私の知ってる精神科医は優しく良心的な人ばかりです

【私の知ってる精神科医は優しく良心的な人ばかりだ】

私のブログを読む人の中には、そのように思う人も多いと思います。
「そんなことはない。私の知ってる精神科医は良い人ばかりだ。優しいし話もよく聞いてくれるし、薬の処方だって慎重でいきなり多剤大量処方をするわけではない」
もちろん、私はそういう精神科医も含めて批判しているのですが。

そういう人の話をよく聞いてみると、自分が良い精神科医だと思っているだけで、実際にはかなり悪質な精神科医だったりするわけですけど。
目先のことだけしか考えなければ、確かに優しくて良い精神科医かもしれない。

私の同級生も3年ほど前に、慢性薬物中毒、薬物依存症で亡くなった。友人たちの同級生も医療従事者なので「薬は良くないから止めたほうが良い」と止めたようだが、もちろん本人は抵抗を示し、言うことを聞かない。
「今の主治医は優しくて話をよく聞いてくれるし、とても良い先生」

実際、個々の精神科医はけっこう良い人だったりするわけです。マッド・サイエンティストみたいな人もいるけど多くはない。

私も直接、殆ど歳上で亡くなった人も多いが、間接何人もの精神科医を知っており、皆さん悪い人ではなく人当たりも良く、精神科医としてはよほどマシなほうです。
ホントに悪質なヤツも知ってるけど、こっちも向こうも避けるし。

いつも悩ましく思うのは「話はよく聞いてくれるし、薬の処方に関しても慎重」な医者の方が結果的にはかえって悪質ということになるのかも?
見るからに悪質で不適な悪質精神科医なら患者も避けるし、精神医療の評価も下がり、批判もされ見向きもされないだろうけど。
外面だけは良い精神科医が増えましたね。

反精神医療派、精神医療批判派にも同様のことが言える。
そうした人のおかげで、近年は向精神薬の処方に規制がかかり、10年以上前のように何十種類もの薬を服用している人は減り、今は多くても10種類くらいの人が殆どだ。
悪質精神医療の悪質さは弱まったが、延命させ問題を遅延させているだけかもしれない。

今の精神医療は壮大な「ミルグラムの実験」みたいなものだと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93

御存知の通り、科学的な心理実験と称して、検者を募り、電気ショックを与えるように指示する実験だが。
もちろん電気ショックは精神科病院でも行われているが、脳に与えるので苦痛は少なくとも危険性はもっと高い。

「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。

ミルグラムの
実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言われた。

誰にそんな残虐なことを指示されているのか、求められているのか?と言えば科学者と言うか精神医療全体であり、精神医療を求め来る患者であり、その家族や学校の先生だったり、社会全体であったり、科学者、医者としての良心と倫理に基づく自分自身だったりするわけである。

むしろ「医学的権威」のもとに、良心や倫理観、現実認識は解離され隠蔽意識となり、奇妙でサディスティックな義務感でやっており、「発達障害」と称して子供を精神医療につなげる教師や親にも感応現象が起こっており、その同調者(共犯者)にもなっている。

ミルグラムの「科学的実験」を途中で拒否したのは宗教家だけだったといわれている。
要するに科学的権威とは別に従うべき宗教的権威があり、それに従ったのである。

精神科医は精神医学的権威に従っているだけで、奇妙な義務感として「精神医療」すなわち薬物療法や電気ショックや時期刺激をやっているだけだろう。
「善意の陰謀」と言われるように、殆どの場合、悪意があるわけではない。
自分たちが権威だと思っているおり、皆が皆同じだし、批判勢力もほぼ皆無。

俺が30年以上前、精神医療従事者だったの昭和の頃はそうでもなかったんだけどね。
「薬で治るわけはないし」「精神科医なんて所詮何もできない哀れなものだ」といった自虐的な人が多かった。
私のような者も受けいられる状況はあったし、若い頃から下へもおかぬという扱いを受けてきたのである。

それから後、精神医療技術が進歩したわけでもないし、精神科医が有能になったわけもちろんない。
学生の頃、2カ月ほど実習で行った病院は、民間病院ではあったが金儲け主義的ではなく割に良心的な病院であったが、当時患者にも職員にも嫌われていたマッド・サイエンティスチックな精神科医が院長になっており唖然とした。
乗っ取られたようなものだろう。

数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンも、真摯な義務感で「職務」に励む一介の平凡で小心な公務員に過ぎなかった。
問題はそういう木っ端役人のような者が精神科医のほぼ全てであるということだろう。

私は大学1年の頃、ほぼ引きこもりとなり、精神的の塗炭の苦悩にまみれ、自室に閉じこもってのたうち回って過ごした。
大学2年になってようやく少しばかり立ち直ったのだが、そのきっかけは浪人していた友人たちも大学に入り、私と同じ大学に後を追うように入ったものも何人かいたからである。

そこで、わずかばかりの学問的意欲も取り戻し、ファシズムの研究をしようと思ったのである。友人の何人かもいくらかなりともそういった問題意識があった。
私にとって当初からファシズムとは経済や社会、政治や思想の問題であるより、無意識の社会病理、集団心理の問題であり元々は個人の病理性の問題である。

そんなことを勉強しても無駄だとも思ったが、後々の人生を考えると決して無駄ではなく、むしろまさにやるべきことであった。
そういうものです。若いうちにやったことは何事も無駄にはならない。むしろかならず役に立つ。
これは若い人にはぜひ言いたいことです。

結局、精神病のため本を読む根気や集中力も乏しく、たいした勉強はしないまま一応大学は卒業した。
しかし、卒業の年にこのセルフ・セラピーの基になるセラピーをとある民間療法家に受けて劇的に改善したので、何とか働けるようになり自転車店に就職した。以来40年、今日に至る。

当時読んだ本は以下のようなものです。
ノイマン「ビヒモス」、エリック・フロム「自由からの逃走」、ライヒ「ファシズムの大衆心理」、丸山真男「現代政治の思想と行動」、ハンナ・アーレント「全体主義の起源」、藤田省三「天皇制国家の支配原理」、ハーバーマス「公共性の構造転換」、戸坂 潤「日本イデオロギー論 —現代日本に於ける日本主義・ファシズム・自由主義・思想の批判」、神山茂夫「天皇制に関する理論的諸問題」