抗うつ薬は健康関連QOLを長期に改善しない


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Antidepressants and health-related quality of life (HRQoL) for patients with depression: Analysis of the medical expenditure panel survey from the United States – PubMed (nih.gov)

一応リンク張っておきましたが、あまりにもバカバカしいので読む価値はないです。

「抗うつ薬の服用は、うつ病患者の健康関連QOL(HRQol)を長期には改善させないことが分かった。」当たり前だ。そんなこと調べなければわからない、ということ自体が問題だ。あまりにも愚かだとしか言いようがない。そのうえわかりもしないくせに長期服用させているんだから悪質と言っても良いだろう。

長期に改善しないから短期間なら改善するわけではもちろんない。短期的にはわずかながら改善したかのような影響、反応があるだけだ。新型だろうが旧型だろが、他の向精神薬でも基本的には同じ。

俺は子供の頃から重症患者だったが、そんなことわかりきっていたので病院にも行かなかった。
40年以上前の大学4年の時に、このセルフ・セラピーの基になった治療に巡り合って、劇的に改善したのは前にも書いた通り。

新型抗うつ剤 SSRIの作用による賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)や薬物中毒死などには全く触れていないし。

最後はお約束、お決まりの決まり文句
「うつ病患者は抗うつ薬を使用し続ける必要があるため、うつ病患者のHRQoLに対する薬理学的/非薬理学的介入の実際の影響を評価する長期的な研究が必要だ。さらにうつ病患者の全体的なQOLを向上させるにはうつ病の長期的管理における認知的・行動的介入の役割を評価していく必要がある」
なんだか、決まり文句さえも年々低レベル化しているようだ。
水戸黄門も30年もやってれば飽きられるだろうし、史実だと思って真剣になって見る人なんかそもそもいない。

かなり滑稽なのは、精神科医のコメント
「鬱病治療の目標は、改善ではなく悪化を防いで現状維持が第一目標でしょう。」
完全に開き直っている。もちろん変動はあるけど、そもそも悪化するような病気じゃないのに。受診服薬で悪化させているわけだが、それをまた薬で悪化を防ごうなんて、もう何十年やってるんだ。

これは一般の人だろうと思うけど。
(ちなみにMedical Tribuneは医療関係者しか一部しか閲覧できないが証明は必要ない。私はもちろん医者ではないが、医療関係の国家資格はあるので)
「そらそうでしょ 根本治療をしっかりやってないんだから。薬でうつは治せません」
根本治療なんてやっていない、というよりないし、もちろん精神科医は知らないしやろうとしもしていない。
「当たり前です。日本は製薬会社が販促のために『うつは心の風邪』だから簡単に内服薬で治るようなイメージを植え付けましたが、うつ病はそんな簡単な疾患ではありません。」

厚生労働省 公開リスト】 飲み続けないほうがいい薬 116(11/19)+ 医師の報告義務を文書で指示

【厚生労働省 公開リスト】 飲み続けないほうがいい薬 116(11/19)+ 医師の報告義務を文書で指示

http://blog.livedoor.jp/sagittariun/archives/13651666.html?fbclid=IwAR0OLfBKae3nkk2MVOanxmkU1C4lLrEA4n7nmrWYyPBE1Yffm0TDieQT46E

当然のことながら、睡眠薬、精神安定剤(抗不安薬)、抗うつ剤、抗精神病薬の殆どがリストに入っています。

今更ですが、楽観的に受け取れば厚労省もようやく重い腰をあげて、向精神薬等の薬害に取り組む姿勢を見せたということでしょうか?

期待したいところですがどうかな?

精神分析で言うところの無意識の「抵抗と防衛」と憑依・心霊現象

【精神分析で言うところの無意識の「抵抗と防衛」と憑依・心霊現象】

精神分析の言葉としての、「抵抗・防衛」については高校の倫理社会やもしかすると保健体育の教科書にも載っているし、大学の教養課程程度でも臨床心理などの科目を取っていれば勉強したはずで、知識としては基礎の基礎である。

もちろん精神科医も「抵抗・防衛」という言葉は知っているし、実際の理解が伴ってはおらず、精神分析に反感を持つ人が殆であるが、一応知識はあるはずである。

私は子供の頃から知識があったわけではないが、何となくそういう問題に気づいていた。
記憶はおぼろげだが、方しか中学2年の時に保険体育の教科書に書いてあり(他の本だったかかも知れない)、膝を叩いて「こんなすごいこと教えて良いのかっ!文部省はどうなっとる?学校教育も捨てたものではないか?」と思った。
その翌年の中学3年の時には、本屋で中公文庫のフロイトの「精神分析入門」を発見し食い入るようにむさぼり読んだのだが。もう半世紀近く前になる。

簡単に言えば、「抵抗」とは精神的問題を改善することや健康に近づくこと、良くなることをむしろ拒否する、自分にとって役立つ人を否定・非難するなどである。

「防衛」はコインの裏表みたいなもので「抵抗」と同様ではあるが、自分の良くないところ、病理性が苦悩をもたらしているのにそれを手放そうとはせず、むしろ頑なに守ろう、防衛しようとすることである。

多分に無意識にやっていることなので、それに気づく必要もあるが、それ以前に中学の頃の自分のように、いくらかなりとも自覚もあるはずなので、精神病理克服、精神の健康のためには、なかなか受け入れ難くとも洞察・理解し、克服すべき課題と考え実践する必要がある。

この「抵抗・防衛」の問題は私が提唱するセルフ・セラピーの最初にして最大の問題でもある。いくら良いこと尽くめの治療法であっても、いや、だからこそ、やっかいな問題になる。
治療法の問題ではなく、精神病理の問題であり、人間とはそういうものだとも言えるけど。

とりあえず、知識だけでも「抵抗・防衛」という概念が広まらなければ、このセルフ・セラピーの普及も難しいかもしれず、その意味で、公表するのは時期尚早かも?とも思っている。

ある患者さんのこと

40代前半だが高校入学して間もなく、ちょっとしたイジメというよりも、からかい程度のことはあったようだが、神経症的症状がひどくなり不登校になり、そのまま辞めて以来学校にも行かず仕事も殆どしていない

以来、ずっとほぼ引きこもりだが、病院とちょっとした買い物くらいは外出している。
バイトもごく短期はしたことがあるようたが続かず、高卒認定試験は難なく取れており、知的には低いという感じではない。

病院はもう20年以上も中断したことはあるが受診しており、薬では良くならない、行ってもしょうがないとは一応分かっている。不思議なことに長年薬を飲んでもけっこう大丈夫なことだ。
ときに思うことだけど人間ってけっこう頑丈だ。もちろん人によるし、肝機能の解毒作用が強いのかもしれない。

さすがに副作用や弊害はだんだん大きくなり本人も気づいてはいるようで、薬もだいぶ減らしてはいるが、変更した薬の副作用で太ったことを、本人は一番それを気にしており、今まで外に出ていた買い物にも行かなくなった。

よくあることだが、引きこもりの人に限らず、パニック障害や社会不安障害だとして外出できないという人も、病院だけは欠かさず行く人が多い。
普通はむしろ病院に行くのは気が重い、億劫だと思う人が多いはずで、いわゆる病院嫌いの人も少なくないけど。

行ってもしょうがいないことはわかりきっているのに。
これもまた、「抵抗・防衛」の表れである。一見、治療に積極的なようでむしろ逆になっている。良くならないことを望むために病院に行く。

その人の場合、自分は軽度の方だし、他の患者に気を使うのがバカバカしいのでデイケアは辞めたという。もっとバカバカしいのは、受診服薬のはずで、何にしても自分次第で利用の使用もあるかと思うけど。

なぜ「抵抗・防衛」があるのか?その要因と背景は?

親が子供を病気にするだけではなく、お前は私(親)の養育や接し方が悪いと思ってはいけない、病気のままでいなくてはいけない、良くなってはいけない、と言ったメッセージが強く含まれており、無意識にという無自覚の対応洗脳というか催眠になっている。

無自覚だからこそ対象化、吟味されず、罪悪感もなく、抑制や歯止めも聞かないため強力な影響力を持ちやすい。
それもまた親の「抵抗・防衛」という面があるが。

どんな人でも「抵抗・防衛」はあるが、そうした傾向が強い人ほど強い、もしくは大きく、それほどでもない人もいる。

その患者さんは当所に来て治療を受けるときに「私は自分が良くなりたくない、という気もあると思う」と言う。
通俗的とは言えメンタルヘルスに関するような本は随分読んでおり、それなりに知識はあるようだ。

「精神分析の用語では『抵抗・防衛』と言うけど、とりあえずそれが分かっているだけでも良い。そういう葛藤があるのも当然だが、あせらず徐々に克服していけば良い」などと言ったのだが…

実は意味が違っていることに気づいた。

彼女の父親はもう引退しているが、誰もが知っている有名企業の元重役で、退職金や年金も多くて裕福である。障害年金などもらわなくても金銭的には問題なく、仕事もしたくないし、このまま引きこもりでもそんなに苦痛でもなく、このままやっていければ良い、ということだった。

先生は有能で治療も良いことは認めるけど、私はそんなに良くなりたいわけではないし、治療に積極的に取組む気はない、という意味である。
要するに「抵抗・防衛」を克服すべき問題とは考えず、自分の病理や現状を正当化することを考えている。

彼女の弟も高給取りである。親が死んだら弟が面倒を見てくれると言うが、結婚して子供もできたらどうか?嫁さんだってそうそう納得しないのではないか?と思うのだが。

その人の父親は先程も書いたように、大した学歴もなかったのに某有名企業で出世した人だが…
働き盛りの頃に、さんざん部下にパワハラをやっており、それでむしろ「業績を上げた」人らしい。

今なら部下の多くに訴えられて裁判沙汰の嵐になるはずだが、それ以前に、辞めざるを得なくなるか自粛するだろうけど。
当時だから許された、というわけではないが、むしろ出世の踏み台にしたようだ。

当然、部下からは恨みをかう。そのパワハラの嵐がひどかった頃が、彼女が発症というより不登校・引きこもりになった時期と重なっているようだ。
その後も恨みつらみは当然続いたはずで、今でも続いてるかと思う。

話を聞いても、彼女には不登校になる特段の理由や要因があったわけではなく、幼児期からの親の養育、対応も問題ありだろうが、心理的虐待と言うほどでもなさそうで、そんなに重症になる要因になるトラウマがあったとは思えない。

精神疾患としては軽度でも、今となっては不登校になり、そのまま引きこもりになったので、社会生活の経験はあまりに乏しいため、精神病理的には軽症でも、「社会的重症化、障害者化」したような感じである。
本人もそんなに自分が重症とは思えないようであるが、引きこもりから抜け出せない理由も良くわかっておらず、あまり自覚がない。
病院と買い物は特に抵抗もなく行ってるわけだし。

親がパワハラなどやっていれば、子供が知らなくても、そのこと自体が無意識のトラウマになる。実は、薄々とは気づいているケースももちろん多い。

生霊を飛ばされた?心霊現象、憑依現象

精神病理学的にはこのような言葉を使うべきではないが、いわゆる「生霊を飛ばされ憑依した」というやつである。
本人がそう言ってたわけではなく、ハッキリした認識もないが、それを納得しているようでもある。
父親が罪深いことをしたので自分が犠牲になるのはやむを得ない、というように。

オカルト的なことは私も嫌いだが、そのようにしか考えられない現象は確かにある。

心霊現象とされるようなオカルト的なことも、それなりの理由や根拠、背景があり、それを無視し、荒唐無稽なことと考えてはむしろ精神疾患は理解できず対処もできない。
「脳の病気」という誤解、信仰もとけず無駄なこと有害なことをやり続けてしまう。

心霊現象といったことも精神分析学的には無意識の心理として考えるべきで、同一の現象を別な見方をしているとも言える。
もちろん精神分析の方がはるかに学問的広がりも発展性もあり、臨床的、実践的にも有用だからこそ、私も心霊療法家ではなく(広義の)精神分析療法家となったのだが。
もっともオカルト的なことは嫌いだし、霊だの何だのといったことも嫌いだし、というよりよくわからないので避けていた。

やはり人の恨みをかうようなことはすべきではない。自分には返ってこなくても、自分の愛する者に影響してしまう。

「発達障害」developmental disordersという誤訳

【「発達障害」developmental disordersという誤訳】

「障害者」「障がい者」「障碍者」といった表記にこだわる人が少なからずいるようですけど。個人的には正直あまり気にしていません。
元々リハビリ系なので「身体障害の作業療法」「精神障害の…」、「発達障害の…」といった言葉に慣れており違和感がなかった。
障碍者という表記が一般的になったら、もちろんそれを使いますけど。

しかし、治療法を身に着けて、実践するようになってからは、「精神障害」という言葉はあまりにも違和感があり、使わなくなりました。
必ずしも適切ではないかと思いつつ「精神疾患」は多用してますが。
理由はおわかり頂けるかと思います。

聴覚障害のことを「つ○ぼ」、聾唖のことを「お○」、視覚障害のことを「めく○」脚が不自由な人のことを「びっ○」と言うのも当然止めたほうが良いと思いますが、要は使う人と受け取る側の問題で、そもそもはそんなに悪い言葉ではなかった気もします。

液体や気体などを扱う機器の領域では、盲栓という言葉が多用されており、私のように古い人間は、ついついメク○センと言ってしまうが、今はモウセンと言うのだろうか?漢字だとで同じだし、読みだけ変えてもどうなんだろう?という気はする。

言葉はそれを使う人の意図や理解、考えや感情などの問題であって、差別や蔑視などが悪いのであって、多くの場合、言葉が悪いわけではないような…

もちろん、差別感や蔑視などを伴って使うことが多い言葉や、そもそもそうした意図があって使われるようになった言葉は、受け取る側の多くが傷ついたり不快になる言葉は止めるなり変えるすることが必要だと思います。実害を減らすことにもなる。

知人に、外国人を前にすると、やたらと「ke唐」とか「アme公」なんて連発する爺さんがいましたが。相手はもちろんわからない。医者で大学教授だし英語もできるし、面白くて良い人でしたけど。戦中派だからか趣味悪いね。

「キチ○イ」と言うのも元々そんなに悪い言い方でも無かった気がします。要するに「気が違う」ということで差別的でもないような?
「気」という言葉は明確ではなく、わかったような使われ方をするので、事実の理解はつながらず、あまり良い言葉ではないと思いますけど。

あまりにも問題が多い「発達障害」という言葉ですが…

ところで問題の「発達障害」ですが、これは昨今一般的に広まったのとは違う意味で使っていました。
要するに精神疾患ではなく、主に遺伝や先天的もしくは周産期の問題による(主に)中枢疾患など、具体的には、脳性麻痺、精神遅滞、知的障害、自閉症、ダウン症など。
英語ならdevelopmental disability だと思いますが、英語は不得手なのであしからず。

DDと言っても、developmental disabilityを発達障害と訳すのは一応可としても、developmental disorders を発達障害と言うのは誤訳なので改訂されるようです。

逆に「発達障害」を英語にしてもdevelopmental disordersにはなりません。disorderの日本語訳は無秩序、混乱、不調、不具合であり障害とはならず、障害は英語だと、機能障害(impairment)、能力障害(disability)、社会的不利(handicap)なので。
そのため、2023年を目処に正式な訳語が決められ改訂されるようです。

特に精神発達上の問題を「発達障害」と言うのは完全な誤りで、様々な害があり、精神医療はこの誤りに陥り、拡大させています。
AD/HD、広汎性発達障害、アスペルガー症候群、学習障害などと称する場合に使われている「発達障害」のことですが。

この場合は「善意の陰謀」というより多分に無自覚に利用され、疾患喧伝、過剰診断、向精神薬害をもたらすばかりでなく、学校の教師や親や当人にも様々な問題、弊害を生じさせる言葉でもあります。
そうしたことは他でも述べたし、ここではこれ以上論じませんが。

developmental disorderが、どういう訳語になるのかはわかりませんが、社会不安障害、双極性障害、気分変調性障害などの誤訳は○○症になるようです。
心身症を身体表現性障害などと言うようになったので、むしろ逆戻りですけど、その方が良いと思います。

こうした誤訳はDSMと共に広がり定着したようですが、当初はそんなに悪い言い方ではないように思いました。
しかし、専門家とされる精神科医や、患者さん、一般の方の受け取り方や使い方は我々とは違ったようで、大いに問題アリの言葉になりました。

誤訳を訂正するのは良いことですが、精神分裂病が統合失調症になった時と同様に、名称を変えても精神科医の誤解や無理解、有害な精神医療は改善しそうにないので、悲観的にならざるをえませんが、どちらかと言えばマシになるのでしょうか?
精神科医や臨床心理士よりも、一般の人に期待したいところです。

本末転倒、倒錯した精神医学研究「うつ病の発症、HHV-6が持つ遺伝子が関与か:慈恵医大」

本末転倒、倒錯した精神医学研究「うつ病の発症、HHV-6が持つ遺伝子が関与か:慈恵医大」

またまたこういうのが出てきました。
少し前の2020年6月頃の話題ですけど。

うつ病の発症、HHV-6が持つ遺伝子が関与か:慈恵医大
https://www.carenet.com/news/general/carenet/50201

うつ病の原因遺伝子の発見
-ヒトヘルペスウイルス 6(HHV-6)の潜伏感染はストレス応答を亢進させることで、うつ病のリスクを著しく上昇させる-
http://jikeivirus.jp/wp-content/uploads/2020/06/2b5442c6724af0b997f15463558a52c9.pdf

当然のこと、以下のような批判もあります。

東京慈恵医大による「うつ病の原因遺伝子の発見」の矛盾
https://matsumoto25.net/2020/06/25/sith1/

前にも書いたけど、いつものようにこんなのが現れては消えるでしょう。
原因と結果が倒錯し、本末転倒しているからこんなことになる。
本質を理解しようともせず、それ以前に事実を捻じ曲げたり否認したり。
なぜ、そんなに認知の歪みや欠落が甚だしいのでしょうか。
精神医学には既に優れた先人の知恵もあるのに、それは全く無視。

精神医学の研究と言うのは皆の普遍的な利益や、健康と幸福を追求するものではなく、殆どはある種の人や集団や組織の利益と結びつくことだけしかやりません。
簡単に言えば金と名誉。

では何をどのように研究したら良いのか?
もちろん、臨床的な観察、洞察や理解が基本ですが、理解が優れた研究法の一つは、以下でも提示しています。

精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ
(うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)
https://self-therapy.info/2017/01/17/pc/


このような物質的な「精神医学研究」は今まで繰り返してきた通り、そのまま立ち消えになるのでしょうけど。
もしかすると、何らかの「新薬」の開発などに結びつく可能性はあるのかもしれませんが、結果もわかりきっている。
「効果」はあっても乏しく、弊害や危険性は高い。「効果」と言っても現行の抗うつ剤を上回るものではないはずで、もちろん良くなることとは違います。
「効果」があれば弊害や危険性もそれ以上に高い。

それにしても「うつ病の原因がわかった」なんて今までも散々言われてきたし、二十年以上も前から「うつ病は薬で治る」と言っていたではないか。嘘つきばかり。
「嘘つきは精神科医の始まり」なんて標語も流行ったな。
♪誰が言ったかしらないが♪俺かな?
ただの喧伝にしてもウソばかりではいけないが、なぜか公共広告機構ACジャパンに訴えられることはない。

脳科学やら、生物学的、化学的、物理的などフィジカルな観点から、物的還元主義で研究を進めても、それは進歩ではあるのかもしれませんが、どこまで行っても平行線で精神疾患に近づかず、理解もできず成果も得られません。

こうした研究の結果、何らかの「治療法」に結びついたとしても、ロボトミー(精神外科)、電気ショックや磁気刺激、薬物などなど「効果」はあっても良くなるものではなく、弊害やリスクは極めて大きいものになるのはわかりきったことです。

そうした誤りを繰り返してきたのが、精神医療の歴史ですが反省もない。
「歴史は繰り返す。但し二度目は茶番として」

壮大な無駄とも言えますが、それで経済が廻っていくのでしょう。
「精神科医、功成りて万骨枯る」
でもいつまで続くのかな?

そんなことはない、科学技術の進歩に限界はない、いつかは「うつ病」の生物学的な原因と治療法が発見できる、とお思いでしょうか?

もちろん我々が既に行っている治療の合理性を、物的な事象を基礎に確認したり証明はできるかもしれませんが、それには及びません。弊害もリスクもなくて、結果が得られればそれで良いとも言えますが、原理的にも優れた治療であることは明らかなので理解すれば良いだけです。

でも、もしかしたらこれらの生物学的、物的「精神医学研究」によって、有効な治療法が発見、もしくは発明されることがあるのかもしれません。絶対にありえないとまでは言えないと思っています。

しかし、それができる頃には既に生身の人間か、アンドロイドか、ゾンビか、AIロボットだか何だかも区別が無くなっているでしょう。

そうした世界を皆さんは望むのでしょうか?
それ以前に、世界は存続できるのでしょうか?
私は、SFは好きでもなく苦手なので、考える気もありません。

それはともかく、
既に精神医学にはフロイト先生を始め、治療に直結するものではなくとも優れた先人の知恵もあるのに全く無視、否認。
完全なんてありえないけど、とても優れた良い治療法もあるのにね。
病院に行ってもそれは得られませんが、これを読んだ人はその恩恵を享受できるかもしれません。

日本精神医学会の学会誌・学術誌「精神神経学雑誌」、MEDLINE(米国国立医学図書館)から収録拒否

【日本精神医学会の学会誌・学術誌である「精神神経学雑誌」、MEDLINE(米国国立医学図書館)から収録拒否】

別に関心もないし知らなかったのだが…

伝統ある?(確か、大正時代からある)日本最大の精神医学・精神医療の学会、日本精神医学会の学会誌・学術誌である「精神神経学雑誌」は、データシステムPubMedを通してMEDLINE(米国国立医学図書館)に収録とを拒否されていたらしい。
国際的には学術誌とて見做されないということであり、医学雑誌、学術誌としては事実上の廃刊である。

もちろん私は日本精神医学会なんかには入っていないし「精神神経学雑誌」は数年前に一度みたことがあるが、20年以上殆ど手にしていない。

昔に比べてもあまりにもバカバカしい内容になったし、厚さ自体もだんだん薄くなっていたことは感じていた。学術総会も何年か前に横浜で開催された時には見に行ったが、あまりの下らなさを確認しただけだった。
その時のことは前にも書いた。

精神科医は随分増えたし、会員数はかなり今でも多いはずだけど、もはや学会なんて言えるシロモノではなく、学術誌の体裁をなしていない。

当たり前である。
精神科医の依拠するものは、精神疾患の事実ではなく製薬会社の宣伝文句だし。結局、いくら口ばかり上手い連中でも書くこと自体が無くなる。さすがに論文なら見え透いたウソばかりは書けないし。
おそらく査読はあっても無いようなもの、投稿自体も僅かしか無く、箸にも棒にもかからないのが殆どだろう。
んなことは、読まなくてもわかる。

他の精神医学関連学会も推して知るべしである。「うつ病」学会など会員数も多いはずだが混迷あるのみ。

「精神科治療学」「臨床精神医学」やら商業誌も風前の灯だろう。見てないけど。
岩崎学術出版社とか今でもあるようだけど、続いているのが不思議だ。精神分析学会もすっかり小さくなって無くなりそうなのに。

みすず書房はかつては精神医学関係の良書を随分出していたのだが、精神医学関係の本は殆ど出さなくなった。翻訳に値するものさえ殆どなくなっただろうけど、それでも復刻版は出している。
創業以来初めてのベストセラー、ピケティの「21世紀の資本」で随分儲かったようで、売れなくても出したい本を出せるようになったはずだが。

いかなる精神医学書を積み上げたところで、私の書いたマニュアルのほうが遥かに価値はあると思うよ。あまり大きな声じゃ言えないけど、ここだけの話。信じる信じないは人の勝手だが。

こうした状況は日本だけではないはずで、掲載を拒否した米国側だってロクなもんじゃないことはわかりきっている。英語読めないけど。
昔は読めたんたけどやっぱりやってないとダメだね。

うつ病の「引き金」物質を確認 疲労やストレスで増加、ヘルペス、帯状疱疹

うつ病の「引き金」物質を確認 疲労やストレスで増加
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6362542
朝日新聞デジタル
「さらに研究が進み、発症の詳しいメカニズムが解明できれば、新たな治療薬の開発などにつながるはずだ」
といつものご冗談を。バカバカしいにもほどがある。

今まで、抗うつ剤で治療ができなかったから、こんなのがまた出るのだが。もちろん電気ショックなんて持ち出してもダメ。磁気刺激なんてそれを薄めたようなもんだ。
成果の出ない金と労力の無駄になる研究も、業績になるから止められないんだろうけど。
その前に、精神医療側が治療の失敗、医療過誤を認め補償すべきだ。

患者側も何を期待してるんだか
ギャンブルで負けたら、さらにつぎ込めば儲かるわけじゃないよ。負けが込むのは当然のこと。
ギャンブルはギャンブル、ユーザーが儲かったら成り立たない。

結局、ストレスが原因ならそれに対処するしかないだろ。当たり前。
ホントのうつ病はストレス無くてもうつ病だけどね。
存在そのもの、この世に生きること自体がストレスと言えばそうなんだけど。
薬で打たれ強くもならないし、もちろんストレスを克服する方法も、パワハラ上司対策法も身につくわけはない。鈍くはなるけど。

自分で治療しましょう。ストレスの対処法も、パワハラ対策も教えます。
パワハラ上司やブラック企業の社長なんかも、もちろん病気なので治療が必要です。そういう人は来ないだろうけど。

ちなみに精神科医の皆さんに研究法をご提案したページはこちら
精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)

精神科医の皆さん、研究、頑張ってな。
業績のための安易な研究をやっても何の役にも立たないぞ。

https://self-therapy.info/?p=1002

https://www.self-therapy.info/
個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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冬のメダカ“うつ病”に着目、「セラストロール」という化合物で改善!?

冬のメダカ“うつ病”に着目 名古屋大などの研究チーム
 名古屋大などの研究チームが、夏は群れで生活するメダカが冬になると他の個体に興味を示さずばらばらに行動し、鬱のような状態になることに着目し、人の「冬季うつ病」の治療薬候補を見つけたと発表した。
チームは、メダカの鬱のような状態が中国伝統医薬に含まれる「セラストロール」という化合物で改善することを発見。吉村崇教授(動物分子生理学)は「人の冬季うつ病も、元の姿は(動物の冬眠のように)冬の厳しい環境でじっとしていること。魚の研究が参考になる」と話している。

西日本新聞 2020/5/23
相変わらずこんなのばかり。
この手の「研究」が上手く行かないことはわかりきっているのに、現れては消え後をたたない。
こんなの出したら他の学問、研究分野なら致命的だろうけど、まかり通ってしまうのが「精神医学」
もはや滑稽を通り越し、うつ病の治療からはますます遠ざかる。
うつ病が治る魔法の薬なんて、100万年かかってもできるわけがない。
その前に、薬では良くならない、治療はできない、失敗だったことを認めるべきである。

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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末田耕一氏の著書 『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない』

『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない
ヒロシマで見つけた「無意識の病」PTSDの薬物療法』末田耕一 著
文芸社 (2017/11/1)


著者のサイコドクターSこと末田耕一氏とは一応、面識があり知り合いでもある。
といっても、特に交流らしいものはないのだが。
私の知り合いの精神科医はみんな10歳以上年上で、既に物故者が多い。
長らく精神科医とはなるべく関係を持たないことにしており、年下の精神科医の知人はおらず、もしかすると彼が唯一の知り合いかもしれない。
私は精神科医にケチばかりつけており、今は嫌われているかもしれないけど、これでも若い頃は精神科医に尊敬、とまでは言わなくても、一目も二目も三目も置かれていのですよ。

別に自慢にもならないが。考え方も言うことも昔から変わらないのに。
医療系専門学生の頃も、精神疾患脳病説や薬物療法を批判し、テストにもそう書いたが、精神科関係の科目(医学部の数倍はあった)を落としたことはないという筋金入りだ。(他の科目はずいぶん落として落第しそうになったけど)
ついでに書くと、帯評を書いている清水寛氏とも面識というほどのものはないが、30年近く前に一度お会いしたことがある。当時、私が勤めていた大学の同僚の先輩ということだった。

末田氏には、最初、私が彼のブログを読んで、少々批判めいたメールを出し、それに対して返事が来た。反論と言うほどではなく、特に対立するような内容でもなかったが。
その後、彼が自身のブログで、私がブログに書いた記事についてコメントしていたので、お礼のメールを出しておいた。俺のことを「面白い人」なんて評していた。

それからしばらくして2014年に横浜で日本精神神経学会に行った際に、彼の発表も聴いて、話しかけてみた。お会いしたのはこのときのみ。
そのときに停戦協定と軍事同盟を結んでいる。というのは大げさで、実際そのような話さえも明確にしたわけではないのだが…
以下のような点で合意があったと私は考えており、おそらく彼も同意してくれるはず。

・お互い立場や考え、実践法などいろいろ違いはあるが、基本的には正しい真の精神医療推進派であり、現状の有害精神医療に対しては反精神医療派である。
・(現状の)精神疾患は事実上すべて遺伝ではなく、精神的要因、心的外傷(トラウマ)が原因である。精神疾患は脳の病気ではなくすべてPTSD(心的外傷後ストレス障害)であるゆえ、それを前提に治療する必要がある。
・現状の悪質精神医療蔓延・拡大しているような状況では、お互い対立したり批判すべきではない。
・現状の有害精神医療に対しては、特に協力するわけではないが、それぞれの立場で共に批判し断固戦う。

といったことが合意された内容であると私は解釈している。
ゆえに、ここでも批判や対立点については触れないことにする。
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読者の皆様は、まずタイトルの意味が分かりにくいのではないかと思うが…。
『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない』というのは、
「うつ病」というのは内因性精神病のことであり(末田氏はそれは消滅したという認識)、現在「うつ病」と称されているのは「PTSDのうつ状態」である。

PTSDを否認しこれを誤魔化すためか「うつ」と言うようになったが、「うつ状態」という言葉あるが「うつ」という言葉は医学的には成立しないので、やはり「PTSDのうつ状態」と言うべきである。(ということだと思う)
彼の提唱するPTSDの薬物療法と言うのは、一般の有害精神科医の薬物療法とは全く違うもので、彼が独自に考え実践している治療法である。(ということだと思う)

すなわち
「トラウマの傾聴・共感(ラポール形成)後のSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬、新型抗うつ剤)SDA(セロトニン・ドーパミン拮抗薬、非定型抗精神病薬)処方」
「トラウマ強化受容療法」 「化学的フラッシュパック誘発療法」
ということです。
この辺を一応、知っておかないと本文もわかりにくかもしれない。
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私にとってはとりあえず、精神医療の歴史や現状については「この本を読んでくれ」でだいたい事足りるので非常に便利な本である。だいぶ体験も違うのだが。今後、私が著作を書く時にもこの部分はかなり端折れる。面倒だし。
自分のふんどしで他人に相撲をとってもらうみたいで、ズルくてセコイので恐縮ですけど。

奇妙になことではあるが…
精神医療過誤・向精神薬害について指摘したり、精神医療、精神科医にケチをつけると当の加害者側の精神科医や製薬会社関係者よりも、実際に被害を受けている患者さん側からバッシングを受けるのが常である。
精神分析で言うところの、抵抗・防衛であり、「ストックホルム症候群」と同様な心的機制によるものである。

精神科医もまた抵抗・防衛を起こしているのである。(誰も治療ができないので)誰も言わない、というか知らないことだけど、抵抗・防衛は良い治療に対しては強く起こるものであり、患者とかかわる他者にも起こることである。
そのへんは前にも書いた。
「なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?」
https://self-therapy.info/2016/03/

今は私も精神科医の批判はするが議論などする気はさらさらない。高慢・僭越に聞こえるのは百も承知。
私は末田氏と立場や考えや実践法も異なる点が多いが、精神医療関係者も患者さんもこの本をよく読むことをお勧めする。正しいことは知りたくなくても知った方が良いのである。

精神科医の皆様はこの本や論文(ネットで公開している)を熟読した上で、末田氏の弟子になるなりして、指導や教えを乞いながら臨床経験を積んでいくべきだろう。精神科医の地位や立場、診断権やら薬の処方権やら医者としての権限などを守りたければそうするしかないはず。
こっちとしては話はそれからだ。

なぁに、ビビるこたぁないさ。
前にも書いたように末田氏は、ブログの印象では強面の印象をもつかもしれないけど、優しそうで物腰も柔らかく(物理的にも?)腰の低い人ですよ。(私も口は悪いが優しい人ですけど)
16,000人の精神科医の中でも、弟子にしてくれと言う精神科医は一人もいないみたいだから、今がチャンスです。
堺正章はグループサウンズ全盛期は「向かうところ敵なし」だったのが2年ほどで「向かうところ客なし」になったと言ってたけど、精神医療もそうなるんじゃないかなぁ?と期待しているのだけど。
ブームの頃は後が予測し難いものだけど、希望的観測すぎるか?

いくらたくさん患者が来るからといっても、有害なことばかりやっていれば愛想つかされるのは当然、精神科医がいくら「甘く優しい言葉」で誘って愛想良くしてもね。
末田氏も表立って活動を開始した。私は彼よりもたぶん5歳上であり、来年は還暦を迎えることもあって表立って活動するつもり。彼の活動も大いに励みになる。

自分がいくら正しくても、損するだけのことや、非難攻撃を受けたり、カドが立つだけのことは止めた方が良いと言われるけどな。
一人で何でもできるわけでもないけど、残された時間もそうそうはない。できるうちに伝えることは伝えて残すべきことは残したいと思う。人生は儚いものだ。
人間、生きているうちが全てではないし、狭い日本が全てでもない。自分は自分自身だけのものではないし、現在が全てではなく過去も未来もある。
ご理解、ご厚情、ご支援を賜りたく存じます。
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精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)

精神医学の研究法のご提案、精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)
うつ病の重症度、採血による評価方法開発に道 九大など
http://www.asahi.com/articles/ASJDJ4CCWJDJTIPE00N.html?iref=comtop_latestnews_04

恐怖の記憶、書き換える技術開発 PTSD治療に効果か
http://www.asahi.com/articles/ASJCM5GVTJCMULBJ00D.html

こんなことをしていたら当然のこと治療法に至るどころか精神疾患の理解から遠ざかるばかりです。こうした「精神医学研究」のあまりのバカらしさについては、前にも書いたことがあるのでここでは繰り返しません。
うつ病の発症メカニズムが解明された!??
http://68631324.at.webry.info/201608/article_31.html

「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル
http://68631324.at.webry.info/201608/article_18.html

学問研究は真理追及のためであり、曲がりなりにせよ何にせよ他の学問分野では実際にそれが目的ですが、精神医学分野だけは逆に嘘偽り誤魔化し、実践的には有害で真理から遠ざかるための研究になっています。
医学領域では他の分野でもその傾向はありますが、精神医学分野ではほぼそれだけと言っても良いくらいです。前世紀はそれほど極端でもなかったのですが…

精神科医は治療などもちろんできないし目指してもいないから、私は精神科医になろうと思ったことは全くありません。
なぜ精神科医は精神疾患の原因の解明や、治療法の開発に遠ざかるだけの研究しかないのか?反治療的なことばかりするのか?

うつ病など精神疾患の原因は昔からわかりきっていたことだし…私も子供のころから基本的にはわかっており、以下にも少し書きましたが。
うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?
http://68631324.at.webry.info/201608/article_2.html

統合失調症の原因(ある同級生)
http://68631324.at.webry.info/201608/article_8.html

はっきり言って精神疾患の原因について知らないのは精神科医だけではないでしょうか?薄々はわかっているけど否認しているのでしょうけど。
もしくは精神科医の書いた本などを読んで、あるいは病院を受診して騙された人にもわからないでしょう。甚だしい人は何を言ってもダメ。
精神科医自身もまた製薬会社等に騙されているわけですが。

専門家とされている人が、頭が悪いわけでもなく、悪意に満ちているわけでもないのに、なぜ子供でも知っていることも分からず、愚かで悪質・有害なことなことばかりを繰り返すのが??
私はむしろそれがわからず子供のころからの疑問でした。

精神疾患の患者さんについての研究も必要ですが、精神科医についての研究も必要です。もちろんご自身も。というより今はその方が大事。彼らがなぜ有害医療ばかりするのか?そこから何十年も抜け出せないのか?
当然、それがまた精神疾患の研究にもなるわけですが。それが私の昔から永らくの研究課題でもありました。
そのために大学の時にはファシズムの研究もしました。吉本隆明の『共同幻想論』や『心的現象論』なんかも参考になった。(政治学専攻)
今でも十分に解明しているとは言えませんが、その「研究の一端」については下記のページにも書いたのでご参照下さい。
なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?
http://68631324.at.webry.info/201608/article_1.html

反精神医療派に対する批判として、『向精神薬や精神科病院、精神科医が悪いのはわかるが、ではどうしたらよいのか代替案を示せ』、ということがよく言われます。
これに対し、精神医療にかからなければよい、薬を飲まなければよい、自力更生あるのみ、というのも十分代替案になっていると思います。少なくともほとんどの患者さんにとっては病院を受診するよりもその方が遥かに良いですから。
しかし私は反精神医療ではなく反有害精神医療であり、むしろ精神医療推進派です。向精神薬や精神科医を批判していますが、必ず代替案というより本案が出せることしか批判しません。

批判ばかりしてネガティブだともよく言われますが、批判する前に創造的、建設的であることは子供の頃から徹底的に厳しく自分に課してきたつもりです。現実的に可能で難しくなく有効な方法が提示できるように。

そこで精神科医や臨床心理士などの皆様のために、ここでは精神医学の研究法についての代替案を出しますので実践してみて下さい。
わからない人には体験してわかってもらうしかないです。
以下のような研究をすれば、どんなにおバカな精神科医でも、精神病についていくらかなりともわかるはずです。たぶんね。

感覚遮断の体験研究をすれば良いです。といってもアイソレーション・タンクなど使わなくてもよい。
部屋を真っ暗にしてとにかくそこに閉じこもる。断食した方が良いけどしなくてもよい。食料はカロリーメイトなど用意しておき、水も用意しておく。トイレは目を瞑ったまま行けるようにしておく。なるべく静かな場所が良いですが。

精神科医なら病院の保護室が使えるから非常にやりやすい。
保護室を真っ暗にして閉じこもるだけ。外から指定の日まで開けないように通告し外から鍵をかけてもらって。とりあえず2週間くらい。2回目にやるときは延長すればせばよい。
保護室はやむなく使用しなければならないこともありますが、基本的に反治療的であることもよくわかるはず。

目を開いても閉じても真っ暗で何も見えない。だんだん睡眠と覚醒の区別がつかなくなってくる。夢と幻覚、現実と妄想の区別もつかなくなる。
言ってみれば自分を疑似的に精神病状態にして、体験するわけです。そこで精神症状とどう闘って克服すれば良いのか。
精神疾患を理解し治療法を得るための研究法です。

もちろんリスクもあります。戻ってこれなくなるかも。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
精神病にはなるかもしれないけど脳の病気にはなりませんよ。
脳の病気と精神病はまったく別物であることも理解できるはず。

人を救う人はももちろんそうやって精神病を理解し、克服法も体得していったわけです。釈迦やキリストや偉い坊さんなども洞窟に篭ったりして修行しています。精神科医ならもちろん必須で、やらないという手はありません。
こっちとしては話はそれからだ。

そのくらいのことはやらなくては専門家になんかなれるわけがないし、患者の治療や指導もできるわけがない。
もちろん自分で体験しなくてはダメです。精神科医の中には、被検者にやらせようとする大バカ者もいるかもしれないので。他人にやらせても意味はないです。念のため言っておかないと。

というわけで精神疾患の研究法を提示しましたので実践してください。
頑張ってね。話はそれからです。根性出せよ!

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うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?

【うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?】
憶えている人もまだ多いだろうが、2015年2月、川崎市の多摩川の河原で、当時中学1年の上村遼太さんが虐めにより殺害された事件があった。何ともやるせない事件である。
被害者の家庭は母子家庭で、母親は離婚し働きながら5人の子供を育てていたらしい。そのこともいろいろ物議を呼んだ。
多摩川の現場には多くの花束が供えられ、追悼する人も多く訪れて、ゴミの処理も問題になっていた。
主犯の少年も加害者グループではボス格だが、もっと年上の不良仲間に虐められ脅迫されており、家庭では虐待されていたという。
主犯者の子分格の一人は、被害者と仲が良かったらしいが「ゴメンな」と言いながらナイフで切り付けたという。
今一歩の冷静さや勇気と洞察力、判断力があったら虐めを止めらる可能性もあったのではないかという気もするが、彼らもまた幼児期からのトラウマに支配され、集団的な感応現象が起こっていたのだろう。
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ネットでたまたま見た記事なので、詳細は憶えていないのだが…
ある霊能力者の有名人に、相談するという形の記事である。
相談者は被害者や家族とも、もちろん加害者とも関わりはなく、現場近くに住んでいるとかその程度の関係。
事件の報道を知ってからもうだいぶ経つのに、とにかく被害者の少年がかわいそうで、哀しくて辛くてしょうがない、悲しんでもしょうがないと思うけど、という内容である。
これに対して霊能力者の回答は…
悲しむべきではない、それは貴女の自己満足に過ぎない。為すべきことは虐めを無くすための努力、具体的な行動や活動であり、それをせずに悲しむだけでは供養にもならない、といったものであった。
ありきたりの答え、当たり前、常識と言えばそうだが…
現実的には虐めを無くすための具体的な活動が、一般の人にそうそうできるものでもない。
虐めの現場やその兆候を見つけたら介入する止める、それだけでも大人にとっても難しい。教師でさえ見て見ぬふり、それを咎めることさえ難しい。もちろん自分だったらどうか、ということにもなる。
悲しい、辛いからこそ虐め撲滅のために働く動機にもなる、とはいう面ももちろんあるだろうけど…
では、被害者を憐れんだり悼み哀しむだけしかできないなら、そんなことしない方が良いのか、供養にもならないのか??
そんなのは自己満足、というのは被害者に自分を投影しているだけだから??
悲しいことは忘れて、あるいは忘れずとも、前向きに明るく楽しく生きた方が供養になるのか?
あの世や魂がなければ、神の存在を前提にしなければ供養って成立しない?
弔いは不要か、自己満足のためか?あるいは遺族や関係者の癒しのため??
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うつ病の本質、少なくともその一部は悲感哀、罪業感、虚無感といったことであるのに異存はないと思う。
かつて昭和の時代の、うつ病患者(主に中高年)の生活史を調べると、以下のような幼児期もしくは遠い過去の患者の周囲に、大きな悲しみや精神的ショックをもたらす出来事や状況が多くみられる。
パニック障害などの場合は、患者の憶えていない、知らないような遠い過去ではなく、割に最近の出来事が病因の大きな要素であることが多いが、それにしても当人はその意味に気づいていないことも多い。
例えばであるが…
患者本人の少し年上・あるいは年下の兄弟姉妹(となるはず)の人がいたが、病気や不慮の事故に遭って亡くなり、妊娠中、もしくは患者の幼児の頃、母親は悲しみにくれ、その中で幼児である患者の子育てをしたせざるをえなかった、といったケースが非常に多い。
昔は医療も発達していないし衛生状態も悪く、幼児が病気や不慮の事故で亡くなることは非常に多かったのである。
あるいは母親の肉親が亡くなり、ショックに打ちひしがれ、悲嘆にくれていたなど。
もちろん父親の関係者が亡くなったなどの場合もあるが、その場合父親自身の精神が荒れすさんだりして、母親もその影響の中で子育てをせざるを得なかった、といったような場合。
そうしたことが無い場合でも、両親の結婚が悲しい妥協結婚で家庭内離婚状態であったとか、嫁姑問題で激しい確執や葛藤があって、嫁である母親は大いに苦悩したり悲嘆にくれていた場合など。
さらに言えば、そうした問題がなくとも、祖先にそうした問題や事件などがあり、子孫に大きな悲しみや苦しみを残し、患者の幼児期の家族関係に影響していた場合など。
何代も代替わりすれば、おそらくそれなりに忘却され浄化され、それ程の影響はなくなるのが殆どだろうけど。
それでも何代も前のことが、大きな影響を残す場合もあれば、十何代も前(数百年前)の殺人事件がど、うつ病患者の幼児期、家庭環境にも影響し、それが主な原因としか考えられない場合もある。
精神医療には、患者個人のの成育歴、生活史だけでなく歴史的背景を知ることも必要である。
霊障というような先祖代々からの精神的な直接的な影響もあるのかもしれないが。
そうしたことよりむしろ、世代にわたって子供育て方・接し方、家庭環境などを通して、しばしば増幅されて心理的・精神的に連鎖する。(トラウマの連鎖)
このようなことをを示唆したら患者本人も、激しく納得していたことは何度もある。
本人も家系的な問題は知っていたのである。
もちろん、加害者側の場合も被害者側の場合もあるし、祖先ではなくその関係者の場合もある、というよりむしろその方が多いかも…
(被害者のトラウマももちろんあるが、加害者としてのトラウマもある)
「うつ病」を遺伝による脳病としての内因性精神病と考えてしまうと、当然のこと「(非)選択的非注意」により病因となる出来事や状況は見えないし、詳細な病歴をとっていてもその意味が見えることはない。
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霊能力者にはそのようなことが見えるのだろうか?
わかっても対処法はなく、一般に霊能力者が対象にするのは憑依精神病の患者であり、統合失調症やうつ病、神経症なども対象にはしない。
精神疾患の人を対象にしても何ら改善せず、金ばかり取るのはインチキ霊能力者の常套である。
私の昔の知人に、『精神分裂病(統合失調症)もうつ病も神経症も、あらゆる精神疾患は憑依精神病・神経症でもある』、と言う霊能力者がいた。『無意識と心霊現象は同じことを別な見方をしているだけ』とも言っていた。
当初は私はその意味がよく分からず、理解に苦しんだ。
科学主義者、合理主義者というのでもないけど、そういう胡散臭いこと、眉唾ものは大嫌い、根拠のないことをもっともらしくいうのも大嫌いだった。
その霊能力者も除霊をするのは(狭義の)憑依精神病に対してだけで、一般の精神疾患の患者にはカウンセリング、心理療法・精神療法といったことで対応していた。
その能力は「黙って座ればピタリと当たる」というような天才的なもので、精神科医や臨床心理士などとは圧倒的に次元が違う。私も大いに参考にさせて頂いた。
仏教が祖先を大切にしましょう、お墓や仏壇を拝みましょうというのは、もちろん理由のあることだろう。
健康的、幸福であるならば当然のことであるが、そうでないならば…。
したくないのに無理に拝んだり供養するよりも、おそらくしない方が精神の健康、メンタルヘルスのためには良いと思う。
むしろ心から拝めるようになるよう努力すべだろうし、そうなってから拝めばいいと思う。
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話を戻すと、肉親の悲しみがあたかも乗り移ったように、時限爆弾のように作用して、中年期を過ぎて「うつ病」を発症する人が多かったのである。
(私と考え方、見方は全く違うのだが)誰かの言葉を借りれば、遅発性・晩発性PTSD・心的外傷後ストレス障害としての「うつ病」である。
子供のころは発達する力があるので、そうそう問題を呈さず、若い頃はまだ元気でそれなりの適応性・順応性があり、仕事や家庭、人間関係など日常生活が特になく問題なく適応できていれば、その段階では、うつ病に陥るようなことはないが。若い頃から「うつ病」というのはよほどの重症だ。
昔から私は「うつ病」をそのように認識していた。
なぜ根拠のない、もしくは現実に相応しくない過度の悲哀感や罪悪感を持たざるを得ないのか?
生まれて数カ月も経たない子供でさえも、悲しみに打ちひしがれて、傷つき落胆している親を何とかしようとする。慰め、励まし、勇気づけ、癒し、導こうとさえする。
またそれができなくては自分自身の生存自体も危うく、良い発達環境も得ることはできない。親の養育なしに幼児は生きては行けないのだ。
親は幼児期の子供のセラピストでもあり、またそうなければならないが、それよりも遥かに幼児は親のセラピストとしての役割を無意識に果たそうとする。
親に対する子供、すなわち幼児の無自覚、非意図的な「心理療法・精神療法」が効果をを上げ、親も幼児の無意識な努力やその成果を認めつつ、感謝しつつ子育てをしていれば,将来的な問題はそれほど起こらないはずである。
それが効をなさなければ、幼児は無力感に打ちひしがれ、(自分が悪いわけではないのに)あたかも自分が親の悲哀や不安、抑うつなどの原因であるかのように思い込み、かつそれを補償できなかった、親を助けなかった、といった罪悪感、罪責感に苛まれる。
もちろん幼児はそれを自覚するわけではないし、記憶もしていないが、だからこそ無意識に影響し、大人になってからこそ、その影響は発現する。
うつ病の罪業感,自責感・無力感などは過去の(主に幼児期の)親に対する罪責感であろう。またそれを助長するような育て方、接し方を無自覚にしている。
罪悪感、罪責感、(理不尽な)要求に応えなければ罰する、叱責すべきでないことを叱責したり、過度に厳しく傷つて罰する、といった親の抑圧の内面化でもある。親にされたように不適切に自分を罪深い罰せられるべきものと考える。
得てして過保護な親は必要な安心感を与えないし、過度に厳しい親は必要な躾はしないものである。
親が「幼児の親に対するセラピー」を感じ取り理解し、感謝しつつ子育てができれば将来的な問題は少なく、一般的には健康的な親、家庭環境であればそうしたことができているはずである。
多く患者の場合は、親に対する子供の治療(心理療法)は部分的には成功するが、親にはそれを認めてもらえず感謝もされず、そのプロセスで子供は傷つくがその補償もされない、むしろ余計に傷つけられる。
もちろん、心の補償が必要なのであって、物質的なもので代えられるわけではないし、歪んだ愛情の押し付け「姑息の愛」や不適切な過保護はその代替にもならない。
上に述べたようなことが、うつ病に限ったことではないが精神疾患の根源的、本質的な原因、トラウマ(心的外傷)ではないかと思う。
「精神疾患は親を治療する過程で傷ついたトラウマが根本の原因、患者とは傷ついたセラピスト」
「あらゆる精神疾患は逆転移精神病・神経症である」
大雑把にいえば…
【健康に育った人】
 親のセラピーに成果を上げ、そのことを感謝され、発達促進的な養育を受けた子供。
 そもそも親が健康であるために、それほどのセラピーは必要ではなく、子供にとって達成不可能な過大な課題ではなかったという面もある。
【精神疾患に陥る人】
 親のセラピーに失敗し、ある程度の成果を上げているのにそれを認めてもらえず感謝もされず、むしろ恨まれたり妬まれたり攻撃されたり。
 そもそも親が健康的でなく、過大な癒し要求を押し付けセラピストとしての子供の心を破壊し傷つける。
 お前は私を癒し救ってくれないだけでなく、負担ばかりかけた、むしろ親を傷つけたと子供は責めを負う。
 傷ついた子供は大人になって、親を救えなかったという悲哀感、罪悪感、無力感、虚無感といった幼児期の反応に加えてもしくは重なって、青年期もしくは成人期以降のの不適応、ストレスで抑うつ状態など精神の不健康に陥る。
 うつ病の親は普通、虐待はしないが、精神的虐待という面もあり、一般の虐待なども類似の心的機制によるものと思う。
「毒親」と言うが、親もまた病んでおり、そうならざるを得ない背景や事情、要因がある。
親は健康そうに見える場合や、親自身に病識はなく自分は健康という場合もあり、それなりの適応能力を持っているからでもあるが、それは子供の親に対する「治療効果」のおかげである。
統合失調症の原因は?(ある同級生)
悲哀や罪悪感などに苛まれているだけでは何にもならない、それを克服し前向きに生きるべき、というのは治療志向ではあるだろうけど。
精神分析的には、悲しみにくれ、自責の念を持ち続けなければならない、明るく楽しくやっていくのは身勝手だ、不謹慎だ、というのは抵抗であり、自分は悲嘆に暮れ自責し続けねばならないというのは防衛ではあるだろう。
但し、抵抗・防衛には現実的な根拠もありうる。
現在も親によるトラウマ・ストレスが子供(患者)に与え続けられている場合である。そこから逃れることは親を見捨てることになる、実際に親の精神状態が悪化することを意味する。
ネガティブな毒は子供(患者)に向けられなくなると、それは自分自身に向けられ、対処・克服できない親は毒が回って自分自身が病気に陥らざるを得ない。
しかし自分のことは自分で解決し、克服なければならない。人に押し付けて抑圧してはいけないのである。
ちょっと極端な言い方で気を悪くする人もいるだろうけど。
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うつ病の症状は現実的なストレスには対応しておらず、あたかも何も理由がないのに激しい抑うつ状態に陥っているかのように見える。
実は「実存的問題」で激しく悩んでいたりもするのだが。そうしことは普通は若い頃に苦悩するものだが、その頃は「順調に」やっていおり悩む必要もなかった である。
患者がそうしたことを言うことが少ないのは、そうした言葉や表現は持たない(哲学者でも心理学者でも文学者でもなし)、相手に言うようなことではない、恥ずかしいと思ったり、通じるわけはない(もちろん精神科医やカウンセラーにも)、精神的に相手を押しつぶしてしまうのではないか、そうなったら自分も罪悪感に潰されてしまう、などといった理由によるものだろう。
あるいは患者が現実のショックやストレスを被ってはいても、抑うつ症状、悲哀感や罪悪感が現実的には見合ったものではとうていなくなく、その程度をはるかに超えており、全く相応していないほど激しく過大であったり。この場合は、うつ病というより抑うつ神経症、抑うつ反応というべきかも知れないが。
だからこそ、「うつ病は脳の病気」とも言われてしまうのだが。脳の病気で頭が狂っているから悲哀感、罪悪感にとりつかれ打ちひしがれているのではない。
もちろん脳の状態は良くないが、それを脳の病気とするのは医学的には間違いである。
抑うつ神経症というのは良いとしても、抑うつ性障害ともいうべきではない。
過去の(多くの場合、主には幼児期)のことに影響され、精神・神経が反応しているためにそのようなことが起こっているはずである。
ストレスに弱い、打たれ弱い、対応能力が低いのは、やはり幼児期の問題から、発達期に身に着けた適応能力が乏しいからである。
適応性が保てるうちは病的状態とはならないが、幼児期のトラウマと現在のトラウマ・ストレスが重なると発症する。
もちろん、幼児期のトラウマがさほどなくても、現在のストレスがあまりに激しければ、抑うつ反応が起こり、激しい「うつ状態」に陥るし、それも精神疾患ではあるが、本来の「うつ病」とは言えないだろう。
患者の幼児期には、年の近い兄弟姉妹が病気や事故で亡くなることも少なく、まだ祖父母も健在であることが多いし、とりあえず戦争が終わってからもだいぶ時間が過ぎた。
もしくは、そういったことと類似のショックや悲しみをもたらす出来事が少なくなったことが、典型的な「うつ病」の人が減ったり理由ではないだろうか。
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10数年前からの『うつ病キャンペーン』により、精神科病院、心療内科クリニックの受診者は劇的に増えて、うつ病と診断される人も、新型抗うつ剤の売り上げも激増した。
しかし、かつてのような典型的な「うつ病」患者はむしろ殆どいなくなったのは上述のような背景によるものだろう。もちろんショックや悲嘆がなくなったのではなく、世の中の移り変わりとともに人の心も大きく変化したのである。
統合失調症や他の精神疾患の病像変化も似たような事情や背景があると思う。
「新型うつ病」なんて言葉も広まったが、それはうつ病ではなく、抑うつ神経症でさえなく、敢えて言うならディスティミア神経症とでも言うべか。
そういう人は昔から多かったが、「プライド」も高いので、病気扱いされるとむしろ激怒し、だからこそ何とか社会的威信、自己評価は保てるように努力していたはずである。
またそれが可能な社会でもあった。
世の中も人の心も、見方や考え方や価値観、生活様式なども随分違ってきた。祖先やら家系がどうのという人も少なくなった半面、霊がどうのという人も増えたようである。
もちろん、心の傷、トラウマをもたらすような出来事や、その影響が無くなったわけでも減少したわけではない。悲しい事件や出来事が減ったわけでももちろんない。
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誤解してはいけない!自殺者6年連続減少の理由は

誤解してはいけない!
6年連続自殺減少の原因は「うつ病の早期発見・治療」、精神医療のおかげではもちろんない。
例えば借金対策などもいくらかなりとも効果はあったはずだが。
3年前にこちらで予知・明言したとおり。
予測通り、2012年『自殺者、15年ぶり3万人下回る』 その理由、原因は?
自殺が増えたのもわずかながら減り続けているのも、理由はもちろん薬物によるものである。
(抗うつ剤の賦活化症候群、アクチベーション・シンドローム)
98年に新型抗うつ剤SSRIの使用が始まり、「うつ病キャンペーン」により受診者が大幅に増加した。
これも当時、我々は予測していたことである。

画像

それよりも注目すべきは、薬物中毒死の大幅増加で、これは今後も進んでいく。
子供の重度慢性薬物中毒、廃人もしくは準廃人化も激しく進行している。

発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱
NHK クローズアップ現代 「子どもに広がる向精神薬の被害」発達障害?

自殺者、18年ぶり2万5千人下回る 6年連続減少
2016年1月15日10時27分 朝日新聞デジタル
 昨年1年間に自殺した人は2万3971人(速報値)で6年連続の減少となり、1997年以来18年ぶりに2万5千人を下回った。男性が7割を占めた。警察庁が15日に発表した。
 78年から統計を取り始め、最も多かったのは2003年の3万4427人。10年から減少を続け、12年から3万人を下回っている。昨年は、前年より1456人(5・7%)少なかった。
 都道府県別では秋田、群馬、石川、三重、和歌山、島根、岡山、山口、熊本、沖縄の10県が前年より多かった。人口10万人あたりの自殺者は多い順で、秋田26・8人▽島根25・1人▽新潟24・9人だった。
 統計を分析している内閣府によると、昨年1~11月の自殺者2万2171人の動機(1人につき三つまで選択)は「健康問題」が1万953人で最多だった。「経済・生活問題」「家庭問題」が続いた。東日本大震災に関連した自殺者は前年同期に比べ1人多い22人。県別は福島19人、岩手2人、宮城1人だった。
 内閣府は「全体として減少傾向にあるが、依然として多い。対策を続けていく」としている。(八木拓郎)

どういうわけか、精神医療に限らず医療に関しては朝日新聞は保守もしくは右翼、読売新聞が左派。

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統合失調症の原因(ある同級生)

ある同級生のこと(統合失調症の原因)
私が中学に入学したのは1971年である。思春期の始まり、多感な時期である。
入学早々、大久保清の事件がニュースになり、それは随分、気の滅入ることであり大いに苦悩した。前年にハイジャック事件や大阪万博があり、この年にドルショック、翌年には浅間山荘事件があり、中学3年の時にはオイルショックが起こった。ベトナム戦争は徐々に終結に向かっていった。
それらのニュースは良く覚えている。
赤軍派メンバーの名前など今でも諳んじているほどだ。新聞は読んだが、勉強は全くしないのでそういうことは記憶に残っている。
彼らも世界の平和や人々の幸福、自由と平等を目指していたはずなのに、なぜあんなことになってしまったのか?
連続婦女暴行殺人事件も集団リンチ殺人事件も、私にとっては深刻な問題であり子供なりに真剣に考えた。中学1年ではあまりに重すぎる課題ではあったが、勉強にはなった。
2つの事件が起こった群馬には何の因果か仕事の転勤で移住し、30歳~40歳までそこで過ごすことになった。
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私の中学は主に2つの小学校から来た生徒が一緒になった。団地の中の新設校であり、4期目ということになるはずだが、校舎は前年に出来たばかりでまだ新しかった。
その時に私とは別の小学校から来たある女生徒を一目見て一目ぼれした、という話ではなく、将来的にあの子は精神分裂病になるに違いないとハッキリ感じた、というよりわかったのである。
既に表情や姿勢、しぐさにもその兆候(というより症状そのもの?)は現れており、背後に親の様子や家庭環境も透けて見えるようだった。もちろん親には会ったことも見たこともない。
透視能力などあるわけでもないが、子供というのはしばしばそういうものである。
既に若干名は精神分裂病の患者のことも噂には聞いたことがあったし、その家族的背景や成育歴など、知ることはごく僅かでも、ある程度の察しがついていた。
一般的に統合失調症の親は一見きわめてマトモでむしろ立派に見える。その子供もまた発症するまでは多くの場合、マトモすぎるくらいマトモである。少なくともたいていの場合はそう見える。
家庭の中を覗いて見たとしても、やはりそう見えるかもしれない。
虐待というのには当てはまらず、普通は暴力はないし言葉の暴力でさえなく、敢えて言うなら有害感情の暴力か。
統合失調症の親は必ずしも愛情がないわけでも薄いわけでも与えないわけでもない。どちらかと言えば愛情を与えて剥ぎ取るのである。その分を取り返すかのように、というよりも利子以上の分も暴利を貪る高利貸しの如く。
もちろんそれだけが原因ではないのだが。
納得がいかない人は、失恋を考えるとわかりやすいかもしれない。
ただ単にこっちが好きでも相手にその気なし、脈なし、つれない態度や返事だけなら、ガッカリしたり落ち込んだりもするだろうが、それほど傷つくわけではないしあっさりと諦めもつく。またしばらくして口説けば相手も気が変わるかもしれないし、こっちも執着はしていないので他の人にすれば良い。
ひどく傷つく場合は相手にも愛情があり、それなりに深い相互的な恋愛感情に基づく精神的な関係があった場合である。別に嫌われたわけでもなく、単に相手が心変わりしただけでも激しく傷つくことは経験のある人ならわかるだろう。
それは幼児期のトラウマの再現でもある。恋愛関係は常に転移・逆転移関係でもあるのだ。陰性転移と陽性転移はコインの裏表のようなものでもある。
『サリヴァンの精神科セミナー』みすず書房にはこうした会話がある。少し引用してみる。
ライコフ
そうね、今はやる時じゃないが、いつかは、例えば自我変化を起こす自我容量の水準が何であるかを論じたい。これは僕自身のためでもある。僕が何年かを共に過ごした統合失調症の家族の全部だが、家族も患者とまさに同程度にクレージーだというのがほんとうだ。思考障害も同じことだ。R.D.レインなどが出している膨大な資料はもう古い。家族の中では実際に統合失調症が全く正常(ノーマル)だということは、われわれの多くがたぶん前から知っている。しかし、父親、母親、きょうだいたちが(患者と同じように)精神科病院の同じ病棟に入院していない事実をどう説明する? あの連中はクレージーなのに(普通の人間が)するとされることは全部している。自我能力がそれを可能にしている。なぜか思考障害の封じ込めができている。
クヴァニース
--もう終わる時間だよ。

というわけで、話が佳境に入ってきたところで対談は終わっているのだが(時間の問題じゃないだろ)、少なくとも中学1年の時の私はそこで思考停止にはしなかった。
R.D.レインの『引き裂かれた自己』を読んだのは高校に入ってからであったが。
幼児期において、特に認識主体と客体、自分と他者、自己と対象、睡眠と覚醒、現実と幻想といったことが、十分には区別がついておらず、まだまだ未分化で自我が確立していない(一次過程が優位な)段階で、極端な愛情剥奪を受けると、大人になってから(多くは思春期~青年期)ちょっとしたショックな出来事やストレスや不適応など、些細なことでもあっけなく精神が崩壊し統合失調症を発症する。
しかし幻覚・妄想といえども脳の異常によるものではなく、普通の人には無いことが起こるわけでもなく、生後数か月レベルの幼児の精神構造への退行・固着である。普通の幼児の精神状態と違って、はるかに強大な不安や恐怖に支配されたものだが。内面化されたトラウマの再現でもある。
十分に自己が確立した人なら、覚醒時には意識から排除できており、睡眠時に悪夢のような形で起こるようなものである。寝ぼけているときに幻覚・妄想があるのは普通の大人でも普通のことだ。
統合失調症の状態は、もちろん寝ぼけているのとは違うのだが半覚醒状態と言えなくもない。
解離された感情や衝動、情動、欲動などが再び覚醒時の意識の中に侵入し、自己を支配してしまい、抗いようもく対象化不可能になってしまう。
先に述べたような、未分化な段階の精神構造への退行であるが、それも全面的に退行するわけではない。
愛情を伴った承認が得られなければ、感情・感覚、認知・認識や思考も、自分のもの、確かなものにはならないのだ。一旦、確立したかのように見える自我や対象関係も、極めてあやふやで脆いものでしかなく、あっけなく崩れてしまう。
先に「些細なことでもあっけなく、崩れてしまう」と書いたが、それは一般的に言えば、もしくは傍から見ればということであって、当人にとっては生死を分ける崖っぷちの瀬戸際、文字通り死活問題である。
例を挙げるなら、お店のバイトを始めたが、「いらっしゃいませ」が上手く言えないなと。
それは最後の審判、死刑宣告であり、人間社会からの抹殺、世界からの排除であり、二度と昇らぬ日が沈む。
それには幻覚・妄想ではなく十分な現実に即した理由がある。
まだ若いのに…というのは、申し訳ないがハッキリ言って素人の浅はかさ。
生きるか死ぬか。実際に自殺する者もいる。生きるのか!?…、然らば精神の自我の崩壊。
私は独力で統合失調症≪精神分裂病≫(の少なくともその殆ど)がPTSD・心的外傷後ストレス障害であることを「発見」していた。中学、高校の時はfぼろげではあったが大学の頃はかなり明確にはなっていた。もちろん上に述べたことが全てではない。
独力とは言っても独自ではなく、もちろんずっと昔からそういうことを発見していた人はいたが、それが一般の精神科医には理解できず少数派だったということである。今は極少数派だけど。
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とてつもない芸術的表現をする子供もたまにはいるし、それは自分の中になければ表現できないはずで、少なくとも他者には伝わらないはずだ。その感性は子供自身のものであるより大人の投影という面も大いにあるだろうけど。
私に関してはそのような才能はからっきしなかった。もしかするとないではなく発揮できなかったのかもしれない。引き出す環境があったら発揮できるわけでもないだろうけど。
私に限らず殆どの子供はそうなのかもしれない。
当然のことながら、もちろんその女生徒に対する感性や認識も私自身の投影という面はあった。
ちょっと自慢になってしまうのかもしれないけど…、今わかっていることの多くは基本的には当時もわかっていた気がする。というより子供というのはそういうもんだ。
私自身はそれから40年以上、そのままの延長で来ているだけである。治療法を身に着けたのは、それから20年ほど後だが。
精神科医とて子供の頃は同様の感性や洞察、そうした才能・才覚があったのではないだろうか? 
いつの間に「心を折った」のか? あるいは徐々に認知がねじ曲がったのだろうか?
おそらくは本人も気づかないうちに。
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結局、彼女とは3年間同じクラスになったことはなく、話したこともないし声を聞いたことさえ多分ないし、何らかの噂を聞いたこともない。彼女とのかかわりは同級生というだけで、廊下ですれ違ったり校庭で見かけたりする以外の関係はない。
小さい中学だったので、何がしかの問題を起こしたり奇妙な面を露呈すればもちろん周囲に伝わるはずだし、そうでなくとも殆どの生徒のことは何かと噂にはなり、決して目立つ方ではなかったが私のことを全く覚えていない同級生も多分いないはずである。
彼女は存在感薄く全く目立たず殆ど話題にもならず、3年間特に問題になるようなこともなかったに違いない。教師ならもしかすると病気に関して何がしかのことを知っていたのかも知れないが、そのような教師がいたとも思えない。要するにその段階ではまだ発症していないはずである。
彼女は高校には進学したはずだけど、どこに行ったのかも知らないし、その後の消息も知らなかった。中学卒業以来、記憶には鮮明に残っており、(自分の頭のハエも追えないくせに)頭のどこかでは薄々とはいつも気にかけて心配もしていたが、その後30年ほど最近まで噂を聞くこともなかった
最近(といっても数年前)同窓会をやるために同級生の消息を調べた折に、同級生の一人から聞いたことは…
「確か…、随分前に親に殺されて事件になった」というのである。
やっぱりそうか…、そういう結果になってしまったか…と。
さすがにそこまで具体的な予想をしていたわけではないのだが。
詳細はいまだにわからないが、やはり発症し精神科を受診して入退院はしていたようである。
大学に進学したのかどうかも知らないが、察するにおそらく仕事も結婚もできず、ひたすら精神的に追い詰められていたのではないかと思う。
おとなしく気の弱そうな子だったが、親に対する暴力くらいはあったのかも知れない。(窮鼠猫を噛む)
私は大学以来地元からは離れていたし、新聞もテレビも見なかったので事件については知らず、同級生とはそれなりに付き合いを保っていたが、彼女の噂も全く聞いてはいなかった。
皆そのことは知らないか、もしくは隠ぺい記憶のようになっており、そのひとりの同級生以外は誰も彼女のことを口にするのは聞かなかった。
首都圏近郊だし住宅地として発展した場所なので、殆どの同級生は地元からそう離れていないのに。話を聞いた同級生でさえ記憶ははっきりしていない様子だった。
彼女と小学校も同じだった友人に聞いてみたら、彼も地元からは離れており、やはり亡くなったことは知らず、彼女のことは中学の頃は覚えていないが、小学校の時の様子は良く覚えていた。
子供の頃は利発で良い子で真面目で優秀だったという。中学の時はそうでもなかったけど。
私が初めてフロイトを読んだのも、日本医師会会長・武見氏の「精神科は牧畜産業発言」を知ったのも、中学の時である。向精神薬害についてもごく基本的なことだけはわかっており、精神医療の現状についてもある程度の察しはついていた。
精神疾患についての専門書もいくらか読んだことはあるが、「こいつら何にもわかってねー、クソの役にもたたねぇ」ので、それ以降は読んでいない。後に専門学校の試験や国家試験もそれだけでクリアした。
従って、精神科医になりたいなどと思ったことは一度もないが、紆余曲折あって20代後半には精神医療関係に従事することにはなり、現在に至る。
もちろん自分自身のこともあるが、彼女のことも無関係ではない。
ついでの話だが、一目ぼれというか気になった女の子は、いかにも家庭環境も良さそうだった。
30数年後同窓会で会ったときには、私も幹事をやったのでずいぶん感謝された。この人とも同じクラスになったことはなく、話をしたのはその時だけである。
あまりデキは良くなかったはずだが、いかにも幸福な家庭をもっているようだった。
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DSMの終焉、神経症の復権:うつ病、発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ

DSMの終焉、神経症の復権:精神障害(うつ病)・発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ
神経症(ノイローゼ)という言葉は、精神科医の中でも一般の人の中でも殆ど使われなくなった。
精神分裂病→統合失調症、というように差別的である、実態を正確には表していない、といった事情で、名称変更が決められたわけではない。
統合失調症への名称変更は、典型的な精神分裂病の発症は殆どなくなったし、病像の変化も伴っており、これとは事情はかなり異なる。
あたかも自然の流れのように消えていったが、もちろん製薬会社、広告会社、精神科医が一体になった情報操作である。
神経症も病像の変化はあるが、昔も今も多いので、私から見れば、昔も今も病気の人はぜんぜん増えてないし、典型的な「うつ病」なんてむしろいなくなり、ただ精神科・心療内科を受診し服薬する人が増えただけである。
うつ病キャンペーン(病気喧伝)により受診者が増え、うつ病という診断がつけられ、抗うつ剤を処方され、それも多剤大量処方が多かったため、そのためアクチベーション・シンドローム(賦活化症候群)で自殺する人も増えた、ということは既にだいぶ知られるようになってはきた。
本来、キャンペーンに従って(踊らされて?)受診した人の多くは「うつ病」ではなく、普通の診断法なら「抑うつ神経症」という診断名が与えられたはずである。
「うつ状態」が主症状ならば、であるが。実際にはそうではない人も多い。
「新型うつ病」なんてのは敢えて言えばディスティミア神経症だろう。
神経症(ノイローゼ)も死語に近いが、本来患者数は多いはずの「抑うつ神経症」は殆ど完璧に死語になって久しい。
ドイツ語ではノイローゼだが、この言葉は、昔の人にはかなり悪いイメージがあったと思う。
有名人が自殺したり、一般人でも妙な事件を起こすと昔の新聞では「周囲の者によると○○さんは最近ノイローゼ気味だったということである」などと書かれていることが多かった。
これは実際には精神分裂病である場合も多かったはずだが、さすがにそうは書かなかった。
こうしたマイナスイメージはノイローゼという言葉にはあったが、同義ではあるが神経症という言葉にそれ程なかった気がする。
また、最近ノイローゼ気味で、など言うのは、あることに悩んでいて落ち込んでいる、と軽い意味で使われることもあり結構広い意味で使われており、あながち間違いでもなかった。
日本では一時、神経衰弱という言葉も使われたようだが、それは大正時代くらいであり、森田療法では森田神経質などと言っていたが、それが広まった頃には一般的には神経症と言う言葉が主流になっていたはずである。
ところが、なし崩し的に言い換えがなされた。
抑うつ神経症⇒うつ病、もしくは抑うつ性障害、気分変調性障害
躁うつ病⇒双極性障害
強迫神経症⇒強迫性障害
不安神経症⇒社会不安障害
ヒステリー⇒転換性障害
心身症や自律神経失調症⇒身体表現性障害、
名前の付けようがない神経症は適応障害といった風に。
これはDSM由来でもある。DSMは当初、日本の精神科医にはなかなか受け入れられなかったが、製薬会社にとっては、薬漬けにするためには甚だ都合が良かったのである。
従来なこれらの精神障害とされる患者の殆どは神経症というカテゴリーに入るはずだが、それでは心因・環境因ということになり「薬物療法」の対象にならない。
実際に昔から神経症の患者は多かったが、殆ど病院には行かず、基本何もしようがないし、病気というほどではない、性格的なものだとか、あまり気にすんななどと言って帰すことが多かった。カウンセリングなども殆どなかったし。
精神科医も気休めに精神安定剤など出し、漫然と服薬して良くなりもしないのにダラダラ通わせることも無いではなかったが、ほとんどの場合、単剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
また、人に言うのも憚られるので情報が共有されることも少なく、こんなの自分だけかとひそかに恥じている人が多かった。もちろん、ネット等もない。
うつ病キャンペーンは大成功のうちに収束していったが、「発達障害」のデタラメ診断、空手形乱発!「問題児、発達障害児狩り」がそれに続いて盛んになった。
発達障害についてはまたいずれ書きますが、最近だと週刊誌「女性セブン」に医療評論家による良い記事が連載されたようです。
障害というのは本来治らず機能欠損や低下が長期にわたるということである。
したがって、狭義の医療の対象ではなく、訓練・療育やリハビリ、福祉の対象。
手足を切断した者を身体障害者と言うが、スキーで骨折した者はケガ人であって、身体障害者とは言わない。
精神障害者という言い方は昔からあるが、精神医療の主な対象疾患は長らく精神分裂病が殆ど、不治の病とされていたというそれなりの背景があった。
私は昔から障害とは言わず「精神病・神経症」「精神疾患」と言っている。これもネガティブな響きが伴うし、あまり適切な言い方ではないが、他に言い方もないし、あえてそう言わざるを得ない。
うつ病は受診・服薬で治ると宣伝されているが、当然、実際には治らない。もちろん、うつ病だけではない。製薬会社、精神科医が「障害」というのは、治らないことの言い訳のためのでもあり、障害なんだんから治らなくて当然という、開き直りを隠しつつも準備していたということである。
薬で治る⇒薬害⇒やっぱり病気だったでしょう⇒障害者化⇒薬でコントロールしながら障害とうまく付き合っていきましょう⇒(こういう言葉は使いたくないが)廃人化
うつ病に限っては、抑うつ性障害などとあまり言わなかったのは、宣伝・イメージ形成に齟齬や不協和を来たして、マインド・コントロールに不利になるからだろう。
いきなり、治る病気ではありません、リハビリが必要ですなどと言うわけはにはいかない。
気分変調性障害と言い方も、あまり使われないが、気分だけじゃないし、精神科医・患者の双方から不満が出そうであまり広まらなかったか。
もちろん神経症→○○障害という置き換えも、何でも「うつ病化」も、薬漬けにするため、製薬会社や精神科医の利益のためである。
もっともDSMではdisorderだろうから(面倒なので確かめる気もなし)障害と訳すのは不適切であり、敢えて訳すなら不調とかそういった意味だろうから、特に間違いとも言えない。そもそもDSMの原因論を避けるという方針に基づいた表現だとはいえる。
しかし、日本では神経症→○○障害という言葉の置き換え自体が、医療信仰と薬物崇拝とDSM流の見方が結びつき、精神医療過誤・向精神薬害を広める役割を果たしてしまった。多分に無自覚に、だとは思うが、頭の良いコンサルや広告会社の人は悪意の解離された意図に基づいて積極的に広めたのかもしれない。
神経症の凋落は同時にDSMの蔓延であり、精神分析学の凋落でもあった。
記述精神医学にはそもそも原因論はないか、根拠のない恣意的な「遺伝による脳の病気という仮説」にしがみつく精神科医も多く、横滑り的にそれが精神医療全体の見解となり、患者の多くもそれを受け入れてしまった。
精神分析学は1950年代に既に原因論に迫っており、製薬会社や精神医療側がこれに脅威を感じ対抗措置として出されたのがDSMでもあり、原因論を理解しない者がもともと多数派ではあったが、圧倒的勝ち組となり学問的にはるかに劣る側が勝利したのである。
神経症というと心因性精神疾患ということなり、心因性ということは心的な原因ということだから脳の病気ではなく、そのようなものとして対処しなくてはいけない、ということになってしまい、脳の病気、向精神薬(抗うつ剤)を飲めば治る、という嘘と齟齬を来たしてしまい、向精神薬を売り込むことはできない。
心因ということになれば、現実のショックな出来事やストレスについての洞察・理解や、発達心理学的、精神分析学的な理解をするしかなく、これは殆どの精神科医が非常に苦手で避けたい、無視したいことである。
神経症に向精神薬では、せいぜい神経の状態をごまかすだけの悪質な対症療法と捉えるしかなく、精神科医も処方し難い。
ふた昔前の精神医療の対象はほとんどは精神分裂病であり、神経症の人が受診しに来ることは少なく、精神科医は対処法もないので、帰らせることも多く、重症な人以外を対象とする必要もする気もなかったのである。製薬会社にとっても金になる分野ではなく、利益追求・拡大の余地があるとはそうそう考えられなかったのである。
神経症ではなく○○障害という置き換えは、DSM由来でもあるが、当所DSMは精神科医に受け入れたのではなく、コンサルティングや広告会社、製薬会社が積極的に取り入れ、広めてしまったために、むしろ精神科医は従わざるを得なくなったものと思う。
当初、精神科医でDSMをあまり受け入れず、積極的に取り入れ広めたのは一部の余程の愚かな精神科医だけである。
神経症とは基本的にはうつ病や統合失調症などよりも軽症であり、病因が器質的な精神疾患のことをさす。命名の歴史はかなり古く、元々は原因がよくわからない疾患に広く使われていたようだが、精神医学的理解が進むにつれて19世紀の終わり頃には、基本的には心的な要因が原因である精神疾患のこととして理解されるようになった。
20世紀までは一般医学に伴って、精神医学も一応進歩していたのであり、甚だしい退行が起こったのは20世紀も終盤からである。
神経症は精神疾患とはいえ、従来、あまり精神医療の対象ではなく、実際の患者は多くとも受診する人は非常に少なかっかった。
これといって治療法もなく、無形のサービスにお金を払うと言う習慣も乏しく、カウンセリングや心理療法を受ける人も少なかった。
心療内科など殆どなく、精神科に行っても神経症の人は「病気とういほどではない、性格的なものだ」とか、「あまり気にするな、薬は適切ではない」などと言われて帰されることが多かったと思う。
漫然と精神安定剤など処方されて良くなりもしないのにダラダラ通わせることもあったが、ほとんどの場合、短剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
神経症は脳の病気ではないが、もちろん、脳の状態、神経の状態や使い方はもちろん良くない。もうちょっと正確にいうと「無意識による神経の使われ方」は良くない。
普通の人にない症状があるのではなく、誰でもある問題がたいした理由もない(と思われる)のに、甚だしく大きくかつ継続し、人間関係や日常生活などに様々な支障をきたすということでもある。
逆に脳の問題によることがわかれば、それは神経症からはもちろん、精神疾患からも除外されていた。脳梅毒、てんかんなど、これらは今日では中枢神経疾患であり精神科の対象ではない。
神経症はもちろん、心的外傷とストレスが原因であり、Sさんに流に言えば全てPTSDである。
神経症より精神症というべきかもしれないが、自律神経症状や心身症等、身体的問題もあるので、やはりそれは適切ではない。
やはりすべて心的外傷後ストレス障害、PTSDと言べきではある。PTSDと言うのもまたいろいろと語弊や問題があり、私はあまり使わなくなり、狭義のPTSD、広義のPTSDとも言っていたけど。
狭義のPTSDではなく神経症の場合、心的外傷(トラウマ)とは犯罪被害やいわゆる幼児虐待等ではなく、日常のショックな出来事とか、恥をかいたとか、失敗体験とかそういうこともでなく、主に幼児期からの本人も覚えていないか、覚えていてもよくわかっていないことである。
具体的に言えば、親や養育者の不適切な対応、過干渉、過保護、抑圧的、支配的、安心感を与えない、脅かす、などなど、広い意味では精神的虐待とは言えるが、遺棄や暴力は無いほうが普通である。こうした問題が無い人もいおらず、完全に健康な人もいないが、程度問題とも言えるが、その差は甚だしく結果的には重症な人も軽症の人ももちろん多い。
幼児期のトラウマに、大人になってからのショックな出来事や過剰なストレスが加わり、それらが重なり、複合して症状がもたらされる。適切な養育を受けていない人は適応性に乏しく、犯罪被害など病因となるようなショックな出来事にも遭いやすい。
あらゆる精神疾患は複合的PTSDとは言えるが、一般には大したことでもことで対処能力、克服能力に欠けるのは発達的問題ではあるが、これを「発達障害」というのは、少なくとも精神医学的、臨床心理学的には完全に間違った使い方、見方である。
今となっては精神科医や心理関係者こそ間違った理解しかしておらず、それが根本から何重にもなっているので、もはや誤解を解くというレベルではない。
「発達障害」蔓延は、神経症の無理解によるものでもある。神経症を理解できれば、「発達障害」の大きな誤りも明白である。
従来の精神医学では、神経症の理解が非常に狭く浅すぎたのである。もっと広く深く理解すべきであり、診断名を変える必要はなかった。
認知の歪み、認識の欠落といったことは、解離、抑圧といった精神分析の概念で説明できる。神経症を、精神分析が理解できれば、認知行動療法などが付け入る余地もなく、「発達障害」蔓延もなかったはずである。
診断なんてどうでもいいと言えばいいんだけどね。
本来、人間の分類ができないのと同じように精神疾患の分類はできない。過去や現在のさまざまな影響から、いろんな不調や問題が起こるだけなので。精神的に完全に健康な人ももちろんいない。
したがって、とりあえず障害という言い方は極力やめて「神経症の復権」は必要ではある。
私は「緊張症」と言う言葉も良く使うのであるが。医学的な言葉ではないけど、医者じゃないしね。
多くの場合、抑うつ状態とされているのは、緊張の連続の成れの果てでもあり、少なくともそうした面がを伴っている。ひどい緊張が継続し、もはや緊張さえできないほど神経は疲労し「まいってしまい」鈍くなり、今さら神経が反応できなくなってしまう。そうした意味では実際に即している。
抗うつ剤では当初は効いたかに見えて、神経に負担は増えるし、余計にウツになるのはあまりにも当たり前である。
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睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン

最近になってようやくこんな記事も新聞に載るようになりました。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意(朝日新聞)
 医師から処方された睡眠薬・抗不安薬を飲んでいて、薬物依存になってしまう患者がいる。薬をやめられなくなったり、やめた後に離脱症状が出たりして、苦しんでいる。広く使われている薬だが、量を減らす試みも始まっている。
 長野県松本市に住むウェイン・ダグラスさん(47)はニュージーランドから1992年に来日し、英語教師や国際交流の仕事に携わっていた。日本語が堪能で、仕事は順調だった。
 2000年にめまいの症状が出て、耳鼻科にかかった。脳の病気と診断され、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を処方された。この薬は不安、不眠、抑うつといった症状がある患者に、広く使われている薬だ。
 飲み始めると、めまいは落ち着いたものの、2カ月たたないうちに体のふらつきが起きた。4カ月後からは強い不安に悩まされた。
 仕事を続けられず、01年にニュージーランドに帰国。ベンゾジアゼピン依存症と診断された。薬物中毒治療専門の医師を受診し、薬の量を少しずつ減らしてゼロにした。しかし、断薬後も離脱症状に苦しんだ。
 ひどい不安感や情緒の不安定。光を異常にまぶしく感じ、テレビを見られない。体に力が入らず歩けない。断薬して1年間で多くの症状は消えたが、突然の不安感は10年ごろまで続いた。「依存症は生き地獄。希望を失う人もいる。離脱症状の適切な治療を受けられる施設が必要です」
 神戸市の40代男性も、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の離脱症状で苦しんできた。社会不安障害と診断され、09年まで4年半、医師の指示通り飲み続けた。やめた2日後から、異様にまぶしい、目が痛いなどの症状が出た。医師に相談すると「離脱症状の可能性がある」と言われた。今でもまぶしさや、まぶたのけいれん、筋肉がぴくぴくする症状があるという。
 ベンゾジアゼピンの常用量依存とは、医師が治療のために処方する常用量でも長期間使うことで薬の依存が起きる状態を指す。8カ月以上続けるとなりやすいという報告もある。薬をやめると離脱症状として不安や、不眠、発汗、けいれん、知覚過敏などが出ることがあるとされる。
■「自己判断で中止は危険」
 杏林大学の田島治教授(精神保健学)によると、欧米では1970年代以降、ベンゾジアゼピン系薬による依存や乱用が問題になり、英国では処方日数が制限された。「日本で長期に漫然と使われているのは問題。医師が依存をつくっている」と指摘する。
 田島さんは薬をやめられない患者や、やめた後の症状に苦しむ患者から相談を受ける。1年以上かけ少しずつ薬を減らしてやめた人もいる。「急にやめると離脱症状が出る。患者の自己判断でやめてはいけない」
 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部の松本俊彦室長らは、精神科がある全国の病院を対象に、薬物関連障害の調査を2年ごとに実施している。原因の1位は覚醒剤、2位は有機溶剤が定位置だったが、2010年に、それまで3位だった睡眠薬・抗不安薬が有機溶剤を上回って2位になった。全体の17・7%を占め、この薬による依存は珍しい問題ではないという。
 薬の量をなるべく減らそうという動きもある。
 東京女子医科大学病院では、ベンゾジアゼピン系薬を処方されている患者数が一昨年の8588人から昨年は7054人に約18%減った。医師と薬剤師が対策に取り組んだ結果だ。
 ベンゾジアゼピン系睡眠薬・抗不安薬の作用や副作用、薬以外の対処法を知ってもらおうと、患者向けの冊子をつくって薬剤師が配った。医師や薬剤師が参加する勉強会も開いてきた。
 東京女子医大の稲田健講師(精神医学)は「患者は副作用に気付いていないこともあるので、情報提供が大切だ。薬をやめるときは1年で半減するくらいゆっくりとです」と説明する。
 厚生労働省は薬の使い過ぎ対策に乗り出す。1回の処方で抗不安薬を3種類以上出した場合、医療機関に払われる診療報酬を減らす改定を10月から実施する。(編集委員・浅井文和)

画像

まったく今さらです。
我々は何十年も前から、睡眠薬、抗不安薬(精神安定剤)の依存性、危険性は指摘してきた。もちろん他の向精神薬の問題も。
医者でも薬剤師でも薬の専門家でもないし、薬のことは見るも聞くもおぞましく、特に勉強したことも無い。
当たり前のことを言ってただけである。
もっとも、昔はむしろ脳病派精神科医でも多くの場合、薬にそうそう肯定的ではなかった。
そもそも服用しなければ、副作用(作用)もないし、依存もしないし、止める必要もなければ離脱症状、後遺症で苦しむこともない。当たり前ですね。
ベンゾ系が日本で普及したのは60年代の後半だったか?
数年を経た70年代初め頃には、既にベンゾ系の精神安定剤、睡眠薬の耐性や依存性、有害性・危険性は問題になっており、俺も中学1~2年の頃だったか、新聞だったか、立ち読みした雑誌か書物だったか忘れたが、同様の記事を読んだ記憶がある。
当時は不安だの不眠だので精神科に行く人は少ないが、内科医等に睡眠薬を処方されることも多かったものと思われる。今もそうだが。
人体実験の結果も何年かすれば徐々に明きからかになってくる。当時は重症な精神分裂病でもなければ基本単剤だし。
よく精神科医は無謀な人体実験をしていると言われるが、単剤ならともかく多剤大量処方では人体実験にもならないのである。
動かして良いパラメーターは1つだけ、仮説の上に仮説を積み重ねてはいけない、というのは科学実験の基本中の基本である。私は文系だしもちろん実験など昔からやらないけど。精神医学は科学であるにしても、実験科学ではなく観察科学である。そこを徹底すべきであるが、医学者は科学といえばガキの理科の実験みたいなのしか知らず、それ以外の概念はほぼ持っていない。
もっとも、とっくの昔にわかりきっていることを実験などする必要はない。
やはり同じ頃、70年代の初めだろうか、「今日では、睡眠薬は『安全性の高い』新世代のものに置き換えらており、○○○○という旧世代の睡眠薬は、たいへん危険で、耐性も強く、依存性が強いため、新たに処方されることは殆どなくなったが、古くから服用している依存症患者が多いため、やむなく現在も生産、処方されている」という記事も読んだことがある。
その薬物の名前は失念していたが、今から考えるとたぶんベゲタミンのことだろう。
致死量が低く非常に危険なバビルツール酸が含まれており、危険性を弱め効果をあげるためだろうか、合剤になっている。
それから40年以上も経っているのに、ベゲタミンは今日でも睡眠薬、抗不安薬としても未だに広く用いられており、ベンゾ系の耐性がついて効かなくなった場合も処方されているようである。
70年代当時、朱理エイコという実力派歌手がいたが、もう10年ほど前にベゲタミン中毒で亡くなっていたことを最近知った。もちろん、活躍していた頃は、まだ睡眠薬など飲んでいなかったはずだ。
晩年は身体ボロボロで何度も生死を彷徨い、長期入院の末、まだ50代の若さで亡くなったという。
私は既に薬物問題は知らないわけではなく、やっぱりそうか、そんなの当たり前だろ、とも思ったが、自分たちは文明国、文化的な社会にいるつもりが、実は随分野蛮な世のかなに生きているんだなと思った。
大人は信用できないとも思った。中二ですから。永遠の中二病か?
資本主義の矛盾についても激しく考えざるを得なかった。
私は学校の勉強はほぼ全くせず、特に暗記するのは大の苦手だったが、その分かどうだか、そういうことはけっこう覚えている。
皆も新聞くらい読んでいのだったら知ってたはずだ。
フロイトを読んだのはもう少し後だと思う。向精神薬のような野蛮なモノは我々が大人になる頃にはとっくに廃れるだろうと、希望的観測をもっていたのだ。
上で「野蛮」という言葉を使ったのは、当時もそう思ったからであるが、学校で見た映画『父ちゃんのポーが聞こえる』の影響である。
映画の中では難病に冒された主人公(吉沢京子、中学生)が徐々に悪化し、結局亡くなってしまうのだが、主人公の父(小林桂樹、蒸気機関車の機関士)の同僚(藤岡琢也、機関助手)が、治療もできず悪化していくことを嘆いて、「医者も病院も信用できないね。野蛮だよ!月に石を取りにいく時代なのに、日本は野蛮国だよ!」と言うシーンが印象に残っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=hLM_KRxMgmM
https://www.youtube.com/watch?v=kLR0e5shTOM
勉強はしないので、そういうことも良く覚えている。
医者も病院も病気の治療ができないならまだしも、悪化させ、さらに別な病気を加えたり、死に追い詰める現状を「野蛮」と言わずして何と言うか?野蛮なんてもんじゃないな。
現在でも優れた抗不安薬、精神安定剤や睡眠薬など開発されてはおらず、相変わらずベンゾ系はバンバン処方されている。
抗うつ剤は新型になりSSRIができたが、良くなったわけではなく、作用の範囲が狭まり、見かけ上の初期の副作用が減っただけで危険性は高まった。
精神科医がベンゾ系の睡眠薬や精神安定剤が安全だというのは、昔のバビルツール酸など、1粒天国、2錠で地獄、3粒飲んだらあの世行き、といった睡眠薬に比べて、ということである。
昔の睡眠薬は有名作家が自殺に使ったり、吉永小百合なんかも昔の睡眠薬で浜田光夫と心中したり、自殺したりでスクリーン上では何回か死んでるはず。
ベンゾ系を飲んだだけではそう簡単には死ねず、身体ボロボロになって身体病で死ぬまで飲めるらしい。もちろんオーバードーズで死ぬこともあるし、脳が一発でパーになってしまうこともある。
稀には短期少量でも死ぬ人もいるし、かなり大丈夫な人もいないことはないが、危険極まりない。
精神科医は「薬は安全、うつ病は薬で治る」などと、人を騙しているうちに自分の嘘にも騙されてしまった。患者だって医者やマスコミのいう事を鵜呑みにして、悪意はないとはいえ他の人をだましたり、加害者側になってしまった人も少なからずいる。
ベンゾジアゼピン中毒、依存症やベンゾジアゼピン離脱症候群はありとあらゆることが起こりうる。
とうていここでは書けないので、とりあえず、ウィキペデア等でも調べて欲しい。
諸外国では2~4ヶ月で禁止、何年も処方するのは日本と韓国くらいだと聞いたが、私見では効果があるのはせいぜい1ヶ月位で、その後はむしろ逆効果になり、もちろん止めるのは余計苦しくなる場合が多い。もちろん効果があったからといっても良くなっているわけではない。
では短期、少量、短剤ならいいか?
覚せい剤だって違法性は別としても、短期少量、お試し程度なら良いとはとても言えない。
睡眠薬は気絶させるように意識障害を起こさせて眠らせている、とも言われている。
そこで脳波を持ち出して反論するのは愚の骨頂精神科医である。
薬害を正当化したいのだろうが、それ以前に受験勉強のやりすぎで脳がバカになってる。
睡眠薬で寝ても、どう見たってまともな睡眠ではない。
激しい鼾をかいて、このまま放っておくと、呼吸や心臓が停止して死んでしまうのではないか?と周囲の者はドギマギしてしまうのに、当人は「自分は寝ていない、意識はある」と言ったりする。
ずっと飲んでいれば逆効果になるばかりではなく、止めても不安は後でまとめて襲ってくるし余計に眠れなくなるし、筋弛緩作用があるはずだが、それももちろん続かず肩こり等もひどくなる。
克服できないまでも、対抗しよう耐えよう何とかしようとさえしていない、しなくなってしまうのだがら当然である。
さほど長期でなくとも目が見えなくなってきたり(緑内障にも白内障にもなる)、重度の身体障害者になった人も何人か診たことがある。
40代前半で、お婆さんのようにしか見えない人も診たことがある。
自分は歳の割りに見た目も若々しく活動的で社交的、積極的で、誰からも羨まれなどと言っていたが、おそらく嘘ではなく、よほど悔しかったのだろう。もちろん見た目だけでなく、身体もボロボロは言い過ぎかも知れないが、老人病満載である。
わずか1年半ほどのベンゾ服用で、あっと驚く玉手箱!2~30歳も老け込んでしまった。
短期で耐性がつき、睡眠薬中毒で1年半も寝ていないという人も、1日1時間も寝れらないと言う人も。
寝ていても意識はあるとか、日中も眠気があてっボーっとはしてるのだろうが。
そういう人も当所では施療中に寝てしまうことが多く、「(ポンポンと肩を叩き)、ダメですよ、寝ちゃ」って起こすけど。
えっ!何で寝たのかしら??!って驚愕していたが。もちろんリラックスしたからではあるが。
催眠は眠ると言う字を使うけど、眠ったら何もできないですから施療中に寝てはダメです。起こしますけど。
急に断薬せず、カミソリで削りながら微量調節して減薬しても離脱症状は激しく苦しい場合が多いようだ。
ベンゾジアゼピン依存症について書いた、アシュトンマニュアルが有名だが、やはり賛否両論あり、そうそう当てにするわけにはいかない。
「医師が依存をつくっている」と一時は指摘していた田島治は、今も薬物を大いに推奨しており、依存をつくり続けているようだし、あらゆる精神疾患はPTSDだというのも確かだが、今となっては殆どの患者は薬物依存症、慢性薬物中毒、薬害性の中枢神経障害を合併しており、元の病気は軽症なのに、合併症が重篤である人が多い。
医原病を合併症というのは妙であるが。
向精神薬のようなあまりにも危険な薬物は処方薬にせず、市販薬にしろ、と言った人がいるが大いに理のあることではある。それも危険だが、被害に遭うのは一部の愚か者だけで済むだろうから、ここまで被害は広がらなかったはずだ。
医者に言われりゃガソリンだって、青酸カリだって飲むぞっ!なんて人もいないだろうに。
精神科医を信用することが依存であり、向精神薬や精神医療に対する依存はそれ自体が健康の放棄である。
医者の処方どおり飲めば安全で、そうでなければ危険なんて魔法の薬があるわけはない。
むしろ精神科医が出せば小麦粉でも危険だ。ホントに。
精神疾患について、殆ど間違った診断、見方や対応しかしないから。
プラシーボはあるにしても、結局の所、逆効果になる。
ビジネスに被害者はいない。いるのは勝者と敗者だけだ。
ビジネスマンはよくそういうことを言うようだが、精神科医でそういうことを言う人はいない。
それは既に徹底しきっており、いまさら言う必要もないどころか、あまりにも当たり前で自覚さえしないからである。
ビジネスマンは一応は法規制など社会的ルールを守ること、コンプライアンスが前提だが、精神医療は治外法権みたいもので、普通なら犯罪とみなされることも医療の名の下に何でもアリだ。
今の所、産業社会、資本主義社会においてにおいて、精神医療かかわる製薬会社や宣伝会社、大手コンサルティングや精神科医は最強の勝ち組であろう。資本主義の論理、倫理にあまりにも忠実な模範的経済活動である。
そりゃ、疾患喧伝で需要を喚起し、病気が良くならなくて悪化してずっと病院に通えば、一番儲かる。生かさぬように殺さぬように、訴訟問題等起こってもそれは経費のうちに織り込み済み、暴動でも起こらない限り痛くもかゆくも無い。
医療過誤とは言え、被害者は誰もいない?!死んだ人は暴動も訴訟も社会運動も起こさない。
もちろん、医者の言うことを聞いたら、楽に止められるわけではもちろんなく、適切な減薬・断薬の指導ができる精神科医や薬剤師も存在しません。
それができるくらいなら、最初から向精神薬等飲ませるわけはないし、適切な減薬・断薬の指導などそもそもありえない、飲むのも止めるのも危険だから危険な薬なのであります。
「精神科医に近づけば命の保証はない」 確かに。
「自己判断で中止は危険」なのは事実ですが、おそらく殆どの場合、医者の判断で中止はもっと危険でしょう。
酷な言い方になってしまいますが自己責任、自己管理せざるを得ないのが現状かと思います。
もちろん飲み続けるのが危険なのは言うまでもありません。しつこいですが。
当所は精神疾患の治療をしており、ベンゾジアゼピン依存症、薬物中毒、離脱症状症状、後遺症等、中枢神経疾患の治療をしているわけではありません。また、医師でも薬剤師でもなく、民間療法家、プロのセラピストですので、減薬・断薬指導をするわけにはいきません。
断薬して落ち着いてから受療することが望ましいのですが、良くなってきてから減薬する方でも、減薬はしやすくなりますのでぜひお越しください。
よく眠れる方法も教えますけど、やはり不眠症の上にベンゾジアゼピン依存症、慢性中毒症を合併している人は難しくなります。

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向精神薬の大量処方を制限へ、診療報酬を認めず

『向精神薬の大量処方を制限へ、診療報酬を認めず』
読売新聞 3月7日(金)17時35分配信
 厚生労働省は新年度から、抗不安薬や睡眠薬などの向精神薬を数多く処方した場合、診療報酬を原則認めない仕組みを導入することを決めた。
 薬物依存や重篤な副作用を防ぐ狙いがある。
 新ルールでは、外来診療で服薬管理などをする際、抗不安薬か睡眠薬を3種類以上、または、統合失調症の治療に使われる抗精神病薬か、抗うつ薬を4種類以上、1回で処方した場合、診療報酬を請求できなくし、処方箋料も減額する。
 また、入院患者に、副作用が少ないとされるタイプの抗精神病薬を処方する場合も、2種類までしか加算できないように改める。
 抗不安薬や睡眠薬としてよく使われるベンゾジアゼピン系の薬剤は、使用し続けると薬物依存になる危険性がある。

ようやく多剤大量処方に制限が加えられることになったが…
精神医療関係団体、学会は往生際も悪く根拠もなく執拗に反抗している。
とあえずあまりに酷すぎ、自浄作用もない精神医療に対し、このままでは被害が甚大、被害を防ぐ、縮小というより、精神医療自体が存続できなくなるので、行政側から「救いの手」を差し伸べて、精神医療の延命をはかろうとしている、ということだろう。
これに対し、精神医療側は収益低下を恐れ、目先の利ばかりにとらわれ反対しているという構図であり、自分で自分の首を絞めようとしている。長い目で見ると、その方が良いのかもしれないが。
そもそも向精神薬は多剤どころか2種類でさえも、複剤は使用しないことを前提に開発されており、もちろん危険性など確かめていない。
精神科医は良くならないので薬物追加、悪化するので追加、副作用も元々の症状も区別できていないが、副作用には副作用止めと、常用量離脱が起これば、元の病気のせいと考えまた追加。さらに肝臓が悪くなれば肝臓の薬、心臓が悪くなれば、と。その方が儲かるし。
患者をなるべく殺さないようにしてだんだん悪化させ、治さずにずーっと病院に通わせれば一番儲かる、というのは資本主義の法則であろうが、精神医療は意図せずともその法則にあまりにも忠実すぎ。
薬の増やし方、多剤大量処方のノウハウはもちないし(独善的マッドサイエンティストのような人はいるが)、減らし方などむしろ全く考えたこともないのが大半の精神科医であり、減らし方のノウハウなどほぼ全ての精神科医は全く持たないのが現状である。
向精神薬は激しい離脱症状が起こることが多いので、減薬自体大変なことだが、精神科医の殆どは未だに元々の症状や悪化と離脱症状、退薬症状の区別はついておらず、すべて元々の病気の症状か、悪化と考えてしまう。
そもそも精神科医は精神疾患についても向精神薬についても、誤解に誤解を重ねて基本的な理解さえできていないためであるが。基本的な医学的知識が無いわけではないが、それを生かせないどころが捻じ曲げすぎ。
離脱症状という言葉自体は、我々が昔から言っていたので、精神科医もようやく聞いたことがある人も増えてはいるが、それさえも未だに大きく誤解している。
離脱症状2週間以上続くことはない、なんていうのがその典型だ。
離脱症状は減薬したらいきなり現れる場合もあるが、特にこううつ剤SSRIなどはある程度の期間が経って、血中濃度等が低くてなり蓄積されたものも分解されてから現れることが多いので、むしろ2週間以上経ってから現れるのが離脱症状であり、短期で終わることもあるが、多くの場合、長期にわたるため、むしろ数年の単位で考える必要がある。
あまり長期、もしくは生涯という場合は、離脱症状ではなく後遺症と言うべきだが。
現実的には、「2020年までに精神疾患に対する向精神薬の使用は全面禁止」くらいが妥当、というかぜひ実行すべきことではないだろうか?
それも大変なことだし、大いに問題はあるが止むを得ないことだと思う。

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行ってもイイ精神科、ダメな精神科(心療内科)・優しい精神科医

「行ってもイイ精神科、ダメな精神科」  ひろ新子  
という本が出ており結構売れているようだ。これまたたいへん気色の悪い本である。
取材のやり方など、倫理的な問題もいろいろあるのだが、そんなものは精神医療問題に比べて比較にならないほどの小さな問題なのでココでは触れない。
もちろんこの人は、うつ病でもないのだが、それについても触れません。知りたい人はこちらをご参照下さい。
近くの本屋にずっと平積みしているのでいやでも目に付いてしまう。
ついつい手にとってちょっとばかり立ち読みしてしまったが、内容について書くのも気分が悪いので、かこさんのブログを参照して欲しい。
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11670997058.html

行ってもイイ精神科、ダメな精神科
バジリコ
ひろ新子

Amazonアソシエイト by 行ってもイイ精神科、ダメな精神科 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


かこさんのブログによると、
(私は一部立ち読みしただだけだが、同様の印象である)
ともかく、この人が○と思った医者の条件は――
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。
 らしい。

しかし、多くの場合「ここが地獄の一丁目」である。
もちろん行っても良い精神科を知っているはずの著者も長年病院に通っても良くなってはいない。甚だしい薬害にはまだなっていないようだが、それも時間の問題だろう。
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。

これが何故良くないのか?
何もできないから、話を聞くだけなのである。精神科医だからといって、カウンセリングの勉強や訓練をしているわけでもない。殆どの精神科医はカウンセリングや精神療法は苦手だが、むしろ患者を旨く騙す、言い包めることは得意である。
「うつ病は誰でもなる」「心の風邪」「良い人、責任感の強い人、まじめなひとがなりやすい」「うつ病は本人の考えや生き方の問題、心の病気ではなく脳の病です気」「今は副作用も少ない安全で良い薬がある」「無理をしてはいけない、頑張らなくて良い」「服薬してゆっくり休めば治る」
こうしたことを言われると、弱っていて元気がない時には、人間ついついありがたい、やさしい言葉として受け取ってしまう。むしろ病気を軽んじてしまう。
この精神科医は患者のことをわかってくれる、この人に頼れば大丈夫と言う気になってしまう。こうしたことはもちろん非常に危険である。
「良い精神科医」に薬物を処方されれば、良くならず副作用ばかりが酷くても反発や拒否はし難く、言いなりやすい。
最初から恐面で脅してくるヤクザなどいない。最初は優しいのが当たり前である。
金を借りに行っても、まともな銀行などは厳しいが、ヤクザの金貸しは優しいのである。「私どもも貴方様のような人々や社会に貢献する事業をしている方のお役に立てることが嬉しいです。きちんと、返して頂ければ良いのです。」といったふうに。
返せば良いかというと、そうはいかいかない。「あの時、助けてやったじゃないか。恩を忘れたのか」という具合になるのが関の山である。
多くの場合、無自覚ではあるが、悪質なことをやっているからこそ、それを隠蔽するために表面的には「やさしい精神科医」を演じることができる、そう演じないわけにはいかないのである。
好意的に考えれば、何もできない、ロクなことはできないので、せめて患者にはやさしく接する、といった見方もできるし、実際そういう人もいる。
患者がそれを望むから、患者の要求、ニーズに応えているだけ、医者はサービス業だ、患者をビビらせて何になる、という精神科医も多いだろう。患者を騙すのがサービスか?
受け入れ難いことであっても,正しいことを伝えるのがやさしさというものである。
「良薬口に苦し」 もちろん向精神薬は良薬ではありえない。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。

よほど悪質な精神科医でなければ、最初はあまり多くの向精神薬を出さないのが普通である。
それで効かない、もしくは効いてもだんだん効力がなくなるから、徐々に薬の種類も増えてしまう。もちろん悪循環。
当然、副作用も酷くなるが、殆どの場合、元々の病気のせいにされる。そうでなくとも副作用止めなど、余計に薬が増える。
副作用の説明を丁寧にしてくれるといっても、どちらと言えば当たり障りのないことだけである。それ以外の副作用は患者の元々の病気のせいにするため、と言っても良い。説明が事実の隠蔽になっている。
副作用がどんどん酷くなっても、元の病気が酷くなったから(そもそも悪化する病気ではないのだが)とされ、だからこそ病院に来て良かった、薬をきちんと飲まなければ、ということになってしまう。
常用量離脱も起こるし、薬の変更などでも当然、離脱症状は起こる。
基本的には薬は最低限しか出さないのは当然であるが、そこからむしろ徐々に減らしていくものである。もちろんそれでも有害であり、良くなるものでもないが。
少ない薬から徐々に慣らして、本格的な向精神薬依存症、向精神薬中毒による中枢神経障害に至らしめるのが、「良い精神科医」の常套法である。
では、これらの逆「悪い病院や精神科医」ばかりであればどうか?
精神科医なんてロクでもない連中、所詮そんな物とわかり、精神科には行きたくない、行ってもしょうがない、と思う人が増えるであろう。
精神科医そのものの評判が落ちる、というより正確な評価に落ち着き,精神科や心療内科には行かない人が増えるだろう。
いきなり大量の薬を最初から処方されれば、リスクは高くなるかもしれないが、その分薬は危険、決して良くなるものではない、ということもに気づき易いはずである。そこまで行かなくとも医者の言いなりに服用はしないだろう。
精神科医は「向精神薬は医師の処方を守って服用すれば安全」と言うが、小さい子供や余程の愚か者でない限り、自分で調べて、自分の身体や精神状態に聞きながら服用した方がずっとマシなはずである。
向精神薬はあまりに危険なので、処方薬ではなく、むしろ容易に手に入るように一般市販薬にした方が良い、という医者がいたがそれも大いに理由のあることだ。
しかし、向精神薬を服薬すると言うことは、自分の意思やコントロールを徐々に失ない、処方者や売人、薬そのもののど奴隷となるということでもある。精神に影響するのだから当たり前である。
オーバードーズ、過量服用はもはや患者の考えや意思の問題をとっくに超えている。
したがって、「良い精神科医ほど悪い精神科医」とも言えなくもないが、これは反精神医療派の人が良く言うことではある。
私個人は精神科医が不要とも思わないし、向精神薬完全否定派でもない。精神病院にもそれなりの役割があり、現状でさえ必要悪と言う面は認めざるを得ないと思っている。
世の中にはいろいろな人がいるもんである。
重症の精神病の人ももちろんいるし、絶対に良くなりたくない人も少なからずいる。良くなりたくないからといっても、さらに悪化させさせたり、自殺に陥れても良いわけではもちろんない。
かつては、精神病院など自分から行く所ではなく、無理やり連れて行かれたり、やむを得ず従って行く所であったが、その頃の方がまだマシだったと思う。病者の数が増えたのではなく、受診する患者が増えたのである。
新薬が出たとはいえ良い薬ができたわけではなく、かつてはほとんど行われなくなった電気ショックが復活し、禁止されていたロボトミーさえ復活しようとしている。
薬物では良くならないと認めたとしても、何等治療法もなく、悪化法がエスカレートするばかりである。反復性経頭蓋磁気刺激療法 rTMS や、脳深部刺激法 DBS
「良心的」で悪質であれ、現状の精神科や心療内科は、少なくとも健康や成長を目指す人が、行くような所ではない。
「天は自ら助く者を助く」
では、なぜ良い人、良心的な精神科医が、表面的には優しくとも、患者を向精神薬依存症、向精神薬中毒にさせ、病気を悪化させ、自殺に追い詰めたり、悪質なことをするのだろうか?
※続きはまた項を改めて書く予定です。

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「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル

こんな番組をやったらしい。
「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/yamai/detail/03.html
かこさんのブログ
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11646146932.html
私はこの番組は見ていないのですが。
うつ病の原因は扁桃体ですか?
つい最近まで「セロトニン不足、抗うつ剤で治る」って言ってたのに。
脳深部刺激 DBS、脳にチップやら電極やらを埋め込まれて支配されたい人がいるのだろうか?
これが、いるといえばいるんですよね。
素晴らしい、夢のテクノロジーのように思ってしまう人もいるらしい。
そうさぜるを得ない人もいるのでしょうか?
絶対にいないとは断定できないかも知れませんけど。
いわゆる、うつ病などの精神疾患の人には全く当てはまらない話です。
基本的には薬物も電気ショック ECTも、磁気刺激療法 TMSも同じですが。
もちろん現実的には上手く行くわけはないし、脳を誤動作させるのがオチです。
まさにマッド・サイエンティスト、科学技術信仰もここに極まれり、ですね。
前にもこうした記事を書きましたが…
うつ病の発症メカニズムが解明された!??
NHKスペシャル「ここまで来た!うつ病治療」脳血流の画像診断装置光トポグラフィーNIRS・磁気治療法
うつ病について何も知らない、知らないくせにできないくせに何とかしようとする、仮説にもなっていない間違ったことを前提にしている、のが根本の問題でしょう。
元々は苦しい、辛いだろうから何とかしてあげたい、死なせたくはない、という善意からきているものは思います。
患者側もなぜ苦悩の原因を追求し、本質的な解決法の求めるよりも、とりあえず楽になれば良いと目先のことばかり安易に考えてしまう。
「善意の陰謀」
しかし、うつ病その他の精神疾患については、精神科医のほとんどが知らない、できない、というだけで、わかっていることもずい分あるのです。それを踏まえた上で、学問研究、実践しなければならないはずですが、全くそうなっていないのが精神医学、精神医療という分野です。
NHKはこんな番組やって、犯罪の上に犯罪を重ねるのではなく、今まで「うつ病は早期に受診して服薬すれば治る」どさんざん製薬会社や精神科医の手先となって宣伝、疾患喧伝を行い、治るどころか悪化させ、自殺者も増やしてしまったことに対し謝罪し責任をとるべきです。
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うつ病の発症メカニズムが解明された!??

2013年1月18日、うつ病の発症メカニズムが解明されたというニュースがありました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130118/t10014881231000.html
うつ病の発症メカニズム解明
NHK 1月18日 6時42分
成長期のマウスにストレスを与えると、脳の活動を調節する遺伝子の働きが低下し、認知力の低下などにつながるとする、うつ病発症のメカニズムを名古屋市の大学などの研究グループが発表し、新たな治療薬の開発に役立つとしています。
研究を行ったのは、名古屋市にある名城大学の鍋島俊隆特任教授と名古屋大学などからなる研究グループです。
研究グループでは、うつ病などを発症しやすくしたマウスを、集団と一匹ずつ隔離した場合に分けて、それぞれヒトの思春期に当たる時期から3週間にわたって飼育しました。
そうしたところ、集団飼育したマウスには異常は見られなかったものの、隔離したマウスには、▽認知力が低下する、▽動きに活発さがなくなるなど、うつ病や統合失調症の症状が見られ、脳を刺激する「ドーパミン」という物質を作る遺伝子の働きが大幅に低下していたということです。
こうした症状は、集団飼育に戻しても治らなかった一方で、飼育の前に、あらかじめストレスで分泌されるホルモンの働きを抑えておくと現れなかったということです。
こうしたことから研究グループは、ストレスによって脳の活動を調節する遺伝子の働きが低下してうつ病などが発症するというメカニズムが初めて分かったとしています。
鍋島特任教授は、「発症の仕組みが分かり、新たな治療薬の開発に役立つ」と話しています。

毎度のことですが、愚かにも程があります。
うつ病について正しい知識を持たず、間違った先入観ばかりなので、こういうことになってしまう。
基本が間違っているで、何をやってもまとも研究になるわけはない。
天動説前提に天文学の研究をするようなもの、その方がまだマシ、というかそういうとらえ方もあるのかもしれませんが。
2重3重の誤解に基づいて、学問だの研究だのやってるからどうにも修正のしようがありません。
精神科医はただ脳だの神経だの、病気の症状や薬の知識を詰め込んで、それを適用するだけ、しかもその知識が基本的に間違っていたり、仮説の仮説くらいにしか過ぎず、適用の仕方も恣意的、主観的でいい加減デタラメなものでしかないのでどうにもこうにもなりません。
実際の患者や病気についての、観察、洞察・理解に基づいていないので、どこまでもトンチンカンになっています。
ブログ「精神科医の犯罪を問う」の方が反論してますので、この研究がどんなものか検討したい方は、とりあえずこちらを読めばいいですけど、そんな必要もないと思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53782561.html
だいたい、年に1回位、こういう報道が出ますね。
2011年8月には広島大、山脇成人らによる、うつ病の血液検査がありました。
もうすでに精神医学会でもほぼ忘れ去れれ、山脇ら当人たちも忘れているかもしれません。むしろ、他の人にはもう思い出して欲しくないでしょう。
こういうのを偏向科学、似非科学というべきでしょうか?
偏向科学者、似非科学者同志の間でもお互い相手にせず、検証もされず、「間違っていました、申し訳ありません」もありません。このような発表は現われては消え、消えては現われます。
「精神疾患は脳の病気」基本から間違っている仮説にどこまでもしがみついているのですからどうにもなりません。信仰というより迷信です。精神科医はあと2~3回世代交代しないとまともな職業にはならないのかもしれません。
他の学問、学術、科学分野でしたら、こんなトンデモ学説を出したら致命的です。学者、研究者、科学者失格!二度と立ち直れないはずです。
それがそれなりの業績になってしまうのが、精神医学という分野です。精神医学全体が、偏向科学、似非学問とも言えます。現状では。
業績のための業績でもあるでしょうけど、一種の精神医療の宣伝、デモンストレーションでもあるでしょう。
毎度変わらず、同業者の中でさえバカにされて、無視されても、否定もされないし批判もないのは、精神医学会、精神医療全体の正当化、自己弁護、権威付けとしての意味や役割があるからでしょう。
当人たちはそれなりに学問、科学、研究をやっているとしか、意識していないかもしれませんが。
そのうちまた皆が忘れるでしょうから、気にする必要はないのですが、こういう報道があるごとに、うつ病は脳の病気、遺伝病、精神医学は優れた治療法を開発している、いつかは薬で治る、といった間違った認識や偏見が徐々に広まり、固定化してしまうことになってします。実際そうなってしまいました。
こうしてファシズムのように精神医療過誤、向精神薬害が広がってきたわけです。
「発症の仕組みが分かり、新たな治療薬の開発に役立つ」
とお決まりの宣伝文句が続いています。役立たないどころか遠ざってしまう、被害を拡大させてしまうことが問題でしょう。
もしホントに役立つなら、今までは発症のしくみも分からず、治らない薬しかなかった、ということですから、まず精神医療の敗北、有害性を認めることから始めるべきです。
研究発表の前に
「うつ病は薬で治るというのは間違っていました、旧型抗うつ剤でも新型抗うつ剤SSRIも治りません、悪化法でした、
 向精神薬害を広めて、病気を悪化させ、自殺者や薬物中毒者を増やして申し訳ありません」
と謝罪し、責任を取って被害者の補償すべきです。

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薬に頼らない不安の解決法、解消法、対処法、克服方法

薬に頼らない不安の解決法、解消法、対処法、不安を克服するには

 誤解を恐れずに言えば…
 対人不安、対人恐怖の人は、得てしてむしろ相手を不安にさせたり緊張せさせている。そのつもりはなく、敢えてそうしているわけでは結果的にはそうなっている。
 自分が不安にならないようにするより、人を不安にさせない、緊張させない、恐怖を与えないようにできれば不安は解消します。
自分を不安にさせる相手は、その相手自身が不安なのです。
 ヤクザなんかは自分がろくなことをしないので、不安でたまらない心の小さい人間です。当然、ホントの意味では人によく思われてはいません。
自分がちっぽけで、小さい人間なのでやっていけない。
不安にならないようにするためには、人を威圧したり脅したりしなくては生きていけなくなる。
 対人恐怖、対人不安の裏返しで、解決になるどころか余計に良くない悪循環です。
 偉大になるには、人に優しく親切に人のためになることをしなくちゃいけない。そういう人は、尊敬されるし好かれているし、不安はあまり持たなくてやっていくことができます。
※不安を受け入れ理解することが大事。
もちろん過去の影響から繰り返し起こってくる不安は受容した上で、 自分の心の中で処理しないと、その影響から逃れることはできません。
もちろん、不安は不安でいいのですが、不安を認め 受け入れるた上で、不安を解消するということを前提として、不安を克服していく必要があります。
生きていれば不安も危険もありますが、進むも戻るも立ち止まるも危険極まる、 崖っぷちばかりを歩き続けることはできません。
人生を山登りに例えると、コースの難易度も技量も条件もいろいろだし、 遭難予防も、万一遭難した場合の対処法も必要です。
患者は遭難者とすると、向精神薬は餓死寸前の遭難者に毒まんじゅうです。
毒まんじゅうを食べてはダメだというなら、その代わりにどうしたらいいのか?
不安であっても、不安に取り憑かれて、不安に潰されないようにするにはそのための方法を持たなくてなりません。
とてつもない不安に圧倒され、生死の境を彷徨い続けるような場合でさえも…、基本的には同じはずです。
※不安の現実的、現在進行中の側面に対する対処

不安そのものを解決するのではなく、人間関係や仕事や日常生活の 様々なことで、不安の要因となることを解決する。
不安があるから上手くいかない、のではなく、上手くいっていない から不安になる。少なくとも前者の考え方では一歩も前進しない。
不安の強い人は、無自覚に自分で不安を作りながら、解決しようとは しない傾向があります。とりあえず、身近な小さくても可能なことから。
よくわからなければ、人に教えてもらうのも良いでしょう。
 日常的なことをひとつひとつきちんとやる。
 不安にならなくていいのに不安になってることを発見することも必要。
 物事はなるべく練習、準備したほうがイイ。
例えば、今度のスピーチが上手くいくか不安、という人に限って 練習準備が不足です。その前に普段の努力も必要ですが。
※不安の幻想的、過去に起こったことの側面に対する対処
幼児期に親から与えられた不安、殆んどのことは覚えていないはず。
親が心配性だったり不安が強いと子供に影響します。
また、幼児期は親が不安を解決してあげなくてはいけないのに、 それをせず、余計に不安にさせたり、脅やかしたり。
それが悪い催眠術のようになって影響し、大人になってからも 不安の強い人、自分で不安を解消できない人、になってしまいます。
そこをよく理解洞察し、なるべく過去の影響を対象化し、心の中で処理して、 自分で不安を解消、克服できる人になりましょう。
※誰でも不安がある。不安の解決も必要だが、不安があっても
 やっていけるような、心の大きい人間になれるように努力しよう。

 
不安な時こそ笑えなくても笑おう。
 表情筋だけでも笑いをつくる。ニーっと口角を持ち上げる運動。 「はっはっはーっ」などとなるべく大きな声をだす。
 肉体労働や、山歩き、自転車など軽い継続的な運動もイイ。
※自分が不安でも、周りの人の不安を和らげてあげましょう。
 不安の対処方法を身に着けた人は、それが得意にもなりますが、実は逆に自分よりも他人のことを思いやることがが、自分の不安を解決する近道だったりします。 不安克服の王道というべきか。
 他人のフリ見て我がフリ直せです。自分のことはわかりにくくても人のことはわかりやすい。でも、実際に人の不安を解消するのはどうしたらいいのか?難しいことですが勉強になります。
※不安な時こそ笑っていこう。
不安な時こそ、笑えなくても笑う、引き攣ってでも笑う、というのはもちろん 心理学的根拠だけでなく、医学的根拠があります。
※人間にとって不安は必要なことでもあります。
不安は身体の発熱や、痛みと同じようなものかも知れません。不安それ自体が悪ではないし、むしろ必要です。
熱には解熱剤、痛みには鎮痛剤だけでは患者は死んでしまいます。
不安を消すには抗不安薬というのは、解熱剤や鎮痛剤よりも効果が得難いだけでなく、危険なのは言うまでもありません。薬で不安が解決するわけはない。
不安がない人間がいたとしたら、熱も出ない、痛みも感じない人間みたいなもので、まともに生きていくことは出来ません。人間、進歩、向上、しようとすればこそ、むしろ不安は大きくなります。同時にその不安を克服することが、成長、精神的成熟でもあります。
当たり前のことを言ってるようで説教がましくなってしまったかもしれませんが、こうした不安の対処や克服がうまくできる人とできていない人がいると思います。

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