最近の精神医療の動向 2016年夏

【最近の精神医療の動向 2016年夏】
もちろん大したトピックがあるわけでなく特に良い知らせもありませんが、反精神医療派や批判者や我々の影響力もあり徐々に精神医療問題はどちらかと言えば縮小には向かっています。
同時にあの手この手で宣伝やコンサルティング会社、製薬会社、精神科医は性懲りもなくまだまだ問題・被害を拡大しようともしているわけですが。
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※薬物中毒死の半数以上を占めるベゲタミン。ついに販売中止になりました。
ベゲタミンやベンゾジアゼピン系の睡眠薬や精神安定剤の危険性についても以前こちらにも書いたのでご参照ください。
睡眠薬・抗不安薬、処方量でも危険… 依存症にご注意! ベンゾ系、ベンゾジアゼピン
http://68631324.at.webry.info/201608/article_10.html

精神医療過誤、向精神薬害問題の基本
http://68631324.at.webry.info/201608/article_57.html

ベゲタミンは日本の発明、kyupin(ネット上で有名な精神科医)は神の薬と崇め奉り、最初から処方したり多用している薬です。
精神科医でもあまりに危険なことはわかっている人もいないわけではなく、最後の睡眠薬とも言われています。
kyupinのような極悪はいくらなんでも別として、近年では一般の「良心的精神科医」は睡眠薬中毒・依存症となり、もはや何をやっても眠れず、薬を止めると離脱症状で錯乱するような人に対して、ベゲタミンは最終的手段として処方することが多い薬です。
もはやその頃はベンゾの作用(副作用)で身体疾患も満載のはずだし、廃人化を加速されるがそれもやむしということで。
それで死亡したとしても、心臓でも止まれば心疾患で死んだとしか扱われません。薬物の影響は長期にわたり因果関係は証明できないので。
ベゲタミンは私が生まれる前の年、1950年代後期に開発され翌年から使われるようになったらしい。当初から危険性は分かりきっていたが、それ以前の致死量が極めて低く危険性の高い睡眠薬よりはまだマシ、多少は安全ということだったのでしょう。パビルツレート他3種合材という恐ろしい薬ですが、何も考えずに作ったとしか思えません。
それから既に60年近く、ようやく販売停止です。どれだけ多くの人の命を奪ったことか…、年間1000人とも言われており、何万人にもなるのでしょうか?
その後、1960年代後期にはベンゾジアゼピン系の睡眠薬が開発され使われるようになりましたが。ベンゾは安全と安全神話がまかり通ってしまい、今でも信仰している精神科医が殆どです。安全とはたくさん飲んでも簡単には死ねないというだけです。
旧来の睡眠薬は致死量が低く少し多めに飲んでも死んでしまいますが、古い映画なんか見ると自殺や心中などよく出てきますが。
ベンゾも数年後には依存性、危険性については言われており、私も中学の時に、たぶん立ち読みした本でそのことは知っていました。
薬のことはアリスパパ、中川聡さんが詳しいです。私は基本的なことは昔から知っていますが、細かいことは今も詳しくはありません。向精神薬なんて野蛮なものは廃れるに決まっている、見るのも聞くのも悍ましいと勉強もしなかったので。
その程度の認識は当たり前とも言えるでしょうけど、精神科医や薬剤師はほとんど何もわかっていません。
中川さんの奥さんも重症な精神病でもないのにデパスから始まってベゲタミン中毒になり亡くなられたようです。
ベゲタミン販売停止のその後-次の課題 ブログ:八咫烏
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12171771717.html

ベゲタミン販売中止-万感胸にせまるが-
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12171246246.html

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※デパス、アモバンが向精神薬に指定されました。
デパスも日本の発明らしく、そのためか向精神薬に指定されていませんでした。向精神薬とは要するに麻薬・覚せい剤の類ということであり、指定されれば良いわけではありませんが、一定の警告、注意喚起にはなると思います。今まであまりにも安易に処方されていたことを考えると一定の歯止めにはなるでしょう。
デパスはベンゾ系ではなく類似のもので、抗不安薬・精神安定剤として使われていますが、まさに麻薬、神経毒薬です。依存性はその手の向精神薬の中でもダントツに高く、ゆえに患者さんからも精神科医からもとても人気のある薬です。
一般に向精神薬と麻薬・覚せい剤の違いは、多幸感など気分が良くなったりすることは少ないですが、デパスはそうした作用が大きいのです。
服用した患者さんの殆どは、短期でデパス依存症となってしまい止められないので、デパス欲しさに通院・服薬を続け、病院や主治医も変えたがらないことが多い。そのためデパスは病院経営の安定に役立つ大変優れた薬とされ、そのようなことを堂々と書いた論文さえあるようです。
デパスと言えば、私の友人(かつてリハビリ専門学校の同級生で精神病院職員)も重度の依存症になってしまいました。
自称「燃え尽き症候群」などと言っていましたが。
80年代から90年代の終わりにかけて「○○症候群、シンドローム」という言葉がずいぶん流行りましたね。
アダルトチルドレンとか、ピーターパンシンドロームなんかは流行りましたが。PTSD心的外傷後ストレス障害はあまり流行りませんでした。些細なことがトラウマとされ病因となるようなトラウマは無視され、むしろ矮小化された形では広まりましたが。Sさんが言うようにPTSD否認で今に至る。
そうした言葉の流行も、悪い意味で精神医療の敷居を下げることに繋がり、結局最も聞こえの良い病気、うつ病に収束し、「うつ病キャンペーン」向精神薬被害拡大の伏線、前哨にはなっていたと思います。脳の病気とは言っておらず、どちらかと言えば心理主義でそう悪いこととも思いませんでしたが…
専門学校の同級生は同じ学科の男は私と彼ともう一人の3人だけ、3人のうち私ともう一人は大卒で、彼のみ高卒で年も5~6歳下でした。卒業後は結局3人とも精神科病院に就職し、リハビリ職員、精神医療従事者となったのですが…。
私は子供のころから基本的にはこのブログに書いてあるようなことは知っていたし、若いころから考えも変わりません。我ながら進歩ないですが。
その自称「燃え尽き症候群」のクラスメイトにもいろいろ教えていたし、彼も精神医療従事者だし向精神薬の問題は知らないわけではなかったのです。でもやっぱりあまり理解はできなかったのでしょう。
卒後何年かして学園祭があったときに久々に同級生が集まろうということで会いましたが、すっかり薬物依存でラリって目がイキまくっている。
こっちで楽しそうに話していたら、話の内容よりそのこと自体が気に食わないのか一触即発という感じで、暴れだしたら押さえつけてやると思いつつ、遠慮はせず話が弾んでいたのを覚えています。
彼の主治医は昔大学紛争華やかかりし頃、金沢学会でも大騒ぎし、東大紛争で活躍し、東大病院を占拠し、反精神医療派としてブイブイならしたヤツです。彼はその精神科医を尊敬しており、彼自身も新左翼党に入って活動したりしていました。
反精神医療と言ってももちろん治療ができるわけではないし、精神病理を理解できたわけでもなく、他の何かができるわけでもない。結局、薬漬け藪医者にしかなれません。
私のことをタダの同級生と考えそんな藪医者のことを尊敬するのは極めて失礼な侮辱であり、理不尽ですがまぁ仕方ありません。数少ないクラスメイトです。
電話で彼に…
「何が反精神医療だ!何が燃え尽き症候群だっ!このバカチンがっ!お前の病気は薬物中毒、薬物依存症だろっ!」
「どんなに苦しくてもすぐに薬をやめろっ!止められなければお前の主治医のバカ医者に『薬物依存症患者に薬飲ませるとはどういうことだっ!』と怒鳴りつけてあげるぞ。」
(彼も精神医療従事者であり向精神薬のことは知らないわけではないので離脱症状無視)
「そんなバカ精神科医を尊敬して俺の言うことを聞かないならば、一切縁を切る」と強く叱責し電話を切りました。
その後しばらくして会ったときには、すっかり元に戻っており「あの時言われたことがショックだった」とは言ってましたが。そんなこと学生の時から教えていたのに…
後で知ったことはやはり想像以上のヤク中ぶりだったようです。モンスタークレーマーになりデパートの店員にイチャモンをつけ、あわや逮捕されそうになったり。そんな奴ではなかったのですが。
私とは滅多に会わないし電話もたまにしかしないし、やはり実情は知られたくないようで具体的なことはあまり聞いていませんでしたが。
人伝に聞くには、小さい子供もいましたが奥さんからも逃げられ離婚していたそうです。その奥さんも彼がデパスを止めてから戻ってきたので同一人物と再婚しました。
彼はその後、放送大学や大学院も卒業し、今では某私立医大の教授になっています。もし、そのままデパス漬けだったら今頃は廃人になっているに違いありません。
私には足を向けて寝られないはずですが、私の言うことを聞いて止めたのは定かではないし、もちろん恩を着せるつもりはありませんが。
私は上述のように親切で優しい人なので誤解なきよう。精神科医ではしありません。
「気を付けよう!甘い言葉と精神科医」。
デパスは意外にも割に副作用も出にくく、何年か服用するとドッと神経崩壊、身体崩壊することが多いようです。ベンゾ系睡眠薬や安定剤も基本的には同様ではありますが。
10年大丈夫でも11年目には一気に崩壊したりする。因果関係は証明できませんが明らかです。
ALS筋萎縮性側索硬化症様の筋肉の萎縮、神経麻痺のような状態になったり横紋筋融解症など。そんな人を何人も見たことがあります。
そうなってしまうともはや薬物を止めてもどうにもならないことが多い。横紋筋だけでなく内臓の筋肉も崩壊するし、心臓止まって死亡しても医者にとっては心不全で死んだというだけです。
話を戻して…
アモバンは非ベンゾジアゼピン系の睡眠薬です。もちろん非ベンゾ系といっても危険性は高くむしろそれ以上です。ハルシオンほどではないですが反跳性不眠になることも多い。
よく知られているのは、夢遊病のようになり、明け方コンビニに出かけ、何か買って食べるのですが当人は全く覚えていない。食べかすは散らかっているしブクブクと太ってレシートもあるしお金も無くなっているので、状況証拠はあるのですが、などなど。
他の非ベンゾ系睡眠薬も新たに続々と発売されているようですが、もちろん危険です。
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※急速に広まりつつある光トポグラフィー検査、うつ経頭蓋磁気刺激治療(TMS)
うつの最新の治療方法としてもてはやされましたが、これは保険が効かずものすごくお金がかかるのであまり広まらず、新宿クリニックのような限られた病院でしか受けられませんでした。最近、コストが低くなったのか?他の病院でもずいぶん宣伝するようになりました。
これについてもずいぶん前に前に書きましたのでご参照ください。
NHKスペシャル「ここまで来た!うつ病治療」
脳血流の画像診断装置光トポグラフィーNIRS・磁気治療法
http://68631324.at.webry.info/201608/article_48.html

脳血流の画像診断装置・光トポグラフィー(NIRS)、磁気治療法 2
http://68631324.at.webry.info/201608/article_47.html

そこでは、頭にピップエレキバンドでも巻いたほうがいいぞとか、脳の血流の問題なら逆立ちでもしたほうが良いに決まってる、などと書いたら「ウツに逆立ち」と言うのはずいぶん広まったようで、ネット上ではよく見かけるようになりました。
もちろん逆立ちでも「うつ病」は治りませんが、健康法としてはよいと思います。
壁を背中ではなくお腹側にするとやりやすいです。
磁気刺激治療(TMS)の良いところはほとんど効果がないことです。要するに電パチ(電気ショック、電気けいれん療法 ECT)を弱めたようなものなので。
電気ショックECTの方が効きますがもちろ良くなるわけではなく、脳を激しく破壊する。精神科医は短期記憶がなくなるだけと言いますが、もちろん彼らにはわからず、当人にも脳の崩壊はわかりにくいことが多いのです。周囲の人にも良くわからず良くなったと錯覚することも多い。
電気ショックECTはほとんど廃れたのですが、うつ病など抗うつ剤ではもちろん良くならないので、これも最終的手段として復活し、多用されるようになり、今ではうつ病治療の第一選択肢とさえ言われています。
あまりにも危険で脳破壊になるし、死亡例も多いので、その代わりに磁気刺激療法がもてはやされてきたという事情もあります。磁気刺激の方が電気ショックECTよりはだいぶマシで、脳破壊の程度は軽いので効き目も小さく、たぶん受けても死にません。もちろんお勧めしませんが、お金があって脳が頑丈な人、もしくはどうなってもいい人はお好きに。
私は貧乏人の味方なので逆立ちをお勧めしますが。安全には注意してください。
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※大人のADHD、発達障害キャンペーン、病気喧伝、疾患喧伝の爆発的拡大
大人のADHD、発達障害キャンペーン、病気喧伝、疾患喧伝はものすごい勢いで行われています。今となっては多くの被害者を出した「うつ病キャンペーン」でさえ、かわいいものに思えてくる。今更、精神科医もうつ病は早期に受診し抗うつ剤を飲めば治るなんてことはとても言えません。
やはりお金の力でしょうか。
こちらは色男、金と力はなかりけり、多勢に無勢ですが。治療法だけは持っているので。
発達障害(誤診)についてはこちらに書きましたのでご参照ください。
発達障害 (1) 発達障害(誤診)の拡大と混乱
http://68631324.at.webry.info/201608/article_7.html

発達障害 (2) 発達障害(誤診)の病名など(ADHD、注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群)
http://68631324.at.webry.info/201608/article_6.html

発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害
http://68631324.at.webry.info/201608/article_5.html

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精神医療の利権構造、精神医療薬害被害者の経緯

精神医療の利権構造、精神医療薬害被害者の経緯、こどもの薬害(発達障害キャンペーン)

これはわかりやすくて、よくできた図なので転載させていただきます。一般の人も理解しやすいと思います。元ネタはアリスパパさんのブログ「八咫烏」からです。
精神科 街角牧畜ビジネスの利権構造-ほんとうにこれで良いのか
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12187369722.html

マスコミといっても、広告会社やコンサルティング会社が病気喧伝の主導者なのだろうけど。

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精神医療薬害被害者は驚くほど同じような経緯を辿る
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12187159681.html

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こどもを取り巻く精神医療の功罪を考える-こどもの被害チャート
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12187659616.html

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私もこういう図を描くのは得意だったんで、描いておけば良かったんだけど。面倒なので。
30年前、大学に入職した当時、貯金ゼロなのに100万も出してMacintoshを買いまして。ずいぶんいろんな人の論文や著作の図や学会発表のスライドとか作るのを手伝ったことがあり{ます。
当時はまだロトリングや関数電卓の時代。パソコンはようやくNEC98が出回りだし、DOS/Vやウィンドウズはまだまだそれから後のこと。やっぱりやってないとダメですね。何事も。

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ドーピングの深い闇、向精神薬のもっと深い闇(同じことですけど)

ドーピングの深い闇、向精神薬のもっと深い闇(同じことですが)
スポーツには関心はないが、(一応趣味の自転車や山歩きもスポーツかもしれないけどそれ以外の)この記事にはちょっと関心をもった。
私はスポーツの結果などどうでもよいと思っているので、関心はないのだ。
もっとも運動学的なことやメンタルのことなど、それに付随することに関心がないわけでない。
昔から喧嘩や争い事、競争や勝負事、記録更新など大嫌いである。
柔道の教師にはダンスやってんじゃねぇっ!と殴られた。
運動会も相手が勝ちたいなら勝たせてあげれば良いじゃん、としか思わない。
昔から勉強もスポーツもろくにしたことはない。なるべく逃げるようにしていた。遊びもあんまり。そうせざるを得ない事情もあったが。
負けるが勝ち、勝ってもまた負けるかもしれないし、上には上がある。
最初から勝負しなければ負けることもない。究極の負けず嫌い。
それゆえ、誰も知らないこと、できないこと、やらないことをするしかなくなってしまうのだが。
高校のときに入ったワンダーフォーゲル部では、もちろん記録を出すわけではないがやたら早く登るが至上のようで、ついていけず2カ月で辞めた。
高校にも入って水飲んじゃダメだとか、教師も含めて真面目は良いのだが、面白くないやつばかりだったのでガッカリした。
2流だが一応進学校なのでそんなバカばかりだとは思わなかったのだ。
辞めて欲しければ辞めろと言えばイイのに。辞めるなんて根性の腐ったヤツだ。男じゃない人でさえなし。
そんなのは強迫観念だ。心にも無いことをいうものではない。一応、心にはあるということになるけど。3年会長(天皇)2年重役、1年奴隷
彼らは今もクソ真面目に社畜などやってるのだろうか?そろそろ定年だな。
「何しに山に来てると思ってんだ!遊びに来てるにきまってんだろっ!」
喧嘩というより殺し合いになりそうなので、そんなことは言わなかったが。根性がないのは事実であった。
実際に体育館の裏に武器を用意して辞めた。先輩も察したのか俺なんか辞めて欲しいと思っていたためかコトには至らずに済んだ。続いて他の1年生もぞろぞろやめた。
今でも不思議でしょうがないことがあるのだが。
1年がテントや食料など共同装備は全部背負うので、2~3年は自分の着替えや寝袋、個人用の水くらいで、ごく軽いヒモのナップサックでも済むはずなんだが、我々1年と同じくらいバカでかいキスリングを背負っていた。
一体あれには何が入っていたんだろうか?
まさか羽毛布団とかじゃないよな。普通に寝袋で寝てたし。
(そのころは寝袋ももちろん羽毛ではなく化繊でさえなく綿であった。)
おかげでリハビリの専門学校では山部で楽しくやってましたよ。
可愛い子多かったし、すぐ休んでお菓子食べたり歌を歌いながら歩いたり。
8年前から山登りを再開し、時々のんびり歩いてますけど、最近は自転車に乗ることが多い。楽に走れるサイクリング車を開発中。山には高齢者が多いけど、サイクリングをする人は少ない。
高齢者のサイクリングを提唱していきたいと思います。それも健康づくりの一環。私は医者と違って医療の縮小を目指しているのです。
例によって前触れが長くなったが…
※以下引用 たぶんもう見れないので全文引用 問題あったら言ってね、朝日新聞さん。
朝日新聞弟デジタル
「不公平が大嫌い」 ドーピング批判続ける金メダリスト
河野正樹2016年8月6日00時02分
 5日夜(日本時間6日朝)にいよいよ開幕を迎えるリオデジャネイロ五輪。しかし世界最大のスポーツの祭典には今回、ドーピングの問題が大きく影を落とす。2012年ロンドン五輪の陸上男子円盤投げの金メダリスト、ロベルト・ハルティング(31)=ドイツ=は、現役選手としては珍しく、一連の問題で国際オリンピック委員会(IOC)や国際陸上競技連盟の対応を公然と批判してきた。

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特集:ドーピングの深い闇
リオオリンピック
陸上の日程・記録
 「IOCはスポーツ界に目を覚まさせるチャンスを逃した。気分の悪い結果だ」。条件付きとはいえ、ロシア選手団のリオ五輪出場を認めたIOCの決定に対し、ハルティングは語気を強めた。同じドイツ出身のIOCバッハ会長に対しても、「クリーンな選手の痛みをわかる能力がない人だ」と手厳しい。
 旧東ドイツのコトブス出身。両親も陸上選手だった。当時は国家ぐるみのドーピングのまっただ中だった。母も筋肉増強剤などを強制されそうになったが、15歳で肝臓を悪くして入院したため、ドーピング禍から免れたという。ただ母は、一緒に練習していた友人たちの声色がどんどん低くなり、体が変わっていくのがわかった。選手たちは運動能力への効果は知らされていたが、副作用については何も教えられていなかった。ハルティングは母から「当時は選択の余地はなかった。ノーと言えば全てを失った」と言われた。
 多くの現役選手が口をつぐむ中、ハルティングは批判をやめない。「貧しくて物が無い中で育った。不公平なことが大嫌いなんだ」と話す。昨年8月、ロシアのドーピング問題が次々と報道されても対応策をとらなかった国際陸連に対し、ドイツのチームメートとともに動画投稿サイトで怒りを表明した。「国際陸連は選手たちの意見を代表していないと示したかった」
 動画は一時的に話題を呼んだが、国を越えてほかの選手を巻き込むようなキャンペーンには広がらなかった。「選手たちは怖がって、スポーツそのもの以外の問題に余計なエネルギーを使うことを嫌がる」。選手全体が一体となることの難しさを感じたという。
 女子円盤投げの世界歴代トップ10の記録はすべて、1980年代に、ドーピングが横行していた旧東独やルーマニアなどの選手が自国や隣国で出したものだ。皮肉交じりに「永遠に破られない世界記録」と称される。
 ハルティングは、「例えば、(男子選手の円盤の重さが)最低2000グラムと定められている規定を、2001グラムに変更して、これまでの記録をリセットする方法もある」と話す。ドーピング問題が認知されていなかった時代の記録を見直すことも考えるべきだという。
 自身は、ロシアのドーピング問題を告発した陸上女子の中距離選手ユリア・ステパノワの活動を助けるクラウドファンディングを主導し、ネットで寄付を集める。検査機関が整備されていない国でもしっかり検査できたり、子どもたちを教育する環境を作ったりするために、反ドーピングのための基金を作ることも提言している。「政治やビジネスの世界でも詐欺があるように、スポーツでもドーピングという詐欺を完全に消すことはできない。それでも黙っていることは悪いこと」。リオ入りしてからも、警鐘を鳴らし続けるつもりだ。(河野正樹)
ドーピング問題はいろいろ考えさせられる。
自転車の世界ではアームストロングのドーピングが何年もたってから発覚し、栄誉をはく奪された。彼は選手のとして優れた結果を残しただけでなく、人間性や人格さえ評価されていたが。
俺が自転車競技に関心があったのは小学校高学年から中一位、メルクスの頃だけである。当時は情報が極めて乏しかった。もっとも関心があったのは競技ではなく自転車そのものだ。
向精神薬が良くないのはドーピングが良くないのと同じだと思う。
健康などどうでも良い、結果さえ出せれば人生はどうでも良い、自分の身体を自分がどうしようが勝手というわけではないはずだ。
スポーツ偏重、結果至上主義ならばドーピングは必至、バレさえしなければ良いということになってしまう。
私もやはり「不公平が大嫌い」である。
だったらドーピングを解禁すれば良いのか?みんながやれば不公平ではない?
皆がやっても自分だけやらなければ良いのか??
受験勉強のために向精神薬(麻薬、覚せい剤)を服用するなんてことも、そろそろあるのかもしれない。昔からそういう話はあったけど。米国なんか実際にもあったのか?
もっとも昔は労働のためにヒロポン(一般に市販されていた覚せい剤)を服用する人もいたが、今でもADHD発達障害として子供に同様の薬であるストラテラやコンサータなど児童精神科医と称する人が飲ませている。もちろん効き目はありますとも。覚せい剤なんだから。
ところで向精神薬は病気なんだから仕方がない、ドーピングとは違うと言う人もいるだろう。
身体の病気なら薬物は必要悪という場合はもちろんあるが、向精神薬のメリットはせいぜい目先の効果しかない。
私も向精神薬については100%反対ではないし、誰が何をしようと他人の勝手、他者に迷惑をかけなければ自由だと思う。
末期がん患者にモルヒネなと完全に否定することはできない。それはもう人生終わったようなもんだということが前提だ。
もちろんそうなる前に、病気にならないように、苦しまなくて済むようにすることは大事だが。
そうなってしまって手遅れとしても他にやりようもないわけではない。
要するに向精神薬はドーピングと同じく不公平ということだ。
仮に健康に有害な副作用(作用)や危険性といった薬害問題がないとしても、不公平それだけでも向精神薬を拒否する根拠になると思う。
ドーピングで作った記録は自分の記録ではない。服薬しながらの人生は自分の人生ではない?
実際に何年も服薬した人は、服薬中の自分はほんとの自分ではなかったという人が多い。
10年以上服薬して、奇跡的に薬がうまく効いて副作用や薬害らしきものがない、という人も診たことはあるが、やはりここ10数年の自分は自分ではない、自分の人生ではなかったとだんだんと苦悩するようになっていた。
もっとも10年大丈夫だからって11年目には身体がボロボロになって死ぬ人だって多い。5年は大丈夫だったが7年目には、という人ももちろんたくさんいる。
こういうケースはいかなる統計にも研究にもなり得ない。エビデンスとはそうしたことが前提である。
もちろん精神科医の頭の中にもない。あるのはせいぜい目先の結果、他人の成果は自分のもの、自分の害は病気のせいである。精神疾患の症状も副作用も離脱症状も後遺症も全部患者の病気のせいだ。
話を戻して、人生もスポーツも似ているところが多い。
精神疾患も基本は環境因、心因ではあるが、持って生まれたものが関係ないわけではないし、親だって環境だって自分では選べない。
子供は自分の親を選んで生まれてきた、というのも正しいとは思うけど
実際に自分で親のこと知って選んで生まれたわけではない。
私の親もロクでもない親だったが、母親から聞いたことでわずかながら良いこともあった。
何だか忘れたけど身体の健康のことで不安になり、何か聞いた時のことだったと思う。小学校3年くらい。
「自分の身体は自分のものではなく神様からもらったものだから大事にしなさい」(母親は一応キリスト教徒)
宗教はともかくとして、今となっては現実的に自分のものではなくなったと思う。死ぬまでに世に果たさなくてはならないことがある。
母の教えを守ろうと努力はしてきた。皆様も自分の身体は大事にして欲しいと願ってきました。
んでまた、話を戻して…
スポーツだって人生だって生まれながらの資質や才能も大きいだろうけど。
やはり環境の問題も大きい。運命、運命というべきか。
しかし悪い采配のカードでも、悪い星の下であっても、何とかしていくのがゲームでありスポーツであり人生だろう。
不安も恐怖も抑うつも、精神症状とされるものは誰にでもある。
ストレスやひどく傷つくことも、パワハラやいじめなど社会に生きていればいくらでもある。
程度や状況がそれぞれ違うだけだ。病気にかかるかからないということではなく、不健康の程度がひどいければ病気だというだけのことである。
周りが悪いとしても解決、もしくは克服するのは相手や周囲ではなく自分でしかありえない。自分が変われば周りは変わる。
過去と相手は絶対に変えられないが、自分が変われば少なくとも未来における過去の影響(トラウマ)や、相手の自分に対する対応は変わる。
つい最近まで殆どの人は病院など行かず、何とかやっていただけだ。
何とかならないことももちろん大いにあったが。
患者が増えたのではなく、病院を受診する人、服薬する人が増えただけだ。
自分自身の問題を「何とか克服する」のが治療でもあるが、自分だけではどうにもならない、どうして良いのかわからないことが多い。
その最たるものが、幼児期からの自分が覚えていないようなトラウマであろう。もちろん虐めや災害や犯罪被害などのトラウマもあるが。基本的にはみんなトラウマに屈服して人生を送ってしまう。
だからこそトラウマを克服し健康になるためには専門家が必要なのだが。
他者の指導や援助を受けることは良いことだし必要なことでもある。
しかし薬にも物質にも、人や物事にも依存してはいけない。
精神科医や臨床心理士は自らを救うためには最も相応しくない。むしろ彼らは自分で自分の首を絞める縄を差し出すようなものだ。
障害者は不幸で可哀想、生きている価値がないから殺す。植松聖も精神科医もナチスも基本的な考え方は大差ない。自覚的であるか無自覚であるかの違いはあるが。
禍福は自ら招く糾える縄の如く、災い転じて福と成す。
求めよさらば与えられん。天は自ら助く者を助ける。

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なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)

なぜ精神医療過誤・向精神薬害が拡大したのか?(患者側の問題)。
精神科医も患者もバカだから、騙し騙されたのか?
そういう面もあるだろうけど、人間なんてそもそも愚かで弱いものだ。
そこから出発するしかない。
アンタかてグーミンやろ、ウチかてグーミンや。ほな・いこか
(ハナ肇、古いなぁ)
本来医療はなるべく原因に近いところから治療を目指すべきだが、近代西洋医学は無自覚に目先の対症療法を目的化させてしまった。
原因と結果の逆転は精神医療においては甚だしい。
「うつ病はセロトニン不足」⇒原因ではなくせいぜい結果の一面だ。
もちろん悪しき資本主義、金儲け主義という面はある。
医療は患者を簡単には死なないように悪化させ、ずっと精神科病院に通わせれば一番儲かるし、最も優れたビジネスであり、その意味ではあらゆる産業の中で医療は最も成功した例と言える。
現代ビジネスは、いかに相手から恨みをかわないように、恨まれても反撃されないようにしつつ、相手から最大の利益を得るか、というのが無自覚に目的化されている。一方では、消費者は自分にとって有利で合理的な行動をするのだから、需要に対して供給し利潤を追求するのは善であるといった価値観が、無自覚な自明の前提になっている。
近代資本主義には常にこうした矛盾や欺瞞を内包しており、その乖離は精神医療において最も甚だしいと思う。
医療訴訟が起こり裁判沙汰になっても医療側は負けないし、負けても損失は僅かで、痛くもかゆくもないし、そもそもコストに織り込み済み、もちろん暴動など起こりようもない。
製薬会社や精神科病院・心療内科に対する焼き討ちなど起こって当たり前という気もするけど、もちろんテロは許されません。
しかし精神医療過誤・向精神薬害の本質は、金儲け主義でも、「陰謀論」でもないと思う。
「陰謀論」なんて昔は左翼の人が言ってたもんだ。若い頃の私は左翼ではなく、エコロジストだった(まだそんな言葉はない)。「自分たちさえ、目先のことさえ良ければというのは最もエコに反する」とか言ってた。(若気の至り)
しかし、なぜ良くなりもせず有害な向精神薬を使うのか?
それ以前にそれが認識されないのか?といったことは、随分長いこと、少なくとも40年以上は考えてきたが、正直なところ未だによくわからない。殆どの精神科医はもっとわかっていないはずである。
もっとも、かつては向精神薬が処方されるのは重症な精神分裂病患者が殆どで、それも良いことだとは思わないが、一部の場合については必要悪という面も認められないではなかった。
優生思想、もちろんそれもあるだろうけど。
精神科医は表に出さずとも前近代的な優生主義の人が多い。自分たちはエリートで優性とでも思っているのか?「医者に非ずは人に非ず、まして患者においてをや」
もちろん一般の人も多かれ少なかれ優生思想を克服・脱却できていないだろうし、そういう面は私も無いわけではないが、それを克服する努力は常々してきたつもりだ。
いつものことだが前置きが長くなっても何だし、他の人たちが言ってることをここで繰り返してもしょうがない。
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ほぼ全方面から反感をかいそうなので、というより仕事に支障も出そうなので、正直、今までブログに書く勇気もなかったんですが、ズバリ言ってしまうと…
精神医療過誤・向精神薬害の本質は「抵抗・防衛」「転移」といったことであると思う。
精神分析的に言えば。
「抵抗」とは…、
患者は意識的、主観的には良くなりたいけど、無意識的には良くなりたくない。良くなることは無自覚に抵抗し拒否する。
「防衛」とは、抵抗と表裏一体みたいなもんだけど。
患者は辛い症状は取ってもらいたいが、自分の病理性はむしろ手放したくない。無意識に病理性を防衛し固守しようとする。
「防衛機制」というのは抵抗・防衛の分類でもあるが、一般的には臨床上というよりその日常的な現われ。これは中学の保健体育や高校の倫理社会の教科書にも書いてあるので、覚えている人も多いと思う。
否認、退行、解離、抑圧、反動形成、分離、打ち消し、投影(投射)、取り入れ(摂取)、知性化、合理化、向き換え(自虐)、昇華、分裂、といいったアレである。
私はこれを教科書に見つけたとき、こんなに凄いこと、役に立つ正しいことを中学生に教えしまって良いものだろうか?教科書会社や文部省はどうなってるんだ!と驚いてしまった。(授業ではやらなかっと思うけど)
文字通り中二病だったので、教科書に書いてあることは勉強する前に疑え、と全く勉強はせず、中学三年でフロイトの「精神分析学入門」を読んだが、中学三年間を通して勉強したことはそれ以外には殆どないように思う。
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当然、患者さん当人は認めたくはないだろうし、反感もあり、反発するだろうけど、主観的には良くなりたいが無意識には実は良くなりたくない。
無意識にあるということは「ある」というだけではなく、意識せずとも行動や結果に必ず現れるということである。
したがって、いくら有害なものでもあっても患者側に精神医療、向精神薬漬けを求める「合理的なニーズ」があったことになる。
「新型うつ病(実際にはディスティミア神経症だろう)」の人に疾病利得感情を見出す人は多いだろうが、そうした人でなくとも患者の多くは意外に病識が無い。
もちろん自分の苦しい症状には自覚しているが、自分の精神の健康や幸福を阻害している本当の理由、要因を認識して理解し、それに対処することを避ける傾向がある。
それは過去の心的外傷(トラウマ)についてもそうだが、現在の自分のあり方についても。
これでは悪しき精神医療、対症療法至上主義に引っかかってしまうのも当然である。
病気の症状(痛みや熱など)は病気の原因でも本質でもなく、痛み止めと解熱剤だけでは患者は死んでしまうかもしれない。風邪のように短期で自然に治る病気ならば、それでもいいだろうし(良くないという話もあるが)、対症療法も必要悪という面は否定できない。
しかし、向精神薬による薬物療法は対症療法としても甚だ有効性に乏しく、もちろん有害性、危険性は高い。
精神分析学の祖フロイトは、真の精神医療を阻害するこうした無意識の要因、心的機制を看破していた。
良い治療があっても、患者の病理性の克服のために有益なことであっても、患者はそれを無自覚に拒否するので、その前に無意識の抵抗・防衛や転移を意識化、自覚・対象化して克服する必要がある、というのが精神分析の出発点であろう。
そのために必要とされた精神分析療法、自由連想法は治療法ではなく、探索法・研究法である。患者にとっても分析者にとっても。
治療はなくとも膨大な時間や労力、お金をかけてもその意義があるとされたのである。実際にそうかもしれない。
従って、多少とも精神分析をかじっている人の中には、精神医療過誤・向精神薬害の原因に抵抗・防衛を見出す人もいると思う。
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ここからは殆ど誰も言ってないのではないか?
基本的な見方や考え方としては既に精神分析の中にもあるけど。
実は治療者側、精神科医にも臨床心理士や心理カウンセラーにも、患者の友人知人など周囲の人(特に親や家族)にも起こる。しばしば患者本人以上に激しく。
これに気づいている人は殆どいない。
患者本人よりも、親や家族、場合によっては親友など周囲の人の方が、自分と他人の区別がついていない人が多い。親離れ子離れは、精神の自立は精神発達上だいじなことだが。
抵抗・防衛や転移は無意識の心的機制であり、患者に起こるものと考えるのが一般的であるが、それはきちんと教育や訓練を受けた精神分析医や心理療法家が適切なセラピーを行っている場合のことであって、実際の精神科医と患者関係の場合はむしろ逆の方がはるかに多い。
もちろん無意識に起こることであるから、精神科医本人には自覚されない。
それ以前に、ほとんどの精神科医は精神分析否定、否認であり、抵抗・防衛や転移といった概念について知識はあっても理解している人は殆どいない。
(この問題についてはまた項を改めて論じるつもりです。)
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上述のような両者の無意識の心的規制によって、ものの見事に患者と精神科医、需要と供給の利害が激しく合致してしまうのである!!
精神科医とて患者を害したくて害するわけではない。少なくとも当初は患者の役に立ちたい、救いたいという思いはあったはずで、主観的にはその後もずっとそうかもしれない。また、精神医療は100%有害というわけでも、もちろんない。
「精神科医は合法麻薬の売人です」なんてブログもあるし、実際にかなり正しいけど、だからこそ患者も精神医療に群がる。
違法性がなくて安ければ麻薬、覚せい剤の類をやりたい人はいくらでもいるのではないか?ちょっとくらいお試しなら。
「覚せい剤やめますか?人間やめますか?」なんてフレーズは知らない人はいないだろうし、とっくに耳タコでも。
脱法ドラッグ、危険ドラッグも蔓延しているが、この手は長い歴史の中でもあとをたたない。
酒は過度でなければ害は少ないが、過度をとっくに通り越した飲酒者が非常に多いのも似たような事情ではある。
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向精神薬害を唱え、断薬、減薬すべしという人も、薬害に気づく患者も多くなった。
しかし不思議なことに莫大な被害を蒙っている患者当人が断薬、減薬に抵抗する。もちろん薬物依存(精神依存)はそのようなものであるが、効果が無く症状は改善せず、ひどい副作用に悩まされており、様々な身体病さえ引き起こしているのに、そういう人が薬物肯定派だったり、減薬・断薬が必要なことはわかっていても受け入れなかったり。
そんな例は数えきれないくらい見ている。
※断薬・減薬の指導をしているわけではありません。(念のため)
もちろん苦しい離脱症状が嫌だというのもあるし、向精神薬のため脳が上手く働くなり判断ができなくなるという理由もあるが、それだけでは説明がつかない。
既に精神科医(加害者)と患者(被害者)の間で、負のラポール、奇妙な相互信頼関係に基づいた主従関係が形成され、ストックホルム症候群のようになっている場合が多いのである。
負のラポールは、独裁者と国民、DVカップルの共生関係、重症なアルコールや薬物依存症者とその妻など,患者と毒親、などに優位、支配的であり、実際に重症患者にはそのような人間関係以外を殆ど知らない人もいる。
ストックホルム症候群とは「誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意、信頼などの感情に基づいた関係形成」のことである。
もちろん、薬を飲まなければ悪化する、医者の言うことを聞かない患者は診察しない、薬を処方しないという脅迫に屈する場合も多い。
背景には医療信仰、薬物崇拝などもあり、「医療」に背くこと、薬物を捨てることに罪悪感をもつ人も多い。
周囲の者だけでなく、友人知人会社関係の人など、殆どの人はちゃんと受診し、精神科医の言うことを聞いて、きちんと服薬して、というわけなので社会的には精神医療過誤、向精神薬害を阻止する要素は殆どない。
これは悪質信仰宗教や悪質セミナーなどのシステム、メカニズムと同様であるが、精神医療問題は社会には殆どその歯止めがない点が大きく異なるのである。
世間を揺るがせた「オウム真理教事件」も対象化、検証・理解がさほどされないまま風化しつつある。
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精神疾患を脳の病と考え、原因となるトラウマを無視、否認するということはどういうことか?
トラウマ-過去の出来事が現在の患者の心を苦しませ続けるということを無視することは、当然のこと心の痛みや苦しみだけでなく、身体的苦痛も無視することになる。
他者の痛みを見たり知ったりすることは、自分にとっても痛みになる。
それが解離しており、自覚されないのである。
いじめ問題も同様である。
普通の人間は虐めの現場を見ることができない。自分が苦痛だからである。
だからこそ、虐めを見て見ぬふりするとも言えるのだが。
しかし、人の痛みが自分の快感という場合ももちろんある。
犯罪者などがその例だが、むしろ他者の苦しみこそが自分が癒されるという倒錯にさえ陥っている。
このような心的機制が精神科医に働いているのである。
電気ショックを行う精神科医はとても嬉しそうで楽しそうであるばかりでなく、使命感にあふれ自分の任務を遂行する戦士のように逞しくも凛々しくもあり、他者も同調する。
話を広げすぎかもしれないが、戦争防止のためには精神疾患=脳病神話を排さなければならない。
病因となるトラウマを無視することは、他者の心の痛みや苦しみを無頓着になり、否認・無視することになるからである。
戦争トラウマの影響は当然のことながら
殺人は孫の代から7代祟ると言われている。
当然のことながら子供は既に幼児期を脱しているからである。
kyupinのような精神科医には首を吊って自殺した人は窒息死、電車に飛び込んで自殺した人は外傷や多量出血で、薬物中毒死は心不全やその他の身体病で死んだものとしか認知されない。本質を理解できないのである。
死亡診断書の死因は本質的な死因ではない。
認知の欠落、認知の歪みを認知行動療法で治せるなら大いにやってもらいたいものだが、トラウマ否認、無意識無視ではハッキリ言って効果はない。
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従って、向精神薬害から逃れるためには、向精神薬に対する理解も大事だし、この世の仕組みを知るのも大事だが、ニヒリズムに陥ってももちろんダメだろう。
何よりも大事なのは、こうした無意識の抵抗・防衛や転移を理解し、克服する意思を持つことだと思う。
もちろんまず自分自身の無意識的行動や考えを対象化し自覚することも大切だが、精神科医や医療関係者の、ひいては世の中の人全体、社会全体の無意識の心理も理解する必要がある。
この視点は反精神医療派の人にも徹底的に欠けていると思う。
殺してしまおう 五つの赤い風船

この歌を初めて聞いたのも中学1年だったか。身につまされた。
先ほど改めて聞いたら、40数年間ずっと思い違いをしていて
「かわいそうけど」⇒「かわいそうだから」殺してしまおう
と誤解していた。
語弊もあるだろうし、多くの人に反感を買いそうだが、気分悪くなさらず読んでいただけ
れば…
(続けるつもりだが)

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うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?

【うつ病は脳の病気か?「うつ病」の本質、原因は?】
憶えている人もまだ多いだろうが、2015年2月、川崎市の多摩川の河原で、当時中学1年の上村遼太さんが虐めにより殺害された事件があった。何ともやるせない事件である。
被害者の家庭は母子家庭で、母親は離婚し働きながら5人の子供を育てていたらしい。そのこともいろいろ物議を呼んだ。
多摩川の現場には多くの花束が供えられ、追悼する人も多く訪れて、ゴミの処理も問題になっていた。
主犯の少年も加害者グループではボス格だが、もっと年上の不良仲間に虐められ脅迫されており、家庭では虐待されていたという。
主犯者の子分格の一人は、被害者と仲が良かったらしいが「ゴメンな」と言いながらナイフで切り付けたという。
今一歩の冷静さや勇気と洞察力、判断力があったら虐めを止めらる可能性もあったのではないかという気もするが、彼らもまた幼児期からのトラウマに支配され、集団的な感応現象が起こっていたのだろう。
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ネットでたまたま見た記事なので、詳細は憶えていないのだが…
ある霊能力者の有名人に、相談するという形の記事である。
相談者は被害者や家族とも、もちろん加害者とも関わりはなく、現場近くに住んでいるとかその程度の関係。
事件の報道を知ってからもうだいぶ経つのに、とにかく被害者の少年がかわいそうで、哀しくて辛くてしょうがない、悲しんでもしょうがないと思うけど、という内容である。
これに対して霊能力者の回答は…
悲しむべきではない、それは貴女の自己満足に過ぎない。為すべきことは虐めを無くすための努力、具体的な行動や活動であり、それをせずに悲しむだけでは供養にもならない、といったものであった。
ありきたりの答え、当たり前、常識と言えばそうだが…
現実的には虐めを無くすための具体的な活動が、一般の人にそうそうできるものでもない。
虐めの現場やその兆候を見つけたら介入する止める、それだけでも大人にとっても難しい。教師でさえ見て見ぬふり、それを咎めることさえ難しい。もちろん自分だったらどうか、ということにもなる。
悲しい、辛いからこそ虐め撲滅のために働く動機にもなる、とはいう面ももちろんあるだろうけど…
では、被害者を憐れんだり悼み哀しむだけしかできないなら、そんなことしない方が良いのか、供養にもならないのか??
そんなのは自己満足、というのは被害者に自分を投影しているだけだから??
悲しいことは忘れて、あるいは忘れずとも、前向きに明るく楽しく生きた方が供養になるのか?
あの世や魂がなければ、神の存在を前提にしなければ供養って成立しない?
弔いは不要か、自己満足のためか?あるいは遺族や関係者の癒しのため??
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うつ病の本質、少なくともその一部は悲感哀、罪業感、虚無感といったことであるのに異存はないと思う。
かつて昭和の時代の、うつ病患者(主に中高年)の生活史を調べると、以下のような幼児期もしくは遠い過去の患者の周囲に、大きな悲しみや精神的ショックをもたらす出来事や状況が多くみられる。
パニック障害などの場合は、患者の憶えていない、知らないような遠い過去ではなく、割に最近の出来事が病因の大きな要素であることが多いが、それにしても当人はその意味に気づいていないことも多い。
例えばであるが…
患者本人の少し年上・あるいは年下の兄弟姉妹(となるはず)の人がいたが、病気や不慮の事故に遭って亡くなり、妊娠中、もしくは患者の幼児の頃、母親は悲しみにくれ、その中で幼児である患者の子育てをしたせざるをえなかった、といったケースが非常に多い。
昔は医療も発達していないし衛生状態も悪く、幼児が病気や不慮の事故で亡くなることは非常に多かったのである。
あるいは母親の肉親が亡くなり、ショックに打ちひしがれ、悲嘆にくれていたなど。
もちろん父親の関係者が亡くなったなどの場合もあるが、その場合父親自身の精神が荒れすさんだりして、母親もその影響の中で子育てをせざるを得なかった、といったような場合。
そうしたことが無い場合でも、両親の結婚が悲しい妥協結婚で家庭内離婚状態であったとか、嫁姑問題で激しい確執や葛藤があって、嫁である母親は大いに苦悩したり悲嘆にくれていた場合など。
さらに言えば、そうした問題がなくとも、祖先にそうした問題や事件などがあり、子孫に大きな悲しみや苦しみを残し、患者の幼児期の家族関係に影響していた場合など。
何代も代替わりすれば、おそらくそれなりに忘却され浄化され、それ程の影響はなくなるのが殆どだろうけど。
それでも何代も前のことが、大きな影響を残す場合もあれば、十何代も前(数百年前)の殺人事件がど、うつ病患者の幼児期、家庭環境にも影響し、それが主な原因としか考えられない場合もある。
精神医療には、患者個人のの成育歴、生活史だけでなく歴史的背景を知ることも必要である。
霊障というような先祖代々からの精神的な直接的な影響もあるのかもしれないが。
そうしたことよりむしろ、世代にわたって子供育て方・接し方、家庭環境などを通して、しばしば増幅されて心理的・精神的に連鎖する。(トラウマの連鎖)
このようなことをを示唆したら患者本人も、激しく納得していたことは何度もある。
本人も家系的な問題は知っていたのである。
もちろん、加害者側の場合も被害者側の場合もあるし、祖先ではなくその関係者の場合もある、というよりむしろその方が多いかも…
(被害者のトラウマももちろんあるが、加害者としてのトラウマもある)
「うつ病」を遺伝による脳病としての内因性精神病と考えてしまうと、当然のこと「(非)選択的非注意」により病因となる出来事や状況は見えないし、詳細な病歴をとっていてもその意味が見えることはない。
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霊能力者にはそのようなことが見えるのだろうか?
わかっても対処法はなく、一般に霊能力者が対象にするのは憑依精神病の患者であり、統合失調症やうつ病、神経症なども対象にはしない。
精神疾患の人を対象にしても何ら改善せず、金ばかり取るのはインチキ霊能力者の常套である。
私の昔の知人に、『精神分裂病(統合失調症)もうつ病も神経症も、あらゆる精神疾患は憑依精神病・神経症でもある』、と言う霊能力者がいた。『無意識と心霊現象は同じことを別な見方をしているだけ』とも言っていた。
当初は私はその意味がよく分からず、理解に苦しんだ。
科学主義者、合理主義者というのでもないけど、そういう胡散臭いこと、眉唾ものは大嫌い、根拠のないことをもっともらしくいうのも大嫌いだった。
その霊能力者も除霊をするのは(狭義の)憑依精神病に対してだけで、一般の精神疾患の患者にはカウンセリング、心理療法・精神療法といったことで対応していた。
その能力は「黙って座ればピタリと当たる」というような天才的なもので、精神科医や臨床心理士などとは圧倒的に次元が違う。私も大いに参考にさせて頂いた。
仏教が祖先を大切にしましょう、お墓や仏壇を拝みましょうというのは、もちろん理由のあることだろう。
健康的、幸福であるならば当然のことであるが、そうでないならば…。
したくないのに無理に拝んだり供養するよりも、おそらくしない方が精神の健康、メンタルヘルスのためには良いと思う。
むしろ心から拝めるようになるよう努力すべだろうし、そうなってから拝めばいいと思う。
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話を戻すと、肉親の悲しみがあたかも乗り移ったように、時限爆弾のように作用して、中年期を過ぎて「うつ病」を発症する人が多かったのである。
(私と考え方、見方は全く違うのだが)誰かの言葉を借りれば、遅発性・晩発性PTSD・心的外傷後ストレス障害としての「うつ病」である。
子供のころは発達する力があるので、そうそう問題を呈さず、若い頃はまだ元気でそれなりの適応性・順応性があり、仕事や家庭、人間関係など日常生活が特になく問題なく適応できていれば、その段階では、うつ病に陥るようなことはないが。若い頃から「うつ病」というのはよほどの重症だ。
昔から私は「うつ病」をそのように認識していた。
なぜ根拠のない、もしくは現実に相応しくない過度の悲哀感や罪悪感を持たざるを得ないのか?
生まれて数カ月も経たない子供でさえも、悲しみに打ちひしがれて、傷つき落胆している親を何とかしようとする。慰め、励まし、勇気づけ、癒し、導こうとさえする。
またそれができなくては自分自身の生存自体も危うく、良い発達環境も得ることはできない。親の養育なしに幼児は生きては行けないのだ。
親は幼児期の子供のセラピストでもあり、またそうなければならないが、それよりも遥かに幼児は親のセラピストとしての役割を無意識に果たそうとする。
親に対する子供、すなわち幼児の無自覚、非意図的な「心理療法・精神療法」が効果をを上げ、親も幼児の無意識な努力やその成果を認めつつ、感謝しつつ子育てをしていれば,将来的な問題はそれほど起こらないはずである。
それが効をなさなければ、幼児は無力感に打ちひしがれ、(自分が悪いわけではないのに)あたかも自分が親の悲哀や不安、抑うつなどの原因であるかのように思い込み、かつそれを補償できなかった、親を助けなかった、といった罪悪感、罪責感に苛まれる。
もちろん幼児はそれを自覚するわけではないし、記憶もしていないが、だからこそ無意識に影響し、大人になってからこそ、その影響は発現する。
うつ病の罪業感,自責感・無力感などは過去の(主に幼児期の)親に対する罪責感であろう。またそれを助長するような育て方、接し方を無自覚にしている。
罪悪感、罪責感、(理不尽な)要求に応えなければ罰する、叱責すべきでないことを叱責したり、過度に厳しく傷つて罰する、といった親の抑圧の内面化でもある。親にされたように不適切に自分を罪深い罰せられるべきものと考える。
得てして過保護な親は必要な安心感を与えないし、過度に厳しい親は必要な躾はしないものである。
親が「幼児の親に対するセラピー」を感じ取り理解し、感謝しつつ子育てができれば将来的な問題は少なく、一般的には健康的な親、家庭環境であればそうしたことができているはずである。
多く患者の場合は、親に対する子供の治療(心理療法)は部分的には成功するが、親にはそれを認めてもらえず感謝もされず、そのプロセスで子供は傷つくがその補償もされない、むしろ余計に傷つけられる。
もちろん、心の補償が必要なのであって、物質的なもので代えられるわけではないし、歪んだ愛情の押し付け「姑息の愛」や不適切な過保護はその代替にもならない。
上に述べたようなことが、うつ病に限ったことではないが精神疾患の根源的、本質的な原因、トラウマ(心的外傷)ではないかと思う。
「精神疾患は親を治療する過程で傷ついたトラウマが根本の原因、患者とは傷ついたセラピスト」
「あらゆる精神疾患は逆転移精神病・神経症である」
大雑把にいえば…
【健康に育った人】
 親のセラピーに成果を上げ、そのことを感謝され、発達促進的な養育を受けた子供。
 そもそも親が健康であるために、それほどのセラピーは必要ではなく、子供にとって達成不可能な過大な課題ではなかったという面もある。
【精神疾患に陥る人】
 親のセラピーに失敗し、ある程度の成果を上げているのにそれを認めてもらえず感謝もされず、むしろ恨まれたり妬まれたり攻撃されたり。
 そもそも親が健康的でなく、過大な癒し要求を押し付けセラピストとしての子供の心を破壊し傷つける。
 お前は私を癒し救ってくれないだけでなく、負担ばかりかけた、むしろ親を傷つけたと子供は責めを負う。
 傷ついた子供は大人になって、親を救えなかったという悲哀感、罪悪感、無力感、虚無感といった幼児期の反応に加えてもしくは重なって、青年期もしくは成人期以降のの不適応、ストレスで抑うつ状態など精神の不健康に陥る。
 うつ病の親は普通、虐待はしないが、精神的虐待という面もあり、一般の虐待なども類似の心的機制によるものと思う。
「毒親」と言うが、親もまた病んでおり、そうならざるを得ない背景や事情、要因がある。
親は健康そうに見える場合や、親自身に病識はなく自分は健康という場合もあり、それなりの適応能力を持っているからでもあるが、それは子供の親に対する「治療効果」のおかげである。
統合失調症の原因は?(ある同級生)
悲哀や罪悪感などに苛まれているだけでは何にもならない、それを克服し前向きに生きるべき、というのは治療志向ではあるだろうけど。
精神分析的には、悲しみにくれ、自責の念を持ち続けなければならない、明るく楽しくやっていくのは身勝手だ、不謹慎だ、というのは抵抗であり、自分は悲嘆に暮れ自責し続けねばならないというのは防衛ではあるだろう。
但し、抵抗・防衛には現実的な根拠もありうる。
現在も親によるトラウマ・ストレスが子供(患者)に与え続けられている場合である。そこから逃れることは親を見捨てることになる、実際に親の精神状態が悪化することを意味する。
ネガティブな毒は子供(患者)に向けられなくなると、それは自分自身に向けられ、対処・克服できない親は毒が回って自分自身が病気に陥らざるを得ない。
しかし自分のことは自分で解決し、克服なければならない。人に押し付けて抑圧してはいけないのである。
ちょっと極端な言い方で気を悪くする人もいるだろうけど。
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うつ病の症状は現実的なストレスには対応しておらず、あたかも何も理由がないのに激しい抑うつ状態に陥っているかのように見える。
実は「実存的問題」で激しく悩んでいたりもするのだが。そうしことは普通は若い頃に苦悩するものだが、その頃は「順調に」やっていおり悩む必要もなかった である。
患者がそうしたことを言うことが少ないのは、そうした言葉や表現は持たない(哲学者でも心理学者でも文学者でもなし)、相手に言うようなことではない、恥ずかしいと思ったり、通じるわけはない(もちろん精神科医やカウンセラーにも)、精神的に相手を押しつぶしてしまうのではないか、そうなったら自分も罪悪感に潰されてしまう、などといった理由によるものだろう。
あるいは患者が現実のショックやストレスを被ってはいても、抑うつ症状、悲哀感や罪悪感が現実的には見合ったものではとうていなくなく、その程度をはるかに超えており、全く相応していないほど激しく過大であったり。この場合は、うつ病というより抑うつ神経症、抑うつ反応というべきかも知れないが。
だからこそ、「うつ病は脳の病気」とも言われてしまうのだが。脳の病気で頭が狂っているから悲哀感、罪悪感にとりつかれ打ちひしがれているのではない。
もちろん脳の状態は良くないが、それを脳の病気とするのは医学的には間違いである。
抑うつ神経症というのは良いとしても、抑うつ性障害ともいうべきではない。
過去の(多くの場合、主には幼児期)のことに影響され、精神・神経が反応しているためにそのようなことが起こっているはずである。
ストレスに弱い、打たれ弱い、対応能力が低いのは、やはり幼児期の問題から、発達期に身に着けた適応能力が乏しいからである。
適応性が保てるうちは病的状態とはならないが、幼児期のトラウマと現在のトラウマ・ストレスが重なると発症する。
もちろん、幼児期のトラウマがさほどなくても、現在のストレスがあまりに激しければ、抑うつ反応が起こり、激しい「うつ状態」に陥るし、それも精神疾患ではあるが、本来の「うつ病」とは言えないだろう。
患者の幼児期には、年の近い兄弟姉妹が病気や事故で亡くなることも少なく、まだ祖父母も健在であることが多いし、とりあえず戦争が終わってからもだいぶ時間が過ぎた。
もしくは、そういったことと類似のショックや悲しみをもたらす出来事が少なくなったことが、典型的な「うつ病」の人が減ったり理由ではないだろうか。
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10数年前からの『うつ病キャンペーン』により、精神科病院、心療内科クリニックの受診者は劇的に増えて、うつ病と診断される人も、新型抗うつ剤の売り上げも激増した。
しかし、かつてのような典型的な「うつ病」患者はむしろ殆どいなくなったのは上述のような背景によるものだろう。もちろんショックや悲嘆がなくなったのではなく、世の中の移り変わりとともに人の心も大きく変化したのである。
統合失調症や他の精神疾患の病像変化も似たような事情や背景があると思う。
「新型うつ病」なんて言葉も広まったが、それはうつ病ではなく、抑うつ神経症でさえなく、敢えて言うならディスティミア神経症とでも言うべか。
そういう人は昔から多かったが、「プライド」も高いので、病気扱いされるとむしろ激怒し、だからこそ何とか社会的威信、自己評価は保てるように努力していたはずである。
またそれが可能な社会でもあった。
世の中も人の心も、見方や考え方や価値観、生活様式なども随分違ってきた。祖先やら家系がどうのという人も少なくなった半面、霊がどうのという人も増えたようである。
もちろん、心の傷、トラウマをもたらすような出来事や、その影響が無くなったわけでも減少したわけではない。悲しい事件や出来事が減ったわけでももちろんない。
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小保方晴子さん、ベッキーちゃん、(引き寄せの法則、ポジティブ・シンキングの陥穽)

小保方晴子さん、ベッキーちゃん、(引き寄せの法則、ポジティブ・シンキングの陥穽)
小保方晴子さんの手記、「あの日」が出版されたことが話題になっている。
ベッキーとゲス極川谷という人の不倫も随分マスコミを賑わせた。
手記には大事なこと不都合なことは書かないだろうけど、たぶん大部分は事実なのだろう。彼女の見方、解釈による事実でしかないが。
矛盾も多く認知の歪み、認識の欠落は甚だしく、解離が大きい。
ただでさえ自分のことはわかりにくいのは人の常。人のふり見て我がふり直せもむずかしいことである。
サルも木から落ちるし、豚もおだてりゃ木に登るが落っこちてケガをする。
登る人がいるから梯子かけられるんだし。階段を登っていくことは同時に落とし穴を深くする、梯子を登っていくことは当然リスクを大きくすることである。
彼女の言う真実を全てを認めたとして、若山照彦さんだけでなく他の関係者も含めて五十歩百歩だろう。若山さんは先攻、小保方さんは後攻か。人のせいにすればなんだって人のせいではある。
若山さんは怯懦か狡猾か逃げ足が速く巧妙だったのだろう。
悪く言えば詐欺の仲間割れのようなもの。今更言っても。2年前の会見の時に言うべきことだった。その後でもネットで表明するなどいくらでも機会はあったはず。それどころじゃなかったんだろうけど。
おそらく陰謀・策略というというような大げさなものではなく、無自覚にのせたりのせられたり、欲に動かされ自己保身に走りコトが進んで拡大してしまったのだろうけど、これは歴史的な事件あるい犯罪史上でもありがちな悪いパターンである。
私は文系出身で医学部にいたので多分に偏見はあるだろうけど、科学者ってのは物的現象以外の日常的な現象については驚くほど事実を認識しない、自分の目でしか物事を見られない、自分の頭の中のみが事実、という人が多いと思う。それが訂正できずまかり通るので恐ろしい。
自己中でありながらコロコロと人に動かされ騙されるので、集団病理現象になりやすい。
精神科医なんて殆どそうだし。悪い意味で科学者、(科学者でもないか?)
だからこそ精神医療被害、向精神薬害がここまで拡大したのだ。
脳の病気なら脳波やCT、MRIなどいくらか役立つものもあるが、精神疾患には確認できる物的事象は何もない。光トポグラフィーなどもちろん何の役にも立たない。
小保方さんも若山さんもベッキーちゃんも、笹井芳樹さんのように抗うつ剤SSRIの賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームで自殺しないで欲しいです。
うつ状態といっても、広い意味では症状ではあるが、脳の病気のうつ病なんかにはなりません。理由があってなってるんだから、それ自体は正常な反応。抗うつ剤では当初は楽になったかのように見えて悪化するのは当たり前。
きちんと釈明して謙虚に頭を下げれば男を上げることもできたはずだ。それができないのが病気ともいえるし、そこまでに至ったプロセスが病気ともいえる。
精神疾患に発病はないし、厳密には発症という概念も成立しない。
小保方さんや関係者もベッキーちゃんも、そもそもあまり健康ではなかったのだろうけど。
少なくともネームバリューはあるので、何なりとやっていくことはできるはずです。
人から騙され、騙されたことに気がつけば逆襲されるのは当然。もちろん良いことではないが。
マスコミも大衆もそういうもんだろ。彼らは彼らの価値観や倫理、行動様式でしか動かない。
小保方さんのことは前にもまとまらない文章を書いたけど。
もちろん、小さい範囲では理研全体が、大きく言えば社会全体の集団病理現象を少なくとも反映している。
これだけ注目を集めた事件であるから、若山さんの反論が聞きたいだけでなく関係者の意見も聞きたいところだが、もはや『藪の中』だろう。
関与した人が無自覚で自分で自分を偽る面があれば今更かもしれない。
STAP細胞も再生医療も、一部の人にしか関係ないし、ホントの医療の進歩につながるとも言えない。
資本主義医学、ビジネス医療、では大きいというだけだ。少なくともやるべきことは他に沢山ある。
STAP細胞でノーベル賞がとれるなら、俺なんか10個くらいもらっても良さそうなもんだが。
いらねーけど、企業秘密だし。賞金だけ欲しい。
保険料がこんなに高いのでは医療以前にメシが食えない。自営業の人はこんなに高い国民健康保険料が払えるのだろうか?保険抜けることはできないし。
食うや食わずの低所得者でも上限近くになってしまう。みんな所得ごまかしているのか?低所得だとごまかしようもないのだが。不思議だ。
医療を縮小すべきだ。そのために私はずいぶん貢献しているのだが多勢に無勢。
金持ちしか享受できない医療になんで貧乏人が金を出さなくてはいけないのか?
そもそも医療は必要か??誰得? 「この国は医療で潰される」
話がズレたがいつものことだ。
人助けをしたいのは大いにけっこうなことだが、尊敬や感謝、称賛が得られることではなく、もちろん金になることでもない。純粋に世のため人のために貢献したいとしても、非難攻撃を受けるのが世の常である。
ベッキーっていう人は知らなかったけど、彼女も小保方さんも基本的には同様だろう。
元気は病気という面も無きにしも非ず。好感度と言っても悪く言えば人を騙しているようなところがある。演じているわけだが。テレビはそういうもんだし、悪い意味で相性が良かった。
特に才能や能力があるわけでもなし、両者とも人に取り入り取り立てられ、『引き寄せの法則』 『ポジティブ・シンキング』で成り上がり、堕ちていった。
禍福は自ら招く、糾える縄のごとし。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。
両者ともスピリチュアル系、というか少なくともそういう影響を受けているのだろう。
プラス思考、ポジティブと言ってもマイナス、主観だけのもの、ネガティブの補償でしかなかったり。
ネガティブが良いわけではないがそれだけ理由や背景があってのことで、有るものを無いものにするわけにはいかない。
「無意識に嘘は通用しない」それが無意識の法則である。
世間的にも他者にも自分にも、嘘がそうそう通用するわけではないが。
無意識について一知半解、事実を理解せず「無意識の法則」を適用すると落とし穴にはまる。
偽り、まやかしは無意識の逆襲を食らう。
単純化していえば、小保方さんもベッキーちゃんも意識の上では無理にポジティブ、無意識ではかなりネガティブ。表プラス、裏マイナスの傾向が強かったのだと思う。
意識の上で無理にポジティブ・シンキングだと無意識にも徐々にポジティブになるとはもちろん限らなず、むしろネガティブを強め、解離甚だしくなり、運気上昇から一気に落とすことになりがちです。
何でそうなるかどうしたら良いのか?
スピリチュアル系の人の殆どがそうしたことを理解していません。
ネガティブ⇔ポジティブの二分法、二項対立の思考もあまり適切ではないですが。
ヒプノセラピスト、スピリチュアル・カウンセラー、○○セラピー、無意識に働きかけて…、などと称する人のほぼ全てが無意識の法則を理解せず、勝手に思い込んでいる。
「心的決定論」の身勝手な解釈と適用。それが一時的に成果を上げることもあるが、ツケが回ってくる。後が危ない。
上辺をつくっても動かしても砂上の楼閣、やはり基本が大事だ。
指導・援助する側も正しい治療を受けて訓練する必要があります。
傾向は違うけど心理カウンセラー、臨床心理士、精神科医も同様。
精神科医は事実を理解せず知識を当てはめてしまうので、知識は真実でも適用は間違い。間違いを検証もできないのに信じ込む。
身体の病気なら僅かながらも検証の方法があるのだが。
認知行動療法も似たようなもので、認知の歪みと言ってももちろん理由があってなるべくしてなってるんだから。こっちは無意識無視。
小保方さんの母親もお姉さんも心理学者ということで、いかにも、ではある。
ヒーリング系、スピリチュアル系の人も患者さんも注意して欲しい。

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誤解してはいけない!自殺者6年連続減少の理由は

誤解してはいけない!
6年連続自殺減少の原因は「うつ病の早期発見・治療」、精神医療のおかげではもちろんない。
例えば借金対策などもいくらかなりとも効果はあったはずだが。
3年前にこちらで予知・明言したとおり。
予測通り、2012年『自殺者、15年ぶり3万人下回る』 その理由、原因は?
自殺が増えたのもわずかながら減り続けているのも、理由はもちろん薬物によるものである。
(抗うつ剤の賦活化症候群、アクチベーション・シンドローム)
98年に新型抗うつ剤SSRIの使用が始まり、「うつ病キャンペーン」により受診者が大幅に増加した。
これも当時、我々は予測していたことである。

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それよりも注目すべきは、薬物中毒死の大幅増加で、これは今後も進んでいく。
子供の重度慢性薬物中毒、廃人もしくは準廃人化も激しく進行している。

発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱
NHK クローズアップ現代 「子どもに広がる向精神薬の被害」発達障害?

自殺者、18年ぶり2万5千人下回る 6年連続減少
2016年1月15日10時27分 朝日新聞デジタル
 昨年1年間に自殺した人は2万3971人(速報値)で6年連続の減少となり、1997年以来18年ぶりに2万5千人を下回った。男性が7割を占めた。警察庁が15日に発表した。
 78年から統計を取り始め、最も多かったのは2003年の3万4427人。10年から減少を続け、12年から3万人を下回っている。昨年は、前年より1456人(5・7%)少なかった。
 都道府県別では秋田、群馬、石川、三重、和歌山、島根、岡山、山口、熊本、沖縄の10県が前年より多かった。人口10万人あたりの自殺者は多い順で、秋田26・8人▽島根25・1人▽新潟24・9人だった。
 統計を分析している内閣府によると、昨年1~11月の自殺者2万2171人の動機(1人につき三つまで選択)は「健康問題」が1万953人で最多だった。「経済・生活問題」「家庭問題」が続いた。東日本大震災に関連した自殺者は前年同期に比べ1人多い22人。県別は福島19人、岩手2人、宮城1人だった。
 内閣府は「全体として減少傾向にあるが、依然として多い。対策を続けていく」としている。(八木拓郎)

どういうわけか、精神医療に限らず医療に関しては朝日新聞は保守もしくは右翼、読売新聞が左派。

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