脳に電極を埋め込み電気刺激で精神病やPTSDを治療!?

2017年11月24日
脳に電極を埋め込み電気刺激で精神病やPTSDを治療する計画が臨床試験へ
『脳に極小チップを埋め込む「PTSDのインプラント治療法』をDARPAが開始 – GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20171124-ai-brain-implant-mood-disorders/

全く当たり前のことだが、そんなことして精神疾患PTSDが良くなるわけはない。対症療法としても激ヤバである。

ヤバいって今は良い意味で使うのか?
昔はアウトローの隠語で一般の人が使うような言葉ではなく、現天皇(浩宮氏)が小学生の時に使って、一体どこでそんな言葉を憶えたのか問題になったくらいだが。「マッポが来るぞ!やばいっ」てな具合。

今の「精神医学」や精神科医の考えは、基本が間違っているので、いかに科学技術が進歩しても悪い方向にしか進まない。
そういうことは前にもだいぶ書いた。
精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ
(うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)

http://68631324.at.webry.info/201701/article_2.html
なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?
http://68631324.at.webry.info/201608/article_1.html

うつ病の発症メカニズムが解明された!??
http://68631324.at.webry.info/201608/article_31.html

NHKスペシャル「ここまで来た!うつ病治療」
脳血流の画像診断装置光トポグラフィー・磁気治療法
http://68631324.at.webry.info/201608/article_48.html

などなど。他にもいろい書いたので見てください。
昔から「脳に電極入れて電気刺激で…」とか「首の挿げ替え」なんてことは我々もよく言ってたが、SF話ではなく悪い冗談、怖いもの見たさというか怪談や犯罪話のように、飽くまでブラックジョークで言ってたのだが。
犯罪に関心があったのももちろん精神疾患PTSDの予防、改善の観点からであるが…。

しかし、もしかしたらそんなとんでもないことをするマッド・サイエンティストや、それを支持したり商売にするバカも出てくるんじゃないか?
という不安や恐怖もあり、悪い冗談というより、口にするのも憚られる恐ろしい話とも思いながら、悪い未来の予感を脱ぎ捨てつつ…
そんなことは神をも恐れぬ愚かな行為、くわばらくわばらわなわなわなと、話だけでも青ざめる人や、不謹慎だと真顔で不機嫌になる人も少なくなかったはずだが、今となっては本気で期待する人も多いのだろうか?

そんなことも考えていたので、学生時代に柴谷篤弘の「反科学論」やハーバーマスの「イデオロギーとしての科学と技術」から始まり、科学批判、技術論などにハマったり、エコロジストにもなったりしたが…、若い頃は。そんなこと考える奴は俺しかいないかと思ってたら、優れた人も沢山いたのは若気の至り。
左翼ではなく社会主義、共産主義の幻想はなかったし、ソ連は崩壊するぞなんて言ってもいたけど、ポスト資本主義、脱産業化社会を模索しつつ、(俺は考えるだけ言うだけでなく全く本気なので)その延長で今日に至るわけだが。
バカは死ななきゃ治らない。俺のことだ。
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要は今までの精神医学の進歩、成果を否定するからこんなことになってしまうのだ。
20世紀精神医学の最大の進歩・成果は、脳と精神が不可分一体であることを前提に、精神疾患と中枢疾患を峻別したことであるが、それは一部の人にしか理解されず、共有されずせっかくの学問研究の成果を否定するからこういうことになってしまうのだ。

理解できない、わかっていない精神科医が主流派であっただけでなく、何の根拠もなく「精神病は脳の病気」と大正時代に戻ったような言葉が独り歩きして、精神科医にも患者にとっても正しいことと偽称されるようになってしまった。
俺はたった一人でも正統派である。(独りじゃないけどね)
脳の病気だって薬なんかじゃ治らないのに。

中枢疾患の方は門外漢なので確かなことは言えないけど、
「脳に電極を埋め込み電気刺激」というのはパーキンソン病何かでは適応とされているようだが…、パーキンソン症候群に抗パキ剤はとりあえず、それなりの効果があるものの、余計に悪化する、難治化するとも言われている。
だからこそ、こんなものが持ち出されたりするのだが…。

じゃパーキンソン病はどうするのか?と言われても、やはり門外漢なので困ってしまうが、そういう病気にならないためにどうしたら良いか考えて対策した方が、余程効率的で有効性が高いはずだけど、やはり資本主義なので…。

抗精神病薬の副作用止めのために抗パキ剤を出すのは、昔からの薬漬けの定石だが、えっ本気でそんなことするの!って最初知ったときは驚いた40年前。
もちろん今も同じ、というよりもっと酷い。

でも、精神疾患PTSDの良い治療法はすでにあります。
もちろん精神科病院や心療内科にはありませんけど。

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立憲民主党、菅直人(元総理大臣)さんの奥様と話した。(精神医療過誤・向精神薬害を訴える)

菅直人(元総理大臣)さんの奥様とお話ししました。(精神医療過誤・向精神薬害を訴える)
安部総理大臣の理由なき解散のおかげで、衆議院総選挙が行われることになり、選挙活動が始まっています。投票日は今度の日曜日かな?
私は大学は政治学科なので政治学士ということになりますが、政治には特に現実政治には昔から全くと言っていいほど関心がありません。最近はネットでニュースなんかも見てるので少しは情報が入りますが。
精神医療の仕事に生涯をささげようと決めた二十代の半ばからは、むしろ関心を持たないことにした。政治と精神医療とは全く関係がないわけではないけど、むしろ関りを持たない方がいいと思ったので。実際に関心もなくなり、選挙ももう30年以上は行っていない。

奥様とは知り合いでも何でもなく、買い物に行くので商店街を自転車で走っていたら、立憲民主党の選挙カーが来ており、「今日は菅直人の奥様も一緒にお願いに来ています」と言うので車の中にいるのかと思ったら…
赤信号で停まっていたら、年輩のご婦人が向こうから話しかけてきた。菅直人氏の名刺をもって「よろしくお願いします」って。「奥様ですか?」と聞くと、そうだということなのでお話しした、というより一方的にまくし立ててしまった。
話した内容は以下のようなこと。
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今の日本で一番の大きくて重要な問題は何だと思いますか?
私は医療問題、その中で特に精神医療過誤・向精神薬害の問題だと思います。前世紀の終わりに「うつ病キャンペーン」が盛んに行われ、そのため重症でも無い人が心療内科、精神科を受診し、服薬するようになった。患者が増えたのではなく、受診者が増えたのである。
その結果、自殺者は約2倍の3万人台に膨れ上がり、電車の飛び込み等も増えた。これは主には新型抗うつ剤SSRIの作用による、アクチベーション・シンドローム(賦活化症候群)の衝動行為である。とりわけ日本ではパキシルの売り上げが急激に増え、一時は精神科患者の殆どと言っても良いほどの人が服用していた。

アメリカではすでにそのようなことは問題になっており、SSRIは自殺だけでなく銃乱射事件などの衝動行為を引き起こし、かの国は訴訟社会なので訴訟も頻出した。そんなの製薬会社にとって痛くも痒くもないが、せっかく巨額の開発費をかけて作った新型抗うつ剤SSRIが売りにくくなり、販路を求めて日本に売り込んできた。
これに乗じた精神科医に動かされて、危険性を危惧して比較的慎重だった日本の厚労省等お役所も新型抗うつ剤SSRIを認可し、NHKなどもこれに乗じて製薬会社や病院の宣伝を盛んに行い、「うつ病キャンペーン」盛んに行われた。これは「史上最も成功したマーケッティングの勝利」である。「うつ病は真面目で良い人がなる」、など聞こえも良かった。

その結果、上述の通り自殺者の爆発的増加。患者は治るどころかますます悪化し、傷病手当、障害年金、生活保護などの社会保障費も大幅に増加してしまった。老人を支えるはずの若年~中年の人が保障を受ける側になってしまった。
2012年頃から徐々に自殺者は減少し、2万人台になった。1.5万人程度でやっと元の木阿弥、精神医療の成果があったというならば多くとも1万人以下にならなければ。
これは主に我々がネットなどで向精神薬の危険性を訴え、患者の一部には知られるようになり、ようやく精神科医も知ることになり、実際に自殺者などが多かったことに精神科医も気づいてビビった結果、新型抗うつ剤SSRI、とくにパキシルの売り上げが大幅に減ったためである。
既に多くの自殺者を出してしまったため、潜在的自殺予備群が縮小したということもある。自殺した人が生き返って再び自殺するなんてことはありえない。

向精神薬の多剤乱用にもようく規制がかかることになってきた。少しずつ自殺者は減っては行くだろう。したがってこの問題はもはや大きなことではない。
では大きな問題とは何か?薬物中毒死である。
前世紀の終わりには数万人程度だった不審死が、20万人をとっくに超えて、もはや30万人以上になろうとしている。もちろん老人の孤独死なども増えてはいるが、そんなに増えているわけではない。むしろ若い人~中年の不審死が増えているである。
この不審死者のうち、どのくらいかは調べようもないが(統計をとる必要があるがそのようなことは誰れもしない)、おそらく少なめに見ても半分以上は向精神薬服用者であるはず。芸能人、有名人もそのような人が何人も出ている。警察の人に聞いたことがあるが、やはり向精神薬服薬者は多いとは言ってた。

先日も私の昔の同級生が薬物中毒死した。年賀状だけやりとりしていた別な同級生から電話があり「〇〇ちゃんが亡くなったんだよね」えっ!何で?「よくわからないけど寝ていてずっと起きてこないので、旦那さんが心配して見に行ったら死んでたらしい」
そんなのすぐにわかる。「そりゃ、うつ病とか称して向精神薬を服用していたんじゃないか?」当然だがやっぱりそうだと言う。あまり薬は飲まない方が…と窘めてはてたらしいけど。
こっちはすぐわかるが警察や医者はもちろんわからない。当然まず疑われるのはご主人である。数日間、自宅からは追い出されて、ビジネスホテルから警察で取り調べ。遺体はもちろん強制的に司法解剖であるが、解剖したってもちろん医者が何かわかるわけではない。トリカブトだのヒ素だのは検出されず、一応ご主人の嫌疑は晴れたが。

しかしやはり毒殺である。毒殺したのは精神科医であると言えるが、当人は「今かかっている病院の先生はやさしくて話もよく聞いてくれる」と尊敬、もしくは好感を持っていたらしい。
病院を受診したのも服薬したのも最終的には本人の意思だから、緩慢な自殺ともいえる。
こんな話、もちろんいくらでも聞いている。不審死、年間約30万人のうち、どんなに少なく見積もっても数万人、もしかすると十万人以上は向精神薬による薬物中毒死である。飯島愛や大原麗子のように、直接的ではないがも最も大きな要因が向精神薬、と言う人も含めると確実に十万人は超えている。
北朝鮮からミサイルをぶち込まれても、そんなに多くの人が死ぬわけではないし(もちろん核や細菌兵器などで多くの人が亡くなる可能性はありうるが)交通事故なんて死亡者は年間数千人だし、他の医療過誤も問題であるがこれに比べれば取るに足らないはずである。

精神医療過誤・向精神薬害に取り組んでもらえれば、大して金もかからず効果は大きいはずで、もちろん健康保険料や税金、社会保障費も大幅に減らすことができる。もちろん国民の生命も守られ健康増進につながる。取り合えず超悪質精神医療だけでも無くなれば…
また、既に問題は「うつ病」ではない。子供を発達障害扱いし、コンサータ、ストラテラなどの向精神薬(覚せい剤)を飲ませて脳を破壊しまくっている。(最初は良く効くんだけどね、覚せい剤だから当たり前)日本におけるアヘン戦争はとっくに始まっている。

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こんな話を一方的にまくし立ててしまったが、菅直人氏の奥様の関係者にも、うつ病と称してずっと病院に通っている人がいるという。担当の精神科医は「なるべく薬は少なくしていきましょう」と言ってくれているということであったが、もちろん少量でも長期になると超危ない。要するに麻薬・覚せい剤の類だから、多いよりは少ないに越したことはないけど、最初から飲まないのが一番良いと言っておいた。

話が長く一方的にまくし立ててしまたったためか、他の選挙活動家も割って入ってきたので「精神医療過誤・向精神薬害問題に取り組んでください!ご主人の菅直人さんや枝野幸男代表、他の党員・議員の方にもお伝えください。そうしてくれるなら私もこの際、立憲民主党に大いに期待します!
と言ったら、奥様も他の応援員の方も頷いて、「わかりました。ありがとうございます」と腰の下まで頭を下げて、大きな声でお礼を言ってくれた。話は通じたはずだが、わかりましたといっても「お前が言いたいことはわかった(けど何もしない)」(政治家の常套句)なのかどうかはわからない。

私は「期待します!」と大きな声でハッキリ伝えたが、支持しますとは言っていない。もちろん精神医療問題に取り組んでくれるなら大いに支持する。立憲民主党ではなく、自民党でも共産党でもこの問題に取り組んでくれたら大いに支持する。
期待していいかどうかわからないけど、偶然にも向精神薬害・精神医療過誤のことを伝える機会に巡りあえたことは私にとっては幸機であり、ここに皆さんにもお伝えする次第であります。

※追記

前述のように私は政治には関心がなかったのでよく知らなかったが、ネットなどで調べてみると、菅直人氏は厚生大臣時代に薬害エイズ問題では功績があったらしい。図に乗ったのかO157問題ではズッコケて、総理大臣時代にもいろいろ問題はあったのだと思う。前回も前々回も選挙区では落選し、比例区でかろうじて当選したようだ。
奥様とは従妹同士で奥様は代々医者の家系。要するに菅直人氏は医療問題とは近しい政治家と言えるだろう。
いろいろ問題がある人だとしても、菅直人氏自身の政治哲学であるとされる『最小不幸社会』を目指す熱意だけは信じたい。
やはり敗者復活が許される社会、その機会が得られる社会であってほしい。私の仕事もそのためのものだし、私自身もそのような体験を経ている。
やはり敢えて期待したい!

菅直人、再び立て! 夢と希望をを叫べ! 精神医療過誤・向精神薬害対策を!

すでに20年にも及ぶ大問題であるが、まだ殆どの国民は気づいていない。
これからどんどん拡大するぞ!国が中から潰れていくぞ!
今後は政治家の尻も叩いていくつもり。これはむしろ自分のために。人の尻を叩いて自分が何もしないわけにはいかない。

遠藤賢司 – 夢よ叫べ @ 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA
https://www.youtube.com/watch?v=0IUymAArT14!


不滅の男 / 遠藤賢司

こちらもどうぞ
東京ワッショイー遠藤賢司

遠藤賢司
https://www.youtube.com/watch?v=gAyulG1AQoo


※この記事を出した4日後、2018.10.25に遠藤賢司さんが永眠しました。ご冥福をお祈りします。中学1年の頃、「カレーライス」のギターを一生懸命まねしたけどなかなか弾けなかった。彼の音楽や遺志も引き継いでいきたいと思います。

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子どもの覚せい剤中毒、依存症が激増!(発達障害、ADHD注意欠陥多動性障害など)

子どもの覚せい剤中毒、依存症が増えています。(発達障害、ADHD注意欠陥多動性障害など)
発達障害キャンペーン、病気喧伝はとてつもない勢いで拡大しており、かつてのうつ病キャンペーンの数倍の勢い。
その被害者の数はうなぎのぼりとなっています。
うつ病キャンペーンと同様、病気や障害者の数が増えたわけではもちろんなく、精神科病院を受診し薬漬けとなり、悪化するばかりか自殺が増えたり薬物中毒死する人がものすごい勢いで増えているということです。
今や誰でも発達障害とされてしまい、児童精神科医の受診を進められるというありさま。
発達障害については以下に書きましたのでご参照ください。
ホントに発達障害ならば養育、訓練やリハビリの対象です。向精神薬でよくなるわけはありません。せいぜい見かけの表面的改善、それも初期だけです。
結局のところ薬害性の中枢神経障害になってしまい、それがやっぱり発達障害に見えるので、やはり発達障害だったでしょ、ということになってしまう。
ストラテラ、コンサータなど作用はヒロポンなどと同様であり、覚せい剤そのままです。覚せい剤と一番の違いは児童精神科医からは長期服用が推奨されていること。
中学時、社会の授業でアヘン戦争について話を聞き、大いに憤慨した記憶がありますが、まさかその40数年後、現代の日本で同様なことが起こるとは思いませんでした。
被害者はもちろん将来ある子供、すでに向精神薬により脳破壊されされ障害者となった子供はものすごい勢いで増えていますが、それもまだまだこれからで、これからますます脳を破壊された、薬害による障害者を増えるはずです。
「発達障害」とされている子供のほとんどは、普通の子供(発達上の問題や偏りが多少は多い普通の子供や、少し発達が遅れているだけの子供です、
あるいは小児神経症(PTSD、心的外傷後ストレス障害)です。
すなわち原因は環境、養育者の対応によるトラウマです。
隠れ虐待(親が虐待を否認するというより全く自覚がなく覚えていない、あるいは姑、姑女が親の知らないところで虐待しており、まさかそんなことを親(義理の親)がしているなんて全く気付かなかった、などという場合も多い。
宗教が悪いわけではないですが、宗教がらみの場合も多く途方もない抑圧、精神的虐待になることもあります。
子供を(児童)精神科医に近づけてはならない。精神科病院を受診させてはならない。向精神薬を服用させてはならない。それは虐待です。
下記のような記事に騙されはいけません。
発達障害、初診待ち最長10カ月 総務省が改善勧告
四倉幹木2017年1月21日07時46分
 総務省行政評価局が、発達障害のある子どもの診断をしている医療機関の受診状況を調べた結果、半数以上の機関で初診までに3カ月以上待たされていることがわかった。中には約10カ月以上待たされる機関もあった。総務省は20日、厚生労働省に改善を勧告した。
 行政評価局は昨年8~11月、子どもの自閉症やアスペルガー症候群、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)などの発達障害を診断できる医師がいる全国約1300の医療機関のうち、主要な27機関について調べた。
 その結果、高校生以下の受診者が初診を受けるまでにかかる期間は、1カ月以上3カ月未満が6機関、3カ月以上半年未満が12機関、半年以上が2機関あり、そのうち1機関では約10カ月かかっていた。
 初診を待つ子どもの数は10~49人が9機関、50~99人が4機関、100人以上が8機関だった。
 ログイン前の続き学校側への調査では、中学校の教員の勧めで保護者が生徒を受診させようとしたが、予約から受診までに数カ月かかると医療機関に言われてあきらめたケースもあったという。
 医療機関からは、現行制度について「子どもの発達障害の診察には長時間かかるのに、診療報酬が短時間の診察しか想定しておらず実態に合わない」などの意見があったという。行政評価局は「専門医や専門的医療機関が不足している」として医師や機関の確保を急ぐよう厚労省に求めた。
 厚労省障害児・発達障害者支援室は「発達障害の診断ができる医師を、かかりつけ医などへも広げるための人材育成に一層努めていく。診療報酬の見直しも検討していく」と説明している。(四倉幹木)

発達障害(誤診)についてはこちらに書きましたのでご参照ください。
発達障害 (1) 発達障害(誤診)の拡大と混乱
http://68631324.at.webry.info/201608/article_7.html

発達障害 (2) 発達障害(誤診)の病名など(ADHD、注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群)
http://68631324.at.webry.info/201608/article_6.html

発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害
http://68631324.at.webry.info/201608/article_5.html

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精神医学の研究法のご提案:精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)

精神医学の研究法のご提案、精神科医や臨床心理士の皆様へ (うつ病、心的外傷後ストレス障害PTSD)
うつ病の重症度、採血による評価方法開発に道 九大など
http://www.asahi.com/articles/ASJDJ4CCWJDJTIPE00N.html?iref=comtop_latestnews_04

恐怖の記憶、書き換える技術開発 PTSD治療に効果か
http://www.asahi.com/articles/ASJCM5GVTJCMULBJ00D.html

こんなことをしていたら当然のこと治療法に至るどころか精神疾患の理解から遠ざかるばかりです。こうした「精神医学研究」のあまりのバカらしさについては、前にも書いたことがあるのでここでは繰り返しません。
うつ病の発症メカニズムが解明された!??
http://68631324.at.webry.info/201608/article_31.html

「うつ病の原因は扁桃体にある」NHKスペシャル
http://68631324.at.webry.info/201608/article_18.html

学問研究は真理追及のためであり、曲がりなりにせよ何にせよ他の学問分野では実際にそれが目的ですが、精神医学分野だけは逆に嘘偽り誤魔化し、実践的には有害で真理から遠ざかるための研究になっています。
医学領域では他の分野でもその傾向はありますが、精神医学分野ではほぼそれだけと言っても良いくらいです。前世紀はそれほど極端でもなかったのですが…

精神科医は治療などもちろんできないし目指してもいないから、私は精神科医になろうと思ったことは全くありません。
なぜ精神科医は精神疾患の原因の解明や、治療法の開発に遠ざかるだけの研究しかないのか?反治療的なことばかりするのか?

うつ病など精神疾患の原因は昔からわかりきっていたことだし…私も子供のころから基本的にはわかっており、以下にも少し書きましたが。
うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?
http://68631324.at.webry.info/201608/article_2.html

統合失調症の原因(ある同級生)
http://68631324.at.webry.info/201608/article_8.html

はっきり言って精神疾患の原因について知らないのは精神科医だけではないでしょうか?薄々はわかっているけど否認しているのでしょうけど。
もしくは精神科医の書いた本などを読んで、あるいは病院を受診して騙された人にもわからないでしょう。甚だしい人は何を言ってもダメ。
精神科医自身もまた製薬会社等に騙されているわけですが。

専門家とされている人が、頭が悪いわけでもなく、悪意に満ちているわけでもないのに、なぜ子供でも知っていることも分からず、愚かで悪質・有害なことなことばかりを繰り返すのが??
私はむしろそれがわからず子供のころからの疑問でした。

精神疾患の患者さんについての研究も必要ですが、精神科医についての研究も必要です。もちろんご自身も。というより今はその方が大事。彼らがなぜ有害医療ばかりするのか?そこから何十年も抜け出せないのか?
当然、それがまた精神疾患の研究にもなるわけですが。それが私の昔から永らくの研究課題でもありました。
そのために大学の時にはファシズムの研究もしました。吉本隆明の『共同幻想論』や『心的現象論』なんかも参考になった。(政治学専攻)
今でも十分に解明しているとは言えませんが、その「研究の一端」については下記のページにも書いたのでご参照下さい。
なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?
http://68631324.at.webry.info/201608/article_1.html

反精神医療派に対する批判として、『向精神薬や精神科病院、精神科医が悪いのはわかるが、ではどうしたらよいのか代替案を示せ』、ということがよく言われます。
これに対し、精神医療にかからなければよい、薬を飲まなければよい、自力更生あるのみ、というのも十分代替案になっていると思います。少なくともほとんどの患者さんにとっては病院を受診するよりもその方が遥かに良いですから。
しかし私は反精神医療ではなく反有害精神医療であり、むしろ精神医療推進派です。向精神薬や精神科医を批判していますが、必ず代替案というより本案が出せることしか批判しません。

批判ばかりしてネガティブだともよく言われますが、批判する前に創造的、建設的であることは子供の頃から徹底的に厳しく自分に課してきたつもりです。現実的に可能で難しくなく有効な方法が提示できるように。

そこで精神科医や臨床心理士などの皆様のために、ここでは精神医学の研究法についての代替案を出しますので実践してみて下さい。
わからない人には体験してわかってもらうしかないです。
以下のような研究をすれば、どんなにおバカな精神科医でも、精神病についていくらかなりともわかるはずです。たぶんね。

感覚遮断の体験研究をすれば良いです。といってもアイソレーション・タンクなど使わなくてもよい。
部屋を真っ暗にしてとにかくそこに閉じこもる。断食した方が良いけどしなくてもよい。食料はカロリーメイトなど用意しておき、水も用意しておく。トイレは目を瞑ったまま行けるようにしておく。なるべく静かな場所が良いですが。

精神科医なら病院の保護室が使えるから非常にやりやすい。
保護室を真っ暗にして閉じこもるだけ。外から指定の日まで開けないように通告し外から鍵をかけてもらって。とりあえず2週間くらい。2回目にやるときは延長すればせばよい。
保護室はやむなく使用しなければならないこともありますが、基本的に反治療的であることもよくわかるはず。

目を開いても閉じても真っ暗で何も見えない。だんだん睡眠と覚醒の区別がつかなくなってくる。夢と幻覚、現実と妄想の区別もつかなくなる。
言ってみれば自分を疑似的に精神病状態にして、体験するわけです。そこで精神症状とどう闘って克服すれば良いのか。
精神疾患を理解し治療法を得るための研究法です。

もちろんリスクもあります。戻ってこれなくなるかも。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
精神病にはなるかもしれないけど脳の病気にはなりませんよ。
脳の病気と精神病はまったく別物であることも理解できるはず。

人を救う人はももちろんそうやって精神病を理解し、克服法も体得していったわけです。釈迦やキリストや偉い坊さんなども洞窟に篭ったりして修行しています。精神科医ならもちろん必須で、やらないという手はありません。
こっちとしては話はそれからだ。

そのくらいのことはやらなくては専門家になんかなれるわけがないし、患者の治療や指導もできるわけがない。
もちろん自分で体験しなくてはダメです。精神科医の中には、被検者にやらせようとする大バカ者もいるかもしれないので。他人にやらせても意味はないです。念のため言っておかないと。

というわけで精神疾患の研究法を提示しましたので実践してください。
頑張ってね。話はそれからです。根性出せよ!

https://www.self-therapy.info/
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高橋真梨子さんの更年期障害、激やせ(週刊文春との確執)は幼児期のトラウマ(心的外傷)が原因

高橋真梨子さんの更年期障害、激やせは幼児期のトラウマ(心的外傷)が原因。(週刊文春との確執)
昨年末(2016年)の紅白歌合戦に出場した時のことを巡って、高橋さん側と週刊文春側との確執が問題になっているようですが。
高橋真梨子、「有村架純に怒った」報道を「事実無根」と否定 文春は「十分自信持っている」
おそらく本人が意図したことではないのでしょうけど、精神的に非常に不安定なのでイラついて心にもなくネガティブ不規則発言をしてしまい、それが文春側に嗅ぎつけられて週刊誌に記事が載せられてしまった、といったところが真相でしょう。
従って、どっちの言い分も理はあるのでしょうけど…。
週刊文春側は精神疾患についての理解を持つべきであり、今回の記事はほぼ事実であっても理解の欠如した記事を載せるべきではなかった、と思う。
高橋真梨子さんの更年期障害、激やせは幼児期のトラウマ(心的外傷)が原因です。
無意識のトラウマには時間がありません。要するに基本的には生涯続きます。もしくは何十年も表面化しなくても必ず症状となって現れる。治療とはトラウマの克服ですから、もちろん薬では治りません。うつ病は薬で治るなんて今更信じている人もいないでしょうけど。
更年期障害、自律神経失調症、不眠症、身体表現性障害、心身症、依存症などは独立した疾患としては存在せず、精神疾患(心的外傷後ストレス障害、PTSD )の合併症です。精神科の薬物療法は元の疾患に合併症の薬物依存症、薬物中毒を重ねるだけ。反治療的であることは言うまでもありません。
高橋真梨子さんは「うつ病」とも言われており、激しい抑うつ症状もあるのでしょうけど、脳の病気ではなく精神疾患であり、もちろん身体症状が大きいのですが、身体の病気ではなく心の病気です。
もちろん身体症状⇔精神症状の相互過程、悪循環もありますけど。
精神疾患の原因は幼児期からのトラウマ(心的外傷)です。
すべての精神疾患は心的外傷後ストレス障害、PTSDでもあります。
犯罪被害(レイプや肉親が犯罪者に殺されたなど)のショックの激しい出来事もトラウマであり、精神疾患(心的外傷後ストレス障害、PTSD)のもちろん原因になりますが、その場合もやはり基本には、幼児期からのトラウマが作用しているのです。
一般の人が言う「トラウマ」は精神疾患の原因になる本来のトラウマではなく、せいぜい後にまで引きずるちょっとした心理的ショック、失敗体験に過ぎません。
それで精神疾患を発症したとしてもそれは『原因』としてのトラウマではなく『誘因』であり、やはり本当の原因は当人も記憶せず、自覚していないような幼児期からの無意識のトラウマです。
「三つ子の魂百まで」というように、精神疾患は実は生まれた時から始まっているのです。もっと言えば先祖代々からきているのかもしれませんが。もちろん遺伝ではなく、トラウマの心的連鎖。
高橋真梨子さんは、自分の20年にも及ぶ重度の更年期障害は、幼児期からのトラウマ(心的外傷)が原因であり、「無意識のトラウマには時間がない」 ということも一応理解はできているようですが、精神科医や臨床心理士には理解できません。
高橋さんの場合、大きなトラウマが幼児期からではなく小児期(児童期)からだったのでわかり易いのでしょうけど、殆どの患者さんは自覚し難いです。わかったから克服できるわけではないですが、やはり自覚は必要。
精神疾患の原因がトラウマだとは精神科医もわかっていないし、患者さんも自覚しにくいので「うつ病は脳の病気」「発達障害」など言う嘘偽りがまかり通ってしまい、病院を受診しても結局薬漬けとなり、元の精神疾患プラス薬害性の精神疾患(正確には中枢神経障害)を付け加え、精神疾患を悪化させられるだけとなっています。
抗うつ剤等の薬の効果があるのはせいぜい最初の1~3か月程度だけ、あとは逆効l果になります。副作用も後遺症もひどい。飲み続けるのは非常に危険ですが止めるのも危険です。
彼女の場合は、父親の原爆症→ケガをきっかけにした壊疽のため両足切断→37歳の若さで死亡。母親の水商売(生活費と父親の治療費を稼ぐため)→不倫→不倫相手のDV→離婚したがDV相手との不倫は続ける→癌で亡くなる。
といったことがトラウマになっています。彼女自身の反抗ももちろん両者のトラウマの上塗りになっています。
彼女の歌手としての職業的成功は、心的外傷環境からの早期離脱(16歳から母親かがんで亡くなる直前まで)のおかげですが、だからと言ってトラウマを克服していたわけではなく、やはり母親の死後発症したわけです。
当人の結婚も関係していますが。幸福な結婚だとしても。
現在のご主人は若い頃からの盟友、音楽的先輩(元ペドロ&カプリシャスのメンバーのヘンリー広瀬さん)ですが結婚したのは両者40代になってからです。
高橋真梨子さん自身も実は若い頃、波乱万丈の男女関係、彼女の母親と似たような修羅場の連続を繰り返し、問題行動も起こしているようです。
(金スマでも触れられず、ウィキペデアからも今は削除されていますが)
今なら解離性人格障害、発達障害ということになってしまう。
高橋真梨子さん当人も言うように無意識のトラウマ(幼児期からの心的外傷)には時間がありませんが、彼女に残された時間はもはや少ない!?
もちろん病院に行っても治療法はありません。(私はもちろん治療法を持っていますが…)
すでに彼女も20年以上苦しんでいます。
時期皇后陛下、雅子さまも基本的に同様で、服薬と認知行動療法では悪化するだけです。
私は子供のころからバンドもの(グループサウンズ、フォーク)や実力派ボーカリストが好きで、アイドル歌手のファンになったことが一度もない。山口百恵と同じ歳ですが。
いくら可愛くても実力がなければ興ざめです。友達でもないのに。
治療ができるどころか悪化させ、死に追い詰めることしかできないのに精神科医と称する連中はちろん大嫌いです。
別れの朝 高橋真梨子
https://www.youtube.com/watch?v=riM93baEi6Y

となりでフルートを吹いているのが現在のご主人ですが、実際に結婚したのは20年も後のこと
高橋真梨子さんはペドロ&カプリシャスの2代目ボーカリストですが、初代ボーカリストは前野曜子さんです。
「別れの朝」と言えばやっりばり前野曜子ですよね。でも中年以降の高橋真梨子さんが上手いかな。どちらもたいへんな才能と努力のボーカリストで私は中学の時から好きでしたが。カプリシャスもいいバンドだったなぁ。
別れの朝 ペドロ&カプリシャス Vo前野曜子
https://www.youtube.com/watch?v=HEQCGKz6Wus

前野曜子さんもまた、荒んだ恋愛関係の修羅場を経て、精神疾患、重度のアルコール依存症に陥り40歳の若さで短く壮絶な人生を終えています。もちろん心的外傷後ストレス障害(PTSD)でありアルコール依存症はその合併症、原因は幼児期からのトラウマです。
別れの朝 藤圭子
https://www.youtube.com/watch?v=HgkgU1hNGlM

この人も心的外傷後ストレス障害(PTSD)、ギャンブル依存症で宇多田ヒカルが稼いだお金の数十億をギャンブルで失なった後、2012年ビルから飛び降り自殺
トラウマ声はごく稀には非常に魅力的で人を引きつけ、心に訴えるものがあるのだが…
「別れの朝」は多くの人がカバーしており、朱里エイコさんのバージョンも絶品ですがyoutubeでは見られない。日本ではあまり人気は出なかったが、米国では大人気のエンターテイナーだった。
朱里エイコ 北国行きで
https://www.youtube.com/watch?v=0R3xxTiuGDg

彼女もまた心的外傷後ストレス障害(PTSD)、ベゲタミン依存症、10年にも渡る生死をさまよう壮絶な闘病生活の果て50代で薬物中毒死。
彼女の属していた宗教団体を責めるのはお門違い。肉親だって面倒など看られるわけはない。
※ベゲタミンは依存性、毒性が非常に強い昔からの睡眠薬、昨年ようやく発売停止になった。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)の人はしばしば特殊な才能をもつ優秀な人もいて、稀にはそれを実現する有名人もいますが、どんなに才能があり優れた業績を作った人でも、正しい治療を受けて克服する方法を持たなければやはり病魔には勝てません。薬物など論外です。

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最近の精神医療の動向 2016年夏

【最近の精神医療の動向 2016年夏】
もちろん大したトピックがあるわけでなく特に良い知らせもありませんが、反精神医療派や批判者や我々の影響力もあり徐々に精神医療問題はどちらかと言えば縮小には向かっています。
同時にあの手この手で宣伝やコンサルティング会社、製薬会社、精神科医は性懲りもなくまだまだ問題・被害を拡大しようともしているわけですが。
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※薬物中毒死の半数以上を占めるベゲタミン。ついに販売中止になりました。
ベゲタミンやベンゾジアゼピン系の睡眠薬や精神安定剤の危険性についても以前こちらにも書いたのでご参照ください。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも危険… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン
http://68631324.at.webry.info/201608/article_10.html

精神医療過誤、向精神薬害問題の基本
http://68631324.at.webry.info/201608/article_57.html

ベゲタミンは日本の発明、kyupin(ネット上で有名な精神科医)は神の薬と崇め奉り、最初から処方したり多用している薬です。
精神科医でもあまりに危険なことはわかっている人もいないわけではなく、最後の睡眠薬とも言われています。
kyupinのような極悪はいくらなんでも別として、近年では一般の「良心的精神科医」は睡眠薬中毒・依存症となり、もはや何をやっても眠れず、薬を止めると離脱症状で錯乱するような人に対して、ベゲタミンは最終的手段として処方することが多い薬です。
もはやその頃はベンゾの作用(副作用)で身体疾患も満載のはずだし、廃人化を加速されるがそれもやむしということで。
それで死亡したとしても、心臓でも止まれば心疾患で死んだとしか扱われません。薬物の影響は長期にわたり因果関係は証明できないので。
ベゲタミンは私が生まれる前の年、1950年代後期に開発され翌年から使われるようになったらしい。当初から危険性は分かりきっていたが、それ以前の致死量が極めて低く危険性の高い睡眠薬よりはまだマシ、多少は安全ということだったのでしょう。パビルツレート他3種合材という恐ろしい薬ですが、何も考えずに作ったとしか思えません。
それから既に60年近く、ようやく販売停止です。どれだけ多くの人の命を奪ったことか…、年間1000人とも言われており、何万人にもなるのでしょうか?
その後、1960年代後期にはベンゾジアゼピン系の睡眠薬が開発され使われるようになりましたが。ベンゾは安全と安全神話がまかり通ってしまい、今でも信仰している精神科医が殆どです。安全とはたくさん飲んでも簡単には死ねないというだけです。
旧来の睡眠薬は致死量が低く少し多めに飲んでも死んでしまいますが、古い映画なんか見ると自殺や心中などよく出てきますが。
ベンゾも数年後には依存性、危険性については言われており、私も中学の時に、たぶん立ち読みした本でそのことは知っていました。
薬のことはアリスパパ、中川聡さんが詳しいです。私は基本的なことは昔から知っていますが、細かいことは今も詳しくはありません。向精神薬なんて野蛮なものは廃れるに決まっている、見るのも聞くのも悍ましいと勉強もしなかったので。
その程度の認識は当たり前とも言えるでしょうけど、精神科医や薬剤師はほとんど何もわかっていません。
中川さんの奥さんも重症な精神病でもないのにデパスから始まってベゲタミン中毒になり亡くなられたようです。
ベゲタミン販売停止のその後-次の課題 ブログ:八咫烏
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12171771717.html

ベゲタミン販売中止-万感胸にせまるが-
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12171246246.html

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※デパス、アモバンが向精神薬に指定されました。
デパスも日本の発明らしく、そのためか向精神薬に指定されていませんでした。向精神薬とは要するに麻薬・覚せい剤の類ということであり、指定されれば良いわけではありませんが、一定の警告、注意喚起にはなると思います。今まであまりにも安易に処方されていたことを考えると一定の歯止めにはなるでしょう。
デパスはベンゾ系ではなく類似のもので、抗不安薬・精神安定剤として使われていますが、まさに麻薬、神経毒薬です。依存性はその手の向精神薬の中でもダントツに高く、ゆえに患者さんからも精神科医からもとても人気のある薬です。
一般に向精神薬と麻薬・覚せい剤の違いは、多幸感など気分が良くなったりすることは少ないですが、デパスはそうした作用が大きいのです。
服用した患者さんの殆どは、短期でデパス依存症となってしまい止められないので、デパス欲しさに通院・服薬を続け、病院や主治医も変えたがらないことが多い。そのためデパスは病院経営の安定に役立つ大変優れた薬とされ、そのようなことを堂々と書いた論文さえあるようです。
デパスと言えば、私の友人(かつてリハビリ専門学校の同級生で精神病院職員)も重度の依存症になってしまいました。
自称「燃え尽き症候群」などと言っていましたが。
80年代から90年代の終わりにかけて「○○症候群、シンドローム」という言葉がずいぶん流行りましたね。
アダルトチルドレンとか、ピーターパンシンドロームなんかは流行りましたが。PTSD心的外傷後ストレス障害はあまり流行りませんでした。些細なことがトラウマとされ病因となるようなトラウマは無視され、むしろ矮小化された形では広まりましたが。Sさんが言うようにPTSD否認で今に至る。
そうした言葉の流行も、悪い意味で精神医療の敷居を下げることに繋がり、結局最も聞こえの良い病気、うつ病に収束し、「うつ病キャンペーン」向精神薬被害拡大の伏線、前哨にはなっていたと思います。脳の病気とは言っておらず、どちらかと言えば心理主義でそう悪いこととも思いませんでしたが…
専門学校の同級生は同じ学科の男は私と彼ともう一人の3人だけ、3人のうち私ともう一人は大卒で、彼のみ高卒で年も5~6歳下でした。卒業後は結局3人とも精神科病院に就職し、リハビリ職員、精神医療従事者となったのですが…。
私は子供のころから基本的にはこのブログに書いてあるようなことは知っていたし、若いころから考えも変わりません。我ながら進歩ないですが。
その自称「燃え尽き症候群」のクラスメイトにもいろいろ教えていたし、彼も精神医療従事者だし向精神薬の問題は知らないわけではなかったのです。でもやっぱりあまり理解はできなかったのでしょう。
卒後何年かして学園祭があったときに久々に同級生が集まろうということで会いましたが、すっかり薬物依存でラリって目がイキまくっている。
こっちで楽しそうに話していたら、話の内容よりそのこと自体が気に食わないのか一触即発という感じで、暴れだしたら押さえつけてやると思いつつ、遠慮はせず話が弾んでいたのを覚えています。
彼の主治医は昔大学紛争華やかかりし頃、金沢学会でも大騒ぎし、東大紛争で活躍し、東大病院を占拠し、反精神医療派としてブイブイならしたヤツです。彼はその精神科医を尊敬しており、彼自身も新左翼党に入って活動したりしていました。
反精神医療と言ってももちろん治療ができるわけではないし、精神病理を理解できたわけでもなく、他の何かができるわけでもない。結局、薬漬け藪医者にしかなれません。
私のことをタダの同級生と考えそんな藪医者のことを尊敬するのは極めて失礼な侮辱であり、理不尽ですがまぁ仕方ありません。数少ないクラスメイトです。
電話で彼に…
「何が反精神医療だ!何が燃え尽き症候群だっ!このバカチンがっ!お前の病気は薬物中毒、薬物依存症だろっ!」
「どんなに苦しくてもすぐに薬をやめろっ!止められなければお前の主治医のバカ医者に『薬物依存症患者に薬飲ませるとはどういうことだっ!』と怒鳴りつけてあげるぞ。」
(彼も精神医療従事者であり向精神薬のことは知らないわけではないので離脱症状無視)
「そんなバカ精神科医を尊敬して俺の言うことを聞かないならば、一切縁を切る」と強く叱責し電話を切りました。
その後しばらくして会ったときには、すっかり元に戻っており「あの時言われたことがショックだった」とは言ってましたが。そんなこと学生の時から教えていたのに…
後で知ったことはやはり想像以上のヤク中ぶりだったようです。モンスタークレーマーになりデパートの店員にイチャモンをつけ、あわや逮捕されそうになったり。そんな奴ではなかったのですが。
私とは滅多に会わないし電話もたまにしかしないし、やはり実情は知られたくないようで具体的なことはあまり聞いていませんでしたが。
人伝に聞くには、小さい子供もいましたが奥さんからも逃げられ離婚していたそうです。その奥さんも彼がデパスを止めてから戻ってきたので同一人物と再婚しました。
彼はその後、放送大学や大学院も卒業し、今では某私立医大の教授になっています。もし、そのままデパス漬けだったら今頃は廃人になっているに違いありません。
私には足を向けて寝られないはずですが、私の言うことを聞いて止めたのは定かではないし、もちろん恩を着せるつもりはありませんが。
私は上述のように親切で優しい人なので誤解なきよう。精神科医ではしありません。
「気を付けよう!甘い言葉と精神科医」。
デパスは意外にも割に副作用も出にくく、何年か服用するとドッと神経崩壊、身体崩壊することが多いようです。ベンゾ系睡眠薬や安定剤も基本的には同様ではありますが。
10年大丈夫でも11年目には一気に崩壊したりする。因果関係は証明できませんが明らかです。
ALS筋萎縮性側索硬化症様の筋肉の萎縮、神経麻痺のような状態になったり横紋筋融解症など。そんな人を何人も見たことがあります。
そうなってしまうともはや薬物を止めてもどうにもならないことが多い。横紋筋だけでなく内臓の筋肉も崩壊するし、心臓止まって死亡しても医者にとっては心不全で死んだというだけです。
話を戻して…
アモバンは非ベンゾジアゼピン系の睡眠薬です。もちろん非ベンゾ系といっても危険性は高くむしろそれ以上です。ハルシオンほどではないですが反跳性不眠になることも多い。
よく知られているのは、夢遊病のようになり、明け方コンビニに出かけ、何か買って食べるのですが当人は全く覚えていない。食べかすは散らかっているしブクブクと太ってレシートもあるしお金も無くなっているので、状況証拠はあるのですが、などなど。
他の非ベンゾ系睡眠薬も新たに続々と発売されているようですが、もちろん危険です。
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※急速に広まりつつある光トポグラフィー検査、うつ経頭蓋磁気刺激治療(TMS)
うつの最新の治療方法としてもてはやされましたが、これは保険が効かずものすごくお金がかかるのであまり広まらず、新宿クリニックのような限られた病院でしか受けられませんでした。最近、コストが低くなったのか?他の病院でもずいぶん宣伝するようになりました。
これについてもずいぶん前に前に書きましたのでご参照ください。
NHKスペシャル「ここまで来た!うつ病治療」
脳血流の画像診断装置光トポグラフィーNIRS・磁気治療法
http://68631324.at.webry.info/201608/article_48.html

脳血流の画像診断装置・光トポグラフィー(NIRS)、磁気治療法 2
http://68631324.at.webry.info/201608/article_47.html

そこでは、頭にピップエレキバンドでも巻いたほうがいいぞとか、脳の血流の問題なら逆立ちでもしたほうが良いに決まってる、などと書いたら「ウツに逆立ち」と言うのはずいぶん広まったようで、ネット上ではよく見かけるようになりました。
もちろん逆立ちでも「うつ病」は治りませんが、健康法としてはよいと思います。
壁を背中ではなくお腹側にするとやりやすいです。
磁気刺激治療(TMS)の良いところはほとんど効果がないことです。要するに電パチ(電気ショック、電気けいれん療法 ECT)を弱めたようなものなので。
電気ショックECTの方が効きますがもちろ良くなるわけではなく、脳を激しく破壊する。精神科医は短期記憶がなくなるだけと言いますが、もちろん彼らにはわからず、当人にも脳の崩壊はわかりにくいことが多いのです。周囲の人にも良くわからず良くなったと錯覚することも多い。
電気ショックECTはほとんど廃れたのですが、うつ病など抗うつ剤ではもちろん良くならないので、これも最終的手段として復活し、多用されるようになり、今ではうつ病治療の第一選択肢とさえ言われています。
あまりにも危険で脳破壊になるし、死亡例も多いので、その代わりに磁気刺激療法がもてはやされてきたという事情もあります。磁気刺激の方が電気ショックECTよりはだいぶマシで、脳破壊の程度は軽いので効き目も小さく、たぶん受けても死にません。もちろんお勧めしませんが、お金があって脳が頑丈な人、もしくはどうなってもいい人はお好きに。
私は貧乏人の味方なので逆立ちをお勧めしますが。安全には注意してください。
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※大人のADHD、発達障害キャンペーン、病気喧伝、疾患喧伝の爆発的拡大
大人のADHD、発達障害キャンペーン、病気喧伝、疾患喧伝はものすごい勢いで行われています。今となっては多くの被害者を出した「うつ病キャンペーン」でさえ、かわいいものに思えてくる。今更、精神科医もうつ病は早期に受診し抗うつ剤を飲めば治るなんてことはとても言えません。
やはりお金の力でしょうか。
こちらは色男、金と力はなかりけり、多勢に無勢ですが。治療法だけは持っているので。
発達障害(誤診)についてはこちらに書きましたのでご参照ください。
発達障害 (1) 発達障害(誤診)の拡大と混乱
http://68631324.at.webry.info/201608/article_7.html

発達障害 (2) 発達障害(誤診)の病名など(ADHD、注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群)
http://68631324.at.webry.info/201608/article_6.html

発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害
http://68631324.at.webry.info/201608/article_5.html

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精神医療の利権構造、精神医療薬害被害者の経緯

精神医療の利権構造、精神医療薬害被害者の経緯、こどもの薬害(発達障害キャンペーン)

これはわかりやすくて、よくできた図なので転載させていただきます。一般の人も理解しやすいと思います。元ネタはアリスパパさんのブログ「八咫烏」からです。
精神科 街角牧畜ビジネスの利権構造-ほんとうにこれで良いのか
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12187369722.html

マスコミといっても、広告会社やコンサルティング会社が病気喧伝の主導者なのだろうけど。

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精神医療薬害被害者は驚くほど同じような経緯を辿る
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12187159681.html

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こどもを取り巻く精神医療の功罪を考える-こどもの被害チャート
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12187659616.html

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私もこういう図を描くのは得意だったんで、描いておけば良かったんだけど。面倒なので。
30年前、大学に入職した当時、貯金ゼロなのに100万も出してMacintoshを買いまして。ずいぶんいろんな人の論文や著作の図や学会発表のスライドとか作るのを手伝ったことがあり{ます。
当時はまだロトリングや関数電卓の時代。パソコンはようやくNEC98が出回りだし、DOS/Vやウィンドウズはまだまだそれから後のこと。やっぱりやってないとダメですね。何事も。

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ドーピングの深い闇、向精神薬のもっと深い闇(同じことですけど)

ドーピングの深い闇、向精神薬のもっと深い闇(同じことですが)
スポーツには関心はないが、(一応趣味の自転車や山歩きもスポーツかもしれないけどそれ以外の)この記事にはちょっと関心をもった。
私はスポーツの結果などどうでもよいと思っているので、関心はないのだ。
もっとも運動学的なことやメンタルのことなど、それに付随することに関心がないわけでない。
昔から喧嘩や争い事、競争や勝負事、記録更新など大嫌いである。
柔道の教師にはダンスやってんじゃねぇっ!と殴られた。
運動会も相手が勝ちたいなら勝たせてあげれば良いじゃん、としか思わない。
昔から勉強もスポーツもろくにしたことはない。なるべく逃げるようにしていた。遊びもあんまり。そうせざるを得ない事情もあったが。
負けるが勝ち、勝ってもまた負けるかもしれないし、上には上がある。
最初から勝負しなければ負けることもない。究極の負けず嫌い。
それゆえ、誰も知らないこと、できないこと、やらないことをするしかなくなってしまうのだが。
高校のときに入ったワンダーフォーゲル部では、もちろん記録を出すわけではないがやたら早く登るが至上のようで、ついていけず2カ月で辞めた。
高校にも入って水飲んじゃダメだとか、教師も含めて真面目は良いのだが、面白くないやつばかりだったのでガッカリした。
2流だが一応進学校なのでそんなバカばかりだとは思わなかったのだ。
辞めて欲しければ辞めろと言えばイイのに。辞めるなんて根性の腐ったヤツだ。男じゃない人でさえなし。
そんなのは強迫観念だ。心にも無いことをいうものではない。一応、心にはあるということになるけど。3年会長(天皇)2年重役、1年奴隷
彼らは今もクソ真面目に社畜などやってるのだろうか?そろそろ定年だな。
「何しに山に来てると思ってんだ!遊びに来てるにきまってんだろっ!」
喧嘩というより殺し合いになりそうなので、そんなことは言わなかったが。根性がないのは事実であった。
実際に体育館の裏に武器を用意して辞めた。先輩も察したのか俺なんか辞めて欲しいと思っていたためかコトには至らずに済んだ。続いて他の1年生もぞろぞろやめた。
今でも不思議でしょうがないことがあるのだが。
1年がテントや食料など共同装備は全部背負うので、2~3年は自分の着替えや寝袋、個人用の水くらいで、ごく軽いヒモのナップサックでも済むはずなんだが、我々1年と同じくらいバカでかいキスリングを背負っていた。
一体あれには何が入っていたんだろうか?
まさか羽毛布団とかじゃないよな。普通に寝袋で寝てたし。
(そのころは寝袋ももちろん羽毛ではなく化繊でさえなく綿であった。)
おかげでリハビリの専門学校では山部で楽しくやってましたよ。
可愛い子多かったし、すぐ休んでお菓子食べたり歌を歌いながら歩いたり。
8年前から山登りを再開し、時々のんびり歩いてますけど、最近は自転車に乗ることが多い。楽に走れるサイクリング車を開発中。山には高齢者が多いけど、サイクリングをする人は少ない。
高齢者のサイクリングを提唱していきたいと思います。それも健康づくりの一環。私は医者と違って医療の縮小を目指しているのです。
例によって前触れが長くなったが…
※以下引用 たぶんもう見れないので全文引用 問題あったら言ってね、朝日新聞さん。
朝日新聞弟デジタル
「不公平が大嫌い」 ドーピング批判続ける金メダリスト
河野正樹2016年8月6日00時02分
 5日夜(日本時間6日朝)にいよいよ開幕を迎えるリオデジャネイロ五輪。しかし世界最大のスポーツの祭典には今回、ドーピングの問題が大きく影を落とす。2012年ロンドン五輪の陸上男子円盤投げの金メダリスト、ロベルト・ハルティング(31)=ドイツ=は、現役選手としては珍しく、一連の問題で国際オリンピック委員会(IOC)や国際陸上競技連盟の対応を公然と批判してきた。

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特集:ドーピングの深い闇
リオオリンピック
陸上の日程・記録
 「IOCはスポーツ界に目を覚まさせるチャンスを逃した。気分の悪い結果だ」。条件付きとはいえ、ロシア選手団のリオ五輪出場を認めたIOCの決定に対し、ハルティングは語気を強めた。同じドイツ出身のIOCバッハ会長に対しても、「クリーンな選手の痛みをわかる能力がない人だ」と手厳しい。
 旧東ドイツのコトブス出身。両親も陸上選手だった。当時は国家ぐるみのドーピングのまっただ中だった。母も筋肉増強剤などを強制されそうになったが、15歳で肝臓を悪くして入院したため、ドーピング禍から免れたという。ただ母は、一緒に練習していた友人たちの声色がどんどん低くなり、体が変わっていくのがわかった。選手たちは運動能力への効果は知らされていたが、副作用については何も教えられていなかった。ハルティングは母から「当時は選択の余地はなかった。ノーと言えば全てを失った」と言われた。
 多くの現役選手が口をつぐむ中、ハルティングは批判をやめない。「貧しくて物が無い中で育った。不公平なことが大嫌いなんだ」と話す。昨年8月、ロシアのドーピング問題が次々と報道されても対応策をとらなかった国際陸連に対し、ドイツのチームメートとともに動画投稿サイトで怒りを表明した。「国際陸連は選手たちの意見を代表していないと示したかった」
 動画は一時的に話題を呼んだが、国を越えてほかの選手を巻き込むようなキャンペーンには広がらなかった。「選手たちは怖がって、スポーツそのもの以外の問題に余計なエネルギーを使うことを嫌がる」。選手全体が一体となることの難しさを感じたという。
 女子円盤投げの世界歴代トップ10の記録はすべて、1980年代に、ドーピングが横行していた旧東独やルーマニアなどの選手が自国や隣国で出したものだ。皮肉交じりに「永遠に破られない世界記録」と称される。
 ハルティングは、「例えば、(男子選手の円盤の重さが)最低2000グラムと定められている規定を、2001グラムに変更して、これまでの記録をリセットする方法もある」と話す。ドーピング問題が認知されていなかった時代の記録を見直すことも考えるべきだという。
 自身は、ロシアのドーピング問題を告発した陸上女子の中距離選手ユリア・ステパノワの活動を助けるクラウドファンディングを主導し、ネットで寄付を集める。検査機関が整備されていない国でもしっかり検査できたり、子どもたちを教育する環境を作ったりするために、反ドーピングのための基金を作ることも提言している。「政治やビジネスの世界でも詐欺があるように、スポーツでもドーピングという詐欺を完全に消すことはできない。それでも黙っていることは悪いこと」。リオ入りしてからも、警鐘を鳴らし続けるつもりだ。(河野正樹)
ドーピング問題はいろいろ考えさせられる。
自転車の世界ではアームストロングのドーピングが何年もたってから発覚し、栄誉をはく奪された。彼は選手のとして優れた結果を残しただけでなく、人間性や人格さえ評価されていたが。
俺が自転車競技に関心があったのは小学校高学年から中一位、メルクスの頃だけである。当時は情報が極めて乏しかった。もっとも関心があったのは競技ではなく自転車そのものだ。
向精神薬が良くないのはドーピングが良くないのと同じだと思う。
健康などどうでも良い、結果さえ出せれば人生はどうでも良い、自分の身体を自分がどうしようが勝手というわけではないはずだ。
スポーツ偏重、結果至上主義ならばドーピングは必至、バレさえしなければ良いということになってしまう。
私もやはり「不公平が大嫌い」である。
だったらドーピングを解禁すれば良いのか?みんながやれば不公平ではない?
皆がやっても自分だけやらなければ良いのか??
受験勉強のために向精神薬(麻薬、覚せい剤)を服用するなんてことも、そろそろあるのかもしれない。昔からそういう話はあったけど。米国なんか実際にもあったのか?
もっとも昔は労働のためにヒロポン(一般に市販されていた覚せい剤)を服用する人もいたが、今でもADHD発達障害として子供に同様の薬であるストラテラやコンサータなど児童精神科医と称する人が飲ませている。もちろん効き目はありますとも。覚せい剤なんだから。
ところで向精神薬は病気なんだから仕方がない、ドーピングとは違うと言う人もいるだろう。
身体の病気なら薬物は必要悪という場合はもちろんあるが、向精神薬のメリットはせいぜい目先の効果しかない。
私も向精神薬については100%反対ではないし、誰が何をしようと他人の勝手、他者に迷惑をかけなければ自由だと思う。
末期がん患者にモルヒネなと完全に否定することはできない。それはもう人生終わったようなもんだということが前提だ。
もちろんそうなる前に、病気にならないように、苦しまなくて済むようにすることは大事だが。
そうなってしまって手遅れとしても他にやりようもないわけではない。
要するに向精神薬はドーピングと同じく不公平ということだ。
仮に健康に有害な副作用(作用)や危険性といった薬害問題がないとしても、不公平それだけでも向精神薬を拒否する根拠になると思う。
ドーピングで作った記録は自分の記録ではない。服薬しながらの人生は自分の人生ではない?
実際に何年も服薬した人は、服薬中の自分はほんとの自分ではなかったという人が多い。
10年以上服薬して、奇跡的に薬がうまく効いて副作用や薬害らしきものがない、という人も診たことはあるが、やはりここ10数年の自分は自分ではない、自分の人生ではなかったとだんだんと苦悩するようになっていた。
もっとも10年大丈夫だからって11年目には身体がボロボロになって死ぬ人だって多い。5年は大丈夫だったが7年目には、という人ももちろんたくさんいる。
こういうケースはいかなる統計にも研究にもなり得ない。エビデンスとはそうしたことが前提である。
もちろん精神科医の頭の中にもない。あるのはせいぜい目先の結果、他人の成果は自分のもの、自分の害は病気のせいである。精神疾患の症状も副作用も離脱症状も後遺症も全部患者の病気のせいだ。
話を戻して、人生もスポーツも似ているところが多い。
精神疾患も基本は環境因、心因ではあるが、持って生まれたものが関係ないわけではないし、親だって環境だって自分では選べない。
子供は自分の親を選んで生まれてきた、というのも正しいとは思うけど
実際に自分で親のこと知って選んで生まれたわけではない。
私の親もロクでもない親だったが、母親から聞いたことでわずかながら良いこともあった。
何だか忘れたけど身体の健康のことで不安になり、何か聞いた時のことだったと思う。小学校3年くらい。
「自分の身体は自分のものではなく神様からもらったものだから大事にしなさい」(母親は一応キリスト教徒)
宗教はともかくとして、今となっては現実的に自分のものではなくなったと思う。死ぬまでに世に果たさなくてはならないことがある。
母の教えを守ろうと努力はしてきた。皆様も自分の身体は大事にして欲しいと願ってきました。
んでまた、話を戻して…
スポーツだって人生だって生まれながらの資質や才能も大きいだろうけど。
やはり環境の問題も大きい。運命、運命というべきか。
しかし悪い采配のカードでも、悪い星の下であっても、何とかしていくのがゲームでありスポーツであり人生だろう。
不安も恐怖も抑うつも、精神症状とされるものは誰にでもある。
ストレスやひどく傷つくことも、パワハラやいじめなど社会に生きていればいくらでもある。
程度や状況がそれぞれ違うだけだ。病気にかかるかからないということではなく、不健康の程度がひどいければ病気だというだけのことである。
周りが悪いとしても解決、もしくは克服するのは相手や周囲ではなく自分でしかありえない。自分が変われば周りは変わる。
過去と相手は絶対に変えられないが、自分が変われば少なくとも未来における過去の影響(トラウマ)や、相手の自分に対する対応は変わる。
つい最近まで殆どの人は病院など行かず、何とかやっていただけだ。
何とかならないことももちろん大いにあったが。
患者が増えたのではなく、病院を受診する人、服薬する人が増えただけだ。
自分自身の問題を「何とか克服する」のが治療でもあるが、自分だけではどうにもならない、どうして良いのかわからないことが多い。
その最たるものが、幼児期からの自分が覚えていないようなトラウマであろう。もちろん虐めや災害や犯罪被害などのトラウマもあるが。基本的にはみんなトラウマに屈服して人生を送ってしまう。
だからこそトラウマを克服し健康になるためには専門家が必要なのだが。
他者の指導や援助を受けることは良いことだし必要なことでもある。
しかし薬にも物質にも、人や物事にも依存してはいけない。
精神科医や臨床心理士は自らを救うためには最も相応しくない。むしろ彼らは自分で自分の首を絞める縄を差し出すようなものだ。
障害者は不幸で可哀想、生きている価値がないから殺す。植松聖も精神科医もナチスも基本的な考え方は大差ない。自覚的であるか無自覚であるかの違いはあるが。
禍福は自ら招く糾える縄の如く、災い転じて福と成す。
求めよさらば与えられん。天は自ら助く者を助ける。

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なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)

なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)。
精神科医も患者もバカだから、騙し騙されたのか?
そういう面もあるだろうけど、人間なんてそもそも愚かで弱いものだ。
そこから出発するしかない。
アンタかてグーミンやろ、ウチかてグーミンや。ほな・いこか
(ハナ肇、古いなぁ)
本来医療はなるべく原因に近いところから治療を目指すべきだが、近代西洋医学は無自覚に目先の対症療法を目的化させてしまった。
原因と結果の逆転は精神医療においては甚だしい。
「うつ病はセロトニン不足」⇒原因ではなくせいぜい結果の一面だ。
もちろん悪しき資本主義、金儲け主義という面はある。
医療は患者を簡単には死なないように悪化させ、ずっと精神科病院に通わせれば一番儲かるし、最も優れたビジネスであり、その意味ではあらゆる産業の中で医療は最も成功した例と言える。
現代ビジネスは、いかに相手から恨みをかわないように、恨まれても反撃されないようにしつつ、相手から最大の利益を得るか、というのが無自覚に目的化されている。一方では、消費者は自分にとって有利で合理的な行動をするのだから、需要に対して供給し利潤を追求するのは善であるといった価値観が、無自覚な自明の前提になっている。
近代資本主義には常にこうした矛盾や欺瞞を内包しており、その乖離は精神医療において最も甚だしいと思う。
医療訴訟が起こり裁判沙汰になっても医療側は負けないし、負けても損失は僅かで、痛くもかゆくもないし、そもそもコストに織り込み済み、もちろん暴動など起こりようもない。
製薬会社や精神科病院・心療内科に対する焼き討ちなど起こって当たり前という気もするけど、もちろんテロは許されません。
しかし精神医療過誤・向精神薬害の本質は、金儲け主義でも、「陰謀論」でもないと思う。
「陰謀論」なんて昔は左翼の人が言ってたもんだ。若い頃の私は左翼ではなく、エコロジストだった(まだそんな言葉はない)。「自分たちさえ、目先のことさえ良ければというのは最もエコに反する」とか言ってた。(若気の至り)
しかし、なぜ良くなりもせず有害な向精神薬を使うのか?
それ以前にそれが認識されないのか?といったことは、随分長いこと、少なくとも40年以上は考えてきたが、正直なところ未だによくわからない。殆どの精神科医はもっとわかっていないはずである。
もっとも、かつては向精神薬が処方されるのは重症な精神分裂病患者が殆どで、それも良いことだとは思わないが、一部の場合については必要悪という面も認められないではなかった。
優生思想、もちろんそれもあるだろうけど。
精神科医は表に出さずとも前近代的な優生主義の人が多い。自分たちはエリートで優性とでも思っているのか?「医者に非ずは人に非ず、まして患者においてをや」
もちろん一般の人も多かれ少なかれ優生思想を克服・脱却できていないだろうし、そういう面は私も無いわけではないが、それを克服する努力は常々してきたつもりだ。
いつものことだが前置きが長くなっても何だし、他の人たちが言ってることをここで繰り返してもしょうがない。
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ほぼ全方面から反感をかいそうなので、というより仕事に支障も出そうなので、正直、今までブログに書く勇気もなかったんですが、ズバリ言ってしまうと…
精神医療過誤・向精神薬害の本質は「抵抗・防衛」「転移」といったことであると思う。
精神分析的に言えば。
「抵抗」とは…、
患者は意識的、主観的には良くなりたいけど、無意識的には良くなりたくない。良くなることは無自覚に抵抗し拒否する。
「防衛」とは、抵抗と表裏一体みたいなもんだけど。
患者は辛い症状は取ってもらいたいが、自分の病理性はむしろ手放したくない。無意識に病理性を防衛し固守しようとする。
「防衛機制」というのは抵抗・防衛の分類でもあるが、一般的には臨床上というよりその日常的な現われ。これは中学の保健体育や高校の倫理社会の教科書にも書いてあるので、覚えている人も多いと思う。
否認、退行、解離、抑圧、反動形成、分離、打ち消し、投影(投射)、取り入れ(摂取)、知性化、合理化、向き換え(自虐)、昇華、分裂、といいったアレである。
私はこれを教科書に見つけたとき、こんなに凄いこと、役に立つ正しいことを中学生に教えしまって良いものだろうか?教科書会社や文部省はどうなってるんだ!と驚いてしまった。(授業ではやらなかっと思うけど)
文字通り中二病だったので、教科書に書いてあることは勉強する前に疑え、と全く勉強はせず、中学三年でフロイトの「精神分析学入門」を読んだが、中学三年間を通して勉強したことはそれ以外には殆どないように思う。
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当然、患者さん当人は認めたくはないだろうし、反感もあり、反発するだろうけど、主観的には良くなりたいが無意識には実は良くなりたくない。
無意識にあるということは「ある」というだけではなく、意識せずとも行動や結果に必ず現れるということである。
したがって、いくら有害なものでもあっても患者側に精神医療、向精神薬漬けを求める「合理的なニーズ」があったことになる。
「新型うつ病(実際にはディスティミア神経症だろう)」の人に疾病利得感情を見出す人は多いだろうが、そうした人でなくとも患者の多くは意外に病識が無い。
もちろん自分の苦しい症状には自覚しているが、自分の精神の健康や幸福を阻害している本当の理由、要因を認識して理解し、それに対処することを避ける傾向がある。
それは過去の心的外傷(トラウマ)についてもそうだが、現在の自分のあり方についても。
これでは悪しき精神医療、対症療法至上主義に引っかかってしまうのも当然である。
病気の症状(痛みや熱など)は病気の原因でも本質でもなく、痛み止めと解熱剤だけでは患者は死んでしまうかもしれない。風邪のように短期で自然に治る病気ならば、それでもいいだろうし(良くないという話もあるが)、対症療法も必要悪という面は否定できない。
しかし、向精神薬による薬物療法は対症療法としても甚だ有効性に乏しく、もちろん有害性、危険性は高い。
精神分析学の祖フロイトは、真の精神医療を阻害するこうした無意識の要因、心的機制を看破していた。
良い治療があっても、患者の病理性の克服のために有益なことであっても、患者はそれを無自覚に拒否するので、その前に無意識の抵抗・防衛や転移を意識化、自覚・対象化して克服する必要がある、というのが精神分析の出発点であろう。
そのために必要とされた精神分析療法、自由連想法は治療法ではなく、探索法・研究法である。患者にとっても分析者にとっても。
治療はなくとも膨大な時間や労力、お金をかけてもその意義があるとされたのである。実際にそうかもしれない。
従って、多少とも精神分析をかじっている人の中には、精神医療過誤・向精神薬害の原因に抵抗・防衛を見出す人もいると思う。
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ここからは殆ど誰も言ってないのではないか?
基本的な見方や考え方としては既に精神分析の中にもあるけど。
実は治療者側、精神科医にも臨床心理士や心理カウンセラーにも、患者の友人知人など周囲の人(特に親や家族)にも起こる。しばしば患者本人以上に激しく。
これに気づいている人は殆どいない。
患者本人よりも、親や家族、場合によっては親友など周囲の人の方が、自分と他人の区別がついていない人が多い。親離れ子離れは、精神の自立は精神発達上だいじなことだが。
抵抗・防衛や転移は無意識の心的機制であり、患者に起こるものと考えるのが一般的であるが、それはきちんと教育や訓練を受けた精神分析医や心理療法家が適切なセラピーを行っている場合のことであって、実際の精神科医と患者関係の場合はむしろ逆の方がはるかに多い。
もちろん無意識に起こることであるから、精神科医本人には自覚されない。
それ以前に、ほとんどの精神科医は精神分析否定、否認であり、抵抗・防衛や転移といった概念について知識はあっても理解している人は殆どいない。
(この問題についてはまた項を改めて論じるつもりです。)
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上述のような両者の無意識の心的規制によって、ものの見事に患者と精神科医、需要と供給の利害が激しく合致してしまうのである!!
精神科医とて患者を害したくて害するわけではない。少なくとも当初は患者の役に立ちたい、救いたいという思いはあったはずで、主観的にはその後もずっとそうかもしれない。また、精神医療は100%有害というわけでも、もちろんない。
「精神科医は合法麻薬の売人です」なんてブログもあるし、実際にかなり正しいけど、だからこそ患者も精神医療に群がる。
違法性がなくて安ければ麻薬、覚せい剤の類をやりたい人はいくらでもいるのではないか?ちょっとくらいお試しなら。
「覚せい剤やめますか?人間やめますか?」なんてフレーズは知らない人はいないだろうし、とっくに耳タコでも。
脱法ドラッグ、危険ドラッグも蔓延しているが、この手は長い歴史の中でもあとをたたない。
酒は過度でなければ害は少ないが、過度をとっくに通り越した飲酒者が非常に多いのも似たような事情ではある。
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向精神薬害を唱え、断薬、減薬すべしという人も、薬害に気づく患者も多くなった。
しかし不思議なことに莫大な被害を蒙っている患者当人が断薬、減薬に抵抗する。もちろん薬物依存(精神依存)はそのようなものであるが、効果が無く症状は改善せず、ひどい副作用に悩まされており、様々な身体病さえ引き起こしているのに、そういう人が薬物肯定派だったり、減薬・断薬が必要なことはわかっていても受け入れなかったり。
そんな例は数えきれないくらい見ている。
※断薬・減薬の指導をしているわけではありません。(念のため)
もちろん苦しい離脱症状が嫌だというのもあるし、向精神薬のため脳が上手く働くなり判断ができなくなるという理由もあるが、それだけでは説明がつかない。
既に精神科医(加害者)と患者(被害者)の間で、負のラポール、奇妙な相互信頼関係に基づいた主従関係が形成され、ストックホルム症候群のようになっている場合が多いのである。
負のラポールは、独裁者と国民、DVカップルの共生関係、重症なアルコールや薬物依存症者とその妻など,患者と毒親、などに優位、支配的であり、実際に重症患者にはそのような人間関係以外を殆ど知らない人もいる。
ストックホルム症候群とは「誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意、信頼などの感情に基づいた関係形成」のことである。
もちろん、薬を飲まなければ悪化する、医者の言うことを聞かない患者は診察しない、薬を処方しないという脅迫に屈する場合も多い。
背景には医療信仰、薬物崇拝などもあり、「医療」に背くこと、薬物を捨てることに罪悪感をもつ人も多い。
周囲の者だけでなく、友人知人会社関係の人など、殆どの人はちゃんと受診し、精神科医の言うことを聞いて、きちんと服薬して、というわけなので社会的には精神医療過誤、向精神薬害を阻止する要素は殆どない。
これは悪質信仰宗教や悪質セミナーなどのシステム、メカニズムと同様であるが、精神医療問題は社会には殆どその歯止めがない点が大きく異なるのである。
世間を揺るがせた「オウム真理教事件」も対象化、検証・理解がさほどされないまま風化しつつある。
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精神疾患を脳の病と考え、原因となるトラウマを無視、否認するということはどういうことか?
トラウマ-過去の出来事が現在の患者の心を苦しませ続けるということを無視することは、当然のこと心の痛みや苦しみだけでなく、身体的苦痛も無視することになる。
他者の痛みを見たり知ったりすることは、自分にとっても痛みになる。
それが解離しており、自覚されないのである。
いじめ問題も同様である。
普通の人間は虐めの現場を見ることができない。自分が苦痛だからである。
だからこそ、虐めを見て見ぬふりするとも言えるのだが。
しかし、人の痛みが自分の快感という場合ももちろんある。
犯罪者などがその例だが、むしろ他者の苦しみこそが自分が癒されるという倒錯にさえ陥っている。
このような心的機制が精神科医に働いているのである。
電気ショックを行う精神科医はとても嬉しそうで楽しそうであるばかりでなく、使命感にあふれ自分の任務を遂行する戦士のように逞しくも凛々しくもあり、他者も同調する。
話を広げすぎかもしれないが、戦争防止のためには精神疾患=脳病神話を排さなければならない。
病因となるトラウマを無視することは、他者の心の痛みや苦しみを無頓着になり、否認・無視することになるからである。
戦争トラウマの影響は当然のことながら
殺人は孫の代から7代祟ると言われている。
当然のことながら子供は既に幼児期を脱しているからである。
kyupinのような精神科医には首を吊って自殺した人は窒息死、電車に飛び込んで自殺した人は外傷や多量出血で、薬物中毒死は心不全やその他の身体病で死んだものとしか認知されない。本質を理解できないのである。
死亡診断書の死因は本質的な死因ではない。
認知の欠落、認知の歪みを認知行動療法で治せるなら大いにやってもらいたいものだが、トラウマ否認、無意識無視ではハッキリ言って効果はない。
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従って、向精神薬害から逃れるためには、向精神薬に対する理解も大事だし、この世の仕組みを知るのも大事だが、ニヒリズムに陥ってももちろんダメだろう。
何よりも大事なのは、こうした無意識の抵抗・防衛や転移を理解し、克服する意思を持つことだと思う。
もちろんまず自分自身の無意識的行動や考えを対象化し自覚することも大切だが、精神科医や医療関係者の、ひいては世の中の人全体、社会全体の無意識の心理も理解する必要がある。
この視点は反精神医療派の人にも徹底的に欠けていると思う。
殺してしまおう 五つの赤い風船

この歌を初めて聞いたのも中学1年だったか。身につまされた。
先ほど改めて聞いたら、40数年間ずっと思い違いをしていて
「かわいそうけど」⇒「かわいそうだから」殺してしまおう
と誤解していた。
語弊もあるだろうし、多くの人に反感を買いそうだが、気分悪くなさらず読んでいただけ
れば…
(続けるつもりだが)

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うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?

【うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?】
憶えている人もまだ多いだろうが、2015年2月、川崎市の多摩川の河原で、当時中学1年の上村遼太さんが虐めにより殺害された事件があった。何ともやるせない事件である。
被害者の家庭は母子家庭で、母親は離婚し働きながら5人の子供を育てていたらしい。そのこともいろいろ物議を呼んだ。
多摩川の現場には多くの花束が供えられ、追悼する人も多く訪れて、ゴミの処理も問題になっていた。
主犯の少年も加害者グループではボス格だが、もっと年上の不良仲間に虐められ脅迫されており、家庭では虐待されていたという。
主犯者の子分格の一人は、被害者と仲が良かったらしいが「ゴメンな」と言いながらナイフで切り付けたという。
今一歩の冷静さや勇気と洞察力、判断力があったら虐めを止めらる可能性もあったのではないかという気もするが、彼らもまた幼児期からのトラウマに支配され、集団的な感応現象が起こっていたのだろう。
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ネットでたまたま見た記事なので、詳細は憶えていないのだが…
ある霊能力者の有名人に、相談するという形の記事である。
相談者は被害者や家族とも、もちろん加害者とも関わりはなく、現場近くに住んでいるとかその程度の関係。
事件の報道を知ってからもうだいぶ経つのに、とにかく被害者の少年がかわいそうで、哀しくて辛くてしょうがない、悲しんでもしょうがないと思うけど、という内容である。
これに対して霊能力者の回答は…
悲しむべきではない、それは貴女の自己満足に過ぎない。為すべきことは虐めを無くすための努力、具体的な行動や活動であり、それをせずに悲しむだけでは供養にもならない、といったものであった。
ありきたりの答え、当たり前、常識と言えばそうだが…
現実的には虐めを無くすための具体的な活動が、一般の人にそうそうできるものでもない。
虐めの現場やその兆候を見つけたら介入する止める、それだけでも大人にとっても難しい。教師でさえ見て見ぬふり、それを咎めることさえ難しい。もちろん自分だったらどうか、ということにもなる。
悲しい、辛いからこそ虐め撲滅のために働く動機にもなる、とはいう面ももちろんあるだろうけど…
では、被害者を憐れんだり悼み哀しむだけしかできないなら、そんなことしない方が良いのか、供養にもならないのか??
そんなのは自己満足、というのは被害者に自分を投影しているだけだから??
悲しいことは忘れて、あるいは忘れずとも、前向きに明るく楽しく生きた方が供養になるのか?
あの世や魂がなければ、神の存在を前提にしなければ供養って成立しない?
弔いは不要か、自己満足のためか?あるいは遺族や関係者の癒しのため??
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うつ病の本質、少なくともその一部は悲感哀、罪業感、虚無感といったことであるのに異存はないと思う。
かつて昭和の時代の、うつ病患者(主に中高年)の生活史を調べると、以下のような幼児期もしくは遠い過去の患者の周囲に、大きな悲しみや精神的ショックをもたらす出来事や状況が多くみられる。
パニック障害などの場合は、患者の憶えていない、知らないような遠い過去ではなく、割に最近の出来事が病因の大きな要素であることが多いが、それにしても当人はその意味に気づいていないことも多い。
例えばであるが…
患者本人の少し年上・あるいは年下の兄弟姉妹(となるはず)の人がいたが、病気や不慮の事故に遭って亡くなり、妊娠中、もしくは患者の幼児の頃、母親は悲しみにくれ、その中で幼児である患者の子育てをしたせざるをえなかった、といったケースが非常に多い。
昔は医療も発達していないし衛生状態も悪く、幼児が病気や不慮の事故で亡くなることは非常に多かったのである。
あるいは母親の肉親が亡くなり、ショックに打ちひしがれ、悲嘆にくれていたなど。
もちろん父親の関係者が亡くなったなどの場合もあるが、その場合父親自身の精神が荒れすさんだりして、母親もその影響の中で子育てをせざるを得なかった、といったような場合。
そうしたことが無い場合でも、両親の結婚が悲しい妥協結婚で家庭内離婚状態であったとか、嫁姑問題で激しい確執や葛藤があって、嫁である母親は大いに苦悩したり悲嘆にくれていた場合など。
さらに言えば、そうした問題がなくとも、祖先にそうした問題や事件などがあり、子孫に大きな悲しみや苦しみを残し、患者の幼児期の家族関係に影響していた場合など。
何代も代替わりすれば、おそらくそれなりに忘却され浄化され、それ程の影響はなくなるのが殆どだろうけど。
それでも何代も前のことが、大きな影響を残す場合もあれば、十何代も前(数百年前)の殺人事件がど、うつ病患者の幼児期、家庭環境にも影響し、それが主な原因としか考えられない場合もある。
精神医療には、患者個人のの成育歴、生活史だけでなく歴史的背景を知ることも必要である。
霊障というような先祖代々からの精神的な直接的な影響もあるのかもしれないが。
そうしたことよりむしろ、世代にわたって子供育て方・接し方、家庭環境などを通して、しばしば増幅されて心理的・精神的に連鎖する。(トラウマの連鎖)
このようなことをを示唆したら患者本人も、激しく納得していたことは何度もある。
本人も家系的な問題は知っていたのである。
もちろん、加害者側の場合も被害者側の場合もあるし、祖先ではなくその関係者の場合もある、というよりむしろその方が多いかも…
(被害者のトラウマももちろんあるが、加害者としてのトラウマもある)
「うつ病」を遺伝による脳病としての内因性精神病と考えてしまうと、当然のこと「(非)選択的非注意」により病因となる出来事や状況は見えないし、詳細な病歴をとっていてもその意味が見えることはない。
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霊能力者にはそのようなことが見えるのだろうか?
わかっても対処法はなく、一般に霊能力者が対象にするのは憑依精神病の患者であり、統合失調症やうつ病、神経症なども対象にはしない。
精神疾患の人を対象にしても何ら改善せず、金ばかり取るのはインチキ霊能力者の常套である。
私の昔の知人に、『精神分裂病(統合失調症)もうつ病も神経症も、あらゆる精神疾患は憑依精神病・神経症でもある』、と言う霊能力者がいた。『無意識と心霊現象は同じことを別な見方をしているだけ』とも言っていた。
当初は私はその意味がよく分からず、理解に苦しんだ。
科学主義者、合理主義者というのでもないけど、そういう胡散臭いこと、眉唾ものは大嫌い、根拠のないことをもっともらしくいうのも大嫌いだった。
その霊能力者も除霊をするのは(狭義の)憑依精神病に対してだけで、一般の精神疾患の患者にはカウンセリング、心理療法・精神療法といったことで対応していた。
その能力は「黙って座ればピタリと当たる」というような天才的なもので、精神科医や臨床心理士などとは圧倒的に次元が違う。私も大いに参考にさせて頂いた。
仏教が祖先を大切にしましょう、お墓や仏壇を拝みましょうというのは、もちろん理由のあることだろう。
健康的、幸福であるならば当然のことであるが、そうでないならば…。
したくないのに無理に拝んだり供養するよりも、おそらくしない方が精神の健康、メンタルヘルスのためには良いと思う。
むしろ心から拝めるようになるよう努力すべだろうし、そうなってから拝めばいいと思う。
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話を戻すと、肉親の悲しみがあたかも乗り移ったように、時限爆弾のように作用して、中年期を過ぎて「うつ病」を発症する人が多かったのである。
(私と考え方、見方は全く違うのだが)誰かの言葉を借りれば、遅発性・晩発性PTSD・心的外傷後ストレス障害としての「うつ病」である。
子供のころは発達する力があるので、そうそう問題を呈さず、若い頃はまだ元気でそれなりの適応性・順応性があり、仕事や家庭、人間関係など日常生活が特になく問題なく適応できていれば、その段階では、うつ病に陥るようなことはないが。若い頃から「うつ病」というのはよほどの重症だ。
昔から私は「うつ病」をそのように認識していた。
なぜ根拠のない、もしくは現実に相応しくない過度の悲哀感や罪悪感を持たざるを得ないのか?
生まれて数カ月も経たない子供でさえも、悲しみに打ちひしがれて、傷つき落胆している親を何とかしようとする。慰め、励まし、勇気づけ、癒し、導こうとさえする。
またそれができなくては自分自身の生存自体も危うく、良い発達環境も得ることはできない。親の養育なしに幼児は生きては行けないのだ。
親は幼児期の子供のセラピストでもあり、またそうなければならないが、それよりも遥かに幼児は親のセラピストとしての役割を無意識に果たそうとする。
親に対する子供、すなわち幼児の無自覚、非意図的な「心理療法・精神療法」が効果をを上げ、親も幼児の無意識な努力やその成果を認めつつ、感謝しつつ子育てをしていれば,将来的な問題はそれほど起こらないはずである。
それが効をなさなければ、幼児は無力感に打ちひしがれ、(自分が悪いわけではないのに)あたかも自分が親の悲哀や不安、抑うつなどの原因であるかのように思い込み、かつそれを補償できなかった、親を助けなかった、といった罪悪感、罪責感に苛まれる。
もちろん幼児はそれを自覚するわけではないし、記憶もしていないが、だからこそ無意識に影響し、大人になってからこそ、その影響は発現する。
うつ病の罪業感,自責感・無力感などは過去の(主に幼児期の)親に対する罪責感であろう。またそれを助長するような育て方、接し方を無自覚にしている。
罪悪感、罪責感、(理不尽な)要求に応えなければ罰する、叱責すべきでないことを叱責したり、過度に厳しく傷つて罰する、といった親の抑圧の内面化でもある。親にされたように不適切に自分を罪深い罰せられるべきものと考える。
得てして過保護な親は必要な安心感を与えないし、過度に厳しい親は必要な躾はしないものである。
親が「幼児の親に対するセラピー」を感じ取り理解し、感謝しつつ子育てができれば将来的な問題は少なく、一般的には健康的な親、家庭環境であればそうしたことができているはずである。
多く患者の場合は、親に対する子供の治療(心理療法)は部分的には成功するが、親にはそれを認めてもらえず感謝もされず、そのプロセスで子供は傷つくがその補償もされない、むしろ余計に傷つけられる。
もちろん、心の補償が必要なのであって、物質的なもので代えられるわけではないし、歪んだ愛情の押し付け「姑息の愛」や不適切な過保護はその代替にもならない。
上に述べたようなことが、うつ病に限ったことではないが精神疾患の根源的、本質的な原因、トラウマ(心的外傷)ではないかと思う。
「精神疾患は親を治療する過程で傷ついたトラウマが根本の原因、患者とは傷ついたセラピスト」
「あらゆる精神疾患は逆転移精神病・神経症である」
大雑把にいえば…
【健康に育った人】
 親のセラピーに成果を上げ、そのことを感謝され、発達促進的な養育を受けた子供。
 そもそも親が健康であるために、それほどのセラピーは必要ではなく、子供にとって達成不可能な過大な課題ではなかったという面もある。
【精神疾患に陥る人】
 親のセラピーに失敗し、ある程度の成果を上げているのにそれを認めてもらえず感謝もされず、むしろ恨まれたり妬まれたり攻撃されたり。
 そもそも親が健康的でなく、過大な癒し要求を押し付けセラピストとしての子供の心を破壊し傷つける。
 お前は私を癒し救ってくれないだけでなく、負担ばかりかけた、むしろ親を傷つけたと子供は責めを負う。
 傷ついた子供は大人になって、親を救えなかったという悲哀感、罪悪感、無力感、虚無感といった幼児期の反応に加えてもしくは重なって、青年期もしくは成人期以降のの不適応、ストレスで抑うつ状態など精神の不健康に陥る。
 うつ病の親は普通、虐待はしないが、精神的虐待という面もあり、一般の虐待なども類似の心的機制によるものと思う。
「毒親」と言うが、親もまた病んでおり、そうならざるを得ない背景や事情、要因がある。
親は健康そうに見える場合や、親自身に病識はなく自分は健康という場合もあり、それなりの適応能力を持っているからでもあるが、それは子供の親に対する「治療効果」のおかげである。
統合失調症の原因は?(ある同級生)
悲哀や罪悪感などに苛まれているだけでは何にもならない、それを克服し前向きに生きるべき、というのは治療志向ではあるだろうけど。
精神分析的には、悲しみにくれ、自責の念を持ち続けなければならない、明るく楽しくやっていくのは身勝手だ、不謹慎だ、というのは抵抗であり、自分は悲嘆に暮れ自責し続けねばならないというのは防衛ではあるだろう。
但し、抵抗・防衛には現実的な根拠もありうる。
現在も親によるトラウマ・ストレスが子供(患者)に与え続けられている場合である。そこから逃れることは親を見捨てることになる、実際に親の精神状態が悪化することを意味する。
ネガティブな毒は子供(患者)に向けられなくなると、それは自分自身に向けられ、対処・克服できない親は毒が回って自分自身が病気に陥らざるを得ない。
しかし自分のことは自分で解決し、克服なければならない。人に押し付けて抑圧してはいけないのである。
ちょっと極端な言い方で気を悪くする人もいるだろうけど。
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うつ病の症状は現実的なストレスには対応しておらず、あたかも何も理由がないのに激しい抑うつ状態に陥っているかのように見える。
実は「実存的問題」で激しく悩んでいたりもするのだが。そうしことは普通は若い頃に苦悩するものだが、その頃は「順調に」やっていおり悩む必要もなかった である。
患者がそうしたことを言うことが少ないのは、そうした言葉や表現は持たない(哲学者でも心理学者でも文学者でもなし)、相手に言うようなことではない、恥ずかしいと思ったり、通じるわけはない(もちろん精神科医やカウンセラーにも)、精神的に相手を押しつぶしてしまうのではないか、そうなったら自分も罪悪感に潰されてしまう、などといった理由によるものだろう。
あるいは患者が現実のショックやストレスを被ってはいても、抑うつ症状、悲哀感や罪悪感が現実的には見合ったものではとうていなくなく、その程度をはるかに超えており、全く相応していないほど激しく過大であったり。この場合は、うつ病というより抑うつ神経症、抑うつ反応というべきかも知れないが。
だからこそ、「うつ病は脳の病気」とも言われてしまうのだが。脳の病気で頭が狂っているから悲哀感、罪悪感にとりつかれ打ちひしがれているのではない。
もちろん脳の状態は良くないが、それを脳の病気とするのは医学的には間違いである。
抑うつ神経症というのは良いとしても、抑うつ性障害ともいうべきではない。
過去の(多くの場合、主には幼児期)のことに影響され、精神・神経が反応しているためにそのようなことが起こっているはずである。
ストレスに弱い、打たれ弱い、対応能力が低いのは、やはり幼児期の問題から、発達期に身に着けた適応能力が乏しいからである。
適応性が保てるうちは病的状態とはならないが、幼児期のトラウマと現在のトラウマ・ストレスが重なると発症する。
もちろん、幼児期のトラウマがさほどなくても、現在のストレスがあまりに激しければ、抑うつ反応が起こり、激しい「うつ状態」に陥るし、それも精神疾患ではあるが、本来の「うつ病」とは言えないだろう。
患者の幼児期には、年の近い兄弟姉妹が病気や事故で亡くなることも少なく、まだ祖父母も健在であることが多いし、とりあえず戦争が終わってからもだいぶ時間が過ぎた。
もしくは、そういったことと類似のショックや悲しみをもたらす出来事が少なくなったことが、典型的な「うつ病」の人が減ったり理由ではないだろうか。
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10数年前からの『うつ病キャンペーン』により、精神科病院、心療内科クリニックの受診者は劇的に増えて、うつ病と診断される人も、新型抗うつ剤の売り上げも激増した。
しかし、かつてのような典型的な「うつ病」患者はむしろ殆どいなくなったのは上述のような背景によるものだろう。もちろんショックや悲嘆がなくなったのではなく、世の中の移り変わりとともに人の心も大きく変化したのである。
統合失調症や他の精神疾患の病像変化も似たような事情や背景があると思う。
「新型うつ病」なんて言葉も広まったが、それはうつ病ではなく、抑うつ神経症でさえなく、敢えて言うならディスティミア神経症とでも言うべか。
そういう人は昔から多かったが、「プライド」も高いので、病気扱いされるとむしろ激怒し、だからこそ何とか社会的威信、自己評価は保てるように努力していたはずである。
またそれが可能な社会でもあった。
世の中も人の心も、見方や考え方や価値観、生活様式なども随分違ってきた。祖先やら家系がどうのという人も少なくなった半面、霊がどうのという人も増えたようである。
もちろん、心の傷、トラウマをもたらすような出来事や、その影響が無くなったわけでも減少したわけではない。悲しい事件や出来事が減ったわけでももちろんない。
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発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害
こちらの続きです。
発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害 (2) : 発達障害(誤診)の病名など
思いつくままにいくつか挙げておきますが、以下のような子供はいくらでもいる。
【その1】中学1年、女子
両親とともに本人も一緒に相談に来た。
不登校と言っても間欠的に学校には行っており、保健室登校や午前中で帰ったりしている。
「そういうのも辛いでしょ?そんなことするよりちゃんと出席した方が楽じゃないの?」と聞くと「もうそういう人だと思われているから、皆もあまり気にしていない。なので自分もあまり苦ではない」という。
今どきは不登校も多いのでそんなもんらしい。
我々の頃はサボるもの「勇気」が必要だったが。
不登校になったきっかけは友人と思っていた人からも悪口を言われてショックを受けたり。
親は普通に話している分には至って普通に見える。ちょっと過保護、心配症、子供依存の傾向はありそうだが。
本人はちょっと美人系、オシャレ系ではある。
気が弱く少し神経質なところはあるが、やはり今時少数派?嫌味のない素直で子供らしい感じの娘である。
同じクラスのやはり美人系だが意地悪な子にライバル視というよ敵視され、ボス的になったその子がクラスメイトを従え、悪口を言ったり仲間外れにしたようである。
いじめではあるが、そう激しいものではなく、いつの世もどこでもありがちな程度かと思われる。
野球部のマネージャーになったが入学早々不登校になったので幽霊部員だという。
そのこともネタにされて「ぶりっコ」などと言われたようである。そう言われるのもわからぬではないが、大人から見れば前述のように嫌味のない素直で可愛い子である。
その位の年代なら男の子にモテたい、仲良くしたいなんて当たり前だが、特にそれを期待している様子でもない。
Lineでも悪口を書かれたりしたらしい。そのため当人はLineは止めたという。
そうすると当然のことながら、自分の知らないところで悪口を言われたり書かれたりしているんじゃないか?、と気になってしまう。
そういったことを精神科医の前で口にしてしまったために、言質を取られた形となり、妄想ということにされて診断名は「統合失調症」だが、なぜかSSRIを服用している。
アホか!もちろん子供じゃなくて精神科医のことですよ。
子供が「統合失調症のような病的な妄想ではなく、本当にそうなのか事実かどうかを確かめてもいないけど、ついついそう思って落ち込んでしまうことかあります」なんていちいち精神科医に説明はしません。
そこまで説明されても、統合失調症にしてしまうのが昨今の精神科医だが。
本人によるとSSRIで少し楽にはなったという「効果」はあるらしいが、もちろん甚だしく危険である。
薬のことなど話していたら、父親も「お父さんも酒止めるから薬は止めよう」と言ってた。
その後「いい先生だし(治療を)受けたいけど、部屋がちょっと汚いし」などと言ってたらしく(神経質ではある)、相談1回だけで治療を受けには来なかった。
そりゃ元気できちんと学校に行くようになれば来ないわな。
てなわけでちょっと話しただけで(お金も取らず)、とりあえず問題解決したりするのであるが、精神科医にかかると本格的障害者(薬害性の中枢神経障害)にされてしまう。
薬漬け、慢性薬物中毒・後遺症で生涯台無しだ。
※統合失調症についてはこちらをご参照ください。
ある同級生のこと(統合失調症)
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【その2】中学2年、女子
当所に相談に来たわけではなく会ってもいない。母親から電話で相談があっただけである。
具体的なことはあまり覚えていないが、やはり上述の子と似ている。
本人は真面目で勉強熱心、成績も良かったのだが、やはりLineで悪口を言われたりして、親しい子もそれに加わったことがショックで、勉強も集中できなくなり、今回のテストの成績もだいぶ落ちたという。それがまたショックで落ち込んでいるらしい。
学校には行っている。
そこで例のごとく、あざとい教師に精神科受診を勧められ、拒否するわけにも行かず受診した。
医者は話もロクに聞かず、というより子供とまともに話もできない児童精神科医で、いきなり薬てんこ盛り、こんなの飲ませても大丈夫かか?などと心配した母親からの相談の電話であった。
「これはエライことですよぉ~これは病気ですよ!発達障害ですよ!統合失調症かも知れませんよ!」
BYルーキー新一
https://www.youtube.com/watch?v=HJPvYm75R4A
診断名は忘れた。統合失調症の疑いだったか、小児うつ病だったかなぁ? 
聞かなかったのかもしれないが、もちろんどうでもいい。もちろん誤診。
母親もずいぶん心配して落ち込んでいたが、特に毒親でも教育ママでもなく、気が弱く心配症の傾向はあるだろうが、やはり普通の範囲を超えない感じ。 
「精神科医の言うことなんて真に受けちゃだめですよ」「ハッキリ言ってバカだし嘘つきだし」
「んなこと、子供が成長するためにはむしろ必然的なプロセスだよ。」「似たようなことはお母さんもあったんじゃないの?」
「心配症は良くないよ。肝っ玉かあさんでいかなくちゃ(知らねーか)」
「親は距離を置いて離れて見守る位にして、自分のことを楽しくやればいい」「親戚の娘さん、姪御さんくらいに思ったほうが良い。」
などと、こっちも好き勝手なことをまくし立てた。お金も貰ってないし。
本人の心理、学校での状況、母親自身のことや家庭のこと、精神医療のことなど事実を確認しただけである。
うそやまやかし、取り繕いなど、自分を偽り、事実を捻じ曲げることは不安や葛藤、心を不穏にさせ不健康をもらたす。精神科医の得意分野である。(殆ど無自覚にやっている)
母親は随分心配していたが、安心したようですっかり明るくなった。
それだけで本人も元気を取り戻すはずで、学校には行ってるわけだし、そりゃこっちにも来ないわな。
ウチに来れば勉強やる気になったり集中できる方法も教えますけど…
というわけで親と電話で話しただけでも、とりあえず問題解決するわけだが、そのまま受診服薬を続けていたらたいへんなことになる。
障害者化→廃人化、一生台無しだ。
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【その3】小学校5年、男子
診断名はお決まりのAD/HD注意欠陥多動性障害(誤診)、発達障害(誤診)
年齢の割に随分体格は小さく子供っぽく見える。2歳くらい下の感じ。実際にそのように見られることが多いようだ。知的障害ではないが知的にも少し低いようだ。
緊張感が非常に強く、座っていても最初はえらく落ち着かなかった。
初めてへんなオッサンの所に来て、目の前に座らされたということもあるのだが、普段も緊張が強いはずである。
親はまぁ普通のオバサン(失礼)、精神疾患の親という感じはもない。
学校ではその場に不適切な言動があり、KY、空気読めないなどと盛んに言われるらしい。家庭ではそう問題はなく、どうしてもゲームをやってしまい勉強はしないことくらいか。
激しいいじめではないのだが、やはりバカにしたりからかわれたりしている。
そこで本人も怒っても犯行はできないし、というよりむしろ今時めずらしく素直な子供らしい健康的な子なので、それがストレスになり、授業中にも席を立ったり奇声を上げてしまうこともあるらしい。
ついつい耐えられず、手を出してしまうこともあるようだ。もちろん、からかったりするやつのほうが先に手を出しているに違いないが、「空気読める」ので教師や大人たちには気づかれないのである。
そこをまたからかわれたりバカにされたりするので悪循環。
教師からもいろいろ言われたり注意されたりしている。
母親も呼び出されて注意を受け、母親もストレスになる。
学校のことなど、なんでも親に報告などしないほうが良い。それぞれ別の環境であり空間であり小社会だから良いのに。
結局、お決まりのADHD(注意血痰多動性障害)の疑いがあるからと、精神科医の受診を勧められる。
そんなの真に受けたら命取り、一生台無しだ。
しかし、何と!
そのような子があまりにも多いので、児童精神科医の受診は半年待ちらしい。
ゆえにまだ被害も拡大したとはいえ、そんなに激しくはは広がらずとどまっているとも言えるのだが、児童精神科医が増えたらほとんどの子供は発達障害(誤診)にされてしまう。
昔なら「大器晩成」なんて言われるくらいのものである。大器晩成なんて今は死語か?
空気読むなんて本来、子供のすることではない。社畜にでもなってからすれば良いことだ。(良くないか?)
子供は素直で優しくて思いやりのある良い子ならそれでいいのだ。
今の教育や家庭環境は子供時代をすっ飛ばして、いきなり社畜にでもなることを要求しているようなところがある。それも過当競争で。
いつから会社がそんなに偉くなったのか?正社員になるのが夢だとか。
我々が学生の頃は今のニート引きこもりと大差ない、社会に出る前からの社会からの落ちこぼれでさえヤツでさえ「サラリーマンなんかになりたくねぇ」「何が一流会社だ、大企業だ。ケッ!」てなもんだった。
 例によって話がズレたが。(誰のことだ?)
母親はそれなりに本も読んでおり、教養程度には精神発達や心理療法的な知識もあるので、精神分析学的な難しい話も随分したけど(3時間位ぶっ続けで)本人も落ち着いて、真剣に一生懸命聞いている。
正しいことを言えば知的には低くても子供は素直に入ってくるので、難しい話をしても通じるものがある。
「たいくつな話で疲れた?」「…」(首を横に振る)
「難しいけどわかったかな?」「…」(首を傾げて)
「でも、ちょっとわかった?」「うん!」
授業を落ち着いて聞いていられないのは、たぶん教師の教え方が下手で指導力がなさすぎるからでもあるな。
発達障害(誤診)、病気扱いして受診を勧めるなら、むしろいじめる側の子供、というより本来はその親だ。
この場合は、ホントの発達障害と紛らわしいところはある。やはり未熟児で生まれ、かつ早生まれだ。もう一学年下に入ったとすれば、ずっと適応しやすかったはずだ。
知的な発達の遅れがあるといってももちろん脳の病気ではない。
AD/HDと言うならそのものではなくとも脳の障害を証明すべきであるが、もちろん精神科医にはそんなことはできない。
何で脳の病気でないとわかるのか?
実は脳の病気と精神疾患の症状は似てはいてもまったく重なることはない。普通の人間と違うところはないが、問題が拡大している、表面化しているというだけである。
精神科医にはもちろんそんなことわからないが、むしろ神経内科の医者なら(心療内科ではないよ、念のため)たいていわかる。
脳の病気についてよく知っており、中枢疾患の患者をたくさん見ているので。
実は素人目にもパッと見ただけでわかるのだが、精神疾患を脳の病気としてしまうと全てがわからなくなり、まやかしやごまかし、自己欺瞞を言うしかなくなってしまったのが今の精神科医である。
脳の病気であろうがなかろうが、ホントに発達障害であろうがなかろうが、精神科を受診してももちろん治療はできず、向精神薬の服薬では徐々に悪化する。
一時的には良くなったかのように見える場合もあるが、副作用満載、危険であり、徐々に身体も壊して廃人化。当然だが。
ストラテラ、コンサータは向精神薬の中でも覚せい剤に近いものである。
もちろん、てんかん発作でもあれば話は別だが、てんかんは精神疾患ではなく中枢疾患であり、精神科の対象ではない。
※この項、続きます。
 こちらもご参照ください
発達障害 (1):発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害 (3b):発達障害(誤診)の症例-2

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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発達障害 (2) : 発達障害(誤診)の病名など

発達障害(2)
発達障害(誤診)の病名など
この項は前項の「発達障害(1):発達障害(誤診)の拡大と混乱」の続きです。
発達障害(誤診)では以下のような診断名も良く使われるので、それについて。
児童精神科医が言うことの多くは間違いであり、精神医学に反しておりエビデンスもない。
ウィキペデアなんかを見ると間違いがないわけでもないが、基本的にはほぼ精神医学の定説に沿った記述なので、精神科医の言うことは真に受けず、とりあえずそれを見るのも良いと思う。
【ADHD 注意欠陥・多動性障害】
ネットを見るといろいろ出てくるが、殆どは製薬会社のものかスポンサーになっているものだ。もちろん薬の拡販のためである。
「昔はADHDなんてなかった。そういうのは子供と言ったんだよ」なんて反精神医療派、CCHRの人なんかが良く言ってるけど、元々はある精神分析家の言ったこと、けだし当然である。
しかし、最近は分析家と称する者さえ、発達障害(誤診)の虜である。
これを製薬会社は逆手にとって、ADHDは昔からいたが見過ごされており、既に大人になった「大人の発達障害」がたくさんいるとして、盛んに発達障害(誤診)キャンペーン、病気喧伝を行っている。
ADHDの父と呼ばれる、アイゼンバーグ氏はADHDを提唱したことを、激しく後悔して、2009年に亡くなられたらしい。
『ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める』
http://gigazine.net/news/20130529-adhd-is-made-by-industry/
結果として過剰診断がとどまることなく広がり、子供に対する薬害を広めてしまった。もちろん氏の意図するところではなかったはずだ。
ホントに発達障害「ADHD・注意欠陥・多動性障害」に該当するような子供は全くいないわけではないが、ごく僅かであり、ある種の精神遅滞(知恵遅れ)なので特に分ける必要もないし、もちろん治療法があるわけでもない。
精神遅滞はもちろん多様であり、その子に応じた療育・訓練・リハビリをすべきであるが、精神科医に通う必要はない。
ADHD・注意欠陥・多動性障害なんて精神科医の殆どが知らない頃、30年以上前から私は知っているが、それに該当すると考えられるような人は1人しか知らない。もちろん精神遅滞(知恵遅れ)である。
その後100人位は、ADHDと診断された,ADHDの疑い、自分でADHDではないかと思う、といった人に会ったことがあるが、すべてADHDではない。殆どは敢えて言うなら神経症。
発達障害(誤診)の二次障害とか、「お薬を飲む事で息子さんの頭の中が整理されて、考えがまとまりやすくなる事によって、本人もすごく楽になるんですよ~」なんて児童精神科医に言われると親も逆らえない。
薬を飲ませないことは医療を受けさせない=虐待とさえ考える親もいる。
その頭の中を自分で整理することを身に付けるのが成長・発達というものであり、むしろその学習経験を阻害してしまうのに。
もちろん薬の効果はあっても一時的、長期では逆効果となる。
ADHDと診断される子供は、早生まれが多い(3月と4月生まれでは1年近く発達の差があるのが当然)という調査報告もあるようだ。
ストラテラとかコンサータといった向精神薬を処方されるが、そんなの殆どヒロポン※だろ。
子供をポン漬け、ポン中にしてどうするつもりだっ!
※知らない人も多いだろうから下に注
【アスペルガー症候群】
今世紀に入る前後、インターネットの普及と共に素人の中で広まったように記憶する。2chなどで人を蔑む言葉として。
これに精神科医がだいぶ遅れて追従した。要するに素人ヲタより遅れている。
例によってDSM流の項目当て嵌め方式だと多くの人が当てはまってしまう。まったく○×式は子供のテストだけにして欲しい。
子どもをテストするんじゃなくてお勉強のテストですよ。答えるもの面倒だし採点するのも面倒だから。
要するに高機能自閉症だが、元々は殆ど都市伝説みたいなもので、昔も今もそういう人がいないわけでもないが極々まれである。
前述の自閉症のリハビリの第一人者だけでなく、ホントの発達障害のリハビリをしている知人も何人かいるので、自閉症の話はしょっちゅう聞いているが、アスペルガーなんて20年以上前から聞いたことはない。
○○博士とか□□オタなんてのは男の子なら普通のことだ。私は車好きで5歳以前に、大人の読む車の本を見ていたので相当な知識であった。漢字も結構読めたし。当時は車の絵本さえ少なかった。
今のように情報過多だったらどうだろうか?末恐ろしい!??
車が好きだったのは小学校低学年までで、その後は一時的にバイク、それからサイクリング、登山と順調に成長している??
自閉症の中でもアスペルガー症候群は皆無に近く、そうではない子供、だけでなく大人にも広げてしまった。実際には殆どの場合、神経症的問題であり解離による思考パターンや学習経験の甚だしい不均等、認知の偏り、欠落など。
子供なら特に病気と看做す必要もないが、生涯続いてかつ人生に大きな支障をきたすなら、まぁ神経症(と言えば中らずと雖も遠からず)だ。
当然のことながらDSMからも第5版からは削除されたが、精神科医や教師の頭の中では今も増殖中。
今は自閉症スペクトラム障害ということで特に区別されなくなった。そんなの当り前でDSMだと第3版以前に戻っただけ。昔の専門学校の学生でも知っていた。自閉症児の介助のボランティアをやっていたので。自閉症は多様である。
自閉症も対人関係や認知などある種の傾向や偏りがあるだけで、ホントは精神遅滞(知的障害、知恵遅れ)に過ぎないという説もあり、少なくともそう考えた方が良いだろうと思う。
(ホントの発達障害のプロはそう考える人が多いようだ)実際に昔は一緒くただったし。
ホントの発達障害児、精神遅滞だって多様なのはあたりまえだ。
鬼の首を取ったように得意になって、特徴を数え上げてチェックリストに当て嵌めて分類するのは素人や精神科医だ。
DSMの弊害であり、受検勉強のやりすぎや血液型占いなんかの影響もあるかも知れない。
ミソもクソも一緒はまずいが、分類できないものを分類して分かったよう気になってしまうのも非常にまずい。
【広汎性発達障害】
もともと非常にあいまいな使われ方をしており、今日小児科領域ではあまり使われなくなったようだ。多くの場合、精神的・情緒的問題の大きい精神遅滞、知的障害などに使っていたと思う。
ところが最近は軽症のフツーのオバサンやオッサン(軽度神経症)にまで使うようになった。
最初はお決まりの、「うつ病(誤診)」だの、神経症やパニック障害だったのが向精神薬を服用して悪化、元々の症状も副作用も離脱症状も後遺症も区別がつかなくなってしまう。
気分変動が激しいわけでもないので双極性障害とも言えず、幻覚妄想があるわけでもないので統合失調症とも言えず、服薬で悪化した結果をさらに取り繕おうと悪あがき、薬てんこ盛りにするための苦肉の策として使われるようになり広まったようだ。
【統合失調症(の疑い)】
統合失調症はホントの発達障害でも発達障害(誤診)でもないが、統合失調症と診断すれば、「精神科医は今日も明日もやりたい放題」であり何でもありだ。
発達障害(誤診)というよりも殆どの場合、悪質であり薬漬けも激しくなり電気ショックなどの有害・危険性の高いこともやり放題になってしまう。
発達障害(誤診)は統合失調症(誤診)に対しては多少の歯止めにはなると言う面もないわけではなく、一部の反精神医療派の人が発達障害(誤診)の呪縛・陥穽にはまるのはこうした事情もある。
しかし、発達障害(誤診)でも統合失調症(の疑い)でも、薬漬けで薬害性中枢神経疾患、障害者化されてしまうので、結局の所行きつくところは同じだ。
最初は発達障害(誤診)とされても薬害性の統合失調症様の中枢神経障害になることは、すでに多く報告されており、そういうケースは今後どんどん増えるはずである。
もちろん精神科医にはホントの統合失調症と、薬害性の中枢神経障害の区別はつかず「もっと早く受診して服薬していれば予防できたはずだ」と自己欺瞞・正当化するのであるが。
もっともそれ以前に、コンサータだのストラテラで上がったり下ったり、双極性障害と診断されるようになる場合も多い。当然のことながら常用量離脱も起こる。そんなことをしていれば当然、脳破壊され薬を止めても不可逆的な後遺症が残る。特に子供の場合は大人よりも。
多くの場合は、子供が「皆が自分の悪口を言ってるかもしれない」などと言うと、妄想扱いされて統合失調と診断されることが多い。
子供は言葉足らずなのは仕方がないのに、そこを分かってもらえず言質を取られる。
早期化している事情はあるだろうが、思春期なら多くの人が思うことだ。
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この分野ではやはりものごとは正しく理解し、言葉は正確に使わなければ有害甚だしくなってしまう。
精神科医が今後、薬漬け障害者化の先に目指すところは、薬害を誤魔化すためにも脳内チップ埋め込み電気刺激などであろう。
昔はそんなこと言うだけでも、考えるのも憚れるのであったが。
ふた昔前はロボトミーはもちろん電気ショックも廃れており、精神科医でも大多数は脳そのものを弄るのは反対派が多かった(本音はともかく)。
マッドサイエンティストみたいな精神科医は少数派であり、精神科医の中でもそのような者は嫌われていたのであるが、それが主流派となった。
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しかしながら,発達障害(誤診)が広まるそれなりの背景、もしくは理由、混乱が生じる要因も全くなかったわけでもない。
例えば、超未熟児や乳幼児疾患で昔なら助からず生きていけなかったはずの子供が、保育器の中に入れられて生後数か月も親の直接的愛情や養育を受けることができなかったなど。
こうしたことは旧来の心的外傷とは別質の、オジサン・オバサン以上にはほぼあり得ない、トラウマももたらしていることはある。
家庭環境や親の療育の問題や犯罪被害などのショックな出来事による、いわゆる心的外傷・トラウマとは異なる質を持つものである。
もちろんこの場合も基本的には後天的であり環境因であり、遺伝的・先天的な脳の病気ではないので発達障害(誤診)と言うべきではない。
私の知るところでは「こういう子供なら素人的には発達障害(誤診)と考えてしまうのももっともだな」と思えるケースはすべてこうした事情や背景があった。
こうした子供の場合、知的障害とは言えないがやや知能の遅れがあったり、知的には優れていてもいろいろと偏りや歪み、学習経験の乏しさがある。
ADHDと診断される子供は、早生まれが多いと前にも書いたが、超未熟児だとそれに数か月の遅れと、それプラスその間の発達促進環境の乏しさが加わることになる。
病院を離れて母親の手に返された時を誕生日とするならその差は小さくなるが。
やはり身につけるときに身につけるべきことを身につけないと後が難しくなるのもまた事実である。
幼稚園や保育園、学校などで同じ年齢の子供を集めるのはもちろん理由がある。回りの子が少し年上の子供ばかりだとメリットもあるだろうが、やはりハンデを負いやすく後々まで尾を引くこともあるだろう。
そのようなことはあるのだが、子供ならまだこれからの学習経験が必要であり、療育,教育環境や対応が大事である。
それを精神医療漬け、薬漬けにしたら脳の発達を阻害するばかりでなく、発達・学習経験も奪い元も子もなくなる。
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でも、「子供が精神的問題を呈して本人も周りも困っている例は現実にたくさんあるだろ、どうしたら良いのか?」
発達障害(誤診)と考えず神経症(心因性、環境因、PTSD)とすれば中らずと雖も遠からず、害は少ないとは言える。神経症は精神科の治療対象ではないのが定説である。
神経症とは神経そのものの病気ではなく、使い方や状態はもちろん良くない不適切だとは言えるが、もうちょっと正確に言えば無意識による神経の使われ方がまずい、ということである。
くり返すがもちろん脳の病気としたり、安定剤だの抗精神病薬だのは論外。しかし精神科医はそれをやる。
児童精神科医が行う有害なことはいくらでもあるが、有益なことはほぼない。
臨床心理士や心理カウンセラーなら良いと思うかもしれないが、全く悪いわけではないにしても、彼らの果たす主な役割は、結局の所、精神科につなげるということである。
適切な家庭環境、教育環境において健全適切な対応をすべし、と言うしかない。
家庭は家庭の、親は親の、学校は学校の、教師は教師の本来の役割をきちんと果たすべき責任がある。もちろん社会的問題でもあるが、とりあえずはそこに戻るべし。
教師も余計なことばかりで忙しくなったりストレス多くなっているようだが、無駄なことから解放されて、本来の役割を果たすべきである。
「子供を精神科医に近づけてはならない。
少なくとも今の段階では。
もちろん当所の治療は、適切に受ける意思があればどんな人でも改善できるもので害もありませんから子供でも治療可能です。
対象は今の所、小学校高学年くらいから。
あまり小さい子には向かない治療法ですので、その場合は親が受けた方が良いです。親が良くなれば家庭環境や子供の接し方も変わるので、子供の方も改善が見られます。
※ポン中なんて言葉を知る人も少なくなったので余談ですが。
ポン中というのはヒロポン中毒でシャブ中といった言葉が広まる前に使われていました。
ヒロポンは昭和20年代前半には一般市販薬だった覚せい剤(旧向精神薬)、肉体労働者や看護師など夜も働く人を中心に広まり、薬物中毒が蔓延した。
昭和25年には発売禁止となり、これをきっかけに「覚せい剤取締法」や「麻薬及び向精神薬取締法」が施行された。
私の知人は戦後間もない小学生の時にポン中になり、中学生の頃、コレはヤバいと気づいたので、のたうち回って死に物狂いの苦しみを乗り越え短期で断薬し、発売禁止になってから闇で仕入れて売りさばき、極貧なのに大儲けした金で高校に進学できたという。
そうした経験があるので向精神薬についても熟知していた。
その頃の高校進学率は今の大学より少ない位。何とも隔世の感あり。
こちらもご参照下さい。
発達障害 (1):発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱

発達障害(誤診)-その1
発達障害(誤診)の拡大と混乱
今日、「うつ病キャンペーン」病気喧伝、即ち受診者(薬害被害者)の増加も頭打ちとなった現在、精神科医が遺憾なく無能さや有害さを発揮しているのは子供に対してである。
そもそも、職業として成立しないはずの児童精神科医と称する者もやたらと増えてきた。
悪しき「発達障害(誤診)ブーム」、発達障害喧伝は数年前から拡大し続けている。
もちろんこれを問題にせざるを得ないのは、言葉の使い方が間違っているばかりでなく、子供を犠牲にする悪質な精神医療過誤・向精神薬害問題だからである。
発達障害については前にも少し書いたことがありますが、ここで一応整理しておきます。
駄文なので整理にはなっていないかもしれませんが。
NHK クローズアップ現代 「子どもに広がる向精神薬の被害」
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発達障害(誤診)問題は言葉も非常に錯綜しており誤解も招きやすい。
ここでは、とりあえず、本来の発達障害を「発達障害」として、最近増えている精神科医や教師、児童相談所関係者等から発達障害とされている子供もしくは大人(敢えて言うならただの子供か精神的問題の大きい人、あるいは精神疾患(脳の病気ではなくPTSD)、を「発達障害(誤診)」とします。
ホントの発達障害に関しては別問題であり、精神医療の対象ではないし、当所の治療の対象でもなく、私自身も門外漢です。
そもそも発達障害というのは医学上すでに確立した概念である。
発達障害(誤診)は有害なだけでなく、これまでの医学に反しており医学を全く無視した間違いでもある。
発達障害とは具体的には、脳性麻痺、精神遅滞(知的障害・知恵遅れ)、ダウン症、(ホントの)自閉症、重度心身障害、二分脊椎などのことであり、殆どは遺伝や周産期のトラブルの後遺症であり、多くは中枢神経障害でもあるが、基本的には精神疾患ではなく、精神疾患はは発達障害には含まれない。もちろん併合することはある。
基本的には発達障害は養育訓練やリハビリの対象であり治療の対象ではない。
リハビリも広義には治療ということになるが、病気・疾患そのものを治すという意味での治療と言う言葉は当てはまらない。
私の長年の親友には、発達障害(ホントの)リハビリ分野では第一人者がいて、しょっちゅう会っているので発達障害について話を聞く機会は多いし、私自身もボランティアで介助などしていたこともあるし、発達障害児施設に数か月いたこともあります。
元々はリハビリ系なので多くの発達障害児を見ていますが、治療の対象として関わることは今後もありません。
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精神疾患は常に精神発達上の問題でもあるので、発達障害(誤診)と言うのは一見正しい見方で、悪いことではないように思う人が多いかもしれませんが…
精神科医や(養護学校ではなく一般の小中学校の)教師が発達障害(誤診)と言う場合はほぼ全て間違っており、反精神医療派の人でさえその間違いを踏襲し誤診の陥穽に囚われている人が多い。
障害とは疾患そのもの病気そのものは治らない、ということでありそれを受け入れた上での対処が必要だということです。
スキーで骨折しギプスを着けて杖をついている者はケガ人であって身体障害者とは言いません。
精神障害という言葉も本来望ましい言葉ではありませんが、かつて長らく精神医療の対象の殆どは重篤な精神分裂病であり、治らない(精神科医には治せない)ことを既定の事実とした上で広まり一般化したわけです。
日本でバイクと言えば、かつてはエンジン付のオートバイ、カブやスクーターなんかのことで、今もそうした言い方はしていますが、最近は自転車のことをバイクと言うようになりました。
(ホントの原チャリ、原動機付自転車を知ってる人はかなりの年輩ですね)
それで特に混乱も問題もないし、米国ではバイクといえば昔から自転車のことなので、むしろ訂正したことになります。要するに二輪車ということですから、いずれにしても間違いではありません。
机のことを椅子、椅子のことを机と言ったとしても(そのような使われ方をすることあるし)、多少の混乱はあっても人の勝手で、机に座って椅子の上のメシを置いて食べたって大して害はありません。
机が木製だとしても植物に分類し、水や肥料をやって、もっと高くしようとする愚かな人はいませんね。
しかしそれ以上に愚か、奇妙でかつ甚だしく有害、危険、被害甚大なことを行っているのが子どもに対する精神医療の現状です。発達障害・誤診蔓延と向精神薬漬け。
もちろん治療ができるなら、あるいは発達上の問題を克服するための援助ができるのなら,大いに精神医療はどんどん拡大すべきです。程度はともあれ、いかなる人も精神疾患という面はあります。
しかし現状では子供に対する精神医療は甚だしく有害、危険でしかありません。
例によって話がくどくなりましたので、ここで整理しておきますと。
・認識、行為の誤り:精神科医や教師、毒親など
 発達障害(誤診)は脳の病気として子どもを薬漬けにする。
・言葉遣いの誤り:一般の人や一部の反精神医療派の人など
 精神発達上の問題に対し発達障害(誤り)という言葉を使う。
もちろん前者の方がはるかに悪質ですが、後者も絶対に訂正すべきです。単なる間違いでは済まされません。
子どもを被害者とした犯罪的「医療」行為に加担し、精神医療過誤・向精神薬害の拡大、増長させることになるからです。
 反精神医療派の一部の人は、発達障害なんてないと言うけど、前述のとおり、もちろんホントの発達障害はある。自閉症は社会毒の影響などと言うのは矛盾している。それがないというのではないが、別に自閉症が増えたわけでもなく昔から多いし。
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なぜ発達障害(誤診)が広まったのか?
ここ数十年で特に新たな精神医学上の発見があったわけでもないし、新しい種類の精神疾患の発症があったわけでもありません。
典型的な「統合失調症」や「うつ病」などはむしろ少なくなり、精神疾患は多様化したという面もありますが、それも表面上のことです。
精神疾患の子供が増えたわけでもなく、発達障害(誤診)という言い方は誤診であるばかりでなく医学的にも定義上間違いです。
専門用語は定義されており、その定義から著しく外れている物事に対してその言葉を使ってはいけません。誤解や間違った対応を広めるからです。
精神分析は廃れたが、学問としての精神医学の中で、特に何かの変化があったわけではなく、誤診、誤解、混乱が広がり、子供にまで大いに精神医療の被害を広げてしまったということです。
悪い意味で精神科の敷居が低くなり、受診者が増え、うつ病キャンペーン、病気喧伝は既に頭打ちとなり、発達障害(誤診)すなわち脳の病気とすることで、その対象を子供に向けて拡大し、被害も拡大しているわけです。
「心の時代」と言われるようになり「スピリチュアル・ブーム」はあっても、精神医療の世界では口先だけで、うつ病は脳の病気という根拠のないウソがばら撒かれ薬害が広まり、心の問題ははないがしろにされてきました。
何と!生後数か月の子供さえ、発達障害(誤診)とされ、薬漬けにされている例も少なからずあるらしい。
そんなに子供に薬を飲ませたいなら、自分の子供に飲ませればいいじゃないか(そんなことできるわけないだろ!)」という人もいるけど、実際に自分の子供に向精神薬を飲ませて発達をデザインしたいなんていう、とんでもない精神科医もいるらしい。もちろん結果は目に見えている。慢性薬物中毒、中枢神経障害者だ。
昔、自分に生まれたばかりの子供を預けてもらえば、芸術家にでもスポーツ選手にでも学者にでも宗教家にも、いかようにでもしてみせる、と豪語して顰蹙をかいまくった心理学者がいましたけど。
もちろん結果は目に見えてる。精神病、PTSD・心的外傷後ストレス障害である。
フロイトの症例にもそういう人(の子供)がいたな…。
シュレーバーだっけ? ねずみ男? 忘れたけど。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と提唱した毒オヤジのスパルタ教育で息子2人は精神病になった。
世知辛い世の中になり、子供をとりまく環境も大いに変化し、要求されることも多くなり、子供も多くのストレスにさらされるようになったとは言えますが、過保護で甘やかされている面もあります。
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かつては児童精神科医という職業は成立しなかったし実際にほぼ皆無であった。なぜか?
そもそも精神の発達や成長とは子供が様々な精神病的・神経症的問題に陥りつつそれを克服していくことである。
従って、多少の神経症的問題は発達上の必要なプロセスでもあり、治療の対象にはならないし、すべきでもない。
もちろん精神医療に治療はできない。
そのある段階で優位な神経症的もしくは精神病的な状態に戻って、そこから抜け出せなくなっているのが精神疾患の症状である。(悪性の退行と固着)
逆に良性の退行により健康的な精神を取り戻すことが治療にもなる。子どもの頃は精神的には健康的なものである。神経も生き生きと働いている少なくとも殆どの人は大人になってからよりも。
一見、異常にあるいは奇妙に見える、病的で重篤な精神疾患といえども、普通の人に全くないことを症状として呈しているのではなく、程度や時期や状況の問題であるともいえる。
これを理解している人は精神科医に限らず殆どいないが。
優れた天分を持つ人が、若い頃から純粋に深く苦悩すれば精神的な危機に陥るのはむしろ当然であり、優れた業績を残した芸術家や学者、思想家などは殆どそうだと言っていいくらいで、枚挙にいとまいがない。
またそれを乗り越えることを通さなくてはそうした才能・能力は開花、実現しないだろう。
中高年のうつ病なんていう人の苦悩と同じようなことを10代の頃から、とっくに先取りしているわけで、まだ若いのでそれなりに元気はあり、典型的なうつ病みたいにはなり難い。
そうした若い人も少なくなり、芸術家や学者なんかも小ぶりな人ばかりになった気がする。中高年の「典型的なうつ病」も殆どいなくなったと思う。苦悩することは目先のことや自分とせいぜい周辺のことばかりか…
♪ドブに落ちても根のある奴は~ いつかは蓮の花と咲く~♪

ドブもなくなったけどな。花が咲かなくても悪い人生とは言えないが、薬漬け廃人ではそうも言えないだろう。
感染症にもならなければ免疫がつかないので健康でもありえない。ということは精神的な病気や健康についても言える。
純粋培養で育った人間は保育器から出せば途端に病気になる。現実にはありえないけど。
強迫神経症になってはいけないが、何事かを成し遂げるには強迫性も必要である。
不安や恐怖を積極的に持たない人間は、トラブルやリスクに対する認知能力も対処能力も身につかない。幼児の頃なら大人が守ってあげればよいだけかもしれないが、いつまでも過保護は子供をダメにする。
また「神経症的能力」を身につけてそれを生かすことも発達において必要なことでもある。
強迫的能力を持たない者は、一廉のことを身に着けたり成し遂げることもできないだろう。
皆が好きな受験戦争に勝ち抜いて一流大学に入ることでさえも、強迫的、完全主義的学習能力が必要である。
強迫神経症の人は強迫観念や行動が問題というよりも、それが有用なことには生かせず無駄で有害なのが問題だろう。それなりのことを達成する人もいるが、自分や他者に有用な強迫行動はむしろ乏しいことが多い。
不安もしくは恐怖神経症の人は無用な不安や恐怖に憑りつかれていても、持つべき不安・恐怖はむしろあまり持たず、そのための対処能力が低いのが問題だろう。強迫神経症の人は強迫的になるべきことではあまり強迫的にはならない。単純化していえば。
但し、もちろんそれも理由があってのことであり、基本的には現在のことではなく過去(主に幼児期)のことに反応、影響されている。
また、ほぼ健全な発達といえども、子供は不均等発達するものであり、同年代の子供より著しく劣っている面があっても、少なくとも一時的には普通である。
必要なことは「普通の適切な養育者の対応や教育」であり、もちろん薬や精神医療ではない。
多くの場合、年齢が進むにつれて「発達凸凹」は目立たなくなる。(これも精神科医や教師や毒親が使うし基本的な認識の誤りを伴っているのてあまり使いたくない言葉だが)
数学など天才的な能力を発揮する子供もいるが、簡単なこともなかなかできない盆暗もいる。しかし、そのような勉強嫌いの子でも、小学校高学年ともなれば掛け算割り算ができない子は殆どいない。
因数分解などとっくに忘れた大人は多い。それができなければ微分・積分もできないはずだが。
連立方程式さえ忘れた大人も多いだろう。殆どの人には日常的には必要なく、必要なら身に着ければ良いだけだ。
大器晩成なんて言葉はもはや殆ど死語ではないだろうか?
昔は手のかかる子供の方が可愛いなんて親も教師も良く言ってたものである。
確かに虐待は増えたし、(暴力や遺棄など)犯罪的な虐待の範疇には入らない、精神的虐待は元々多かったし、それは傍で見ていたとしてもわかり難い。
あまり使いたくない言葉だが「毒親」としか言いようがない人は、昔から少なからず存在した。
そうした場合、子供の方は青年期以降、重篤な精神疾患に陥ること必至だが、子供の頃にはむしろ問題は表面化しない場合が殆どである。
親は自分の育て方は問題なく、むしろ良かったはずだと正当化する。
「他愛的な子供は身を亡ぼすのが常である」、「手のかからない良い子ほど危ない」そうした子供こそ後に重篤な精神疾患になったり問題が起こりやすい、などとはよく言われていたことである。
前項でもココにそうした例を挙げておいた。
「ある同級生(統合失調症)」
仮に将来重篤な精神疾患に陥ることが分かった子供がいたとしてとしても、精神科医にできることはなく(せいぜい優しくお話を聞いてあげる位か)、むしろ無自覚に親と一緒に抑圧し、精神的虐待のお先棒を担いだり,増長されてしまうのがオチである。
かつては実際にはそういう子どもが、発症以前に精神科を受診することはほぼ皆無であり、受診しても精神科医にできることは全くないし、発症してから受診してもらうしかなかった。
(といってもやはり薬漬けだったが)
向精神薬は必要悪ではあっても良くなるわけではない、という認識は当然で、まして予防に使えるものでは到底あり得えずそんな発想をする愚か者は精神科医と言えども皆無であった。
ベンゾ系安定剤の有害さについてもそれなりには知られており、大して効果がないこともわかっていた。
実際に神経症的問題で精神科を受診しても、多少のことは「あまり気にするな、誰でも多かれ少なかれはある」などと言って帰すことが多かった。
従ってホントの発達障害でも、発達障害(誤診)でも児童精神科医の出る幕などない。
ふた昔位前のまともな精神科医には、そのくらいの理解や分別はあったのである。
今の精神科医を教育・指導したのはそういった先輩精神科医ではなくではなく、製薬会社の営業の人である。
(教育というより洗脳であるが。)
今はプロパーではなくMRって言うのか?何の略だ?
脳の伝達物質云々は実際にあっても原因ではなく結果である。なるべく原因に近いところで治療を行うのが当然であるが、いつの間にか精神医療に限らず医療の常識ではなくなってしまった。
エビデンス主義は本質的治療よりも目先の利だけの追及となり、対症療法自体が医療の目的化した。
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児童精神科医が出始めたのは、摂食障害など比較的早く発症する例が増えたのがきっかけであろう。治療ができるわけではなくとも栄養補給などとりあえず医療的な必要な面はあった。
不登校が問題になり、多くの場合は神経症的問題を抱えているのも事実であった。後に触れるがこの傾向は今は随分違ってきている。
それでも我々が若い頃は児童精神科医を自称するものなど数えるほどもいなかったのである。大人の神経症でさえ基本的には精神医療の対象外で、実際に受診する人も殆どいなかった。
しかしここ数年、自称児童精神科医も雨後の筍のように増え、精神科医と言えば猫も杓子も発達障害(誤診)と言い出し、子供まで餌食にして薬害を広めるようになってしまった。
発達障害(誤診)拡大は虐待やいじめなどの問題から目をそらし、見て見ぬふり、否認するためでもある。 実際にADHD等、発達障害(誤診)とされている場合、精神的虐待であることも多い。いじめも大人の目から隠れて行うことが多いので見過ごされやすい。
向精神薬は控えめ、カウンセリング、精神療法と言ってもそんなことが精神科医にはまともにできるわけではなく、薬漬けのためのアリバイ作り、口実づくりでしかない。
薬は使わないずに治療の努力をしてきましたが、やはり発達障害(誤診)遺伝の脳の病気なので薬が必要です、というわけです。
服薬すれば一時的には「効果」のある場合も一部はあるので、受診が必要だと錯覚してしまう。もちろんその「効果」さえ長く続くことはない。
子供にって向精神薬は脳破壊薬でしかない。もちろん大人にとっても同様だが、まだ脳が発達途上にある子供に対する有害さ危険性は桁違いに大きく、結局の所、薬漬け、ホントの障害者(薬害性の中枢神経障害)にさせてしまう。ハッキリ言ってしまえば化学的虐待である。
親や教師、臨床心理士や心理カウンセラーでさえ本来の役割を放棄し、有害さしか発揮しない危険な児童精神科医に丸投げ。
悪いのは教師ではなく学校の責任ではなく、もちろん親の育て方や家庭環境でもなく、子供が悪いのでもないけど、問題は子供の脳の病気・発達障害(誤診)だというわけです。
学校、教師、親と精神医療の間に現実歪曲空間が形成され、子供はそこから逃れることができない。
モンスター・ペアレントという言葉も殆ど死語になりつつあるようです。「毒親」という言葉は今でも患者は良く使うけどタブーかな。あまり良い言葉ではない。毒親もそうならずをえずなるべくしてなっており、被害者でもあり自分では直せないのだから。
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既に被害甚大だが、まだまだ被害の拡大はこれからである。
というのは、発達障害(誤診)ブームはもうすでに何年も前から激しい勢いで拡大しており、何と!児童精神科医を受診するだけでも半年待ちだったりするからである。
教師などから受診を勧められても(というより強要されても)まだ未受診の子供も多く、既に精神医療の毒牙にかかった子供は全体から見ればそれ程多くはない。
自殺者の数は(反精神医療派のおかげで)近年は僅かながらも低下しているのに、若い人の自殺が増えているのはそれが要因もである。SSRIによる賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームも若い人の方が起こりやすい。
酒でさえ全く悪いとは言わないが、徐々に脳を破壊させる。我々くらいの歳にもなれば、ほぼ毎日飲んでる人と、飲まないかもしくは時々しか飲まない人とでは随分差が出ている。
やはり前者は身体の病気にもなっているが、酒が明らかに脳に悪影響があることがわかる。精神科医や一般の人、もちろん本人には特に、にわかり難いが。
なぜ子供に酒を飲ませてはいけないのか。向精神薬よりは酒でも飲ませた方がまだましだが、さすがに子どもに酒を飲ませるバカは滅多にいない。
このままの勢いだと、普通より健康的な子供でさえ発達障害(誤診)とされ、殆どの子供が発達障害(誤診)とされてしまう。
不健康な子供より、むしろ子供らしく素直で健康的な子供の方が発達障害(誤診)とされる傾向さえ既に起こっている。
そういう子が生きにくい時代だという背景はあるにしても。
Sさんの子供も学校で発達障害(誤診)扱いされて、教師に精神科の受診を勧められたと言ってたな。
「うちの夫は精神科医なんですけど」
結局の所、アクチベーションシンドロームによる自殺を免れて命が続いたとしても,障害年金や生活保護をもらって廃人的障害者の人生か。
そうなると、もちろんそれを支える人も必要である。税金、保険料も上がるばかりだ。
まともな医療が行われているなら消費税の増税など必要なかったはずである。もしくは税金は上げても保険料は下げることができるはず。
「このままだと、この国は医療で潰される」ある医療ジャーナリストの言、決して大げさではない。
「子どもを精神科医に近づけてはならない」
この項、続きは…、こちらをご覧ください。
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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DSMの終焉、神経症の復権:うつ病、発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ

DSMの終焉、神経症の復権:精神障害(うつ病)・発達障害から神経症(心的外傷後ストレス障害:PTSD)へ
神経症(ノイローゼ)という言葉は、精神科医の中でも一般の人の中でも殆ど使われなくなった。
精神分裂病→統合失調症、というように差別的である、実態を正確には表していない、といった事情で、名称変更が決められたわけではない。
統合失調症への名称変更は、典型的な精神分裂病の発症は殆どなくなったし、病像の変化も伴っており、これとは事情はかなり異なる。
あたかも自然の流れのように消えていったが、もちろん製薬会社、広告会社、精神科医が一体になった情報操作である。
神経症も病像の変化はあるが、昔も今も多いので、私から見れば、昔も今も病気の人はぜんぜん増えてないし、典型的な「うつ病」なんてむしろいなくなり、ただ精神科・心療内科を受診し服薬する人が増えただけである。
うつ病キャンペーン(病気喧伝)により受診者が増え、うつ病という診断がつけられ、抗うつ剤を処方され、それも多剤大量処方が多かったため、そのためアクチベーション・シンドローム(賦活化症候群)で自殺する人も増えた、ということは既にだいぶ知られるようになってはきた。
本来、キャンペーンに従って(踊らされて?)受診した人の多くは「うつ病」ではなく、普通の診断法なら「抑うつ神経症」という診断名が与えられたはずである。
「うつ状態」が主症状ならば、であるが。実際にはそうではない人も多い。
「新型うつ病」なんてのは敢えて言えばディスティミア神経症だろう。
神経症(ノイローゼ)も死語に近いが、本来患者数は多いはずの「抑うつ神経症」は殆ど完璧に死語になって久しい。
ドイツ語ではノイローゼだが、この言葉は、昔の人にはかなり悪いイメージがあったと思う。
有名人が自殺したり、一般人でも妙な事件を起こすと昔の新聞では「周囲の者によると○○さんは最近ノイローゼ気味だったということである」などと書かれていることが多かった。
これは実際には精神分裂病である場合も多かったはずだが、さすがにそうは書かなかった。
こうしたマイナスイメージはノイローゼという言葉にはあったが、同義ではあるが神経症という言葉にそれ程なかった気がする。
また、最近ノイローゼ気味で、など言うのは、あることに悩んでいて落ち込んでいる、と軽い意味で使われることもあり結構広い意味で使われており、あながち間違いでもなかった。
日本では一時、神経衰弱という言葉も使われたようだが、それは大正時代くらいであり、森田療法では森田神経質などと言っていたが、それが広まった頃には一般的には神経症と言う言葉が主流になっていたはずである。
ところが、なし崩し的に言い換えがなされた。
抑うつ神経症⇒うつ病、もしくは抑うつ性障害、気分変調性障害
躁うつ病⇒双極性障害
強迫神経症⇒強迫性障害
不安神経症⇒社会不安障害
ヒステリー⇒転換性障害
心身症や自律神経失調症⇒身体表現性障害、
名前の付けようがない神経症は適応障害といった風に。
これはDSM由来でもある。DSMは当初、日本の精神科医にはなかなか受け入れられなかったが、製薬会社にとっては、薬漬けにするためには甚だ都合が良かったのである。
従来なこれらの精神障害とされる患者の殆どは神経症というカテゴリーに入るはずだが、それでは心因・環境因ということになり「薬物療法」の対象にならない。
実際に昔から神経症の患者は多かったが、殆ど病院には行かず、基本何もしようがないし、病気というほどではない、性格的なものだとか、あまり気にすんななどと言って帰すことが多かった。カウンセリングなども殆どなかったし。
精神科医も気休めに精神安定剤など出し、漫然と服薬して良くなりもしないのにダラダラ通わせることも無いではなかったが、ほとんどの場合、単剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
また、人に言うのも憚られるので情報が共有されることも少なく、こんなの自分だけかとひそかに恥じている人が多かった。もちろん、ネット等もない。
うつ病キャンペーンは大成功のうちに収束していったが、「発達障害」のデタラメ診断、空手形乱発!「問題児、発達障害児狩り」がそれに続いて盛んになった。
発達障害についてはまたいずれ書きますが、最近だと週刊誌「女性セブン」に医療評論家による良い記事が連載されたようです。
障害というのは本来治らず機能欠損や低下が長期にわたるということである。
したがって、狭義の医療の対象ではなく、訓練・療育やリハビリ、福祉の対象。
手足を切断した者を身体障害者と言うが、スキーで骨折した者はケガ人であって、身体障害者とは言わない。
精神障害者という言い方は昔からあるが、精神医療の主な対象疾患は長らく精神分裂病が殆ど、不治の病とされていたというそれなりの背景があった。
私は昔から障害とは言わず「精神病・神経症」「精神疾患」と言っている。これもネガティブな響きが伴うし、あまり適切な言い方ではないが、他に言い方もないし、あえてそう言わざるを得ない。
うつ病は受診・服薬で治ると宣伝されているが、当然、実際には治らない。もちろん、うつ病だけではない。製薬会社、精神科医が「障害」というのは、治らないことの言い訳のためのでもあり、障害なんだんから治らなくて当然という、開き直りを隠しつつも準備していたということである。
薬で治る⇒薬害⇒やっぱり病気だったでしょう⇒障害者化⇒薬でコントロールしながら障害とうまく付き合っていきましょう⇒(こういう言葉は使いたくないが)廃人化
うつ病に限っては、抑うつ性障害などとあまり言わなかったのは、宣伝・イメージ形成に齟齬や不協和を来たして、マインド・コントロールに不利になるからだろう。
いきなり、治る病気ではありません、リハビリが必要ですなどと言うわけはにはいかない。
気分変調性障害と言い方も、あまり使われないが、気分だけじゃないし、精神科医・患者の双方から不満が出そうであまり広まらなかったか。
もちろん神経症→○○障害という置き換えも、何でも「うつ病化」も、薬漬けにするため、製薬会社や精神科医の利益のためである。
もっともDSMではdisorderだろうから(面倒なので確かめる気もなし)障害と訳すのは不適切であり、敢えて訳すなら不調とかそういった意味だろうから、特に間違いとも言えない。そもそもDSMの原因論を避けるという方針に基づいた表現だとはいえる。
しかし、日本では神経症→○○障害という言葉の置き換え自体が、医療信仰と薬物崇拝とDSM流の見方が結びつき、精神医療過誤・向精神薬害を広める役割を果たしてしまった。多分に無自覚に、だとは思うが、頭の良いコンサルや広告会社の人は悪意の解離された意図に基づいて積極的に広めたのかもしれない。
神経症の凋落は同時にDSMの蔓延であり、精神分析学の凋落でもあった。
記述精神医学にはそもそも原因論はないか、根拠のない恣意的な「遺伝による脳の病気という仮説」にしがみつく精神科医も多く、横滑り的にそれが精神医療全体の見解となり、患者の多くもそれを受け入れてしまった。
精神分析学は1950年代に既に原因論に迫っており、製薬会社や精神医療側がこれに脅威を感じ対抗措置として出されたのがDSMでもあり、原因論を理解しない者がもともと多数派ではあったが、圧倒的勝ち組となり学問的にはるかに劣る側が勝利したのである。
神経症というと心因性精神疾患ということなり、心因性ということは心的な原因ということだから脳の病気ではなく、そのようなものとして対処しなくてはいけない、ということになってしまい、脳の病気、向精神薬(抗うつ剤)を飲めば治る、という嘘と齟齬を来たしてしまい、向精神薬を売り込むことはできない。
心因ということになれば、現実のショックな出来事やストレスについての洞察・理解や、発達心理学的、精神分析学的な理解をするしかなく、これは殆どの精神科医が非常に苦手で避けたい、無視したいことである。
神経症に向精神薬では、せいぜい神経の状態をごまかすだけの悪質な対症療法と捉えるしかなく、精神科医も処方し難い。
ふた昔前の精神医療の対象はほとんどは精神分裂病であり、神経症の人が受診しに来ることは少なく、精神科医は対処法もないので、帰らせることも多く、重症な人以外を対象とする必要もする気もなかったのである。製薬会社にとっても金になる分野ではなく、利益追求・拡大の余地があるとはそうそう考えられなかったのである。
神経症ではなく○○障害という置き換えは、DSM由来でもあるが、当所DSMは精神科医に受け入れたのではなく、コンサルティングや広告会社、製薬会社が積極的に取り入れ、広めてしまったために、むしろ精神科医は従わざるを得なくなったものと思う。
当初、精神科医でDSMをあまり受け入れず、積極的に取り入れ広めたのは一部の余程の愚かな精神科医だけである。
神経症とは基本的にはうつ病や統合失調症などよりも軽症であり、病因が器質的な精神疾患のことをさす。命名の歴史はかなり古く、元々は原因がよくわからない疾患に広く使われていたようだが、精神医学的理解が進むにつれて19世紀の終わり頃には、基本的には心的な要因が原因である精神疾患のこととして理解されるようになった。
20世紀までは一般医学に伴って、精神医学も一応進歩していたのであり、甚だしい退行が起こったのは20世紀も終盤からである。
神経症は精神疾患とはいえ、従来、あまり精神医療の対象ではなく、実際の患者は多くとも受診する人は非常に少なかっかった。
これといって治療法もなく、無形のサービスにお金を払うと言う習慣も乏しく、カウンセリングや心理療法を受ける人も少なかった。
心療内科など殆どなく、精神科に行っても神経症の人は「病気とういほどではない、性格的なものだ」とか、「あまり気にするな、薬は適切ではない」などと言われて帰されることが多かったと思う。
漫然と精神安定剤など処方されて良くなりもしないのにダラダラ通わせることもあったが、ほとんどの場合、短剤で量も少なく、そもそも受診者・服薬者は少ないから、薬害が問題になることもなかった。
神経症は脳の病気ではないが、もちろん、脳の状態、神経の状態や使い方はもちろん良くない。もうちょっと正確にいうと「無意識による神経の使われ方」は良くない。
普通の人にない症状があるのではなく、誰でもある問題がたいした理由もない(と思われる)のに、甚だしく大きくかつ継続し、人間関係や日常生活などに様々な支障をきたすということでもある。
逆に脳の問題によることがわかれば、それは神経症からはもちろん、精神疾患からも除外されていた。脳梅毒、てんかんなど、これらは今日では中枢神経疾患であり精神科の対象ではない。
神経症はもちろん、心的外傷とストレスが原因であり、Sさんに流に言えば全てPTSDである。
神経症より精神症というべきかもしれないが、自律神経症状や心身症等、身体的問題もあるので、やはりそれは適切ではない。
やはりすべて心的外傷後ストレス障害、PTSDと言べきではある。PTSDと言うのもまたいろいろと語弊や問題があり、私はあまり使わなくなり、狭義のPTSD、広義のPTSDとも言っていたけど。
狭義のPTSDではなく神経症の場合、心的外傷(トラウマ)とは犯罪被害やいわゆる幼児虐待等ではなく、日常のショックな出来事とか、恥をかいたとか、失敗体験とかそういうこともでなく、主に幼児期からの本人も覚えていないか、覚えていてもよくわかっていないことである。
具体的に言えば、親や養育者の不適切な対応、過干渉、過保護、抑圧的、支配的、安心感を与えない、脅かす、などなど、広い意味では精神的虐待とは言えるが、遺棄や暴力は無いほうが普通である。こうした問題が無い人もいおらず、完全に健康な人もいないが、程度問題とも言えるが、その差は甚だしく結果的には重症な人も軽症の人ももちろん多い。
幼児期のトラウマに、大人になってからのショックな出来事や過剰なストレスが加わり、それらが重なり、複合して症状がもたらされる。適切な養育を受けていない人は適応性に乏しく、犯罪被害など病因となるようなショックな出来事にも遭いやすい。
あらゆる精神疾患は複合的PTSDとは言えるが、一般には大したことでもことで対処能力、克服能力に欠けるのは発達的問題ではあるが、これを「発達障害」というのは、少なくとも精神医学的、臨床心理学的には完全に間違った使い方、見方である。
今となっては精神科医や心理関係者こそ間違った理解しかしておらず、それが根本から何重にもなっているので、もはや誤解を解くというレベルではない。
「発達障害」蔓延は、神経症の無理解によるものでもある。神経症を理解できれば、「発達障害」の大きな誤りも明白である。
従来の精神医学では、神経症の理解が非常に狭く浅すぎたのである。もっと広く深く理解すべきであり、診断名を変える必要はなかった。
認知の歪み、認識の欠落といったことは、解離、抑圧といった精神分析の概念で説明できる。神経症を、精神分析が理解できれば、認知行動療法などが付け入る余地もなく、「発達障害」蔓延もなかったはずである。
診断なんてどうでもいいと言えばいいんだけどね。
本来、人間の分類ができないのと同じように精神疾患の分類はできない。過去や現在のさまざまな影響から、いろんな不調や問題が起こるだけなので。精神的に完全に健康な人ももちろんいない。
したがって、とりあえず障害という言い方は極力やめて「神経症の復権」は必要ではある。
私は「緊張症」と言う言葉も良く使うのであるが。医学的な言葉ではないけど、医者じゃないしね。
多くの場合、抑うつ状態とされているのは、緊張の連続の成れの果てでもあり、少なくともそうした面がを伴っている。ひどい緊張が継続し、もはや緊張さえできないほど神経は疲労し「まいってしまい」鈍くなり、今さら神経が反応できなくなってしまう。そうした意味では実際に即している。
抗うつ剤では当初は効いたかに見えて、神経に負担は増えるし、余計にウツになるのはあまりにも当たり前である。
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睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン

最近になってようやくこんな記事も新聞に載るようになりました。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも… 依存症にご注意(朝日新聞)
 医師から処方された睡眠薬・抗不安薬を飲んでいて、薬物依存になってしまう患者がいる。薬をやめられなくなったり、やめた後に離脱症状が出たりして、苦しんでいる。広く使われている薬だが、量を減らす試みも始まっている。
 長野県松本市に住むウェイン・ダグラスさん(47)はニュージーランドから1992年に来日し、英語教師や国際交流の仕事に携わっていた。日本語が堪能で、仕事は順調だった。
 2000年にめまいの症状が出て、耳鼻科にかかった。脳の病気と診断され、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を処方された。この薬は不安、不眠、抑うつといった症状がある患者に、広く使われている薬だ。
 飲み始めると、めまいは落ち着いたものの、2カ月たたないうちに体のふらつきが起きた。4カ月後からは強い不安に悩まされた。
 仕事を続けられず、01年にニュージーランドに帰国。ベンゾジアゼピン依存症と診断された。薬物中毒治療専門の医師を受診し、薬の量を少しずつ減らしてゼロにした。しかし、断薬後も離脱症状に苦しんだ。
 ひどい不安感や情緒の不安定。光を異常にまぶしく感じ、テレビを見られない。体に力が入らず歩けない。断薬して1年間で多くの症状は消えたが、突然の不安感は10年ごろまで続いた。「依存症は生き地獄。希望を失う人もいる。離脱症状の適切な治療を受けられる施設が必要です」
 神戸市の40代男性も、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の離脱症状で苦しんできた。社会不安障害と診断され、09年まで4年半、医師の指示通り飲み続けた。やめた2日後から、異様にまぶしい、目が痛いなどの症状が出た。医師に相談すると「離脱症状の可能性がある」と言われた。今でもまぶしさや、まぶたのけいれん、筋肉がぴくぴくする症状があるという。
 ベンゾジアゼピンの常用量依存とは、医師が治療のために処方する常用量でも長期間使うことで薬の依存が起きる状態を指す。8カ月以上続けるとなりやすいという報告もある。薬をやめると離脱症状として不安や、不眠、発汗、けいれん、知覚過敏などが出ることがあるとされる。
■「自己判断で中止は危険」
 杏林大学の田島治教授(精神保健学)によると、欧米では1970年代以降、ベンゾジアゼピン系薬による依存や乱用が問題になり、英国では処方日数が制限された。「日本で長期に漫然と使われているのは問題。医師が依存をつくっている」と指摘する。
 田島さんは薬をやめられない患者や、やめた後の症状に苦しむ患者から相談を受ける。1年以上かけ少しずつ薬を減らしてやめた人もいる。「急にやめると離脱症状が出る。患者の自己判断でやめてはいけない」
 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部の松本俊彦室長らは、精神科がある全国の病院を対象に、薬物関連障害の調査を2年ごとに実施している。原因の1位は覚醒剤、2位は有機溶剤が定位置だったが、2010年に、それまで3位だった睡眠薬・抗不安薬が有機溶剤を上回って2位になった。全体の17・7%を占め、この薬による依存は珍しい問題ではないという。
 薬の量をなるべく減らそうという動きもある。
 東京女子医科大学病院では、ベンゾジアゼピン系薬を処方されている患者数が一昨年の8588人から昨年は7054人に約18%減った。医師と薬剤師が対策に取り組んだ結果だ。
 ベンゾジアゼピン系睡眠薬・抗不安薬の作用や副作用、薬以外の対処法を知ってもらおうと、患者向けの冊子をつくって薬剤師が配った。医師や薬剤師が参加する勉強会も開いてきた。
 東京女子医大の稲田健講師(精神医学)は「患者は副作用に気付いていないこともあるので、情報提供が大切だ。薬をやめるときは1年で半減するくらいゆっくりとです」と説明する。
 厚生労働省は薬の使い過ぎ対策に乗り出す。1回の処方で抗不安薬を3種類以上出した場合、医療機関に払われる診療報酬を減らす改定を10月から実施する。(編集委員・浅井文和)

画像

まったく今さらです。
我々は何十年も前から、睡眠薬、抗不安薬(精神安定剤)の依存性、危険性は指摘してきた。もちろん他の向精神薬の問題も。
医者でも薬剤師でも薬の専門家でもないし、薬のことは見るも聞くもおぞましく、特に勉強したことも無い。
当たり前のことを言ってただけである。
もっとも、昔はむしろ脳病派精神科医でも多くの場合、薬にそうそう肯定的ではなかった。
そもそも服用しなければ、副作用(作用)もないし、依存もしないし、止める必要もなければ離脱症状、後遺症で苦しむこともない。当たり前ですね。
ベンゾ系が日本で普及したのは60年代の後半だったか?
数年を経た70年代初め頃には、既にベンゾ系の精神安定剤、睡眠薬の耐性や依存性、有害性・危険性は問題になっており、俺も中学1~2年の頃だったか、新聞だったか、立ち読みした雑誌か書物だったか忘れたが、同様の記事を読んだ記憶がある。
当時は不安だの不眠だので精神科に行く人は少ないが、内科医等に睡眠薬を処方されることも多かったものと思われる。今もそうだが。
人体実験の結果も何年かすれば徐々に明きからかになってくる。当時は重症な精神分裂病でもなければ基本単剤だし。
よく精神科医は無謀な人体実験をしていると言われるが、単剤ならともかく多剤大量処方では人体実験にもならないのである。
動かして良いパラメーターは1つだけ、仮説の上に仮説を積み重ねてはいけない、というのは科学実験の基本中の基本である。私は文系だしもちろん実験など昔からやらないけど。精神医学は科学であるにしても、実験科学ではなく観察科学である。そこを徹底すべきであるが、医学者は科学といえばガキの理科の実験みたいなのしか知らず、それ以外の概念はほぼ持っていない。
もっとも、とっくの昔にわかりきっていることを実験などする必要はない。
やはり同じ頃、70年代の初めだろうか、「今日では、睡眠薬は『安全性の高い』新世代のものに置き換えらており、○○○○という旧世代の睡眠薬は、たいへん危険で、耐性も強く、依存性が強いため、新たに処方されることは殆どなくなったが、古くから服用している依存症患者が多いため、やむなく現在も生産、処方されている」という記事も読んだことがある。
その薬物の名前は失念していたが、今から考えるとたぶんベゲタミンのことだろう。
致死量が低く非常に危険なバビルツール酸が含まれており、危険性を弱め効果をあげるためだろうか、合剤になっている。
それから40年以上も経っているのに、ベゲタミンは今日でも睡眠薬、抗不安薬としても未だに広く用いられており、ベンゾ系の耐性がついて効かなくなった場合も処方されているようである。
70年代当時、朱理エイコという実力派歌手がいたが、もう10年ほど前にベゲタミン中毒で亡くなっていたことを最近知った。もちろん、活躍していた頃は、まだ睡眠薬など飲んでいなかったはずだ。
晩年は身体ボロボロで何度も生死を彷徨い、長期入院の末、まだ50代の若さで亡くなったという。
私は既に薬物問題は知らないわけではなく、やっぱりそうか、そんなの当たり前だろ、とも思ったが、自分たちは文明国、文化的な社会にいるつもりが、実は随分野蛮な世のかなに生きているんだなと思った。
大人は信用できないとも思った。中二ですから。永遠の中二病か?
資本主義の矛盾についても激しく考えざるを得なかった。
私は学校の勉強はほぼ全くせず、特に暗記するのは大の苦手だったが、その分かどうだか、そういうことはけっこう覚えている。
皆も新聞くらい読んでいのだったら知ってたはずだ。
フロイトを読んだのはもう少し後だと思う。向精神薬のような野蛮なモノは我々が大人になる頃にはとっくに廃れるだろうと、希望的観測をもっていたのだ。
上で「野蛮」という言葉を使ったのは、当時もそう思ったからであるが、学校で見た映画『父ちゃんのポーが聞こえる』の影響である。
映画の中では難病に冒された主人公(吉沢京子、中学生)が徐々に悪化し、結局亡くなってしまうのだが、主人公の父(小林桂樹、蒸気機関車の機関士)の同僚(藤岡琢也、機関助手)が、治療もできず悪化していくことを嘆いて、「医者も病院も信用できないね。野蛮だよ!月に石を取りにいく時代なのに、日本は野蛮国だよ!」と言うシーンが印象に残っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=hLM_KRxMgmM
https://www.youtube.com/watch?v=kLR0e5shTOM
勉強はしないので、そういうことも良く覚えている。
医者も病院も病気の治療ができないならまだしも、悪化させ、さらに別な病気を加えたり、死に追い詰める現状を「野蛮」と言わずして何と言うか?野蛮なんてもんじゃないな。
現在でも優れた抗不安薬、精神安定剤や睡眠薬など開発されてはおらず、相変わらずベンゾ系はバンバン処方されている。
抗うつ剤は新型になりSSRIができたが、良くなったわけではなく、作用の範囲が狭まり、見かけ上の初期の副作用が減っただけで危険性は高まった。
精神科医がベンゾ系の睡眠薬や精神安定剤が安全だというのは、昔のバビルツール酸など、1粒天国、2錠で地獄、3粒飲んだらあの世行き、といった睡眠薬に比べて、ということである。
昔の睡眠薬は有名作家が自殺に使ったり、吉永小百合なんかも昔の睡眠薬で浜田光夫と心中したり、自殺したりでスクリーン上では何回か死んでるはず。
ベンゾ系を飲んだだけではそう簡単には死ねず、身体ボロボロになって身体病で死ぬまで飲めるらしい。もちろんオーバードーズで死ぬこともあるし、脳が一発でパーになってしまうこともある。
稀には短期少量でも死ぬ人もいるし、かなり大丈夫な人もいないことはないが、危険極まりない。
精神科医は「薬は安全、うつ病は薬で治る」などと、人を騙しているうちに自分の嘘にも騙されてしまった。患者だって医者やマスコミのいう事を鵜呑みにして、悪意はないとはいえ他の人をだましたり、加害者側になってしまった人も少なからずいる。
ベンゾジアゼピン中毒、依存症やベンゾジアゼピン離脱症候群はありとあらゆることが起こりうる。
とうていここでは書けないので、とりあえず、ウィキペデア等でも調べて欲しい。
諸外国では2~4ヶ月で禁止、何年も処方するのは日本と韓国くらいだと聞いたが、私見では効果があるのはせいぜい1ヶ月位で、その後はむしろ逆効果になり、もちろん止めるのは余計苦しくなる場合が多い。もちろん効果があったからといっても良くなっているわけではない。
では短期、少量、短剤ならいいか?
覚せい剤だって違法性は別としても、短期少量、お試し程度なら良いとはとても言えない。
睡眠薬は気絶させるように意識障害を起こさせて眠らせている、とも言われている。
そこで脳波を持ち出して反論するのは愚の骨頂精神科医である。
薬害を正当化したいのだろうが、それ以前に受験勉強のやりすぎで脳がバカになってる。
睡眠薬で寝ても、どう見たってまともな睡眠ではない。
激しい鼾をかいて、このまま放っておくと、呼吸や心臓が停止して死んでしまうのではないか?と周囲の者はドギマギしてしまうのに、当人は「自分は寝ていない、意識はある」と言ったりする。
ずっと飲んでいれば逆効果になるばかりではなく、止めても不安は後でまとめて襲ってくるし余計に眠れなくなるし、筋弛緩作用があるはずだが、それももちろん続かず肩こり等もひどくなる。
克服できないまでも、対抗しよう耐えよう何とかしようとさえしていない、しなくなってしまうのだがら当然である。
さほど長期でなくとも目が見えなくなってきたり(緑内障にも白内障にもなる)、重度の身体障害者になった人も何人か診たことがある。
40代前半で、お婆さんのようにしか見えない人も診たことがある。
自分は歳の割りに見た目も若々しく活動的で社交的、積極的で、誰からも羨まれなどと言っていたが、おそらく嘘ではなく、よほど悔しかったのだろう。もちろん見た目だけでなく、身体もボロボロは言い過ぎかも知れないが、老人病満載である。
わずか1年半ほどのベンゾ服用で、あっと驚く玉手箱!2~30歳も老け込んでしまった。
短期で耐性がつき、睡眠薬中毒で1年半も寝ていないという人も、1日1時間も寝れらないと言う人も。
寝ていても意識はあるとか、日中も眠気があてっボーっとはしてるのだろうが。
そういう人も当所では施療中に寝てしまうことが多く、「(ポンポンと肩を叩き)、ダメですよ、寝ちゃ」って起こすけど。
えっ!何で寝たのかしら??!って驚愕していたが。もちろんリラックスしたからではあるが。
催眠は眠ると言う字を使うけど、眠ったら何もできないですから施療中に寝てはダメです。起こしますけど。
急に断薬せず、カミソリで削りながら微量調節して減薬しても離脱症状は激しく苦しい場合が多いようだ。
ベンゾジアゼピン依存症について書いた、アシュトンマニュアルが有名だが、やはり賛否両論あり、そうそう当てにするわけにはいかない。
「医師が依存をつくっている」と一時は指摘していた田島治は、今も薬物を大いに推奨しており、依存をつくり続けているようだし、あらゆる精神疾患はPTSDだというのも確かだが、今となっては殆どの患者は薬物依存症、慢性薬物中毒、薬害性の中枢神経障害を合併しており、元の病気は軽症なのに、合併症が重篤である人が多い。
医原病を合併症というのは妙であるが。
向精神薬のようなあまりにも危険な薬物は処方薬にせず、市販薬にしろ、と言った人がいるが大いに理のあることではある。それも危険だが、被害に遭うのは一部の愚か者だけで済むだろうから、ここまで被害は広がらなかったはずだ。
医者に言われりゃガソリンだって、青酸カリだって飲むぞっ!なんて人もいないだろうに。
精神科医を信用することが依存であり、向精神薬や精神医療に対する依存はそれ自体が健康の放棄である。
医者の処方どおり飲めば安全で、そうでなければ危険なんて魔法の薬があるわけはない。
むしろ精神科医が出せば小麦粉でも危険だ。ホントに。
精神疾患について、殆ど間違った診断、見方や対応しかしないから。
プラシーボはあるにしても、結局の所、逆効果になる。
ビジネスに被害者はいない。いるのは勝者と敗者だけだ。
ビジネスマンはよくそういうことを言うようだが、精神科医でそういうことを言う人はいない。
それは既に徹底しきっており、いまさら言う必要もないどころか、あまりにも当たり前で自覚さえしないからである。
ビジネスマンは一応は法規制など社会的ルールを守ること、コンプライアンスが前提だが、精神医療は治外法権みたいもので、普通なら犯罪とみなされることも医療の名の下に何でもアリだ。
今の所、産業社会、資本主義社会においてにおいて、精神医療かかわる製薬会社や宣伝会社、大手コンサルティングや精神科医は最強の勝ち組であろう。資本主義の論理、倫理にあまりにも忠実な模範的経済活動である。
そりゃ、疾患喧伝で需要を喚起し、病気が良くならなくて悪化してずっと病院に通えば、一番儲かる。生かさぬように殺さぬように、訴訟問題等起こってもそれは経費のうちに織り込み済み、暴動でも起こらない限り痛くもかゆくも無い。
医療過誤とは言え、被害者は誰もいない?!死んだ人は暴動も訴訟も社会運動も起こさない。
もちろん、医者の言うことを聞いたら、楽に止められるわけではもちろんなく、適切な減薬・断薬の指導ができる精神科医や薬剤師も存在しません。
それができるくらいなら、最初から向精神薬等飲ませるわけはないし、適切な減薬・断薬の指導などそもそもありえない、飲むのも止めるのも危険だから危険な薬なのであります。
「精神科医に近づけば命の保証はない」 確かに。
「自己判断で中止は危険」なのは事実ですが、おそらく殆どの場合、医者の判断で中止はもっと危険でしょう。
酷な言い方になってしまいますが自己責任、自己管理せざるを得ないのが現状かと思います。
もちろん飲み続けるのが危険なのは言うまでもありません。しつこいですが。
当所は精神疾患の治療をしており、ベンゾジアゼピン依存症、薬物中毒、離脱症状症状、後遺症等、中枢神経疾患の治療をしているわけではありません。また、医師でも薬剤師でもなく、民間療法家、プロのセラピストですので、減薬・断薬指導をするわけにはいきません。
断薬して落ち着いてから受療することが望ましいのですが、良くなってきてから減薬する方でも、減薬はしやすくなりますのでぜひお越しください。
よく眠れる方法も教えますけど、やはり不眠症の上にベンゾジアゼピン依存症、慢性中毒症を合併している人は難しくなります。

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第110回日本精神神経学会学術総会 横浜パシフィコ 参加記

第110回日本精神神経学会学術総会 横浜パシフィコ
歩いて行ける位のところだから散歩がてら行ってみた。
学会なんてもう20年以上も行ってない。精神医学の学術関係誌も20年くらい読んでいない。関心もない。
実は先週も同じ場所でリハビリ関係の国際学会があったので来たけど、そのときは中には入らず。
昔の恩師と約30年ぶりにお会いして、つもる話を何時間も。他に数人の友人・知人と会った。
最近の精神医療の動向にもあまり関心はないし、特に知る必要もないけど。
患者からある程度、情報は入ってくるし、2~3のブログを見るのと、本屋の立ち読みだけで十分。
反精神医療派の人がビラでも撒いていたら、精神科医の反応でも見ながら手伝おうかと思ったのだが、そういう人もいなかった。
右翼の街宣車も来ないし、もちろん左翼も来ていない。立て看板も出ていないしアジ演説も、もちろん炎ビンも鳴かず飛ばず。金沢学会、今いずこ?
本来なら暴動くらいあって当たり前だが。
どうせ、抗うつ剤のアクチベーション・シンドロームで刃物やアイスピックを振り回したり、銃をぶちかましたり、車で突っ込むなら、ここに来れば良いのに。何の関係もない人を巻き込むよりはマシである。
もちろんテロを奨励するわけではないですよ。念のため。
俺は金持ち喧嘩せずですからね。何とか窮乏生活を脱して、老後にも備えなくては。
すでにすっかり世代交代しており、名前を知ってる人は『先達に聞く』という講演くらいにしか出て来ない。
他に知り合いも参加していたはずだが会いたくもなし。精神科医との付き合いは意図的にずっと避けてきた。
村上陽一郎さんは何を話したのか?抄録を見る限りではありきたりの内容。
彼の本は高校、大学時代にいくつか読んだ。
当時はかなり極端な反科学技術、科学批判の立場だったので彼の本を読んで頭を冷やした。
岩崎徹也はすっかりしょぼくれていた。昔は翻訳本ではお世話になったが。そんなに年寄りっぽくもなく、今でも恰幅は良いのだが。
とっくの昔に枯れた花に水をやるように、グチグチと昔語り。
現代の生物学的脳病派精神科医に媚を売り許しを請うような話しぶり。聞き入る人も殆どなし。
精神分析派といえどもぜんぜん治療はできず、学派も縮小、凋落させてしまったから、後ろめたさもあるだろうし小さくならざるを得ないのだろうが、謙虚というよりもはや姑息でさえない。
結局のところ、治療者ではなかったし、学者・研究者としてもコレといった業績も残さず人生を終えるのだろう。
牛島定信に至っては、何と!大人のADHD! 今までいったい何を勉強してきたのだろうか?
この人にも翻訳本ではお世話になったが。
精神科医を教育するのは、医学部教師や先輩医師ではなく、製薬会社の営業マン(プロパーじゃなくて今はMRって言うのか。何の略だ?)だと言われるようになって久しい。ロートル精神科医も製薬会社にすっかり洗脳されており、むしろ後を追うだけで精一杯だ。
中根允文が、石田昇のことを話したようだがそれは聞かなかった。
石田昇は精神病ではなく脳病ですよ。
似ているようで発症年齢も違うし、妄想内容も、問題行動のパターンもまったく違う。
精神疾患を脳の病気としてしまうと、中枢疾患のこともわからなくなる。
秋元波留夫が精神分裂病と書いたのは、ホントにそう思ったのか(誤診)、石田昇の名誉のためかは知らないけど。
脳梅毒:みっともない恥さらし、精神分裂病:悲劇の主人公、ロマンチックな狂気、というイメージもとっくの昔に風化した。
成田善弘は、若い医者に何か物申したのかな?抄録を見る限りは今さらで、何かというほどではないだろう。
山下格はなぜかヤスパース。村井俊哉の多元主義(という袋小路)の影響でもあるまいに。
出版社も岩崎学術出版や、みすず書房はブースを出していなかった。
サールズの「精神分裂病論集」の翻訳はどうなったかね?岩崎は左前か?
井原裕は今回は何を出すかと思ったら、おとなしくなったようだ。そこそこの地位を得たらあとは自己保身か。昨年度は時の人でもあり、「精神医療批判は国民の義務」ということで流行語大賞も取ったはずだったが。
サイコドクターSさんの発表があったので聞いてみた。やはり皆、無視、シラーっとした雰囲気。
面識はないが俺のことは認知しているはずなので話しかけてみた。
私は医者ではないし、彼とはいろいろ相違があるけど、今となっては俺とは一番近い立場の精神科医だろう。
ブログに書いてあるようなことをまくしたてて去って行った。
すでに論文のいくつかは見ているし、ブログも時々見ているので、特に話が聞きたかったわけでもないけど。
27日は仕事で行けなかったが、28日は一駅先まで行って、反精神医療派のデモにくっついて歩き、そのまま学会場へ。
あの辺は人通りも少ないし、デモなんかやるよりスーローガンを書いたTシャツでも着て参加し、質問でもしまくれば良いのではないか。ユーザーという事なら3日間、千円で参加できる。
面識はないが、CCHRの人が数人かな。盛況ではなかったが、それでも100人くらいはいたかな?被害者やその家族が多いようだった。
サイエントロジーか何だか知らないが、有名らしい外国人も来ていた。
しかし、いまさらサズはないよなぁ。クーパーやレインなら、精神病者に対するそれなりの洞察や理解もあったが。
こんな状況だからこそ、今こそサズだ!というのも一理あるが、支持もあまり得られないと思う。
それなりの組織を作って残したのはたいしたもんだが。
北山修の話は教育講演とはいえ入門書以下、せいぜい一般教養科目でやるくらいの内容だ。
やはり、精神分析臭は抑えて、聴衆に擦り寄ったような話しぶりで、そのためか感心して聞いているような人が多いようだった。
我々が若い頃は、社会科学系の学生でもたいてい「精神分析学入門」くらいは読んでいたから、あれじゃ物足りなくて授業にも出ないだろう。有名人でも1回見れば十分。サボってマージャンとかパチンコとか、最近の学生はそんなのやらないか?
当時の私にとってはまだ精神分析は期待や羨望と畏れの対象でしたが。
その頃、よく読んでいたハーバーマスやフランクフルト学派の人が、精神分析を受けて、不安や葛藤、たいへんな精神的苦悩克服したばかりでなく、多くの優れた学問的インスピレーションも得た、といったことなどもいろいろ見聞していた。もちろん書物の上のことに過ぎないが。若い頃はそんなもんです。
もちろん既に薬物療法の問題は知っていました。
私の友人に慶応法学部の学生がいて、精神分析研究会のようなサークルに入っており、顧問が小此木啓吾だったか、小此木とは面識があり、「あんなやつダメだ!全然わかってねぇ」と言っていた。知識の量はともかく、若気の至りばかりではなく実際彼のほうがレベルはずっと上だった。
全く別の友人(早稲田の学生)は書物を読んで精神分析の第一人者だからと、小此木のことを尊敬しており、実際に分析を受けたのだが、やはり激しく落胆しまくっていた。
だいぶ後に小此木と親しい精神科医とも親しくなったけど。
米国など本場に行って勉強したり分析を受けても、大して得るモノがないことがわかったことは彼らのおかげだ。無駄な時間や労力を使わずに済んだ。
精神分析はたくさん読んで本を勉強して、精神分析オタクになってもわかるものではないが、外国に留学してエライ精神分析学者に教育分析を受けても身につくとは限らない。
精神分析は基本だけで必須にして十分だ。歴代の精神分析学会会長、学会のお偉方といえどもその基本ができていない。
フロイトは精神分析を治療法としては追求せず、探索法、研究法としてしまった。そうぜざるを得ない理由も十分にあったのだが、今日では治療からはすっかり離れて学問的意義さえほとんど失われてしまった。
最近、北山修が出した『意味としての心―「私」の精神分析用語辞典』という本を立ち読みして唖然としてした。
抵抗も防衛も転移も乖離も出て来ない。防衛機制はあるが、そんなの中学の保健体育や、高校の倫理社会の教科書にも書いてあるはず。
精神分析が治療は回避し続け、行き着いた所を象徴的に示している。
精神分析は治療にほとんど関係のないどうでもいいことばかりを重視し、治療に必要な大事なことは軽視、ないがしろに、というよりも否認、無視してきた。
小此木や北山に限らず、日本だけなく世界的にもその傾向がある。
精神分析の凋落の原因は、DSM信仰、脳病薬物神話に押しつぶされてきたが、精神分析派自体が自己撞着、自壊していったという面もある。
細々と伝統芸能、自由連想法なんぞ続けるのか? 芸能人だし。
自由連想法は探索法・研究法で会って治療法ではない。
ガキの頃はフォークソングファンだったし、北山修には憧れていたけど。
「あの素晴らし愛をもう一度」を初めて聞いたときは、向こうから走ってくる車の中から聞こえてきたのを
一瞬で北山の新曲だと理解し(当時はエアコンはないので窓は開けてた)、すぐさま自転車を180度ひっくり返して砂利道を追いかけて、埃はだいぶ吸ったが、4小節くらい余分に聞けた。1ヶ月もしたらラジオでも頻繁にかかるようになったけど。
ギターもどう弾いたらよいかわからず、スリーフィンガーはなかなか弾けなかった。あれは録音テープ早回しだと後になって知ったけど。
もっともフォークギターは買えず、姉のお下がりのネックが幅広のガットギターだったけど。
歳をとると妙なことを思い出すなぁ。
「北山修のように心を隠せば、歌の文句なんて誰だって作れる次第である」 早川義夫 ex.ジャックス
新譜ジャーナルで、早川義夫のエッセイを読んで、ふうん、そうか、なるほどね、と思ったのはその後か、中学2年の頃だったか。彼はいつも役者である。
治療ちゅうもんはそんな甘いモンやおまへんでぇ~、もっとまじめにやれぇ~
詞は昔より近年のほうが良いと思うけどね。
北山に限らず、精神科医は中身はなくても口だけは達者だ。
市民公開講座は、斉藤環と野村総一郎、まったく一般人をバカにした内容。
精神科医は尊敬されてしかるべきと思っているのか。そういう人もいることはいるが。
斉藤環がスライドに自殺者数のグラフを出していた。1998年を境にぐんと自殺者数が増えているので、それを100とするのが一般的なようだ。
彼は自殺者の増加については触れず、理由を経済的問題としたいようだったが、減っているとは言え若者はまだ増えているので予断を許さない、と言う程度で、それまで堂々とした話しぶりだったのが、急に小声になり口ごもったようになり、さっさと次の話題に変えて、スライドも変えててしまったのが印象的だった。
他の精神科医の発表も同様だったはず。
自殺者増加の理由は言うまでもなく、「うつ病キャンペーン」で患者ではなく受診・服薬者が増えて、SSRI新型抗うつ剤等によるアクチベーション・シンドローム(賦活化症候群)を起こしたせいです。
自殺者の増加と最近の微減についてはこちらをご参照ください。
http://68631324.at.webry.info/201301/article_2.html
UさんやSさんは優性思想と言うが、一般の差別主義者は精神病者は劣った者という考えだろうけど、精神科医は自分たち以外の一般人は全て劣った者という考えなんだろう。何でも病気にして侵害したがる習性はそこから来ているのだろうし(それが最も大きな理由だとも思わないが)、そうでなければ向精神薬害がこんなに拡大、蔓延することもなかったはず。
まったく身の程知らず。視野狭窄も甚だしい。自画自賛、手前味噌、虚言だらけ、お互い先生先生と持ち上げるのみ。
仕事もしたことがなく、社会にも出たことがないんだから、引きこもり以下かもしれない。引きこもりはネット見てるし。
終わってから反精神医療の人が若干名、野村に詰め寄っていたが、逃げられたようだった。
ちょっとビックリしたのは、鯖の油とかけっこう本気で言ってる人がいたこと。身体にはいいかも知れないが。
アロマとかレメディとか、毒にも薬にもならないような民間療法、代替療法を取り入れたり。
kyupinだけじゃなかったのか。彼の影響か?
そういうのは医者はバカにするもんだけど、それだけ手詰まりなのでしょう。
それと、医療用覚せい剤、電気ショックかけまくり、磁気刺激や、さらにはチップ埋め込んで深部脳刺激などに向かいたい人と両極に向かうのか?
私のほうは民間療法だけど、代替療法、代替案ではなく、本案なので擦り寄ってくる人も殆どいませんが。
ゼプリオン問題は全く無かったかのように否認。
緊急教育講演「ゼプリオン投与中の死亡例から、我々はなにを学ぶべきか?(薬事委員会)」というのをやったらしいが、その程度でお茶を濁すのだろう。
去年の秋から報告されている32人死亡(もちろんもっと増える)だから、来年は否認にするのがたいへんだ。「共同幻想論」吉本隆明
ゼプリオンの影響もあるのか、全般に昔に比べても、どの発表もお座なり感、満点だった。
昔、若い頃は精神科医もバカや悪人ばかりでなし、薬物など野蛮なものはさっさと廃れて(電気ショックECTは既に廃れていたのだ)、精神療法中心になるだろうと楽観的に考えていた。 んで、俺はその上を行こうと。
自慢じゃないけど俺の予想はたいてい当たるのにすっかり外れた。
とはいえ、随分時間がたってから当たることが多いし、そう悲観したモノではないかとも思う。
Sさんも楽観的に考えているとは言ってた。
Sさんはブログの印象よりはずっと優しそうで、腰も低く人当たりも悪くないですよ。ホントです。お世辞じゃありませんよ。思ったより背も低かったけど。
彼の毒舌がうつったみたいですけど、私も優しい先生ですので誤解なきよう。
いつも精神科医をバカにしたような悪口みたいなことばかり書いてますけど、分析派は精神科医の中でもマトモな方です。
私の方が精神科医より優れているところなど殆どありません。頭も良くないし勉強嫌いで怠惰とくれば当然ですね。でも今となっては北山修より楽器はたぶん上手い?
精神疾患の基本がわかっている、確かな治療法をもっているというだけです。
ホントです。謙遜しているわけではありません。もちろん自慢でもなし。

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統合失調症の薬服用で21人死亡 ヤンセンのゼプリオン(精神医療過誤・向精神薬害)

『統合失調症の薬服用で21人死亡 ヤンセンのゼプリオン』
2014年4月18日00時25分 朝日新聞DIGITAL
 厚生労働省は17日、統合失調症治療薬「ゼプリオン水懸筋注」(ヤンセンファーマ社)を使用していた21人が死亡したと発表した。因果関係はわかっていないが、厚労省は同社に対し、使用上の注意を改訂し、医療関係者らに注意を呼びかけるよう指示した。
 厚労省と同社によると、「ゼプリオン水懸筋注」は昨年11月に販売を始め、使用した患者は推定約1万900人という。死亡例のうち、詳しい情報が公開された14例の死因は心筋梗塞(こうそく)や多臓器不全、肺炎などで、半数はわからなかった。12例はほかの抗精神病薬と併用していた。使用してから死亡するまでの期間は3~107日だった。
 同社は、抗精神病薬との併用を控え、ほかの薬から切り替える際には用法・用量を守るなどの注意を呼びかけている。84の国と地域で承認されているが、発売から短期間の死亡例は報告されていないという。

統合失調症治療薬「ゼプリオン水懸筋注」に関する安全性速報(ブルーレター)の発出について 厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000043861.html
既にアリスパパさんのブログ『八咫烏(やたがらす)』でも詳しく分析されていますが。
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11821177669.html
実に氷山の一角に過ぎないです。
推定約1万900人のうち21人では、抗精神病薬服役者の死亡率としては、むしろ少ない!?
実際にはもっとずっと多いはずだし、徐々に表面化するのでしょうけど。
水懸筋注の効能は4か月も続くらく、まだ発売・使用されてから間もないので、これからもっと被害者も出てくる。
影響が無くなり止めても離脱症状も後遺症もある。
これだけでも相当危険性が高いと思われますが、場合多剤併用なので飛躍的に危険。
どれだけ死人が出ても不思議ではない。むしろ人間ってかなり頑丈だなと思ってしまうが。
お役所も製薬会社も精神科医も、むしろ、向精神薬はそんなには危なくない、死ぬのはほんの一握りだけ、安全管理は行われている、ということにしたいのでしょうか?
それでもこうした記事が、新聞社の中でも精神医療擁護派の朝日新聞に載るくらいだから、進歩はしているのでしょう。マスコミも精神医療過誤、向精神薬害は無視できなくなってきた。
このヤンセンのゼプリオンが使われるのは、もちろん利害もある。注射1本8万円だとか。
そりゃ医者はとびつくだろうな。
もちろん誰かが負担しているのである。
国民健康保険などもはや一般の自営業者が払えるような金額ではないのだが。
税金も上がったし。
抗精神病薬による中毒死が多いのは昔からわかりきった事実。
そもそも昔から、悪性症候群は短期に1%、殆ど死亡と言われていたくらいだし。
もちろん、もっと長く服用した場合の中毒死は、悪性症候群ということにならないだけで、長く服用したほうが当然、中毒死のリスクは高い。中止するのも、もちろん危険。
短期で死なない人は割に耐性があるということにはなるだろうが、それでも肝臓壊したりするし、もちろんずっと大丈夫というわけではない。
そういうことは本にも書いてあるし、医療関係者なら皆知っているはずだけど。
なぜ薬は安全といえるのだろう?
向精神薬による薬物中毒死は表面的にはそれとわからない場合も含めると、とてつもなく多い。
精神科病院の死亡退院率の高さ、不審死の増加などを見ればわかるが、その中に薬物中毒死が相当含まれているのは間違いない。直接的な死因が向精神薬中毒死という人だけでも年間万単位いるはず。
間接的に死亡の最も大きな要因が向精神薬という人は、それよりもう1ケタ多いのではないか?

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理研と小保方晴子さん、STAP細胞、精神医療過誤・向精神薬害と科学技術の未来など

小保方晴子さんとSTAP細胞に関しては当初から、そんなのできるかぁ?ホンマかぁ~ウソやろ!?往生しまっせぇ~と思った人や、虚言の臭いや胡散臭さを感じたり、何がリケジョだ女子力だ、と訝しく思った人も多かったのだろうけど。
小保方さん個人の精神病理や、組織や社会の集団力学、社会心理には関心が無いわけでもないけど、彼女を直接知っているわけでもないし。
母親とお姉さんが教育心理学者?だか、いかにもさもありなんではありますが。
当初からツッコミどころはいろいろあったし。
しかし、ここではそうしたことを問題にする気もないし、関心もないです。
彼女に対するバッシングに与したくもない。
彼女のことは精神科医の香山リカ(中塚尚子)や熊木徹夫が演技性人格障害、自己愛パーソナリティと言ったり、片田珠美が空想虚言症とか言っているらしいですが、「お前が言うか」、
精神科医は他人のことより自分のことを診断してもらって、お薬飲むか電パチでも受けて治療してもらうべきでしょう。
研究上の疑念が多いことや、結果が捏造かどうかは問題ではあろうが、それも問題にする気も関心もない。
もっと酷い論文などいくらでも存在する。
業績のための業績のための論文など、一般的にはごく当たり前である。特に医学関係は。
学問的価値のある論文なんてどのくらいあるのか?
少なくとも精神医学に関しては、皆無に等しいかもしれない。
個人的には得るものがないわけではないにせよ、読む価値もないので、昔はそれなりに読んだが、ここ20年以上ほとんど読んでいない。
彼女が間違えたり、仮にウソをついているとしても、可能性を見せたという意味では評価されてしかるべきかもしれないし、おそらく多くの教訓を残すだろうという意味では有益である。
まだまだSTAP細胞が確実作れるとは言えず、確実に出来るかどうかは今後も検証が必要である、とでもしておけば良かったのかもしれない。
卒業文集や博士論文まで引っ張り出されて、ちょっと気の毒ではある。
俺なんかは、知人の某医大元精神科教授に気に入られたのか、医学博士をとらせてやる、お前は書くの嫌いだろうから学位論文は書いてやる、教授たちは皆、後輩や教え子だから通せる、もちろん見返りはいらない、せっかく親切に言ってるのに人の好意は素直に受けなくちゃダメだよ、なんて言われたこともあるし。
今では考えられないことだが、20数年前のこと。
もちろん断ったが、とった方が良かったのか、とらなくて良かったのか?
そもそも向精神薬の研究・開発に関することなど、捏造やら収賄やら当たり前の世界である。言わば、腐りきった科学技術。
内部告発などで既に多くがバレているが、問題にしているのは一部の反精神医療派だけである。
STAP細胞の存在やら研究の捏造より、向精神薬の臨床研究や治験のインチキ、デタラメの方が、既に夥しい人の生死に関わっているし、はるかに大問題なのだが、ほとんど話題にもされない。
多くの人の命に直接かかわっていることだし、既に向精神薬の研究・開発、疾病喧伝は、既に多くの人の健康を奪い、多くの人命にかかわっており、計り知れないほどの被害をもたらしている。米国なんかでは既に多くの訴訟が起こってはいる。
(既に書いたように向精神薬害による中枢神経障害、中毒死、自殺や殺人衝動促進、《賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム》などなど)
そもそも向精神薬害など昔からわかりきっていたことだったのに、問題にもされず、問題化してからも殆ど無視されている。
うつ病は脳の病気、セロトニン不足なんて、仮説にもなっていないことがあたかも証明された事実のように言われており、その仮説らしきも既に否定されているのに、今も事実のように精神科医や患者の間ではまかり通っている。
そしてまた時折、思い出したように出てくる、うつ病の原因がわかってきたとか、遺伝子がらみとか、マウスの精神疾患モデルやら脳の血流だとか、ホルモンだとか、そういう「研究」は前にも取り上げたことはあるけど、あまりにバカバカしいのでここではやめておく。
そういうのはヤラセみたいなもんで出来レースだし、後で検証するとかそんなこともないし、論文そのものもまともに取り上げられることはない。
間違っていたとバレても、あくまで可能性ということで、お茶も濁さず終わりにすることになっている。
ホントに何か発見したなら、それこそノーベル賞もんだが。
そのノーベル賞自体も、当然いろいろ問題がありすぎで、精神医学の分野で受賞したのはあの、ロボトミーのエガス・モニス、60年以上経った今も取り消すべきだという反対運動があるらしいけど、そもそもノーベル賞なんてそういうものだろう。
もう多くの人が忘れているかもしれないが、確か佐藤栄作(安部の大叔父?)も平和賞をとったはずだったよな?幻だったか?
日本という国が受賞したのであって、彼はその代理に過ぎないと考えればあながちおかしいわけでもないが。
もっともSTAP細胞でノーベル賞がとれるなら、俺なんか10個くらいもらっても良さそうなもんだが。
いらねーけど、企業秘密だし。賞金だけ欲しい。
ノバルティス問題など、氷山の一角だが、むしろカモフラージュだろう。今問題になっているセプリオンも。
そういう問題は、あたかも例外であり、監視されており、野放しにされているわけではないということにするために。
ほどほどにしておけよ、という製薬会社に対する見せしめ、牽制の意味はあるのかもしれないが。
全ての科学研究者、技術者は“精神医療過誤・向精神薬害問題についてよく知るべきであり、以って他山の石とすべし”だろうが、それ以前に当然これを許してはならないはず。
独協医大、精神科医の井原裕さんは「精神医療批判は国民の義務」と言っており、去年の流行語にもなったが、科学研究者、技術者は特にその責を負うべきではないか。
STAP細胞が捏造だの何だのと言う人も。
向精神薬の関係者、精神科医など、学者・研究者、科学技術者の風上にも風下にも置けないはず。
義憤を感じ行動を起こすべである。
STAP細胞だの再生医療だのに、うつつを抜かしている場合ではねぇ!んである。

STAP細胞のおかげで医者にかからなくても、絆創膏を貼り付けるように、自分で、もしくは周囲の人の協力程度で有害性も無く治せるとかなら良いけど、んなぁこたぁねぇよな。
しかし、ここではそれは置いといて…(またの機会に書くつもり)。話がくどいのはジジイの癖だ。
ところで、STAP細胞であるが…
誤解を恐れずに敢えて言えば、それ自体が存在するか、もしくは将来的に存在しうるのかもどうでもいいことだ。
存在しなかったとしても、間違いは誰にでもあることだが、彼女が意図的、もしくは非意図的に人を騙しているとしたらちょっと面白い社会現象ではある。
医療が人の健康に貢献しているという面はもちろん否定できないが、多くの人にとって甚だ有害、危険なものにもなっててしまった。多くの人を死に至らしめている一方で、再生医療もないだろう。
とりわけ問題なのは、向精神薬の作用、賦活化症候群による自殺、殺人など自傷他害などの衝動行為、薬物中毒死など、精神医療過誤・向精神薬害である。被害者の数が桁違い、とてつもなく、なお拡大している。
早く対策すべきは、こうした精神医療過誤・向精神薬害対策などの有害、医療問題だ。話がくどいが。
今すぐできることもいくらでもあり、費用効果も絶大である。
有害医療を制限できれば、消費税など3%に戻してもいいか、あるいは10%に上げても保険料を下げれば良いはずだ。少なくとも財政面で有利、国民経済も潤い、景気が悪くなるのは医療関係だけだ。
彼女だけの問題ではないのも明らかなこと。理研発表のように彼女個人の問題だとしたら、周囲はそれを諌めることもできず、引きずりまわされたということになる。当然、科学者の権威もモラルも地に落ちる。理研や早稲田大学だけのことではない。
共同著者として名前を連ねるのは、研究を手伝ったとか指導したとかいうことではなく、学説に共同して責任をもつ、ということである。この点でも、一般の人だけでなく当事者さえ理解していないようである。
ちなみに私が手伝ったり指導した医学論文はいろいろあるが、名前を連ねた論文はない(実はほんの少しある)。分野も違うし、関係ねぇ。
彼女がウソをついていたとしても、虚言症が周囲やマスコミ、大衆を引っ掻き回しただけ。
マスコミは十分、稼ぎのネタにできただろうし、大衆は面白がった人も、勉強になった人もいただろう。
STAP細胞はホントに無いのかはまだわからず、これで終わるわけでないので、しばらくは楽しめるはず。
引っ掻き回しただけでも、学問研究に寄与したという面もあるかもしれない。
ウソ出鱈目だったとしても大して実害はなく、向精神薬害と違って、直接、大きな被害を蒙った人はいない。
理研、大学、リケジョ、マスコミなどの面目を潰した、人々の期待を裏切ったなどというのは問題外。
(あ、何か話がまたくどいな)
既に存在していた大事なモノを潰してしまったわけでもなく、なければないだけのことだ。
存在したところで応用、実用化、応用は難しいだろうが、それが可能かよりも、むしろできたらどうなのかが問題ではないのか。
まだ実現できないものを取り越し苦労することはない、とりあえずできることが必要、それから考えれば、という人も多いだろうが、世の中の流れとしては、できてからではもう遅いのだろう。
こうしたことはiPS細胞とて同じことであり、手放しで賞賛することなど、とうていできない。
「他人の為に、百年後の世の為に、少しでも何か役に立つことをしたい」
だったら、そんなことするか?
「数十年後とか100年後の人類社会への貢献を意識して研究を進めたい」
そういうこと考えてないからやってられるんじゃないか?
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昔から、そういうことを考えていたのだが。
小保方さんが「子宮をなくし、子供を産めなくなった女性を救いたい」と言ってたので、それを例にするけど。慢性関節リウマチで関節が崩れた場合でももちろん同様。
【そもそも、そんなことやる必要があるのか?】
ニーズがあるからやるべきとはもちろん限らない。
科学技術の目的は、欲望への奉仕、科学者や技術者は欲望の奴隷か?
ラカンが「あらゆる欲望は他者の欲望だ」と言ってたな。
再生を諦めろなどとはとうてい言えることではないが。
子宮を無くす理由はいろいろだろうが、無くさなくて済むにはどうしたら良いかを考えるべきだろ。
むしろそれが医学と言うものだ。
子供は諦めるとか、それを受け入れるというのも人生だろうし。里子、養子でもいいじゃないか?
選択肢が増えれば良いというわけでもないはず。
子供を生みたいからって、生めない人などいくらでもいる。独身者の皆が子供が欲しくないわけでもない。
子供を生んで育てることはエゴであってはならないはずだ。
それは多くの精神疾患の原因にも関係することである。
若返ってどうするの?人皆老いて人生有限だから意味があるんだろ。
あの世がないなんて保証もないし。
もちろん、学問、科学研究は役に立つからやるものではなく、真理の追究ではあるだろうけど。
応用、実用、役に立つばかりを追求すべきでもないだろうし、それがまた学問研究の歪みをもたらすこともあり、今回のことも、“応用の要請”があせりにつながり、問題が起こったという面もあるだろう。
今回の発見が事実とすると
「発生と分化に関する生物学の常識を覆す驚天動地の大発見」でもあるらしい。
小保方さん、理研やその他の関係者も、それには殆ど触れておらず、おそらく意識あまり意識もしていないのだろう。
意図するせざるにかかわらず、科学技術は目先の利害、その他さまざまな条件づけを受けている。
知らなくても良いことを追求し、知るべきことを否認するのが科学の常でもある。
科学技術は常に不均等発展するものである。
【大きな危険や有害性をもたらすのではないか?】
遺伝子がらみのことは特にありうるのではないか。
予めそれを予測することはできず、明確になるのは問題は広まってからであり、そうなってはもはや対処不可能であろう。
抗生物質が人類に大きな利益をもたらしたことは間違いないが、それも歴史に属することではなく、その影響がどうなることかはまだまだわからない。殆どの場合、ワクチンが広まって病気が終息したのではなく、病気が終息してからワクチンが広まったのだとも言われている。
子宮頸がんワクチンの危険性、有害性や無効性が問題になったが、そんなことは当初からわかりきっていたことでもあった。
既に子宮に毛髪が生えたとか、歯が生えたとか、昔は珍しかったことが、やたら増えているらしい。子宮筋腫とか卵巣腫瘍か。
どういう理由か知らないけど、シャンプー・リンスやら歯磨きやらで細胞が破壊され、子宮にとんで毛髪や歯を作るのか、卵子がそうなるのか、子宮は形態形成の場ということか、細胞間情報交換の問題なのか?私が論じられるようなことでもないが。こうしたことも問題ではあるだろう。
【他にやるべきことはいくらでもあるだろ。】
そもそも、科学技術の進歩が人類の幸福に貢献したなどといえるか?もちろん目先の利はあるが。
少なくとも歴史に属すことではなく、まだまだ途中でのことだ。
健康や幸福を目指すならば、それよりもやるべきことはいくらでもある。
いくら良いこと、必要なことでも、やる人がいるとは限らない。
金になりそうなことにはすぐに飛びつくが。
科学技術も人々の意識や考え、社会のあり方に規定されており、金になるほうにしか向かっていかない。
STAP細胞は大いに利権が絡んでいるという。
今回の問題も、小保方さんを潰して、業績を理研のモノにするとか、米国が支配しようとか、韓中が横取りしようとしているとか、実際にできているから、絶対にそれを明らかにすることは出来ない、むしろできないことにしてカモフラージュするためとか、いろいろ言われているらしい。もちろんそうしたことの真偽はわからない。
そうした費用はいったい誰が負担するのか?外貨稼ぎのため?
「この国は医療で潰される」とさえ言われているのに。
(医療費のほかに、生活保護費など社会保障費の増大、財政破綻などなど)
国民健康保険費などいったい誰が払えるのかと思うくらい、すでに高額である。
全ての人が医療を受けれら時代は終わりつつある。目指すべきは医療の縮小だろう。
適正医療が行われていれば、消費税など増やす必要はなく、むしろ減らしても良かったはずだ。
いつから科学研究、科学技術が利権まみれになったのだろうか? 昔は公共・共有財産だった軌はするけど??
せいぜい、名誉や地位を得る位で。それさえ得られなくても、真理を追求し、人々に有益なことを追求するから、学問、科学であったはずなんだが??
真理や事実そのものには著作権もないし特許も取れないという。
科学技術上のノウハウは真理や事実ではないのか??
資本主義にどっぷり使っている人間は、金にもならず、地位や立場の向上にもならず、権力や利益も得らないないこと、むしろそれと逆行することはやろうとしない。資本主義とはそういう原理・法則だろう。
ニーズがなければそれを作り出してでも、モノやサービスを売りつける、そうして経済が発展していくと。
ホントに必要なことはカネにもならなかったりするので、誰もやろうとはしなかったり。
資本主義とは経済体制であるよりも、人々の価値観、考え方やものの見方、行動様式、行動原理のことである。
【そんなこと、やってもいいのか?】
マウスの背中に耳を生やすとか、それだけでも嫌悪感や罪悪感を持つ人も多いだろう。
その根拠は、ハッキリしないだろうけど、それには相応の理由があるはずである。
宗教云々は別としても。
そもそも、科学的真理なんて、真理そのものではなく、せいぜい、その時点で科学的には疑いようがなく正しい、ということに過ぎないし。
といったことなどなどである。
それでは人類は進歩しない、と言いたい人もいるだろう。
まだまだ野蛮な社会である。科学技術が進歩しなくても、人類の健康や幸福を目指す方法はいくらでもある。
むしろそれをしないのが問題だろう。
もしかすると科学の進歩はそこから遠ざかるのかもしれないとさえ思う。
かつて勤めていた大学の同僚。(旧帝大系大学院、分子生物学?生命科学?出身)にそういうことを話したことがある
彼は憮然として即座にこう言った。
「そういう人に科学技術の恩恵を享受してもらいたくないね」
アンタは中学生かよ!大学教授、教育・研究職だろ。お話にもなにもならないのである。
20歳位の頃、自分の父親(車の会社のエンジニア)に話したこともあった。
「そりゃ、禁断の実を食べてしまったんだから、もう戻れない」 
お前はそんなことも分からないのか?と言いたげに即答された。
オヤジは何も考えていない、わかっていない、どうせ話も通じないし、と思っていたので意外だった。
精神医学問題、精神医療過誤・向精神薬害、も軌を一にした問題である。
およそ非科学的、科学技術以前ともいえるが、科学技術のなれの果てを示してもいるだろう。
思考停止、認知の欠落、あるいは隠蔽記憶。知らぬがほっとけ。
要するに精神科医が精神疾患のことも向精神薬のことも実は殆ど考えていないように、殆どの科学者は科学や科学技術のことはあまり考えてない。
そんなこと考えていたらやってられない、ということはもちろんあるだろう。
かといって他の人の言うことに、謙虚に耳を傾けるか?? 
少なくとも精神医療関係者、製薬会社の技師や精神科医などはそうではない。
精神疾患の本質や、治療についても精神科医は殆ど誰も考えない。
ゆえに、向精神薬もそうだが、電気ショックECT、光トポグラフィー、磁気刺激療法、果ては再び脳深部刺激療法DBSとか、愚にもつかないことしか考えないし、そういう方向にしか向かわない。
幼稚園からやり直しだ。
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そういうわけで科学技術については、子供の頃からいろいろ考えていた。
きっかけは公害問題だった。排ガスの鉛中毒とか、車大好き少年だったけど。
水俣病、四日市喘息などの公害病、光化学スモッグ、なども毎日のようにニュースになっていた。
それとベトナム戦争。北爆が始まったのが小学校1年の時、毎朝ニュースを見て暗い気分になって学校に行くのだった。
大学時代は社会科学系だし、あまり関係ないのだが、一時期、気になって、科学哲学、自然科学思想や科学技術論に関する本を読みあさっていた。精神医学、精神分析学関係の本も読んでいたが。
もはや反科学か、少なくとも科学に懐疑的、科学技術批判が主流だった。
既に私のようなことを考えている人がいることにも、ちょっと安心した。
しかし、大学を出る頃にはもうそういうことはあまり考えなくなった、というか考えるのはやめたのである。
俺が考えなくてもいいや、考えてもしょうがない、何かできるわけでもないし。
自分が直接、自然科学研究に携わったり、技術職に就くこともありえない。
新潟の原発建設反対運動にも1回行っただけでヤメた。
エコロジー研究会を作ったが、大学ももう卒業だった。
どちらかと言えば、科学技術は必要とされなくなる、終息に向かうだろう、人間そうそう愚かでもないし、飽く無く欲望の追求に邁進するとは考えられず、と楽観的に考えたのである。
その頃、「ニュートン」という雑誌が出たが、反科学・科学技術批判の雑誌が出たのか?ようやく世間も俺たちに追いついてきたのか!?と中身も見ずに早とちりしてしまった位である。
既にそれ以前から、向精神薬についても、どちらかと言えば、楽観的に考えていた。
薬害が拡大する以前に、危険性も有害性も明らかになるだろうし、医者も患者もバカばかりじゃなし、騙されないだろうと。
精神疾患の原因が、トラウマ(心的外傷)・ストレスであるのは明らかで、それを前提にしたうえで、精神医学も変わって行くだろうと。
まだそうなっていないと思うこと自体が、人類の英知、学問に対する冒涜にも思えたのである。
実際「冒涜」していたのかも知れなけど。今も。
それより自分が何をすべきがが問題だ。もちろんそうしたことを踏まえたうえで。
会社員にもなれるわけないし、もちろんなりたくもないし。就職もしたくない。
いつの間に会社がそんなに偉くなったんだだろう?
ブラック企業なんて言葉もなかったが、企業なんてみんなブラックだと思っていた。
社会も良くなっていくだろうと、楽観的に考えていたが。
我々の頃は、オイルショックの後、景気もだいぶ回復した頃である。名の知れた大学を出れば、たいていはそこそこ名の知れた会社に就職することできた。バブルはまだだいぶ後のことで、ほぼ予測もされていなかった。
私自身は会社員にはなりたくない、という以前になれない、なっても勤まるわけないのであったが。
会社員、何やってんのかあまり知らなかったけど。
仕事なんもろくにできないくせに、何が良い大学、一流企業だ、会社なんか就職してやらねぇよ、俺なんかもうとっくの昔に人生棒に振ってるぞ、悪ぃかよ、ってな具合である。
私だけでなく、周りにもそういうヤツが多かった。
やりたいことも全くないけど、もちろん働かなくては食っていけない。
私自身は大学は一応卒業して、自転車店員として毎日、汗と泥と油にまみれて肉体労働に励むことになった。
キツかったなぁ。
自転車以上のテクノロジーは不要ではないか?とも思ったのである。
それが人生、リスタートのきっかけになった。
例によってジジイの癖で、昔の話、自分語りになってしまったけど。歳のせいだ。許して欲しい。
ともかくやるべきことが見つかって良かったです。ハイ。
オルターナティブ・テクノジーやら代替医療やらもいろいろ考えたが、精神医療に関しては代替案、代替医療もダメだ、本医療、本案でなくてはならない、と思ったのである。
そういえば、普通の人が普通に乗る自転車ってのが無いな。
ロードバイクとMTBとクロスバイクと小径車ばかり。
自転車もブームになって、やる人増えたのに。
いろいろ考えたけど、時代は思ったようには向かわなかった。

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個人に対する施療指導、相談にも応じています。
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向精神薬の大量処方を制限へ、診療報酬を認めず

『向精神薬の大量処方を制限へ、診療報酬を認めず』
読売新聞 3月7日(金)17時35分配信
 厚生労働省は新年度から、抗不安薬や睡眠薬などの向精神薬を数多く処方した場合、診療報酬を原則認めない仕組みを導入することを決めた。
 薬物依存や重篤な副作用を防ぐ狙いがある。
 新ルールでは、外来診療で服薬管理などをする際、抗不安薬か睡眠薬を3種類以上、または、統合失調症の治療に使われる抗精神病薬か、抗うつ薬を4種類以上、1回で処方した場合、診療報酬を請求できなくし、処方箋料も減額する。
 また、入院患者に、副作用が少ないとされるタイプの抗精神病薬を処方する場合も、2種類までしか加算できないように改める。
 抗不安薬や睡眠薬としてよく使われるベンゾジアゼピン系の薬剤は、使用し続けると薬物依存になる危険性がある。

ようやく多剤大量処方に制限が加えられることになったが…
精神医療関係団体、学会は往生際も悪く根拠もなく執拗に反抗している。
とあえずあまりに酷すぎ、自浄作用もない精神医療に対し、このままでは被害が甚大、被害を防ぐ、縮小というより、精神医療自体が存続できなくなるので、行政側から「救いの手」を差し伸べて、精神医療の延命をはかろうとしている、ということだろう。
これに対し、精神医療側は収益低下を恐れ、目先の利ばかりにとらわれ反対しているという構図であり、自分で自分の首を絞めようとしている。長い目で見ると、その方が良いのかもしれないが。
そもそも向精神薬は多剤どころか2種類でさえも、複剤は使用しないことを前提に開発されており、もちろん危険性など確かめていない。
精神科医は良くならないので薬物追加、悪化するので追加、副作用も元々の症状も区別できていないが、副作用には副作用止めと、常用量離脱が起これば、元の病気のせいと考えまた追加。さらに肝臓が悪くなれば肝臓の薬、心臓が悪くなれば、と。その方が儲かるし。
患者をなるべく殺さないようにしてだんだん悪化させ、治さずにずーっと病院に通わせれば一番儲かる、というのは資本主義の法則であろうが、精神医療は意図せずともその法則にあまりにも忠実すぎ。
薬の増やし方、多剤大量処方のノウハウはもちないし(独善的マッドサイエンティストのような人はいるが)、減らし方などむしろ全く考えたこともないのが大半の精神科医であり、減らし方のノウハウなどほぼ全ての精神科医は全く持たないのが現状である。
向精神薬は激しい離脱症状が起こることが多いので、減薬自体大変なことだが、精神科医の殆どは未だに元々の症状や悪化と離脱症状、退薬症状の区別はついておらず、すべて元々の病気の症状か、悪化と考えてしまう。
そもそも精神科医は精神疾患についても向精神薬についても、誤解に誤解を重ねて基本的な理解さえできていないためであるが。基本的な医学的知識が無いわけではないが、それを生かせないどころが捻じ曲げすぎ。
離脱症状という言葉自体は、我々が昔から言っていたので、精神科医もようやく聞いたことがある人も増えてはいるが、それさえも未だに大きく誤解している。
離脱症状2週間以上続くことはない、なんていうのがその典型だ。
離脱症状は減薬したらいきなり現れる場合もあるが、特にこううつ剤SSRIなどはある程度の期間が経って、血中濃度等が低くてなり蓄積されたものも分解されてから現れることが多いので、むしろ2週間以上経ってから現れるのが離脱症状であり、短期で終わることもあるが、多くの場合、長期にわたるため、むしろ数年の単位で考える必要がある。
あまり長期、もしくは生涯という場合は、離脱症状ではなく後遺症と言うべきだが。
現実的には、「2020年までに精神疾患に対する向精神薬の使用は全面禁止」くらいが妥当、というかぜひ実行すべきことではないだろうか?
それも大変なことだし、大いに問題はあるが止むを得ないことだと思う。

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精神科医の犯罪を問う

ここで触れるのは、精神医療過誤、精神科医の職業上、医療上の犯罪ではなく、刑法上の一般的な犯罪のことである。
「精神科医の犯罪を問う」というブログがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55
数年前に
「精神科医の(刑法上の)犯罪は多いし、両者全く関係がないわけではないが、これと精神科医の職業上,医療上の犯罪は別に考えるべきではないか。」といった書き込みをしたところ、このブログの主宰者に怒られたことがある。要は、決して別モノではない、精神科医は犯罪者である、といったようなこと。
このブログ主がどういう考えかはあまり良く知らないが、反精神医療の一部の人には以下のように考える人もいるようだ。
精神医療の目的そのものが、患者の健康を害し死に至らしめるなど、犯罪的なものである。
良い人が精神科医にはなれないし、なろうとも思わないはずだ。
なってもやっていけるわけはないし、辞めるのが当然である。
そもそも精神疾患などは存在せず、精神科医がつくりだしたものに過ぎない。
精神医学、精神医療そのものが犯罪である以上、当然これを廃絶すべきである。

しかし、私はこうした考えに与しない。少なくとも基本的な考え方は随分違う。
私の周囲の精神科医は良い人が殆どであり、少なくとも友人・知人は皆、良い人であったのだ。精神科医だけでなく、パラメなど精神医療関係者も良い人が多い。
殆どの精神科医は曲がりなりにも、患者の健康と幸福に貢献したいと思っているはずである。
精神科医には人非人のような奴もいるし、マッドサイエンティストのような人もいるが、それはむしろ例外である。少なくとも私の知る限りではごく少数派。
そういうヤツからも、私は特に危害を加えられたことはない。こちらが無視していれば、相手も特に絡んでくることはなかった。内科など、他科の医者には随分やられたことがあるが。
私の考え方は昔からほとんど変わらないが、精神医療関係者からイジメや排斥、攻撃を受けたことは殆どなく、尊敬とまで言わなくとも、一目も二目も三目も置かれた方である。
こうした考えだからこそ、気の弱い、(かつては)生意気な若造であっても、精神科医は無意識に私を恐れていたのかも知れない。
なるべく精神科医とは接触をもたないことにしていたが、今でも若干の関係はある。
ところで最近(いや、ずっと前からか…)、文字通り(刑法上の)精神科医の犯罪が多く、ニュースを賑わわせている。
精神科医の数は15,000人とも16,000人とも言われているが、聖人君子ばかりでもあるまい、それだけたくさんいれば、犯罪者が出るのも当然だろうと思いきや、実は人数の割には、既に捕まって新聞沙汰になっただけでも随分犯罪者が多い。
数字があまりピンと来ないので比較するとすれば、たぶん私の出身高校の卒業生の数は似たようなものである。中には犯罪者となったものもいるのだが、精神科医よりは遥かに少ない。
私がかつて住んでいた某市のとある地域の住民の数もそんなものであろう。やはり犯罪者はいるのだが、精神科医よりも遥かに少ないはずである。
例えば、最近2013年11月、こういう犯罪が報道された。
『精神科の36歳担当医、覚醒剤使用容疑で逮捕』
読売新聞 11月24日(日)10時58分配信
 福岡県警直方署は23日、北九州市八幡東区西本町4、医師益淵(ますぶち)大輔容疑者(36)を覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕した。
 発表によると、益淵容疑者は今月中旬から21日までの間に覚醒剤を使用した疑い。21日午後10時頃、同県宮若市の自動車整備工場に車で突っ込む事故を起こし、警察官が駆けつけた際、言動に不審な点があったため尿検査を行ったところ、覚醒剤の陽性反応が出たという。
 益淵容疑者は山口県下関市内の病院で精神科を担当していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131124-00000255-yom-soci
他にも調べると覚せい剤使用の犯罪も多い。
向精神薬を正当化してしまえば、覚せい剤も肯定するのは当然だ。そうでなければ認知不協和が起こり辛くなる。「覚せい剤はやっちゃダメ」という、子供でさえ知ってることさえわからなくなるのは理の当然である。
罪悪感から、自殺したり、精神が病む(元々か)精神科医も多いと聞くが、実際にどの位多いのかはわからない。そういう人は、むしろ「良い人」なのであろう。
人の健康を害したり、しばしば死に至らしめたりしていれば、当然のこと、無意識の自己処罰欲求から衝動行為に走ってしまう、それを止める精神の働きがなくなっている、と考えることもできる。
精神科医は患者の健康を害したり、死に至らせても、多くの場合悪いことをしているという自覚はなく、人格から解離している。
悪いことをしている、悪いことをすれば罰せられる、罰しなくてはならない、という無意識の衝動に支配された行動をとってしまう。
普通の人間なら無意識の自己処罰欲求に支配されても、基本的には自罰行為に至るだけである。 原因が自身のトラウマであり、自身が犯罪を犯したわけではないからである。(犯罪的なのはむしろ親や加害者)
したがって、自傷したり、自殺したり、覚せい剤を使用してもヘロヘロの廃人になるだけで、車の事故を起こすにしても、自損自爆事故である場合が多く、犯罪行為には走らないのが普通である。
覚せい剤に手を染めるような相当ガラの悪いロックスターやタレントなども、そうそう薬物以外の犯罪を犯すわけではない。チャー坊も山口君もマーちゃんものりピーもけっこう良い人だったらしいし、薬物以外で捕まったわけではない。
自己処罰欲求に支配された行動により、他者への加害、侵害→逮捕、刑罰を受け、社会的立場を失なう→結果として自己処罰の実現、という形となるのは(ただ精神が病んでいるといった)一般の患者ではなく、犯罪者である。
覚せい剤をやったとしてもおとなしくしていればいいものを、人の工場に車で突っ込むなど、他に危害を加えるとは、犯罪者的であり、いかにも精神科医らしいとも言える。
犯罪者も、犯罪を犯した挙句、自暴自棄でさらに犯罪を重ね、自殺するのは最後であるが、一般的には詐欺と強盗は両立しない、窃盗犯は人を脅迫したりしない、というように一種類の犯罪しかしないのが普通である。
※続きを書く予定。

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