本末転倒、倒錯した精神医学研究「うつ病の発症、HHV-6が持つ遺伝子が関与か:慈恵医大」

本末転倒、倒錯した精神医学研究「うつ病の発症、HHV-6が持つ遺伝子が関与か:慈恵医大」

またまたこういうのが出てきました。
少し前の2020年6月頃の話題ですけど。

うつ病の発症、HHV-6が持つ遺伝子が関与か:慈恵医大
https://www.carenet.com/news/general/carenet/50201

うつ病の原因遺伝子の発見
-ヒトヘルペスウイルス 6(HHV-6)の潜伏感染はストレス応答を亢進させることで、うつ病のリスクを著しく上昇させる-
http://jikeivirus.jp/wp-content/uploads/2020/06/2b5442c6724af0b997f15463558a52c9.pdf

当然のこと、以下のような批判もあります。

東京慈恵医大による「うつ病の原因遺伝子の発見」の矛盾
https://matsumoto25.net/2020/06/25/sith1/

前にも書いたけど、いつものようにこんなのが現れては消えるでしょう。
原因と結果が倒錯し、本末転倒しているからこんなことになる。
本質を理解しようともせず、それ以前に事実を捻じ曲げたり否認したり。
なぜ、そんなに認知の歪みや欠落が甚だしいのでしょうか。
精神医学には既に優れた先人の知恵もあるのに、それは全く無視。

精神医学の研究と言うのは皆の普遍的な利益や、健康と幸福を追求するものではなく、殆どはある種の人や集団や組織の利益と結びつくことだけしかやりません。
簡単に言えば金と名誉。

では何をどのように研究したら良いのか?
もちろん、臨床的な観察、洞察や理解が基本ですが、理解が優れた研究法の一つは、以下でも提示しています。

精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ
(うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)
https://self-therapy.info/2017/01/17/pc/


このような物質的な「精神医学研究」は今まで繰り返してきた通り、そのまま立ち消えになるのでしょうけど。
もしかすると、何らかの「新薬」の開発などに結びつく可能性はあるのかもしれませんが、結果もわかりきっている。
「効果」はあっても乏しく、弊害や危険性は高い。「効果」と言っても現行の抗うつ剤を上回るものではないはずで、もちろん良くなることとは違います。
「効果」があれば弊害や危険性もそれ以上に高い。

それにしても「うつ病の原因がわかった」なんて今までも散々言われてきたし、二十年以上も前から「うつ病は薬で治る」と言っていたではないか。嘘つきばかり。
「嘘つきは精神科医の始まり」なんて標語も流行ったな。
♪誰が言ったかしらないが♪俺かな?
ただの喧伝にしてもウソばかりではいけないが、なぜか公共広告機構ACジャパンに訴えられることはない。

脳科学やら、生物学的、化学的、物理的などフィジカルな観点から、物的還元主義で研究を進めても、それは進歩ではあるのかもしれませんが、どこまで行っても平行線で精神疾患に近づかず、理解もできず成果も得られません。

こうした研究の結果、何らかの「治療法」に結びついたとしても、ロボトミー(精神外科)、電気ショックや磁気刺激、薬物などなど「効果」はあっても良くなるものではなく、弊害やリスクは極めて大きいものになるのはわかりきったことです。

そうした誤りを繰り返してきたのが、精神医療の歴史ですが反省もない。
「歴史は繰り返す。但し二度目は茶番として」

壮大な無駄とも言えますが、それで経済が廻っていくのでしょう。
「精神科医、功成りて万骨枯る」
でもいつまで続くのかな?

そんなことはない、科学技術の進歩に限界はない、いつかは「うつ病」の生物学的な原因と治療法が発見できる、とお思いでしょうか?

もちろん我々が既に行っている治療の合理性を、物的な事象を基礎に確認したり証明はできるかもしれませんが、それには及びません。弊害もリスクもなくて、結果が得られればそれで良いとも言えますが、原理的にも優れた治療であることは明らかなので理解すれば良いだけです。

でも、もしかしたらこれらの生物学的、物的「精神医学研究」によって、有効な治療法が発見、もしくは発明されることがあるのかもしれません。絶対にありえないとまでは言えないと思っています。

しかし、それができる頃には既に生身の人間か、アンドロイドか、ゾンビか、AIロボットだか何だかも区別が無くなっているでしょう。

そうした世界を皆さんは望むのでしょうか?
それ以前に、世界は存続できるのでしょうか?
私は、SFは好きでもなく苦手なので、考える気もありません。

それはともかく、
既に精神医学にはフロイト先生を始め、治療に直結するものではなくとも優れた先人の知恵もあるのに全く無視、否認。
完全なんてありえないけど、とても優れた良い治療法もあるのにね。
病院に行ってもそれは得られませんが、これを読んだ人はその恩恵を享受できるかもしれません。

うつ病の「引き金」物質を確認 疲労やストレスで増加、ヘルペス、帯状疱疹

うつ病の「引き金」物質を確認 疲労やストレスで増加
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6362542
朝日新聞デジタル
「さらに研究が進み、発症の詳しいメカニズムが解明できれば、新たな治療薬の開発などにつながるはずだ」
といつものご冗談を。バカバカしいにもほどがある。

今まで、抗うつ剤で治療ができなかったから、こんなのがまた出るのだが。もちろん電気ショックなんて持ち出してもダメ。磁気刺激なんてそれを薄めたようなもんだ。
成果の出ない金と労力の無駄になる研究も、業績になるから止められないんだろうけど。
その前に、精神医療側が治療の失敗、医療過誤を認め補償すべきだ。

患者側も何を期待してるんだか
ギャンブルで負けたら、さらにつぎ込めば儲かるわけじゃないよ。負けが込むのは当然のこと。
ギャンブルはギャンブル、ユーザーが儲かったら成り立たない。

結局、ストレスが原因ならそれに対処するしかないだろ。当たり前。
ホントのうつ病はストレス無くてもうつ病だけどね。
存在そのもの、この世に生きること自体がストレスと言えばそうなんだけど。
薬で打たれ強くもならないし、もちろんストレスを克服する方法も、パワハラ上司対策法も身につくわけはない。鈍くはなるけど。

自分で治療しましょう。ストレスの対処法も、パワハラ対策も教えます。
パワハラ上司やブラック企業の社長なんかも、もちろん病気なので治療が必要です。そういう人は来ないだろうけど。

ちなみに精神科医の皆さんに研究法をご提案したページはこちら
精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)

精神科医の皆さん、研究、頑張ってな。
業績のための安易な研究をやっても何の役にも立たないぞ。

https://self-therapy.info/?p=1002

https://www.self-therapy.info/
個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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「コロナうつ」自粛解除から日常へ戻る今が危険 “心の不調”相談件数も急増

【特集】「コロナうつ」自粛解除から日常へ戻る今が危険 “心の不調”相談件数も急増
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ce35788afc4ac5722173ec0b030e946c0d6af9?page=1
資本主義医療だから必要のない所に需要を作り出す。

もちろん治療ができるなら良いんだけどね。

こんなの真に受けたら、ケツの毛まで毟られてしまう。
もちろん結局、向精神薬の薬漬け、薬物依存症、慢性薬物中毒
これも電通案件なのだろうか?
誰だって不安もあるし落ち込んだりもする。
自分で治療すれば良い。

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冬のメダカ“うつ病”に着目、「セラストロール」という化合物で改善!?

冬のメダカ“うつ病”に着目 名古屋大などの研究チーム
 名古屋大などの研究チームが、夏は群れで生活するメダカが冬になると他の個体に興味を示さずばらばらに行動し、鬱のような状態になることに着目し、人の「冬季うつ病」の治療薬候補を見つけたと発表した。
チームは、メダカの鬱のような状態が中国伝統医薬に含まれる「セラストロール」という化合物で改善することを発見。吉村崇教授(動物分子生理学)は「人の冬季うつ病も、元の姿は(動物の冬眠のように)冬の厳しい環境でじっとしていること。魚の研究が参考になる」と話している。

西日本新聞 2020/5/23
相変わらずこんなのばかり。
この手の「研究」が上手く行かないことはわかりきっているのに、現れては消え後をたたない。
こんなの出したら他の学問、研究分野なら致命的だろうけど、まかり通ってしまうのが「精神医学」
もはや滑稽を通り越し、うつ病の治療からはますます遠ざかる。
うつ病が治る魔法の薬なんて、100万年かかってもできるわけがない。
その前に、薬では良くならない、治療はできない、失敗だったことを認めるべきである。

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子供のうつ病が増えています!?シオノギ製薬会社

子供のうつ病が増えています!?シオノギ製薬会社
最近また、病気喧伝の対象が拡大し、「子どもにもうつ病があります」なんて宣伝し、被害を拡大しようとしているらしい。

子どもに対する抗うつ薬の治験 シオノギ製薬会社
https://ameblo.jp/momo-kako/page-4.html
シオノギ製薬の治験について(続報)
https://ameblo.jp/momo-kako/page-3.html

もはやここまでくると、被害者も加害者、共犯者だな。無知も沈黙も共犯だ。
最近 me too とか話題になっているけど。
伊藤詩織さんの告発に意義があるのは加害者の山口敬之や、逮捕状を握りつぶして警視庁刑事部長から警察庁総括審議官兼警備局付に出世した、中村格らの名前を明らかにしたことだろう。もちろん自分にもリスクがあり、勇気のいることだ。彼女の言うことが全くのウソだとは到底考えれない。

薬害自殺、薬物中毒死や離脱症状の苦しみを訴えるのは大いに必要なことだが、誰に騙されて被害にあったのか、固有名詞、すなわち特定個人(精神科医)、特定病院、特定製薬会社を明確にして訴えたほうが良いと思う。
名誉棄損と逆襲されるかもしれないが、そこまでやらなければ意味がないだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず。

自分さえ良ければと言う邪な価値観、行動原理が被害を拡大させたのだ。
皆でやれば怖くない、団結頑張ろう!

俺はガキの頃から「うつ病」だったよ。中高年と違ってむしろ軽くない重症な精神病、ホントのうつ病かどうかはともかくとして。でも何万人患者を診てもむしろホントの「うつ病」は俺しかいないようようにも思う。少なくともとてつもない重症だった。地獄の下には地獄があることを子供の頃に知った。
小学校の頃はまだマシだったけどね。勉強はやらなくてもできたし、皆を笑わせるのが得意で友達も多くけっこう人気者だったし、女の子にもモテた。
しかし中学に入ったとたんに重症化した。
きっかけは特にないが、環境の変化かな、最近は中一ギャップとか言うみたいだけど。

もちろん勉強も遊びもできない。運動なんて以ての外だ。でも何とか体育にも無理して参加した。いくらなんでもそんなに惨めな子供は暴力教師からも殴られることはなかった。奴らも人の子である。

もちろん抗うつ剤なんて一回も飲んだことはないし、病院も受診していない。従って向精神薬害の被害者ではない。精神病院に勤めていたことはあるけど。
ガキの頃から向精神薬害について知っていたのだ。
たぶん1969年12月、小学校5年の時だ。大掃除で職員室の廊下を掃除していた。というよりサボっていて、廊下の掲示板を見たら…
「こんなケシの花はありませんが?見かけたら警察に通報してください」というポスターが貼ってあったのだ。ケシの花なら家にも咲いているかも?、でも種類が違うんだろうな…、どうやら麻薬・覚せい剤の原料になるらしい。

その頃は学生運動も終息に向かい、退廃的な雰囲気が広がっていた。
シンナー、ボンド、ハイミナール(過度期の睡眠薬)なんかの薬物も当時の若者に流行していた。裏山で遊んでいたら、カップルがアンパンやってるのを見てしまい、警察に通報しなくてはいけないかとドギマギしたり。当時はマリファナや覚せい剤は殆ど手に入らない。それが何でいけないのか?もちろん向精神薬も同じことだ。

どうやって調べたの忘れたが、家にあったのは百科事典くらいだろうか?新聞なんかもこの頃から読むようになった。
それで麻薬・覚せい剤のことも一応理解したのだ。もちろん向精神薬も基本的には同じ。

俺はこう見えても、ガキの頃は賢かった?と思う。たぶんね。自信ないけど。
「二十過ぎればただの人」と言うけど、俺の場合は「5歳で神童、七つで才子、十を過ぎれば精神病」だ。
俺は医学部は出ていないし、大学は
「♪チョッとココ、♪チョッとココ、♪足りないのは明治♪」だけど。
大学に入ったばかりの頃、浪人中の友達に電車の中で会ったら、
「お前どこ行ってんの?」 「明治だよ」 「明治製菓か?」 「いや一応大学だよ」 「ウソだろ!」 彼は明治も落ちたらしい。
良く誤解があるみたいだけど、(明治製薬ではなく)明治製菓は向精神薬を作り薬害を拡大しているとんでもないブラック企業だ。あんな所、就職するわけないだろ。菓子だけ作ってれば良いのに。

俺はダントツでビリだったが4カ月くらい勉強したら受かった。大した高校じゃないので、現役でMARCHなら羨ましがられる位だった。
俺の所に来た奴には勉強にもやる気が出る、集中できる方法も教えるぞ。

コレでもガキの頃はIQがありえないくらい高かった。教師に「皆は彼の真似をしちゃダメです。彼はやらなくてもできるけど皆はやらなければできません」なんて言われて、見放されたようで悲しくなったな。
精神病でパーになったけどな。アスペルガーとか発達障害じゃなくて精神病だよ。発達上の問題もいろいろあるけど。

この歳まで勉強は殆ど全くやってない。うつ病は怠け病だから仕方がないよ。もちろん怠けたくて怠けるわけじゃないけど。若いころに、やるべき時にやるべきことをやっていないとなかなか身につかない。病気のせいにしちゃいけないだけど。

それでも三十の時、大学教師になった。精神医学はそもそも勉強するものがないし。サリヴァンとか新フロイト派の本なんかは読んだけど、そういうので勉強したわけではなく、自分の見方や考えを確認するために読んだだけだ。他の本やらも同じ。
悪いけど田舎の大学の医学部教授なんてバカばっかりにしか見えなかった。地頭は俺の方が良いはずだし。たぶん。自信ないけど…
その大学もいろいろと医療事故を起こして問題になっているので、御家取り潰しになってしまうかも?今は国立大学じゃなくて法人だし。つぶしてもイイと思う。

これでも高慢はいけない、謙虚じゃなくては、と心がけているつもり。
自慢しているわけではない。
子供でも明らかな事実を捻じ曲げるな!ということだ。
少なくとも精神科では。医者も患者も業界も。それでは専門家どころではない。
近年は医学部が大ブームで、底辺医大も難しくなったようだ。東大とか慶応はどっちかと言えばやや落ち目。底辺出身でも医者にはなれるということらしい。
でも医学部も医者も、多すぎるんで減らさないといけない。もちろん製薬会社も。
そんなの支える金なんてない。精神科は人々を害すること甚だ多いし。他の一般科でもそうした問題は大きい。

医療が何とかしてくれると思うから健康に気遣うことも疎かになり、医療依存も高くなる。
今どきのガキに将来何になりたいか?と聞くと、殆ど医者と答えるらしい。他にはユーチューバーとかトレーダーとか。サッカー選手とかゲームの会社の社長とか言うガキは殆どいないようだ。

医者に非ずは人に非ず、驕る医療は久しからず。
俺は医者じゃなくてリハビリ出身で、今は民間療法家だよ。念のため。
若い頃の俺は何になりたいのかさっぱりわからなかった。ずっと今まで。やりたい職業もない。もちろん会社員は論外。だから、誰もやらないこと、できないことをするしかなくなってしまった。
というより、自分の精神病を何とかしないと、どうにもならなかったのだ。廃人だし。

学校だけは行ってた。人には迷惑をかけないように、それは徹底して心がけてきた。当時は不登校とかニート引きこもりなんてジャンルはない。今はそれが役割と言うか職業みたいになってるけど。専業不登校、専業ニート・引きこもり
義務教育は義務だ、軍隊よりはよほどマシだと思ったのだ。行かなきゃ家族と殺し合いになってしまうかも。軍隊なら殺し合いと言うか殺されてしまう。もちろん殺人はもっといやだ。

働くのも嫌だし、もちろ精神病院に入るのも嫌だし、薬もヤバいが電パチなんてクワパラクワパラ恐ろしや、考えただけで身の毛がよだつ。
というわけで何とか首も吊らずに苦しみあがいて生きてきた。結果的にはミイラがミイラ取りになったわけである。

でも良かったよ。そのまま優等生なら、今頃は精神科医になって患者を殺しまくっているのかもしれない。進路は文系理系いろいろ考えたが、医学部だけは選択の範囲外で、医者になろうとは露ほども思ったことがない。
話しはズレたが…、というよりズレまくっているが。

国際的な大資本製薬会社は、もはや日本は相手にしていないだろう。
日本でのパイロットスタディーを元に、欧米以外の諸国に向精神薬を売り込み、薬害を拡大させ行くだろう。陰謀論に与するつもりはないが。
ホーキング博士が言うように、これからは資本主義そのものが脅威となるだろう。
天才ホーキング博士「3つの大予言」人類にとっての真の脅威とは?
「人類にとっての脅威は、ロボットではなく資本主義」
https://news.infoseek.co.jp/article/zuuonline_184053/

俺は昔からサヨクでも何でもないが、ガキの頃から資本主義は大嫌いだ。天才ホーキング氏が言うことを、ガキの頃から言ってたところが俺の神童たる所以だろうか?あっ!自慢しちゃいけないね。

病気でないものを病気にして、薬漬け有害医療を行い、ますます悪化して、他の病気も併発すれば、病院も医者も製薬会社も儲かるし感謝されるし尊敬され、依存せせざるを得ない。それが資本主義的には最も成功したビジネスモデルであり、目指すべきところである。
人間は基本的には理性的存在であり、そんなことは例外だ、そういう弊害は政治的に対処すれば良い、それを民主主義で修正すればよい、などと言うのがかつての資本擁護論者である。

しかし格差社会が問題だと誰もが思ってももはや修正はできない。資本主義は民主主義よりもはるかに(見えない)ファシズム、(独裁というより衆愚支配)と融和性がある。むしろこうした問題が資本主義の本質であることを俺は子供の頃から見抜いていたのだが、そんな奴は大人でもいなかったような…?
精神病は脳の病気ではなく精神の病気、PTSD心的外傷後ストレス障害であることを理解し、向精神薬の薬害についても見抜いていたのも神童たる所以だろうか?自分じゃ当たり前としか思ってなかったけど。

しかし、被害がここまで拡大するとは思ってなかった。医者も患者もバカばかりじゃないし。でも俺が思ったよりも遥かにバカだったということなのか?。こんなこと恐ろしくてとても言えないよ。と思いつつ書いてるけど。

俺も日本を相手にするつもりはない。多国籍製薬資本の横暴、アヘン(向精神薬)世界大戦、ファシズム精神医療と、独力で抵抗し断固戦うつもりだ。それが若い頃からの夢だし。
アジア、アフリカ、ラテンアメリカなど貧しい地域の傷ついた人をも救える精神医療は俺の手中にしかない。俺が発見したわけじゃないし、俺が凄いのではなく、治療法が凄いのだが。

昔からの友人にそんなこと話したら「暗殺されるぞ」と言われたけどな。
イイじゃないか。ジョン・レノンやゲバラ、トロツキー、ガンジーらに連なることができたら光栄だ。
そうそう人生長いもんじゃないし、この世にたいした未練もない。病気で何年も苦しんで死ぬなんてまっぴらごめんだ。

というわけで、もはや被害者も被害を訴えなければ犯罪の片棒担ぎ、無知も沈黙も共犯と言わざるをえなくなりつつある。
「精神医療批判は国民の義務」と井原裕氏(獨協大学精神科医)も言っていた。義務は果たさなければならない。
向精神薬害、精神医療過誤に対抗するつもりがないなら、病気喧伝に加担し、むしろ被害を日本だけで拡大させ、炎上させた方がイイのかもと思ったりする。
江戸時代の火消しが、まだ火がついてない周辺の建物を倒壊させ炎上を局限し、延焼拡大を防ぎ、被害の最小化を図ったように。
そうすればいずれ社会的大問題となり、世界に被害を拡大させることは防げるかもしれない。世界史的な利益を考えるならその方が良いはず。日本より世界が、現在より未来が大事だ。

誇大にして非現実的、過激なことを言ってるようだが、精神医療問題について認識がある人にはわかってもらえると思う。
とりあえず金がないのが困ったもんだ。
ご理解、ご厚情、ご支援賜りますようお願い申し上げます。
うつ病、神経症、パニック障害など短期で改善できる、薬を使わない安全な短期治療法

いつわり、ごまかし、気休め、まやかし、のないセラピーを提唱し指導しています。

独自に開発した催眠を使った、うつ病、神経症等、精神疾患PTSDの短期治療法です。
・神経療法 (という言葉は普通はなく、実際に他にはありません。神経の状態を無害、安全に改善。)
・催眠療法 (催眠を使うので催眠療法を称していますが、一般のまやかし催眠療法ではありません。)
・精神分析的精神療法 (新フロイト派の流れを汲む)
これらを統合した安全で確実な治療法を行い、無害で有効な精神神経の健康法を指導しています。
もちろん有害、危険性の高い向精神薬は使いません。
本当に改善したい方のみ、マニュアルを購入して下さい。。

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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うつ病患者が自殺に至る最大の理由は、抗うつ剤~ほとんどの医師は知りつつ処方

うつ病患者が自殺に至る最大の理由は、抗うつ剤の処方 ~ほとんどの医師は「服用すれば何倍も自殺企図の可能性が増える」と知りつつ処方~
『やはり、医者は“死神の使い”だ…』
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=143687

かこさんのブログ
「抗うつ薬の隠された害」
https://ameblo.jp/momo-kako/entry-12334975994.html
「ベンゾジアゼピンは死を招く」
https://ameblo.jp/momo-kako/entry-12336100206.html

我々は昔から抗うつ剤SSRIの危険性については知っており、ネットでも警告してきたが、精神科医が知るようになったのは、せいぜい10年位前からだ。
アメリカではSSRIは日本より10年近くも前に処方されており、すでに自殺や衝動行為促進(賦活化症候群・アクチベーション・シンドローム)のことは知られており、かの国は訴訟社会なので訴訟が頻発し、特に危険性が高いパキシルが槍玉にあげられていた。

そのため、せっかく巨額の費用をかけて開発したSSRIは売れなくなり、販路と収益を失った「死の商人」製薬会社が日本に売り込んできた。
この圧力にお役所側も屈してSSRIは認可され、製薬会社、宣伝会社により「うつ病キャンペーン」が行われ、「うつ病」受診服薬ブームとなり、特に危険性の高いパキシルは爆発的と言ってもいいほど売り上げた。
当然のことながら、我々の警告通り1999年から自殺は急増、それまで2万人以下だった自殺者数はそれ以来3万人を超えた。

2010年頃より、SSRIの危険性がようやく精神科医にも浸透し、急激に売り上げは低下し、2012年頃からようやくわずかながら自殺者数も減少してきた。
アメリカではちょくちょく起こっている銃乱射事件などの衝動行為も増え、あまり知られていないが日本でも、虐待なんかする母親じゃないのに子供を殺した、とか、爺さん婆さんが孫を殺した、なんて一昔前ならありえない事件も時々ニュースになっていたが、覚えている人はいるだろうか?もちろんSSRIのお陰である。

もちろん、SSRI売り上げの減少、自殺者の減少は、精神科医や精神医療側の自浄作用によるものではなく、我々識者、篤志家がネットなどで啓蒙し、患者側もようやく理解する人が増えて、精神科医にも訴えるようになってきたからだ。
こうした予測は面白いほど良く当たった(当たり前だが面白くないけど)のは、このブログの過去の記事をみてもわかる通り。
原理がわかっていれば未来の予測も当たるのか当たり前、事実を捻じ曲げ、その原理を理解しないのが精神科医である。

10年位前の最盛期にはおそらく7~8割の「うつ病患者」がパキシルを服用していたが、今はせいぜい2~3割だろうか?推定。
それに替わって無原則的に処方が増えたのは非定型抗精神病薬であり、多罪大量処方もわずかながら歯止めがかけられるようになったが、当然のこと、向精神薬による薬物中毒死者が鰻登りに増えてしまった。
1998年ころまでは年間数万人だったのがあっという間に20万人を超えて、もう30万人かな?
やはり不審死のほとんどは向精神薬服用者である。

間接的に聞いた話を含めると、私の周囲にも亡くなった人は数人いる。まだ50代以下で私より若い人ばかりだけど。
10年、15年と向精神薬の長期服用者が増えたので当然の結果であり、今後もしばらくは増え続ける。間違いなく。
従って、今は自殺者の増加はさほど問題ではない。薬物中毒死者の問題は数の上からも比較にならない程の大規模である。
実際には不審者の中には自殺者も含まれているので、自殺者現象といっても統計上のことだけかもしれない。

これらのベンゾは、過量摂取による致死性が低い一方で、長期服用による致死性は非常に高いのだ。もちろんそうしたことが統計の対象にはなり難いし、研究もされることもない。研究者の利益にならないことは研究の対象にもならないのである。資本主義だし。

「衝動的な患者の場合には、ベンゾの脱抑制作用により、自傷行為が誘発したり、自殺念慮の行動化を促進したりする。」とかこさんのブログにもあるが、衝動的でない人でもそういこうとがある。
脱抑制症候群というべきか、これはベンゾや抗精神病薬で起こりやすく、新型抗うつ剤 SSRIでは賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームが起こりやすい。

ベンゾは旧来の睡眠薬に比べて致死性は少なく、大量服用してもそう簡単に命を落とすことはなく、「死ぬまで飲める」要するに副作用で身体病になって死ぬまで飲める、と言われているがそれは短期のことであって、数か月、数年服用した場合はもちろん致死率は高い。そんなこと医者も製薬会社も調べはしないが。
もう30年も前のことだが、当時バイトしていた精神科病院の医局で、ある精神科医が話していたこと…

ホントに寛解ではなく、治ったとしか思えないほど良くなった患者がいて、自宅で家族と楽しそうにテレビを笑って見ていたのだが、CMでトイレに行ってくる、と部屋を出たら台所で包丁を喉に突き刺して死んでいた、という話。
医者連中は「良くなりすぎると自殺する」なんてジンクスがあるとオカルトみたいな呑気なことを言ってたが、居合わせた俺を含むパラメ・スタッフはさもありなん、当然そうこうことは起こりうるとしか思っていない、なんてことがあった。

昔から我々はこの脱抑制症候群や賦活化症候群に気づいていたが、精神科医で気づいていた人はいたのだろうか?
当時は文献検索などできなかったので知らないけど、検索などする気はもちろんない。

記事では、タミフルが治療効果がほとんどないにもかかわらず、医師はインフルエンザの治療薬として処方していることを指摘しているが…
面白いことがあった。
ある講演会に行ってみたら、この中でインフルエンザの予防接種をした人?と手を挙げさせ(2/3位だった)、次にしない人?(1/3位だった)全体で100人くらい。
そのあとで、この冬にインフルエンザにかっかた人は?、かからなかった人は?
ものの見事に一致していた。もちろん接種した人が罹患している。
人数を数えたわけではないが、数える必要はなかった。
これにはちょっと驚いた。摂取した人の方がかかった人が多いことは予測していたが…
私はもちろん接種していないし、罹っていない。

講演者もやっぱりそうですよね、とサラッと言うくらいで、あまりにも当然のことしか思っていないようだし、聞きに来た参加者もやっぱりそうか、という感じではあったが、たいして驚いたりする様子もなかった。俺はちょっと驚いたけど。
しかし、結果を知っていてなぜ服用するのか?
一部の人が言うには、保育園で勧められるという。お母さんが罹患し子供に移したら、その子供が他の子どもに移すので迷惑だというわけである。
もちろん保母さんの中にも、ワクチンは効果がない、危険であるばかりか、インフルエンザに罹りやすくなるということは知ってる人もいるはずだが、どうしたって「ワクチンは止めましょう」とはならず、「必ず接種しましょう」ということになってしまう。
ワクチンも売れず、インフルエンザに罹らず病院にも行かなければ、資本主義は発展せず困るではないか。

うつ病、神経症、パニック障害など短期で改善できる、薬を使わない安全な自己治療法を提唱しています。

いつわり、ごまかし、気休め、まやかし、のない自己治療法です。
独自に開発した催眠を使った、うつ病、神経症等、精神疾患PTSDの短期治療法です。
・神経療法 (という言葉は普通はなく、実際に他にはありません。神経の状態を無害、安全に改善。)
・催眠療法 (催眠を使うので催眠療法を称していますが、一般のまやかし催眠療法ではありません。)
・精神分析的精神療法 (新フロイト派の流れを汲む)
これらを統合した安全で確実な治療法を行い、無害で有効な精神神経の健康法を指導しています。もちろん有害、危険性の高い向精神薬は使いません。

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末田耕一氏の著書 『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない』

『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない
ヒロシマで見つけた「無意識の病」PTSDの薬物療法』末田耕一 著
文芸社 (2017/11/1)


著者のサイコドクターSこと末田耕一氏とは一応、面識があり知り合いでもある。
といっても、特に交流らしいものはないのだが。
私の知り合いの精神科医はみんな10歳以上年上で、既に物故者が多い。
長らく精神科医とはなるべく関係を持たないことにしており、年下の精神科医の知人はおらず、もしかすると彼が唯一の知り合いかもしれない。
私は精神科医にケチばかりつけており、今は嫌われているかもしれないけど、これでも若い頃は精神科医に尊敬、とまでは言わなくても、一目も二目も三目も置かれていのですよ。

別に自慢にもならないが。考え方も言うことも昔から変わらないのに。
医療系専門学生の頃も、精神疾患脳病説や薬物療法を批判し、テストにもそう書いたが、精神科関係の科目(医学部の数倍はあった)を落としたことはないという筋金入りだ。(他の科目はずいぶん落として落第しそうになったけど)
ついでに書くと、帯評を書いている清水寛氏とも面識というほどのものはないが、30年近く前に一度お会いしたことがある。当時、私が勤めていた大学の同僚の先輩ということだった。

末田氏には、最初、私が彼のブログを読んで、少々批判めいたメールを出し、それに対して返事が来た。反論と言うほどではなく、特に対立するような内容でもなかったが。
その後、彼が自身のブログで、私がブログに書いた記事についてコメントしていたので、お礼のメールを出しておいた。俺のことを「面白い人」なんて評していた。

それからしばらくして2014年に横浜で日本精神神経学会に行った際に、彼の発表も聴いて、話しかけてみた。お会いしたのはこのときのみ。
そのときに停戦協定と軍事同盟を結んでいる。というのは大げさで、実際そのような話さえも明確にしたわけではないのだが…
以下のような点で合意があったと私は考えており、おそらく彼も同意してくれるはず。

・お互い立場や考え、実践法などいろいろ違いはあるが、基本的には正しい真の精神医療推進派であり、現状の有害精神医療に対しては反精神医療派である。
・(現状の)精神疾患は事実上すべて遺伝ではなく、精神的要因、心的外傷(トラウマ)が原因である。精神疾患は脳の病気ではなくすべてPTSD(心的外傷後ストレス障害)であるゆえ、それを前提に治療する必要がある。
・現状の悪質精神医療蔓延・拡大しているような状況では、お互い対立したり批判すべきではない。
・現状の有害精神医療に対しては、特に協力するわけではないが、それぞれの立場で共に批判し断固戦う。

といったことが合意された内容であると私は解釈している。
ゆえに、ここでも批判や対立点については触れないことにする。
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読者の皆様は、まずタイトルの意味が分かりにくいのではないかと思うが…。
『「うつ」という医学の「言葉」は存在しない』というのは、
「うつ病」というのは内因性精神病のことであり(末田氏はそれは消滅したという認識)、現在「うつ病」と称されているのは「PTSDのうつ状態」である。

PTSDを否認しこれを誤魔化すためか「うつ」と言うようになったが、「うつ状態」という言葉あるが「うつ」という言葉は医学的には成立しないので、やはり「PTSDのうつ状態」と言うべきである。(ということだと思う)
彼の提唱するPTSDの薬物療法と言うのは、一般の有害精神科医の薬物療法とは全く違うもので、彼が独自に考え実践している治療法である。(ということだと思う)

すなわち
「トラウマの傾聴・共感(ラポール形成)後のSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬、新型抗うつ剤)SDA(セロトニン・ドーパミン拮抗薬、非定型抗精神病薬)処方」
「トラウマ強化受容療法」 「化学的フラッシュパック誘発療法」
ということです。
この辺を一応、知っておかないと本文もわかりにくかもしれない。
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私にとってはとりあえず、精神医療の歴史や現状については「この本を読んでくれ」でだいたい事足りるので非常に便利な本である。だいぶ体験も違うのだが。今後、私が著作を書く時にもこの部分はかなり端折れる。面倒だし。
自分のふんどしで他人に相撲をとってもらうみたいで、ズルくてセコイので恐縮ですけど。

奇妙になことではあるが…
精神医療過誤・向精神薬害について指摘したり、精神医療、精神科医にケチをつけると当の加害者側の精神科医や製薬会社関係者よりも、実際に被害を受けている患者さん側からバッシングを受けるのが常である。
精神分析で言うところの、抵抗・防衛であり、「ストックホルム症候群」と同様な心的機制によるものである。

精神科医もまた抵抗・防衛を起こしているのである。(誰も治療ができないので)誰も言わない、というか知らないことだけど、抵抗・防衛は良い治療に対しては強く起こるものであり、患者とかかわる他者にも起こることである。
そのへんは前にも書いた。
「なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?」
https://self-therapy.info/2016/03/

今は私も精神科医の批判はするが議論などする気はさらさらない。高慢・僭越に聞こえるのは百も承知。
私は末田氏と立場や考えや実践法も異なる点が多いが、精神医療関係者も患者さんもこの本をよく読むことをお勧めする。正しいことは知りたくなくても知った方が良いのである。

精神科医の皆様はこの本や論文(ネットで公開している)を熟読した上で、末田氏の弟子になるなりして、指導や教えを乞いながら臨床経験を積んでいくべきだろう。精神科医の地位や立場、診断権やら薬の処方権やら医者としての権限などを守りたければそうするしかないはず。
こっちとしては話はそれからだ。

なぁに、ビビるこたぁないさ。
前にも書いたように末田氏は、ブログの印象では強面の印象をもつかもしれないけど、優しそうで物腰も柔らかく(物理的にも?)腰の低い人ですよ。(私も口は悪いが優しい人ですけど)
16,000人の精神科医の中でも、弟子にしてくれと言う精神科医は一人もいないみたいだから、今がチャンスです。
堺正章はグループサウンズ全盛期は「向かうところ敵なし」だったのが2年ほどで「向かうところ客なし」になったと言ってたけど、精神医療もそうなるんじゃないかなぁ?と期待しているのだけど。
ブームの頃は後が予測し難いものだけど、希望的観測すぎるか?

いくらたくさん患者が来るからといっても、有害なことばかりやっていれば愛想つかされるのは当然、精神科医がいくら「甘く優しい言葉」で誘って愛想良くしてもね。
末田氏も表立って活動を開始した。私は彼よりもたぶん5歳上であり、来年は還暦を迎えることもあって表立って活動するつもり。彼の活動も大いに励みになる。

自分がいくら正しくても、損するだけのことや、非難攻撃を受けたり、カドが立つだけのことは止めた方が良いと言われるけどな。
一人で何でもできるわけでもないけど、残された時間もそうそうはない。できるうちに伝えることは伝えて残すべきことは残したいと思う。人生は儚いものだ。
人間、生きているうちが全てではないし、狭い日本が全てでもない。自分は自分自身だけのものではないし、現在が全てではなく過去も未来もある。
ご理解、ご厚情、ご支援を賜りたく存じます。
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精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)

精神医学の研究法のご提案、精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)
うつ病の重症度、採血による評価方法開発に道 九大など
http://www.asahi.com/articles/ASJDJ4CCWJDJTIPE00N.html?iref=comtop_latestnews_04

恐怖の記憶、書き換える技術開発 PTSD治療に効果か
http://www.asahi.com/articles/ASJCM5GVTJCMULBJ00D.html

こんなことをしていたら当然のこと治療法に至るどころか精神疾患の理解から遠ざかるばかりです。こうした「精神医学研究」のあまりのバカらしさについては、前にも書いたことがあるのでここでは繰り返しません。
うつ病の発症メカニズムが解明された!??
http://68631324.at.webry.info/201608/article_31.html

「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル
http://68631324.at.webry.info/201608/article_18.html

学問研究は真理追及のためであり、曲がりなりにせよ何にせよ他の学問分野では実際にそれが目的ですが、精神医学分野だけは逆に嘘偽り誤魔化し、実践的には有害で真理から遠ざかるための研究になっています。
医学領域では他の分野でもその傾向はありますが、精神医学分野ではほぼそれだけと言っても良いくらいです。前世紀はそれほど極端でもなかったのですが…

精神科医は治療などもちろんできないし目指してもいないから、私は精神科医になろうと思ったことは全くありません。
なぜ精神科医は精神疾患の原因の解明や、治療法の開発に遠ざかるだけの研究しかないのか?反治療的なことばかりするのか?

うつ病など精神疾患の原因は昔からわかりきっていたことだし…私も子供のころから基本的にはわかっており、以下にも少し書きましたが。
うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?
http://68631324.at.webry.info/201608/article_2.html

統合失調症の原因(ある同級生)
http://68631324.at.webry.info/201608/article_8.html

はっきり言って精神疾患の原因について知らないのは精神科医だけではないでしょうか?薄々はわかっているけど否認しているのでしょうけど。
もしくは精神科医の書いた本などを読んで、あるいは病院を受診して騙された人にもわからないでしょう。甚だしい人は何を言ってもダメ。
精神科医自身もまた製薬会社等に騙されているわけですが。

専門家とされている人が、頭が悪いわけでもなく、悪意に満ちているわけでもないのに、なぜ子供でも知っていることも分からず、愚かで悪質・有害なことなことばかりを繰り返すのが??
私はむしろそれがわからず子供のころからの疑問でした。

精神疾患の患者さんについての研究も必要ですが、精神科医についての研究も必要です。もちろんご自身も。というより今はその方が大事。彼らがなぜ有害医療ばかりするのか?そこから何十年も抜け出せないのか?
当然、それがまた精神疾患の研究にもなるわけですが。それが私の昔から永らくの研究課題でもありました。
そのために大学の時にはファシズムの研究もしました。吉本隆明の『共同幻想論』や『心的現象論』なんかも参考になった。(政治学専攻)
今でも十分に解明しているとは言えませんが、その「研究の一端」については下記のページにも書いたのでご参照下さい。
なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?
http://68631324.at.webry.info/201608/article_1.html

反精神医療派に対する批判として、『向精神薬や精神科病院、精神科医が悪いのはわかるが、ではどうしたらよいのか代替案を示せ』、ということがよく言われます。
これに対し、精神医療にかからなければよい、薬を飲まなければよい、自力更生あるのみ、というのも十分代替案になっていると思います。少なくともほとんどの患者さんにとっては病院を受診するよりもその方が遥かに良いですから。
しかし私は反精神医療ではなく反有害精神医療であり、むしろ精神医療推進派です。向精神薬や精神科医を批判していますが、必ず代替案というより本案が出せることしか批判しません。

批判ばかりしてネガティブだともよく言われますが、批判する前に創造的、建設的であることは子供の頃から徹底的に厳しく自分に課してきたつもりです。現実的に可能で難しくなく有効な方法が提示できるように。

そこで精神科医や臨床心理士などの皆様のために、ここでは精神医学の研究法についての代替案を出しますので実践してみて下さい。
わからない人には体験してわかってもらうしかないです。
以下のような研究をすれば、どんなにおバカな精神科医でも、精神病についていくらかなりともわかるはずです。たぶんね。

感覚遮断の体験研究をすれば良いです。といってもアイソレーション・タンクなど使わなくてもよい。
部屋を真っ暗にしてとにかくそこに閉じこもる。断食した方が良いけどしなくてもよい。食料はカロリーメイトなど用意しておき、水も用意しておく。トイレは目を瞑ったまま行けるようにしておく。なるべく静かな場所が良いですが。

精神科医なら病院の保護室が使えるから非常にやりやすい。
保護室を真っ暗にして閉じこもるだけ。外から指定の日まで開けないように通告し外から鍵をかけてもらって。とりあえず2週間くらい。2回目にやるときは延長すればせばよい。
保護室はやむなく使用しなければならないこともありますが、基本的に反治療的であることもよくわかるはず。

目を開いても閉じても真っ暗で何も見えない。だんだん睡眠と覚醒の区別がつかなくなってくる。夢と幻覚、現実と妄想の区別もつかなくなる。
言ってみれば自分を疑似的に精神病状態にして、体験するわけです。そこで精神症状とどう闘って克服すれば良いのか。
精神疾患を理解し治療法を得るための研究法です。

もちろんリスクもあります。戻ってこれなくなるかも。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
精神病にはなるかもしれないけど脳の病気にはなりませんよ。
脳の病気と精神病はまったく別物であることも理解できるはず。

人を救う人はももちろんそうやって精神病を理解し、克服法も体得していったわけです。釈迦やキリストや偉い坊さんなども洞窟に篭ったりして修行しています。精神科医ならもちろん必須で、やらないという手はありません。
こっちとしては話はそれからだ。

そのくらいのことはやらなくては専門家になんかなれるわけがないし、患者の治療や指導もできるわけがない。
もちろん自分で体験しなくてはダメです。精神科医の中には、被検者にやらせようとする大バカ者もいるかもしれないので。他人にやらせても意味はないです。念のため言っておかないと。

というわけで精神疾患の研究法を提示しましたので実践してください。
頑張ってね。話はそれからです。根性出せよ!

https://www.self-therapy.info/
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なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)

なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)。
精神科医も患者もバカだから、騙し騙されたのか?
そういう面もあるだろうけど、人間なんてそもそも愚かで弱いものだ。
そこから出発するしかない。
アンタかてグーミンやろ、ウチかてグーミンや。ほな・いこか
(ハナ肇、古いなぁ)
本来医療はなるべく原因に近いところから治療を目指すべきだが、近代西洋医学は無自覚に目先の対症療法を目的化させてしまった。
原因と結果の逆転は精神医療においては甚だしい。
「うつ病はセロトニン不足」⇒原因ではなくせいぜい結果の一面だ。
もちろん悪しき資本主義、金儲け主義という面はある。
医療は患者を簡単には死なないように悪化させ、ずっと精神科病院に通わせれば一番儲かるし、最も優れたビジネスであり、その意味ではあらゆる産業の中で医療は最も成功した例と言える。
現代ビジネスは、いかに相手から恨みをかわないように、恨まれても反撃されないようにしつつ、相手から最大の利益を得るか、というのが無自覚に目的化されている。一方では、消費者は自分にとって有利で合理的な行動をするのだから、需要に対して供給し利潤を追求するのは善であるといった価値観が、無自覚な自明の前提になっている。
近代資本主義には常にこうした矛盾や欺瞞を内包しており、その乖離は精神医療において最も甚だしいと思う。
医療訴訟が起こり裁判沙汰になっても医療側は負けないし、負けても損失は僅かで、痛くもかゆくもないし、そもそもコストに織り込み済み、もちろん暴動など起こりようもない。
製薬会社や精神科病院・心療内科に対する焼き討ちなど起こって当たり前という気もするけど、もちろんテロは許されません。
しかし精神医療過誤・向精神薬害の本質は、金儲け主義でも、「陰謀論」でもないと思う。
「陰謀論」なんて昔は左翼の人が言ってたもんだ。若い頃の私は左翼ではなく、エコロジストだった(まだそんな言葉はない)。「自分たちさえ、目先のことさえ良ければというのは最もエコに反する」とか言ってた。(若気の至り)
しかし、なぜ良くなりもせず有害な向精神薬を使うのか?
それ以前にそれが認識されないのか?といったことは、随分長いこと、少なくとも40年以上は考えてきたが、正直なところ未だによくわからない。殆どの精神科医はもっとわかっていないはずである。
もっとも、かつては向精神薬が処方されるのは重症な精神分裂病患者が殆どで、それも良いことだとは思わないが、一部の場合については必要悪という面も認められないではなかった。
優生思想、もちろんそれもあるだろうけど。
精神科医は表に出さずとも前近代的な優生主義の人が多い。自分たちはエリートで優性とでも思っているのか?「医者に非ずは人に非ず、まして患者においてをや」
もちろん一般の人も多かれ少なかれ優生思想を克服・脱却できていないだろうし、そういう面は私も無いわけではないが、それを克服する努力は常々してきたつもりだ。
いつものことだが前置きが長くなっても何だし、他の人たちが言ってることをここで繰り返してもしょうがない。
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ほぼ全方面から反感をかいそうなので、というより仕事に支障も出そうなので、正直、今までブログに書く勇気もなかったんですが、ズバリ言ってしまうと…
精神医療過誤・向精神薬害の本質は「抵抗・防衛」「転移」といったことであると思う。
精神分析的に言えば。
「抵抗」とは…、
患者は意識的、主観的には良くなりたいけど、無意識的には良くなりたくない。良くなることは無自覚に抵抗し拒否する。
「防衛」とは、抵抗と表裏一体みたいなもんだけど。
患者は辛い症状は取ってもらいたいが、自分の病理性はむしろ手放したくない。無意識に病理性を防衛し固守しようとする。
「防衛機制」というのは抵抗・防衛の分類でもあるが、一般的には臨床上というよりその日常的な現われ。これは中学の保健体育や高校の倫理社会の教科書にも書いてあるので、覚えている人も多いと思う。
否認、退行、解離、抑圧、反動形成、分離、打ち消し、投影(投射)、取り入れ(摂取)、知性化、合理化、向き換え(自虐)、昇華、分裂、といいったアレである。
私はこれを教科書に見つけたとき、こんなに凄いこと、役に立つ正しいことを中学生に教えしまって良いものだろうか?教科書会社や文部省はどうなってるんだ!と驚いてしまった。(授業ではやらなかっと思うけど)
文字通り中二病だったので、教科書に書いてあることは勉強する前に疑え、と全く勉強はせず、中学三年でフロイトの「精神分析学入門」を読んだが、中学三年間を通して勉強したことはそれ以外には殆どないように思う。
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当然、患者さん当人は認めたくはないだろうし、反感もあり、反発するだろうけど、主観的には良くなりたいが無意識には実は良くなりたくない。
無意識にあるということは「ある」というだけではなく、意識せずとも行動や結果に必ず現れるということである。
したがって、いくら有害なものでもあっても患者側に精神医療、向精神薬漬けを求める「合理的なニーズ」があったことになる。
「新型うつ病(実際にはディスティミア神経症だろう)」の人に疾病利得感情を見出す人は多いだろうが、そうした人でなくとも患者の多くは意外に病識が無い。
もちろん自分の苦しい症状には自覚しているが、自分の精神の健康や幸福を阻害している本当の理由、要因を認識して理解し、それに対処することを避ける傾向がある。
それは過去の心的外傷(トラウマ)についてもそうだが、現在の自分のあり方についても。
これでは悪しき精神医療、対症療法至上主義に引っかかってしまうのも当然である。
病気の症状(痛みや熱など)は病気の原因でも本質でもなく、痛み止めと解熱剤だけでは患者は死んでしまうかもしれない。風邪のように短期で自然に治る病気ならば、それでもいいだろうし(良くないという話もあるが)、対症療法も必要悪という面は否定できない。
しかし、向精神薬による薬物療法は対症療法としても甚だ有効性に乏しく、もちろん有害性、危険性は高い。
精神分析学の祖フロイトは、真の精神医療を阻害するこうした無意識の要因、心的機制を看破していた。
良い治療があっても、患者の病理性の克服のために有益なことであっても、患者はそれを無自覚に拒否するので、その前に無意識の抵抗・防衛や転移を意識化、自覚・対象化して克服する必要がある、というのが精神分析の出発点であろう。
そのために必要とされた精神分析療法、自由連想法は治療法ではなく、探索法・研究法である。患者にとっても分析者にとっても。
治療はなくとも膨大な時間や労力、お金をかけてもその意義があるとされたのである。実際にそうかもしれない。
従って、多少とも精神分析をかじっている人の中には、精神医療過誤・向精神薬害の原因に抵抗・防衛を見出す人もいると思う。
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ここからは殆ど誰も言ってないのではないか?
基本的な見方や考え方としては既に精神分析の中にもあるけど。
実は治療者側、精神科医にも臨床心理士や心理カウンセラーにも、患者の友人知人など周囲の人(特に親や家族)にも起こる。しばしば患者本人以上に激しく。
これに気づいている人は殆どいない。
患者本人よりも、親や家族、場合によっては親友など周囲の人の方が、自分と他人の区別がついていない人が多い。親離れ子離れは、精神の自立は精神発達上だいじなことだが。
抵抗・防衛や転移は無意識の心的機制であり、患者に起こるものと考えるのが一般的であるが、それはきちんと教育や訓練を受けた精神分析医や心理療法家が適切なセラピーを行っている場合のことであって、実際の精神科医と患者関係の場合はむしろ逆の方がはるかに多い。
もちろん無意識に起こることであるから、精神科医本人には自覚されない。
それ以前に、ほとんどの精神科医は精神分析否定、否認であり、抵抗・防衛や転移といった概念について知識はあっても理解している人は殆どいない。
(この問題についてはまた項を改めて論じるつもりです。)
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上述のような両者の無意識の心的規制によって、ものの見事に患者と精神科医、需要と供給の利害が激しく合致してしまうのである!!
精神科医とて患者を害したくて害するわけではない。少なくとも当初は患者の役に立ちたい、救いたいという思いはあったはずで、主観的にはその後もずっとそうかもしれない。また、精神医療は100%有害というわけでも、もちろんない。
「精神科医は合法麻薬の売人です」なんてブログもあるし、実際にかなり正しいけど、だからこそ患者も精神医療に群がる。
違法性がなくて安ければ麻薬、覚せい剤の類をやりたい人はいくらでもいるのではないか?ちょっとくらいお試しなら。
「覚せい剤やめますか?人間やめますか?」なんてフレーズは知らない人はいないだろうし、とっくに耳タコでも。
脱法ドラッグ、危険ドラッグも蔓延しているが、この手は長い歴史の中でもあとをたたない。
酒は過度でなければ害は少ないが、過度をとっくに通り越した飲酒者が非常に多いのも似たような事情ではある。
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向精神薬害を唱え、断薬、減薬すべしという人も、薬害に気づく患者も多くなった。
しかし不思議なことに莫大な被害を蒙っている患者当人が断薬、減薬に抵抗する。もちろん薬物依存(精神依存)はそのようなものであるが、効果が無く症状は改善せず、ひどい副作用に悩まされており、様々な身体病さえ引き起こしているのに、そういう人が薬物肯定派だったり、減薬・断薬が必要なことはわかっていても受け入れなかったり。
そんな例は数えきれないくらい見ている。
※断薬・減薬の指導をしているわけではありません。(念のため)
もちろん苦しい離脱症状が嫌だというのもあるし、向精神薬のため脳が上手く働くなり判断ができなくなるという理由もあるが、それだけでは説明がつかない。
既に精神科医(加害者)と患者(被害者)の間で、負のラポール、奇妙な相互信頼関係に基づいた主従関係が形成され、ストックホルム症候群のようになっている場合が多いのである。
負のラポールは、独裁者と国民、DVカップルの共生関係、重症なアルコールや薬物依存症者とその妻など,患者と毒親、などに優位、支配的であり、実際に重症患者にはそのような人間関係以外を殆ど知らない人もいる。
ストックホルム症候群とは「誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意、信頼などの感情に基づいた関係形成」のことである。
もちろん、薬を飲まなければ悪化する、医者の言うことを聞かない患者は診察しない、薬を処方しないという脅迫に屈する場合も多い。
背景には医療信仰、薬物崇拝などもあり、「医療」に背くこと、薬物を捨てることに罪悪感をもつ人も多い。
周囲の者だけでなく、友人知人会社関係の人など、殆どの人はちゃんと受診し、精神科医の言うことを聞いて、きちんと服薬して、というわけなので社会的には精神医療過誤、向精神薬害を阻止する要素は殆どない。
これは悪質信仰宗教や悪質セミナーなどのシステム、メカニズムと同様であるが、精神医療問題は社会には殆どその歯止めがない点が大きく異なるのである。
世間を揺るがせた「オウム真理教事件」も対象化、検証・理解がさほどされないまま風化しつつある。
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精神疾患を脳の病と考え、原因となるトラウマを無視、否認するということはどういうことか?
トラウマ-過去の出来事が現在の患者の心を苦しませ続けるということを無視することは、当然のこと心の痛みや苦しみだけでなく、身体的苦痛も無視することになる。
他者の痛みを見たり知ったりすることは、自分にとっても痛みになる。
それが解離しており、自覚されないのである。
いじめ問題も同様である。
普通の人間は虐めの現場を見ることができない。自分が苦痛だからである。
だからこそ、虐めを見て見ぬふりするとも言えるのだが。
しかし、人の痛みが自分の快感という場合ももちろんある。
犯罪者などがその例だが、むしろ他者の苦しみこそが自分が癒されるという倒錯にさえ陥っている。
このような心的機制が精神科医に働いているのである。
電気ショックを行う精神科医はとても嬉しそうで楽しそうであるばかりでなく、使命感にあふれ自分の任務を遂行する戦士のように逞しくも凛々しくもあり、他者も同調する。
話を広げすぎかもしれないが、戦争防止のためには精神疾患=脳病神話を排さなければならない。
病因となるトラウマを無視することは、他者の心の痛みや苦しみを無頓着になり、否認・無視することになるからである。
戦争トラウマの影響は当然のことながら
殺人は孫の代から7代祟ると言われている。
当然のことながら子供は既に幼児期を脱しているからである。
kyupinのような精神科医には首を吊って自殺した人は窒息死、電車に飛び込んで自殺した人は外傷や多量出血で、薬物中毒死は心不全やその他の身体病で死んだものとしか認知されない。本質を理解できないのである。
死亡診断書の死因は本質的な死因ではない。
認知の欠落、認知の歪みを認知行動療法で治せるなら大いにやってもらいたいものだが、トラウマ否認、無意識無視ではハッキリ言って効果はない。
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従って、向精神薬害から逃れるためには、向精神薬に対する理解も大事だし、この世の仕組みを知るのも大事だが、ニヒリズムに陥ってももちろんダメだろう。
何よりも大事なのは、こうした無意識の抵抗・防衛や転移を理解し、克服する意思を持つことだと思う。
もちろんまず自分自身の無意識的行動や考えを対象化し自覚することも大切だが、精神科医や医療関係者の、ひいては世の中の人全体、社会全体の無意識の心理も理解する必要がある。
この視点は反精神医療派の人にも徹底的に欠けていると思う。
殺してしまおう 五つの赤い風船

この歌を初めて聞いたのも中学1年だったか。身につまされた。
先ほど改めて聞いたら、40数年間ずっと思い違いをしていて
「かわいそうけど」⇒「かわいそうだから」殺してしまおう
と誤解していた。
語弊もあるだろうし、多くの人に反感を買いそうだが、気分悪くなさらず読んでいただけ
れば…
(続けるつもりだが)

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うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?

【うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?】
憶えている人もまだ多いだろうが、2015年2月、川崎市の多摩川の河原で、当時中学1年の上村遼太さんが虐めにより殺害された事件があった。何ともやるせない事件である。
被害者の家庭は母子家庭で、母親は離婚し働きながら5人の子供を育てていたらしい。そのこともいろいろ物議を呼んだ。
多摩川の現場には多くの花束が供えられ、追悼する人も多く訪れて、ゴミの処理も問題になっていた。
主犯の少年も加害者グループではボス格だが、もっと年上の不良仲間に虐められ脅迫されており、家庭では虐待されていたという。
主犯者の子分格の一人は、被害者と仲が良かったらしいが「ゴメンな」と言いながらナイフで切り付けたという。
今一歩の冷静さや勇気と洞察力、判断力があったら虐めを止めらる可能性もあったのではないかという気もするが、彼らもまた幼児期からのトラウマに支配され、集団的な感応現象が起こっていたのだろう。
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ネットでたまたま見た記事なので、詳細は憶えていないのだが…
ある霊能力者の有名人に、相談するという形の記事である。
相談者は被害者や家族とも、もちろん加害者とも関わりはなく、現場近くに住んでいるとかその程度の関係。
事件の報道を知ってからもうだいぶ経つのに、とにかく被害者の少年がかわいそうで、哀しくて辛くてしょうがない、悲しんでもしょうがないと思うけど、という内容である。
これに対して霊能力者の回答は…
悲しむべきではない、それは貴女の自己満足に過ぎない。為すべきことは虐めを無くすための努力、具体的な行動や活動であり、それをせずに悲しむだけでは供養にもならない、といったものであった。
ありきたりの答え、当たり前、常識と言えばそうだが…
現実的には虐めを無くすための具体的な活動が、一般の人にそうそうできるものでもない。
虐めの現場やその兆候を見つけたら介入する止める、それだけでも大人にとっても難しい。教師でさえ見て見ぬふり、それを咎めることさえ難しい。もちろん自分だったらどうか、ということにもなる。
悲しい、辛いからこそ虐め撲滅のために働く動機にもなる、とはいう面ももちろんあるだろうけど…
では、被害者を憐れんだり悼み哀しむだけしかできないなら、そんなことしない方が良いのか、供養にもならないのか??
そんなのは自己満足、というのは被害者に自分を投影しているだけだから??
悲しいことは忘れて、あるいは忘れずとも、前向きに明るく楽しく生きた方が供養になるのか?
あの世や魂がなければ、神の存在を前提にしなければ供養って成立しない?
弔いは不要か、自己満足のためか?あるいは遺族や関係者の癒しのため??
--------------------
うつ病の本質、少なくともその一部は悲感哀、罪業感、虚無感といったことであるのに異存はないと思う。
かつて昭和の時代の、うつ病患者(主に中高年)の生活史を調べると、以下のような幼児期もしくは遠い過去の患者の周囲に、大きな悲しみや精神的ショックをもたらす出来事や状況が多くみられる。
パニック障害などの場合は、患者の憶えていない、知らないような遠い過去ではなく、割に最近の出来事が病因の大きな要素であることが多いが、それにしても当人はその意味に気づいていないことも多い。
例えばであるが…
患者本人の少し年上・あるいは年下の兄弟姉妹(となるはず)の人がいたが、病気や不慮の事故に遭って亡くなり、妊娠中、もしくは患者の幼児の頃、母親は悲しみにくれ、その中で幼児である患者の子育てをしたせざるをえなかった、といったケースが非常に多い。
昔は医療も発達していないし衛生状態も悪く、幼児が病気や不慮の事故で亡くなることは非常に多かったのである。
あるいは母親の肉親が亡くなり、ショックに打ちひしがれ、悲嘆にくれていたなど。
もちろん父親の関係者が亡くなったなどの場合もあるが、その場合父親自身の精神が荒れすさんだりして、母親もその影響の中で子育てをせざるを得なかった、といったような場合。
そうしたことが無い場合でも、両親の結婚が悲しい妥協結婚で家庭内離婚状態であったとか、嫁姑問題で激しい確執や葛藤があって、嫁である母親は大いに苦悩したり悲嘆にくれていた場合など。
さらに言えば、そうした問題がなくとも、祖先にそうした問題や事件などがあり、子孫に大きな悲しみや苦しみを残し、患者の幼児期の家族関係に影響していた場合など。
何代も代替わりすれば、おそらくそれなりに忘却され浄化され、それ程の影響はなくなるのが殆どだろうけど。
それでも何代も前のことが、大きな影響を残す場合もあれば、十何代も前(数百年前)の殺人事件がど、うつ病患者の幼児期、家庭環境にも影響し、それが主な原因としか考えられない場合もある。
精神医療には、患者個人のの成育歴、生活史だけでなく歴史的背景を知ることも必要である。
霊障というような先祖代々からの精神的な直接的な影響もあるのかもしれないが。
そうしたことよりむしろ、世代にわたって子供育て方・接し方、家庭環境などを通して、しばしば増幅されて心理的・精神的に連鎖する。(トラウマの連鎖)
このようなことをを示唆したら患者本人も、激しく納得していたことは何度もある。
本人も家系的な問題は知っていたのである。
もちろん、加害者側の場合も被害者側の場合もあるし、祖先ではなくその関係者の場合もある、というよりむしろその方が多いかも…
(被害者のトラウマももちろんあるが、加害者としてのトラウマもある)
「うつ病」を遺伝による脳病としての内因性精神病と考えてしまうと、当然のこと「(非)選択的非注意」により病因となる出来事や状況は見えないし、詳細な病歴をとっていてもその意味が見えることはない。
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霊能力者にはそのようなことが見えるのだろうか?
わかっても対処法はなく、一般に霊能力者が対象にするのは憑依精神病の患者であり、統合失調症やうつ病、神経症なども対象にはしない。
精神疾患の人を対象にしても何ら改善せず、金ばかり取るのはインチキ霊能力者の常套である。
私の昔の知人に、『精神分裂病(統合失調症)もうつ病も神経症も、あらゆる精神疾患は憑依精神病・神経症でもある』、と言う霊能力者がいた。『無意識と心霊現象は同じことを別な見方をしているだけ』とも言っていた。
当初は私はその意味がよく分からず、理解に苦しんだ。
科学主義者、合理主義者というのでもないけど、そういう胡散臭いこと、眉唾ものは大嫌い、根拠のないことをもっともらしくいうのも大嫌いだった。
その霊能力者も除霊をするのは(狭義の)憑依精神病に対してだけで、一般の精神疾患の患者にはカウンセリング、心理療法・精神療法といったことで対応していた。
その能力は「黙って座ればピタリと当たる」というような天才的なもので、精神科医や臨床心理士などとは圧倒的に次元が違う。私も大いに参考にさせて頂いた。
仏教が祖先を大切にしましょう、お墓や仏壇を拝みましょうというのは、もちろん理由のあることだろう。
健康的、幸福であるならば当然のことであるが、そうでないならば…。
したくないのに無理に拝んだり供養するよりも、おそらくしない方が精神の健康、メンタルヘルスのためには良いと思う。
むしろ心から拝めるようになるよう努力すべだろうし、そうなってから拝めばいいと思う。
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話を戻すと、肉親の悲しみがあたかも乗り移ったように、時限爆弾のように作用して、中年期を過ぎて「うつ病」を発症する人が多かったのである。
(私と考え方、見方は全く違うのだが)誰かの言葉を借りれば、遅発性・晩発性PTSD・心的外傷後ストレス障害としての「うつ病」である。
子供のころは発達する力があるので、そうそう問題を呈さず、若い頃はまだ元気でそれなりの適応性・順応性があり、仕事や家庭、人間関係など日常生活が特になく問題なく適応できていれば、その段階では、うつ病に陥るようなことはないが。若い頃から「うつ病」というのはよほどの重症だ。
昔から私は「うつ病」をそのように認識していた。
なぜ根拠のない、もしくは現実に相応しくない過度の悲哀感や罪悪感を持たざるを得ないのか?
生まれて数カ月も経たない子供でさえも、悲しみに打ちひしがれて、傷つき落胆している親を何とかしようとする。慰め、励まし、勇気づけ、癒し、導こうとさえする。
またそれができなくては自分自身の生存自体も危うく、良い発達環境も得ることはできない。親の養育なしに幼児は生きては行けないのだ。
親は幼児期の子供のセラピストでもあり、またそうなければならないが、それよりも遥かに幼児は親のセラピストとしての役割を無意識に果たそうとする。
親に対する子供、すなわち幼児の無自覚、非意図的な「心理療法・精神療法」が効果をを上げ、親も幼児の無意識な努力やその成果を認めつつ、感謝しつつ子育てをしていれば,将来的な問題はそれほど起こらないはずである。
それが効をなさなければ、幼児は無力感に打ちひしがれ、(自分が悪いわけではないのに)あたかも自分が親の悲哀や不安、抑うつなどの原因であるかのように思い込み、かつそれを補償できなかった、親を助けなかった、といった罪悪感、罪責感に苛まれる。
もちろん幼児はそれを自覚するわけではないし、記憶もしていないが、だからこそ無意識に影響し、大人になってからこそ、その影響は発現する。
うつ病の罪業感,自責感・無力感などは過去の(主に幼児期の)親に対する罪責感であろう。またそれを助長するような育て方、接し方を無自覚にしている。
罪悪感、罪責感、(理不尽な)要求に応えなければ罰する、叱責すべきでないことを叱責したり、過度に厳しく傷つて罰する、といった親の抑圧の内面化でもある。親にされたように不適切に自分を罪深い罰せられるべきものと考える。
得てして過保護な親は必要な安心感を与えないし、過度に厳しい親は必要な躾はしないものである。
親が「幼児の親に対するセラピー」を感じ取り理解し、感謝しつつ子育てができれば将来的な問題は少なく、一般的には健康的な親、家庭環境であればそうしたことができているはずである。
多く患者の場合は、親に対する子供の治療(心理療法)は部分的には成功するが、親にはそれを認めてもらえず感謝もされず、そのプロセスで子供は傷つくがその補償もされない、むしろ余計に傷つけられる。
もちろん、心の補償が必要なのであって、物質的なもので代えられるわけではないし、歪んだ愛情の押し付け「姑息の愛」や不適切な過保護はその代替にもならない。
上に述べたようなことが、うつ病に限ったことではないが精神疾患の根源的、本質的な原因、トラウマ(心的外傷)ではないかと思う。
「精神疾患は親を治療する過程で傷ついたトラウマが根本の原因、患者とは傷ついたセラピスト」
「あらゆる精神疾患は逆転移精神病・神経症である」
大雑把にいえば…
【健康に育った人】
 親のセラピーに成果を上げ、そのことを感謝され、発達促進的な養育を受けた子供。
 そもそも親が健康であるために、それほどのセラピーは必要ではなく、子供にとって達成不可能な過大な課題ではなかったという面もある。
【精神疾患に陥る人】
 親のセラピーに失敗し、ある程度の成果を上げているのにそれを認めてもらえず感謝もされず、むしろ恨まれたり妬まれたり攻撃されたり。
 そもそも親が健康的でなく、過大な癒し要求を押し付けセラピストとしての子供の心を破壊し傷つける。
 お前は私を癒し救ってくれないだけでなく、負担ばかりかけた、むしろ親を傷つけたと子供は責めを負う。
 傷ついた子供は大人になって、親を救えなかったという悲哀感、罪悪感、無力感、虚無感といった幼児期の反応に加えてもしくは重なって、青年期もしくは成人期以降のの不適応、ストレスで抑うつ状態など精神の不健康に陥る。
 うつ病の親は普通、虐待はしないが、精神的虐待という面もあり、一般の虐待なども類似の心的機制によるものと思う。
「毒親」と言うが、親もまた病んでおり、そうならざるを得ない背景や事情、要因がある。
親は健康そうに見える場合や、親自身に病識はなく自分は健康という場合もあり、それなりの適応能力を持っているからでもあるが、それは子供の親に対する「治療効果」のおかげである。
統合失調症の原因は?(ある同級生)
悲哀や罪悪感などに苛まれているだけでは何にもならない、それを克服し前向きに生きるべき、というのは治療志向ではあるだろうけど。
精神分析的には、悲しみにくれ、自責の念を持ち続けなければならない、明るく楽しくやっていくのは身勝手だ、不謹慎だ、というのは抵抗であり、自分は悲嘆に暮れ自責し続けねばならないというのは防衛ではあるだろう。
但し、抵抗・防衛には現実的な根拠もありうる。
現在も親によるトラウマ・ストレスが子供(患者)に与え続けられている場合である。そこから逃れることは親を見捨てることになる、実際に親の精神状態が悪化することを意味する。
ネガティブな毒は子供(患者)に向けられなくなると、それは自分自身に向けられ、対処・克服できない親は毒が回って自分自身が病気に陥らざるを得ない。
しかし自分のことは自分で解決し、克服なければならない。人に押し付けて抑圧してはいけないのである。
ちょっと極端な言い方で気を悪くする人もいるだろうけど。
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うつ病の症状は現実的なストレスには対応しておらず、あたかも何も理由がないのに激しい抑うつ状態に陥っているかのように見える。
実は「実存的問題」で激しく悩んでいたりもするのだが。そうしことは普通は若い頃に苦悩するものだが、その頃は「順調に」やっていおり悩む必要もなかった である。
患者がそうしたことを言うことが少ないのは、そうした言葉や表現は持たない(哲学者でも心理学者でも文学者でもなし)、相手に言うようなことではない、恥ずかしいと思ったり、通じるわけはない(もちろん精神科医やカウンセラーにも)、精神的に相手を押しつぶしてしまうのではないか、そうなったら自分も罪悪感に潰されてしまう、などといった理由によるものだろう。
あるいは患者が現実のショックやストレスを被ってはいても、抑うつ症状、悲哀感や罪悪感が現実的には見合ったものではとうていなくなく、その程度をはるかに超えており、全く相応していないほど激しく過大であったり。この場合は、うつ病というより抑うつ神経症、抑うつ反応というべきかも知れないが。
だからこそ、「うつ病は脳の病気」とも言われてしまうのだが。脳の病気で頭が狂っているから悲哀感、罪悪感にとりつかれ打ちひしがれているのではない。
もちろん脳の状態は良くないが、それを脳の病気とするのは医学的には間違いである。
抑うつ神経症というのは良いとしても、抑うつ性障害ともいうべきではない。
過去の(多くの場合、主には幼児期)のことに影響され、精神・神経が反応しているためにそのようなことが起こっているはずである。
ストレスに弱い、打たれ弱い、対応能力が低いのは、やはり幼児期の問題から、発達期に身に着けた適応能力が乏しいからである。
適応性が保てるうちは病的状態とはならないが、幼児期のトラウマと現在のトラウマ・ストレスが重なると発症する。
もちろん、幼児期のトラウマがさほどなくても、現在のストレスがあまりに激しければ、抑うつ反応が起こり、激しい「うつ状態」に陥るし、それも精神疾患ではあるが、本来の「うつ病」とは言えないだろう。
患者の幼児期には、年の近い兄弟姉妹が病気や事故で亡くなることも少なく、まだ祖父母も健在であることが多いし、とりあえず戦争が終わってからもだいぶ時間が過ぎた。
もしくは、そういったことと類似のショックや悲しみをもたらす出来事が少なくなったことが、典型的な「うつ病」の人が減ったり理由ではないだろうか。
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10数年前からの『うつ病キャンペーン』により、精神科病院、心療内科クリニックの受診者は劇的に増えて、うつ病と診断される人も、新型抗うつ剤の売り上げも激増した。
しかし、かつてのような典型的な「うつ病」患者はむしろ殆どいなくなったのは上述のような背景によるものだろう。もちろんショックや悲嘆がなくなったのではなく、世の中の移り変わりとともに人の心も大きく変化したのである。
統合失調症や他の精神疾患の病像変化も似たような事情や背景があると思う。
「新型うつ病」なんて言葉も広まったが、それはうつ病ではなく、抑うつ神経症でさえなく、敢えて言うならディスティミア神経症とでも言うべか。
そういう人は昔から多かったが、「プライド」も高いので、病気扱いされるとむしろ激怒し、だからこそ何とか社会的威信、自己評価は保てるように努力していたはずである。
またそれが可能な社会でもあった。
世の中も人の心も、見方や考え方や価値観、生活様式なども随分違ってきた。祖先やら家系がどうのという人も少なくなった半面、霊がどうのという人も増えたようである。
もちろん、心の傷、トラウマをもたらすような出来事や、その影響が無くなったわけでも減少したわけではない。悲しい事件や出来事が減ったわけでももちろんない。
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DSMの終焉、神経症の復権:うつ病、発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ

DSMの終焉、神経症の復権:精神障害(うつ病)・発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ
神経症(ノイローゼ)という言葉は、精神科医の中でも一般の人の中でも殆ど使われなくなった。
精神分裂病→統合失調症、というように差別的である、実態を正確には表していない、といった事情で、名称変更が決められたわけではない。
統合失調症への名称変更は、典型的な精神分裂病の発症は殆どなくなったし、病像の変化も伴っており、これとは事情はかなり異なる。
あたかも自然の流れのように消えていったが、もちろん製薬会社、広告会社、精神科医が一体になった情報操作である。
神経症も病像の変化はあるが、昔も今も多いので、私から見れば、昔も今も病気の人はぜんぜん増えてないし、典型的な「うつ病」なんてむしろいなくなり、ただ精神科・心療内科を受診し服薬する人が増えただけである。
うつ病キャンペーン(病気喧伝)により受診者が増え、うつ病という診断がつけられ、抗うつ剤を処方され、それも多剤大量処方が多かったため、そのためアクチベーション・シンドローム(賦活化症候群)で自殺する人も増えた、ということは既にだいぶ知られるようになってはきた。
本来、キャンペーンに従って(踊らされて?)受診した人の多くは「うつ病」ではなく、普通の診断法なら「抑うつ神経症」という診断名が与えられたはずである。
「うつ状態」が主症状ならば、であるが。実際にはそうではない人も多い。
「新型うつ病」なんてのは敢えて言えばディスティミア神経症だろう。
神経症(ノイローゼ)も死語に近いが、本来患者数は多いはずの「抑うつ神経症」は殆ど完璧に死語になって久しい。
ドイツ語ではノイローゼだが、この言葉は、昔の人にはかなり悪いイメージがあったと思う。
有名人が自殺したり、一般人でも妙な事件を起こすと昔の新聞では「周囲の者によると○○さんは最近ノイローゼ気味だったということである」などと書かれていることが多かった。
これは実際には精神分裂病である場合も多かったはずだが、さすがにそうは書かなかった。
こうしたマイナスイメージはノイローゼという言葉にはあったが、同義ではあるが神経症という言葉にそれ程なかった気がする。
また、最近ノイローゼ気味で、など言うのは、あることに悩んでいて落ち込んでいる、と軽い意味で使われることもあり結構広い意味で使われており、あながち間違いでもなかった。
日本では一時、神経衰弱という言葉も使われたようだが、それは大正時代くらいであり、森田療法では森田神経質などと言っていたが、それが広まった頃には一般的には神経症と言う言葉が主流になっていたはずである。
ところが、なし崩し的に言い換えがなされた。
抑うつ神経症⇒うつ病、もしくは抑うつ性障害、気分変調性障害
躁うつ病⇒双極性障害
強迫神経症⇒強迫性障害
不安神経症⇒社会不安障害
ヒステリー⇒転換性障害
心身症や自律神経失調症⇒身体表現性障害、
名前の付けようがない神経症は適応障害といった風に。
これはDSM由来でもある。DSMは当初、日本の精神科医にはなかなか受け入れられなかったが、製薬会社にとっては、薬漬けにするためには甚だ都合が良かったのである。
従来なこれらの精神障害とされる患者の殆どは神経症というカテゴリーに入るはずだが、それでは心因・環境因ということになり「薬物療法」の対象にならない。
実際に昔から神経症の患者は多かったが、殆ど病院には行かず、基本何もしようがないし、病気というほどではない、性格的なものだとか、あまり気にすんななどと言って帰すことが多かった。カウンセリングなども殆どなかったし。
精神科医も気休めに精神安定剤など出し、漫然と服薬して良くなりもしないのにダラダラ通わせることも無いではなかったが、ほとんどの場合、単剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
また、人に言うのも憚られるので情報が共有されることも少なく、こんなの自分だけかとひそかに恥じている人が多かった。もちろん、ネット等もない。
うつ病キャンペーンは大成功のうちに収束していったが、「発達障害」のデタラメ診断、空手形乱発!「問題児、発達障害児狩り」がそれに続いて盛んになった。
発達障害についてはまたいずれ書きますが、最近だと週刊誌「女性セブン」に医療評論家による良い記事が連載されたようです。
障害というのは本来治らず機能欠損や低下が長期にわたるということである。
したがって、狭義の医療の対象ではなく、訓練・療育やリハビリ、福祉の対象。
手足を切断した者を身体障害者と言うが、スキーで骨折した者はケガ人であって、身体障害者とは言わない。
精神障害者という言い方は昔からあるが、精神医療の主な対象疾患は長らく精神分裂病が殆ど、不治の病とされていたというそれなりの背景があった。
私は昔から障害とは言わず「精神病・神経症」「精神疾患」と言っている。これもネガティブな響きが伴うし、あまり適切な言い方ではないが、他に言い方もないし、あえてそう言わざるを得ない。
うつ病は受診・服薬で治ると宣伝されているが、当然、実際には治らない。もちろん、うつ病だけではない。製薬会社、精神科医が「障害」というのは、治らないことの言い訳のためのでもあり、障害なんだんから治らなくて当然という、開き直りを隠しつつも準備していたということである。
薬で治る⇒薬害⇒やっぱり病気だったでしょう⇒障害者化⇒薬でコントロールしながら障害とうまく付き合っていきましょう⇒(こういう言葉は使いたくないが)廃人化
うつ病に限っては、抑うつ性障害などとあまり言わなかったのは、宣伝・イメージ形成に齟齬や不協和を来たして、マインド・コントロールに不利になるからだろう。
いきなり、治る病気ではありません、リハビリが必要ですなどと言うわけはにはいかない。
気分変調性障害と言い方も、あまり使われないが、気分だけじゃないし、精神科医・患者の双方から不満が出そうであまり広まらなかったか。
もちろん神経症→○○障害という置き換えも、何でも「うつ病化」も、薬漬けにするため、製薬会社や精神科医の利益のためである。
もっともDSMではdisorderだろうから(面倒なので確かめる気もなし)障害と訳すのは不適切であり、敢えて訳すなら不調とかそういった意味だろうから、特に間違いとも言えない。そもそもDSMの原因論を避けるという方針に基づいた表現だとはいえる。
しかし、日本では神経症→○○障害という言葉の置き換え自体が、医療信仰と薬物崇拝とDSM流の見方が結びつき、精神医療過誤・向精神薬害を広める役割を果たしてしまった。多分に無自覚に、だとは思うが、頭の良いコンサルや広告会社の人は悪意の解離された意図に基づいて積極的に広めたのかもしれない。
神経症の凋落は同時にDSMの蔓延であり、精神分析学の凋落でもあった。
記述精神医学にはそもそも原因論はないか、根拠のない恣意的な「遺伝による脳の病気という仮説」にしがみつく精神科医も多く、横滑り的にそれが精神医療全体の見解となり、患者の多くもそれを受け入れてしまった。
精神分析学は1950年代に既に原因論に迫っており、製薬会社や精神医療側がこれに脅威を感じ対抗措置として出されたのがDSMでもあり、原因論を理解しない者がもともと多数派ではあったが、圧倒的勝ち組となり学問的にはるかに劣る側が勝利したのである。
神経症というと心因性精神疾患ということなり、心因性ということは心的な原因ということだから脳の病気ではなく、そのようなものとして対処しなくてはいけない、ということになってしまい、脳の病気、向精神薬(抗うつ剤)を飲めば治る、という嘘と齟齬を来たしてしまい、向精神薬を売り込むことはできない。
心因ということになれば、現実のショックな出来事やストレスについての洞察・理解や、発達心理学的、精神分析学的な理解をするしかなく、これは殆どの精神科医が非常に苦手で避けたい、無視したいことである。
神経症に向精神薬では、せいぜい神経の状態をごまかすだけの悪質な対症療法と捉えるしかなく、精神科医も処方し難い。
ふた昔前の精神医療の対象はほとんどは精神分裂病であり、神経症の人が受診しに来ることは少なく、精神科医は対処法もないので、帰らせることも多く、重症な人以外を対象とする必要もする気もなかったのである。製薬会社にとっても金になる分野ではなく、利益追求・拡大の余地があるとはそうそう考えられなかったのである。
神経症ではなく○○障害という置き換えは、DSM由来でもあるが、当所DSMは精神科医に受け入れたのではなく、コンサルティングや広告会社、製薬会社が積極的に取り入れ、広めてしまったために、むしろ精神科医は従わざるを得なくなったものと思う。
当初、精神科医でDSMをあまり受け入れず、積極的に取り入れ広めたのは一部の余程の愚かな精神科医だけである。
神経症とは基本的にはうつ病や統合失調症などよりも軽症であり、病因が器質的な精神疾患のことをさす。命名の歴史はかなり古く、元々は原因がよくわからない疾患に広く使われていたようだが、精神医学的理解が進むにつれて19世紀の終わり頃には、基本的には心的な要因が原因である精神疾患のこととして理解されるようになった。
20世紀までは一般医学に伴って、精神医学も一応進歩していたのであり、甚だしい退行が起こったのは20世紀も終盤からである。
神経症は精神疾患とはいえ、従来、あまり精神医療の対象ではなく、実際の患者は多くとも受診する人は非常に少なかっかった。
これといって治療法もなく、無形のサービスにお金を払うと言う習慣も乏しく、カウンセリングや心理療法を受ける人も少なかった。
心療内科など殆どなく、精神科に行っても神経症の人は「病気とういほどではない、性格的なものだ」とか、「あまり気にするな、薬は適切ではない」などと言われて帰されることが多かったと思う。
漫然と精神安定剤など処方されて良くなりもしないのにダラダラ通わせることもあったが、ほとんどの場合、短剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
神経症は脳の病気ではないが、もちろん、脳の状態、神経の状態や使い方はもちろん良くない。もうちょっと正確にいうと「無意識による神経の使われ方」は良くない。
普通の人にない症状があるのではなく、誰でもある問題がたいした理由もない(と思われる)のに、甚だしく大きくかつ継続し、人間関係や日常生活などに様々な支障をきたすということでもある。
逆に脳の問題によることがわかれば、それは神経症からはもちろん、精神疾患からも除外されていた。脳梅毒、てんかんなど、これらは今日では中枢神経疾患であり精神科の対象ではない。
神経症はもちろん、心的外傷とストレスが原因であり、Sさんに流に言えば全てPTSDである。
神経症より精神症というべきかもしれないが、自律神経症状や心身症等、身体的問題もあるので、やはりそれは適切ではない。
やはりすべて心的外傷後ストレス障害、PTSDと言べきではある。PTSDと言うのもまたいろいろと語弊や問題があり、私はあまり使わなくなり、狭義のPTSD、広義のPTSDとも言っていたけど。
狭義のPTSDではなく神経症の場合、心的外傷(トラウマ)とは犯罪被害やいわゆる幼児虐待等ではなく、日常のショックな出来事とか、恥をかいたとか、失敗体験とかそういうこともでなく、主に幼児期からの本人も覚えていないか、覚えていてもよくわかっていないことである。
具体的に言えば、親や養育者の不適切な対応、過干渉、過保護、抑圧的、支配的、安心感を与えない、脅かす、などなど、広い意味では精神的虐待とは言えるが、遺棄や暴力は無いほうが普通である。こうした問題が無い人もいおらず、完全に健康な人もいないが、程度問題とも言えるが、その差は甚だしく結果的には重症な人も軽症の人ももちろん多い。
幼児期のトラウマに、大人になってからのショックな出来事や過剰なストレスが加わり、それらが重なり、複合して症状がもたらされる。適切な養育を受けていない人は適応性に乏しく、犯罪被害など病因となるようなショックな出来事にも遭いやすい。
あらゆる精神疾患は複合的PTSDとは言えるが、一般には大したことでもことで対処能力、克服能力に欠けるのは発達的問題ではあるが、これを「発達障害」というのは、少なくとも精神医学的、臨床心理学的には完全に間違った使い方、見方である。
今となっては精神科医や心理関係者こそ間違った理解しかしておらず、それが根本から何重にもなっているので、もはや誤解を解くというレベルではない。
「発達障害」蔓延は、神経症の無理解によるものでもある。神経症を理解できれば、「発達障害」の大きな誤りも明白である。
従来の精神医学では、神経症の理解が非常に狭く浅すぎたのである。もっと広く深く理解すべきであり、診断名を変える必要はなかった。
認知の歪み、認識の欠落といったことは、解離、抑圧といった精神分析の概念で説明できる。神経症を、精神分析が理解できれば、認知行動療法などが付け入る余地もなく、「発達障害」蔓延もなかったはずである。
診断なんてどうでもいいと言えばいいんだけどね。
本来、人間の分類ができないのと同じように精神疾患の分類はできない。過去や現在のさまざまな影響から、いろんな不調や問題が起こるだけなので。精神的に完全に健康な人ももちろんいない。
したがって、とりあえず障害という言い方は極力やめて「神経症の復権」は必要ではある。
私は「緊張症」と言う言葉も良く使うのであるが。医学的な言葉ではないけど、医者じゃないしね。
多くの場合、抑うつ状態とされているのは、緊張の連続の成れの果てでもあり、少なくともそうした面がを伴っている。ひどい緊張が継続し、もはや緊張さえできないほど神経は疲労し「まいってしまい」鈍くなり、今さら神経が反応できなくなってしまう。そうした意味では実際に即している。
抗うつ剤では当初は効いたかに見えて、神経に負担は増えるし、余計にウツになるのはあまりにも当たり前である。
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「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル

こんな番組をやったらしい。
「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/yamai/detail/03.html
かこさんのブログ
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11646146932.html
私はこの番組は見ていないのですが。
うつ病の原因は扁桃体ですか?
つい最近まで「セロトニン不足、抗うつ剤で治る」って言ってたのに。
脳深部刺激 DBS、脳にチップやら電極やらを埋め込まれて支配されたい人がいるのだろうか?
これが、いるといえばいるんですよね。
素晴らしい、夢のテクノロジーのように思ってしまう人もいるらしい。
そうさぜるを得ない人もいるのでしょうか?
絶対にいないとは断定できないかも知れませんけど。
いわゆる、うつ病などの精神疾患の人には全く当てはまらない話です。
基本的には薬物も電気ショック ECTも、磁気刺激療法 TMSも同じですが。
もちろん現実的には上手く行くわけはないし、脳を誤動作させるのがオチです。
まさにマッド・サイエンティスト、科学技術信仰もここに極まれり、ですね。
前にもこうした記事を書きましたが…
うつ病の発症メカニズムが解明された!??
NHKスペシャル「ここまで来た!うつ病治療」脳血流の画像診断装置光トポグラフィーNIRS・磁気治療法
うつ病について何も知らない、知らないくせにできないくせに何とかしようとする、仮説にもなっていない間違ったことを前提にしている、のが根本の問題でしょう。
元々は苦しい、辛いだろうから何とかしてあげたい、死なせたくはない、という善意からきているものは思います。
患者側もなぜ苦悩の原因を追求し、本質的な解決法の求めるよりも、とりあえず楽になれば良いと目先のことばかり安易に考えてしまう。
「善意の陰謀」
しかし、うつ病その他の精神疾患については、精神科医のほとんどが知らない、できない、というだけで、わかっていることもずい分あるのです。それを踏まえた上で、学問研究、実践しなければならないはずですが、全くそうなっていないのが精神医学、精神医療という分野です。
NHKはこんな番組やって、犯罪の上に犯罪を重ねるのではなく、今まで「うつ病は早期に受診して服薬すれば治る」どさんざん製薬会社や精神科医の手先となって宣伝、疾患喧伝を行い、治るどころか悪化させ、自殺者も増やしてしまったことに対し謝罪し責任をとるべきです。
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『うつ病の痛み』 キャンペーン  病気喧伝

またまた性懲りも無く、製薬会社の大規模なうつ病キャンペーン、病気喧伝、疾患喧伝が行われているようです。
今度は「うつ病の痛み」です。
日本イーライリリー社
https://www.lilly.co.jp/pressrelease/2013/news_2013_041.aspx
シオノギ製薬
http://www.utsu.ne.jp/?utm_source=YDN_interest_match&utm_medium=banner&utm_campaign=utsu1007
各社共同、タイアップで第三世代抗うつ剤、SNRIサインバルタの販売促進のための、患者、精神科医に対する「啓蒙宣伝活動」、病気喧伝、疾患喧伝のようです。
主導は電通ですか?博報堂とかかな? あの手この手で執拗ですね。
そんなに影響はなく、どちらかと言えば最後の悪あがきだと思いますが。もっとも製薬会社の病気喧伝、疾患喧伝による売り込みは抗うつ剤よりワクチンなどに移行し、「うつ病キャンペーン」は十分な成果を得て逃げの体制には入り、「発達障害」なっていますが。
「おとうさん眠れてますか?」睡眠障害、不眠症キャンペーンもあまり大きな影響なかったようだし。
これはむしろ、睡眠改善ブームみたいなことになり、いろいろ本も出たり雑誌で特集されたり、ネット上も話題になっており、いろいろ問題もありますか。これは宣伝自体の直接的効果はなくとも、性懲りもなくそれに動かされたマスコミが問題かな。
ベンゾの依存性や危険性に関する認識もようやく広まりつつあり、そうそ一般の人も騙されないかと思います。
※「うつ病の痛み」はなぜそうしたことが起こるのか、薬は解決にはならない、どうしたらよいのかについては、追加して書くつもりですが。
※追記
「うつ病の痛み」キャンペーン(病気喧伝、疾患喧伝)は適応外処方が問題になり、製薬会社(宣伝会社)も後を恐れて引っ込めたようです。

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丸岡いずみさんは、ホントにうつ病か??うつ病、躁病、躁うつ病の誤診

テレビも見ないので丸岡いずみって人は知りませんでしたが。
最近、バリバリのうつ病と称して、『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』という本を出したらしい。
もちろん私は読んでいません。
週刊文春「丸岡いずみ、うつ地獄からこうして脱出した」という電車の中吊りも見た。
せっかく山登りに行くところだったのに楽しい気分が削がれた。
ネットなんか見ていても、最近やたら目について非常に気分悪いのでちょっと書いておきます。

仕事休んでうつ地獄に行ってきた
主婦と生活社
丸岡 いずみ

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14~5年前にタイムスリップしたかのような、うつ病キャンペーン、疾患喧伝をマスコミを通じてさかんにやっているらしい。こういう世の中に取り残されたような人材はもはや貴重?だから、ひっぱりダコ、精神医療業界のピエロ、製薬会社や精神科医やジャンキーのアイドル、儲けまくるでのでしょうか。
体験者の書いた本が少ないからって、そんなのもうとっくに絶版だから少ないんですよ。何の役にも立たないし今さら需要も無いし、本屋も売りたがらない。患者が書いたモノも役には立たないが「うつ病になった精神科医の話」なんてのはもっと役に立たない。
こういう本自体も、うつ病に対する偏見を助長するものでしょう。
患者さんはうつ病は理解されていない、偏見が多いと言う人が多いですが、患者さん自身が偏見の虜になっている場合が多い。それがまた偏見を呼ぶことが多く、偏見Vs偏見になっている現状がある。
当然のこと、精神科医の甘言にだまされやすい。薬だけでなく、精神科医の「やさしい言葉」も麻薬みたいなところがある。
丸岡さんはホントにうつ病か?
そんなに元気で、簡単に回復するうつ病ってあるのか??
躁うつ病とか双極性障害ではないのか??
などと疑問をもつ人も多いかと思います。
結論から言えば、誤診であり、うつ病ではなく軽度の躁病ですね。
アナウンサーですか。
かこさんも書いてましたが、ジャーナリストなら、ちょっと位、病気のことや薬のことを調べてから、テレビで話したりメディアに書いたりするはず。
そういうことしないで無知蒙昧なまましゃべりまくるだけの仕事だから、世の中から取り残されること甚だしい。
あるいは確信犯か?製薬会社から袖の下、もらってるのか?なんて勘繰りたくもなるけど。
たぶん本人には悪意は無いのでしょう。偽善きわまる。
電波芸者と軽口を叩かれるのも当然。芸はないので芸者さんに失礼か。
マスコミ、特にテレビは社会の木鐸どころではなく「下層の娯楽」なんて言う人もいますが、世の中の百歩跡を行ってます。今時、うつ病キャンペーン、疾患喧伝をやるのは百歩遅れどころか、何周遅れだろうか?
バリバリのうつ病の人が、アナウンサーなんかになれるわけない。
声もロクに出ないし。名前聞いても3秒待ってやっとぼそぼそと聞こえるくらいで。仕事なんか一生できない。
丸岡さんは酒豪らしいが、うつ病なら酒は飲めても余計に気分悪くなるだけだし、頭痛くなるので飲まないはず。
うつ病にせよ何にせよ、疾患名はあまり意味は無いです。要するに疾患単位では無く、症状に応じた便宜的な名称に過ぎないので。誤診だろうかなかろうが精神科医に治療はできないし。
それでもやはり甚だしい誤診は問題ではあります。
うつ病に抗うつ剤も良くないし危険ですが、躁病に抗うつ剤はもっと危険でしょうから。
根本的には「脳の病気、うつ病」はすべて誤診です。ホントは広義の心的外傷後ストレス障害PTSDなので。
てなわけで、一応分類。
1)本来のうつ病は中年発症、もしくは初老期うつ病。これは殆どの場合、自然経過で3ヶ月位したら回復します。繰り返す人もいるけど。うつ病は治るなんて言ってたのは、こういった事情もある。
特に理由が無くても急に激しいうつ状態にはなりますが、風が吹いても病気になるわけではなく、もちろん理由はある。中年発症と言われていますが、実は既に若い頃に発症してます。長年問題が表面化せず、一応適応を保ってきた神経症の行き詰まり、みたいなものだと思います。
かなり少なくて人口の0.1%以下とも言われていたが、典型例はもはや絶滅したか?
2)むしろ、ホントのうつ病は他の精神疾患と同じく、思春期~青年期発症だと私は思いますが(破瓜型精神分裂病の一歩手前で踏みとどまったような人)、これは昔からめったにいないので見たことがない精神科医が多いはず。
私も典型例は1人か、拡大解釈しても5~6人か。仕事なんて生涯殆ど無理。
でも、私の所の治療で良くなり、学校に入りなおしたりしたが、後に大学教師にもなっている。
3)躁うつ病(循環型精神病)も昔からめったにいません。たぶんホントにいるんだろうし、私も聞いたことはありますが、万単位で患者を診ても少なくとも典型例には出会ったことがありません。
4)今時、双極性障害と言ってるのは、元々の疾患に薬害性の中枢神経疾患が加わったものです。元々誤診も多いが、もはや躁かうつか、躁うつだか、何がなんだかわからなくなってしまう。
DSM由来ではあるだろうが、「うつ病は薬で治ると言ってたのに誰も治らないどころか皆悪化してるじゃないか!」という批判をかわしたり、向精神薬害をごまかしさらに患者を増やし、利潤をえるためにために、製薬会社が中心に広めた名称。「うつ病キャンペーン」と同じく、広告会社とかコンサルティング会社とのプロジェクトだろう。それに精神科医が乗っかった、もしくは従ったということである。
5)軽度うつ病、軽症うつ病とか、抑うつ神経症、そういう言葉は昔からあり、もちろんそれなりに多いです。昔は病院に行く人は少なかった。最初にうつ病キャンペーンに引っかかったのはこの手の人か?
新型うつ病も精神医療過誤、向精神薬害をごまかすための言葉。
メランコリー型とディスチミア型と分けるのは一応有意義だとは思うが、後者は鬱とは言えないと思う。
6)軽躁状態という言葉はあるが、軽躁病は殆ど使われず、躁神経症なんて言葉はありません。しかし昔からそういう人も少なからずいます。
不祥事が問題になっても、簡単に禊をすませて復活する政治家とか、お笑いタレントなんかに多い。
周囲は迷惑でも本人は苦しいわけではないし、病識も無く、受診もしないので病名もない…はずであるが、そのあたりの事情は後述。
7)躁病、これも少ないがそれなりにはいる。人に甚だしく迷惑をかける。
横山やすしとか、ハマコーあたりになるとこのクラスか。動物園の熊と同じで、テレビで見ている分にはいいけど、実際にはかなりのもんだろう。
いずれにしても、広い意味ではPTDS、心的外傷後ストレス障害であり、幼児期のトラウマが主な原因ではあります。直接のきっかけ、誘因(ショックなでき事、不適応、現実のストレスなど)は大きい場合も小さい場合もあります。
脳の病気ではない。もちろん脳の働きや状態は良くないですが。
1)のうつ病なんて増えるどころかむしろ絶滅種でしょう。文化的、社会的背景によるものと思われます。うつ病、診断名の無原則拡大はそうした事情もあり。
今や古典的症例や典型例は絶滅かな?要するに世の中の変化に伴って、精神疾患の症状も多様化し、病像、病形も従来の診断名は適用し難くなったということです。
今時、うつ病うつ病と言っているのは殆どの場合、緊張症のなれの果てです。緊張症と言う言葉は医学的にはありませんが、神経症と言うよりは事実に即しており、患者も納得しやすい場合が多いので、私はよく使います。ちなみに神経症というのは神経の病気ではなく、神経の状態、使い方が悪く神経が消耗してしまうこと。もっと正確に言えば、主には無意識による神経の使い方が良くない、ということです。
ちなみに私は5分診察なんて精神科医より、ずっと多くの患者を診ています。
短期治療なので。患者数こなさなければ食えません。
丸岡いずみさんは、ハッキリ言えば、軽度の躁病です。躁うつ病でもない。
うつ病か、躁病か、躁うつ病かの三択なら、圧倒的に躁病!百歩譲っても、うつ病ではない。
躁病をうつ病と言うのは、昔から多い古典的な誤診。
そんなことありえないっ!と思うでしょうけど。
精神科医の方は初級の引っ掛け問題なので良く覚えておいてね。自称ベテランでもたいてい間違えるけど。
DSM当てはめて、薬出すだけなら、そういう自販機でも作った方がよほどマシです。
野村君、大野君、樋口君、わかりましたか。
丸岡めぐみさんの場合は、6)~4)ですね。
「バリバリのうつ状態」、「うつ病地獄」と言うのは、認知行動療法とか向精神薬でこじらせただけのでしょう。
「母親に砒素を盛られたかと思った」「(彼氏…今の夫が)ストーカーかと思った」
うつ病の人は普通は被害妄想じゃなくて加害妄想だし。
「鯉みたいに口をパクパク、過呼吸」
うつ病の人は呼吸がひどく重くて固いので過呼吸はほぼ不可能。
躁病は交感神経優位、うつ病は副交感神経優位だし。
昔から、躁病の人は必ず、現実の壁にぶつかり、(病識が無く主観的にはそう思わない場合も多いが)敗北感、自責感やら罪責感、絶望感などでうつ病ではないけど、うつに近い状態にはなります。
うつ病でも軽度うつ病でもなく、うつ状態と言うより、ウツにやらた弱い人。
気分の落ち込みは誰でもあるけど、躁病の人は落ち込まないと言うより、落ち込めない人。
うつ病、抑うつ神経症などの人はいつもウツと戦わざるを得ないから忍耐強い。
しかし、ついにポッキリ心が折れることがあるわけです。
やはり普段から適応が良くはありませんから、現実の壁にぶつかるというか、現実の落とし穴にはまると言うか。
薄氷の上をスキップしながら歩いていると、いつかは氷が割れて落っこちる。
普段が病気なのに自覚せず、そうなると苦しいので、これは「うつ病」に違いないと思ってしまい、精神科医も殆どの場合、そう診断する。
震災で死体をたくさん見たら誰だってショックで落ち込むでしょうけど、彼女の場合はそれまでのことがいろいろあるので。
解離していた自責感とか罪悪感などが、自己に噴出して来たのでしょう。
そこで落ち込むのは当然ですが、必要なのは今までの行状の反省でしょう。
本来なら、それを自己の成長の契機として、考え方、生き方を改めるのが治療と言うもんです。
安易に抗うつ剤なんかでごまかすのは治療に反する。放っておいたってまたまた元気になるし。
普段の躁状態の時は周囲は迷惑でも病識はないし、苦しくもないので病院なんか行かない。現実の壁にぶつかり、凹むと、やたらウツというか落ち込んだり凹むのに弱いから、苦しくなって受診する。
そこで、トーシローの精神科医は(はっきり言って昔も今も皆トーシーローだけど)、凹んでいるので躁病には見えない、死にたいとか言うし、うつ病に見えてしまう。そこでうつ病と誤診する。
生育歴や生活史を聞いても分析・解釈するの能力がないからこういう誤診がおこる。
普段を知ってる周囲の人からすると、しばらくちゃんとウツやって反省しなさい、今までの考え方や行動パターンを改めなさい、口先だけじゃダメですよ、仕事はもうずっ~と出てこなくていいですよ、大きい声じゃ言えないけどあの人が死んでも…ってところですが、性懲りも無く安易に回復して元気になってしまい、またまた、ハタ迷惑をやらかします。
私が以前、勤めていた大学の学科長もそういうタイプ。
内科医ですが、下品なヤクザ、ガラの悪い政治家か悪質な土建屋か?といった雰囲気、風貌。
普段はやたら人を脅したり攻撃しまくっている。
「うつ病の方がいいじゃん、治らない方がいい」「あの人は病気の時が正常」なんて周囲の人は言っていましたが、おもてヅラ、ヘイコラしてる人も多かった。
宴会ではいつも「マイウェイ」と「昴」、もちろん下手、自己陶酔、声がでかい。
よく「私はうつ病を克服して…」なんて自慢してました。
聞いている方が恥ずかしくなる。冷笑、苦笑するのみ。
主治医はたぶん当時の精神科教授のMではなかったか?
1950年代に台弘なんかと一緒に、ロポトミー手術のついでに脳の切片を切り取ってくすねて、10数年も経って、刑事告発された。不起訴になったので刑法上の犯罪者ではないが、その後も人体実験めいたアブナイことを続けていたらしい。そんなヤツが巾をきかせていられるのが精神医療の世界である。
もう一人、よく思い出すのは20年位前、私が今の治療を始めて数人目に来た人。
元気なオバサンのはずだが、精神科では「うつ病」という診断名。薬をハンドバッグにいっぱい、ごっそり持っていた。
自分は社交的で人に好かれるので、友人知人も多く、活動的で○○もしたり□□もしたり…なんて自慢していた。
身体をしょっ中めった切りするので、数cm位の傷跡が顔にも身体にも無数にある。満身創痍、リストカットではない。
古くて傷跡もわからなくなっているのやら、新しい血のにじんでいるリアルなものまで、全部で数百箇所か?
今日も3箇所切ったので、病院で縫ってもらったなんて、肩まで袖をまくって見せ、何の深刻さも無く得意げに言う。
受診・服薬前に自傷行為はなかった。
もちろん向精神薬の作用、薬害。躁病に抗うつ剤飲ませるんだから錯乱して当たり前である。
死なれては困るって、精神科医はやたら薬増やすので、めった切りもエスカレートして悪循環。
うつ病なら確実に死ねる方法を選ぶはず。何百箇所も切っても、今まで死んでないんだから…
薬は徐々に減らして薬止めた方がイイと言うと、ちょっと驚いたようだったが、一応納得したようで、そうしますとは言っていた。もちろんそれで治るわけではないが一応、回復はしたのだろうか?
1回相談に来ただけで、治療を受けに来るとは言ってたが、その後は来ないし連絡もないので治療はしていない。
他にもいろいろいましたけど。躁病をうつ病と間違える古典的な誤診。
こうした誤診が「薬でうつ病が治った人もいる」という根拠にされているところがある。
躁病なんだから放っておいてもすぐ元気になるのは当たり前なのに。
丸岡いずみさんは、またビジネスチャンスを把んだ、本も出せる、テレビに出て復活だってことで、元気になったわけでしょ。それと結婚か。夫婦共謀らしい。もちろん精神科医とも結託して共謀。
本書いたり、テレビに出る前に、やるべきことがあるでしょ。それをやったらそうそう元気になんかなれないのがむしろ健康的というものです。口先だけの反省じゃダメですよ。
本書いたり、ミヤネ屋何たらという番組でやらかしたことは病気から回復じゃなくて、病気に回復、症状復活です。
安易に回復して人に迷惑かけないで欲しいです。
そればかりでなく、このままだとまた何かやらかしそうではある。ご自愛されたし。
ここを読んでも、自分や薬や精神医療を正当化するだけでしょうけど。
もちろんホントに良くなりたければ、ウチには良い治療法があります。でも良くなりたくないか…
というわけで、宣伝ですけど、
うつ病など、PTSD心的外傷後ストレス障害に有効な自己治療法のマニュアルを販売し施療指導しています。

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新型コロナ陽性、有村昆、

『生活習慣病としてのうつ病』 井原裕

『生活習慣病としてのうつ病』 井原裕
井原裕さんのことに関しては、今までに2回ほどふれた。
精神科医療批判は国民の義務 『医原病としてのうつ病』 井原 裕 精神神経学会
『双極性障害と病気喧伝(disease-mongering)』 井原裕
井原裕さんは「今が旬の精神科医」なのでしょう。
この本は従来の「インチキうつ病本」とは一線を画すもので、とりあえずすべての精神科医や患者さんは読んだ方がいいと思います。
私は買って後悔しましたけど。貧乏なので。同じ金出すなら、「ピート・タウンゼント自伝」の方が良かったなぁ。文字数も数倍だし。
「うつ病は心の風邪、誰でもなる」「うつ病は服薬して休養すれば治る」「早期発見、治療が大事」「うつ病は脳の病気、セロトニン不足」「抗うつ剤等の抗精神薬は安全、副作用も少ない」「もしかしてうつ病ではなく双極性障害?」といった、従来のインチキうつ病本は、もはや書店でもあまり売っていません。
精神科医は相変わらずそのような本を出したがっても、出版社は出したがらず、本屋も売りたくないのだ。曲がりなりにも文化の担い手としては、嘘だらけ間違いだらけの本を売ることに、精神科医ほど無責任ではいられない。
医者も文化の担い手であるとしても、精神科医もそうだとはおせじにも言えない。
どちらかと言えばテレビ、ラジオ、新聞などのメディアは相変わらず「うつ病キャンペーン、病気喧伝」の反省なし、というより相変わらずそれを続けていますね。アベノミクスと同じか。
この本は、大型書店などでは大量平積みの所が多く、本屋の売り込みたいという意思も感じられる。一応、専門書としてはかなり売れるだろう。

生活習慣病としてのうつ病
弘文堂
井原 裕

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けっこう適確に精神医療の現状をふまえた上で書いている。
基本的に精神科医擁護、精神医療温存のスタンスは崩さず、精神疾患に対する無理解か、戦略的レトリックか?というところは前にも触れたように多々ある。あえて「うつ病」を前面に出すのも、その一環だろう。
精神医療救済のポーズをとって、指針を示し、主導的な立場を確保しつつ、反精神医療の攻撃をかわして弁護するといったところか。
このままでは自分たち「良心派、常識派」も他の精神科医と一蓮托生になってしまうという危機感が見て取れる。
「薬を使わない精神医療」を標榜しているようだが、実際はどうだか?
せいぜい、常識の範囲という程度にとどまっており、もちろん特に治療法をもっているわけではない。ほとんど睡眠の話だし。睡眠はもちろん重要だが、必ずしも適切な内容でもない。
ハッキリ言って、専門家が読むような内容は無く、町(村)医者やかかりつけ医や、一般健康本として患者が見る程度のものだと思う。
精神科医を専門家、プロとは見做せないのが前提という事ではあろう。 
全く治療ができていない、精神医療の現状を踏まえた上での苦肉の策だろうし、井原裕さん自身も「療養指導」と書いている。
うつ病等の精神疾患(PTSD)は生活習慣の問題もあるのが普通だが、もちろん生活習慣病とは言えない。原因が生活習慣ではなく、トラウマ、ストレスであるからである。
井原裕氏が提示するような生活習慣病としてのケア、生活習慣の見直し、「療養指導」は、必要有効な面もある。
「服薬と休養」の服薬はもちろん有害であるが、不適切な「休養」もまた有害であり、悪化させる要因となってきたことを考えると、なおのことである。
生活習慣病としてのケア、「療養指導」は悪いわけではないが、基本的は治療ができないための逃げ、治療不在の苦肉の策であるばかりでなく、しばしば心的外傷促進的になりうることも危惧される。
「不節制な生活をしてるから病気になるんだ」などと、親や教師、職場の上司などが患者を責めるのは、トラウマに塩を擦り込み悪化させる古典的なパターン、多くは親の自己正当化、無意識の開き直り。
うつ病等精神疾患を生活習慣病とらえることは有効な面もあるが、生活習慣が悪いから病気になる、と循環論法、本末転倒になりがちである。症例を見ても誤診と思われる例も散見される。
行っていることは治療ではなく、「療養指導」である。
この精神科医ならもしかして、かからないよりかかってもいいのかもしれない…かも。ではあるけれども。
それでも現状のほとんどの精神科医よりはるかにマシである。
多くの場合、精神科医は悪化させているだけなので。
もう少し正確に言えば、精神疾患に薬害性の中枢神経疾患を付け加えているだけ。
「効果」とされていることも、副作用(もちろん作用)も離脱症状も後遺症も含めて。
私にとっては目新しいことは何もないが、後つけて来てるな…、ちょっと追われている感じ。
ほとんどの内容はずいぶん昔から言ってたことでもある。
仲間として接近しているのかもしれないが。もちろん当方のことは知らないはず。
うつ病等精神疾患に対して「生活習慣病としての精神疾患のケア」ではもちろん不十分であり、治療法を持たずに「薬を使わない精神医療」「療養指導」というのは小刀で大木を切るが如し、あまりにも無理があり、有効性に乏しい。
井原裕さんのような方が真剣に治療したいと望んでいるとすれば、喉から手が出るほど欲しているはずの治療法を当方では行っています。
伝授するとすれば、もちろんいろいろな条件はありますが。
約20年前から施療しており、何人かの精神科医に教えてくれと言われたことはありますが、今までの所、企業秘密。
中井久夫さんでもいいけど、もう歳だしね。北山修さんでもいいけど。
フロイトやユングやサリヴァンなどに伝授できたとすれば驚喜するだろう。
もしかしたら抵抗を示すかもしれないが。
半端な分析家や精神療法家なら当然、抵抗するだろう。否定、否認
高慢、不遜に思われるだろうけど、心外というより論外。
生物学的精神医学に進歩の道はなく、治療に近づくことさえありえず、今後もあさっての方向に行くしかない。と言うか、おととい来やがれ!である。
人類の知性や英知、天才的な洞察や理解が治療に結びつくことはありうるが、科学技術がいくら進歩しても治療に近づくわけではない。
心の自由、魂の開放、精神の救済をめざすことない現状の精神科医が治療にたどり着くことは、これかちもありえないし、誰も用はないだろう。

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睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン 厚生労働省、初の指針

睡眠薬、上手な使い方は? 厚労省研究班などが指針 (朝日新聞)
 【大岩ゆり】10人に1人が悩んでいるといわれる不眠症で、睡眠薬を適切に使って、上手にやめるための診療指針ができた。まずは生活習慣を改善し、睡眠薬を使う場合は患者の症状や体質に合う薬を、原則として1種類だけ使うよう勧めている。厚生労働省研究班と日本睡眠学会が13日、公表した。
 指針では、効果の時間が短い睡眠導入剤など睡眠薬との上手なつきあい方を40項目のQ&A形式で解説している。不眠症ではまずは睡眠薬に頼らず生活習慣を見直すことが重要とした。効果的な対策として、定期的な運動▽就寝前の空腹を避ける▽就寝4時間前以降は日本茶やチョコレートなどカフェインの入った飲食物を避ける▽就寝前は喫煙しない、を挙げた。
 睡眠薬は基本的には1種類を服用。寝付きが悪いのか、途中や早朝に目覚めるのか、年代や持病があるかなどを考慮して、薬を選ぶ必要があり、指針には適した薬を例示してある。
 研究班主任研究者の三島和夫・国立精神・神経医療研究センター部長は「睡眠薬は原則として、ずっと服用し続けていいものではない。治ったら、ゆっくり減らしながら徐々にやめることが基本」と解説する。
 国内では睡眠薬に頼る人が増えており、3カ月に1度、処方を受ける成人は5%近い。複数の薬を服用する人も多く、精神科患者では4割近いという。
     ◇
【主なQ&A】
 睡眠薬の使い方、やめ方の指針は、日本睡眠学会(http://jssr.jp/)のサイトに。
 Q 寝酒の方が安心か?
 A アルコールは睡眠の後半の眠りが浅くなり、睡眠の質が悪化する。
 Q ストレスや精神疾患による不眠に睡眠薬は効果があるか?
 A うつ病の不眠には効果的。心的外傷後ストレス障害(PTSD)にはあまり効果がない。アルコール依存症は、睡眠薬の副作用が起こりやすく薦めない。
 Q トイレが近く眠れない。睡眠薬が必要か?
 A 頻尿の原因となる疾患の治療が最も大切。泌尿器科医や主治医に相談を。
 Q 高齢者の不眠症にも効果があるか?
 A 効果がある。一方、高齢者は薬の副作用が出やすいので注意を。
 Q 睡眠薬を服用中に妊娠。大丈夫か?
 A 大部分の睡眠薬の安全性はまだ不明。睡眠薬の種類や量、不眠の重症度などを総合的に判断すべきだ。相談窓口「妊娠と薬情報センター」もある。
 Q 更年期障害で眠れない。睡眠薬は必要か?
 A 更年期障害の不眠に効果がある薬は2種類ある。
 Q 睡眠薬を飲んでも眠れない。増量すれば効果が出るか?
 A 一定の効果が出る一方、翌日の眠気やふらつきが増える可能性も。安易に増量すべきではない。
 Q いつまで服用?
 A 夜の不眠症状が改善し、日中の心身の調子が良くなったら減量や中止を。
 Q 薬の減量法は?
 A 1種類を4分の1錠ずつ減らす。1~2週間様子をみて問題なければ、さらに4分の1錠減らす。中止する場合は、不眠や動悸(どうき)、吐き気、不安感などの離脱症状に注意して、時間をかけてゆっくりと。

睡眠薬の適切使用に向けた初の指針 (NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130613/k10015276791000.html
睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン
ー出口を見据えた不眠医療マニュアルー
http://www.ncnp.go.jp/pdf/press_130611_2.pdf
まったく、今さらである。
睡眠薬の上手な使い方などありません。どうしてもやりたいなら3日以内、断続的でも長期服用はダメ。
長期処方ができるのは日本と韓国くらいだと言われています。当然、睡眠薬中毒の人も多い。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン

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精神科医療批判は国民の義務 『医原病としてのうつ病』 井原 裕 精神神経学会

 『医原病としてのうつ病』 井原 裕
孫引きですけど、第109回日本精神神経学会学術総会(2013年5月23~25日)の抄録より

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『「うつ病」はもはや医原病、一定期間以上の服薬者はすでに抗精神薬依存症、薬物中毒』とは、私はもう10年以上前から言っておりHPにも書いており、反精神医療の人もそういう人がいますが、一部の精神科医もようやくそうした認識を持つようになりました。
ちなみに「うつ病はもはや医原病」というフレーズは、もう既に私が10年近く前から(何年も待って現象が明らかになってから)言っていったことで、HPにも書いていました。反発かったけどね。
「精神科医はマッチポンプ、ポンプから噴出すのはガソリン」、とか、「向精神薬は遭難者に毒饅頭」、といったフレーズは10年以上前からネット上で言ってるので、たぶん私がオリジナルだと思う。許可無くマネしてもいいですけど。
「精神科医療批判は国民の義務」というフレーズは井原さんオリジナルでしょうね。私はむしろ、患者も周囲の人も自己批判が必要とは言ってましたが。
いずれにしても、一見奇妙に思う人も多いかと思いますが、そうではありません。
国民の払っている健康保険料や税金が、人々の健康を害したり、命を奪うことにも使われているですから、当然でしょう。自殺が増えたのも抗うつ剤等、抗精神薬の作用(副作用)賦活化症候群(アクチベーションシンドローム)が主な原因です。
軽症にすぎなかった患者も受診・服薬で、慢性の薬害性中枢神経障害者となってしまい、仕事や生活も立ち行かなくなり、保護、扶助のための、障害年金や生活保護費などの費用も増えるばかりです。
精神医療など有害医療を縮小させれば、消費税率など簡単に吸収してしまい、問題にはなりませんが、このままではいくら税金を増やしても追いつきません。老人も増えるというのに。
「この国は医療に滅ぼされる」とは、ある医療ジャーナリストの言葉ですが、あながち大げさでもありません。
一方では、「病気かどうかはわからんが、とりあえず専門医に相談してみたら」、「早めに精神科や心療内科をを受診して…」、「今は副作用も少なくて安全な良い薬があるようだから…」などと言って、犯罪のお先棒担ぎのようなことをしてしまった人もいるかと思います。自己批判も国民の義務かもしれません。
精神医学会、精神医療界は自浄作用もありません。
井原裕さんも、業を煮やしてついにココまで、あの手この手を考えてようやく、ということなんでしょうけど。
しかし、文字通り受け取るならば根本的な誤りを指摘しないわけにはいかない。
精神科医の立場を守りつつ、事実を認めさせ、被害者を減らすための、戦略的レットリックなのかもしれないが。
これは一般の人にも、反精神医療派の人にも共通したことでもある。
(これ書くと多方面から大いに反感を買うけど)
『精神科医は、「こころの病気」について知っているが、「悩める健康人」については知らない』
 のではなく、「こころの病気」についてこそ、無知蒙昧なのである。「悩める健康人」についてももちろん無知ですが。
「こころの病気」について知っていれば、そもそも向精神薬など使うわけはない。
そもそも「心の病気の人」とは謂わば「悩める健康人」のことである。
苦悩の程度の差がとてつもなく大きく、傾向も様々であるというだけである。
自覚症状がなく、当人の主観では、「悩める」わけではない人ももちろんいるが。
語弊があるのでより正確に言うならば、「心の病気の人」は、「身体的にはもしくは脳は健康であっても、精神的に苦悩する人」のことである。程度、傾向の差は激しくともすべての人は病気であり、完全に健康な人もありえない、とは言える。
昔から「うつ病」というのは脳の病気ではなく(もちろん脳の状態は健康的ではないが)、原因は過去の心的外傷と現在のストレス、不適応である。
さしあたっての問題はなくとも、とてつもなく悩めるがゆえ、激しい抑うつ状態に長期に渡って陥り、抜け出せない人のことである。
従って治療は、過去そのものは変えられないので、過去の影響を変えて、現在の不適応や問題を解決、克服することである。
遺伝による脳病としての、うつ病など発見されたことも証明されたこともない。
(そういう病気はあるが、神経症はもちろん、うつ病や精神分裂病〔統合失調症〕もそうではない。)
もちろん、「うつ病」保険病名、単一疾患名、疾患単位として良いか?の問題はあるし、今更であるが、無原則に拡大したのはもちろん大問題であるが。
昔から私は疾患名、疾患単位ではなく、便宜的な疾患概念と考えている。
したがって、精神の病気は存在しない、というのもまた不適切である。
自分自身の精神的問題、精神病理を自覚せず正当化する人、身近に精神疾患の人がいない人が、そのように考える傾向がある。
精神疾患を脳の病気、身体の病気と同様に考えると、そんなものは存在しないということはなるが。
(脳の病気は中枢神経疾患であり精神疾患ではない)
著しく健康を損ねているという意味では、精神疾患もまた病気と考えざるをえないはずである。
「悩める健康人」の成長と、「心の病気」の治療は同じことである。
もし精神科医に「こころの病気」の治療ができるのなら、大いに「病気喧伝」をして受診者を増やすべきである。それが文化の発展、人類の進歩というものである。
しかしながら、向精神薬で「こころの病気」が良くなるわけはなく、有害なばかり、薬物処方しかできないのに患者を増やして、抗精神薬害をまきちらし医原病をつくってきたのが問題なのである。
これは人類の進歩に反する。
圧倒的に後退しているのが精神医学・精神医療という「学問」「(科学)技術」である。
誰かが、「患者は病院には行かず寺に行け、治療は精神科医ではなく、坊さんにやらせろ、寺や坊さんは本来の役割を果たせ」と言ってたな。
それも一理はあるし、全く見当違いではないですが。
精神科医よりはマシだろうけど、そうなったらこれまた暴走しそうである。
伝統宗教が謙虚?に「治療」を避けてきたのは、それなりの理由がある。
精神医療は「こころの病気」について知っているわけではなく、治療もできないのに、ずうずうしくもそこに入り込んで、被害を拡大してしまった。
井原裕さん本人はともかくとして、悪くとれば、精神科医の開き直りとも受け取れるし、実際に逆手にとる精神科医もいるだろう。
既にその傾向はあり、薬は患者が要望するから出していると開き直っている精神科医は多いし、患者に薬を選ばせたり、自分の判断で服薬を調節してもよい、などと言う精神科医も増えているようだ。
アドヒアランスもまた大いに問題であり、医者の側の責任逃れ、開き直りに使われてしまう。
これからはこういう自業自得論も大いに流行りそうな気もする。
 精神医療過誤、抗精神薬害問題は、患者が薬を要求し国民がそれを認めたせいだ。
 原発問題は国民がそれを批判せず、望んだからだ。
 国や政治家や電力会社を批判する義務を怠ってきたからだ、などなど
※井原裕さんについてはこちらでも触れています。
『生活習慣病としてのうつ病』 井原裕
『双極性障害と病気喧伝(disease-mongering)』 井原裕 「双極性障害」、「眠れてますか?」キャンペーン
精神医療だけでなく医療は曲がり角にきていることは間違いなさそうだ。
これなんかもえらい売れているみたいだし。同類の本も書店では山積みされている。


私は40年以上も前から精神医療批判の義務を果たしてきましたが。甘かったのも事実。
自分が向精神薬害、精神医療過誤の被害にあったわけではないし。
昔から治療ができたわけではないし。(治療法を確立したのは約20年前)
できないくせに偉そうなことは言えなかった。
批判はしていても、観方によっては直接ではないが加害者の側だったとも言える。精神科病院のスタッフでもあったり、医学部の教師でもあった。
今とは異なり、私の存在自体が精神医療批判であっても、そうそう対立もせず、むしろ批判者として受け入れられる状況もあった。
原発も30数年前に建設反対デモに行ったきり。
「自分たちさえ良ければ、というのが最もエコに反する」 「専門性の解体」 「科学批判、科学の相対化」
といったことが大学時代に作った「エコロジー研究会」のスローガンであった。
昔、この「脱病院化社会」を読んだ時には、俺以外にこんなことを考えている奴がいたのか! 世界は広いな、と思ったのは若気の至り。
内容は古い部分もあるが、基本的にはむしろ今でこそ革新的だと思う。当たり前のことだとも言えるが。

脱病院化社会―医療の限界 (晶文社クラシックス)
晶文社
イヴァン イリッチ

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これからどうするか?
もちろん代替療法に甘んじるつもりはありません。そもそも代替案ではなくこっちが本案だし。
ずっと先のことも考えて準備はしています。
若い頃は何もできなかったけど、昔からの志を実現できたことは、つくづく幸運なことだと思います。
話がずれて、しかも過去に向かったり、自分語りになってしまうのが、ジジイの悪いクセです。スミマセン

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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向精神薬、減薬、断薬のために参考になるかもしれない本

向精神薬、減薬、断薬のために参考になるかもしれない本
それぞれ問題はありますけど。この手の本自体がまだ少ないので。本気で向精神薬、減薬、断薬に取り組む精神科医もいません。
やはり何ごとも鵜呑みにしてはいけません。特に精神科医の言うことは。

うつ・不安・不眠の薬の減らし方
秀和システム
原井 宏明

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心の病に薬はいらない!
かんき出版
内海 聡

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抗精神病薬の「身体副作用」がわかる―The Third Disease
医学書院
長嶺 敬彦

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アシュトンマニュアル 日本語版
http://www.benzo.org.uk/amisc/japan.pdf
精神薬から離脱するための、ハーム・リダクション・ガイド
http://www.theicarusproject.net/downloads/ComingOffPsychDrugsHarmReductGuide-Japanese.pdf

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「睡眠導入剤を大量服用の女子高生、治療怠り死亡」 どういうことでしょうか?

睡眠導入剤を大量服用の女子高生、治療怠り死亡
2009年4月、睡眠導入剤などを大量に服用して運ばれた女子高生(当時18歳)を治療せずに帰宅させて死亡させたとして、福岡県警は、産業医科大病院(北九州市八幡西区)の神経精神科に勤務していた男性医師(30歳代)を業務上過失致死容疑で近く福岡地検小倉支部に書類送検する方針を固めた。
 捜査関係者などによると、女子高生は03年頃から、うつ病を患って通院しており、医師は主治医だった。09年4月19日夜、女子高生は北九州市小倉北区の自宅で処方されていた睡眠導入剤などを大量に服用して意識がもうろうとなり、両親が車で搬送した。
 同日午後11時半頃、当直勤務だった医師は病院の駐車場で車の外から、車中で寝ている女子高生を見て、「そのまま連れて帰って大丈夫」などと話し、両親が治療を求めたにもかかわらず、これに応じなかった。
(2013年4月11日08時14分 読売新聞)

とりあえず情報としてはこれだけなので、よくわからないのですが。
多分に推測に基づいて、ということになってしまいますが、いくつかの大きな問題が含まれているので、そのポイントについで述べてみたいと思います。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意!

睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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新型抗うつ薬SSRI、効果なし?18歳未満「慎重に」

新型抗うつ薬SSRI、効果なし?18歳未満「慎重に」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130329-OYT1T01352.htm?from=ylist
 厚生労働省は29日、1999年以降に承認された新タイプの抗うつ薬の投与について、18歳未満へは慎重に検討することを添付文書に記載するよう、日本製薬団体連合会に指示した。
 海外での臨床試験で有効性が確認できなかったための措置。対象となる抗うつ薬は6種類。商品としてはレクサプロ、ジェイゾロフト、サインバルタ、レメロン、リフレックス、ルボックス、デプロメール、トレドミンの8種類ある。
 厚労省は「すでに服用中の患者は自己判断で中止せず、医師の指示に従ってほしい」としている。
 神庭重信・日本うつ病学会理事長の話「効果が現れていないケースでも、服薬を突然やめると不安感やめまい、不眠などの中断症候群が現れる恐れがある。通常1週間ほどの減薬で中止できるので、主治医に相談してほしい」
(2013年3月30日08時59分 読売新聞)

詳細はこちらを確認
『独立行政法人 医薬品医療機器総合情報』
医薬品関連情報 > 使用上の注意の改訂指示 > 平成24年度指示分
http://www.info.pmda.go.jp/kaitei/kaitei2012.html
とりあえず、こちらをご参考に。
『八咫烏(やたがらす)』
抗うつ薬は2週間でやめられる』という日本うつ病学会理事長の暴言
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11501113086.html
SSRI、SNRI、医薬品添付文書改訂における不遜
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11496403933.html
『精神科医の犯罪を問う』
新世代抗うつ薬、18歳未満に効果なし
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53919464.html
『精神医療の真実  聞かせてください、あなたの体験』
抗うつ薬、子どもへの有効性確認できず
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11501224093.html
そもそも使い道のなかった薬を、多国籍企業の製薬会社と御用精神科医が治験データを捏造し、賄賂等でで公的機関に「うつ病」の薬として認可させ、「うつ病は早期受診、薬で治る」という病気喧伝で広めたものですから、効果がないのは当たり前です。
(既にこうしたプロセスは内部告発等で暴露され製薬会社側も認めています)
新型抗うつ剤SSRIの中でも最も危険とされているパキシルが入っていませんが、既に指示が出ているためと思われます。既にパキシルの添付文書には、7~18歳の大うつ病患者には効果がないこと、自殺を促進する危険性があることが書かれています。
効果がないだけならさほど問題はありませんが、あまりにも危険性がの高い。
特に脳が発達途上にある子供にとっては、新型抗うつ剤SSRIに限らず、向精神薬は殆ど脳破壊薬として作用するはわかりきっていたことです。
子供には酒でさえ飲ませてはいけないのは行動異常と健康に有害なためで、法的にも禁じられていますが向精神薬など中枢神経に作用する物質は基本的には同様です。
おそらく、このまま子どもに対する抗うつ剤の使用を認めていると、被害が拡大してしまうので、あまりに高い危険性が明るみに出ることを恐れ、効果がないことを前面に出すことにした、というすりかえ、ごまかしという意味もあるのでしょう。
精神医療に自浄作用はありません。
新型抗うつ剤SSRIは、成人にも効果は乏しく、効果があるのは1割程度、もちろん成人にとっても副作用(実は作用)も強く、依存性も強く、自殺などの衝動行為を引き起こすアクチベーション(賦活化症候群)などの危険性も高いのです。
当然ですが特に長期服用、他剤併用(もちろん多剤併用も)だと尚のことで、脳も壊すので断薬した後でも後遺症さえ残ります。
新型抗うつ剤は前世紀の終わりごろから使われるようになり、急激に自殺者も増やしてしまいました。
それも莫大な医療費、すなわち健康保険料や税金を費やして。もちろん、患者本人の経済的負担や損失も莫大なものですが。
 コーヒーを飲んで眠気がなくなったからといって、睡眠不足が解消するわけはないし、ナポレオンのように短い睡眠で済むわけではありません。
睡眠不足のツケはもちろん後で回ってきます。
 酒を飲んで不安や葛藤を紛らわせることができても、もちろん不安や葛藤が克服できるわけはない。
先延ばしにして溜め込んだ不安は、後で増幅して襲ってくる。むしろ後で倍返し。爆弾を大きくしているようなものです。
 麻薬・覚せい剤(使いにくいので禁止された旧向精神薬)で気分良くなったとしても、悟りが啓けるわけでもないし、天才的アーティストになれるわけでもありません。
抗うつ剤SSRIを服用して効果があったからとしても、うつ病が治るのとは違うことです。
仕事のキツさが減るわけもないし、パワハラをするような悪質上司の性格が良くなったり、立派な人格者になるわけはないし、外的なストレスが解消するわけはありません。
自分のストレスへの対処能力が上がるわけでもないし、人間関係が良くなるわけでもないし、打たれ強くなるわけでもないし、適応能力が向上したり、人間が成長・成熟するわけでもありません。
飽くまでも、あたかもウツが軽減したかのような影響、疑似的な抗うつ効果が一部の人(プラセボを除くと1割程度)にある、というだけです。それも短期的効果であり、長期は続きません。
もちろん、飲み続けると効果は無くなるどころか、逆説反応(パラドックス反応)があり、余計にウツが酷くなってしまいます。
肝臓だけでなく身体の負担も大きく、中枢神経の負担も増えるため、当然、逆効果になるわけです。
効果が継続すれば良いわけではもちろんありません。
当然依存性もあるし、副作用(実は作用)も酷いし、自殺や他害などの衝動行為を促進するアクチベーション(賦活化症候群)も起こります。
抗うつ剤に限らず向精神薬は、中枢神経の働きを無理やり捻じ曲げて、中枢神経障害をもたらすだけです。それで、ウツが軽くなったように感じたり、周囲からもそう見えることもある、というだけのことです。
覚せい剤でも、真面目な人やリア充の人、日常生活に満足している人、向上心がある人や、精神が充実している人などには効果がなく、気分悪くなるだけ、と言われています。どこまでホントかは知りませんが。
(ちなみに私が聞いた限りでは、覚せい剤経験者〔7~8人、いずれも止めた人〕の全てが、「たぶん実際にそうだと思う」と言っていました。)
抗うつ剤SSRIだけでなく、もちろん他の向精神薬も同じです。効くほうがおかしい。
効かなければやめたほうが良いのは当たり前ですが、効くなら尚のことヤメたほうが良いでしょう。
しかし、効かなくても飲み続ける人が多いのはもちろん依存性が強く、止めると離脱症状(禁断症状、断薬時症候群)が現われるからでもあります。
精神科医にもようやく離脱症状が知られるようになりましたが、ほとんど理解しておらず、離脱症状が現れても元々の病気のせい、もしくは病気が悪化したせいにします。
殆どの長期服用者が効果がないどころ悪影響が強いのに止められない、これは精神依存が強いからでもあります。
身体依存、脳破壊よりも精神依存の方が恐いかも知れません。依存の自覚そのものがなくなり、服薬を正当化し、止めようとも思わなくなるので。
薬物に依存するということは物質だけでなく、他に依存するということでもあります。
薬に頼るなら、宗教にでも頼ったほうがよほどマシです。
誤解を恐れずに言えば、伝統宗教に頼るのは案外安全です。
長い歴史の中で、魔女狩りやら禅病やら色々な問題も起りましたが、それなりに克服してきた伝統があるからです。
概して言えば、その点で新興宗教は既に伝統宗教が経験した問題にまだ気づいていなかったり、問題が伏在しており、これから問題が起る可能性も高いため、やはり危険性が高いと言えます。
日本うつ病学会理事長、神庭重信は、何と!「通常1週間ほどの減薬で中止できる」と言ってます。
これは見過ごすことはできません。事実誤認、欺瞞も甚だしい。大いに物議を醸すはずです。
いかに精神科医が無知蒙昧、自己正当化、自己保身の権化であることを現しています。あえて「通常1週間ほどの減薬で中止できる」と言うからには、おそらく確信犯でしょうけど。
精神科医や日本うつ病学会は、1週間以上、離脱症状(禁断症状、断薬時症候群)、退薬症状、中断症候群が続く場合、元の病気のせい、悪化したためとすることになっている、と言うわけです。今までと同じ、どこまでいっても責任逃れ、責任転嫁。
好意的に受け取るなら、単に1週間程で分解され血中濃度も下がり薬効がなくなる、と言うだけのことかもしれませんが。
。それでも事実に反するし(薬物の蓄積もある)、それを言うなら、「1週間程度で(禁断症状、断薬時症候群)が起る可能性が大きく中止するのもたいへん危険である」、と書くべきです。
抗うつ剤の減薬・断薬は飲み続けた期間より長くかかる、とさえ言われてます。まして1ヶ月で止められるなど、無知蒙昧、無責任も甚だしい。人によって大幅に違うので一概には言えませんが。
精神科医は向精神薬害の責任は取ってくれません。もちろん補償もしません。被害を蒙り、損をするのは患者ばかりです。
飲み続けるのも危険ですが、減薬・断薬も離脱症状もあり危険が伴いますので、慎重に行う必要があります。
上手く止められて、後遺症もなかったとしても、良くても元の木阿弥、振り出しに戻る…。
大変な経験をして断薬した人も増えており、そうした経験自体が貴重で得るものもあった、自分が強くなったという人もいますけど。
転んでもタダでは起きないことは大事、どんな経験からも得るものはありますが、やはり失うものが大きいでしょう。
『真の精神医療は向精神薬を捨てることから始まります』 医者も患者も…

※追記
子供の精神疾患、発達障害(誤診)についてはこちらにも書きました。
発達障害 (1):発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害 (3):発達障害(誤診)の症例
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