なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)

なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)。
精神科医も患者もバカだから、騙し騙されたのか?
そういう面もあるだろうけど、人間なんてそもそも愚かで弱いものだ。
そこから出発するしかない。
アンタかてグーミンやろ、ウチかてグーミンや。ほな・いこか
(ハナ肇、古いなぁ)
本来医療はなるべく原因に近いところから治療を目指すべきだが、近代西洋医学は無自覚に目先の対症療法を目的化させてしまった。
原因と結果の逆転は精神医療においては甚だしい。
「うつ病はセロトニン不足」⇒原因ではなくせいぜい結果の一面だ。
もちろん悪しき資本主義、金儲け主義という面はある。
医療は患者を簡単には死なないように悪化させ、ずっと精神科病院に通わせれば一番儲かるし、最も優れたビジネスであり、その意味ではあらゆる産業の中で医療は最も成功した例と言える。
現代ビジネスは、いかに相手から恨みをかわないように、恨まれても反撃されないようにしつつ、相手から最大の利益を得るか、というのが無自覚に目的化されている。一方では、消費者は自分にとって有利で合理的な行動をするのだから、需要に対して供給し利潤を追求するのは善であるといった価値観が、無自覚な自明の前提になっている。
近代資本主義には常にこうした矛盾や欺瞞を内包しており、その乖離は精神医療において最も甚だしいと思う。
医療訴訟が起こり裁判沙汰になっても医療側は負けないし、負けても損失は僅かで、痛くもかゆくもないし、そもそもコストに織り込み済み、もちろん暴動など起こりようもない。
製薬会社や精神科病院・心療内科に対する焼き討ちなど起こって当たり前という気もするけど、もちろんテロは許されません。
しかし精神医療過誤・向精神薬害の本質は、金儲け主義でも、「陰謀論」でもないと思う。
「陰謀論」なんて昔は左翼の人が言ってたもんだ。若い頃の私は左翼ではなく、エコロジストだった(まだそんな言葉はない)。「自分たちさえ、目先のことさえ良ければというのは最もエコに反する」とか言ってた。(若気の至り)
しかし、なぜ良くなりもせず有害な向精神薬を使うのか?
それ以前にそれが認識されないのか?といったことは、随分長いこと、少なくとも40年以上は考えてきたが、正直なところ未だによくわからない。殆どの精神科医はもっとわかっていないはずである。
もっとも、かつては向精神薬が処方されるのは重症な精神分裂病患者が殆どで、それも良いことだとは思わないが、一部の場合については必要悪という面も認められないではなかった。
優生思想、もちろんそれもあるだろうけど。
精神科医は表に出さずとも前近代的な優生主義の人が多い。自分たちはエリートで優性とでも思っているのか?「医者に非ずは人に非ず、まして患者においてをや」
もちろん一般の人も多かれ少なかれ優生思想を克服・脱却できていないだろうし、そういう面は私も無いわけではないが、それを克服する努力は常々してきたつもりだ。
いつものことだが前置きが長くなっても何だし、他の人たちが言ってることをここで繰り返してもしょうがない。
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ほぼ全方面から反感をかいそうなので、というより仕事に支障も出そうなので、正直、今までブログに書く勇気もなかったんですが、ズバリ言ってしまうと…
精神医療過誤・向精神薬害の本質は「抵抗・防衛」「転移」といったことであると思う。
精神分析的に言えば。
「抵抗」とは…、
患者は意識的、主観的には良くなりたいけど、無意識的には良くなりたくない。良くなることは無自覚に抵抗し拒否する。
「防衛」とは、抵抗と表裏一体みたいなもんだけど。
患者は辛い症状は取ってもらいたいが、自分の病理性はむしろ手放したくない。無意識に病理性を防衛し固守しようとする。
「防衛機制」というのは抵抗・防衛の分類でもあるが、一般的には臨床上というよりその日常的な現われ。これは中学の保健体育や高校の倫理社会の教科書にも書いてあるので、覚えている人も多いと思う。
否認、退行、解離、抑圧、反動形成、分離、打ち消し、投影(投射)、取り入れ(摂取)、知性化、合理化、向き換え(自虐)、昇華、分裂、といいったアレである。
私はこれを教科書に見つけたとき、こんなに凄いこと、役に立つ正しいことを中学生に教えしまって良いものだろうか?教科書会社や文部省はどうなってるんだ!と驚いてしまった。(授業ではやらなかっと思うけど)
文字通り中二病だったので、教科書に書いてあることは勉強する前に疑え、と全く勉強はせず、中学三年でフロイトの「精神分析学入門」を読んだが、中学三年間を通して勉強したことはそれ以外には殆どないように思う。
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当然、患者さん当人は認めたくはないだろうし、反感もあり、反発するだろうけど、主観的には良くなりたいが無意識には実は良くなりたくない。
無意識にあるということは「ある」というだけではなく、意識せずとも行動や結果に必ず現れるということである。
したがって、いくら有害なものでもあっても患者側に精神医療、向精神薬漬けを求める「合理的なニーズ」があったことになる。
「新型うつ病(実際にはディスティミア神経症だろう)」の人に疾病利得感情を見出す人は多いだろうが、そうした人でなくとも患者の多くは意外に病識が無い。
もちろん自分の苦しい症状には自覚しているが、自分の精神の健康や幸福を阻害している本当の理由、要因を認識して理解し、それに対処することを避ける傾向がある。
それは過去の心的外傷(トラウマ)についてもそうだが、現在の自分のあり方についても。
これでは悪しき精神医療、対症療法至上主義に引っかかってしまうのも当然である。
病気の症状(痛みや熱など)は病気の原因でも本質でもなく、痛み止めと解熱剤だけでは患者は死んでしまうかもしれない。風邪のように短期で自然に治る病気ならば、それでもいいだろうし(良くないという話もあるが)、対症療法も必要悪という面は否定できない。
しかし、向精神薬による薬物療法は対症療法としても甚だ有効性に乏しく、もちろん有害性、危険性は高い。
精神分析学の祖フロイトは、真の精神医療を阻害するこうした無意識の要因、心的機制を看破していた。
良い治療があっても、患者の病理性の克服のために有益なことであっても、患者はそれを無自覚に拒否するので、その前に無意識の抵抗・防衛や転移を意識化、自覚・対象化して克服する必要がある、というのが精神分析の出発点であろう。
そのために必要とされた精神分析療法、自由連想法は治療法ではなく、探索法・研究法である。患者にとっても分析者にとっても。
治療はなくとも膨大な時間や労力、お金をかけてもその意義があるとされたのである。実際にそうかもしれない。
従って、多少とも精神分析をかじっている人の中には、精神医療過誤・向精神薬害の原因に抵抗・防衛を見出す人もいると思う。
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ここからは殆ど誰も言ってないのではないか?
基本的な見方や考え方としては既に精神分析の中にもあるけど。
実は治療者側、精神科医にも臨床心理士や心理カウンセラーにも、患者の友人知人など周囲の人(特に親や家族)にも起こる。しばしば患者本人以上に激しく。
これに気づいている人は殆どいない。
患者本人よりも、親や家族、場合によっては親友など周囲の人の方が、自分と他人の区別がついていない人が多い。親離れ子離れは、精神の自立は精神発達上だいじなことだが。
抵抗・防衛や転移は無意識の心的機制であり、患者に起こるものと考えるのが一般的であるが、それはきちんと教育や訓練を受けた精神分析医や心理療法家が適切なセラピーを行っている場合のことであって、実際の精神科医と患者関係の場合はむしろ逆の方がはるかに多い。
もちろん無意識に起こることであるから、精神科医本人には自覚されない。
それ以前に、ほとんどの精神科医は精神分析否定、否認であり、抵抗・防衛や転移といった概念について知識はあっても理解している人は殆どいない。
(この問題についてはまた項を改めて論じるつもりです。)
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上述のような両者の無意識の心的規制によって、ものの見事に患者と精神科医、需要と供給の利害が激しく合致してしまうのである!!
精神科医とて患者を害したくて害するわけではない。少なくとも当初は患者の役に立ちたい、救いたいという思いはあったはずで、主観的にはその後もずっとそうかもしれない。また、精神医療は100%有害というわけでも、もちろんない。
「精神科医は合法麻薬の売人です」なんてブログもあるし、実際にかなり正しいけど、だからこそ患者も精神医療に群がる。
違法性がなくて安ければ麻薬、覚せい剤の類をやりたい人はいくらでもいるのではないか?ちょっとくらいお試しなら。
「覚せい剤やめますか?人間やめますか?」なんてフレーズは知らない人はいないだろうし、とっくに耳タコでも。
脱法ドラッグ、危険ドラッグも蔓延しているが、この手は長い歴史の中でもあとをたたない。
酒は過度でなければ害は少ないが、過度をとっくに通り越した飲酒者が非常に多いのも似たような事情ではある。
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向精神薬害を唱え、断薬、減薬すべしという人も、薬害に気づく患者も多くなった。
しかし不思議なことに莫大な被害を蒙っている患者当人が断薬、減薬に抵抗する。もちろん薬物依存(精神依存)はそのようなものであるが、効果が無く症状は改善せず、ひどい副作用に悩まされており、様々な身体病さえ引き起こしているのに、そういう人が薬物肯定派だったり、減薬・断薬が必要なことはわかっていても受け入れなかったり。
そんな例は数えきれないくらい見ている。
※断薬・減薬の指導をしているわけではありません。(念のため)
もちろん苦しい離脱症状が嫌だというのもあるし、向精神薬のため脳が上手く働くなり判断ができなくなるという理由もあるが、それだけでは説明がつかない。
既に精神科医(加害者)と患者(被害者)の間で、負のラポール、奇妙な相互信頼関係に基づいた主従関係が形成され、ストックホルム症候群のようになっている場合が多いのである。
負のラポールは、独裁者と国民、DVカップルの共生関係、重症なアルコールや薬物依存症者とその妻など,患者と毒親、などに優位、支配的であり、実際に重症患者にはそのような人間関係以外を殆ど知らない人もいる。
ストックホルム症候群とは「誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意、信頼などの感情に基づいた関係形成」のことである。
もちろん、薬を飲まなければ悪化する、医者の言うことを聞かない患者は診察しない、薬を処方しないという脅迫に屈する場合も多い。
背景には医療信仰、薬物崇拝などもあり、「医療」に背くこと、薬物を捨てることに罪悪感をもつ人も多い。
周囲の者だけでなく、友人知人会社関係の人など、殆どの人はちゃんと受診し、精神科医の言うことを聞いて、きちんと服薬して、というわけなので社会的には精神医療過誤、向精神薬害を阻止する要素は殆どない。
これは悪質信仰宗教や悪質セミナーなどのシステム、メカニズムと同様であるが、精神医療問題は社会には殆どその歯止めがない点が大きく異なるのである。
世間を揺るがせた「オウム真理教事件」も対象化、検証・理解がさほどされないまま風化しつつある。
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精神疾患を脳の病と考え、原因となるトラウマを無視、否認するということはどういうことか?
トラウマ-過去の出来事が現在の患者の心を苦しませ続けるということを無視することは、当然のこと心の痛みや苦しみだけでなく、身体的苦痛も無視することになる。
他者の痛みを見たり知ったりすることは、自分にとっても痛みになる。
それが解離しており、自覚されないのである。
いじめ問題も同様である。
普通の人間は虐めの現場を見ることができない。自分が苦痛だからである。
だからこそ、虐めを見て見ぬふりするとも言えるのだが。
しかし、人の痛みが自分の快感という場合ももちろんある。
犯罪者などがその例だが、むしろ他者の苦しみこそが自分が癒されるという倒錯にさえ陥っている。
このような心的機制が精神科医に働いているのである。
電気ショックを行う精神科医はとても嬉しそうで楽しそうであるばかりでなく、使命感にあふれ自分の任務を遂行する戦士のように逞しくも凛々しくもあり、他者も同調する。
話を広げすぎかもしれないが、戦争防止のためには精神疾患=脳病神話を排さなければならない。
病因となるトラウマを無視することは、他者の心の痛みや苦しみを無頓着になり、否認・無視することになるからである。
戦争トラウマの影響は当然のことながら
殺人は孫の代から7代祟ると言われている。
当然のことながら子供は既に幼児期を脱しているからである。
kyupinのような精神科医には首を吊って自殺した人は窒息死、電車に飛び込んで自殺した人は外傷や多量出血で、薬物中毒死は心不全やその他の身体病で死んだものとしか認知されない。本質を理解できないのである。
死亡診断書の死因は本質的な死因ではない。
認知の欠落、認知の歪みを認知行動療法で治せるなら大いにやってもらいたいものだが、トラウマ否認、無意識無視ではハッキリ言って効果はない。
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従って、向精神薬害から逃れるためには、向精神薬に対する理解も大事だし、この世の仕組みを知るのも大事だが、ニヒリズムに陥ってももちろんダメだろう。
何よりも大事なのは、こうした無意識の抵抗・防衛や転移を理解し、克服する意思を持つことだと思う。
もちろんまず自分自身の無意識的行動や考えを対象化し自覚することも大切だが、精神科医や医療関係者の、ひいては世の中の人全体、社会全体の無意識の心理も理解する必要がある。
この視点は反精神医療派の人にも徹底的に欠けていると思う。
殺してしまおう 五つの赤い風船

この歌を初めて聞いたのも中学1年だったか。身につまされた。
先ほど改めて聞いたら、40数年間ずっと思い違いをしていて
「かわいそうけど」⇒「かわいそうだから」殺してしまおう
と誤解していた。
語弊もあるだろうし、多くの人に反感を買いそうだが、気分悪くなさらず読んでいただけ
れば…
(続けるつもりだが)

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