【高齢者の交通事故とその対策、裁判、免許返納など】
高齢者の交通事故が問題になっており、免許返納が進められています。 私は高齢者のセラピーをやっているわけではないし、認知症などの専門家でもないのですが、皆さんいろいろ言ってる割にあまり言ってないことを書こうと思います。 法律的なことには疎いし、多分に推測が入ることはお断りしなくはなりませんが。
2018年5月、飯塚幸三(87)が池袋の交差点で起こした事故
2018年5月、飯塚幸三が池袋の交差点で母子2人を轢き殺し、11人を負傷させた事件は、裁判が進められています。
当人は「アクセルを踏んだ憶えはない」と言い、弁護側は車に突発的な異常が起こったと無罪を主張し、被害者遺族だけでなく多くの人の反感をかっています。 実際には車のトラブルではなく、ブレーキを踏もうとしたつもりがアクセルを強く踏んでいるのは明らかで、このことが争点になることはないでしょう。
実際に悪質と見做さざるを得ない点はいくらでもあり、反感をかうのも当然かと思いますが。 事故を車のせい自己保身、自己正当化が過ぎる。被害者遺族のことを考えろ!今まで権威権力に頼り他の人の意見を受け入れなかったのだろう、非を認め反省する習慣がなかった、謙虚さを身に着けていない、傲慢なふてぇ奴だ、そんなに名誉が大事か、などなど。
高齢になるとそれまでの性格や生き方、自分あり方の問題が全面に出てきて、それに関して抑制する、配慮する、吟味するなどの能力は極めて低下するのは多くの人に共通しています。 そうでなくて、くよくよしすぎる、自分をだめだダメだと思い込み卑下しすぎる、などの人もいますが、両方とも共存します。
彼にもそうしたことが当てはまると思いますが、それだけの問題ではないように思います。 上級国民云々は別にして、というかそれについてはここでは述べません。
おそらくかなりの精神機能の低下はあったはずだと思います。 身体失認ではないにしても、自分の身体能力についても少なくともある程度は疾病否認もあり、パーキンソン病なので「車の運転は止めたほうが良い」と言ってた医師の意見も聞かなかったのでしょう。
反省能力がないと言っても、健忘症ではないにしても現実感そのものが希薄になっており、当然記憶に関する能力も低下し曖昧になっている。 逆に自分の能力を過信すると同時に、他に依存、自分以外のせいにするなどといった問題も既に大きいはずです。
おそらく知的にはそれほど衰えてはおらず、というよりも元々高い能力があったでしょうから、かなり落ちてもさほど問題は表面化せず、当然、認知症ということにもならないのでしょうけど、それ以外の能力、精神的な機能はずいぶん衰えているはずです。
「反省だけならサルでもできる」とは言いいますが、実際には子供や高齢者でなくとも、反省することは知的にも精神的にもかなり高度な能力が必要です。 飯塚幸三の場合、元々乏しい反省能力はとっくに損なわれていたのではないでしょうか?
罪悪感、倫理観、社会常識、現実感や記憶など、かなりの面で解離が進み、虚飾のプライドが全面に出てしまう。 言うことも二転三転し、物理的にありえないことを主張するなど、現実認識も欠落し、過去の技術者としての有能ささえも疑わしく感じられてしまう。 もしかして主観と地位や権力だけで生きてきたの??
傍から見れば随分と狡賢いということにもなりますが、こうしたことは、本人はもちろん家族や周囲の人にも気づかれにくい。
1審で有罪になったとしたら、2審では「心神喪失」とか「認知障害」「記憶障害」あるいは身体機能の障害のためなどと主張するのではないかという気がします。 その頃には実際に認知や記憶の能力も酷く衰えているはずで、まともな裁判にはなりそうもないかと思いますが。
前橋市で2018年1月、川端清勝(87)が起こした事故
前橋市で2018年1月、川端清勝被告(87)が自転車で登校中の女子高校生2人を車にはねて死傷した事故で、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の罪に問われ起訴されました。 これに関しては検察側が、事故原因は被告が急激な血圧低下で意識障害に陥ったことだとして起訴し、「意識障害」があったことが裁判の前提とされ、それに対して予見の可能性ということが問題になったわけです。 そして、既に1審では「過失責任はない」と無罪判決が出ています。
これに対して、当然のこと皆さん反感を感じてブーブー文句を言っており、家族なども世間を慮ったためか、異例なことになんと!弁護側も当人家族など被告側も「有罪」を主張し、二審では争われるようです。
ハッキリ言えば裁判が「意識障害」によって事故がおこったという起訴事実が事実とは異なり、間違った前提で裁判が行われたため、このような奇妙な判決にならざるを得なくなったものと思われます。
例えば… ・検察はAという人がBという人を殴り殺したとして起訴し、 ・弁護側はそうではなく、「殴ろうとしたのを避けて転んで頭を打って死んだのだから、傷害致死ではなく無罪」だと主張 ・当人のAは「俺は殴っていない」と言った場合、
裁判所は「BはAが来たとき、慌てて階段から転げ落ちて頭を打って死んだのだから無罪」という判決は出せないでしょう。 (それが事実だとして)誰も主張していなければ知りようもない。 裁判所には捜査権はないし、勝手に調べることもできないはず。
この事故の場合、状況からしてどう考えても「意識障害」によるものではありませんが…。 意識障害とされた根拠は、 ・意識障害を引き起こす可能性の高い薬を飲んでいた ・本人もめまいを訴えたり、意識障害を起こしたことがある、 ・本人は「事故のことは憶えてない」と話している、 といったことだけで、実際に事故を起こした時に意識障害を起こしていた根拠はないと思われます。
「事故のことは憶えてない」というのは多分ウソではなく、現実感も深刻さ明確な記憶もないのでしょう。従って反省のしようもない。
本人も「有罪」を主張するようですが、家族に言いくるめられたというよりも、(事故当時もその後も)記憶も現実感も希薄で、認知や思考能力も乏しいので同意したのではないでしょうか?
実際には「意識障害」ではなく、中枢性かメンタルかはともかくとして(おそらく両方)解離性の否認、健忘だと思われます。 それだと裁判はどうなったのか、二審はどうなるのかもわかりませんが。 「心神喪失」ではなく「心神耗弱」になるのかな?
検察にも弁護側にも、家族や周囲の人、かかりつけの医師等にも「解離」という概念がなかったものと思われます。 精神科医も解離という言葉はもちろん知っており一応知識もありますが、実際に理解し正確な概念を持っている人はむしろ少ないと思います。
実は30年ほど前ですが、この事故を起こした人は、私が住んでいたアパートのすぐ近くのご近所さんで、面識はありませんが何となく顔も見覚えがあり、事故を起こした場所も毎日通っていた所です。
2018年5月、茅ヶ崎市で高齢女性、斉藤久美子 (90)が交差点で4人を死傷させた事故
この事故も私の実家の近くで起こしたもので、事故があった場所は私もよく知っています。事故を起こした人が住んでおり、夫や息子がやっていた医院も、場所は知っていますが、評判も悪くなかったようです。
既に執行猶予付きの有罪判決が出され、当人も反省はしているようです。
本人が修理工場から国道1号線に出るとき、ちょうど車の流れが切れたので、「今だ!いそがなくては」と慌てて発進し、その時に正面、または右側に見えていたのは「青信号」で、本人が守るべき「赤信号」は頭上で視野に入って、一応認知はしていたようです。
しかし、そのまま急いで行こうとして、渡ろうとしていた歩行者がいたが、避けようとして左にハンドルを切り、アクセルを踏んで、既に渡り終えようとしていた歩行者を意図的に狙ったかのように跳ねてしまったようです。
見えた信号が「青」なら自分の側は見えなくても当然「赤」なので、当然それに従うはずですが、目の前の青信号と当人のさっさと行かなくちゃという観念が結びついてしまったのかも?
赤信号に気づいていたようですが、目の前に歩行者が見えても、現実感が希薄で、精神的にも身体的にも鈍くなっており、反射的にブレーキをかけるという行為には結びつかず、むしろぶつけないよう急がなくちゃ、と思ってしまい、逆にアクセルを強く踏んで、渡り終えようしていた人をあたかも狙ったように跳ね殺してしまったのだと思います。 直前に、国道の車の流れが途絶えたからサッサと行かなくちゃと国道に出た時の思考が、わずか2~3秒後の、もう赤だからサッサと行かなくてはという思考につながってしまったのでしょう。そのわずか数秒の間の頭の切り替えが高齢者は非常に苦手です。
高齢者の事故のニュースを聞いて、「アクセルとブレーキを踏み間違える人なんて人もいるのねぇ(自分は考えられないけど)」みたいなことを言ってたようですが、自分のとっさの判断力をむしろ過信していたのではないかと思われます。 この場合、踏み間違えではなく、アクセル踏まなくちゃ、と思って踏んだのだろうし。
これは高齢者でなくともあり得る事故でしょうけど、高齢者ならむしろ確実に起こしてしまう事故のようにも思います。 わりに意識はしっかりしていた人みたいですが、足が悪く身体的な能力はかなり衰えていたようで、自覚も乏しかったのでしょう。
ブレーキとアクセルの踏み間違いは免許取り立ての若い人でも割によくあることで、高齢者よりも少ないわけではないようです。 若い人なら間違えたと思ったら、というよりも思わなくても脊髄反射レベル?でアクセルから足を離してブレーキを踏むので、事故にはなりにくいのでしょうけど。 おそらく高齢者の場合は、あれっブレーキを踏んでいるのに止まらない、もっと強く踏まなければと思ってしまうのでしょう。 認知が遅く修正能力が乏しい、もしくは思い違いを起こしてしまう。
友人・知人のことですが…
しばらく前に、10歳くらい上の友人に久しぶりにあったら、ボコボコに凹んだ車でやって来ました。何度もブツケたようです。 私が同乗している時も、電柱に軽くぶつけました。 車はゆっくりでたいしたことはありませんが、私は目の前に電柱が迫り思わず「バカ、バカ、ヤバいっ!ヤメロっ!」と思わず叫んでしまい、要するに鈍い私でもそのくらいの余裕はあったわけです。
「えっ!何かあったんですか?」と言っても「いや別に、何でもない」とショックを受けたわけでも深刻でもなさそうです。私が叫んだので不機嫌になったかと言えばそれほどでもない。 車を降りて確かめるわけでもなく、降りてから私が確かめると、バンパーを軽くぶつけただけで、特に傷ついても凹んでもいませんでしたが。だし。
元大学教師でその分野では第一人者、著作は今も多くの大学で教科書として使われている位で、知的にも優れ割に冷静な人です。
40代の頃(私は30代)は同僚だったのですが、随分と忘れ物が多いことに気づきました。なるべく対策した方が良いと言っていたのですが、自覚に乏しいのか対策しようとしないのが不思議でした。
10年ほど経って、私も同じくらいの歳になった時、急に忘れっぽくなってしまい、対策しようと思うのですが忘れっぽくなったこと自体を忘れてしまう。それでも肝に命じて徹底的に忘れる時の思考や行動のバターンを分析して対策し、忘れ物はほぼ無くなりました。 しかし、物忘れがひどくなる傾向は止められず、スケジュールなど忘れた、それも対策し、いろいろやらなくてはなりませが、やはり自覚と対策が必要かと思います。
私の周囲には、「俺はまだまだ若い」と若ぶる人はあまりいませんが、昔お世話になった教授がそういうタイプで、実際に年の割に若々しい方ではあるのですが、やはりそういう人は事故を起こしやすいように思います。
大学の運動会で皆はヤメロやめろと言ったのに(医学部だし)いきなり走って案の定、心臓を壊してペースメーカーを着ける羽目になってしまいました。 その時私は一緒ではなく、もしその場にいたらやはり止めるでしょうけど、実際に止められた自信はありません。殴るわけにもいかないし。
今年の年賀状には、自転車ですっ転んで大怪我をして半年も入院していたと書いてありました。もう80歳近いですが、新しく別の大学に学科創設のために働いており、どうなることかと思ったら教え子(私の教え子でもある)を教授に据えて何とかやっているようです。
私は中高年向きのサイクリング車の開発に(間接的にですが)少々かかわっており、一般市販車が近々発売になるので、それを勧めるつもりでいましたが、その矢先のことでとても残念です。
その自転車は効率良く疲れ難く、気分良く走れるし安全性が高いので、中高年以外にも大いに勧められるもので、革命的な自転車です。 以下をクリックして見て下さい。
山歩きには何度か誘ったり、勧めたことがありますけど、そういうことは好きではないようで、断られました。 実際に行ったら、せっかちで配慮に乏しく、どんどん先に言ってしまい「お~い、皆遅いぞっ」とか言って、その後にはすぐにへばるようなタイプなので、向かないのでしょう。
どうしたら良いのでしょうか?
都会の人、都市部の人は、とにかくなるべく早く免許は返納して、公共交通機関の利用を心がけるべきかと思います。車に慣れている人は面倒だと思うかも知れませんが、そうでもありません。何事も早めに慣れたほうが良いと思います。
自転車はさっき述べたような、安全性の高いものにするとか。電動アシストは高齢者には向きません。クロスバイクなど前傾する自転車ももちろん不向き。
元自民党幹事長の谷垣禎一さんなんかも、体力はありレースでも速かったようですが、どうみても70歳のお爺さんでしかなく、ロードバイクが危険なことはわかりきっていますが、まだまだ若々しいつもりでいたり、スポーティなものがカッコイイという偏見や信仰に支配されていたのでしょう。マニアであっても自転車には無知でした。 事故で大怪我をしましたが、そうでなければ今頃、総理大臣になっていたのではないでしょうか?
困るのは地方の人で、車よりはスクーターとかカブなんかの方が良いかと思いますけど。運動能力などの衰えを自覚しやすいし、事故はむしろ起こしやすいかもしれませんが、他者を巻き込み被害者を作ることはだいぶ避けられる。
むしろマニュアルミッションの方が良いかも? 高齢者はマニュアルのみにするとふるい分けにはなるかも? 今はマニュアル車は少ないですが。
いくら何でも、90歳にもなったらマトモに車が運転できるとは思えません。茅ヶ崎の人も年齢の割にはしっかりしていたようですが、どう見ても90歳の老婆で、飯塚幸三も川端も年齢相応もしくはそれ以上の衰えはありそうで、その位の年齢でも車を安全に運転できる人は殆どいないと思います。 免許取得が18歳なら強制的に80歳か85歳位で失効とすべきかとも思います。
自転車だけでなく、高齢者向きの移動手段など、いろいろ考えてはいるのですが…
そんなわけで、私も高齢者に差し掛かったきたし、いずれにしても他山の石としなければ、と思っています。
やはり自覚と対策が必要で ・問題があったら徹底的に分析し、対策を身につけ習慣づける。 ・他者の失敗を自分の身においてよく考える。 ・相談できる相手をつくり、意見をよく聞く。 (「老いては子に従え」ですが、私には子供はいないので) ・人の意見はなるべく素直に謙虚に受け入れる。
など心がけるようにしていますが、他にも方法があるでしょうか?
高齢になる以前に、中年期から、というよりも若い頃から20歳も過ぎれば衰えはあるはずで、そうしたことも自覚する必要があり、やはり若い頃からの心がけや習慣が大事だと思います。 飯塚幸三などを批判している若い人も、歳をとったら彼のようになるのでは?などとも思います。 若い頃からなるべく自分の弱点・欠点を自覚し、改善するように努力すべきかと思います。そのためには、私の提唱するこのセルフ・セラピーは大いに役立つはずです。