かった子供がいたとしてとしても、精神科医にできることはなく(せいぜい優しくお話を聞いてあげる位か)、むしろ無自覚に親と一緒に抑圧し、精神的虐待のお先棒を担いだり,増長されてしまうのがオチである。
かつては実際にはそういう子どもが、発症以前に精神科を受診することはほぼ皆無であり、受診しても精神科医にできることは全くないし、発症してから受診してもらうしかなかった。
(といってもやはり薬漬けだったが)
向精神薬は必要悪ではあっても良くなるわけではない、という認識は当然で、まして予防に使えるものでは到底あり得えずそんな発想をする愚か者は精神科医と言えども皆無であった。
ベンゾ系安定剤の有害さについてもそれなりには知られており、大して効果がないこともわかっていた。
実際に神経症的問題で精神科を受診しても、多少のことは「あまり気にするな、誰でも多かれ少なかれはある」などと言って帰すことが多かった。
従ってホントの発達障害でも、発達障害(誤診)でも児童精神科医の出る幕などない。
ふた昔位前のまともな精神科医には、そのくらいの理解や分別はあったのである。
今の精神科医を教育・指導したのはそういった先輩精神科医ではなくではなく、製薬会社の営業の人である。
(教育というより洗脳であるが。)
今はプロパーではなくMRって言うのか?何の略だ?
脳の伝達物質云々は実際にあっても原因ではなく結果である。なるべく原因に近いところで治療を行うのが当然であるが、いつの間にか精神医療に限らず医療の常識ではなくなってしまった。
エビデンス主義は本質的治療よりも目先の利だけの追及となり、対症療法自体が医療の目的化した。
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児童精神科医が出始めたのは、摂食障害など比較的早く発症する例が増えたのがきっかけであろう。治療ができるわけではなくとも栄養補給などとりあえず医療的な必要な面はあった。
不登校が問題になり、多くの場合は神経症的問題を抱えているのも事実であった。後に触れるがこの傾向は今は随分違ってきている。
それでも我々が若い頃は児童精神科医を自称するものなど数えるほどもいなかったのである。大人の神経症でさえ基本的には精神医療の対象外で、実際に受診する人も殆どいなかった。
しかしここ数年、自称児童精神科医も雨後の筍のように増え、精神科医と言えば猫も杓子も発達障害(誤診)と言い出し、子供まで餌食にして薬害を広めるようになってしまった。
発達障害(誤診)拡大は虐待やいじめなどの問題から目をそらし、見て見ぬふり、否認するためでもある。 実際にADHD等、発達障害(誤診)とされている場合、精神的虐待であることも多い。いじめも大人の目から隠れて行うことが多いので見過ごされやすい。
向精神薬は控えめ、カウンセリング、精神療法と言ってもそんなことが精神科医にはまともにできるわけではなく、薬漬けのためのアリバイ作り、口実づくりでしかない。
薬は使わないずに治療の努力をしてきましたが、やはり発達障害(誤診)遺伝の脳の病気なので薬が必要です、というわけです。
服薬すれば一時的には「効果」のある場合も一部はあるので、受診が必要だと錯覚してしまう。もちろんその「効果」さえ長く続くことはない。
子供にって向精神薬は脳破壊薬でしかない。もちろん大人にとっても同様だが、まだ脳が発達途上にある子供に対する有害さ危険性は桁違いに大きく、結局の所、薬漬け、ホントの障害者(薬害性の中枢神経障害)にさせてしまう。ハッキリ言ってしまえば化学的虐待である。
親や教師、臨床心理士や心理カウンセラーでさえ本来の役割を放棄し、有害さしか発揮しない危険な児童精神科医に丸投げ。
悪いのは教師ではなく学校の責任ではなく、もちろん親の育て方や家庭環境でもなく、子供が悪いのでもないけど、問題は子供の脳の病気・発達障害(誤診)だというわけです。
学校、教師、親と精神医療の間に現実歪曲空間が形成され、子供はそこから逃れることができない。
モンスター・ペアレントという言葉も殆ど死語になりつつあるようです。「毒親」という言葉は今でも患者は良く使うけどタブーかな。あまり良い言葉ではない。毒親もそうならずをえずなるべくしてなっており、被害者でもあり自分では直せないのだから。
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既に被害甚大だが、まだまだ被害の拡大はこれからである。
というのは、発達障害(誤診)ブームはもうすでに何年も前から激しい勢いで拡大しており、何と!児童精神科医を受診するだけでも半年待ちだったりするからである。
教師などから受診を勧められても(というより強要されても)まだ未受診の子供も多く、既に精神医療の毒牙にかかった子供は全体から見ればそれ程多くはない。
自殺者の数は(反精神医療派のおかげで)近年は僅かながらも低下しているのに、若い人の自殺が増えているのはそれが要因もである。SSRIによる賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームも若い人の方が起こりやすい。
酒でさえ全く悪いとは言わないが、徐々に脳を破壊させる。我々くらいの歳にもなれば、ほぼ毎日飲んでる人と、飲まないかもしくは時々しか飲まない人とでは随分差が出ている。
やはり前者は身体の病気にもなっているが、酒が明らかに脳に悪影響があることがわかる。精神科医や一般の人、もちろん本人には特に、にわかり難いが。
なぜ子供に酒を飲ませてはいけないのか。向精神薬よりは酒でも飲ませた方がまだましだが、さすがに子どもに酒を飲ませるバカは滅多にいない。
このままの勢いだと、普通より健康的な子供でさえ発達障害(誤診)とされ、殆どの子供が発達障害(誤診)とされてしまう。
不健康な子供より、むしろ子供らしく素直で健康的な子供の方が発達障害(誤診)とされる傾向さえ既に起こっている。
そういう子が生きにくい時代だという背景はあるにしても。
Sさんの子供も学校で発達障害(誤診)扱いされて、教師に精神科の受診を勧められたと言ってたな。
「うちの夫は精神科医なんですけど」
結局の所、アクチベーションシンドロームによる自殺を免れて命が続いたとしても,障害年金や生活保護をもらって廃人的障害者の人生か。
そうなると、もちろんそれを支える人も必要である。税金、保険料も上がるばかりだ。
まともな医療が行われているなら消費税の増税など必要なかったはずである。もしくは税金は上げても保険料は下げることができるはず。
「このままだと、この国は医療で潰される」ある医療ジャーナリストの言、決して大げさではない。
「子どもを精神科医に近づけてはならない」
この項、続きは…、こちらをご覧ください。
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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