発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱

発達障害(誤診)-その1
発達障害(誤診)の拡大と混乱
今日、「うつ病キャンペーン」病気喧伝、即ち受診者(薬害被害者)の増加も頭打ちとなった現在、精神科医が遺憾なく無能さや有害さを発揮しているのは子供に対してである。
そもそも、職業として成立しないはずの児童精神科医と称する者もやたらと増えてきた。
悪しき「発達障害(誤診)ブーム」、発達障害喧伝は数年前から拡大し続けている。
もちろんこれを問題にせざるを得ないのは、言葉の使い方が間違っているばかりでなく、子供を犠牲にする悪質な精神医療過誤・向精神薬害問題だからである。
発達障害については前にも少し書いたことがありますが、ここで一応整理しておきます。
駄文なので整理にはなっていないかもしれませんが。
NHK クローズアップ現代 「子どもに広がる向精神薬の被害」
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発達障害(誤診)問題は言葉も非常に錯綜しており誤解も招きやすい。
ここでは、とりあえず、本来の発達障害を「発達障害」として、最近増えている精神科医や教師、児童相談所関係者等から発達障害とされている子供もしくは大人(敢えて言うならただの子供か精神的問題の大きい人、あるいは精神疾患(脳の病気ではなくPTSD)、を「発達障害(誤診)」とします。
ホントの発達障害に関しては別問題であり、精神医療の対象ではないし、当所の治療の対象でもなく、私自身も門外漢です。
そもそも発達障害というのは医学上すでに確立した概念である。
発達障害(誤診)は有害なだけでなく、これまでの医学に反しており医学を全く無視した間違いでもある。
発達障害とは具体的には、脳性麻痺、精神遅滞(知的障害・知恵遅れ)、ダウン症、(ホントの)自閉症、重度心身障害、二分脊椎などのことであり、殆どは遺伝や周産期のトラブルの後遺症であり、多くは中枢神経障害でもあるが、基本的には精神疾患ではなく、精神疾患はは発達障害には含まれない。もちろん併合することはある。
基本的には発達障害は養育訓練やリハビリの対象であり治療の対象ではない。
リハビリも広義には治療ということになるが、病気・疾患そのものを治すという意味での治療と言う言葉は当てはまらない。
私の長年の親友には、発達障害(ホントの)リハビリ分野では第一人者がいて、しょっちゅう会っているので発達障害について話を聞く機会は多いし、私自身もボランティアで介助などしていたこともあるし、発達障害児施設に数か月いたこともあります。
元々はリハビリ系なので多くの発達障害児を見ていますが、治療の対象として関わることは今後もありません。
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精神疾患は常に精神発達上の問題でもあるので、発達障害(誤診)と言うのは一見正しい見方で、悪いことではないように思う人が多いかもしれませんが…
精神科医や(養護学校ではなく一般の小中学校の)教師が発達障害(誤診)と言う場合はほぼ全て間違っており、反精神医療派の人でさえその間違いを踏襲し誤診の陥穽に囚われている人が多い。
障害とは疾患そのもの病気そのものは治らない、ということでありそれを受け入れた上での対処が必要だということです。
スキーで骨折しギプスを着けて杖をついている者はケガ人であって身体障害者とは言いません。
精神障害という言葉も本来望ましい言葉ではありませんが、かつて長らく精神医療の対象の殆どは重篤な精神分裂病であり、治らない(精神科医には治せない)ことを既定の事実とした上で広まり一般化したわけです。
日本でバイクと言えば、かつてはエンジン付のオートバイ、カブやスクーターなんかのことで、今もそうした言い方はしていますが、最近は自転車のことをバイクと言うようになりました。
(ホントの原チャリ、原動機付自転車を知ってる人はかなりの年輩ですね)
それで特に混乱も問題もないし、米国ではバイクといえば昔から自転車のことなので、むしろ訂正したことになります。要するに二輪車ということですから、いずれにしても間違いではありません。
机のことを椅子、椅子のことを机と言ったとしても(そのような使われ方をすることあるし)、多少の混乱はあっても人の勝手で、机に座って椅子の上のメシを置いて食べたって大して害はありません。
机が木製だとしても植物に分類し、水や肥料をやって、もっと高くしようとする愚かな人はいませんね。
しかしそれ以上に愚か、奇妙でかつ甚だしく有害、危険、被害甚大なことを行っているのが子どもに対する精神医療の現状です。発達障害・誤診蔓延と向精神薬漬け。
もちろん治療ができるなら、あるいは発達上の問題を克服するための援助ができるのなら,大いに精神医療はどんどん拡大すべきです。程度はともあれ、いかなる人も精神疾患という面はあります。
しかし現状では子供に対する精神医療は甚だしく有害、危険でしかありません。
例によって話がくどくなりましたので、ここで整理しておきますと。
・認識、行為の誤り:精神科医や教師、毒親など
 発達障害(誤診)は脳の病気として子どもを薬漬けにする。
・言葉遣いの誤り:一般の人や一部の反精神医療派の人など
 精神発達上の問題に対し発達障害(誤り)という言葉を使う。
もちろん前者の方がはるかに悪質ですが、後者も絶対に訂正すべきです。単なる間違いでは済まされません。
子どもを被害者とした犯罪的「医療」行為に加担し、精神医療過誤・向精神薬害の拡大、増長させることになるからです。
 反精神医療派の一部の人は、発達障害なんてないと言うけど、前述のとおり、もちろんホントの発達障害はある。自閉症は社会毒の影響などと言うのは矛盾している。それがないというのではないが、別に自閉症が増えたわけでもなく昔から多いし。
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なぜ発達障害(誤診)が広まったのか?
ここ数十年で特に新たな精神医学上の発見があったわけでもないし、新しい種類の精神疾患の発症があったわけでもありません。
典型的な「統合失調症」や「うつ病」などはむしろ少なくなり、精神疾患は多様化したという面もありますが、それも表面上のことです。
精神疾患の子供が増えたわけでもなく、発達障害(誤診)という言い方は誤診であるばかりでなく医学的にも定義上間違いです。
専門用語は定義されており、その定義から著しく外れている物事に対してその言葉を使ってはいけません。誤解や間違った対応を広めるからです。
精神分析は廃れたが、学問としての精神医学の中で、特に何かの変化があったわけではなく、誤診、誤解、混乱が広がり、子供にまで大いに精神医療の被害を広げてしまったということです。
悪い意味で精神科の敷居が低くなり、受診者が増え、うつ病キャンペーン、病気喧伝は既に頭打ちとなり、発達障害(誤診)すなわち脳の病気とすることで、その対象を子供に向けて拡大し、被害も拡大しているわけです。
「心の時代」と言われるようになり「スピリチュアル・ブーム」はあっても、精神医療の世界では口先だけで、うつ病は脳の病気という根拠のないウソがばら撒かれ薬害が広まり、心の問題ははないがしろにされてきました。
何と!生後数か月の子供さえ、発達障害(誤診)とされ、薬漬けにされている例も少なからずあるらしい。
そんなに子供に薬を飲ませたいなら、自分の子供に飲ませればいいじゃないか(そんなことできるわけないだろ!)」という人もいるけど、実際に自分の子供に向精神薬を飲ませて発達をデザインしたいなんていう、とんでもない精神科医もいるらしい。もちろん結果は目に見えている。慢性薬物中毒、中枢神経障害者だ。
昔、自分に生まれたばかりの子供を預けてもらえば、芸術家にでもスポーツ選手にでも学者にでも宗教家にも、いかようにでもしてみせる、と豪語して顰蹙をかいまくった心理学者がいましたけど。
もちろん結果は目に見えてる。精神病、PTSD・心的外傷後ストレス障害である。
フロイトの症例にもそういう人(の子供)がいたな…。
シュレーバーだっけ? ねずみ男? 忘れたけど。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と提唱した毒オヤジのスパルタ教育で息子2人は精神病になった。
世知辛い世の中になり、子供をとりまく環境も大いに変化し、要求されることも多くなり、子供も多くのストレスにさらされるようになったとは言えますが、過保護で甘やかされている面もあります。
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かつては児童精神科医という職業は成立しなかったし実際にほぼ皆無であった。なぜか?
そもそも精神の発達や成長とは子供が様々な精神病的・神経症的問題に陥りつつそれを克服していくことである。
従って、多少の神経症的問題は発達上の必要なプロセスでもあり、治療の対象にはならないし、すべきでもない。
もちろん精神医療に治療はできない。
そのある段階で優位な神経症的もしくは精神病的な状態に戻って、そこから抜け出せなくなっているのが精神疾患の症状である。(悪性の退行と固着)
逆に良性の退行により健康的な精神を取り戻すことが治療にもなる。子どもの頃は精神的には健康的なものである。神経も生き生きと働いている少なくとも殆どの人は大人になってからよりも。
一見、異常にあるいは奇妙に見える、病的で重篤な精神疾患といえども、普通の人に全くないことを症状として呈しているのではなく、程度や時期や状況の問題であるともいえる。
これを理解している人は精神科医に限らず殆どいないが。
優れた天分を持つ人が、若い頃から純粋に深く苦悩すれば精神的な危機に陥るのはむしろ当然であり、優れた業績を残した芸術家や学者、思想家などは殆どそうだと言っていいくらいで、枚挙にいとまいがない。
またそれを乗り越えることを通さなくてはそうした才能・能力は開花、実現しないだろう。
中高年のうつ病なんていう人の苦悩と同じようなことを10代の頃から、とっくに先取りしているわけで、まだ若いのでそれなりに元気はあり、典型的なうつ病みたいにはなり難い。
そうした若い人も少なくなり、芸術家や学者なんかも小ぶりな人ばかりになった気がする。中高年の「典型的なうつ病」も殆どいなくなったと思う。苦悩することは目先のことや自分とせいぜい周辺のことばかりか…
♪ドブに落ちても根のある奴は~ いつかは蓮の花と咲く~♪

ドブもなくなったけどな。花が咲かなくても悪い人生とは言えないが、薬漬け廃人ではそうも言えないだろう。
感染症にもならなければ免疫がつかないので健康でもありえない。ということは精神的な病気や健康についても言える。
純粋培養で育った人間は保育器から出せば途端に病気になる。現実にはありえないけど。
強迫神経症になってはいけないが、何事かを成し遂げるには強迫性も必要である。
不安や恐怖を積極的に持たない人間は、トラブルやリスクに対する認知能力も対処能力も身につかない。幼児の頃なら大人が守ってあげればよいだけかもしれないが、いつまでも過保護は子供をダメにする。
また「神経症的能力」を身につけてそれを生かすことも発達において必要なことでもある。
強迫的能力を持たない者は、一廉のことを身に着けたり成し遂げることもできないだろう。
皆が好きな受験戦争に勝ち抜いて一流大学に入ることでさえも、強迫的、完全主義的学習能力が必要である。
強迫神経症の人は強迫観念や行動が問題というよりも、それが有用なことには生かせず無駄で有害なのが問題だろう。それなりのことを達成する人もいるが、自分や他者に有用な強迫行動はむしろ乏しいことが多い。
不安もしくは恐怖神経症の人は無用な不安や恐怖に憑りつかれていても、持つべき不安・恐怖はむしろあまり持たず、そのための対処能力が低いのが問題だろう。強迫神経症の人は強迫的になるべきことではあまり強迫的にはならない。単純化していえば。
但し、もちろんそれも理由があってのことであり、基本的には現在のことではなく過去(主に幼児期)のことに反応、影響されている。
また、ほぼ健全な発達といえども、子供は不均等発達するものであり、同年代の子供より著しく劣っている面があっても、少なくとも一時的には普通である。
必要なことは「普通の適切な養育者の対応や教育」であり、もちろん薬や精神医療ではない。
多くの場合、年齢が進むにつれて「発達凸凹」は目立たなくなる。(これも精神科医や教師や毒親が使うし基本的な認識の誤りを伴っているのてあまり使いたくない言葉だが)
数学など天才的な能力を発揮する子供もいるが、簡単なこともなかなかできない盆暗もいる。しかし、そのような勉強嫌いの子でも、小学校高学年ともなれば掛け算割り算ができない子は殆どいない。
因数分解などとっくに忘れた大人は多い。それができなければ微分・積分もできないはずだが。
連立方程式さえ忘れた大人も多いだろう。殆どの人には日常的には必要なく、必要なら身に着ければ良いだけだ。
大器晩成なんて言葉はもはや殆ど死語ではないだろうか?
昔は手のかかる子供の方が可愛いなんて親も教師も良く言ってたものである。
確かに虐待は増えたし、(暴力や遺棄など)犯罪的な虐待の範疇には入らない、精神的虐待は元々多かったし、それは傍で見ていたとしてもわかり難い。
あまり使いたくない言葉だが「毒親」としか言いようがない人は、昔から少なからず存在した。
そうした場合、子供の方は青年期以降、重篤な精神疾患に陥ること必至だが、子供の頃にはむしろ問題は表面化しない場合が殆どである。
親は自分の育て方は問題なく、むしろ良かったはずだと正当化する。
「他愛的な子供は身を亡ぼすのが常である」、「手のかからない良い子ほど危ない」そうした子供こそ後に重篤な精神疾患になったり問題が起こりやすい、などとはよく言われていたことである。
前項でもココにそうした例を挙げておいた。
「ある同級生(統合失調症)」
仮に将来重篤な精神疾患に陥ることが分かった子供がいたとしてとしても、精神科医にできることはなく(せいぜい優しくお話を聞いてあげる位か)、むしろ無自覚に親と一緒に抑圧し、精神的虐待のお先棒を担いだり,増長されてしまうのがオチである。
かつては実際にはそういう子どもが、発症以前に精神科を受診することはほぼ皆無であり、受診しても精神科医にできることは全くないし、発症してから受診してもらうしかなかった。
(といってもやはり薬漬けだったが)
向精神薬は必要悪ではあっても良くなるわけではない、という認識は当然で、まして予防に使えるものでは到底あり得えずそんな発想をする愚か者は精神科医と言えども皆無であった。
ベンゾ系安定剤の有害さについてもそれなりには知られており、大して効果がないこともわかっていた。
実際に神経症的問題で精神科を受診しても、多少のことは「あまり気にするな、誰でも多かれ少なかれはある」などと言って帰すことが多かった。
従ってホントの発達障害でも、発達障害(誤診)でも児童精神科医の出る幕などない。
ふた昔位前のまともな精神科医には、そのくらいの理解や分別はあったのである。
今の精神科医を教育・指導したのはそういった先輩精神科医ではなくではなく、製薬会社の営業の人である。
(教育というより洗脳であるが。)
今はプロパーではなくMRって言うのか?何の略だ?
脳の伝達物質云々は実際にあっても原因ではなく結果である。なるべく原因に近いところで治療を行うのが当然であるが、いつの間にか精神医療に限らず医療の常識ではなくなってしまった。
エビデンス主義は本質的治療よりも目先の利だけの追及となり、対症療法自体が医療の目的化した。
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児童精神科医が出始めたのは、摂食障害など比較的早く発症する例が増えたのがきっかけであろう。治療ができるわけではなくとも栄養補給などとりあえず医療的な必要な面はあった。
不登校が問題になり、多くの場合は神経症的問題を抱えているのも事実であった。後に触れるがこの傾向は今は随分違ってきている。
それでも我々が若い頃は児童精神科医を自称するものなど数えるほどもいなかったのである。大人の神経症でさえ基本的には精神医療の対象外で、実際に受診する人も殆どいなかった。
しかしここ数年、自称児童精神科医も雨後の筍のように増え、精神科医と言えば猫も杓子も発達障害(誤診)と言い出し、子供まで餌食にして薬害を広めるようになってしまった。
発達障害(誤診)拡大は虐待やいじめなどの問題から目をそらし、見て見ぬふり、否認するためでもある。 実際にADHD等、発達障害(誤診)とされている場合、精神的虐待であることも多い。いじめも大人の目から隠れて行うことが多いので見過ごされやすい。
向精神薬は控えめ、カウンセリング、精神療法と言ってもそんなことが精神科医にはまともにできるわけではなく、薬漬けのためのアリバイ作り、口実づくりでしかない。
薬は使わないずに治療の努力をしてきましたが、やはり発達障害(誤診)遺伝の脳の病気なので薬が必要です、というわけです。
服薬すれば一時的には「効果」のある場合も一部はあるので、受診が必要だと錯覚してしまう。もちろんその「効果」さえ長く続くことはない。
子供にって向精神薬は脳破壊薬でしかない。もちろん大人にとっても同様だが、まだ脳が発達途上にある子供に対する有害さ危険性は桁違いに大きく、結局の所、薬漬け、ホントの障害者(薬害性の中枢神経障害)にさせてしまう。ハッキリ言ってしまえば化学的虐待である。
親や教師、臨床心理士や心理カウンセラーでさえ本来の役割を放棄し、有害さしか発揮しない危険な児童精神科医に丸投げ。
悪いのは教師ではなく学校の責任ではなく、もちろん親の育て方や家庭環境でもなく、子供が悪いのでもないけど、問題は子供の脳の病気・発達障害(誤診)だというわけです。
学校、教師、親と精神医療の間に現実歪曲空間が形成され、子供はそこから逃れることができない。
モンスター・ペアレントという言葉も殆ど死語になりつつあるようです。「毒親」という言葉は今でも患者は良く使うけどタブーかな。あまり良い言葉ではない。毒親もそうならずをえずなるべくしてなっており、被害者でもあり自分では直せないのだから。
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既に被害甚大だが、まだまだ被害の拡大はこれからである。
というのは、発達障害(誤診)ブームはもうすでに何年も前から激しい勢いで拡大しており、何と!児童精神科医を受診するだけでも半年待ちだったりするからである。
教師などから受診を勧められても(というより強要されても)まだ未受診の子供も多く、既に精神医療の毒牙にかかった子供は全体から見ればそれ程多くはない。
自殺者の数は(反精神医療派のおかげで)近年は僅かながらも低下しているのに、若い人の自殺が増えているのはそれが要因もである。SSRIによる賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームも若い人の方が起こりやすい。
酒でさえ全く悪いとは言わないが、徐々に脳を破壊させる。我々くらいの歳にもなれば、ほぼ毎日飲んでる人と、飲まないかもしくは時々しか飲まない人とでは随分差が出ている。
やはり前者は身体の病気にもなっているが、酒が明らかに脳に悪影響があることがわかる。精神科医や一般の人、もちろん本人には特に、にわかり難いが。
なぜ子供に酒を飲ませてはいけないのか。向精神薬よりは酒でも飲ませた方がまだましだが、さすがに子どもに酒を飲ませるバカは滅多にいない。
このままの勢いだと、普通より健康的な子供でさえ発達障害(誤診)とされ、殆どの子供が発達障害(誤診)とされてしまう。
不健康な子供より、むしろ子供らしく素直で健康的な子供の方が発達障害(誤診)とされる傾向さえ既に起こっている。
そういう子が生きにくい時代だという背景はあるにしても。
Sさんの子供も学校で発達障害(誤診)扱いされて、教師に精神科の受診を勧められたと言ってたな。
「うちの夫は精神科医なんですけど」
結局の所、アクチベーションシンドロームによる自殺を免れて命が続いたとしても,障害年金や生活保護をもらって廃人的障害者の人生か。
そうなると、もちろんそれを支える人も必要である。税金、保険料も上がるばかりだ。
まともな医療が行われているなら消費税の増税など必要なかったはずである。もしくは税金は上げても保険料は下げることができるはず。
「このままだと、この国は医療で潰される」ある医療ジャーナリストの言、決して大げさではない。
「子どもを精神科医に近づけてはならない」
この項、続きは…、こちらをご覧ください。
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン

最近になってようやくこんな記事も新聞に載るようになりました。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意(朝日新聞)
 医師から処方された睡眠薬・抗不安薬を飲んでいて、薬物依存になってしまう患者がいる。薬をやめられなくなったり、やめた後に離脱症状が出たりして、苦しんでいる。広く使われている薬だが、量を減らす試みも始まっている。
 長野県松本市に住むウェイン・ダグラスさん(47)はニュージーランドから1992年に来日し、英語教師や国際交流の仕事に携わっていた。日本語が堪能で、仕事は順調だった。
 2000年にめまいの症状が出て、耳鼻科にかかった。脳の病気と診断され、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を処方された。この薬は不安、不眠、抑うつといった症状がある患者に、広く使われている薬だ。
 飲み始めると、めまいは落ち着いたものの、2カ月たたないうちに体のふらつきが起きた。4カ月後からは強い不安に悩まされた。
 仕事を続けられず、01年にニュージーランドに帰国。ベンゾジアゼピン依存症と診断された。薬物中毒治療専門の医師を受診し、薬の量を少しずつ減らしてゼロにした。しかし、断薬後も離脱症状に苦しんだ。
 ひどい不安感や情緒の不安定。光を異常にまぶしく感じ、テレビを見られない。体に力が入らず歩けない。断薬して1年間で多くの症状は消えたが、突然の不安感は10年ごろまで続いた。「依存症は生き地獄。希望を失う人もいる。離脱症状の適切な治療を受けられる施設が必要です」
 神戸市の40代男性も、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の離脱症状で苦しんできた。社会不安障害と診断され、09年まで4年半、医師の指示通り飲み続けた。やめた2日後から、異様にまぶしい、目が痛いなどの症状が出た。医師に相談すると「離脱症状の可能性がある」と言われた。今でもまぶしさや、まぶたのけいれん、筋肉がぴくぴくする症状があるという。
 ベンゾジアゼピンの常用量依存とは、医師が治療のために処方する常用量でも長期間使うことで薬の依存が起きる状態を指す。8カ月以上続けるとなりやすいという報告もある。薬をやめると離脱症状として不安や、不眠、発汗、けいれん、知覚過敏などが出ることがあるとされる。
■「自己判断で中止は危険」
 杏林大学の田島治教授(精神保健学)によると、欧米では1970年代以降、ベンゾジアゼピン系薬による依存や乱用が問題になり、英国では処方日数が制限された。「日本で長期に漫然と使われているのは問題。医師が依存をつくっている」と指摘する。
 田島さんは薬をやめられない患者や、やめた後の症状に苦しむ患者から相談を受ける。1年以上かけ少しずつ薬を減らしてやめた人もいる。「急にやめると離脱症状が出る。患者の自己判断でやめてはいけない」
 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部の松本俊彦室長らは、精神科がある全国の病院を対象に、薬物関連障害の調査を2年ごとに実施している。原因の1位は覚醒剤、2位は有機溶剤が定位置だったが、2010年に、それまで3位だった睡眠薬・抗不安薬が有機溶剤を上回って2位になった。全体の17・7%を占め、この薬による依存は珍しい問題ではないという。
 薬の量をなるべく減らそうという動きもある。
 東京女子医科大学病院では、ベンゾジアゼピン系薬を処方されている患者数が一昨年の8588人から昨年は7054人に約18%減った。医師と薬剤師が対策に取り組んだ結果だ。
 ベンゾジアゼピン系睡眠薬・抗不安薬の作用や副作用、薬以外の対処法を知ってもらおうと、患者向けの冊子をつくって薬剤師が配った。医師や薬剤師が参加する勉強会も開いてきた。
 東京女子医大の稲田健講師(精神医学)は「患者は副作用に気付いていないこともあるので、情報提供が大切だ。薬をやめるときは1年で半減するくらいゆっくりとです」と説明する。
 厚生労働省は薬の使い過ぎ対策に乗り出す。1回の処方で抗不安薬を3種類以上出した場合、医療機関に払われる診療報酬を減らす改定を10月から実施する。(編集委員・浅井文和)

画像

まったく今さらです。
我々は何十年も前から、睡眠薬、抗不安薬(精神安定剤)の依存性、危険性は指摘してきた。もちろん他の向精神薬の問題も。
医者でも薬剤師でも薬の専門家でもないし、薬のことは見るも聞くもおぞましく、特に勉強したことも無い。
当たり前のことを言ってただけである。
もっとも、昔はむしろ脳病派精神科医でも多くの場合、薬にそうそう肯定的ではなかった。
そもそも服用しなければ、副作用(作用)もないし、依存もしないし、止める必要もなければ離脱症状、後遺症で苦しむこともない。当たり前ですね。
ベンゾ系が日本で普及したのは60年代の後半だったか?
数年を経た70年代初め頃には、既にベンゾ系の精神安定剤、睡眠薬の耐性や依存性、有害性・危険性は問題になっており、俺も中学1~2年の頃だったか、新聞だったか、立ち読みした雑誌か書物だったか忘れたが、同様の記事を読んだ記憶がある。
当時は不安だの不眠だので精神科に行く人は少ないが、内科医等に睡眠薬を処方されることも多かったものと思われる。今もそうだが。
人体実験の結果も何年かすれば徐々に明きからかになってくる。当時は重症な精神分裂病でもなければ基本単剤だし。
よく精神科医は無謀な人体実験をしていると言われるが、単剤ならともかく多剤大量処方では人体実験にもならないのである。
動かして良いパラメーターは1つだけ、仮説の上に仮説を積み重ねてはいけない、というのは科学実験の基本中の基本である。私は文系だしもちろん実験など昔からやらないけど。精神医学は科学であるにしても、実験科学ではなく観察科学である。そこを徹底すべきであるが、医学者は科学といえばガキの理科の実験みたいなのしか知らず、それ以外の概念はほぼ持っていない。
もっとも、とっくの昔にわかりきっていることを実験などする必要はない。
やはり同じ頃、70年代の初めだろうか、「今日では、睡眠薬は『安全性の高い』新世代のものに置き換えらており、○○○○という旧世代の睡眠薬は、たいへん危険で、耐性も強く、依存性が強いため、新たに処方されることは殆どなくなったが、古くから服用している依存症患者が多いため、やむなく現在も生産、処方されている」という記事も読んだことがある。
その薬物の名前は失念していたが、今から考えるとたぶんベゲタミンのことだろう。
致死量が低く非常に危険なバビルツール酸が含まれており、危険性を弱め効果をあげるためだろうか、合剤になっている。
それから40年以上も経っているのに、ベゲタミンは今日でも睡眠薬、抗不安薬としても未だに広く用いられており、ベンゾ系の耐性がついて効かなくなった場合も処方されているようである。
70年代当時、朱理エイコという実力派歌手がいたが、もう10年ほど前にベゲタミン中毒で亡くなっていたことを最近知った。もちろん、活躍していた頃は、まだ睡眠薬など飲んでいなかったはずだ。
晩年は身体ボロボロで何度も生死を彷徨い、長期入院の末、まだ50代の若さで亡くなったという。
私は既に薬物問題は知らないわけではなく、やっぱりそうか、そんなの当たり前だろ、とも思ったが、自分たちは文明国、文化的な社会にいるつもりが、実は随分野蛮な世のかなに生きているんだなと思った。
大人は信用できないとも思った。中二ですから。永遠の中二病か?
資本主義の矛盾についても激しく考えざるを得なかった。
私は学校の勉強はほぼ全くせず、特に暗記するのは大の苦手だったが、その分かどうだか、そういうことはけっこう覚えている。
皆も新聞くらい読んでいのだったら知ってたはずだ。
フロイトを読んだのはもう少し後だと思う。向精神薬のような野蛮なモノは我々が大人になる頃にはとっくに廃れるだろうと、希望的観測をもっていたのだ。
上で「野蛮」という言葉を使ったのは、当時もそう思ったからであるが、学校で見た映画『父ちゃんのポーが聞こえる』の影響である。
映画の中では難病に冒された主人公(吉沢京子、中学生)が徐々に悪化し、結局亡くなってしまうのだが、主人公の父(小林桂樹、蒸気機関車の機関士)の同僚(藤岡琢也、機関助手)が、治療もできず悪化していくことを嘆いて、「医者も病院も信用できないね。野蛮だよ!月に石を取りにいく時代なのに、日本は野蛮国だよ!」と言うシーンが印象に残っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=hLM_KRxMgmM
https://www.youtube.com/watch?v=kLR0e5shTOM
勉強はしないので、そういうことも良く覚えている。
医者も病院も病気の治療ができないならまだしも、悪化させ、さらに別な病気を加えたり、死に追い詰める現状を「野蛮」と言わずして何と言うか?野蛮なんてもんじゃないな。
現在でも優れた抗不安薬、精神安定剤や睡眠薬など開発されてはおらず、相変わらずベンゾ系はバンバン処方されている。
抗うつ剤は新型になりSSRIができたが、良くなったわけではなく、作用の範囲が狭まり、見かけ上の初期の副作用が減っただけで危険性は高まった。
精神科医がベンゾ系の睡眠薬や精神安定剤が安全だというのは、昔のバビルツール酸など、1粒天国、2錠で地獄、3粒飲んだらあの世行き、といった睡眠薬に比べて、ということである。
昔の睡眠薬は有名作家が自殺に使ったり、吉永小百合なんかも昔の睡眠薬で浜田光夫と心中したり、自殺したりでスクリーン上では何回か死んでるはず。
ベンゾ系を飲んだだけではそう簡単には死ねず、身体ボロボロになって身体病で死ぬまで飲めるらしい。もちろんオーバードーズで死ぬこともあるし、脳が一発でパーになってしまうこともある。
稀には短期少量でも死ぬ人もいるし、かなり大丈夫な人もいないことはないが、危険極まりない。
精神科医は「薬は安全、うつ病は薬で治る」などと、人を騙しているうちに自分の嘘にも騙されてしまった。患者だって医者やマスコミのいう事を鵜呑みにして、悪意はないとはいえ他の人をだましたり、加害者側になってしまった人も少なからずいる。
ベンゾジアゼピン中毒、依存症やベンゾジアゼピン離脱症候群はありとあらゆることが起こりうる。
とうていここでは書けないので、とりあえず、ウィキペデア等でも調べて欲しい。
諸外国では2~4ヶ月で禁止、何年も処方するのは日本と韓国くらいだと聞いたが、私見では効果があるのはせいぜい1ヶ月位で、その後はむしろ逆効果になり、もちろん止めるのは余計苦しくなる場合が多い。もちろん効果があったからといっても良くなっているわけではない。
では短期、少量、短剤ならいいか?
覚せい剤だって違法性は別としても、短期少量、お試し程度なら良いとはとても言えない。
睡眠薬は気絶させるように意識障害を起こさせて眠らせている、とも言われている。
そこで脳波を持ち出して反論するのは愚の骨頂精神科医である。
薬害を正当化したいのだろうが、それ以前に受験勉強のやりすぎで脳がバカになってる。
睡眠薬で寝ても、どう見たってまともな睡眠ではない。
激しい鼾をかいて、このまま放っておくと、呼吸や心臓が停止して死んでしまうのではないか?と周囲の者はドギマギしてしまうのに、当人は「自分は寝ていない、意識はある」と言ったりする。
ずっと飲んでいれば逆効果になるばかりではなく、止めても不安は後でまとめて襲ってくるし余計に眠れなくなるし、筋弛緩作用があるはずだが、それももちろん続かず肩こり等もひどくなる。
克服できないまでも、対抗しよう耐えよう何とかしようとさえしていない、しなくなってしまうのだがら当然である。
さほど長期でなくとも目が見えなくなってきたり(緑内障にも白内障にもなる)、重度の身体障害者になった人も何人か診たことがある。
40代前半で、お婆さんのようにしか見えない人も診たことがある。
自分は歳の割りに見た目も若々しく活動的で社交的、積極的で、誰からも羨まれなどと言っていたが、おそらく嘘ではなく、よほど悔しかったのだろう。もちろん見た目だけでなく、身体もボロボロは言い過ぎかも知れないが、老人病満載である。
わずか1年半ほどのベンゾ服用で、あっと驚く玉手箱!2~30歳も老け込んでしまった。
短期で耐性がつき、睡眠薬中毒で1年半も寝ていないという人も、1日1時間も寝れらないと言う人も。
寝ていても意識はあるとか、日中も眠気があてっボーっとはしてるのだろうが。
そういう人も当所では施療中に寝てしまうことが多く、「(ポンポンと肩を叩き)、ダメですよ、寝ちゃ」って起こすけど。
えっ!何で寝たのかしら??!って驚愕していたが。もちろんリラックスしたからではあるが。
催眠は眠ると言う字を使うけど、眠ったら何もできないですから施療中に寝てはダメです。起こしますけど。
急に断薬せず、カミソリで削りながら微量調節して減薬しても離脱症状は激しく苦しい場合が多いようだ。
ベンゾジアゼピン依存症について書いた、アシュトンマニュアルが有名だが、やはり賛否両論あり、そうそう当てにするわけにはいかない。
「医師が依存をつくっている」と一時は指摘していた田島治は、今も薬物を大いに推奨しており、依存をつくり続けているようだし、あらゆる精神疾患はPTSDだというのも確かだが、今となっては殆どの患者は薬物依存症、慢性薬物中毒、薬害性の中枢神経障害を合併しており、元の病気は軽症なのに、合併症が重篤である人が多い。
医原病を合併症というのは妙であるが。
向精神薬のようなあまりにも危険な薬物は処方薬にせず、市販薬にしろ、と言った人がいるが大いに理のあることではある。それも危険だが、被害に遭うのは一部の愚か者だけで済むだろうから、ここまで被害は広がらなかったはずだ。
医者に言われりゃガソリンだって、青酸カリだって飲むぞっ!なんて人もいないだろうに。
精神科医を信用することが依存であり、向精神薬や精神医療に対する依存はそれ自体が健康の放棄である。
医者の処方どおり飲めば安全で、そうでなければ危険なんて魔法の薬があるわけはない。
むしろ精神科医が出せば小麦粉でも危険だ。ホントに。
精神疾患について、殆ど間違った診断、見方や対応しかしないから。
プラシーボはあるにしても、結局の所、逆効果になる。
ビジネスに被害者はいない。いるのは勝者と敗者だけだ。
ビジネスマンはよくそういうことを言うようだが、精神科医でそういうことを言う人はいない。
それは既に徹底しきっており、いまさら言う必要もないどころか、あまりにも当たり前で自覚さえしないからである。
ビジネスマンは一応は法規制など社会的ルールを守ること、コンプライアンスが前提だが、精神医療は治外法権みたいもので、普通なら犯罪とみなされることも医療の名の下に何でもアリだ。
今の所、産業社会、資本主義社会においてにおいて、精神医療かかわる製薬会社や宣伝会社、大手コンサルティングや精神科医は最強の勝ち組であろう。資本主義の論理、倫理にあまりにも忠実な模範的経済活動である。
そりゃ、疾患喧伝で需要を喚起し、病気が良くならなくて悪化してずっと病院に通えば、一番儲かる。生かさぬように殺さぬように、訴訟問題等起こってもそれは経費のうちに織り込み済み、暴動でも起こらない限り痛くもかゆくも無い。
医療過誤とは言え、被害者は誰もいない?!死んだ人は暴動も訴訟も社会運動も起こさない。
もちろん、医者の言うことを聞いたら、楽に止められるわけではもちろんなく、適切な減薬・断薬の指導ができる精神科医や薬剤師も存在しません。
それができるくらいなら、最初から向精神薬等飲ませるわけはないし、適切な減薬・断薬の指導などそもそもありえない、飲むのも止めるのも危険だから危険な薬なのであります。
「精神科医に近づけば命の保証はない」 確かに。
「自己判断で中止は危険」なのは事実ですが、おそらく殆どの場合、医者の判断で中止はもっと危険でしょう。
酷な言い方になってしまいますが自己責任、自己管理せざるを得ないのが現状かと思います。
もちろん飲み続けるのが危険なのは言うまでもありません。しつこいですが。
当所は精神疾患の治療をしており、ベンゾジアゼピン依存症、薬物中毒、離脱症状症状、後遺症等、中枢神経疾患の治療をしているわけではありません。また、医師でも薬剤師でもなく、民間療法家、プロのセラピストですので、減薬・断薬指導をするわけにはいきません。
断薬して落ち着いてから受療することが望ましいのですが、良くなってきてから減薬する方でも、減薬はしやすくなりますのでぜひお越しください。
よく眠れる方法も教えますけど、やはり不眠症の上にベンゾジアゼピン依存症、慢性中毒症を合併している人は難しくなります。

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統合失調症の薬服用で21人死亡 ヤンセンのゼプリオン(精神医療過誤・向精神薬害)

『統合失調症の薬服用で21人死亡 ヤンセンのゼプリオン』
2014年4月18日00時25分 朝日新聞DIGITAL
 厚生労働省は17日、統合失調症治療薬「ゼプリオン水懸筋注」(ヤンセンファーマ社)を使用していた21人が死亡したと発表した。因果関係はわかっていないが、厚労省は同社に対し、使用上の注意を改訂し、医療関係者らに注意を呼びかけるよう指示した。
 厚労省と同社によると、「ゼプリオン水懸筋注」は昨年11月に販売を始め、使用した患者は推定約1万900人という。死亡例のうち、詳しい情報が公開された14例の死因は心筋梗塞(こうそく)や多臓器不全、肺炎などで、半数はわからなかった。12例はほかの抗精神病薬と併用していた。使用してから死亡するまでの期間は3~107日だった。
 同社は、抗精神病薬との併用を控え、ほかの薬から切り替える際には用法・用量を守るなどの注意を呼びかけている。84の国と地域で承認されているが、発売から短期間の死亡例は報告されていないという。

統合失調症治療薬「ゼプリオン水懸筋注」に関する安全性速報(ブルーレター)の発出について 厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000043861.html
既にアリスパパさんのブログ『八咫烏(やたがらす)』でも詳しく分析されていますが。
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11821177669.html
実に氷山の一角に過ぎないです。
推定約1万900人のうち21人では、抗精神病薬服役者の死亡率としては、むしろ少ない!?
実際にはもっとずっと多いはずだし、徐々に表面化するのでしょうけど。
水懸筋注の効能は4か月も続くらく、まだ発売・使用されてから間もないので、これからもっと被害者も出てくる。
影響が無くなり止めても離脱症状も後遺症もある。
これだけでも相当危険性が高いと思われますが、場合多剤併用なので飛躍的に危険。
どれだけ死人が出ても不思議ではない。むしろ人間ってかなり頑丈だなと思ってしまうが。
お役所も製薬会社も精神科医も、むしろ、向精神薬はそんなには危なくない、死ぬのはほんの一握りだけ、安全管理は行われている、ということにしたいのでしょうか?
それでもこうした記事が、新聞社の中でも精神医療擁護派の朝日新聞に載るくらいだから、進歩はしているのでしょう。マスコミも精神医療過誤、向精神薬害は無視できなくなってきた。
このヤンセンのゼプリオンが使われるのは、もちろん利害もある。注射1本8万円だとか。
そりゃ医者はとびつくだろうな。
もちろん誰かが負担しているのである。
国民健康保険などもはや一般の自営業者が払えるような金額ではないのだが。
税金も上がったし。
抗精神病薬による中毒死が多いのは昔からわかりきった事実。
そもそも昔から、悪性症候群は短期に1%、殆ど死亡と言われていたくらいだし。
もちろん、もっと長く服用した場合の中毒死は、悪性症候群ということにならないだけで、長く服用したほうが当然、中毒死のリスクは高い。中止するのも、もちろん危険。
短期で死なない人は割に耐性があるということにはなるだろうが、それでも肝臓壊したりするし、もちろんずっと大丈夫というわけではない。
そういうことは本にも書いてあるし、医療関係者なら皆知っているはずだけど。
なぜ薬は安全といえるのだろう?
向精神薬による薬物中毒死は表面的にはそれとわからない場合も含めると、とてつもなく多い。
精神科病院の死亡退院率の高さ、不審死の増加などを見ればわかるが、その中に薬物中毒死が相当含まれているのは間違いない。直接的な死因が向精神薬中毒死という人だけでも年間万単位いるはず。
間接的に死亡の最も大きな要因が向精神薬という人は、それよりもう1ケタ多いのではないか?

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理研と小保方晴子さん、STAP細胞、精神医療過誤・向精神薬害と科学技術の未来など

小保方晴子さんとSTAP細胞に関しては当初から、そんなのできるかぁ?ホンマかぁ~ウソやろ!?往生しまっせぇ~と思った人や、虚言の臭いや胡散臭さを感じたり、何がリケジョだ女子力だ、と訝しく思った人も多かったのだろうけど。
小保方さん個人の精神病理や、組織や社会の集団力学、社会心理には関心が無いわけでもないけど、彼女を直接知っているわけでもないし。
母親とお姉さんが教育心理学者?だか、いかにもさもありなんではありますが。
当初からツッコミどころはいろいろあったし。
しかし、ここではそうしたことを問題にする気もないし、関心もないです。
彼女に対するバッシングに与したくもない。
彼女のことは精神科医の香山リカ(中塚尚子)や熊木徹夫が演技性人格障害、自己愛パーソナリティと言ったり、片田珠美が空想虚言症とか言っているらしいですが、「お前が言うか」、
精神科医は他人のことより自分のことを診断してもらって、お薬飲むか電パチでも受けて治療してもらうべきでしょう。
研究上の疑念が多いことや、結果が捏造かどうかは問題ではあろうが、それも問題にする気も関心もない。
もっと酷い論文などいくらでも存在する。
業績のための業績のための論文など、一般的にはごく当たり前である。特に医学関係は。
学問的価値のある論文なんてどのくらいあるのか?
少なくとも精神医学に関しては、皆無に等しいかもしれない。
個人的には得るものがないわけではないにせよ、読む価値もないので、昔はそれなりに読んだが、ここ20年以上ほとんど読んでいない。
彼女が間違えたり、仮にウソをついているとしても、可能性を見せたという意味では評価されてしかるべきかもしれないし、おそらく多くの教訓を残すだろうという意味では有益である。
まだまだSTAP細胞が確実作れるとは言えず、確実に出来るかどうかは今後も検証が必要である、とでもしておけば良かったのかもしれない。
卒業文集や博士論文まで引っ張り出されて、ちょっと気の毒ではある。
俺なんかは、知人の某医大元精神科教授に気に入られたのか、医学博士をとらせてやる、お前は書くの嫌いだろうから学位論文は書いてやる、教授たちは皆、後輩や教え子だから通せる、もちろん見返りはいらない、せっかく親切に言ってるのに人の好意は素直に受けなくちゃダメだよ、なんて言われたこともあるし。
今では考えられないことだが、20数年前のこと。
もちろん断ったが、とった方が良かったのか、とらなくて良かったのか?
そもそも向精神薬の研究・開発に関することなど、捏造やら収賄やら当たり前の世界である。言わば、腐りきった科学技術。
内部告発などで既に多くがバレているが、問題にしているのは一部の反精神医療派だけである。
STAP細胞の存在やら研究の捏造より、向精神薬の臨床研究や治験のインチキ、デタラメの方が、既に夥しい人の生死に関わっているし、はるかに大問題なのだが、ほとんど話題にもされない。
多くの人の命に直接かかわっていることだし、既に向精神薬の研究・開発、疾病喧伝は、既に多くの人の健康を奪い、多くの人命にかかわっており、計り知れないほどの被害をもたらしている。米国なんかでは既に多くの訴訟が起こってはいる。
(既に書いたように向精神薬害による中枢神経障害、中毒死、自殺や殺人衝動促進、《賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム》などなど)
そもそも向精神薬害など昔からわかりきっていたことだったのに、問題にもされず、問題化してからも殆ど無視されている。
うつ病は脳の病気、セロトニン不足なんて、仮説にもなっていないことがあたかも証明された事実のように言われており、その仮説らしきも既に否定されているのに、今も事実のように精神科医や患者の間ではまかり通っている。
そしてまた時折、思い出したように出てくる、うつ病の原因がわかってきたとか、遺伝子がらみとか、マウスの精神疾患モデルやら脳の血流だとか、ホルモンだとか、そういう「研究」は前にも取り上げたことはあるけど、あまりにバカバカしいのでここではやめておく。
そういうのはヤラセみたいなもんで出来レースだし、後で検証するとかそんなこともないし、論文そのものもまともに取り上げられることはない。
間違っていたとバレても、あくまで可能性ということで、お茶も濁さず終わりにすることになっている。
ホントに何か発見したなら、それこそノーベル賞もんだが。
そのノーベル賞自体も、当然いろいろ問題がありすぎで、精神医学の分野で受賞したのはあの、ロボトミーのエガス・モニス、60年以上経った今も取り消すべきだという反対運動があるらしいけど、そもそもノーベル賞なんてそういうものだろう。
もう多くの人が忘れているかもしれないが、確か佐藤栄作(安部の大叔父?)も平和賞をとったはずだったよな?幻だったか?
日本という国が受賞したのであって、彼はその代理に過ぎないと考えればあながちおかしいわけでもないが。
もっともSTAP細胞でノーベル賞がとれるなら、俺なんか10個くらいもらっても良さそうなもんだが。
いらねーけど、企業秘密だし。賞金だけ欲しい。
ノバルティス問題など、氷山の一角だが、むしろカモフラージュだろう。今問題になっているセプリオンも。
そういう問題は、あたかも例外であり、監視されており、野放しにされているわけではないということにするために。
ほどほどにしておけよ、という製薬会社に対する見せしめ、牽制の意味はあるのかもしれないが。
全ての科学研究者、技術者は“精神医療過誤・向精神薬害問題についてよく知るべきであり、以って他山の石とすべし”だろうが、それ以前に当然これを許してはならないはず。
独協医大、精神科医の井原裕さんは「精神医療批判は国民の義務」と言っており、去年の流行語にもなったが、科学研究者、技術者は特にその責を負うべきではないか。
STAP細胞が捏造だの何だのと言う人も。
向精神薬の関係者、精神科医など、学者・研究者、科学技術者の風上にも風下にも置けないはず。
義憤を感じ行動を起こすべである。
STAP細胞だの再生医療だのに、うつつを抜かしている場合ではねぇ!んである。

STAP細胞のおかげで医者にかからなくても、絆創膏を貼り付けるように、自分で、もしくは周囲の人の協力程度で有害性も無く治せるとかなら良いけど、んなぁこたぁねぇよな。
しかし、ここではそれは置いといて…(またの機会に書くつもり)。話がくどいのはジジイの癖だ。
ところで、STAP細胞であるが…
誤解を恐れずに敢えて言えば、それ自体が存在するか、もしくは将来的に存在しうるのかもどうでもいいことだ。
存在しなかったとしても、間違いは誰にでもあることだが、彼女が意図的、もしくは非意図的に人を騙しているとしたらちょっと面白い社会現象ではある。
医療が人の健康に貢献しているという面はもちろん否定できないが、多くの人にとって甚だ有害、危険なものにもなっててしまった。多くの人を死に至らしめている一方で、再生医療もないだろう。
とりわけ問題なのは、向精神薬の作用、賦活化症候群による自殺、殺人など自傷他害などの衝動行為、薬物中毒死など、精神医療過誤・向精神薬害である。被害者の数が桁違い、とてつもなく、なお拡大している。
早く対策すべきは、こうした精神医療過誤・向精神薬害対策などの有害、医療問題だ。話がくどいが。
今すぐできることもいくらでもあり、費用効果も絶大である。
有害医療を制限できれば、消費税など3%に戻してもいいか、あるいは10%に上げても保険料を下げれば良いはずだ。少なくとも財政面で有利、国民経済も潤い、景気が悪くなるのは医療関係だけだ。
彼女だけの問題ではないのも明らかなこと。理研発表のように彼女個人の問題だとしたら、周囲はそれを諌めることもできず、引きずりまわされたということになる。当然、科学者の権威もモラルも地に落ちる。理研や早稲田大学だけのことではない。
共同著者として名前を連ねるのは、研究を手伝ったとか指導したとかいうことではなく、学説に共同して責任をもつ、ということである。この点でも、一般の人だけでなく当事者さえ理解していないようである。
ちなみに私が手伝ったり指導した医学論文はいろいろあるが、名前を連ねた論文はない(実はほんの少しある)。分野も違うし、関係ねぇ。
彼女がウソをついていたとしても、虚言症が周囲やマスコミ、大衆を引っ掻き回しただけ。
マスコミは十分、稼ぎのネタにできただろうし、大衆は面白がった人も、勉強になった人もいただろう。
STAP細胞はホントに無いのかはまだわからず、これで終わるわけでないので、しばらくは楽しめるはず。
引っ掻き回しただけでも、学問研究に寄与したという面もあるかもしれない。
ウソ出鱈目だったとしても大して実害はなく、向精神薬害と違って、直接、大きな被害を蒙った人はいない。
理研、大学、リケジョ、マスコミなどの面目を潰した、人々の期待を裏切ったなどというのは問題外。
(あ、何か話がまたくどいな)
既に存在していた大事なモノを潰してしまったわけでもなく、なければないだけのことだ。
存在したところで応用、実用化、応用は難しいだろうが、それが可能かよりも、むしろできたらどうなのかが問題ではないのか。
まだ実現できないものを取り越し苦労することはない、とりあえずできることが必要、それから考えれば、という人も多いだろうが、世の中の流れとしては、できてからではもう遅いのだろう。
こうしたことはiPS細胞とて同じことであり、手放しで賞賛することなど、とうていできない。
「他人の為に、百年後の世の為に、少しでも何か役に立つことをしたい」
だったら、そんなことするか?
「数十年後とか100年後の人類社会への貢献を意識して研究を進めたい」
そういうこと考えてないからやってられるんじゃないか?
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昔から、そういうことを考えていたのだが。
小保方さんが「子宮をなくし、子供を産めなくなった女性を救いたい」と言ってたので、それを例にするけど。慢性関節リウマチで関節が崩れた場合でももちろん同様。
【そもそも、そんなことやる必要があるのか?】
ニーズがあるからやるべきとはもちろん限らない。
科学技術の目的は、欲望への奉仕、科学者や技術者は欲望の奴隷か?
ラカンが「あらゆる欲望は他者の欲望だ」と言ってたな。
再生を諦めろなどとはとうてい言えることではないが。
子宮を無くす理由はいろいろだろうが、無くさなくて済むにはどうしたら良いかを考えるべきだろ。
むしろそれが医学と言うものだ。
子供は諦めるとか、それを受け入れるというのも人生だろうし。里子、養子でもいいじゃないか?
選択肢が増えれば良いというわけでもないはず。
子供を生みたいからって、生めない人などいくらでもいる。独身者の皆が子供が欲しくないわけでもない。
子供を生んで育てることはエゴであってはならないはずだ。
それは多くの精神疾患の原因にも関係することである。
若返ってどうするの?人皆老いて人生有限だから意味があるんだろ。
あの世がないなんて保証もないし。
もちろん、学問、科学研究は役に立つからやるものではなく、真理の追究ではあるだろうけど。
応用、実用、役に立つばかりを追求すべきでもないだろうし、それがまた学問研究の歪みをもたらすこともあり、今回のことも、“応用の要請”があせりにつながり、問題が起こったという面もあるだろう。
今回の発見が事実とすると
「発生と分化に関する生物学の常識を覆す驚天動地の大発見」でもあるらしい。
小保方さん、理研やその他の関係者も、それには殆ど触れておらず、おそらく意識あまり意識もしていないのだろう。
意図するせざるにかかわらず、科学技術は目先の利害、その他さまざまな条件づけを受けている。
知らなくても良いことを追求し、知るべきことを否認するのが科学の常でもある。
科学技術は常に不均等発展するものである。
【大きな危険や有害性をもたらすのではないか?】
遺伝子がらみのことは特にありうるのではないか。
予めそれを予測することはできず、明確になるのは問題は広まってからであり、そうなってはもはや対処不可能であろう。
抗生物質が人類に大きな利益をもたらしたことは間違いないが、それも歴史に属することではなく、その影響がどうなることかはまだまだわからない。殆どの場合、ワクチンが広まって病気が終息したのではなく、病気が終息してからワクチンが広まったのだとも言われている。
子宮頸がんワクチンの危険性、有害性や無効性が問題になったが、そんなことは当初からわかりきっていたことでもあった。
既に子宮に毛髪が生えたとか、歯が生えたとか、昔は珍しかったことが、やたら増えているらしい。子宮筋腫とか卵巣腫瘍か。
どういう理由か知らないけど、シャンプー・リンスやら歯磨きやらで細胞が破壊され、子宮にとんで毛髪や歯を作るのか、卵子がそうなるのか、子宮は形態形成の場ということか、細胞間情報交換の問題なのか?私が論じられるようなことでもないが。こうしたことも問題ではあるだろう。
【他にやるべきことはいくらでもあるだろ。】
そもそも、科学技術の進歩が人類の幸福に貢献したなどといえるか?もちろん目先の利はあるが。
少なくとも歴史に属すことではなく、まだまだ途中でのことだ。
健康や幸福を目指すならば、それよりもやるべきことはいくらでもある。
いくら良いこと、必要なことでも、やる人がいるとは限らない。
金になりそうなことにはすぐに飛びつくが。
科学技術も人々の意識や考え、社会のあり方に規定されており、金になるほうにしか向かっていかない。
STAP細胞は大いに利権が絡んでいるという。
今回の問題も、小保方さんを潰して、業績を理研のモノにするとか、米国が支配しようとか、韓中が横取りしようとしているとか、実際にできているから、絶対にそれを明らかにすることは出来ない、むしろできないことにしてカモフラージュするためとか、いろいろ言われているらしい。もちろんそうしたことの真偽はわからない。
そうした費用はいったい誰が負担するのか?外貨稼ぎのため?
「この国は医療で潰される」とさえ言われているのに。
(医療費のほかに、生活保護費など社会保障費の増大、財政破綻などなど)
国民健康保険費などいったい誰が払えるのかと思うくらい、すでに高額である。
全ての人が医療を受けれら時代は終わりつつある。目指すべきは医療の縮小だろう。
適正医療が行われていれば、消費税など増やす必要はなく、むしろ減らしても良かったはずだ。
いつから科学研究、科学技術が利権まみれになったのだろうか? 昔は公共・共有財産だった軌はするけど??
せいぜい、名誉や地位を得る位で。それさえ得られなくても、真理を追求し、人々に有益なことを追求するから、学問、科学であったはずなんだが??
真理や事実そのものには著作権もないし特許も取れないという。
科学技術上のノウハウは真理や事実ではないのか??
資本主義にどっぷり使っている人間は、金にもならず、地位や立場の向上にもならず、権力や利益も得らないないこと、むしろそれと逆行することはやろうとしない。資本主義とはそういう原理・法則だろう。
ニーズがなければそれを作り出してでも、モノやサービスを売りつける、そうして経済が発展していくと。
ホントに必要なことはカネにもならなかったりするので、誰もやろうとはしなかったり。
資本主義とは経済体制であるよりも、人々の価値観、考え方やものの見方、行動様式、行動原理のことである。
【そんなこと、やってもいいのか?】
マウスの背中に耳を生やすとか、それだけでも嫌悪感や罪悪感を持つ人も多いだろう。
その根拠は、ハッキリしないだろうけど、それには相応の理由があるはずである。
宗教云々は別としても。
そもそも、科学的真理なんて、真理そのものではなく、せいぜい、その時点で科学的には疑いようがなく正しい、ということに過ぎないし。
といったことなどなどである。
それでは人類は進歩しない、と言いたい人もいるだろう。
まだまだ野蛮な社会である。科学技術が進歩しなくても、人類の健康や幸福を目指す方法はいくらでもある。
むしろそれをしないのが問題だろう。
もしかすると科学の進歩はそこから遠ざかるのかもしれないとさえ思う。
かつて勤めていた大学の同僚。(旧帝大系大学院、分子生物学?生命科学?出身)にそういうことを話したことがある
彼は憮然として即座にこう言った。
「そういう人に科学技術の恩恵を享受してもらいたくないね」
アンタは中学生かよ!大学教授、教育・研究職だろ。お話にもなにもならないのである。
20歳位の頃、自分の父親(車の会社のエンジニア)に話したこともあった。
「そりゃ、禁断の実を食べてしまったんだから、もう戻れない」 
お前はそんなことも分からないのか?と言いたげに即答された。
オヤジは何も考えていない、わかっていない、どうせ話も通じないし、と思っていたので意外だった。
精神医学問題、精神医療過誤・向精神薬害、も軌を一にした問題である。
およそ非科学的、科学技術以前ともいえるが、科学技術のなれの果てを示してもいるだろう。
思考停止、認知の欠落、あるいは隠蔽記憶。知らぬがほっとけ。
要するに精神科医が精神疾患のことも向精神薬のことも実は殆ど考えていないように、殆どの科学者は科学や科学技術のことはあまり考えてない。
そんなこと考えていたらやってられない、ということはもちろんあるだろう。
かといって他の人の言うことに、謙虚に耳を傾けるか?? 
少なくとも精神医療関係者、製薬会社の技師や精神科医などはそうではない。
精神疾患の本質や、治療についても精神科医は殆ど誰も考えない。
ゆえに、向精神薬もそうだが、電気ショックECT、光トポグラフィー、磁気刺激療法、果ては再び脳深部刺激療法DBSとか、愚にもつかないことしか考えないし、そういう方向にしか向かわない。
幼稚園からやり直しだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
そういうわけで科学技術については、子供の頃からいろいろ考えていた。
きっかけは公害問題だった。排ガスの鉛中毒とか、車大好き少年だったけど。
水俣病、四日市喘息などの公害病、光化学スモッグ、なども毎日のようにニュースになっていた。
それとベトナム戦争。北爆が始まったのが小学校1年の時、毎朝ニュースを見て暗い気分になって学校に行くのだった。
大学時代は社会科学系だし、あまり関係ないのだが、一時期、気になって、科学哲学、自然科学思想や科学技術論に関する本を読みあさっていた。精神医学、精神分析学関係の本も読んでいたが。
もはや反科学か、少なくとも科学に懐疑的、科学技術批判が主流だった。
既に私のようなことを考えている人がいることにも、ちょっと安心した。
しかし、大学を出る頃にはもうそういうことはあまり考えなくなった、というか考えるのはやめたのである。
俺が考えなくてもいいや、考えてもしょうがない、何かできるわけでもないし。
自分が直接、自然科学研究に携わったり、技術職に就くこともありえない。
新潟の原発建設反対運動にも1回行っただけでヤメた。
エコロジー研究会を作ったが、大学ももう卒業だった。
どちらかと言えば、科学技術は必要とされなくなる、終息に向かうだろう、人間そうそう愚かでもないし、飽く無く欲望の追求に邁進するとは考えられず、と楽観的に考えたのである。
その頃、「ニュートン」という雑誌が出たが、反科学・科学技術批判の雑誌が出たのか?ようやく世間も俺たちに追いついてきたのか!?と中身も見ずに早とちりしてしまった位である。
既にそれ以前から、向精神薬についても、どちらかと言えば、楽観的に考えていた。
薬害が拡大する以前に、危険性も有害性も明らかになるだろうし、医者も患者もバカばかりじゃなし、騙されないだろうと。
精神疾患の原因が、トラウマ(心的外傷)・ストレスであるのは明らかで、それを前提にしたうえで、精神医学も変わって行くだろうと。
まだそうなっていないと思うこと自体が、人類の英知、学問に対する冒涜にも思えたのである。
実際「冒涜」していたのかも知れなけど。今も。
それより自分が何をすべきがが問題だ。もちろんそうしたことを踏まえたうえで。
会社員にもなれるわけないし、もちろんなりたくもないし。就職もしたくない。
いつの間に会社がそんなに偉くなったんだだろう?
ブラック企業なんて言葉もなかったが、企業なんてみんなブラックだと思っていた。
社会も良くなっていくだろうと、楽観的に考えていたが。
我々の頃は、オイルショックの後、景気もだいぶ回復した頃である。名の知れた大学を出れば、たいていはそこそこ名の知れた会社に就職することできた。バブルはまだだいぶ後のことで、ほぼ予測もされていなかった。
私自身は会社員にはなりたくない、という以前になれない、なっても勤まるわけないのであったが。
会社員、何やってんのかあまり知らなかったけど。
仕事なんもろくにできないくせに、何が良い大学、一流企業だ、会社なんか就職してやらねぇよ、俺なんかもうとっくの昔に人生棒に振ってるぞ、悪ぃかよ、ってな具合である。
私だけでなく、周りにもそういうヤツが多かった。
やりたいことも全くないけど、もちろん働かなくては食っていけない。
私自身は大学は一応卒業して、自転車店員として毎日、汗と泥と油にまみれて肉体労働に励むことになった。
キツかったなぁ。
自転車以上のテクノロジーは不要ではないか?とも思ったのである。
それが人生、リスタートのきっかけになった。
例によってジジイの癖で、昔の話、自分語りになってしまったけど。歳のせいだ。許して欲しい。
ともかくやるべきことが見つかって良かったです。ハイ。
オルターナティブ・テクノジーやら代替医療やらもいろいろ考えたが、精神医療に関しては代替案、代替医療もダメだ、本医療、本案でなくてはならない、と思ったのである。
そういえば、普通の人が普通に乗る自転車ってのが無いな。
ロードバイクとMTBとクロスバイクと小径車ばかり。
自転車もブームになって、やる人増えたのに。
いろいろ考えたけど、時代は思ったようには向かわなかった。

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向精神薬の大量処方を制限へ、診療報酬を認めず

『向精神薬の大量処方を制限へ、診療報酬を認めず』
読売新聞 3月7日(金)17時35分配信
 厚生労働省は新年度から、抗不安薬や睡眠薬などの向精神薬を数多く処方した場合、診療報酬を原則認めない仕組みを導入することを決めた。
 薬物依存や重篤な副作用を防ぐ狙いがある。
 新ルールでは、外来診療で服薬管理などをする際、抗不安薬か睡眠薬を3種類以上、または、統合失調症の治療に使われる抗精神病薬か、抗うつ薬を4種類以上、1回で処方した場合、診療報酬を請求できなくし、処方箋料も減額する。
 また、入院患者に、副作用が少ないとされるタイプの抗精神病薬を処方する場合も、2種類までしか加算できないように改める。
 抗不安薬や睡眠薬としてよく使われるベンゾジアゼピン系の薬剤は、使用し続けると薬物依存になる危険性がある。

ようやく多剤大量処方に制限が加えられることになったが…
精神医療関係団体、学会は往生際も悪く根拠もなく執拗に反抗している。
とあえずあまりに酷すぎ、自浄作用もない精神医療に対し、このままでは被害が甚大、被害を防ぐ、縮小というより、精神医療自体が存続できなくなるので、行政側から「救いの手」を差し伸べて、精神医療の延命をはかろうとしている、ということだろう。
これに対し、精神医療側は収益低下を恐れ、目先の利ばかりにとらわれ反対しているという構図であり、自分で自分の首を絞めようとしている。長い目で見ると、その方が良いのかもしれないが。
そもそも向精神薬は多剤どころか2種類でさえも、複剤は使用しないことを前提に開発されており、もちろん危険性など確かめていない。
精神科医は良くならないので薬物追加、悪化するので追加、副作用も元々の症状も区別できていないが、副作用には副作用止めと、常用量離脱が起これば、元の病気のせいと考えまた追加。さらに肝臓が悪くなれば肝臓の薬、心臓が悪くなれば、と。その方が儲かるし。
患者をなるべく殺さないようにしてだんだん悪化させ、治さずにずーっと病院に通わせれば一番儲かる、というのは資本主義の法則であろうが、精神医療は意図せずともその法則にあまりにも忠実すぎ。
薬の増やし方、多剤大量処方のノウハウはもちないし(独善的マッドサイエンティストのような人はいるが)、減らし方などむしろ全く考えたこともないのが大半の精神科医であり、減らし方のノウハウなどほぼ全ての精神科医は全く持たないのが現状である。
向精神薬は激しい離脱症状が起こることが多いので、減薬自体大変なことだが、精神科医の殆どは未だに元々の症状や悪化と離脱症状、退薬症状の区別はついておらず、すべて元々の病気の症状か、悪化と考えてしまう。
そもそも精神科医は精神疾患についても向精神薬についても、誤解に誤解を重ねて基本的な理解さえできていないためであるが。基本的な医学的知識が無いわけではないが、それを生かせないどころが捻じ曲げすぎ。
離脱症状という言葉自体は、我々が昔から言っていたので、精神科医もようやく聞いたことがある人も増えてはいるが、それさえも未だに大きく誤解している。
離脱症状2週間以上続くことはない、なんていうのがその典型だ。
離脱症状は減薬したらいきなり現れる場合もあるが、特にこううつ剤SSRIなどはある程度の期間が経って、血中濃度等が低くてなり蓄積されたものも分解されてから現れることが多いので、むしろ2週間以上経ってから現れるのが離脱症状であり、短期で終わることもあるが、多くの場合、長期にわたるため、むしろ数年の単位で考える必要がある。
あまり長期、もしくは生涯という場合は、離脱症状ではなく後遺症と言うべきだが。
現実的には、「2020年までに精神疾患に対する向精神薬の使用は全面禁止」くらいが妥当、というかぜひ実行すべきことではないだろうか?
それも大変なことだし、大いに問題はあるが止むを得ないことだと思う。

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精神科医の犯罪を問う

ここで触れるのは、精神医療過誤、精神科医の職業上、医療上の犯罪ではなく、刑法上の一般的な犯罪のことである。
「精神科医の犯罪を問う」というブログがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55
数年前に
「精神科医の(刑法上の)犯罪は多いし、両者全く関係がないわけではないが、これと精神科医の職業上,医療上の犯罪は別に考えるべきではないか。」といった書き込みをしたところ、このブログの主宰者に怒られたことがある。要は、決して別モノではない、精神科医は犯罪者である、といったようなこと。
このブログ主がどういう考えかはあまり良く知らないが、反精神医療の一部の人には以下のように考える人もいるようだ。
精神医療の目的そのものが、患者の健康を害し死に至らしめるなど、犯罪的なものである。
良い人が精神科医にはなれないし、なろうとも思わないはずだ。
なってもやっていけるわけはないし、辞めるのが当然である。
そもそも精神疾患などは存在せず、精神科医がつくりだしたものに過ぎない。
精神医学、精神医療そのものが犯罪である以上、当然これを廃絶すべきである。

しかし、私はこうした考えに与しない。少なくとも基本的な考え方は随分違う。
私の周囲の精神科医は良い人が殆どであり、少なくとも友人・知人は皆、良い人であったのだ。精神科医だけでなく、パラメなど精神医療関係者も良い人が多い。
殆どの精神科医は曲がりなりにも、患者の健康と幸福に貢献したいと思っているはずである。
精神科医には人非人のような奴もいるし、マッドサイエンティストのような人もいるが、それはむしろ例外である。少なくとも私の知る限りではごく少数派。
そういうヤツからも、私は特に危害を加えられたことはない。こちらが無視していれば、相手も特に絡んでくることはなかった。内科など、他科の医者には随分やられたことがあるが。
私の考え方は昔からほとんど変わらないが、精神医療関係者からイジメや排斥、攻撃を受けたことは殆どなく、尊敬とまで言わなくとも、一目も二目も三目も置かれた方である。
こうした考えだからこそ、気の弱い、(かつては)生意気な若造であっても、精神科医は無意識に私を恐れていたのかも知れない。
なるべく精神科医とは接触をもたないことにしていたが、今でも若干の関係はある。
ところで最近(いや、ずっと前からか…)、文字通り(刑法上の)精神科医の犯罪が多く、ニュースを賑わわせている。
精神科医の数は15,000人とも16,000人とも言われているが、聖人君子ばかりでもあるまい、それだけたくさんいれば、犯罪者が出るのも当然だろうと思いきや、実は人数の割には、既に捕まって新聞沙汰になっただけでも随分犯罪者が多い。
数字があまりピンと来ないので比較するとすれば、たぶん私の出身高校の卒業生の数は似たようなものである。中には犯罪者となったものもいるのだが、精神科医よりは遥かに少ない。
私がかつて住んでいた某市のとある地域の住民の数もそんなものであろう。やはり犯罪者はいるのだが、精神科医よりも遥かに少ないはずである。
例えば、最近2013年11月、こういう犯罪が報道された。
『精神科の36歳担当医、覚醒剤使用容疑で逮捕』
読売新聞 11月24日(日)10時58分配信
 福岡県警直方署は23日、北九州市八幡東区西本町4、医師益淵(ますぶち)大輔容疑者(36)を覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕した。
 発表によると、益淵容疑者は今月中旬から21日までの間に覚醒剤を使用した疑い。21日午後10時頃、同県宮若市の自動車整備工場に車で突っ込む事故を起こし、警察官が駆けつけた際、言動に不審な点があったため尿検査を行ったところ、覚醒剤の陽性反応が出たという。
 益淵容疑者は山口県下関市内の病院で精神科を担当していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131124-00000255-yom-soci
他にも調べると覚せい剤使用の犯罪も多い。
向精神薬を正当化してしまえば、覚せい剤も肯定するのは当然だ。そうでなければ認知不協和が起こり辛くなる。「覚せい剤はやっちゃダメ」という、子供でさえ知ってることさえわからなくなるのは理の当然である。
罪悪感から、自殺したり、精神が病む(元々か)精神科医も多いと聞くが、実際にどの位多いのかはわからない。そういう人は、むしろ「良い人」なのであろう。
人の健康を害したり、しばしば死に至らしめたりしていれば、当然のこと、無意識の自己処罰欲求から衝動行為に走ってしまう、それを止める精神の働きがなくなっている、と考えることもできる。
精神科医は患者の健康を害したり、死に至らせても、多くの場合悪いことをしているという自覚はなく、人格から解離している。
悪いことをしている、悪いことをすれば罰せられる、罰しなくてはならない、という無意識の衝動に支配された行動をとってしまう。
普通の人間なら無意識の自己処罰欲求に支配されても、基本的には自罰行為に至るだけである。 原因が自身のトラウマであり、自身が犯罪を犯したわけではないからである。(犯罪的なのはむしろ親や加害者)
したがって、自傷したり、自殺したり、覚せい剤を使用してもヘロヘロの廃人になるだけで、車の事故を起こすにしても、自損自爆事故である場合が多く、犯罪行為には走らないのが普通である。
覚せい剤に手を染めるような相当ガラの悪いロックスターやタレントなども、そうそう薬物以外の犯罪を犯すわけではない。チャー坊も山口君もマーちゃんものりピーもけっこう良い人だったらしいし、薬物以外で捕まったわけではない。
自己処罰欲求に支配された行動により、他者への加害、侵害→逮捕、刑罰を受け、社会的立場を失なう→結果として自己処罰の実現、という形となるのは(ただ精神が病んでいるといった)一般の患者ではなく、犯罪者である。
覚せい剤をやったとしてもおとなしくしていればいいものを、人の工場に車で突っ込むなど、他に危害を加えるとは、犯罪者的であり、いかにも精神科医らしいとも言える。
犯罪者も、犯罪を犯した挙句、自暴自棄でさらに犯罪を重ね、自殺するのは最後であるが、一般的には詐欺と強盗は両立しない、窃盗犯は人を脅迫したりしない、というように一種類の犯罪しかしないのが普通である。
※続きを書く予定。

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行ってもイイ精神科、ダメな精神科(心療内科)・優しい精神科医

「行ってもイイ精神科、ダメな精神科」  ひろ新子  
という本が出ており結構売れているようだ。これまたたいへん気色の悪い本である。
取材のやり方など、倫理的な問題もいろいろあるのだが、そんなものは精神医療問題に比べて比較にならないほどの小さな問題なのでココでは触れない。
もちろんこの人は、うつ病でもないのだが、それについても触れません。知りたい人はこちらをご参照下さい。
近くの本屋にずっと平積みしているのでいやでも目に付いてしまう。
ついつい手にとってちょっとばかり立ち読みしてしまったが、内容について書くのも気分が悪いので、かこさんのブログを参照して欲しい。
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11670997058.html

行ってもイイ精神科、ダメな精神科
バジリコ
ひろ新子

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かこさんのブログによると、
(私は一部立ち読みしただだけだが、同様の印象である)
ともかく、この人が○と思った医者の条件は――
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。
 らしい。

しかし、多くの場合「ここが地獄の一丁目」である。
もちろん行っても良い精神科を知っているはずの著者も長年病院に通っても良くなってはいない。甚だしい薬害にはまだなっていないようだが、それも時間の問題だろう。
・患者の話を十分時間をかけて丁寧に聴いてくれること。
・患者に寄り添って痛みを受容してくれること。
・心を開いて安心して話せる雰囲気が感じられること。

これが何故良くないのか?
何もできないから、話を聞くだけなのである。精神科医だからといって、カウンセリングの勉強や訓練をしているわけでもない。殆どの精神科医はカウンセリングや精神療法は苦手だが、むしろ患者を旨く騙す、言い包めることは得意である。
「うつ病は誰でもなる」「心の風邪」「良い人、責任感の強い人、まじめなひとがなりやすい」「うつ病は本人の考えや生き方の問題、心の病気ではなく脳の病です気」「今は副作用も少ない安全で良い薬がある」「無理をしてはいけない、頑張らなくて良い」「服薬してゆっくり休めば治る」
こうしたことを言われると、弱っていて元気がない時には、人間ついついありがたい、やさしい言葉として受け取ってしまう。むしろ病気を軽んじてしまう。
この精神科医は患者のことをわかってくれる、この人に頼れば大丈夫と言う気になってしまう。こうしたことはもちろん非常に危険である。
「良い精神科医」に薬物を処方されれば、良くならず副作用ばかりが酷くても反発や拒否はし難く、言いなりやすい。
最初から恐面で脅してくるヤクザなどいない。最初は優しいのが当たり前である。
金を借りに行っても、まともな銀行などは厳しいが、ヤクザの金貸しは優しいのである。「私どもも貴方様のような人々や社会に貢献する事業をしている方のお役に立てることが嬉しいです。きちんと、返して頂ければ良いのです。」といったふうに。
返せば良いかというと、そうはいかいかない。「あの時、助けてやったじゃないか。恩を忘れたのか」という具合になるのが関の山である。
多くの場合、無自覚ではあるが、悪質なことをやっているからこそ、それを隠蔽するために表面的には「やさしい精神科医」を演じることができる、そう演じないわけにはいかないのである。
好意的に考えれば、何もできない、ロクなことはできないので、せめて患者にはやさしく接する、といった見方もできるし、実際そういう人もいる。
患者がそれを望むから、患者の要求、ニーズに応えているだけ、医者はサービス業だ、患者をビビらせて何になる、という精神科医も多いだろう。患者を騙すのがサービスか?
受け入れ難いことであっても,正しいことを伝えるのがやさしさというものである。
「良薬口に苦し」 もちろん向精神薬は良薬ではありえない。
・極力薬は最低限しか出さないこと。
・副作用の話を丁寧にしてくれること。

よほど悪質な精神科医でなければ、最初はあまり多くの向精神薬を出さないのが普通である。
それで効かない、もしくは効いてもだんだん効力がなくなるから、徐々に薬の種類も増えてしまう。もちろん悪循環。
当然、副作用も酷くなるが、殆どの場合、元々の病気のせいにされる。そうでなくとも副作用止めなど、余計に薬が増える。
副作用の説明を丁寧にしてくれるといっても、どちらと言えば当たり障りのないことだけである。それ以外の副作用は患者の元々の病気のせいにするため、と言っても良い。説明が事実の隠蔽になっている。
副作用がどんどん酷くなっても、元の病気が酷くなったから(そもそも悪化する病気ではないのだが)とされ、だからこそ病院に来て良かった、薬をきちんと飲まなければ、ということになってしまう。
常用量離脱も起こるし、薬の変更などでも当然、離脱症状は起こる。
基本的には薬は最低限しか出さないのは当然であるが、そこからむしろ徐々に減らしていくものである。もちろんそれでも有害であり、良くなるものでもないが。
少ない薬から徐々に慣らして、本格的な向精神薬依存症、向精神薬中毒による中枢神経障害に至らしめるのが、「良い精神科医」の常套法である。
では、これらの逆「悪い病院や精神科医」ばかりであればどうか?
精神科医なんてロクでもない連中、所詮そんな物とわかり、精神科には行きたくない、行ってもしょうがない、と思う人が増えるであろう。
精神科医そのものの評判が落ちる、というより正確な評価に落ち着き,精神科や心療内科には行かない人が増えるだろう。
いきなり大量の薬を最初から処方されれば、リスクは高くなるかもしれないが、その分薬は危険、決して良くなるものではない、ということもに気づき易いはずである。そこまで行かなくとも医者の言いなりに服用はしないだろう。
精神科医は「向精神薬は医師の処方を守って服用すれば安全」と言うが、小さい子供や余程の愚か者でない限り、自分で調べて、自分の身体や精神状態に聞きながら服用した方がずっとマシなはずである。
向精神薬はあまりに危険なので、処方薬ではなく、むしろ容易に手に入るように一般市販薬にした方が良い、という医者がいたがそれも大いに理由のあることだ。
しかし、向精神薬を服薬すると言うことは、自分の意思やコントロールを徐々に失ない、処方者や売人、薬そのもののど奴隷となるということでもある。精神に影響するのだから当たり前である。
オーバードーズ、過量服用はもはや患者の考えや意思の問題をとっくに超えている。
したがって、「良い精神科医ほど悪い精神科医」とも言えなくもないが、これは反精神医療派の人が良く言うことではある。
私個人は精神科医が不要とも思わないし、向精神薬完全否定派でもない。精神病院にもそれなりの役割があり、現状でさえ必要悪と言う面は認めざるを得ないと思っている。
世の中にはいろいろな人がいるもんである。
重症の精神病の人ももちろんいるし、絶対に良くなりたくない人も少なからずいる。良くなりたくないからといっても、さらに悪化させさせたり、自殺に陥れても良いわけではもちろんない。
かつては、精神病院など自分から行く所ではなく、無理やり連れて行かれたり、やむを得ず従って行く所であったが、その頃の方がまだマシだったと思う。病者の数が増えたのではなく、受診する患者が増えたのである。
新薬が出たとはいえ良い薬ができたわけではなく、かつてはほとんど行われなくなった電気ショックが復活し、禁止されていたロボトミーさえ復活しようとしている。
薬物では良くならないと認めたとしても、何等治療法もなく、悪化法がエスカレートするばかりである。反復性経頭蓋磁気刺激療法 rTMS や、脳深部刺激法 DBS
「良心的」で悪質であれ、現状の精神科や心療内科は、少なくとも健康や成長を目指す人が、行くような所ではない。
「天は自ら助く者を助く」
では、なぜ良い人、良心的な精神科医が、表面的には優しくとも、患者を向精神薬依存症、向精神薬中毒にさせ、病気を悪化させ、自殺に追い詰めたり、悪質なことをするのだろうか?
※続きはまた項を改めて書く予定です。

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『医師・医療機関に製薬業界から4700億円提供』 読売新聞

医師・医療機関に製薬業界から4700億円提供
 製薬業界から2012年度に国内の医師や医療機関に提供された資金の総額は4700億円を超えることがわかった。
 国の医療分野の研究開発予算1700億円の2・7倍に上る。
 医学研究の発展のためには産学連携が不可欠だが、高血圧治療薬「ディオバン」の研究データ改ざん問題では、背景に企業との不透明な関係が指摘された。専門家は「資金提供の透明化が必要」と指摘する。
 主要な製薬企業70社で作る日本製薬工業協会の指針に基づき、10月上旬までにホームページで初めて金額を自主公表した65社分を読売新聞社が集計した。
 公開された金額は、各社が大学などの研究機関や医師に支払った〈1〉共同研究などに使われる研究・開発費〈2〉寄付金などの学術研究助成費〈3〉講師謝礼や原稿料など〈4〉医師向けの講演会、説明会などの情報提供関連費〈5〉飲食や中元歳暮などの接遇費。
 項目別で最も多かったのは研究・開発費で計2438億円。その4分の3は、薬の承認を得るために行う治験などの臨床試験費(1840億円)だった。
 寄付金などの学術研究助成費は計532億円。うち、指定した研究者が自由に使える奨学寄付金は340億円、研究者を指定せずに大学などに提供する一般寄付金は84億円だった。ディオバン問題では、臨床研究の事実上の見返りとして、販売元のノバルティスファーマから多額の奨学寄付金が支払われていた。

画像

(2013年10月22日07時48分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131021-OYT1T01622.htm
製薬会社から医師に体する利益供与が、精神医療過誤、向精神薬害蔓延の原因の一部になっているのは確かでしょう。
こうしたことも明らかにされてはいます。
ブログ「精神科医の犯罪を問う」より
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/folder/1601504.html
これだけなら、さほど問題ではないかも知れませんが(いや、やっぱり問題だな)実際にはずい分裏金が回っているはずです。実は私も受け取ったことがあります。
昔20年以上前のことですが、同僚の内科医が製薬会社主宰のホテルで行われる講演会の招待状をくれたので行って見ました。リハビリ系の内容だからって。
もしかすると貧しい私に小遣いをくれようとしたのかも知れませんが、そこはよくわかりません。
あまりにもつまならいので、途中で出ようとしたのだったか?
会場を出たら、製薬会社の人がすっとんで来て、さっき渡した封筒を返して欲しいと詰め寄って着ました。
私は直ぐ返したのですが、一緒に行った知人が「何を返せと言うのか?」と中身を見たら、薬のパンフレットの他に(たぶん)5万円入っていました。
私は封筒には薬のパンフレットが入ってるだけだと思ったのでしたが。
私たちが医師ではないと製薬会社の人が気づいて、すっ飛んで取り返しにきたようです。
というわけで、貰ったと言っても、すぐに取り返されたので実際には貰っていません。パンフレットも返そうとしたら「それはいいです」って言うのでゴミ箱に捨てましたが。
ただ怪しげなつまらない講演を聴きに行っただけで5万円です。
講演をしたピエロ役の医者はいくらもらっているのかわかりません。もちろんタダでやるわけはないだろうし、表の金はもちろん裏の金もあると考えるのが自然でしょう。
この時は、薬の宣伝が目的ではあったようですが、講演の内容はあまり関係のないことだったと思います。
製薬会社が講演を準備して、ピエロを演じるだけの場合や、自ら宣伝係、太鼓持ちをかって出る人もいるのでしょう。
私が直接知っているのはその位のことです。
けしからん、と思う人は多いかもしれませんが、私はこの問題に割に寛容かもしれません。
というか、あまり良くわかりません。世間知らずでしょうか?ゼニ金のことは苦手なんです。
拝金主義、金儲け主義、利潤追求が精神医療過誤の拡大、向精神薬害蔓延に通底する大きな動因であるのは間違いないですが。
被害を拡大させても儲からないならやるわけないし、製薬会社や病院、精神科医が裁判等で訴えられて賠償しても、それを遥かに上回る利潤があるからやっているわけで、その費用は織り込み済みらしいです。
これから先もそれでやっていけるのかはわかりませんが。
私が直接知っている医師の殆どは(元)公務員で、給料は安く、金儲け主義の人や、お金に汚い人はほとんどいません。
 (実際にかなり安い、そこそこの大学を出てそこそこの会社でそれなりの地位を得ている人よりだいぶ安いと思う。国立大学医学部の教員だと最初は事務職より良いけど、しばらくいると抜かれてしまう。残業手当もないし。バイトも申請して許可を得ればできるけど。)
これまたずいぶん前だが、個人売買で中古車(安い外車)を買った相手がたまたま某私立医大の先生だったことがある。
多少のやりとりがあっただけですが、金にちょっと汚いのでは?外車を何台も持ってる位なんだから、金はあるはずなのに。やっぱり私立医大なんかは金の世界なんだな、と思ったことはある。
後で知ったことでは、その地域の(その種の)車のマニアの間では、ズルイ人、金に汚い人、あの人は○○医大だからね…として、ちょっとばかり知られている人でした。
今時、金だけで入れる医大なんかホントにあるのか?都市伝説か??私立医大の底辺校なんて簡単に入れるし、と思っていましたが、実際にあることを知ったのは実は最近のことです。(医学部にいるときは知らなかった)入るのも出るのも医者になるのも金の世界、それだけではないですが。
医療の中にいても自分の周囲以外のことはなかなかわからないもんです。私は公的施設以外で勤めたことはないし、医者ではなくリハビリ職だったし。
・精神医療過誤、向精神薬害万円の主な要因が、製薬会社から医師に渡るお金、利益供与にあるとは思えない。
・金儲け主義の医者は、製薬会社から貰うより別の方法の方が効率はいいはず。
・金をもらっても動かされなければそう大した問題ではないはず。
  皆、そんなに金で動くのかなぁ??医者はその傾向は強いのではないかという気はするけど…
 私なら製薬会社からお金をもらったら別の会社の薬を使ったりするけど。ひねくれ者なので。少なくとも金では影響されない。
  そうすれば、収賄は実質成立しない。お金をくれるから貰ってあげただけだ、という言い訳が立つかも?と思ってしまう。すなわち、袖の下を贈る方が損をすることになる。でも私のような奴には不思議なことに賄賂は廻ってこないもんである。
そういえば思い出したが、ある大学のリハビリ系学科の設立準備を手伝ったことがあるが、私にはそういう話すらなかった。別な人はたいして仕事もしていないのにそういうのがあったという話。確かめてはいない。
 結局の所、貧乏人は金で動かないので貧乏だが、金で動く医者などは金で動くから金持ちなのか?
 金で動かされ無い人には金は回らず、動かされる人には金が回ってくるのか?
 世の中全体が、そういう仕組みになっているのが問題で、医療の問題とは別だと思う。金が回る(金を回すための)ことを追求するのが、当たり前の行動原理になっている社会だから。そういう拝金主義資本主義に医療も絡めとられているというより、医療はまさにその中心にあるということ。
結局の所、皆が変わらなければ世の中は変わらないのでしょう。精神医療過誤、向精神薬害問題も。

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「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル

こんな番組をやったらしい。
「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/yamai/detail/03.html
かこさんのブログ
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11646146932.html
私はこの番組は見ていないのですが。
うつ病の原因は扁桃体ですか?
つい最近まで「セロトニン不足、抗うつ剤で治る」って言ってたのに。
脳深部刺激 DBS、脳にチップやら電極やらを埋め込まれて支配されたい人がいるのだろうか?
これが、いるといえばいるんですよね。
素晴らしい、夢のテクノロジーのように思ってしまう人もいるらしい。
そうさぜるを得ない人もいるのでしょうか?
絶対にいないとは断定できないかも知れませんけど。
いわゆる、うつ病などの精神疾患の人には全く当てはまらない話です。
基本的には薬物も電気ショック ECTも、磁気刺激療法 TMSも同じですが。
もちろん現実的には上手く行くわけはないし、脳を誤動作させるのがオチです。
まさにマッド・サイエンティスト、科学技術信仰もここに極まれり、ですね。
前にもこうした記事を書きましたが…
うつ病の発症メカニズムが解明された!??
NHKスペシャル「ここまで来た!うつ病治療」脳血流の画像診断装置光トポグラフィーNIRS・磁気治療法
うつ病について何も知らない、知らないくせにできないくせに何とかしようとする、仮説にもなっていない間違ったことを前提にしている、のが根本の問題でしょう。
元々は苦しい、辛いだろうから何とかしてあげたい、死なせたくはない、という善意からきているものは思います。
患者側もなぜ苦悩の原因を追求し、本質的な解決法の求めるよりも、とりあえず楽になれば良いと目先のことばかり安易に考えてしまう。
「善意の陰謀」
しかし、うつ病その他の精神疾患については、精神科医のほとんどが知らない、できない、というだけで、わかっていることもずい分あるのです。それを踏まえた上で、学問研究、実践しなければならないはずですが、全くそうなっていないのが精神医学、精神医療という分野です。
NHKはこんな番組やって、犯罪の上に犯罪を重ねるのではなく、今まで「うつ病は早期に受診して服薬すれば治る」どさんざん製薬会社や精神科医の手先となって宣伝、疾患喧伝を行い、治るどころか悪化させ、自殺者も増やしてしまったことに対し謝罪し責任をとるべきです。
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『うつ病の痛み』 キャンペーン  病気喧伝

またまた性懲りも無く、製薬会社の大規模なうつ病キャンペーン、病気喧伝、疾患喧伝が行われているようです。
今度は「うつ病の痛み」です。
日本イーライリリー社
https://www.lilly.co.jp/pressrelease/2013/news_2013_041.aspx
シオノギ製薬
http://www.utsu.ne.jp/?utm_source=YDN_interest_match&utm_medium=banner&utm_campaign=utsu1007
各社共同、タイアップで第三世代抗うつ剤、SNRIサインバルタの販売促進のための、患者、精神科医に対する「啓蒙宣伝活動」、病気喧伝、疾患喧伝のようです。
主導は電通ですか?博報堂とかかな? あの手この手で執拗ですね。
そんなに影響はなく、どちらかと言えば最後の悪あがきだと思いますが。もっとも製薬会社の病気喧伝、疾患喧伝による売り込みは抗うつ剤よりワクチンなどに移行し、「うつ病キャンペーン」は十分な成果を得て逃げの体制には入り、「発達障害」なっていますが。
「おとうさん眠れてますか?」睡眠障害、不眠症キャンペーンもあまり大きな影響なかったようだし。
これはむしろ、睡眠改善ブームみたいなことになり、いろいろ本も出たり雑誌で特集されたり、ネット上も話題になっており、いろいろ問題もありますか。これは宣伝自体の直接的効果はなくとも、性懲りもなくそれに動かされたマスコミが問題かな。
ベンゾの依存性や危険性に関する認識もようやく広まりつつあり、そうそ一般の人も騙されないかと思います。
※「うつ病の痛み」はなぜそうしたことが起こるのか、薬は解決にはならない、どうしたらよいのかについては、追加して書くつもりですが。
※追記
「うつ病の痛み」キャンペーン(病気喧伝、疾患喧伝)は適応外処方が問題になり、製薬会社(宣伝会社)も後を恐れて引っ込めたようです。

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丸岡いずみさんは、ホントにうつ病か??うつ病、躁病、躁うつ病の誤診

テレビも見ないので丸岡いずみって人は知りませんでしたが。
最近、バリバリのうつ病と称して、『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』という本を出したらしい。
もちろん私は読んでいません。
週刊文春「丸岡いずみ、うつ地獄からこうして脱出した」という電車の中吊りも見た。
せっかく山登りに行くところだったのに楽しい気分が削がれた。
ネットなんか見ていても、最近やたら目について非常に気分悪いのでちょっと書いておきます。

仕事休んでうつ地獄に行ってきた
主婦と生活社
丸岡 いずみ

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14~5年前にタイムスリップしたかのような、うつ病キャンペーン、疾患喧伝をマスコミを通じてさかんにやっているらしい。こういう世の中に取り残されたような人材はもはや貴重?だから、ひっぱりダコ、精神医療業界のピエロ、製薬会社や精神科医やジャンキーのアイドル、儲けまくるでのでしょうか。
体験者の書いた本が少ないからって、そんなのもうとっくに絶版だから少ないんですよ。何の役にも立たないし今さら需要も無いし、本屋も売りたがらない。患者が書いたモノも役には立たないが「うつ病になった精神科医の話」なんてのはもっと役に立たない。
こういう本自体も、うつ病に対する偏見を助長するものでしょう。
患者さんはうつ病は理解されていない、偏見が多いと言う人が多いですが、患者さん自身が偏見の虜になっている場合が多い。それがまた偏見を呼ぶことが多く、偏見Vs偏見になっている現状がある。
当然のこと、精神科医の甘言にだまされやすい。薬だけでなく、精神科医の「やさしい言葉」も麻薬みたいなところがある。
丸岡さんはホントにうつ病か?
そんなに元気で、簡単に回復するうつ病ってあるのか??
躁うつ病とか双極性障害ではないのか??
などと疑問をもつ人も多いかと思います。
結論から言えば、誤診であり、うつ病ではなく軽度の躁病ですね。
アナウンサーですか。
かこさんも書いてましたが、ジャーナリストなら、ちょっと位、病気のことや薬のことを調べてから、テレビで話したりメディアに書いたりするはず。
そういうことしないで無知蒙昧なまましゃべりまくるだけの仕事だから、世の中から取り残されること甚だしい。
あるいは確信犯か?製薬会社から袖の下、もらってるのか?なんて勘繰りたくもなるけど。
たぶん本人には悪意は無いのでしょう。偽善きわまる。
電波芸者と軽口を叩かれるのも当然。芸はないので芸者さんに失礼か。
マスコミ、特にテレビは社会の木鐸どころではなく「下層の娯楽」なんて言う人もいますが、世の中の百歩跡を行ってます。今時、うつ病キャンペーン、疾患喧伝をやるのは百歩遅れどころか、何周遅れだろうか?
バリバリのうつ病の人が、アナウンサーなんかになれるわけない。
声もロクに出ないし。名前聞いても3秒待ってやっとぼそぼそと聞こえるくらいで。仕事なんか一生できない。
丸岡さんは酒豪らしいが、うつ病なら酒は飲めても余計に気分悪くなるだけだし、頭痛くなるので飲まないはず。
うつ病にせよ何にせよ、疾患名はあまり意味は無いです。要するに疾患単位では無く、症状に応じた便宜的な名称に過ぎないので。誤診だろうかなかろうが精神科医に治療はできないし。
それでもやはり甚だしい誤診は問題ではあります。
うつ病に抗うつ剤も良くないし危険ですが、躁病に抗うつ剤はもっと危険でしょうから。
根本的には「脳の病気、うつ病」はすべて誤診です。ホントは広義の心的外傷後ストレス障害PTSDなので。
てなわけで、一応分類。
1)本来のうつ病は中年発症、もしくは初老期うつ病。これは殆どの場合、自然経過で3ヶ月位したら回復します。繰り返す人もいるけど。うつ病は治るなんて言ってたのは、こういった事情もある。
特に理由が無くても急に激しいうつ状態にはなりますが、風が吹いても病気になるわけではなく、もちろん理由はある。中年発症と言われていますが、実は既に若い頃に発症してます。長年問題が表面化せず、一応適応を保ってきた神経症の行き詰まり、みたいなものだと思います。
かなり少なくて人口の0.1%以下とも言われていたが、典型例はもはや絶滅したか?
2)むしろ、ホントのうつ病は他の精神疾患と同じく、思春期~青年期発症だと私は思いますが(破瓜型精神分裂病の一歩手前で踏みとどまったような人)、これは昔からめったにいないので見たことがない精神科医が多いはず。
私も典型例は1人か、拡大解釈しても5~6人か。仕事なんて生涯殆ど無理。
でも、私の所の治療で良くなり、学校に入りなおしたりしたが、後に大学教師にもなっている。
3)躁うつ病(循環型精神病)も昔からめったにいません。たぶんホントにいるんだろうし、私も聞いたことはありますが、万単位で患者を診ても少なくとも典型例には出会ったことがありません。
4)今時、双極性障害と言ってるのは、元々の疾患に薬害性の中枢神経疾患が加わったものです。元々誤診も多いが、もはや躁かうつか、躁うつだか、何がなんだかわからなくなってしまう。
DSM由来ではあるだろうが、「うつ病は薬で治ると言ってたのに誰も治らないどころか皆悪化してるじゃないか!」という批判をかわしたり、向精神薬害をごまかしさらに患者を増やし、利潤をえるためにために、製薬会社が中心に広めた名称。「うつ病キャンペーン」と同じく、広告会社とかコンサルティング会社とのプロジェクトだろう。それに精神科医が乗っかった、もしくは従ったということである。
5)軽度うつ病、軽症うつ病とか、抑うつ神経症、そういう言葉は昔からあり、もちろんそれなりに多いです。昔は病院に行く人は少なかった。最初にうつ病キャンペーンに引っかかったのはこの手の人か?
新型うつ病も精神医療過誤、向精神薬害をごまかすための言葉。
メランコリー型とディスチミア型と分けるのは一応有意義だとは思うが、後者は鬱とは言えないと思う。
6)軽躁状態という言葉はあるが、軽躁病は殆ど使われず、躁神経症なんて言葉はありません。しかし昔からそういう人も少なからずいます。
不祥事が問題になっても、簡単に禊をすませて復活する政治家とか、お笑いタレントなんかに多い。
周囲は迷惑でも本人は苦しいわけではないし、病識も無く、受診もしないので病名もない…はずであるが、そのあたりの事情は後述。
7)躁病、これも少ないがそれなりにはいる。人に甚だしく迷惑をかける。
横山やすしとか、ハマコーあたりになるとこのクラスか。動物園の熊と同じで、テレビで見ている分にはいいけど、実際にはかなりのもんだろう。
いずれにしても、広い意味ではPTDS、心的外傷後ストレス障害であり、幼児期のトラウマが主な原因ではあります。直接のきっかけ、誘因(ショックなでき事、不適応、現実のストレスなど)は大きい場合も小さい場合もあります。
脳の病気ではない。もちろん脳の働きや状態は良くないですが。
1)のうつ病なんて増えるどころかむしろ絶滅種でしょう。文化的、社会的背景によるものと思われます。うつ病、診断名の無原則拡大はそうした事情もあり。
今や古典的症例や典型例は絶滅かな?要するに世の中の変化に伴って、精神疾患の症状も多様化し、病像、病形も従来の診断名は適用し難くなったということです。
今時、うつ病うつ病と言っているのは殆どの場合、緊張症のなれの果てです。緊張症と言う言葉は医学的にはありませんが、神経症と言うよりは事実に即しており、患者も納得しやすい場合が多いので、私はよく使います。ちなみに神経症というのは神経の病気ではなく、神経の状態、使い方が悪く神経が消耗してしまうこと。もっと正確に言えば、主には無意識による神経の使い方が良くない、ということです。
ちなみに私は5分診察なんて精神科医より、ずっと多くの患者を診ています。
短期治療なので。患者数こなさなければ食えません。
丸岡いずみさんは、ハッキリ言えば、軽度の躁病です。躁うつ病でもない。
うつ病か、躁病か、躁うつ病かの三択なら、圧倒的に躁病!百歩譲っても、うつ病ではない。
躁病をうつ病と言うのは、昔から多い古典的な誤診。
そんなことありえないっ!と思うでしょうけど。
精神科医の方は初級の引っ掛け問題なので良く覚えておいてね。自称ベテランでもたいてい間違えるけど。
DSM当てはめて、薬出すだけなら、そういう自販機でも作った方がよほどマシです。
野村君、大野君、樋口君、わかりましたか。
丸岡めぐみさんの場合は、6)~4)ですね。
「バリバリのうつ状態」、「うつ病地獄」と言うのは、認知行動療法とか向精神薬でこじらせただけのでしょう。
「母親に砒素を盛られたかと思った」「(彼氏…今の夫が)ストーカーかと思った」
うつ病の人は普通は被害妄想じゃなくて加害妄想だし。
「鯉みたいに口をパクパク、過呼吸」
うつ病の人は呼吸がひどく重くて固いので過呼吸はほぼ不可能。
躁病は交感神経優位、うつ病は副交感神経優位だし。
昔から、躁病の人は必ず、現実の壁にぶつかり、(病識が無く主観的にはそう思わない場合も多いが)敗北感、自責感やら罪責感、絶望感などでうつ病ではないけど、うつに近い状態にはなります。
うつ病でも軽度うつ病でもなく、うつ状態と言うより、ウツにやらた弱い人。
気分の落ち込みは誰でもあるけど、躁病の人は落ち込まないと言うより、落ち込めない人。
うつ病、抑うつ神経症などの人はいつもウツと戦わざるを得ないから忍耐強い。
しかし、ついにポッキリ心が折れることがあるわけです。
やはり普段から適応が良くはありませんから、現実の壁にぶつかるというか、現実の落とし穴にはまると言うか。
薄氷の上をスキップしながら歩いていると、いつかは氷が割れて落っこちる。
普段が病気なのに自覚せず、そうなると苦しいので、これは「うつ病」に違いないと思ってしまい、精神科医も殆どの場合、そう診断する。
震災で死体をたくさん見たら誰だってショックで落ち込むでしょうけど、彼女の場合はそれまでのことがいろいろあるので。
解離していた自責感とか罪悪感などが、自己に噴出して来たのでしょう。
そこで落ち込むのは当然ですが、必要なのは今までの行状の反省でしょう。
本来なら、それを自己の成長の契機として、考え方、生き方を改めるのが治療と言うもんです。
安易に抗うつ剤なんかでごまかすのは治療に反する。放っておいたってまたまた元気になるし。
普段の躁状態の時は周囲は迷惑でも病識はないし、苦しくもないので病院なんか行かない。現実の壁にぶつかり、凹むと、やたらウツというか落ち込んだり凹むのに弱いから、苦しくなって受診する。
そこで、トーシローの精神科医は(はっきり言って昔も今も皆トーシーローだけど)、凹んでいるので躁病には見えない、死にたいとか言うし、うつ病に見えてしまう。そこでうつ病と誤診する。
生育歴や生活史を聞いても分析・解釈するの能力がないからこういう誤診がおこる。
普段を知ってる周囲の人からすると、しばらくちゃんとウツやって反省しなさい、今までの考え方や行動パターンを改めなさい、口先だけじゃダメですよ、仕事はもうずっ~と出てこなくていいですよ、大きい声じゃ言えないけどあの人が死んでも…ってところですが、性懲りも無く安易に回復して元気になってしまい、またまた、ハタ迷惑をやらかします。
私が以前、勤めていた大学の学科長もそういうタイプ。
内科医ですが、下品なヤクザ、ガラの悪い政治家か悪質な土建屋か?といった雰囲気、風貌。
普段はやたら人を脅したり攻撃しまくっている。
「うつ病の方がいいじゃん、治らない方がいい」「あの人は病気の時が正常」なんて周囲の人は言っていましたが、おもてヅラ、ヘイコラしてる人も多かった。
宴会ではいつも「マイウェイ」と「昴」、もちろん下手、自己陶酔、声がでかい。
よく「私はうつ病を克服して…」なんて自慢してました。
聞いている方が恥ずかしくなる。冷笑、苦笑するのみ。
主治医はたぶん当時の精神科教授のMではなかったか?
1950年代に台弘なんかと一緒に、ロポトミー手術のついでに脳の切片を切り取ってくすねて、10数年も経って、刑事告発された。不起訴になったので刑法上の犯罪者ではないが、その後も人体実験めいたアブナイことを続けていたらしい。そんなヤツが巾をきかせていられるのが精神医療の世界である。
もう一人、よく思い出すのは20年位前、私が今の治療を始めて数人目に来た人。
元気なオバサンのはずだが、精神科では「うつ病」という診断名。薬をハンドバッグにいっぱい、ごっそり持っていた。
自分は社交的で人に好かれるので、友人知人も多く、活動的で○○もしたり□□もしたり…なんて自慢していた。
身体をしょっ中めった切りするので、数cm位の傷跡が顔にも身体にも無数にある。満身創痍、リストカットではない。
古くて傷跡もわからなくなっているのやら、新しい血のにじんでいるリアルなものまで、全部で数百箇所か?
今日も3箇所切ったので、病院で縫ってもらったなんて、肩まで袖をまくって見せ、何の深刻さも無く得意げに言う。
受診・服薬前に自傷行為はなかった。
もちろん向精神薬の作用、薬害。躁病に抗うつ剤飲ませるんだから錯乱して当たり前である。
死なれては困るって、精神科医はやたら薬増やすので、めった切りもエスカレートして悪循環。
うつ病なら確実に死ねる方法を選ぶはず。何百箇所も切っても、今まで死んでないんだから…
薬は徐々に減らして薬止めた方がイイと言うと、ちょっと驚いたようだったが、一応納得したようで、そうしますとは言っていた。もちろんそれで治るわけではないが一応、回復はしたのだろうか?
1回相談に来ただけで、治療を受けに来るとは言ってたが、その後は来ないし連絡もないので治療はしていない。
他にもいろいろいましたけど。躁病をうつ病と間違える古典的な誤診。
こうした誤診が「薬でうつ病が治った人もいる」という根拠にされているところがある。
躁病なんだから放っておいてもすぐ元気になるのは当たり前なのに。
丸岡いずみさんは、またビジネスチャンスを把んだ、本も出せる、テレビに出て復活だってことで、元気になったわけでしょ。それと結婚か。夫婦共謀らしい。もちろん精神科医とも結託して共謀。
本書いたり、テレビに出る前に、やるべきことがあるでしょ。それをやったらそうそう元気になんかなれないのがむしろ健康的というものです。口先だけの反省じゃダメですよ。
本書いたり、ミヤネ屋何たらという番組でやらかしたことは病気から回復じゃなくて、病気に回復、症状復活です。
安易に回復して人に迷惑かけないで欲しいです。
そればかりでなく、このままだとまた何かやらかしそうではある。ご自愛されたし。
ここを読んでも、自分や薬や精神医療を正当化するだけでしょうけど。
もちろんホントに良くなりたければ、ウチには良い治療法があります。でも良くなりたくないか…
というわけで、宣伝ですけど、
うつ病など、PTSD心的外傷後ストレス障害に有効な自己治療法のマニュアルを販売し施療指導しています。

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新型コロナ陽性、有村昆、

『PTSDに初の治療指針』朝日新聞

日本トラウマティック・ストレス学会 『PTSDに初の治療指針』 朝日新聞

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災害や犯罪などの体験が心の傷となり、強い不安や不眠などが続く心的外傷後ストレス障害(PTSD)への対応や治療の指針を、専門医の学会が初めて作った。東日本大震災などがきっかけだ。医師による適切な治療のほか、呼吸法など患者自身ができる対処法も紹介している。
 世界保健機関(WHO)の2005年の調査では、日本国内で生涯にPTSDになる人は人口の1・1~1・6%、20代~30代前半に限ると3・0~4・1%だった。
 しかし、専門医が少なく、適切な治療を受けていない患者も少なくない。精神科医らで作る日本トラウマティック・ストレス学会による指針は、正しい診断には、医師が患者の体験を丁寧に聞くことが重要と指摘。最初の2~3回の診察は時間を十分とって、患者のペースで話してもらうよう求めている。さらに医師は、患者に「誰にでも起こる病気で患者が悪いわけではない」と説明することも大切とした。自分を責める患者が多いためだ。
 つらい体験がよみがえる「フラッシュバック」や息苦しさなどが起きた時に症状を和らげる方法を患者が行うのも有効だという。気持ちを落ち着かせる呼吸法などを紹介している。
 薬による治療は、最終的な手段として慎重に行うよう助言している。「SSRI」と呼ばれる新しいタイプの抗うつ薬を推奨する。最低でも1~2週間は続け、症状が無くなった後も1年間続けると、再発防止効果があるという。
 抗不安薬として広く使われているベンゾジアゼピン系の薬は、PTSDの主な症状には効かず、依存を起こしやすいため、長期的な使用は推奨していない。
 指針作成委員の重村淳防衛医大講師(精神科)は「PTSDでは、適切な治療でつらさが軽減できることを知って欲しい」と話す。

http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309160429.html
http://digital.asahi.com/articles/TKY201309160429.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201309160429
PTSDの薬物療法ガイドライン・初期対応マニュアルの発刊について
「PTSD の薬物療法ガイドライン:プライマリケア医のために」
「PTSD初期対応マニュアル:プライマリケア医のために」
こりゃひどい、PTSDにSSRIjh!しかもパキシル、ジェイゾロフト! PTSDは心の病気ではなく「脳の病気」、トラウマ(心的外傷)ではなく「セロトニン不足」が原因ですか?
パキシル等SSRIは「効果」も乏しく、あまりにも有害、危険であることをようやく精神科医も認めざるを得なくなって、ここ数年は売り上げが減ってきたはずだが。
そのおかげで2012年はようやく自殺者が3万人を切ったのに。
予測通り、2012年『自殺者、15年ぶり3万人下回る』 その理由、原因は?
あえて、パキシル、ジェイゾロフトを勧めるということは、JSTSSはグラクソ、ファイザーからだいぶ貰っている人がいるのだろうか?

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どんだけ自殺者増やしたいんだ。っつう本気で殺したいのか!?
震災被害者を減らせば、補償のための費用がへら減らせるとか、原発事故被害者はガンになってたらだと補償問題とかやっかいなので、その前に殺せとか、そういうことか!んな意図はないだろうけど、そう言うわざるを得ない。
あの何の役にもたたない、日本トラウマティック・ストレス学会JSTSSだ。
日本トラウマティック・ストレス学会と聞けば知らない人はまともな学会だと思うかもしれないが。
震災の後も何も出来ず、活動らしいことはお茶を濁す程度で、ナリを潜めていたようだが。
おとなしくしてればまだイイのに。何をトチ狂ってんだ?
最近までEMDRを推奨していたような気がするが、いくらEMDRが有効でないからってSSRIはないだろ!
ちなみに9/14のNHKの番組では、今まで「うつ病に抗うつ剤SSRIを宣伝して被害を拡大したことは反省?してか、EMDRが良いと宣伝をしていたらしい。
『トラウマからの解放』 NHK ETV特集
震災被害者には、そんなには精神科医が入り込んでいなかったからまだ良かったのに。
(すでに被害はかなりあるようですが)
震災から既に2年半、震災被害者PTSDの症状もこのあたりから山場を迎えそうでもあります。
精神科医にとっては虎視眈々と狙っていたビジネスチャンス到来と見ているのか。
マスコミもトラウマ、PTSDと言うようにはなってきたが、性懲りも無くやはり受診、服薬を勧めるとは…
日本トラウマティック・ストレス学会JSTSSとしては、どちらかと言えば、何もしてないという負い目の払拭、周囲からの圧力に対する言い訳でしょうか。
ベンゾ系抗不安薬は効果がなく、依存性が強いことは認めているようだが。
好意的に考えると、ベンゾ系抗不安薬の依存性、離脱症状等のあまりの強さ、有害性を考えるとSSRI新型抗うつ剤の方がまだマシ、無原則な多剤大量処方を抑えようと訴えたいのかもしれない。
これはどちらかと言えば身体ボロボロより、精神錯乱、自殺のリスクの方がまだマシということですか?
このままでは、精神医療過誤、向精神薬害があまりに広まっても精神科医集団の墓穴を掘ってしまう、という危機感があるのか?
あまりに評判を落としたパキシル、ジェイゾロフト等SSRI、精神科医を擁護したいのか?
いずれでもありそうですが。
既に多くの精神科医はパキシルSSRI抗うつ剤等の効果の乏しさ(プラセボの1割マシ程度、良くてコーヒー程度とも言われている)や、激しい危険性をいくらかなりとも認めているので、もはや日本トラウマティック・ストレス学会 JSTSS のごときのガイドラインに従うわけではそうそう無いだろうが、多剤大量処方もそうそう簡単にはなくならない。
トラウマ・ストレスを謳うJSTSSでさえ、だからこそか、カウンセリング、認知行動療法はもちろんEMDRもダメだし、何もできない、やっぱり良くならないし超危険だけどけど精神科医には薬しかない、といった開き直りの自己正当化、末期状態と見えます。
呼吸法も無理にやったらよけいに悪くなる。神経の働きを根本から良くしないとダメ。

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 『トラウマからの解放』 NHK ETV特集

見なかったんですが、そういう番組をやったらしい。
これ見てウチを探してに来たという患者さんが教えてくれた。ウチはEMDRはやってませんけど。
『トラウマからの解放 NHK ETV 特集』
薬が効きづらいうつ病や、摂食障害などの複雑な心の病、自傷行為・薬物依存などの問題行動の背景に、幼い頃に受けた虐待や性被害の心の傷・トラウマが深く関わっている場合が多いことが、最新の研究から明らかとなっています。
トラウマは戦争や災害、事件・事故などの惨事に限らず、日常生活の中の身近な問題でも長期に渡りさらされることで、心や身体にさまざまな不調をもたらす原因となります。そうした中で、最近、トラウマを解消する治療法が登場し、治療の現場で効果を発揮しています。トラウマの記憶そのものを治療することで、多くの人が心の病や体の不調の原因となっていたつらい記憶から解放される時代となってきています。
番組では、トラウマ治療を行う日本とアメリカのカウンセリングルームに密着。心の傷・トラウマをどのように癒していくのか、最前線の治療現場からの報告です。

https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0914.html

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EMDRにがさも有効な治療法として紹介されたようですが、EMDRは既に海外では無効とされています。
惜しい「治療法」なんですけど。肝心な所を外しまくり。
薬物とは違ってそう侵襲的ではないでょうけど、やりようによるか。
トラウマと言えば、レイプ、犯罪被害、災害被害ばかりがとりあげられ、それはもちろん、精神健康にとって大いに有害なもので、重篤な精神疾患の要因にもなりますが。
それらについてそれなりの認識がある人でも、基本的には幼児期のトラウマについて理解していない人が多い。
逆に大したことないことを、トラウマと考える患者さん(一般の人も)も多い。
人前で恥を書いたとか、失敗体験とか。
それもトラウマではありますが、病因ではなくせいぜい、きっかけ誘因に過ぎないです。
そんなこと誰にでもあるとか。何もわからない、覚えてもいない幼児にそんな影響はないだろうとか。
もちろん幼児虐待もトラウマになりますが、いわゆる虐待とは言えないような、「精神的虐待」が精神疾患の主要な原因であることが殆どです。
脳病派、薬物療法派、生物学主義者ではなく、心理療法派であっても、本来のうつ病や旧来の精神精神分裂病が脳の病気と考えてしまうのは、ひとつにはそうした理由によるものと思います。
成長してからのトラウマと、幼児期・発達期からのトラウマは別なものではありませんが、かなり意味は異なり、たいしたことないようでも、精神疾患の主要な原因になり得ます。
実際には、程度は様々、多かれ少なかれ複合しているわけですが。
トラウマについてはまだ詳しく書いたことはないので、そのうち書くつもりです。
ところで今になってマスコミがなぜこんな番組をやるようになったか?
前にも書きましたが、ようやく抗精神薬害、精神医療過誤の問題に気づきだした人が増えたからでしょう。NHKもかつてはさかんに、うつ病キャンペーン、さんざん病気喧伝を行い、精神医療過誤、向精神薬害の被害者を増やしてきました。
製薬会社や精神科医の犯罪のお先棒担ぎをやったという批難を避けるため、責任逃れが主な理由でしょう。あるいは贖罪か。
マスコミはこれまで、震災被害PTSD、原発被害PTSDを激しく無視してきましたが。
精神疾患は脳の病気とばかり言って、向精神薬服用を勧めて来たばかりではない、と言いたいのはわかりますが。まずは、PTDSの正しい理解が必要です。
基本的にはすべての精神疾患は脳の病気ではなく、PTSDでありトラウマ・ストレスが原因です。脳の病気は精神疾患ではなく中枢神経疾患、今の精神医療は医学的に間違っています。もちろん結果も悪化。
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『生活習慣病としてのうつ病』 井原裕

『生活習慣病としてのうつ病』 井原裕
井原裕さんのことに関しては、今までに2回ほどふれた。
精神科医療批判は国民の義務 『医原病としてのうつ病』 井原 裕 精神神経学会
『双極性障害と病気喧伝(disease-mongering)』 井原裕
井原裕さんは「今が旬の精神科医」なのでしょう。
この本は従来の「インチキうつ病本」とは一線を画すもので、とりあえずすべての精神科医や患者さんは読んだ方がいいと思います。
私は買って後悔しましたけど。貧乏なので。同じ金出すなら、「ピート・タウンゼント自伝」の方が良かったなぁ。文字数も数倍だし。
「うつ病は心の風邪、誰でもなる」「うつ病は服薬して休養すれば治る」「早期発見、治療が大事」「うつ病は脳の病気、セロトニン不足」「抗うつ剤等の抗精神薬は安全、副作用も少ない」「もしかしてうつ病ではなく双極性障害?」といった、従来のインチキうつ病本は、もはや書店でもあまり売っていません。
精神科医は相変わらずそのような本を出したがっても、出版社は出したがらず、本屋も売りたくないのだ。曲がりなりにも文化の担い手としては、嘘だらけ間違いだらけの本を売ることに、精神科医ほど無責任ではいられない。
医者も文化の担い手であるとしても、精神科医もそうだとはおせじにも言えない。
どちらかと言えばテレビ、ラジオ、新聞などのメディアは相変わらず「うつ病キャンペーン、病気喧伝」の反省なし、というより相変わらずそれを続けていますね。アベノミクスと同じか。
この本は、大型書店などでは大量平積みの所が多く、本屋の売り込みたいという意思も感じられる。一応、専門書としてはかなり売れるだろう。

生活習慣病としてのうつ病
弘文堂
井原 裕

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けっこう適確に精神医療の現状をふまえた上で書いている。
基本的に精神科医擁護、精神医療温存のスタンスは崩さず、精神疾患に対する無理解か、戦略的レトリックか?というところは前にも触れたように多々ある。あえて「うつ病」を前面に出すのも、その一環だろう。
精神医療救済のポーズをとって、指針を示し、主導的な立場を確保しつつ、反精神医療の攻撃をかわして弁護するといったところか。
このままでは自分たち「良心派、常識派」も他の精神科医と一蓮托生になってしまうという危機感が見て取れる。
「薬を使わない精神医療」を標榜しているようだが、実際はどうだか?
せいぜい、常識の範囲という程度にとどまっており、もちろん特に治療法をもっているわけではない。ほとんど睡眠の話だし。睡眠はもちろん重要だが、必ずしも適切な内容でもない。
ハッキリ言って、専門家が読むような内容は無く、町(村)医者やかかりつけ医や、一般健康本として患者が見る程度のものだと思う。
精神科医を専門家、プロとは見做せないのが前提という事ではあろう。 
全く治療ができていない、精神医療の現状を踏まえた上での苦肉の策だろうし、井原裕さん自身も「療養指導」と書いている。
うつ病等の精神疾患(PTSD)は生活習慣の問題もあるのが普通だが、もちろん生活習慣病とは言えない。原因が生活習慣ではなく、トラウマ、ストレスであるからである。
井原裕氏が提示するような生活習慣病としてのケア、生活習慣の見直し、「療養指導」は、必要有効な面もある。
「服薬と休養」の服薬はもちろん有害であるが、不適切な「休養」もまた有害であり、悪化させる要因となってきたことを考えると、なおのことである。
生活習慣病としてのケア、「療養指導」は悪いわけではないが、基本的は治療ができないための逃げ、治療不在の苦肉の策であるばかりでなく、しばしば心的外傷促進的になりうることも危惧される。
「不節制な生活をしてるから病気になるんだ」などと、親や教師、職場の上司などが患者を責めるのは、トラウマに塩を擦り込み悪化させる古典的なパターン、多くは親の自己正当化、無意識の開き直り。
うつ病等精神疾患を生活習慣病とらえることは有効な面もあるが、生活習慣が悪いから病気になる、と循環論法、本末転倒になりがちである。症例を見ても誤診と思われる例も散見される。
行っていることは治療ではなく、「療養指導」である。
この精神科医ならもしかして、かからないよりかかってもいいのかもしれない…かも。ではあるけれども。
それでも現状のほとんどの精神科医よりはるかにマシである。
多くの場合、精神科医は悪化させているだけなので。
もう少し正確に言えば、精神疾患に薬害性の中枢神経疾患を付け加えているだけ。
「効果」とされていることも、副作用(もちろん作用)も離脱症状も後遺症も含めて。
私にとっては目新しいことは何もないが、後つけて来てるな…、ちょっと追われている感じ。
ほとんどの内容はずいぶん昔から言ってたことでもある。
仲間として接近しているのかもしれないが。もちろん当方のことは知らないはず。
うつ病等精神疾患に対して「生活習慣病としての精神疾患のケア」ではもちろん不十分であり、治療法を持たずに「薬を使わない精神医療」「療養指導」というのは小刀で大木を切るが如し、あまりにも無理があり、有効性に乏しい。
井原裕さんのような方が真剣に治療したいと望んでいるとすれば、喉から手が出るほど欲しているはずの治療法を当方では行っています。
伝授するとすれば、もちろんいろいろな条件はありますが。
約20年前から施療しており、何人かの精神科医に教えてくれと言われたことはありますが、今までの所、企業秘密。
中井久夫さんでもいいけど、もう歳だしね。北山修さんでもいいけど。
フロイトやユングやサリヴァンなどに伝授できたとすれば驚喜するだろう。
もしかしたら抵抗を示すかもしれないが。
半端な分析家や精神療法家なら当然、抵抗するだろう。否定、否認
高慢、不遜に思われるだろうけど、心外というより論外。
生物学的精神医学に進歩の道はなく、治療に近づくことさえありえず、今後もあさっての方向に行くしかない。と言うか、おととい来やがれ!である。
人類の知性や英知、天才的な洞察や理解が治療に結びつくことはありうるが、科学技術がいくら進歩しても治療に近づくわけではない。
心の自由、魂の開放、精神の救済をめざすことない現状の精神科医が治療にたどり着くことは、これかちもありえないし、誰も用はないだろう。

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睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン 厚生労働省、初の指針

睡眠薬、上手な使い方は? 厚労省研究班などが指針 (朝日新聞)
 【大岩ゆり】10人に1人が悩んでいるといわれる不眠症で、睡眠薬を適切に使って、上手にやめるための診療指針ができた。まずは生活習慣を改善し、睡眠薬を使う場合は患者の症状や体質に合う薬を、原則として1種類だけ使うよう勧めている。厚生労働省研究班と日本睡眠学会が13日、公表した。
 指針では、効果の時間が短い睡眠導入剤など睡眠薬との上手なつきあい方を40項目のQ&A形式で解説している。不眠症ではまずは睡眠薬に頼らず生活習慣を見直すことが重要とした。効果的な対策として、定期的な運動▽就寝前の空腹を避ける▽就寝4時間前以降は日本茶やチョコレートなどカフェインの入った飲食物を避ける▽就寝前は喫煙しない、を挙げた。
 睡眠薬は基本的には1種類を服用。寝付きが悪いのか、途中や早朝に目覚めるのか、年代や持病があるかなどを考慮して、薬を選ぶ必要があり、指針には適した薬を例示してある。
 研究班主任研究者の三島和夫・国立精神・神経医療研究センター部長は「睡眠薬は原則として、ずっと服用し続けていいものではない。治ったら、ゆっくり減らしながら徐々にやめることが基本」と解説する。
 国内では睡眠薬に頼る人が増えており、3カ月に1度、処方を受ける成人は5%近い。複数の薬を服用する人も多く、精神科患者では4割近いという。
     ◇
【主なQ&A】
 睡眠薬の使い方、やめ方の指針は、日本睡眠学会(http://jssr.jp/)のサイトに。
 Q 寝酒の方が安心か?
 A アルコールは睡眠の後半の眠りが浅くなり、睡眠の質が悪化する。
 Q ストレスや精神疾患による不眠に睡眠薬は効果があるか?
 A うつ病の不眠には効果的。心的外傷後ストレス障害(PTSD)にはあまり効果がない。アルコール依存症は、睡眠薬の副作用が起こりやすく薦めない。
 Q トイレが近く眠れない。睡眠薬が必要か?
 A 頻尿の原因となる疾患の治療が最も大切。泌尿器科医や主治医に相談を。
 Q 高齢者の不眠症にも効果があるか?
 A 効果がある。一方、高齢者は薬の副作用が出やすいので注意を。
 Q 睡眠薬を服用中に妊娠。大丈夫か?
 A 大部分の睡眠薬の安全性はまだ不明。睡眠薬の種類や量、不眠の重症度などを総合的に判断すべきだ。相談窓口「妊娠と薬情報センター」もある。
 Q 更年期障害で眠れない。睡眠薬は必要か?
 A 更年期障害の不眠に効果がある薬は2種類ある。
 Q 睡眠薬を飲んでも眠れない。増量すれば効果が出るか?
 A 一定の効果が出る一方、翌日の眠気やふらつきが増える可能性も。安易に増量すべきではない。
 Q いつまで服用?
 A 夜の不眠症状が改善し、日中の心身の調子が良くなったら減量や中止を。
 Q 薬の減量法は?
 A 1種類を4分の1錠ずつ減らす。1~2週間様子をみて問題なければ、さらに4分の1錠減らす。中止する場合は、不眠や動悸(どうき)、吐き気、不安感などの離脱症状に注意して、時間をかけてゆっくりと。

睡眠薬の適切使用に向けた初の指針 (NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130613/k10015276791000.html
睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン
ー出口を見据えた不眠医療マニュアルー
http://www.ncnp.go.jp/pdf/press_130611_2.pdf
まったく、今さらである。
睡眠薬の上手な使い方などありません。どうしてもやりたいなら3日以内、断続的でも長期服用はダメ。
長期処方ができるのは日本と韓国くらいだと言われています。当然、睡眠薬中毒の人も多い。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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精神科医療批判は国民の義務 『医原病としてのうつ病』 井原 裕 精神神経学会

 『医原病としてのうつ病』 井原 裕
孫引きですけど、第109回日本精神神経学会学術総会(2013年5月23~25日)の抄録より

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『「うつ病」はもはや医原病、一定期間以上の服薬者はすでに抗精神薬依存症、薬物中毒』とは、私はもう10年以上前から言っておりHPにも書いており、反精神医療の人もそういう人がいますが、一部の精神科医もようやくそうした認識を持つようになりました。
ちなみに「うつ病はもはや医原病」というフレーズは、もう既に私が10年近く前から(何年も待って現象が明らかになってから)言っていったことで、HPにも書いていました。反発かったけどね。
「精神科医はマッチポンプ、ポンプから噴出すのはガソリン」、とか、「向精神薬は遭難者に毒饅頭」、といったフレーズは10年以上前からネット上で言ってるので、たぶん私がオリジナルだと思う。許可無くマネしてもいいですけど。
「精神科医療批判は国民の義務」というフレーズは井原さんオリジナルでしょうね。私はむしろ、患者も周囲の人も自己批判が必要とは言ってましたが。
いずれにしても、一見奇妙に思う人も多いかと思いますが、そうではありません。
国民の払っている健康保険料や税金が、人々の健康を害したり、命を奪うことにも使われているですから、当然でしょう。自殺が増えたのも抗うつ剤等、抗精神薬の作用(副作用)賦活化症候群(アクチベーションシンドローム)が主な原因です。
軽症にすぎなかった患者も受診・服薬で、慢性の薬害性中枢神経障害者となってしまい、仕事や生活も立ち行かなくなり、保護、扶助のための、障害年金や生活保護費などの費用も増えるばかりです。
精神医療など有害医療を縮小させれば、消費税率など簡単に吸収してしまい、問題にはなりませんが、このままではいくら税金を増やしても追いつきません。老人も増えるというのに。
「この国は医療に滅ぼされる」とは、ある医療ジャーナリストの言葉ですが、あながち大げさでもありません。
一方では、「病気かどうかはわからんが、とりあえず専門医に相談してみたら」、「早めに精神科や心療内科をを受診して…」、「今は副作用も少なくて安全な良い薬があるようだから…」などと言って、犯罪のお先棒担ぎのようなことをしてしまった人もいるかと思います。自己批判も国民の義務かもしれません。
精神医学会、精神医療界は自浄作用もありません。
井原裕さんも、業を煮やしてついにココまで、あの手この手を考えてようやく、ということなんでしょうけど。
しかし、文字通り受け取るならば根本的な誤りを指摘しないわけにはいかない。
精神科医の立場を守りつつ、事実を認めさせ、被害者を減らすための、戦略的レットリックなのかもしれないが。
これは一般の人にも、反精神医療派の人にも共通したことでもある。
(これ書くと多方面から大いに反感を買うけど)
『精神科医は、「こころの病気」について知っているが、「悩める健康人」については知らない』
 のではなく、「こころの病気」についてこそ、無知蒙昧なのである。「悩める健康人」についてももちろん無知ですが。
「こころの病気」について知っていれば、そもそも向精神薬など使うわけはない。
そもそも「心の病気の人」とは謂わば「悩める健康人」のことである。
苦悩の程度の差がとてつもなく大きく、傾向も様々であるというだけである。
自覚症状がなく、当人の主観では、「悩める」わけではない人ももちろんいるが。
語弊があるのでより正確に言うならば、「心の病気の人」は、「身体的にはもしくは脳は健康であっても、精神的に苦悩する人」のことである。程度、傾向の差は激しくともすべての人は病気であり、完全に健康な人もありえない、とは言える。
昔から「うつ病」というのは脳の病気ではなく(もちろん脳の状態は健康的ではないが)、原因は過去の心的外傷と現在のストレス、不適応である。
さしあたっての問題はなくとも、とてつもなく悩めるがゆえ、激しい抑うつ状態に長期に渡って陥り、抜け出せない人のことである。
従って治療は、過去そのものは変えられないので、過去の影響を変えて、現在の不適応や問題を解決、克服することである。
遺伝による脳病としての、うつ病など発見されたことも証明されたこともない。
(そういう病気はあるが、神経症はもちろん、うつ病や精神分裂病〔統合失調症〕もそうではない。)
もちろん、「うつ病」保険病名、単一疾患名、疾患単位として良いか?の問題はあるし、今更であるが、無原則に拡大したのはもちろん大問題であるが。
昔から私は疾患名、疾患単位ではなく、便宜的な疾患概念と考えている。
したがって、精神の病気は存在しない、というのもまた不適切である。
自分自身の精神的問題、精神病理を自覚せず正当化する人、身近に精神疾患の人がいない人が、そのように考える傾向がある。
精神疾患を脳の病気、身体の病気と同様に考えると、そんなものは存在しないということはなるが。
(脳の病気は中枢神経疾患であり精神疾患ではない)
著しく健康を損ねているという意味では、精神疾患もまた病気と考えざるをえないはずである。
「悩める健康人」の成長と、「心の病気」の治療は同じことである。
もし精神科医に「こころの病気」の治療ができるのなら、大いに「病気喧伝」をして受診者を増やすべきである。それが文化の発展、人類の進歩というものである。
しかしながら、向精神薬で「こころの病気」が良くなるわけはなく、有害なばかり、薬物処方しかできないのに患者を増やして、抗精神薬害をまきちらし医原病をつくってきたのが問題なのである。
これは人類の進歩に反する。
圧倒的に後退しているのが精神医学・精神医療という「学問」「(科学)技術」である。
誰かが、「患者は病院には行かず寺に行け、治療は精神科医ではなく、坊さんにやらせろ、寺や坊さんは本来の役割を果たせ」と言ってたな。
それも一理はあるし、全く見当違いではないですが。
精神科医よりはマシだろうけど、そうなったらこれまた暴走しそうである。
伝統宗教が謙虚?に「治療」を避けてきたのは、それなりの理由がある。
精神医療は「こころの病気」について知っているわけではなく、治療もできないのに、ずうずうしくもそこに入り込んで、被害を拡大してしまった。
井原裕さん本人はともかくとして、悪くとれば、精神科医の開き直りとも受け取れるし、実際に逆手にとる精神科医もいるだろう。
既にその傾向はあり、薬は患者が要望するから出していると開き直っている精神科医は多いし、患者に薬を選ばせたり、自分の判断で服薬を調節してもよい、などと言う精神科医も増えているようだ。
アドヒアランスもまた大いに問題であり、医者の側の責任逃れ、開き直りに使われてしまう。
これからはこういう自業自得論も大いに流行りそうな気もする。
 精神医療過誤、抗精神薬害問題は、患者が薬を要求し国民がそれを認めたせいだ。
 原発問題は国民がそれを批判せず、望んだからだ。
 国や政治家や電力会社を批判する義務を怠ってきたからだ、などなど
※井原裕さんについてはこちらでも触れています。
『生活習慣病としてのうつ病』 井原裕
『双極性障害と病気喧伝(disease-mongering)』 井原裕 「双極性障害」、「眠れてますか?」キャンペーン
精神医療だけでなく医療は曲がり角にきていることは間違いなさそうだ。
これなんかもえらい売れているみたいだし。同類の本も書店では山積みされている。


私は40年以上も前から精神医療批判の義務を果たしてきましたが。甘かったのも事実。
自分が向精神薬害、精神医療過誤の被害にあったわけではないし。
昔から治療ができたわけではないし。(治療法を確立したのは約20年前)
できないくせに偉そうなことは言えなかった。
批判はしていても、観方によっては直接ではないが加害者の側だったとも言える。精神科病院のスタッフでもあったり、医学部の教師でもあった。
今とは異なり、私の存在自体が精神医療批判であっても、そうそう対立もせず、むしろ批判者として受け入れられる状況もあった。
原発も30数年前に建設反対デモに行ったきり。
「自分たちさえ良ければ、というのが最もエコに反する」 「専門性の解体」 「科学批判、科学の相対化」
といったことが大学時代に作った「エコロジー研究会」のスローガンであった。
昔、この「脱病院化社会」を読んだ時には、俺以外にこんなことを考えている奴がいたのか! 世界は広いな、と思ったのは若気の至り。
内容は古い部分もあるが、基本的にはむしろ今でこそ革新的だと思う。当たり前のことだとも言えるが。

脱病院化社会―医療の限界 (晶文社クラシックス)
晶文社
イヴァン イリッチ

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これからどうするか?
もちろん代替療法に甘んじるつもりはありません。そもそも代替案ではなくこっちが本案だし。
ずっと先のことも考えて準備はしています。
若い頃は何もできなかったけど、昔からの志を実現できたことは、つくづく幸運なことだと思います。
話がずれて、しかも過去に向かったり、自分語りになってしまうのが、ジジイの悪いクセです。スミマセン

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向精神薬、減薬、断薬のために参考になるかもしれない本

向精神薬、減薬、断薬のために参考になるかもしれない本
それぞれ問題はありますけど。この手の本自体がまだ少ないので。本気で向精神薬、減薬、断薬に取り組む精神科医もいません。
やはり何ごとも鵜呑みにしてはいけません。特に精神科医の言うことは。

うつ・不安・不眠の薬の減らし方
秀和システム
原井 宏明

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心の病に薬はいらない!
かんき出版
内海 聡

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抗精神病薬の「身体副作用」がわかる―The Third Disease
医学書院
長嶺 敬彦

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アシュトンマニュアル 日本語版
http://www.benzo.org.uk/amisc/japan.pdf
精神薬から離脱するための、ハーム・リダクション・ガイド
http://www.theicarusproject.net/downloads/ComingOffPsychDrugsHarmReductGuide-Japanese.pdf

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警察庁、『ストーカー、警告でなく治療で予防へ…方針転換』

ストーカー、警告でなく治療で予防へ…方針転換
読売新聞 5月4日(土)8時57分配信
 警察庁は、ストーカー行為を繰り返す加害者に対し、専門機関で治療を受けるよう促していく方針を決めた。
 ストーカー規制法に基づいて警告などを与えても嫌がらせが止まらず、殺人にまでエスカレートしたケースもあることから、警告や摘発で被害防止を図る従来の方針を転換する必要があると判断した。今夏にも一部の警察本部で試行したい考えで、効果を検証したうえで全国的に実施する。
 同庁によると、一部の警察本部に試行を依頼し、警告を受けてもなおストーカー行為を繰り返す者らを中心に、治療実績がある専門機関を紹介し、カウンセリングなどを通じて考え方や行動の修正を図る。
 試行後には、改善が見られたかどうか検証。効果が確認できれば、協力を求める全国の専門機関を選定し、各警察本部に実施を指示する。

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反精神医療派の人の中には、
「犯罪者やストーカーのような悪い奴だからといって、向精神薬を飲ませて薬漬けや、電気ショックを与えるなどして、自殺に追い詰めたり、健康被害を与えてひどい目に合わせても良い、ということにはならない」
と憤慨している人もいるが、それは見当違いというものだろう。

いくら精神科医でも、「ストーカーは脳の病気、早期発見して、薬を飲めば治る」とは言わないだろう。
もしそう言うなら、いくらなんでもそりゃおかしいと、少なくとも有識者は思うだろうし、精神医療被害減少につながるという意味ではいいのかもしれないけどね。

警察も精神科受診者の増加、向精神薬依存症の増加により、自殺者が増えた事には気づいているはずである。
 自殺対策を精神科医にやらせてもダメだ、余計に自殺者は増えてしまうということにも。
オーバードーズなどの問題や、急速増加中の不審死者にも向精神薬服薬者が非常に多いのも知っているはずである。
犯罪者の多くが、向精神薬依存症者であり、凶悪犯罪など、犯罪を増加の要因になっている事にも気づいているはずである。

覚せい剤依存症(旧向精神薬)はそのうちのごく一部、覚せい剤は処方薬ではないがシャブ中ポン中もまた向精神薬依存症である。
しかしだからと言って、警察がこうしたことを証明し、明確に指摘し、精神科医を摘発し、敵に廻すことも出来ない。本来なら殺人は無理にしても、傷害致死くらいで検挙すべきであるが。

警察もストーカー対策にはこれといった方策がなく、手を焼いている。責任逃れ他におしつけ、という面もないでもないだろうが、治療的予防は当然、当然精神科医の役割だ。
そこで、既に害ばかり役立たずの精神科医、精神医療の利用価値はないのかと考え、ストーカーの治療をさせることに方針を変えたと言う事だろう。
もちろんストーカーも幼児期の心的外傷、トラウマによるPTSDであり、うつ病など他の精神疾患と基本的には同様である。
病識がなく、自分を治そうとはしない場合ももちろん多いが。

ストーカーの治療ができなければ、もちろん被害者や一般のうつ病や神経症などの患者の治療だってできない。
利用価値のない精神科医に課題を与え、利用価値を引き出そうとしたとも言えるが、自殺増加、犯罪増加などの対策の一環として、精神科医の無能さを明るみに出す、という意図もあるのかもしれない。
そうした意図がないとしても、ストーカーの治療ができない、治療から逃げるとしたら精神科医の無能さ、精神医療過誤の問題は明るみに出る。
精神科医が真に試されることになる。

「試行後には、改善が見られたかどうか検証」、警察も本気か?
けっこうなことだ、大いにやらせて検証したらよい。警察も手を抜いちゃダメだね。
改善が見られなければ、他の精神疾患の治療もできない、ということだから精神科医は手を引くべきだろう。
精神科医はこれを受けて立つべきである。何としてもストーカーの治療を行うべきである。
それをやらなければ専門家ではない。ストーカーの治療ができれは、被害者をも助けることができるので、一石二鳥である。
というよりそれが役割なのだから、最初から自ら進んでやらなくてはいけなかったのである。
曲がりなりにも社会の役に立たなければならない仕事であり、一般からもそう期待されているのは今も昔も基本的には変わりはない。どうせ役立たずと思われているのも昔からだが。

どうする!精神科医!
ちゃんと治療しろよ!ストーカー被害、犯罪被害を減らせよ!それが仕事だ。
与えられた最後のチャンスだ。
いくら精神科医でも、まさか「ストーカーは脳の病気、早期発見して、薬を飲めば治る」というバカはいないよな。
そうは言わせないぞ!
いつまでも患者を薬漬けにするだけで、治療から逃げるつもりか?
抗うつ剤でも飲ませるつもりか?
ストーカー殺人、続出になるぞ。これは既に一部は起っていることだ。
薬でうつ病などの患者が治せるなら、ストーカーだって当然治せるはずであるが、そんなことはもちろんありえない。

少なくともここ10年~20年は精神医学、精神医療は対象範囲を著しく拡大したものの、学問的にも実践的にも大きく後退し、多くの被害者を出してきた。精神医療に自浄作用がないことも既に明らかである。
ストーカーは精神医療の試金石、精神科医は警察が与えてくれたこのチャンスを精神医学、精神医療再生進歩のきっかけとすることができるか?

ちょっとばかりヒントを与えよう。
ストーカーの被害者に対する感情や行動の大部分は「転移」によるものである。
実際の意味はわかっていないだろうが、精神科医でも「転移」という言葉は知ってるはずである。

実はストーカーの多くは既にストーカーの被害者でもある。
 この場合、被害者は幼児期、発達期のストーカー、加害者は多くの場合その親。
親に愛情を求めてもフラれまくって傷ついた子供が、大人になって他者の女性にその補償を求める、得られなくても現在のことではなく、過去のことである。過去は変えられないので、止めるわけにはいかない、と言えばわかりやすいだろうかもしれないが、それも一面に過ぎない。

転移を引き出し精神科医が被害者に代わって、これを引き受けて対処できるか。
患者に無意識の転移を自覚せしめ、自ら転移を克服、解消できるように導くことができるか。
その決意や勇気や、意欲や根性も必要だが、もちろん手技手法、能力も必要である。
それが治療の前提。
ガンバレ!精神科医!そこまで行けたら我々のライバルたりうる。

https://www.self-therapy.info/
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「睡眠導入剤を大量服用の女子高生、治療怠り死亡」 どういうことでしょうか?

睡眠導入剤を大量服用の女子高生、治療怠り死亡
2009年4月、睡眠導入剤などを大量に服用して運ばれた女子高生(当時18歳)を治療せずに帰宅させて死亡させたとして、福岡県警は、産業医科大病院(北九州市八幡西区)の神経精神科に勤務していた男性医師(30歳代)を業務上過失致死容疑で近く福岡地検小倉支部に書類送検する方針を固めた。
 捜査関係者などによると、女子高生は03年頃から、うつ病を患って通院しており、医師は主治医だった。09年4月19日夜、女子高生は北九州市小倉北区の自宅で処方されていた睡眠導入剤などを大量に服用して意識がもうろうとなり、両親が車で搬送した。
 同日午後11時半頃、当直勤務だった医師は病院の駐車場で車の外から、車中で寝ている女子高生を見て、「そのまま連れて帰って大丈夫」などと話し、両親が治療を求めたにもかかわらず、これに応じなかった。
(2013年4月11日08時14分 読売新聞)

とりあえず情報としてはこれだけなので、よくわからないのですが。
多分に推測に基づいて、ということになってしまいますが、いくつかの大きな問題が含まれているので、そのポイントについで述べてみたいと思います。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意!

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新型抗うつ薬SSRI、効果なし?18歳未満「慎重に」

新型抗うつ薬SSRI、効果なし?18歳未満「慎重に」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130329-OYT1T01352.htm?from=ylist
 厚生労働省は29日、1999年以降に承認された新タイプの抗うつ薬の投与について、18歳未満へは慎重に検討することを添付文書に記載するよう、日本製薬団体連合会に指示した。
 海外での臨床試験で有効性が確認できなかったための措置。対象となる抗うつ薬は6種類。商品としてはレクサプロ、ジェイゾロフト、サインバルタ、レメロン、リフレックス、ルボックス、デプロメール、トレドミンの8種類ある。
 厚労省は「すでに服用中の患者は自己判断で中止せず、医師の指示に従ってほしい」としている。
 神庭重信・日本うつ病学会理事長の話「効果が現れていないケースでも、服薬を突然やめると不安感やめまい、不眠などの中断症候群が現れる恐れがある。通常1週間ほどの減薬で中止できるので、主治医に相談してほしい」
(2013年3月30日08時59分 読売新聞)

詳細はこちらを確認
『独立行政法人 医薬品医療機器総合情報』
医薬品関連情報 > 使用上の注意の改訂指示 > 平成24年度指示分
http://www.info.pmda.go.jp/kaitei/kaitei2012.html
とりあえず、こちらをご参考に。
『八咫烏(やたがらす)』
抗うつ薬は2週間でやめられる』という日本うつ病学会理事長の暴言
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11501113086.html
SSRI、SNRI、医薬品添付文書改訂における不遜
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11496403933.html
『精神科医の犯罪を問う』
新世代抗うつ薬、18歳未満に効果なし
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53919464.html
『精神医療の真実  聞かせてください、あなたの体験』
抗うつ薬、子どもへの有効性確認できず
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11501224093.html
そもそも使い道のなかった薬を、多国籍企業の製薬会社と御用精神科医が治験データを捏造し、賄賂等でで公的機関に「うつ病」の薬として認可させ、「うつ病は早期受診、薬で治る」という病気喧伝で広めたものですから、効果がないのは当たり前です。
(既にこうしたプロセスは内部告発等で暴露され製薬会社側も認めています)
新型抗うつ剤SSRIの中でも最も危険とされているパキシルが入っていませんが、既に指示が出ているためと思われます。既にパキシルの添付文書には、7~18歳の大うつ病患者には効果がないこと、自殺を促進する危険性があることが書かれています。
効果がないだけならさほど問題はありませんが、あまりにも危険性がの高い。
特に脳が発達途上にある子供にとっては、新型抗うつ剤SSRIに限らず、向精神薬は殆ど脳破壊薬として作用するはわかりきっていたことです。
子供には酒でさえ飲ませてはいけないのは行動異常と健康に有害なためで、法的にも禁じられていますが向精神薬など中枢神経に作用する物質は基本的には同様です。
おそらく、このまま子どもに対する抗うつ剤の使用を認めていると、被害が拡大してしまうので、あまりに高い危険性が明るみに出ることを恐れ、効果がないことを前面に出すことにした、というすりかえ、ごまかしという意味もあるのでしょう。
精神医療に自浄作用はありません。
新型抗うつ剤SSRIは、成人にも効果は乏しく、効果があるのは1割程度、もちろん成人にとっても副作用(実は作用)も強く、依存性も強く、自殺などの衝動行為を引き起こすアクチベーション(賦活化症候群)などの危険性も高いのです。
当然ですが特に長期服用、他剤併用(もちろん多剤併用も)だと尚のことで、脳も壊すので断薬した後でも後遺症さえ残ります。
新型抗うつ剤は前世紀の終わりごろから使われるようになり、急激に自殺者も増やしてしまいました。
それも莫大な医療費、すなわち健康保険料や税金を費やして。もちろん、患者本人の経済的負担や損失も莫大なものですが。
 コーヒーを飲んで眠気がなくなったからといって、睡眠不足が解消するわけはないし、ナポレオンのように短い睡眠で済むわけではありません。
睡眠不足のツケはもちろん後で回ってきます。
 酒を飲んで不安や葛藤を紛らわせることができても、もちろん不安や葛藤が克服できるわけはない。
先延ばしにして溜め込んだ不安は、後で増幅して襲ってくる。むしろ後で倍返し。爆弾を大きくしているようなものです。
 麻薬・覚せい剤(使いにくいので禁止された旧向精神薬)で気分良くなったとしても、悟りが啓けるわけでもないし、天才的アーティストになれるわけでもありません。
抗うつ剤SSRIを服用して効果があったからとしても、うつ病が治るのとは違うことです。
仕事のキツさが減るわけもないし、パワハラをするような悪質上司の性格が良くなったり、立派な人格者になるわけはないし、外的なストレスが解消するわけはありません。
自分のストレスへの対処能力が上がるわけでもないし、人間関係が良くなるわけでもないし、打たれ強くなるわけでもないし、適応能力が向上したり、人間が成長・成熟するわけでもありません。
飽くまでも、あたかもウツが軽減したかのような影響、疑似的な抗うつ効果が一部の人(プラセボを除くと1割程度)にある、というだけです。それも短期的効果であり、長期は続きません。
もちろん、飲み続けると効果は無くなるどころか、逆説反応(パラドックス反応)があり、余計にウツが酷くなってしまいます。
肝臓だけでなく身体の負担も大きく、中枢神経の負担も増えるため、当然、逆効果になるわけです。
効果が継続すれば良いわけではもちろんありません。
当然依存性もあるし、副作用(実は作用)も酷いし、自殺や他害などの衝動行為を促進するアクチベーション(賦活化症候群)も起こります。
抗うつ剤に限らず向精神薬は、中枢神経の働きを無理やり捻じ曲げて、中枢神経障害をもたらすだけです。それで、ウツが軽くなったように感じたり、周囲からもそう見えることもある、というだけのことです。
覚せい剤でも、真面目な人やリア充の人、日常生活に満足している人、向上心がある人や、精神が充実している人などには効果がなく、気分悪くなるだけ、と言われています。どこまでホントかは知りませんが。
(ちなみに私が聞いた限りでは、覚せい剤経験者〔7~8人、いずれも止めた人〕の全てが、「たぶん実際にそうだと思う」と言っていました。)
抗うつ剤SSRIだけでなく、もちろん他の向精神薬も同じです。効くほうがおかしい。
効かなければやめたほうが良いのは当たり前ですが、効くなら尚のことヤメたほうが良いでしょう。
しかし、効かなくても飲み続ける人が多いのはもちろん依存性が強く、止めると離脱症状(禁断症状、断薬時症候群)が現われるからでもあります。
精神科医にもようやく離脱症状が知られるようになりましたが、ほとんど理解しておらず、離脱症状が現れても元々の病気のせい、もしくは病気が悪化したせいにします。
殆どの長期服用者が効果がないどころ悪影響が強いのに止められない、これは精神依存が強いからでもあります。
身体依存、脳破壊よりも精神依存の方が恐いかも知れません。依存の自覚そのものがなくなり、服薬を正当化し、止めようとも思わなくなるので。
薬物に依存するということは物質だけでなく、他に依存するということでもあります。
薬に頼るなら、宗教にでも頼ったほうがよほどマシです。
誤解を恐れずに言えば、伝統宗教に頼るのは案外安全です。
長い歴史の中で、魔女狩りやら禅病やら色々な問題も起りましたが、それなりに克服してきた伝統があるからです。
概して言えば、その点で新興宗教は既に伝統宗教が経験した問題にまだ気づいていなかったり、問題が伏在しており、これから問題が起る可能性も高いため、やはり危険性が高いと言えます。
日本うつ病学会理事長、神庭重信は、何と!「通常1週間ほどの減薬で中止できる」と言ってます。
これは見過ごすことはできません。事実誤認、欺瞞も甚だしい。大いに物議を醸すはずです。
いかに精神科医が無知蒙昧、自己正当化、自己保身の権化であることを現しています。あえて「通常1週間ほどの減薬で中止できる」と言うからには、おそらく確信犯でしょうけど。
精神科医や日本うつ病学会は、1週間以上、離脱症状(禁断症状、断薬時症候群)、退薬症状、中断症候群が続く場合、元の病気のせい、悪化したためとすることになっている、と言うわけです。今までと同じ、どこまでいっても責任逃れ、責任転嫁。
好意的に受け取るなら、単に1週間程で分解され血中濃度も下がり薬効がなくなる、と言うだけのことかもしれませんが。
。それでも事実に反するし(薬物の蓄積もある)、それを言うなら、「1週間程度で(禁断症状、断薬時症候群)が起る可能性が大きく中止するのもたいへん危険である」、と書くべきです。
抗うつ剤の減薬・断薬は飲み続けた期間より長くかかる、とさえ言われてます。まして1ヶ月で止められるなど、無知蒙昧、無責任も甚だしい。人によって大幅に違うので一概には言えませんが。
精神科医は向精神薬害の責任は取ってくれません。もちろん補償もしません。被害を蒙り、損をするのは患者ばかりです。
飲み続けるのも危険ですが、減薬・断薬も離脱症状もあり危険が伴いますので、慎重に行う必要があります。
上手く止められて、後遺症もなかったとしても、良くても元の木阿弥、振り出しに戻る…。
大変な経験をして断薬した人も増えており、そうした経験自体が貴重で得るものもあった、自分が強くなったという人もいますけど。
転んでもタダでは起きないことは大事、どんな経験からも得るものはありますが、やはり失うものが大きいでしょう。
『真の精神医療は向精神薬を捨てることから始まります』 医者も患者も…

※追記
子供の精神疾患、発達障害(誤診)についてはこちらにも書きました。
発達障害 (1):発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害 (3):発達障害(誤診)の症例
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