国語(現代国語、現代文)の勉強は大事です

【国語(現代国語、現代文)の勉強は大事】

国語(現代国語、現代文)の勉強は大事です。
文章が読める、書けるつもりでも意外にできていない人が殆どです。文章がきちんと読めなければ問題文の意味もよくわからないし、上手く書けなければ回答も上手くできない。
当たり前ですが、なかなか自覚するのも難しい。

国語は短期の学習で成績向上につながるだけでなく、他の教科の学習にも役立ちます。
英語を読解したり書いたり訳したりするためにも、もちろん国語力は必要です。
論理的な思考ももちろん大事で、理系の科目だけやっても半分位しか身につかないのでは?

数学の本質は計算ではなく、言葉の定義や操作です。円周率とは3.14でもπでもなく、円の直径と円周の比率ですが、それが何を意味するのかが問題です。
逆に数学の勉強は言葉の勉強、論理の勉強とも言えるでしょうけど。

大学教師をやっているときに、国家試験の対策を担当していました。国立大学は基本、ほったらかしですが、私立だと合格率は学校の評判にも関わるし重要なので模擬試験だの卒業試験をやって、デキの悪い学生は留年させられる。それで授業料も随分余分に取れますが、学生や父兄の方もあと1年だけなら、となるわけです。

しかし、私のいた国立大学でもかなり落ちる人がいて、就職してから就職先にも迷惑をかけるし、クビになるし本人も困る。臨床に役立つ勉強をしなくてはならないのに、いつまでもそんなことに時間や労力を使うのも無駄と言えばムダ。

そのときに思ったのはやはり国語力が乏しい学生が多いということです。必要なのは主に読解力ですが。
あまり成績の良くない学生が、よく「引っ掛け問題が多いから注意しなくてはいけない」などと言っていました。

基本、試験にはひっかけ問題はありません。特に入試や国家試験などには。
もしそのような誤解を招きやすい問題があったとしたら、不適切問題になるので問題をつくる段階で徹底的に排除されるか、採点対象から外されるはずです。

要は、問題はわかりやすく誤解がないように書かれているのに、自分が勝手に誤解して勝手に引っかかっている。
逆に問題を正確に読むことができれば、ヒントになるようなことが問題文にはいくらでも隠されています。推論も必要ですが。

その勝手にやたらと引っかかっている学生は、普段もこちらが言わんとすることの意味や意図がうまく伝わらず、やはり話が通じ難かった。

あまりでかい声では言えませんが、私は現役のとき現代国語は得意になりましたが、漢文・古文の勉強はほぼ全くやらず完全に投げていましたが、入試のときに時間が有り余っていたので、問題を見ていたら答えがけっこうわかった、もしくは推測できました。
もちろん合格した。

最近の事情は知りませんが、その頃のリハビリ国家試験の合格点は6~7割程度と言われていました。
マークシート方式で5択から選べば良いので、デタラメでも2割とれるし、高校程度の勉強をそれなりにやっていれば半分はとれるのでは?とさえ思えてしまう。
もちろん3~4年も専門の勉強をしていれば、合格できるのが当たり前で、実際に自分の卒業した専門学校は創立以来、一人も落ちた人はいませんでした。しかし国立大学を出ても落ちる人がけっこういるのです。

※国語が苦手な人は…

とりあえず、国語が苦手な人は文章の読み方が荒く、正確に読んでいません。
推測して考えるのは良いのですが、文章を正確に理解せずに、著者の考えや意図に自分の勝手な推測を紛れ込ませてしまう、思い込みや先入観を持って読んでしまい、それを修正できない、といった問題もあると思います。
当然のこと、問題文を読むときにもそうした傾向があり、知識があって答えられるはずでも、問題を読む時点で正答から外れてしまいます。

よく本を書いた人が、自分の書いた本が国語の入試問題に出題されたのでやってみたら、あまり点数が取れなかったなどと言う話がありますが、これはある意味では当然と言えば当然です。
問題を読んで得られることだけしか回答にはならないので、いくら著者の考えや言いたいことを理解していても、あるいは推測して当たっていても、それで答えるわけにはいかない、そうでなくては答えられない問題は問題として不適切です。

もちろん、大学に入ってからも仕事をするようになってからも文章を読んだり書いたりすることは重要です。
これも大学教師をしている時によく思ったことですが、ちょっと難しい文章になると途端に理解できない学生がよくいました。高校までの教科書にはあまり難しい文章は出てきませんが、専門書となるとどうしても文章も理解が難しくなります。

やはり専門的な知識を得るには本を読んで理解して勉強する、ということも大事ですが、文章が理解できないのでは勉強にならない。頭が悪いわけでもないし、英語もそこそこできるのに、日本語を読む能力が乏しい学生も少なくなかったと思います。

「読み、書き、そろばん」とはよく言ったもので、もちろん聞く、話す、ということも含めて。
「そろばん」は現代ならさしずめパソコンですが、当時は普及し始めた頃で、基本的なことはできた方が良いと言っても意外に抵抗を示す学生がいました。まだ、若いのに。
研究とか言っても使えないので、私はパソコン教室の先生じゃないんですけど、ずいぶん教えました。物理の先生はBASICとか教えてたけど使い物にならない。

ある卒業生に「何でやらないのか?」と聞いたら、「パソコンができたら仕事を頼まれて断れない。だから憶えないようにしている。」と言われて唖然としましたが、それから何年もしないうちに電子カルテが普及し、使えない人は医者でもリストラという事態にもなりました。
「仕事はやった奴が勝ち」です。

とりあえず、今は良い参考書や問題集もあります。
きちんとやれば短期で国語力はつくはずで、国語の成績だけでなく、他の教科の成績も上がるはずです。
もし回答を間違えたら、なぜ間違えたのか徹底的に自分の認識や理解、思考回路の検証が必要で、こうしたことは他の学問分野や人間関係など様々なことに役立つ、というよりむしろ必須のことです。。