世界初、うつ病へのケタミン(合成麻薬)をAMPA-PETで検証

これもどうでもいい情報だけど

世界初、うつ病へのケタミンをAMPA-PETで検証|最新医療トピック|連載・特集|Medical Tribune (medical-tribune.co.jp)

ケタミンは合成麻薬で、だいぶ前からうつ病の「治療薬」として候補に上がり検討されてきたものである。

もちろん新型抗うつ剤 SSRIで治療になるわけはないし、効果と言えるものさえ乏しいのでさらに新しい薬物が求められていたわけで、効くことは効くのだろうけど。
他にもシロシビンなども検討されており、マジック・マッシュルームの成分らしいが。

その前にやることはいくらでもあるだろ。うつ病は心の風邪、受診し服薬すれば治る、うつ病は脳の病気、

などなど散々嘘を撒き散らして、多くの患者を重症化させるばかりでなく、新型抗うつ剤 SSRIの作用による賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)により自殺した人も何万人どころではないし、10年20年と向精神薬の長期服用する人が増えて慢性薬物中毒となり中毒する人が今は激増している。

そうした人たちや遺族に対して謝罪し補償するのが当然だと思うけど。立証は困難ではあるが。

仕事もできなくなったり、医療費だけでなく障害年金、生活保護などの社会保障費も激増させてしまった。

もちろん病院を受診して良かったと言える人もいないわけではないが、功罪半ばとも到底言えない。

「薬は飲んでも飲まれるな」  「気をつけよう甘い言葉と危ないクスリ」

今更こんな事言う必要もないと思うけど。新しい薬に期待する人などオオカミ少年じゃあるまいに精神科医以外には殆どいないのでは?

麻薬・覚醒剤と向精神薬の違いは効き目が弱くその分危険性も少ないくらいで、法律上の扱いが違うと言っても物質的には変わるわけではないし、まして精神科医が扱い処方してもらえば、うつ病が治る魔法の薬に変化するわけではない。
セロトニンを増やすなんて作用機序は違うらしいけどMDMAと同じだし。
効き目が弱けりゃより強い薬を求めるのは当然だ。

かつて反精神医療派の人が作った「向精神薬は合法麻薬です。精神科医は白衣の売人です。」などというサイトがあった。
だからクスリを求めて病院に行くんだろ、と言ったら反精神医療の人にも患者にも怒られたが。

「覚醒剤止めますか人間やめますか」なんてフレーズはもう何十年も前から誰でも知っているけど、今でもやる人は少なくないし、まして合法化され「害はありません」なんて宣伝したら、殆どの人は蟻のように群がり薬を求めるだろう。私はもちろん嫌だが。

もっともリア充というか健康的に過ごしている人が麻薬・覚醒剤をやっても気分悪くなるだけ、という話もあり、実際に薬物中毒・依存症経験者に聞いたら異口同音に「たぶんそうだと思う」ということだった。数人しか聞いてないけど。

新しい治療法として一時はもてはやされた磁気刺激治療も当然のことながら廃れたようだし。

もっとはるかに良い『治療法』があるのでいずれにしても不要だ。

抗うつ薬は健康関連QOLを長期に改善しない


抗うつ薬は健康関連QOLを長期に改善しない|精神疾患|臨床医学_薬剤情報|医療ニュース|Medical Tribune (medical-tribune.co.jp)

Antidepressants and health-related quality of life (HRQoL) for patients with depression: Analysis of the medical expenditure panel survey from the United States – PubMed (nih.gov)

一応リンク張っておきましたが、あまりにもバカバカしいので読む価値はないです。

「抗うつ薬の服用は、うつ病患者の健康関連QOL(HRQol)を長期には改善させないことが分かった。」当たり前だ。そんなこと調べなければわからない、ということ自体が問題だ。あまりにも愚かだとしか言いようがない。そのうえわかりもしないくせに長期服用させているんだから悪質と言っても良いだろう。

長期に改善しないから短期間なら改善するわけではもちろんない。短期的にはわずかながら改善したかのような影響、反応があるだけだ。新型だろうが旧型だろが、他の向精神薬でも基本的には同じ。

俺は子供の頃から重症患者だったが、そんなことわかりきっていたので病院にも行かなかった。
40年以上前の大学4年の時に、このセルフ・セラピーの基になった治療に巡り合って、劇的に改善したのは前にも書いた通り。

新型抗うつ剤 SSRIの作用による賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)や薬物中毒死などには全く触れていないし。

最後はお約束、お決まりの決まり文句
「うつ病患者は抗うつ薬を使用し続ける必要があるため、うつ病患者のHRQoLに対する薬理学的/非薬理学的介入の実際の影響を評価する長期的な研究が必要だ。さらにうつ病患者の全体的なQOLを向上させるにはうつ病の長期的管理における認知的・行動的介入の役割を評価していく必要がある」
なんだか、決まり文句さえも年々低レベル化しているようだ。
水戸黄門も30年もやってれば飽きられるだろうし、史実だと思って真剣になって見る人なんかそもそもいない。

かなり滑稽なのは、精神科医のコメント
「鬱病治療の目標は、改善ではなく悪化を防いで現状維持が第一目標でしょう。」
完全に開き直っている。もちろん変動はあるけど、そもそも悪化するような病気じゃないのに。受診服薬で悪化させているわけだが、それをまた薬で悪化を防ごうなんて、もう何十年やってるんだ。

これは一般の人だろうと思うけど。
(ちなみにMedical Tribuneは医療関係者しか一部しか閲覧できないが証明は必要ない。私はもちろん医者ではないが、医療関係の国家資格はあるので)
「そらそうでしょ 根本治療をしっかりやってないんだから。薬でうつは治せません」
根本治療なんてやっていない、というよりないし、もちろん精神科医は知らないしやろうとしもしていない。
「当たり前です。日本は製薬会社が販促のために『うつは心の風邪』だから簡単に内服薬で治るようなイメージを植え付けましたが、うつ病はそんな簡単な疾患ではありません。」

向精神薬の(副)作用は自傷や自殺だけでなく他害、事件も多い。

「死刑になって死にたいから、殺す」拡大自殺の実行者と車を暴走させる高齢者…その背景にある恐るべき真実 薬物の副作用で人はおかしくなる | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

精神科医の和田秀樹氏は、「薬の副作用が一因となって自分や人を傷つけようとしたり、体は起きているが寝とぼけた状態になって車を暴走させたりすることがある。警察やメディアは容疑者などが日頃飲んでいる薬を調べるべき。また、コロナワクチン接種後の死亡者を巡ってもワクチンの副作用・副反応との関係などをもっと開示するべきだ」という

和田春樹は精神科医と言うよりも受験の専門家だけあって時々まともなことを言う。

新型抗うつ剤 SSRIの賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)による自殺などは既に多くの人に知られているが、薬の作用には自傷だけでなく他害もあることはあまり知られていない。

最近だと、電車内の放火事件や同居の親族に対する放火殺人事件とか、車でバス停に突っ込むといった事件はおそらく向精神薬をやっている可能性が高い。

鬼束ちひろの救急車蹴っ飛ばし事件などの奇行も、違法薬物は検出されなかったようだが、まず間違いなく向精神薬の影響があるはずである。
松田沙也加の自殺においてもしかり。ある程度の期間、服薬すると止めるのも危険である。

かつて麻薬・覚せい剤などの使用者による犯罪が多かったが、今は処方薬(向精神薬)の服用者の犯罪が多い。それは警察の人も認めていた。

米国で時々起こる銃乱射事件の犯人の殆どは向精神薬服用者である。


ここでも精神科医にしては割にまともなことを言ってる。

東大医学部卒・和田秀樹「私が偏差値の高い子に東大医学部をお勧めしないこれだけの理由」

東大医学部卒・和田秀樹「私が偏差値の高い子に東大医学部をお勧めしないこれだけの理由」(プレジデントオンライン) – Yahoo!ニュース

彼が言うように、東大に限らず、精神や心は勉強も研究もしていない。いつの間にか脳神経医学専攻臨床神経精神医学講座になってる。関心ないから知らなかったけど、前からそうだっけ?

東大に入るのはそんなに難しいとは思えないけど(実際に学生のIQの平均は120程度らしいので、たいして地頭が良いわけではない)理IIIともなれば一桁違うはず。

頭脳の無駄遣いというべきか。所詮、価値のあることや有益なことには役に立つ頭脳ではない、ということか。受験勉強のやり過ぎでおバカになるのか?
今までの人生の中で殆ど勉強したことがない私にはわからないが、特に精神科医は事実から学ぶということが徹底的に苦手なのは確かだ。
実際に東大医学部出身者で知ってる人は数人くらいだけど、あまり優秀ではなかった。

もちろん他の大学も同じようなもんだ。
なり手がいないので、東北の某大学の落ちこぼれが各地方国大の教授になっているらしい。でも何年もしないうちに務まらないので辞めて、すぐに交代しているらしい。
それで教育が成り立つのか?って、もう随分前から実質的に精神科医を教育しているのは製薬会社の営業担当者だし。MRって言うのか?何の略だ?昔はプロパーと言ったと思う。

昔はどの大学の教授は誰でどんなことをやっているか、ある程度は知ってたけど。治療などできなくても、それなりに名の知られた学者研究者が多かった。もちろんとてつもなく酷いのもいたけど。俺が昔勤めていた地方国大もそうだが。関わりたくもないので一切相手にしなかった。


与太話です。

厚生労働省 公開リスト】 飲み続けないほうがいい薬 116(11/19)+ 医師の報告義務を文書で指示

【厚生労働省 公開リスト】 飲み続けないほうがいい薬 116(11/19)+ 医師の報告義務を文書で指示

http://blog.livedoor.jp/sagittariun/archives/13651666.html?fbclid=IwAR0OLfBKae3nkk2MVOanxmkU1C4lLrEA4n7nmrWYyPBE1Yffm0TDieQT46E

当然のことながら、睡眠薬、精神安定剤(抗不安薬)、抗うつ剤、抗精神病薬の殆どがリストに入っています。

今更ですが、楽観的に受け取れば厚労省もようやく重い腰をあげて、向精神薬等の薬害に取り組む姿勢を見せたということでしょうか?

期待したいところですがどうかな?

精神科病院から転院できず235人死亡、新型コロナ感染で

精神科病院から転院できず235人死亡、新型コロナ感染で
新型コロナウイルス

2021年9月15日 朝日新聞アピタル

https://www.asahi.com/articles/ASP9H5J76P9HULBJ00G.html?iref=pc_special_coronavirus_top

感染者数は3602人、職員は1489人なので感染率も高い。

このデータは日本精神科病院協会によるアンケートの結果なので、実際にはもっと多い。
1185の病院に対して、回答があったのは711病院、有効回答率は60%ということである。

これより少し後の9/14時点で、全国で死亡者は16,910人、死亡率は約1%なのでかなり多い。
だいたい感染率は5~6倍、死亡率は10倍くらいだろうかか。

こんなに多い理由としては、新型コロナに対応できる医療機関が「精神障害に対応できないため」転院できなかったためということだ。

精神科病院では「患者がマスクを着けなかったり、誤飲を防ぐために消毒液が置けなかったりして感染対策がとりづらい」といった理由もあるのだが。

昔から精神疾患の患者は一般の病院では診てくれない。したがって、(身体の)医療的な対応は、殆ど設備もなく専門の医師もいない精神科病院内でせざるを得ず、余程の場合、手術などはしてくれてもすぐに退院となり元の精神科病院に戻ることになるので十分なケアは受けられない。

そのため、病院に入院していながら一般の人よりも(身体の)病気への対処はしてもらえないのである。

もちろん、精神科病院に入院していてもやはり薬漬けで、あとは「作業療法」とかハッキリ言って医療的な対処は十分ではない、というより程遠い。

精神科病院に入院していてもろくな精神医療的対処をしていないのだから、一般の医療機関が「精神障害に対応できない」といっても精神科病院にいるよりマシなのかも知れないけど。

患者が暴れるとか言うことを聞かないということは、全く無いわけではないが、一般の人よりも素直で従順で「聞き分けの良い」患者の方が多く、他の患者や職員を煩わせることが少ないくらいので、そんなことは理由にならないと思うのだが、これが現実ではある。

ホントに精神科病院にいる患者は、特に昔の精神分裂病(統合失調症)の患者なんか、あれだけ退屈でつまらない所に長年押し込められていても殆ど問題を起こさない。問題を起こして連れてこられて入院した患者が多いのだけど。
要するに同類の患者同士はお互いに癒やし系なので、それ自体が治療的なのである。
職員が癒やし系というのはハッキリ言ってあまりないような気がする。
優しくて美人の看護師なんかも偶にいるけど、患者もそういう人には優しい。もちろん俺にも優しかった。

ただそれが良いかと言えば、そうとも言えず、だからこそ一般社会には適応できず、実際に退院した途端にまた具合が酷くなる患者も多いし、長年入院していても10年1日の如し、月日が経つばかりで発展性に乏しい。
今は長期入院は儲からないので回転だけは良くなったが、回転ドアみたいなもんで、戻るのは別の病院だったりするわけだけど。

昔、精神科病院に勤めている頃、何回か患者のレクリエーションとして日帰りバス旅行の引率をしたことがある。各病棟から看護師も2人位ずつ付添でくるのだが、やっかいなのは職員で患者には全く煩わされることがなかった。乗り物酔いの患者をケアしたりそのくらいで。

要するに「○:00に出発するからそれまでにバスに戻ってきてね」、と言っておくと必ず言うことを守り時間厳守するのは患者で、必ず守らないのは職員である。
患者はもっと見たり楽しんで時間ギリギリに戻ってくれば良いのに、時間よりだいぶ前に戻っている。
「もっとゆっくりすれば良いのに」

職員は話し込んだりお土産を物色したり、何だかんだで時間を守らないばかりか、「もう出発の時間ですよ」と声をかけても、文句ばっかりブーたれて言うことを聞かない。
何だかんだ小姑みたいにうるさいし。
職員のためのレクリエーションではなく患者のためなんですけど。

こんなことまで言うのも何だけど、死ぬ間際には大抵の重症患者は手がかからず、悟ったように死を受け入れて、というより予め悟っていたように臨終を迎えるのが殆である。
一般の人はいろいろだろうけど、健康な人もどちらかと言えば「悟って死ぬ」ことが多いように思う。

もう十分この世では苦しんだから、ということだろうか?
吾が世の罪の贖いのため…

長期に渡って向精神薬を服用している患者の寿命は平均より10~15年短いと言われている。
そんなこと調査研究はしないことになっているのでデータは出せない。
データを出しても因果関係が不明とされてしまう。
調べればわかることもたくさんあるはずだが、長期的な治験は事実上不可能なのだ。

やはり患者のことを理解せず、偏見に支配されているのは一般の人より医療関係者だったりする。
この世の摂理を悟っているのも患者の方かもしれない。

話がずれたが、やはり精神科病院の処遇改善も必要である。

万能薬の「ハッピードラッグ」新型抗うつ剤 SSRI、予測されていた副作用や危険性

「万能薬の「ハッピードラッグ」その思わぬ副作用とあの刺殺事件」

万能薬の「ハッピードラッグ」その思わぬ副作用とあの刺殺事件 (msn.com) 文春オンライン

僕らは新型抗うつ剤 SSRIが日本で認可されるずっと前から、こうしたことは知っており警告もしていたけど。

いまだに聞いてくれない人も多い。こうした記事だって当時から何度も出ている。でも、忘れ去られるよりもこうした記事が繰り返し出てくることは良いことだ。

うつ病はセロトニン不足なんてとっくに否定された仮設に過ぎないけど、一般の人はエビデンスがある、それが科学的真理だと思いこんでいる。

セロトニンを増やすって、MDMAと同じだ。作用機序は違うようでそっちの方が強力だから、薬を服用してもうつ病が治らない人は麻薬をやるべきだ、って精神医学の流れはそうなっている。大麻やケタミンとか、そういうのを早く普及させろ、認可しろというのが精神科医の切なる願い。患者もかな。

そうしないと生き延びることはできないけど自滅するだろ。精神科医、精神医療だって。

だからこっちは手を差し伸べているのに。

私の知ってる精神科医は優しく良心的な人ばかりです

【精神医療は壮大なミルグラムの実験(アイヒマン実験)か?】

私のブログを読む人の中には、「私の知っている精神科医にはアンタのブログに書かれているような悪い人はいない」「私の知ってる精神科医は良い人ばかりだ。優しいし話もよく聞いてくれるし、薬の処方だって慎重でいきなり多剤大量処方をするわけではない」そのように反発を感じる人も多いと思う。

普通の患者が何人かの精神科医を知ってる、ということ自体、良い精神科医がいないということだと思うけどね。皆が良い精神科医なら1人かせいぜい2人に罹れば良い。あちこち転々としなければね。

もちろん、私はそういう精神科医も含めて批判しているのですが。私自身精神病が酷くなってから半世紀にもなるし、この業界も長いし、精神科病院にも国立大学の医学部にもいたことがあるので、少なからぬ精神科医は知っていますけど。

そういう人の話をよく聞いてみると、その人が良い精神科医だと思っているだけで、実際にはかなり悪質な精神科医だったりするわけですけど。
でも目先のことだけしか考えなければ、確かに優しくて良い精神科医なのかもしれない。

私の同級生も3年ほど前に、慢性薬物中毒、薬物依存症で突然死した。友人たちの同級生も医療従事者なので「薬は良くないから止めたほうが良い」と止めたようだが、もちろん本人は抵抗を示し、言うことを聞かなかった。
「今の主治医は優しくて話をよく聞いてくれるし、とても良い先生」

実際、個々の精神科医はけっこう良い人だったりするわけです。マッド・サイエンティストみたいな人もいるけど多くはない。

私も直接間接何人もの精神科医を知っており、殆ど歳上で亡くなった人も多いですが、皆さん悪い人ではないし人当たりも良く、精神科医としてはよほどマシなほうです。
ホントに悪質なヤツも知ってるけど、こっちも向こうも避けるし。

いつも悩ましく思うのは「話はよく聞いてくれるし、薬の処方に関しても慎重」な医者の方が結果的にはかえって悪質ということになるのかも?
見るからに悪質で不適な悪質精神科医なら患者も避けるし、精神医療の評価も下がり、批判もされ見向きもされないだろうけど。
外面だけは良い精神科医が増えましたね。

反精神医療派、精神医療批判派にも同様のことが言える。
そうした人のおかげで、近年は向精神薬の処方に規制がかかり、10年以上前のように何十種類もの薬を服用している人は減り、今は多くても10種類くらいの人が殆どだ。
悪質精神医療の悪質さは弱まったが、延命させ問題を遅延させているだけかもしれない。

今の精神医療は壮大な「ミルグラムの実験」みたいなものだと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93

御存知の通り、科学的な心理実験と称して、検者を募り、電気ショックを与えるように指示する実験だが。
もちろん電気ショックは精神科病院でも行われているが、脳に与えるので苦痛は少なくとも危険性はもっと高い。

「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。

ミルグラムの
実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言われた。

誰にそんな残虐なことを指示されているのか、求められているのか?と言えば科学者と言うか精神医療全体であり、精神医療を求め来る患者であり、その家族や学校の先生だったり、社会全体であったり、科学者、医者としての良心と倫理に基づく自分自身だったりするわけである。

むしろ「医学的権威」のもとに、良心や倫理観、現実認識は解離され隠蔽意識となり、奇妙でサディスティックな義務感でやっており、「発達障害」と称して子供を精神医療につなげる教師や親にも感応現象が起こっており、その同調者(共犯者)にもなっている。

ミルグラムの「科学的実験」を途中で拒否したのは宗教家だけだったといわれている。
要するに科学的権威とは別に従うべき宗教的権威があり、それに従ったのである。

精神科医は精神医学的権威に従っているだけで、奇妙な義務感として「精神医療」すなわち薬物療法や電気ショックや時期刺激をやっているだけだろう。
「善意の陰謀」と言われるように、殆どの場合、悪意があるわけではない。
自分たちが権威だと思っているおり、皆が皆同じだし、批判勢力もほぼ皆無。

俺が30年以上前、精神医療従事者だったの昭和の頃はそうでもなかったんだけどね。
「薬で治るわけはないし」「精神科医なんて所詮何もできない哀れなものだ」といった自虐的な人が多かった。
私のような者も受けいられる状況はあったし、若い頃から下へもおかぬという扱いを受けてきたのである。

それから後、精神医療技術が進歩したわけでもないし、精神科医が有能になったわけもちろんない。
学生の頃、2カ月ほど実習で行った病院は、民間病院ではあったが金儲け主義的ではなく割に良心的な病院であったが、当時患者にも職員にも嫌われていたマッド・サイエンティスチックな精神科医が院長になっており唖然とした。
乗っ取られたようなものだろう。

数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンも、真摯な義務感で「職務」に励む一介の平凡で小心な公務員に過ぎなかった。
問題はそういう木っ端役人のような者が精神科医のほぼ全てであるということだろう。

私は大学1年の頃、ほぼ引きこもりとなり、精神的の塗炭の苦悩にまみれ、自室に閉じこもってのたうち回って過ごした。
大学2年になってようやく少しばかり立ち直ったのだが、そのきっかけは浪人していた友人たちも大学に入り、私と同じ大学に後を追うように入ったものも何人かいたからである。

そこで、わずかばかりの学問的意欲も取り戻し、ファシズムの研究をしようと思ったのである。友人の何人かもいくらかなりともそういった問題意識があった。
私にとって当初からファシズムとは経済や社会、政治や思想の問題であるより、無意識の社会病理、集団心理の問題であり元々は個人の病理性の問題である。

そんなことを勉強しても無駄だとも思ったが、後々の人生を考えると決して無駄ではなく、むしろまさにやるべきことであった。
そういうものです。若いうちにやったことは何事も無駄にはならない。むしろ必ず役に立ちます。
これは若い人にはぜひ言いたいことです。

結局、精神病のため本を読む根気や集中力も乏しく、たいした勉強はしないまま一応大学は卒業した。
しかし、卒業の年にこのセルフ・セラピーの基になるセラピーをとある民間療法家に受けて劇的に改善したので、何とか働けるようになり自転車店に就職した。以来40年、今日に至る。

当時読んだ本は以下のようなものです。
ノイマン「ビヒモス」、エリック・フロム「自由からの逃走」、ライヒ「ファシズムの大衆心理」、丸山真男「現代政治の思想と行動」、ハンナ・アーレント「全体主義の起源」、藤田省三「天皇制国家の支配原理」、ハーバーマス「公共性の構造転換」、戸坂 潤「日本イデオロギー論 —現代日本に於ける日本主義・ファシズム・自由主義・思想の批判」、神山茂夫「天皇制に関する理論的諸問題」

高齢者の交通事故とその対策、裁判、免許返納など

【高齢者の交通事故とその対策、裁判、免許返納など】

高齢者の交通事故が問題になっており、免許返納が進められています。
私は高齢者のセラピーをやっているわけではないし、認知症などの専門家でもないのですが、皆さんいろいろ言ってる割にあまり言ってないことを書こうと思います。
法律的なことには疎いし、多分に推測が入ることはお断りしなくはなりませんが。

2018年5月、飯塚幸三(87)が池袋の交差点で起こした事故

2018年5月、飯塚幸三が池袋の交差点で母子2人を轢き殺し、11人を負傷させた事件は、裁判が進められています。

当人は「アクセルを踏んだ憶えはない」と言い、弁護側は車に突発的な異常が起こったと無罪を主張し、被害者遺族だけでなく多くの人の反感をかっています。
実際には車のトラブルではなく、ブレーキを踏もうとしたつもりがアクセルを強く踏んでいるのは明らかで、このことが争点になることはないでしょう。

実際に悪質と見做さざるを得ない点はいくらでもあり、反感をかうのも当然かと思いますが。
事故を車のせい自己保身、自己正当化が過ぎる。被害者遺族のことを考えろ!今まで権威権力に頼り他の人の意見を受け入れなかったのだろう、非を認め反省する習慣がなかった、謙虚さを身に着けていない、傲慢なふてぇ奴だ、そんなに名誉が大事か、などなど。

高齢になるとそれまでの性格や生き方、自分あり方の問題が全面に出てきて、それに関して抑制する、配慮する、吟味するなどの能力は極めて低下するのは多くの人に共通しています。
そうでなくて、くよくよしすぎる、自分をだめだダメだと思い込み卑下しすぎる、などの人もいますが、両方とも共存します。

彼にもそうしたことが当てはまると思いますが、それだけの問題ではないように思います。
上級国民云々は別にして、というかそれについてはここでは述べません。

おそらくかなりの精神機能の低下はあったはずだと思います。
身体失認ではないにしても、自分の身体能力についても少なくともある程度は疾病否認もあり、パーキンソン病なので「車の運転は止めたほうが良い」と言ってた医師の意見も聞かなかったのでしょう。

反省能力がないと言っても、健忘症ではないにしても現実感そのものが希薄になっており、当然記憶に関する能力も低下し曖昧になっている。
逆に自分の能力を過信すると同時に、他に依存、自分以外のせいにするなどといった問題も既に大きいはずです。

おそらく知的にはそれほど衰えてはおらず、というよりも元々高い能力があったでしょうから、かなり落ちてもさほど問題は表面化せず、当然、認知症ということにもならないのでしょうけど、それ以外の能力、精神的な機能はずいぶん衰えているはずです。

「反省だけならサルでもできる」とは言いいますが、実際には子供や高齢者でなくとも、反省することは知的にも精神的にもかなり高度な能力が必要です。
飯塚幸三の場合、元々乏しい反省能力はとっくに損なわれていたのではないでしょうか?

罪悪感、倫理観、社会常識、現実感や記憶など、かなりの面で解離が進み、虚飾のプライドが全面に出てしまう。
言うことも二転三転し、物理的にありえないことを主張するなど、現実認識も欠落し、過去の技術者としての有能ささえも疑わしく感じられてしまう。
もしかして主観と地位や権力だけで生きてきたの??

傍から見れば随分と狡賢いということにもなりますが、こうしたことは、本人はもちろん家族や周囲の人にも気づかれにくい。

1審で有罪になったとしたら、2審では「心神喪失」とか「認知障害」「記憶障害」あるいは身体機能の障害のためなどと主張するのではないかという気がします。
その頃には実際に認知や記憶の能力も酷く衰えているはずで、まともな裁判にはなりそうもないかと思いますが。

前橋市で2018年1月、川端清勝(87)が起こした事故

前橋市で2018年1月、川端清勝被告(87)が自転車で登校中の女子高校生2人を車にはねて死傷した事故で、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の罪に問われ起訴されました。
これに関しては検察側が、事故原因は被告が急激な血圧低下で意識障害に陥ったことだとして起訴し、「意識障害」があったことが裁判の前提とされ、それに対して予見の可能性ということが問題になったわけです。
そして、既に1審では「過失責任はない」と無罪判決が出ています。

これに対して、当然のこと皆さん反感を感じてブーブー文句を言っており、家族なども世間を慮ったためか、異例なことになんと!弁護側も当人家族など被告側も「有罪」を主張し、二審では争われるようです。

ハッキリ言えば裁判が「意識障害」によって事故がおこったという起訴事実が事実とは異なり、間違った前提で裁判が行われたため、このような奇妙な判決にならざるを得なくなったものと思われます。

例えば…
・検察はAという人がBという人を殴り殺したとして起訴し、
・弁護側はそうではなく、「殴ろうとしたのを避けて転んで頭を打って死んだのだから、傷害致死ではなく無罪」だと主張
・当人のAは「俺は殴っていない」と言った場合、

裁判所は「BはAが来たとき、慌てて階段から転げ落ちて頭を打って死んだのだから無罪」という判決は出せないでしょう。
(それが事実だとして)誰も主張していなければ知りようもない。
裁判所には捜査権はないし、勝手に調べることもできないはず。

この事故の場合、状況からしてどう考えても「意識障害」によるものではありませんが…。
意識障害とされた根拠は、
・意識障害を引き起こす可能性の高い薬を飲んでいた
・本人もめまいを訴えたり、意識障害を起こしたことがある、
・本人は「事故のことは憶えてない」と話している、
といったことだけで、実際に事故を起こした時に意識障害を起こしていた根拠はないと思われます。

「事故のことは憶えてない」というのは多分ウソではなく、現実感も深刻さ明確な記憶もないのでしょう。従って反省のしようもない。

本人も「有罪」を主張するようですが、家族に言いくるめられたというよりも、(事故当時もその後も)記憶も現実感も希薄で、認知や思考能力も乏しいので同意したのではないでしょうか?

実際には「意識障害」ではなく、中枢性かメンタルかはともかくとして(おそらく両方)解離性の否認、健忘だと思われます。
それだと裁判はどうなったのか、二審はどうなるのかもわかりませんが。
「心神喪失」ではなく「心神耗弱」になるのかな?

検察にも弁護側にも、家族や周囲の人、かかりつけの医師等にも「解離」という概念がなかったものと思われます。
精神科医も解離という言葉はもちろん知っており一応知識もありますが、実際に理解し正確な概念を持っている人はむしろ少ないと思います。

実は30年ほど前ですが、この事故を起こした人は、私が住んでいたアパートのすぐ近くのご近所さんで、面識はありませんが何となく顔も見覚えがあり、事故を起こした場所も毎日通っていた所です。

2018年5月、茅ヶ崎市で高齢女性、斉藤久美子 (90)が交差点で4人を死傷させた事故

この事故も私の実家の近くで起こしたもので、事故があった場所は私もよく知っています。事故を起こした人が住んでおり、夫や息子がやっていた医院も、場所は知っていますが、評判も悪くなかったようです。

既に執行猶予付きの有罪判決が出され、当人も反省はしているようです。

本人が修理工場から国道1号線に出るとき、ちょうど車の流れが切れたので、「今だ!いそがなくては」と慌てて発進し、その時に正面、または右側に見えていたのは「青信号」で、本人が守るべき「赤信号」は頭上で視野に入って、一応認知はしていたようです。

しかし、そのまま急いで行こうとして、渡ろうとしていた歩行者がいたが、避けようとして左にハンドルを切り、アクセルを踏んで、既に渡り終えようとしていた歩行者を意図的に狙ったかのように跳ねてしまったようです。

見えた信号が「青」なら自分の側は見えなくても当然「赤」なので、当然それに従うはずですが、目の前の青信号と当人のさっさと行かなくちゃという観念が結びついてしまったのかも?

赤信号に気づいていたようですが、目の前に歩行者が見えても、現実感が希薄で、精神的にも身体的にも鈍くなっており、反射的にブレーキをかけるという行為には結びつかず、むしろぶつけないよう急がなくちゃ、と思ってしまい、逆にアクセルを強く踏んで、渡り終えようしていた人をあたかも狙ったように跳ね殺してしまったのだと思います。

直前に、国道の車の流れが途絶えたからサッサと行かなくちゃと国道に出た時の思考が、わずか2~3秒後の、もう赤だからサッサと行かなくてはという思考につながってしまったのでしょう。そのわずか数秒の間の頭の切り替えが高齢者は非常に苦手です。

高齢者の事故のニュースを聞いて、「アクセルとブレーキを踏み間違える人なんて人もいるのねぇ(自分は考えられないけど)」みたいなことを言ってたようですが、自分のとっさの判断力をむしろ過信していたのではないかと思われます。
この場合、踏み間違えではなく、アクセル踏まなくちゃ、と思って踏んだのだろうし。

これは高齢者でなくともあり得る事故でしょうけど、高齢者ならむしろ確実に起こしてしまう事故のようにも思います。
わりに意識はしっかりしていた人みたいですが、足が悪く身体的な能力はかなり衰えていたようで、自覚も乏しかったのでしょう。

ブレーキとアクセルの踏み間違いは免許取り立ての若い人でも割によくあることで、高齢者よりも少ないわけではないようです。
若い人なら間違えたと思ったら、というよりも思わなくても脊髄反射レベル?でアクセルから足を離してブレーキを踏むので、事故にはなりにくいのでしょうけど。
おそらく高齢者の場合は、あれっブレーキを踏んでいるのに止まらない、もっと強く踏まなければと思ってしまうのでしょう。
認知が遅く修正能力が乏しい、もしくは思い違いを起こしてしまう。

友人・知人のことですが…

しばらく前に、10歳くらい上の友人に久しぶりにあったら、ボコボコに凹んだ車でやって来ました。何度もブツケたようです。
私が同乗している時も、電柱に軽くぶつけました。
車はゆっくりでたいしたことはありませんが、私は目の前に電柱が迫り思わず「バカ、バカ、ヤバいっ!ヤメロっ!」と思わず叫んでしまい、要するに鈍い私でもそのくらいの余裕はあったわけです。

「えっ!何かあったんですか?」と言っても「いや別に、何でもない」とショックを受けたわけでも深刻でもなさそうです。私が叫んだので不機嫌になったかと言えばそれほどでもない。
車を降りて確かめるわけでもなく、降りてから私が確かめると、バンパーを軽くぶつけただけで、特に傷ついても凹んでもいませんでしたが。だし。

元大学教師でその分野では第一人者、著作は今も多くの大学で教科書として使われている位で、知的にも優れ割に冷静な人です。

40代の頃(私は30代)は同僚だったのですが、随分と忘れ物が多いことに気づきました。なるべく対策した方が良いと言っていたのですが、自覚に乏しいのか対策しようとしないのが不思議でした。

10年ほど経って、私も同じくらいの歳になった時、急に忘れっぽくなってしまい、対策しようと思うのですが忘れっぽくなったこと自体を忘れてしまう。それでも肝に命じて徹底的に忘れる時の思考や行動のバターンを分析して対策し、忘れ物はほぼ無くなりました。
しかし、物忘れがひどくなる傾向は止められず、スケジュールなど忘れた、それも対策し、いろいろやらなくてはなりませが、やはり自覚と対策が必要かと思います。

私の周囲には、「俺はまだまだ若い」と若ぶる人はあまりいませんが、昔お世話になった教授がそういうタイプで、実際に年の割に若々しい方ではあるのですが、やはりそういう人は事故を起こしやすいように思います。

大学の運動会で皆はヤメロやめろと言ったのに(医学部だし)いきなり走って案の定、心臓を壊してペースメーカーを着ける羽目になってしまいました。
その時私は一緒ではなく、もしその場にいたらやはり止めるでしょうけど、実際に止められた自信はありません。殴るわけにもいかないし。

今年の年賀状には、自転車ですっ転んで大怪我をして半年も入院していたと書いてありました。もう80歳近いですが、新しく別の大学に学科創設のために働いており、どうなることかと思ったら教え子(私の教え子でもある)を教授に据えて何とかやっているようです。

私は中高年向きのサイクリング車の開発に(間接的にですが)少々かかわっており、一般市販車が近々発売になるので、それを勧めるつもりでいましたが、その矢先のことでとても残念です。

その自転車は効率良く疲れ難く、気分良く走れるし安全性が高いので、中高年以外にも大いに勧められるもので、革命的な自転車です。
以下をクリックして見て下さい。

山歩きには何度か誘ったり、勧めたことがありますけど、そういうことは好きではないようで、断られました。
実際に行ったら、せっかちで配慮に乏しく、どんどん先に言ってしまい「お~い、皆遅いぞっ」とか言って、その後にはすぐにへばるようなタイプなので、向かないのでしょう。

どうしたら良いのでしょうか?

都会の人、都市部の人は、とにかくなるべく早く免許は返納して、公共交通機関の利用を心がけるべきかと思います。車に慣れている人は面倒だと思うかも知れませんが、そうでもありません。何事も早めに慣れたほうが良いと思います。

自転車はさっき述べたような、安全性の高いものにするとか。電動アシストは高齢者には向きません。クロスバイクなど前傾する自転車ももちろん不向き。

元自民党幹事長の谷垣禎一さんなんかも、体力はありレースでも速かったようですが、どうみても70歳のお爺さんでしかなく、ロードバイクが危険なことはわかりきっていますが、まだまだ若々しいつもりでいたり、スポーティなものがカッコイイという偏見や信仰に支配されていたのでしょう。マニアであっても自転車には無知でした。
事故で大怪我をしましたが、そうでなければ今頃、総理大臣になっていたのではないでしょうか?

困るのは地方の人で、車よりはスクーターとかカブなんかの方が良いかと思いますけど。運動能力などの衰えを自覚しやすいし、事故はむしろ起こしやすいかもしれませんが、他者を巻き込み被害者を作ることはだいぶ避けられる。

むしろマニュアルミッションの方が良いかも?
高齢者はマニュアルのみにするとふるい分けにはなるかも?
今はマニュアル車は少ないですが。

いくら何でも、90歳にもなったらマトモに車が運転できるとは思えません。茅ヶ崎の人も年齢の割にはしっかりしていたようですが、どう見ても90歳の老婆で、飯塚幸三も川端も年齢相応もしくはそれ以上の衰えはありそうで、その位の年齢でも車を安全に運転できる人は殆どいないと思います。
免許取得が18歳なら強制的に80歳か85歳位で失効とすべきかとも思います。

自転車だけでなく、高齢者向きの移動手段など、いろいろ考えてはいるのですが…

そんなわけで、私も高齢者に差し掛かったきたし、いずれにしても他山の石としなければ、と思っています。

やはり自覚と対策が必要で
・問題があったら徹底的に分析し、対策を身につけ習慣づける。
・他者の失敗を自分の身においてよく考える。
・相談できる相手をつくり、意見をよく聞く。
(「老いては子に従え」ですが、私には子供はいないので)
・人の意見はなるべく素直に謙虚に受け入れる。

など心がけるようにしていますが、他にも方法があるでしょうか?

高齢になる以前に、中年期から、というよりも若い頃から20歳も過ぎれば衰えはあるはずで、そうしたことも自覚する必要があり、やはり若い頃からの心がけや習慣が大事だと思います。
飯塚幸三などを批判している若い人も、歳をとったら彼のようになるのでは?などとも思います。

若い頃からなるべく自分の弱点・欠点を自覚し、改善するように努力すべきかと思います。そのためには、私の提唱するこのセルフ・セラピーは大いに役立つはずです。


竹内結子さん、三浦春馬さん、芦名星さん、藤木孝さん、木村花など有名人の自殺

【竹内結子さん、三浦春馬さん、芦名星さん、藤木孝さん、木村花など有名人の自殺】

竹内結子さんという女優さんが自殺で亡くなられたそうですが。

三浦春馬さん、芦名星さん、藤木孝さんなども最近自殺しています。濱崎麻莉亜さんというネット番組のタレントも自殺したばかりです。女子プロレスラーの木村花さんも自殺しましたが、ネット上のバッシングが原因とも言われています。

私はテレビは見ないし芸能人にも関心はないのでこれらの人については知らないし、関心もありません。歌手の頃の藤木孝さんは少し知ってた。

もう少し前になりますが、西岡恭蔵さん、加藤和彦さん、井上大輔さん、加瀬邦彦さんも自殺しました。

グループサウンズやフォークは好きだったので、これらの人はけっこうよく知っていました。

岡田有希子さんという有名なアイドル歌手か1986年に自殺していますが、彼女のことも私は知りませんでした。ちょうど精神病院に就職したときだったのでニュースはよく憶えていますが。あまり人気はななかったようですが、岡村有希子さんというたった一字違いのアイドル歌手は知っていました。

この曲が印象的だったからで…、この人は死んでませんよ。念の為。今でもローカルで活躍なさっているようです。

ちょっと音痴だしリズム感も良くない。これじゃ売れないな。バンドのリズムもなぜか乱れている。当時は私も音感もリズム感もが悪すぎたのでわからなかったけど、爺になっても感覚は鍛えれば良くなるのだろうか。

貧乏タレントの上原美優さんも自殺しましたが、彼女のことも知らなかったのですが、たまたま本屋で「貧乏タレント」という本が積み上げてあるのを見たので、こういう人もいるのかと思って手に取り、少しだけななめ読みした時に、この人は危ないかもしれない、何が危ないかはわからないけど、と思っていた矢先だったのでちょっと驚きました。

「ウェルテル効果」だったか、岡田有希子さんが自殺した年は、前後の年に比べて、青少年の自殺が3割増加」し、後追い自殺は186人?とも言われています。
1998年、X JAPANのhideさんの自殺のときもそれが問題になりました。

後追い自殺と言っても、影響があるにしても彼女が自殺したからファンなども自殺したわけではなく、岡田有希子さんがそんな罪作りなことをしたわけではもちろんありません。

これらの有名人が自殺するとマスコミは安易に原因を探ろうとして、何か目ぼしいところをみつけると安易に結びつけますが…、決して本質的なことにはたどりつかず、触れようともしません。
自殺の主な原因は幼児期からのトラウマ、あるいはレイプなどのショックな出来事のトラウマ、といった過去の影響です。

ウェルテル効果と言ってもせいぜいきっかけで、誘因であっても原因ではなく、背中を押すと言ってもどつくようなことではなく、せいぜい指で押したくらいの影響しか無いでしょう。

最近はこれらの有名人が自殺すると、ネットではニュースや記事の下には免罪符のように「いのちの電話」のリンクを付け加えることになっているようですが…
自殺願望がある人が「いのちの電話」に電話するのは良いのかも知れませんが、「いのちの電話」はずっと前から忙しくなかなか電話がつながらず、最近では絶望的につながらないようです。

それはまだ良いとして、問題は精神科医につなげるということです。

「自殺するような人は何からの精神疾患に罹っている」これは実際にそうでしょうけど…
これらの有名人のうち、どのくらいの人が精神科を受診していたのかはよくわかりませんが、少なくとも半分以上は受診していたはずです。

自殺者の殆どは精神科を受診しており、精神科医といえども全く役に立たないことが身を持って知ったことが、絶望に拍車をかけているはずです。
だとすれば誰が役に立つのか?

加藤和彦さんは「最近、良い精神科医に出会った」と知人に笑って話していたそうですが。昔からの盟友の北山修は精神科医で「完全に不意を突かれた」と言っていましたが、それはむしろやむを得ないことだとは思います。普段から精神科医としては信用が無かったのかも知れませんが、友達ならいろいろ抵抗もあり、相談する対象にもならないでしょう。

もちろん、精神科医と言っても精神疾患が治せるわけではありません。もちろん、自殺を防ぐ方法を知っているわけではなく、薬物なども自殺を防ぐ効果はありません。
もちろんセルフ・セラピーは役に立ちますが、彼らはもちろん知らなし、もし知っても否定・否認するはずです。精神疾患に対する正しく理解がないからです。

精神科医は自殺を防ぐどころか、賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)といって、向精神薬(特に新型抗うつ剤 SSRI)の作用により自殺を増やしてしまいました。

死にたいと思ってもいない人が、電車に飛び込んだり、ルンルン気分でマンションから飛び降りたり、首を吊ったりして自殺してしまう。
殺人などの事件も引き起こし、アメリカでは銃乱射事件も頻発しました。
私は新型抗うつ剤 SSRIが認可される前から、この問題は予測しており、事実そのとおりになりました。

しかし、長らく精神科医は無知もあってこの問題を認めようとせず、我々がさんざんネットに書き込んだりして啓蒙したおかげで、最近になってようやく認めるようになり、精神科医もビビリだしたのと、薬の規制もできたので、向精神薬、を控えるようになってきました。

特に危険なパキシルの売上は激減、既に多くの人が自殺してしまった(二度自殺することはできない)、これが2012年から少しずつ自殺が減った主な要因です。
今は抗うつ剤など同じ種類の薬は2種類まで、などと規制ができて、多剤大量処方は儲からず、患者もだいぶお金を払う必要があるので、一頃のように何十種類もの薬を服用している人は少なく、殆どの人は10種類以内です。

「精神医療はマッチポンプ、ノズルの先からガソリンが」
「向精神薬は毒まんじゅう」
「自殺対策は精神科医抜きで」
「精神科医が自殺対策を聞くのは、泥棒に防犯を聞くようなもの」
などなどの標語が作られました。

今は自殺よりも薬物中毒死の方がはるかに大きな問題です。10年、20年と向精神薬を服用している人が増えたので。

それならばカウンセリング・センターなどの施設を作ってはどうでしょうか?そういうのが無いので、「いのちの電話」なんかもボランティアでやってるわけで。
専業職員が行う有料と、無料のボランティアが行うのと、二本立てにするのが良いかもしれません。予算のこともあるので。心理カウンセラーも淘汰が必要です。
と、いつものように批判ばかりでなく建設的な提案をしてみたり。

素人が行っても精神科医よりはマシでしょう。覚悟を決めて取り組んだら良い。
しかし現行の臨床心理士やら心理カウンセラーなどは不適格です。彼らの役割は、精神科病院や心療内科などの医療機関や精神科医につなげるという悪しき循環論法なので。
「いのちの電話」では医療機関など勧めてはいないはずです。

精神科医も臨床心理士やら心理カウンセラーも、病院も相談機関もリセットが必要です。
もちろん、このセルフ・セラピーは自殺予防にも役立ちます。

ストーカー殺人:シングルマザー襲った悲劇…コンビニで女性店員刺殺 元交際相手の男が送っていたメールとは

シングルマザー襲った悲劇…コンビニで女性店員刺殺 元交際相手の男が送っていたメールとは
yahoo!ニュース 2020年8月14日

やはりありがちなストーカー殺人。被害者は警察に相談していたが、警告など具体的な対処は望まなかったようだ。
警察の方だってまだ事件になっていないのに、そうそう対処はできない。ストーカーもしつこくつきまとうのではなく、このようにいきなり殺人というケースが増えるのかもしれない。

ストーカーの被害者に対する感情や行動の大部分は「転移」によるものである。

実際の意味はわかっていないだろうが、精神科医でも「転移」という言葉は知ってるはずである。##実はストーカーの多くは既にストーカーの被害者でもある。

この場合、被害者は幼児期、発達期のストーカー、加害者は多くの場合その親。
親に愛情を求めてもフラれまくって傷ついた子供が、大人になって他者の女性にその補償を求める、

得られなくても現在のことではなく、過去のことである。過去は変えられないので、止めるわけにはいかない、と言えばわかりやすいだろうかもしれない

地下の団結、地上の分裂…チリ鉱山落盤事故から10年

https://news.yahoo.co.jp/articles/369446443d61ddd4dddd56dc40538816d9f86575?page=1

地下の団結、地上の分裂…チリ鉱山落盤事故から10年

【AFP=時事】今から10年前、南米チリ・アタカマ(Atacama)砂漠の地下に2か月以上にわたって閉じ込められ、生還した鉱山労働者33人は連帯と希望のシンボルとなった。
【図解】落盤事故、作業員救出作戦
 奇跡の脱出として世界中のメディアの注目を集めた33人は今、トラウマや病気に悩まされたり、嫉妬や苦い思いによって分裂したりしている。

yahoo!ニュースより

https://news.yahoo.co.jp/articles/369446443d61ddd4dddd56dc40538816d9f86575?page=1

これは記事としては示唆に富む良い話だ。
やはり素晴らしい団結を以って貴重な経験を乗り越えたのに、やはり今はトラウマに苦しめられているそうだ。人間そういうものだ。
トラウマとその克服法について知ることは当事者だけでなく、それをとりまく家族や業者などなどすべての人にとって必要なことである。それが誰でも健康に幸福になるためには必須のことである。

彼らが「薬で良くなる」なんて誰が言えるか!
せいぜい、さらに大きなリスクを抱えながら苦悩をごまかすだけ。
薬物依存症になってしまった人もいるに違いない。

もはや恐怖にさらされているわけではなく、終わってから苦しむ必要はないのに。記憶のリアリティとはそういうことだ

おそらく、閉じ込められた不安や恐怖によるトラウマよりも、救出されてからのお互い傷つくような体験や周囲の者の対応の方が、さらなるトラウマの倍力装置となったはずで、英雄的な貴重な経験さえ台無しどころかマイナスになってしまう。
だからこそ友情や協力、団結や思いやりは大事であり、継続が必須だがそれはいかに難しいことか。
「継続は力なり」

ものごとがまだ理解できない幼児なら、不可抗力による事故などは、周囲の環境が良ければ修復機能があり、さほど大きなトラウマになるわけではなく、その経験が活かせるものだが。当人が憶えていなくても無意識に。

やはり生存にも関わるようなトラウマ、要するに家庭環境だが、これといった出来事はなくても病因になる基本的なトラウマになる。暴力、遺棄といったいわゆる虐待ではなくてもだ。
そのことがわからない精神科医は多いと言うより殆だろう。

すべての人にとって、私の提唱するセルフ・セラピー、精神疾患の自己治療法はどんな人にとっても大いに役立ちます。
自慢でも何でもありません。古今東西そのようなものはなかったはずです。
ヨガや瞑想、座禅や〇〇療法は、全く無効ではなくとも大した効果を上げられたことはありませんが、そこまでやるだけでもほぼ不可能です。

セルフ・セラピー研究所

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新型コロナ、新規感染確認者が再び急増(東京では1日200人超え)

7月10日現在、新型コロナの感染(確認)者数は再び急増しています。
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これは旧型コロナ
こっちが新型コロナですね。
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東京郊外は地方とあまり変わらず、感染(確認)者数は全国平均と同じくらい。23区以外だと、多いのは小金井市くらいで、精神科病院の閉鎖病棟でクラスターがあったので。奥多摩地区はまだ0です。

「夜の街感染」は当初からわかりきっていたのだから、少なくとも志村けんあたりで重点的に対策すれば、抑え込めたのではないかと思うですけど。緊急事態宣言も、自粛も全面的にはする必要もなかったはず。タラレバですが。

「羹に懲りて膾を吹く」まだ懲りてなかったか。日本は感染症対策が手薄になっていた。
政治家も自分の人気ばっかり気にして大衆に媚び忖度し、「最後の貢献」なんて言葉ではなく、「戒めとして」「反面教師として」「教訓として」とキツイ言葉で警告し、自粛要請すべきだったと思います。
皆に嫌われても、国民を良い方向に引っ張るのが政治家の役割だと思うんですけど。そんなことしたら選挙には通らないし、政治家にはなれないか。

感染症関係の学者も、本気出さない。患者が減ってもあまりありがたくはない。メシの種だし。
もちろん増やそうと思っているわけではないけど。
病原菌バラまいて病気を増やせば儲かる、といっても、そんなえげつないことをやったらバレるので無理ですけど。
そんなつもりはなくても、悪意はなくても、どうしても似たようなことになってしまう。

でも、それに近いことはいくらでもある。
「うつ病キャンペーン」も「発達障害バブル」などなど。病気をつくっているわけではないですが、病名をこじつけて疾患喧伝。
資本主義は需要を増やし、利潤追求が是であり善ですから。
医療は病気を治すところではなく(全く治療をしないわけではないが)、医療行為をして利益を得るところです。

公衆衛生なんて、日本では乏しい限り。
そんなこと本気で追求したら、病気になる人が少なくなったり、あるいは簡単に治ったりして、医者や病院の存在価値は低下して食えなくなるかもしれないじゃないですか。
実際にコロナ関係以外は、患者が少なくなり、医者や病院も暇になり、風評被害なんて言ってますが、潰れそうな病院もたくさんあるようです。
医者がストライキをやったら死亡率が明らかに下がった、なんて話は海外ではたくさんあります。

やっぱり自分で健康的になり、病気にならないように、なってもなるべく自分で何とかするのが大事です。
医療は頼るものではなく利用するものです。

ホストクラブは職場も生活も三密だし、客も水商売や風俗業の人が多く、そっちも3密なんだから、全員感染しても当たり前田のクラッカー。でも締めつけると開き直って、コロナ・テリストになってしまうか?
キャパクラの方がユーザーは普通のオッサンなので遥かにマシですが、行かなければ良いだけ。

日本はとっくに後退国になっている。
旅行、観光、レジャー、イベント、スポーツ、酒を伴う飲食、ギャンプル、メディア、広告など、肥大化したサービス業はもはや日本の経済力、規模に見合うものではない。バブル以降も殆ど縮小できなかった。
サービス業は実利があって、金がかからず、金を儲けず、金を使わせないサービスの提供に転換すべき。
少なくとも俺は昔からそのつもりで努力している。後進国、後退国の先進国を目指そうじゃないですか。それがホントの先進国です。

休業補償ではなく転業補償をすべき。個人の生活の保障し(これは憲法で決まってるし)、失業対策をすべきではないか。
とりあえす食料自給率が低いのは致命的だが、おバカな俺はそんな発想しか浮かばない。

俺みたいに金儲けもできないバカではなく、政治家や官僚やコンサルだのマーケティングなどやるような賢い人ならいろいろ考えられるはず
必要と需要をすり替えるのは資本主義の悪しき習慣です。経済を回せば、景気が良くなれば豊かになるなんて、とっくの昔の幻想に過ぎないだろう。
雨露しのげて衣食が足りて、ストレスも少なく平和なら、貧しくても不幸ではない。

精神病院に勤めていてつくづくそう思った。
家では暴れたりして座敷牢に閉じ込められていた患者でも、病院に入ると薬なんか飲まなくても落ち着いて、以後何十年も穏やかにしている。
当時はホスピタリズムなどと言って批判もあり、土砂が堆積したダムにも例えられ「沈殿層」なんて言葉で問題化していたけど。その後、精神病院も悪い意味で敷居が低くなり出入りは多くなったが、もっと悪くなった。
良きホスピタリズムを目指すべきだった、のかもしれない。

「休業と補償は一体」なんて冗談じゃない。
行かなければ良いだけで、それが業種や職種、店のためであり、ユーザー自身のためですが、それを徹底するのは難しい。
こう言ったら首首絞められそうだけど、依存症産業は無いほうがいい。
個人事業主の私はビンボーですが意地でも申請しません。どうせ殆どくれないし。

言葉は悪いけどせっかくの新型コロナなんだから、いかにそれを活せるかを目指すべきです。これを機会に世の中よくすることもできるはず。
でも皆、生き方考え方や価値観などを変えられないんですよね。

精神疾患の治療も、生き方考え方価値観などを変えることも大切です。
今までの考えでうまく行ってるなら病気にはならない。薬で無理やり思想を変える?まさかね。
「従来の思想を捨てて新しい 思想をつくる、それも療法」(S)

というわけで、新型コロナのおかげで患者もあまり来ないし、セルフセラピーによる自己治療法を提唱し、自力更生を広めて行きたいと思っています。
何十年も前の若い頃から考えていたことをようやく実現するはこびになりました。

乞うご期待!
https://www.self-therapy.info/
個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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河井あんり、河井克行、公職選挙法違反で起訴される(河井案里の声と表情)

河井夫妻を2900万円の買収罪で起訴 地元議員らの刑事処分は見送り 東京地検
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41174
東京新聞
私は政治学科出身なのに、現実政治のことや法律的なことには疎いので、そういった方面のことは書けませんが、かなり悪質な選挙違反事件のようです。
河井克行は広島出身でSさんの同級生だそうです。かなり性格も悪く、パワハラを繰り返したり、評判も悪いようです。なぜ、そのような人物が選挙に当選するのかよくわかりませんが、余程人材がいないのでしょうか?
政治家になりたがる人は多いと思いますが。

河井案里は(自称)適応障害で、なんだかそのことがけっこう得意げです。
精神科医に診断名もつけてもらったのかも知れませんが、あの雅子さまと同じ病名だからでしょうか?
回りが悪いから適応が困難と思っているのでしょうか。あるいは自分が皇族のように特別な地位や立場にあると思っているのでしょうか?
自分は繊細だとでも思っているのか、図々しいという自覚はなさそうです。
事件が問題になってから、向精神薬の過量服用、オーバードーズで倒れ、搬送されたようです。

不当な非難を受けたので、そのストレスで病気が悪化したと思っているでしょうか?
殆どの人の頭には「自業自得」という言葉が浮かんで来そうです。
普通に考えると、適応障害なら環境を変えるべきで、国会議員は大変だろうしストレスも大きいし、最も向かない仕事のはずで、辞めるべきではないか?
その前に、政治家をなろうとすること自体おかしい、と思うのでしょうけど。
皇族なら辞めたり、仕事を変えるわけにはいきませんが。

もちろん薬でよくなるわけはなく、適応能力を向上させるのが治療のはずです。
ストレスと言っても国民に対する重責のプレッシャーではなく、自分の権勢拡大や自己保身の負担だろうし、不適応は社会に対する甚だしい勘違いや非常識、人間関係の問題などでしょう。
もちろん悪いことをする人は精神的に不健康ですが、本人は無意識の罪悪感があるはずで過度な自己正当化もその裏返しでしょう。
適応障害と言うには二重三重の矛盾を感じてしまいますが、やっぱり悪いことはすべきではないですね。


2~3カ月前に、この事件が問題化したときに、ニュースを見ていてビックリしたことがあります。
河井案里が国家に出てきたとき、マスコミや報道関係の記者が彼女に群がり、ぶら下がり詰め寄っていましたが、問いかけをを無視し、一言「その話はまたね、いずれゆっくりと」と穏やかな声で返しました。
それが効力をなしたようで、記者たちもそれ以上、追求することはできない様子でした。

えっ!声が良いじゃん? 悪質な犯罪者声には聞こえない?
周囲も騒々しいし、映像の音質も良くないので、わかり難いのかもしれません
それで他のニュースも探して見ました。
広島県議時代に県議会議長の不正を追求し、辞任を迫る場面です。
これは言いがりで、難癖をつけただけだったようで、不正を働き辞任すべきは、河井あんり自身でしたが。
やはりかなり悪質な声ですが、一見穏やかで柔和な感じでありながら厭味ったらしく、これはかなり訓練しているはず。

調べてみたら、母親は声楽家だそうです。
やはり本人もかなりトレーニングさせられたようで、歌も得意で、河井克行は彼女が「天城越え」を歌うのを聞いて惚れ込んだようです
政治家は説得力を保つ必要があり、発声のトレーニングをするのは当たり前だろうし、大学の雄弁部なんかに属していたりします。私の出た大学にも雄弁部があり、総理大臣やら有名な政治家も輩出しています。一度だけ模擬演説を聞いたことがありますが、口先だけかよ…

政治家の多くは張りのある通る声ですが、悪声自体はなかなか直りません。
声はごまかせませないのです
私は電話を受ける時、殆ど事務的な話しかせず、予約の日時や名前を聞いたするくらいです。それだけでも、相手の無意識のこともよくわかり、どんな性格で、どんな症状で、治療の先の見通しまでわかってしまいます。
もちろん、そんなに具体的なことがわかるわけではありません。
先入観を持ってはいけないのですか、第一印象は大事です。むしろ冷静に聞くと的確なことがわかるのです。

声が催眠術になっており、その催眠を分析するといろいなことがわかる。
サリヴァンは
「verbal therapy 言語的なセラピーはない。あるのは vocal therapy 音声的なセラピーだけで ある。」
「精神医学的面接とはすぐれて音声的( vocal)なコミュニ ケーションの場である」と言い、「trainingの声」と「desireの声」を聞き分け、それを患者にも意識化させ、セラピーに活用していたようです。

Empathyは、共感、感情移入、他人の気持ち・感情を理解すること、といった意味で使われますが、カウンセラーや臨床心理がこの言葉を使うのは、高慢な感じがするかも?
専門家というほど、できることもないのに。共感したような言い方だけは得意ですが。
「理解もしてないのに共感できるのか?」「安易な言葉だけの共感はいらない」「共感するなら銭とるな」などと思う人もいるかもしれません。

サリヴァンやフロム=ライヒマンはむしろ、感情や感覚に入ってくるもの、影響するもの、と考えていたようです。
そこを分析すると、相手の無意識もある程度読めるし、いろいろなことがわかります。
こうしたことは、他の人も言ってるのでしょうけど、私としては自分独自で発見したつもりです。
河井案里の声も直接聴けば、かなりのことがわかると思いますが、かなり高度なトレーニングを積んでおり、演説など聞いている分にはごまかされるかもしれません。
「言葉でウソはつけても、声で嘘はつけないません」
だからと言って、必ずウソを見抜くことはできませんけど。我々は刑事や検事と違って、まず相手を信頼する仕事なので。
しかしですよ。
誰しも思うことでしょうけど、彼女の顔はどう見ても悪人顔、犯罪者顔です。
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週刊文春より
見ただけで気分悪くなり健康を概してしまいそうです。
表情を見ただけで悪い催眠になるのです。目つきなんか特に、目があっただけでも脳に影響が入ってきます。
もちろん可愛くて健康的で性格も良い人なら良い催眠になるので、むしろ見つめていたいですが。
おそらく声をトレーニングでつくって、外面ばかりをとりつくろってきた分、無意識の精神の悪質さは声よりも表情に出てきてしまうのではないでしょうか?
どちらかと言えば、やはり男は女の外見に惑わされますが、彼女の場合は悪質さ、不健康さがモロに顔に現れています。
人の容姿のことは言うのはよくないかも知れませんが、やはり、外面だけをとりつくろうことはできないものです。
彼女は可愛いとも言われることがあったようですが、今となってはとうてい信じられません。
しかし、中高生の時や若い頃の彼女の写真を見ると、そう言われることもありそうな感じです。
河井あんりのサイトを見れば出てきますが、いかにも優等生を自認しているような感じで、自己中、生意気、高慢さなど、性格の悪さはよく出ていますけど、そんなに悪質という感じでもはありません。
彼女も、小さい頃の写真は、やはり普通の子供に見えます。
顔面崩壊し犯罪者顔になったのはやはり最近で、参議院選挙に勝ってからです。その前の広島県議時代はそれほどでもありません。
どんな人でも子供の頃は素直で、良い心を持っており、外見も可愛いのです。
しかし、主に家庭環境の影響、親の接し方、育て方の影響で心の癖、神経の使い方の癖がついてしまい、それが表情にもなり、筋肉の付き方にもなるものです。
遺伝的にはせっかく美人に生まれても台無しになる人もいます。
女子高生くらいでも恐ろしい顔をした人もいるし、もちろん可愛い子もいます。
歳をとってもチャーミングでステキな人もいるし、鬼婆のような人もいます。
やはり声も顔貌も精神の健康さ、不健康さを表しています。
人間、顔形はともかくとして、誰でもある程度、顔を良くすること可能ですが、エステなどでは本質的には変わりません。
声も良くすることは可能ですが、ただボイストレーニングをやっても、内面からの悪声は治りません。
アナウンサーや歌手などはトレーニングを積んでいますが、それでも感じの悪い声の人が少なくありません。私はラジオでニュースを聞いていても声が良くないと消してしまうこがあります。
一概に言えませんが、たいていの場合、患者の親や犯罪者は悪声です。患者さんの多くは悪声ではありませんが、いろいろな人がいますが、やはり声が弱々しかったり、発音が不明瞭だったり、上手く声が出てはいません。
やはり神経の状態や使い方を改善し、精神の健康を取り戻し、無意識の内面から美しくなり、きれいな声になるのが良いです。
当所の提唱するセルフセラピーにはその方法も教授しています。
https://www.self-therapy.info/
個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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「コロナうつ」自粛解除から日常へ戻る今が危険 “心の不調”相談件数も急増

【特集】「コロナうつ」自粛解除から日常へ戻る今が危険 “心の不調”相談件数も急増
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ce35788afc4ac5722173ec0b030e946c0d6af9?page=1
資本主義医療だから必要のない所に需要を作り出す。

もちろん治療ができるなら良いんだけどね。

こんなの真に受けたら、ケツの毛まで毟られてしまう。
もちろん結局、向精神薬の薬漬け、薬物依存症、慢性薬物中毒
これも電通案件なのだろうか?
誰だって不安もあるし落ち込んだりもする。
自分で治療すれば良い。

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ひきこもり「引き出し業者」を刑事告訴 連れ出し監禁か

ひきこもり「引き出し業者」を刑事告訴 連れ出し監禁か
https://www.asahi.com/articles/ASN6H41T8N63UUPI001.html?iref=comtop_8_02
2020年6月15日 朝日新聞


※以下引用
弁護団によると、男性は大学を卒業後、就職せず両親と同居していたが、経済的な自立を求めていた両親がクリア社に相談。男性の就職や社会復帰を支援するといった内容の契約を同社と結び、約700万円を支払ったという。男性は連れ出される際に抵抗するなどしたため寮に監禁されたほか、都内の精神科病院に約50日間入院。退院後、センターの別の寮に約40日間滞在し、ほかの寮生らとともに脱走したとしている

約700万円とはすごい。
しかし、引きこもりの経済的損失は、いろいろな意味でそれより比較にならない位に大きい。生涯賃金を考えただけでも。

なぜ当人ではなく親が訴えるのか?金を取られたのは両親だろうけど、被害者は息子の男性だ。
刑事告訴だから訴えるのは検察だろうけど、民事でも訴えるだろう。親が業者を訴えるなら、息子は親を訴えるべきか?

もちろん、施設に入ったからと言って社会復帰の支援などはない。関連ブラック企業でバイトさせられたりするかも。
病院に受診してももちろん治療はない。薬漬けにされるだけ。電気ショックもやられるかも。

当人が引きこもりを病気と自覚し、病院を受診するようになると良い、何とかなると思ってしまう幻想が問題だ。ハッキリ言ってどうにもならない。
相談されたほうだって困るだけだ。いや困りさえしないかも。お役所だったら相談を受けたという数字を上げなくては困るだろうけど。

引きこもりの息子を殺してしまった元農水事務次官がいたけど。
そうなる前にどこかに相談に行けば良いかったのに、世間体を気にしたり、他者の援助を受けるのを潔しとしないエリートとしてのプライドが邪魔していた、という論調多かったがもちろんそんなことはない。

当人の息子は引きこもりにもかかわらず、病院は受診していたようで、母親も「うつ病」ということで同じ病院を受診しており、その病院は父親の親戚が法人の会長ということである。要するに父親も精神医療の現状を知らないわけはない。

プライドはともかく、どこへ相談に言っても何にも解決法はなく、余計に絶望するだけだとわかっていたから追い詰められたのだ。
逆に状況を知る人は、殺したことを責めるわけにはいかない、他に方法がなかったのではないかと言う。

引きこもりは他者がどうにかできる問題ではない。もちろん家族も『専門家』も。
こんな目に合わなようにするためにも、自分で治療しましょう。

「天は自ら助くる者を助く」
「書を捨てよ町へ出よう」寺山修司

「犬も歩けば棒に当たる」
子供の頃、この意味がわからなかった。大人になってからやっとわかった。それでも消極的で行動的ではない俺には身につかなかったけど。

https://www.self-therapy.info/
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「家族を殺すつもりだった」。兵庫県宝塚市のボーガン殺傷事件

「家族殺すつもり」強い殺意か 容疑者は「おとなしい印象」
産経新聞 2020.6.4

被害者はいずれも親族で、被害者は4人、そのうち3人は既に死亡が確認されている。
殺傷能力のある武器を使えば、物理的には何人も殺せるが、いくら悪質な犯罪者でも殆の場合、被害者は1人か2人である。殺人の根本的な原因は、幼児期の虐待による心的外傷、トラウマでそれ以外には本質的な理由はない。
永山則夫連続射殺事件のように4人も殺害した場合は、ほぼ例外なく、虐待者が親だけではなく、彼の場合は2人の兄に激しい暴力による虐待を受けていた。彼に唯一優しく、幼少期に面倒を見てくれたお姉さんはレイプ被害に逢い、精神分裂病にもなっている。レイプ犯も永山にとっては間接的な虐待者である。
彼の母親もまた少女時代、やはり虐待、遺棄され、樺太に置き去りにされ、二年後、ソ連領サハリン北部を放浪していたところを保護されたということである。ニコラエフスクの日本人虐殺、尼港事件では殆どの日本人が殺害されたが、なぜまだ10代前半の彼女が生き延びることができたのかは謎である。虐待は虐待を連鎖するが、犯罪も連鎖する。

虐待者に対する復讐ではなく、彼の殺人のように向けようのない恨みが全く関係のない他者に向けられることもある。
他に多数殺人は、殆どは薬物の影響下にあり、最多の殺人事件の相模原市の障害者施設での殺人事件も当然そうであり、アメリカの銃乱射事件もほぼ全てが新型抗うつ剤 SSRI等、向精神薬の影響下に起こっている。
賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)であり、日本では1998年以降、「うつ病キャンペーン」により、自殺者の急激な増加をもたらしてしまった。自殺もまた自分に対する殺人という意味もあり、精神的犯罪という面もある。
この事件の場合もやはり薬物の影響下で起こったのかもしれない。

基本的には同態復讐であり、「目には目を歯には歯を」、被害と加害はある意味では釣り合いが取れているのが普通である。いくら悪質な犯罪者でも、大抵の場合やりすぎは不可能である。恨みもないのに人を殺すことはできない。
無意識に指の筋肉も硬直して引き金を引くことはできない。無意識にそれ以上はできないという脳からの制止でもある。
要は仕返しであり、やり返しているのである。虐待は憶えていないことが多いし、無意識の「感情転移」によるものだが。
従って、当人にとっては無自覚であっても十分な理由があり、反省どころか「してやったり」と達成感や充実感さえ得るのが普通である。反省のしようにもしようがなく、反省するくらいならそもそもやらない。

もしかすると被害者の中には彼に優しかった人もいたかもしれないが、虐待から救えなかったとすれば彼にとっては共犯者であり、容易に同罪者となる。あるいは自分だけが虐待されている場合、甘やかされている兄弟も恨みの対象になりうる。
もちろん、やり返して良いわけではないし、いかなる場合も犯罪を正当化すべきではないが。
普段は「おとなしい印象」というのもよくあることで、仕返しや反抗はむしろできなかったということだろう。
普段は恨みや憎しみを無意識に解離し、虐待者を敬愛し尊敬したり、称賛さえしていたのかもしれない。
あることをきっかけに、むしろきっかけなしにも解離していた衝動に支配されて行動をおこすことがある。

「殺人を犯したけれはその昔 誰かに受けた苦しみ語れ」
永山則夫も当初は自分の殺人の原因は貧困や社会のせいにして、本まで書いていたが、晩年は「自分の殺人の原因がもしあるとすれば、肉親に対する恨みだろう」と語っている。
しかし、精神科医も心理カウンセラーも、精神病理に対する基本的な理解がなく、受け止めるすべもない。
そのような人に話してもムダだという絶望感も既に持っていたのではないだろうか?

治療ができるのなら、未然に犯行を防ぐことも可能で、加害者だけでなく「被害者」の救済にもなるのだが。
いかなる犯罪者も脳の病気で頭が狂っているから殺人を犯すわけではない。
薬物の影響による場合は、そういう面もあるだろうけど。

『私の花』 詞:永山則夫 曲:友川かずき
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新型コロナウイルス 東京の武蔵野中央病院(精神科閉鎖病棟)でクラスター 計31人が感染

新型コロナウイルス 東京の武蔵野中央病院(精神科閉鎖病棟)でクラスター 計31人が感染
https://www.asahi.com/articles/ASN624R4BN62UTIL00W.html?iref=comtop_8_02
朝日新聞 2020年6月2日
患者24人、職員7人の計31人、この病棟の入院患者は62人なのでかなりの確率。
認知症などの老人病棟だとすると、亡くなる人も多くなるだろうが、精神科閉鎖病棟ということなので老人病棟ではないのでは?だとすれば、入院患者もたぶんそんなには高齢ではないはず。精神病院の衛生管理は杜撰な所が多いかもしれないけど。
だからクラスターが発生したとは限らないし、そうそう責めることもできない。

知人にも精神科病院に勤めている人がいて、対策に苦労しているようで大変だと思う。
患者はたいてい大人しく言うことを聞いてくれるのだが、職員の方が問題だったりして。
岐阜の夜のクラブでクラスターを作ったのも岐阜大学病院の精神科医だったが。
精神科医が仕事を休んでもあまり問題はないが、大学病院の新患外来受付はしばらく中止になった。
今は精神科病院はだいぶ暇だろうと思う。

精神科の閉鎖病棟と言えば、昔は長期入院が多く出入りが少なかったが、今はけっこう出入りが多いので職員が持ち込んだとも限らず、クラスター発生も確率的に低くはなさそうである。
長期入院は診療報酬が低くなり儲からないし、入院する人はいくらでもいるので、なかなか退院させてもらえないということは少ないはず。拘束もずいぶん増えたようだが。

今は軽症の人でも入院する人が多い。患者歴が浅い人や初回入院の場合がたいい閉鎖に入院だろう。様子がわからないので、と言っても精神科医にとっては、ということだが。薬物で悪化し、問題行動を起こす人も多い。
えっ!なんでこんな人が??と思うような人が、「入院していた」と言うことが多い。
仕事もしているし普通に見えるような、というより病気でないわけでは無いが軽症で普通といえば普通の人で、一昔前なら受診もしないような人。

私が30年以上前に勤めていた精神科病院は重症の人が多かったが全開放だった。殆どの人は慢性化し、いる場所がないので社会的入院という面も多分にあった。もうその頃から入院していた人は少なくなったと思う。薬物の長期服用では寿命が10~15年短くなると言われているので、団塊以前の世代の人はもうずいぶん亡くなっているのでは??
実際に高齢でも無いのに、普通なら死ぬなないような大した病気でもなくても亡くなる人が多い。
そんなこと誰も調べないけど。

病院や施設のクラスター以外はずいぶん感染確認者数は少なくなったので、全く無くなることはないにしても、このまま収束しそうな気もするのだが。やはり条件によっては感染率は高いのだろう。だんだん状況はわかってきているので、対策はの要領もわかってきたはず。何とか収束すれば良いが。

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新型コロナの影響で経済停滞し、失業者が増えると自殺者は増えるのか?

新型コロナの感染者数抑制のため、緊急事態宣言が出されて、1カ月半にもなります。2020年5月
感染者が減り、一定の成果があったようにように思いますが、一方では新型コロナによる死者よりも経済停滞し、失業者が増えることにより、自殺者が増える、自粛解除すべきという意見も強くなりました。ホリエモンなどは以前からですが。

景気が悪くなると自殺者が増えると信じられていますが、意外にそうでもないことは昔から言われています。実際に失業率と自殺者の増減は統計的な相関があるというのは事実であるのかも知れませんが、はっきり言って本質的な問題ではありません。相関性があることと、因果関係があるというのとは全く違います。
1998年から自殺が急増したのは「うつ病キャンペーン」により受診者が増え、新型抗うつ剤 SSRI(特にパキシル)が使われ、賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)が急増したからでしょう。

死にたいと思ってもいないのに首釣ったり、電車に飛び込んだり、ルンルン気分でマンションから飛び降りたり。潜在的な自殺衝動は誰でもあるのかもしれませんが、抗うつ剤が解離を強めるので。幽霊には会っていませんが、障害者になった人は何人も知っています。いずれも死にたいとも思っていないのに、なぜそんなことをしたのかわからないと。

2012年から減り始めたのは、精神科医もようやく認めざるを得なくなり、新型抗うつ剤 SSRIの売上が急激に低下したからです。薬物の処方に規制がかかったこと、もう既に多くの人が亡くなっていることも影響していると思います。いずれも予測されており、外れるわけないと思っていました。しかし、その代わり、薬物中毒死が激増しています。10年20年と向精神薬を服用している人がふえたので。

自殺の増減は複合的な理由によるでしょうし、大抵の場合、予測困難であり、後付でもこじつけで確かめようもありません。上述のように理由も明白で予測もできることは少ないはずです。

戦争で自殺が減るのは、戦争自体が自殺行為だから、という気もします。暴動、内乱なども同様かもしれません。薬物の影響でなくても厳密に言えば自分の意志で自殺する人はいないのかも知れません。少なくとも100%自分の意志ではないはずです。誤解を恐れずに言えば、精神病は常に憑依精神病でもあります。

新型抗うつ剤 SSRI、特にパキシルは日本で認可される前に、米国で自殺や衝動行為を引き起こすことが知られており、訴訟が頻発し売れなくなり販路を失ったために、強力に日本に売り込んできました。そのためもあり、「うつ病キャンペーン」が盛んに行われました。うつ病の人が増えたわけではなく、宣伝たに受診・服薬者が増えたのです。自殺者が増えたのも減ったのも、個人的にはあまりにも当たり前で全く予測通りでした。精神疾患に対して間違った「治療」を行えば自殺者は増えるのは当たり前です。

自殺の原因について言えば、最も大きなものは幼児期の体験でしょう。これは少なくとも現代では、殆ど例外はないと言って良いと思います。いわゆる虐待もありますが、特に多くは虐待の範疇には入らないような精神的虐待、愛情剥奪による心的外傷(トラウマ)です。

気、失業、借金苦、社会不安などのそれ以外の要因は原因ではなく誘因、少なくとも根本的な原因ではなく、要するにきっかけとしか言えないと思います。肉親の殺害、レイプ、激しいイジメなどの犯罪被害など、ショックな出来事による心的外傷(トラウマ)も人生の後々に影響しますが、これも幼児期の体験が先行している場合が殆どです。加害者だけでなく被害者においても。

これから新型コロナの影響による経済の停滞により、失業者が増え、そのため自殺者が増えるかもしれませんが、個々人を見ると殆どの人は本質的には上述のような問題が根本的な要因です。失業による貧困、不安や絶望はむしろ副次的な要因だと思います。

単純化して言えば、健康に育った人→失業しにくい→失業しても不安や絶望に陥りにくい→次の仕事も見つかりやすい、と言って良いと思いますが、不健康な人は逆です。だからといって失業対策が不要ということではありませんが。
表層だけ見てもせいぜい目先の対策にしかならず、不毛だと思います。精神科受診や向精神薬が自殺を増したことさえ本質的な問題ではなく、精神疾患に対する間違った考えと対処法が自殺を促進したと考えるべきでしょう。

さらに追求するならば「なぜ虐待する人がいるのか」といったことにも考えるべきかも知れません。私はいろいろ調べましたが、とりあえず先祖代々の影響はかなりありそうです。虐待は連鎖しますが、元はと言えば…、ということです。
新型コロナの影響で経済停滞し、失業者が増えると自殺者は増えるのか?

景気対策、経済政策では本質的な問題には対処できません。資本主義社会が行き詰まっていることは多くの人が感じているはずですが、古い考えから脱却できない人が殆どでしょう。雨露しのげて、衣食何とかなって平和なら、貧困であっても不幸ではありません。新型コロナを機会に医療や社会のあり方だけでなく、根本的な価値観や考えを改める必要があるように思います。

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反日は朝鮮戦争のトラウマのすり替え(日韓問題、反日と嫌韓)

反日は朝鮮戦争のトラウマのすり替え(日韓問題、反日と嫌韓)
朝鮮の歴史的背景を韓国人だけでなく、日本人も理解する必要がある。
朝鮮併合、日帝支配は功罪半ばしており、おかげで他国からから解放され近代化した反面、少なくとも一部は不当な抑圧や差別、残虐行為も事実としてあったはず。でも、戦後の日本人の多くは反省すべきは反省したと思う。
かつては韓国も台湾と同様に反日では無く、殆どの人は恨んでいるどころかシンパシーを持ち、むしろ感謝する人も多かった。日本人が韓国に行くと年輩者は懐かしそうに日本語で話しかけてきたりして、「悪いことをした」と負い目を感じていた日本人も拍子抜けした、という話を聞くこともあった。
サヨクでなくとも「韓国人は謙虚で寛容で良い人たちだなぁ、我々自身がやったことでは無くとも過去の過ちは反省し謝罪すべきである」と考える人が多かったのである。国内でも在日差別は一部であり、それほど関係が悪かったわけではなかった。
しかし、なぜむしろ日帝支配時代を知らない韓国人は反日になったのか?
その主な要因は、不当な反日感情は日帝支配に伴う弊害に対する恨みではなく、朝鮮戦争の被害によるトラウマの否認、すり替え、転嫁であり、精神分析的に言えば集団的な「感情転移」である。
韓国は朝鮮戦争により、日帝支配とは比較にならないほど大きなダメージを受けた。しかし、もちろん歴史的に後のことで、まだ生きている体験者もずっと多いのに、今では年輩者に聞いても殆ど忘れており、隠ぺい記憶となっている。世界史上でも最も悲惨で凄惨と言われる、血で血を洗うような朝鮮戦争のことを韓国人は驚くほど知らない。否認したいという心理もむべなるかな、ではあるが。
韓国の学校では反日教育ばかり、というのも悪意があってというより、朝鮮戦争のトラウマを自覚せず無意識に支配されているからである。日本でも現代史は教えないが。

朝鮮戦争に関しては韓国人は加害者であると同時に被害者であり、死者も多く国民の1/5が亡くなった。当然のこと激しいダメージを受け、大きな国民的トラウマになっているが、その怒りや恨み憎しみをどこに向けていいのかわからない。もちろん自分たちに向けるわけにもいかず、やり場のない怒り、敵意、憎しみ、恨みなどが日本に向けられているのである。

朝鮮戦争は南北に別れて戦ったのではなく、基本的には米国が朝鮮半島から共産主義を排除するための戦争であり、ソ連も対抗して介入し、その結果として南北に別れて休戦となった。当然のこと、当時は南にも共産主義を支持する人が少なくなかった。戦闘により亡くなった人とほぼ同じくらいの人数が、北側の支持者もしくはスパイなどと疑われて拷問や集団リンチ殺人事件で殺されたのである。拷問には日本の特高警察の「拷問技術」が模倣された。もちろん多くは濡れ衣である。「保導連盟事件」など、韓国ではタブーであり教えられることもない。
疲弊しきった60年代~70年代の韓国は、出稼ぎ立国、売春王国とならざる得ず、そのトラウマもあるはず。
北朝鮮の支配体制も戦前~戦中の日本のマネという面も大きいと思う。

1965年日韓条約は、軍事独裁者・朴正熙(朴槿恵の父親)が戒厳令下に強権をふるって、韓国民の声を圧殺して締結したので、そもそも殆どの韓国国民は、日韓基本条約も請求権協定も認めていなかったのである。反対運動もあったが、多くの韓国国民は食うや食わずでそれどころではなかっただろう。これに対して、間違った認識や虚偽意識に基づいているとしても、韓国の反日は韓国国民の「総意」に近いと言える。

恩を仇で返す恨みがましい民族、と考えるのは事実に基づいてはおらず、全く現実的でも得策でも無く、それでは何ら解決の方向を見いだせないだろう。
生まれたばかりの赤ちゃんは、どこの国でも民族でも基本、純粋無垢であるが、民族性、国民性にはそれだけの歴史的背景が影響している。語弊はあるが「可哀想な民族」、ユングの言う「集合無意識」はそういった面もある。
日本は朝鮮特需という漁夫の利を得て、それが後の経済成長の礎となったのも皆さんの知るとおり。韓国は日本の後を追ったが、結局うまくいかなかったという悔しさも潜伏しているに違いない。日本だってそう上手く行ったわけではないが。

ベトナムではオランダ人などに日本軍はレイプ攻撃を行ない、それゆえ反日感情も強く、昭和天皇はヒロヒットラーと呼ばれていたが、今日では反日は克服しており、言うまでも無く日本人も反米反英は克服している。昭和天皇は捨て身の覚悟でオランダも沖縄も訪問し、その誠実さは、意義や価値を認めない者にも結果としては影響を与た。
曲がりなりにも「アジアの開放」を目指した日本に対しては、欧米諸国も植民地支配・圧政の後ろめたがあり、相殺する心理もあったはずで、今となってはすっかり世代交代もしている。

「罪を憎んで人を憎まず」「汝らの中、罪なき者、まず石を投げ打て」
人間は許すことはできなくても忘れることはできるが、主観的には忘れても無意識のトラウマは残る。恨んでも恨みを向けないことはできるし、克服し乗り越えていくこともできるが、やはりそのためには自らのトラウマを自覚することが必須である。北も含めて朝鮮人は自分たちのトラウマを受け入れ、克服しなければ、自らの不当な反日感情は克服できないだろう。反日は韓国人自身が克服し、乗り越えるべき課題であり、それが本来の「未来志向」である。

日本人にもこうした歴史認識は必要であり、その上で冷静に見守りつつ対処すべきである。反日に支配されている韓国人は朝鮮の歴史を知らず、対立はしても日本のネトウヨと呼ばれるような人も、基本的には同様だろう。
「過去に目を閉ざす者は、現在をも見ることができない」
無意識の心理を知らなければ歴史や社会心理は理解できない。

しかし、このような事実は相手に諭しても余計に反感を買ってしまうのが難しいところである。
患者さんがトラウマの事実を否認し、治療に抵抗を示し、病理性を守ろうとするのと同様で、精神分析で言えば「抵抗・防衛」である。
韓国側からだけでなく、日本人側からも反感をかうことを承知で書いているが。
ネットなど見ていると、今こそやるべき時だ!制裁が必要!甘い顔を見せてはいけない、などと「勇ましく」奇妙な高揚感に支配されている人も少なく無いようである。前の戦争でも、インテリでさえ先の見通しも考えられず、多くの人はそうした心理に支配されていた。

幼児期のトラウマにより解離しているからである。戦争も広い意味では集団的な「感情転移」であり、精神病理現象である。
政治家にも国民にもそうした認識がないことに不安を感じて危惧しています。
対立は何としても避けるべきである。おそらく経済制裁などしてもエスカレートしてしまう。
今どき、戦争といっても、そうそうドンパチやるわけにはいかない。既に戦争は始まっているのかも知れないが、何としても避けるべきである。正当な主張は粛々と続けるべきだと思う。
戦い続ける人の心を 誰もがわかっているなら
戦い続ける人の心は あんなには燃えないだろう。吉田拓郎「イメージの詩」

1970年、小学校6年の時、初めてこの曲を聞いて感激した。

徴用工問題、慰安婦問題、少女像、朝鮮戦争、日韓対立、反日、嫌韓、経済制裁、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA(ジーソミア))の破棄決定、北朝鮮問題

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小学生の列に車で突っ込んだ女性に「無罪」判決、居眠り運転??

小学生の列に車で突っ込んだ女性に「無罪」判決、裁判所はなぜ有罪にできなかった?
(弁護士ドットコム)
https://www.bengo4.com/c_1009/n_7145/

検察側は、危険運転致傷罪が成立しなかったときのために、「眠気があったのに運転を中止する義務を怠った」として、予備的に女性を過失運転致傷罪でも起訴していたが、「眠気があったことは立証されていない」「運転中止の義務が生じていたか疑問が残る」として無罪とした。
ということである。
こうした問題が頻発することは過去に予測し、このブログでも書いている。
やはりここ数年、こういう事故が増えてしまったが、それに気づいている人もいるはず。
司法からすると無罪という結果は妥当ということになってしまうのだろう。

文面の通りとすると明らかにベンゾジアゼピン系睡眠薬ではなく、非ベンゾ系の睡眠薬の作用によるものであろう。
おそらく新型睡眠薬とされる、ベルソムラ、ロゼレムといったもの。
従来の睡眠薬の作用でも、日中眠気が出ることはもちろん多いが、このような事故は少なかった。
眠気がある程度予測できることもあるが、ある程度抗することもできるし、車を止めて休むこともそう難しくはなかったからである。ボーっとしても何とか路肩に止めることはできる。過量服用して車を運転するバカも滅多にいないが、いたとしても大事には至り難かった。

(もう40年以上前から言われていたことだが)我々がベンゾジアゼピン系睡眠薬、精神安定剤の危険性を強く訴え、患者さんや製薬会社・精神科医にもようやく知られるようになり、ここ数年は非ベンゾ系の新型睡眠薬が安全だとして流行っている。
おそらくベンゾのような副作用や危険性は少ないのだろうが(もちろんないわけではなく、まだ未知数の面が大きい)どうも、眠けを感じてもいないのに、急にコテンと寝てしまう危険性が強いようである。
この事故のように人の列に突っ込んだり、いきなり対向車線に飛び込んだり、普通にはありえない重大事故につながりやすい。近年こうした事故が増えたことは、ニュースをよく見る人なら気付いているはず。

したがって、このような新しいタイプの睡眠薬がもてはやされて使用されるようにななった数年前から、我々は警告してきたが、やはり予測した通りこのような事故が増えたようだ。
検察も裁判所も新しいタイプの睡眠薬の作用については知らず、旧来の睡眠薬を想定しただけだろう。

無罪になったのは止むをえないことかもしれないが…、
有罪とすべきはこのような危険性当の注意を喚起させなかった、製薬会社や精神科医だろう。実際には難しいことだが…。
彼らはあまりにも無知であるが無知で済まされるわけではない。

そもそも睡眠薬は不眠症が良くなる薬ではもちろんないし、眠らせるというより意識障害を起こさせる薬であり、気絶させて眠らせるようなもんである。
とりあえず眠れないより薬で眠った方がマシ、と考えるのは人情だがそれが命取りになってしまう。長期服用で命を落とした人も多く、やはり薬物中毒死は増え続けている。

当然、耐性もあり依存性も強く、薬で寝たってまともな睡眠ではなく、疲れは取れず神経には余計に負担をかける。
だんだん効かなくなるので薬の量は増えるし、増やしても眠れず止めるのも大変で、止めると余計に眠れなくなる。一年半も寝ていないという人を診たことがあるが、もちろんボーっとしたりはするのだが、まともには寝られないということ。

ちなみにその患者は医師で、ストレスたまって眠れなくなり、睡眠薬なんて危険ではないかと知り合いの精神科医に聞いたそうだが、もちろん答えは「今の薬は安全」それを信じて服用したわけだが、安全というのは飲んでもすぐに死ぬわけではない、ということ。やはり身体の病気もいくつか併発してようやく睡眠薬のせいだと気づいて断薬した次第。

眠れないのは眠れない理由があります。ストレスの要因となっていることに対処する必要があり、なるべく原因に近いところから対処する必要があります。
子供の頃はバタンキューでコテンと寝ており、授業中に眠くなるなんてなかったはず。子供だって大変だけどね。授業中の居眠りは、ほとんどの人は中学か高校から。この頃から不眠になる人も増える。

殆どの場合、不眠は寝られないのではなく、寝るべき時に寝られない、日中眠くなる、寝てはいけない時に寝てしまう、というのがほとんどで原因は心因であり、脳の病気ではありません。
良い眠りにつける方法も教えます。
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