2018年8月、山口県の周防大島で2歳の藤本理稀ちゃんという男の子が行方不明となり、3日がたっても発見されず、絶望視されだした頃、スーパー・ボランティアの尾畠春夫さんに発見されたことがニュースになった。
それから2年、もう皆忘れているかもしれないけど、そのことについて書いてみたい。私はけっこうしつこく、皆が忘れた頃にブログを書くのだ。彼は「私なんて一過性のもの。日本人は熱しやすく冷めやすい。自分のことなどすぐ忘れる。」とも言っているけど私はけっこうしつこいのだ。
ちなみにユーザーの使用頻度によって、どんどん学習するはずのGOOGLE日本語入力では「尾畠」は出てこない。尾畑では検索できないので、実際に忘却が進行しているようだ。「理稀」も出てこないけど、これは仕方ないか。
同じ頃、豊田真由子のパワハラが問題になり、その前年の2017年の夏には松居一代のブログとYOU TUBE動画が話題になったが、そのことについてもいずれ書くつもり。いずれもその時に書こうと思いつつ、書いていなかったし精神医学的には重要なテーマだが、そのような観点で書いた記事は全く見たことがないので。精神科医には理解が難しいのだと思う。
尾畠さんは、行方不明になった子供の家族に対ても「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束し、探し始めてからまっすぐに山の方に登り、3日100人掛かりでも発見されなかった男の子を30分もかからず発見して戻ってきた。
いてもたってもおられず、捜索開始より1時間ほど前に独りで捜索を始め、マスコミにも「早く出たからって、法律に反するわけではないからな」「昨夜寝ていたら、今日は「理稀ちゃんに会えそうな気がしたから」などと答えており、少なくともこのことに関しては予知能力のようなものが働いていたと言えるだろう。もちろん長年の経験の裏打ちもあってのことだが。
奇跡的とも言われ賞賛されたが、でもこのことはあまり話題にならなかった。
皆、予知能力があったら良いと思うでしょ?でも否定しているのかな?
予知能力があり(ま、一応ね)、その開発方法を知っている俺からすれば、これは不思議なことでも何でもなく、予知能力はあるか?と聞かれれば、一応あるとしか言いようがない。
ではどうしたら開発できたのか?ということに先に応えておきましょう。このセルセラをやったからです。実際に患者さんには、予知能力みたいなのが開発されたとか言う人もけっこう多い。
そうでなくても、運が良くなったとか。小田急線の厚木駅で待っていると急行が通り過ぎてしまい、その後に来る普通に乗っても次の海老名駅では追いつかず乗れないので、いつも悔しい思いをしていたけど、この治療で良くなったら不思議とタイミングよく電車が来るようになった、「先生が電車を操作してるのか?と思ったりして。まさかね」とか。
そういうことを言う人はよくいるけど、これは私自身が体験したことでもある。
「無意識は何でも知っている?」ホントか?
このセルセラはそんなに時間をかけなくても、短期で随分効果がありますが、やればやっただけ良いようで、人間上には上があるみたいです。少なくとも限界はなさそう。
というわけで、調子が良い時にかなり時間をかけてやったことがある。
そうすると、なぜか予知能力も亢進するみたいなのだ。
そういう体験をしたことは何度もあるけど、よく覚えているのは。
リハビリの専門学生時代、寮にいたのだが、ある日の日曜日、リハビリの学校同士(といってもその頃は関東全域でも4~5校しか無い)でサッカーの大会があるということで、出場する人と応援する女性でマイクロバスを借りて行くことになった。
その日の朝、わかったのだけど「必ず事故になる」
バスに乗り込んでいく友人たちを見ながら、止めようかどうかずいぶん迷ったのだが、そんな根拠もないことで止めるわけにもいかないし、皆も言うことは聞かないだろう。しかし、「でも、たぶんそんなことは無いだろう」という考えさえ浮かんでこないのだ。
結局、冷静に考えたら、大したことはないだろうと思えたので何も言わず、気にしないことにした。
果たして事故は起こった。といっても、追突されただけで、運転者はスターティングメンバーから外れて事故に対処し、皆は電車やバスを使って試合は問題なく行われたと聞く。
その日、私は暇だったのだが、今日は必ず警察に捕まるということが浮かんできた。
しかし、用事を思い出したのだ。何だったか憶えていないので、たいしたことではないけど、今日やっておかなくては後でちょっとマズい、というようなことだったと思う。
で、自分の予知を試すような気も少しあって、単車でゆっくり慎重にでかけた。これで捕まるわけないよな、とは少し思った。私は元々慎重に走るし、無事故無違反であった。用事を済ませて、その予知のことはすっかり忘れてしまったと思う。
果たして、通りを曲がった所に警察がいて呼び止められた。そこは観光地なので「日曜休日に限りバスとタクシー以外は右折禁止」という変な交差点、当時はまだ土曜日は休日ではない。
そこはたまにしか通らないし、何となく規制があることは知っていたのだが、日曜日に通ることはなく、曲がって行くタクシーの後にくっついてそのまま曲がってしまったのだ。
警察もそこにたまたまいたと感じで、その交差点で取り締まっていたのではなさそうだったけど、見過ごすわけにはいかない、アンタ運が悪いねという感じだった。
当時、付き合ってはいないが好きな女性がいて、バンドなども一緒にやっておりけっこう仲は良かった。その人は別な先輩と付き合っていたので断念したのだが…
その時にその女性がある病気になることがわかった。それほど珍しくもなくありふれた病気でもないが、その病名までわかった。その時はそんな病気自体、知っていたわけでもないのに。時期はほぼ1年後だが、それもわかった。
もちろんそのことは誰にも言わない。言っても防げるわけでも対処できるわけでもないし。
果たして結局、その女性はその病気になり手術したり、結局留年したが卒業はできなかった。今でも元気でいるはずだけど。
そういうことは何度もあった。
昔、ある知人が競馬に凝っていて、と言っても馬券は殆ど買わないのだが、その人が言うには「全く素人でも3年も研究すれば、かなりの確率で当てることは難しくない。その予測どおりに買えば儲かるはずだけど、買っても当たらない。純粋に当てるだけなら難しくないけど、儲けようとしたらその時点でダメ」などと言っており、なるほどそういうもんだな、と思ったことがある。
競輪・競馬の予想屋が成り立つのもそういうことだろう。
かく言う私もパチンコでかなりの予測ができるようになったが、そうなった頃はもう全くやる気がしなくなり、35年前に大勝ちしてから1度もやっていない。その後は負けるとしか思えないし。
何となく思うのだけど、インテリや知的な人はギャンブルには向かない。動物的な勘が鋭くなくてはダメだと思う。私の知っている人で、大学教授でありながらパチンコが好きで負けてばかりいるのにやめられない人がいる。東京の資産家の師弟で不動産関係など、かなり裕福で何もしなくても収入も入ってくるようだが。
どうも言えることは、純粋でなければダメということである。尾畠さんは「もし見つからなかったらどうしよう」とか、「あんなこと言って、見つからなかったら両親に申し訳ない」などといった「邪念」さえ湧いてこないほど、純粋に見つけたい、会いたい、会えるはずと思っていたに違いない。
それは私の経験からも言える。大した成果を得ることができないのは私のレベルが低いからだろう。
しかし予知能力は役に立つのか?確かに尾畠さんの場合は役に立ったと言える。尾畠さんにとってではなく、行方不明となった男の子と家族にとって、である。
そこで慢心したら尾畠さん自身が危ない。たぶんね。
しかし彼は謙虚であり、己を知っているようだ。
「正直言えば、私は私が怖いんです。放っておくと悪いことをするのではないかという恐怖です。毎日自分を振り返っては、自分自身が悪いことをしたととにかく叱りつけている。これからも私は常にボランティアをして、感謝を続けるしかないんです」とも言っているので、とりあえず大丈夫だ。
それ以来、私はむしろ予知はしないようにした。
予知は役に立たないということでもある。例えば明日、地震が起こるとわかったとして何になるだろうか?今はネットがあるから発信はできるけど、広まることはない。
自分は助かるかもしれないが、他の人に言っても相手にもされないだろうし説得力もない。後で、あの人が言ってた、凄い!なんて言われてもたまたまカンが当たったというだけのことになる。
でも、どうしても邪念が入る。不安や恐怖もあるだろうし、助かりたい、人を救いたいなんてそれ自体が邪念でもある。
地震学者でも占い師でもない人が予知した所で役には立たないし、そうした「専門家」こそ邪念も入りやすく、地震予知などは難しいのだと思う。専門家が言ってもたぶん、正常化バイアスが働いてあまり本気にされないだろうし、当たってもなぜ広めなかっかのか?と言ったことになってしまう。
そのため当たらない、ということにもなるのだが。
予知は敢えてしないことにしたけど、洞察力は随分ついたと思う。精神病だったからたぶん普通の人よりかなりダメだったかのが、追い越すくらいには。
その方が良さそうである。予知にはそれに伴うリスクもある。
「無意識は何でも知っている」のかはわからないが、無意識を意識化すれば、洞察力も高まり、かなりのことは知ることができるようだ。
精神的に健康な人は概して運が良い。
無意識と意識にあまり矛盾がなく、普段の意識の中に予知能力のようなものが洞察力にも含まれていると思う。
不健康な人は、恐怖や不安、強迫観念、人によっては欲得がそうした能力を捻じ曲げ、阻害しているようである。
欲得もホントにそれを望んでいれば、一応実現するのだが、それに相応したマイナスもあり落とし穴に嵌る。
というわけで、このセルセラは精神の健康に役立つものでもありますが、洞察力の向上にも、無意識の意識化にも役立ちますが、純粋で素直になれる方法でもあります。純粋に活用されたし。
私が提唱するこのセルセラは神経の状態を改善し、働きを良くすることでもあるが、予知は預知でもある。預言、預知は神の意思を預かり知るということでもある。神経とは髪に通じる経絡という意味か?よく言ったもんだ。やはり思い上がっちゃいけない。尾畠さんを見習って自戒しなければ。
セルフ・セラピー研究所