行ってもイイ精神科、ダメな精神科(心療内科)・優しい精神科医

「行ってもイイ精神科、ダメな精神科」  ひろ新子  
という本が出ており結構売れているようだ。これまたたいへん気色の悪い本である。
取材のやり方など、倫理的な問題もいろいろあるのだが、そんなものは精神医療問題に比べて比較にならないほどの小さな問題なのでココでは触れない。
もちろんこの人は、うつ病でもないのだが、それについても触れません。知りたい人はこちらをご参照下さい。
近くの本屋にずっと平積みしているのでいやでも目に付いてしまう。
ついつい手にとってちょっとばかり立ち読みしてしまったが、内容について書くのも気分が悪いので、かこさんのブログを参照して欲しい。
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11670997058.html

行ってもイイ精神科、ダメな精神科
バジリコ
ひろ新子

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かこさんのブログによると、
(私は一部立ち読みしただだけだが、同様の印象である)
ともかく、この人が○と思った医者の条件は――
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。
 らしい。

しかし、多くの場合「ここが地獄の一丁目」である。
もちろん行っても良い精神科を知っているはずの著者も長年病院に通っても良くなってはいない。甚だしい薬害にはまだなっていないようだが、それも時間の問題だろう。
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。

これが何故良くないのか?
何もできないから、話を聞くだけなのである。精神科医だからといって、カウンセリングの勉強や訓練をしているわけでもない。殆どの精神科医はカウンセリングや精神療法は苦手だが、むしろ患者を旨く騙す、言い包めることは得意である。
「うつ病は誰でもなる」「心の風邪」「良い人、責任感の強い人、まじめなひとがなりやすい」「うつ病は本人の考えや生き方の問題、心の病気ではなく脳の病です気」「今は副作用も少ない安全で良い薬がある」「無理をしてはいけない、頑張らなくて良い」「服薬してゆっくり休めば治る」
こうしたことを言われると、弱っていて元気がない時には、人間ついついありがたい、やさしい言葉として受け取ってしまう。むしろ病気を軽んじてしまう。
この精神科医は患者のことをわかってくれる、この人に頼れば大丈夫と言う気になってしまう。こうしたことはもちろん非常に危険である。
「良い精神科医」に薬物を処方されれば、良くならず副作用ばかりが酷くても反発や拒否はし難く、言いなりやすい。
最初から恐面で脅してくるヤクザなどいない。最初は優しいのが当たり前である。
金を借りに行っても、まともな銀行などは厳しいが、ヤクザの金貸しは優しいのである。「私どもも貴方様のような人々や社会に貢献する事業をしている方のお役に立てることが嬉しいです。きちんと、返して頂ければ良いのです。」といったふうに。
返せば良いかというと、そうはいかいかない。「あの時、助けてやったじゃないか。恩を忘れたのか」という具合になるのが関の山である。
多くの場合、無自覚ではあるが、悪質なことをやっているからこそ、それを隠蔽するために表面的には「やさしい精神科医」を演じることができる、そう演じないわけにはいかないのである。
好意的に考えれば、何もできない、ロクなことはできないので、せめて患者にはやさしく接する、といった見方もできるし、実際そういう人もいる。
患者がそれを望むから、患者の要求、ニーズに応えているだけ、医者はサービス業だ、患者をビビらせて何になる、という精神科医も多いだろう。患者を騙すのがサービスか?
受け入れ難いことであっても,正しいことを伝えるのがやさしさというものである。
「良薬口に苦し」 もちろん向精神薬は良薬ではありえない。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。

よほど悪質な精神科医でなければ、最初はあまり多くの向精神薬を出さないのが普通である。
それで効かない、もしくは効いてもだんだん効力がなくなるから、徐々に薬の種類も増えてしまう。もちろん悪循環。
当然、副作用も酷くなるが、殆どの場合、元々の病気のせいにされる。そうでなくとも副作用止めなど、余計に薬が増える。
副作用の説明を丁寧にしてくれるといっても、どちらと言えば当たり障りのないことだけである。それ以外の副作用は患者の元々の病気のせいにするため、と言っても良い。説明が事実の隠蔽になっている。
副作用がどんどん酷くなっても、元の病気が酷くなったから(そもそも悪化する病気ではないのだが)とされ、だからこそ病院に来て良かった、薬をきちんと飲まなければ、ということになってしまう。
常用量離脱も起こるし、薬の変更などでも当然、離脱症状は起こる。
基本的には薬は最低限しか出さないのは当然であるが、そこからむしろ徐々に減らしていくものである。もちろんそれでも有害であり、良くなるものでもないが。
少ない薬から徐々に慣らして、本格的な向精神薬依存症、向精神薬中毒による中枢神経障害に至らしめるのが、「良い精神科医」の常套法である。
では、これらの逆「悪い病院や精神科医」ばかりであればどうか?
精神科医なんてロクでもない連中、所詮そんな物とわかり、精神科には行きたくない、行ってもしょうがない、と思う人が増えるであろう。
精神科医そのものの評判が落ちる、というより正確な評価に落ち着き,精神科や心療内科には行かない人が増えるだろう。
いきなり大量の薬を最初から処方されれば、リスクは高くなるかもしれないが、その分薬は危険、決して良くなるものではない、ということもに気づき易いはずである。そこまで行かなくとも医者の言いなりに服用はしないだろう。
精神科医は「向精神薬は医師の処方を守って服用すれば安全」と言うが、小さい子供や余程の愚か者でない限り、自分で調べて、自分の身体や精神状態に聞きながら服用した方がずっとマシなはずである。
向精神薬はあまりに危険なので、処方薬ではなく、むしろ容易に手に入るように一般市販薬にした方が良い、という医者がいたがそれも大いに理由のあることだ。
しかし、向精神薬を服薬すると言うことは、自分の意思やコントロールを徐々に失ない、処方者や売人、薬そのもののど奴隷となるということでもある。精神に影響するのだから当たり前である。
オーバードーズ、過量服用はもはや患者の考えや意思の問題をとっくに超えている。
したがって、「良い精神科医ほど悪い精神科医」とも言えなくもないが、これは反精神医療派の人が良く言うことではある。
私個人は精神科医が不要とも思わないし、向精神薬完全否定派でもない。精神病院にもそれなりの役割があり、現状でさえ必要悪と言う面は認めざるを得ないと思っている。
世の中にはいろいろな人がいるもんである。
重症の精神病の人ももちろんいるし、絶対に良くなりたくない人も少なからずいる。良くなりたくないからといっても、さらに悪化させさせたり、自殺に陥れても良いわけではもちろんない。
かつては、精神病院など自分から行く所ではなく、無理やり連れて行かれたり、やむを得ず従って行く所であったが、その頃の方がまだマシだったと思う。病者の数が増えたのではなく、受診する患者が増えたのである。
新薬が出たとはいえ良い薬ができたわけではなく、かつてはほとんど行われなくなった電気ショックが復活し、禁止されていたロボトミーさえ復活しようとしている。
薬物では良くならないと認めたとしても、何等治療法もなく、悪化法がエスカレートするばかりである。反復性経頭蓋磁気刺激療法 rTMS や、脳深部刺激法 DBS
「良心的」で悪質であれ、現状の精神科や心療内科は、少なくとも健康や成長を目指す人が、行くような所ではない。
「天は自ら助く者を助く」
では、なぜ良い人、良心的な精神科医が、表面的には優しくとも、患者を向精神薬依存症、向精神薬中毒にさせ、病気を悪化させ、自殺に追い詰めたり、悪質なことをするのだろうか?
※続きはまた項を改めて書く予定です。

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