発達障害 (2) : 発達障害(誤診)の病名など

発達障害(2)
発達障害(誤診)の病名など
この項は前項の「発達障害(1):発達障害(誤診)の拡大と混乱」の続きです。
発達障害(誤診)では以下のような診断名も良く使われるので、それについて。
児童精神科医が言うことの多くは間違いであり、精神医学に反しておりエビデンスもない。
ウィキペデアなんかを見ると間違いがないわけでもないが、基本的にはほぼ精神医学の定説に沿った記述なので、精神科医の言うことは真に受けず、とりあえずそれを見るのも良いと思う。
【ADHD 注意欠陥・多動性障害】
ネットを見るといろいろ出てくるが、殆どは製薬会社のものかスポンサーになっているものだ。もちろん薬の拡販のためである。
「昔はADHDなんてなかった。そういうのは子供と言ったんだよ」なんて反精神医療派、CCHRの人なんかが良く言ってるけど、元々はある精神分析家の言ったこと、けだし当然である。
しかし、最近は分析家と称する者さえ、発達障害(誤診)の虜である。
これを製薬会社は逆手にとって、ADHDは昔からいたが見過ごされており、既に大人になった「大人の発達障害」がたくさんいるとして、盛んに発達障害(誤診)キャンペーン、病気喧伝を行っている。
ADHDの父と呼ばれる、アイゼンバーグ氏はADHDを提唱したことを、激しく後悔して、2009年に亡くなられたらしい。
『ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める』
http://gigazine.net/news/20130529-adhd-is-made-by-industry/
結果として過剰診断がとどまることなく広がり、子供に対する薬害を広めてしまった。もちろん氏の意図するところではなかったはずだ。
ホントに発達障害「ADHD・注意欠陥・多動性障害」に該当するような子供は全くいないわけではないが、ごく僅かであり、ある種の精神遅滞(知恵遅れ)なので特に分ける必要もないし、もちろん治療法があるわけでもない。
精神遅滞はもちろん多様であり、その子に応じた療育・訓練・リハビリをすべきであるが、精神科医に通う必要はない。
ADHD・注意欠陥・多動性障害なんて精神科医の殆どが知らない頃、30年以上前から私は知っているが、それに該当すると考えられるような人は1人しか知らない。もちろん精神遅滞(知恵遅れ)である。
その後100人位は、ADHDと診断された,ADHDの疑い、自分でADHDではないかと思う、といった人に会ったことがあるが、すべてADHDではない。殆どは敢えて言うなら神経症。
発達障害(誤診)の二次障害とか、「お薬を飲む事で息子さんの頭の中が整理されて、考えがまとまりやすくなる事によって、本人もすごく楽になるんですよ~」なんて児童精神科医に言われると親も逆らえない。
薬を飲ませないことは医療を受けさせない=虐待とさえ考える親もいる。
その頭の中を自分で整理することを身に付けるのが成長・発達というものであり、むしろその学習経験を阻害してしまうのに。
もちろん薬の効果はあっても一時的、長期では逆効果となる。
ADHDと診断される子供は、早生まれが多い(3月と4月生まれでは1年近く発達の差があるのが当然)という調査報告もあるようだ。
ストラテラとかコンサータといった向精神薬を処方されるが、そんなの殆どヒロポン※だろ。
子供をポン漬け、ポン中にしてどうするつもりだっ!
※知らない人も多いだろうから下に注
【アスペルガー症候群】
今世紀に入る前後、インターネットの普及と共に素人の中で広まったように記憶する。2chなどで人を蔑む言葉として。
これに精神科医がだいぶ遅れて追従した。要するに素人ヲタより遅れている。
例によってDSM流の項目当て嵌め方式だと多くの人が当てはまってしまう。まったく○×式は子供のテストだけにして欲しい。
子どもをテストするんじゃなくてお勉強のテストですよ。答えるもの面倒だし採点するのも面倒だから。
要するに高機能自閉症だが、元々は殆ど都市伝説みたいなもので、昔も今もそういう人がいないわけでもないが極々まれである。
前述の自閉症のリハビリの第一人者だけでなく、ホントの発達障害のリハビリをしている知人も何人かいるので、自閉症の話はしょっちゅう聞いているが、アスペルガーなんて20年以上前から聞いたことはない。
○○博士とか□□オタなんてのは男の子なら普通のことだ。私は車好きで5歳以前に、大人の読む車の本を見ていたので相当な知識であった。漢字も結構読めたし。当時は車の絵本さえ少なかった。
今のように情報過多だったらどうだろうか?末恐ろしい!??
車が好きだったのは小学校低学年までで、その後は一時的にバイク、それからサイクリング、登山と順調に成長している??
自閉症の中でもアスペルガー症候群は皆無に近く、そうではない子供、だけでなく大人にも広げてしまった。実際には殆どの場合、神経症的問題であり解離による思考パターンや学習経験の甚だしい不均等、認知の偏り、欠落など。
子供なら特に病気と看做す必要もないが、生涯続いてかつ人生に大きな支障をきたすなら、まぁ神経症(と言えば中らずと雖も遠からず)だ。
当然のことながらDSMからも第5版からは削除されたが、精神科医や教師の頭の中では今も増殖中。
今は自閉症スペクトラム障害ということで特に区別されなくなった。そんなの当り前でDSMだと第3版以前に戻っただけ。昔の専門学校の学生でも知っていた。自閉症児の介助のボランティアをやっていたので。自閉症は多様である。
自閉症も対人関係や認知などある種の傾向や偏りがあるだけで、ホントは精神遅滞(知的障害、知恵遅れ)に過ぎないという説もあり、少なくともそう考えた方が良いだろうと思う。
(ホントの発達障害のプロはそう考える人が多いようだ)実際に昔は一緒くただったし。
ホントの発達障害児、精神遅滞だって多様なのはあたりまえだ。
鬼の首を取ったように得意になって、特徴を数え上げてチェックリストに当て嵌めて分類するのは素人や精神科医だ。
DSMの弊害であり、受検勉強のやりすぎや血液型占いなんかの影響もあるかも知れない。
ミソもクソも一緒はまずいが、分類できないものを分類して分かったよう気になってしまうのも非常にまずい。
【広汎性発達障害】
もともと非常にあいまいな使われ方をしており、今日小児科領域ではあまり使われなくなったようだ。多くの場合、精神的・情緒的問題の大きい精神遅滞、知的障害などに使っていたと思う。
ところが最近は軽症のフツーのオバサンやオッサン(軽度神経症)にまで使うようになった。
最初はお決まりの、「うつ病(誤診)」だの、神経症やパニック障害だったのが向精神薬を服用して悪化、元々の症状も副作用も離脱症状も後遺症も区別がつかなくなってしまう。
気分変動が激しいわけでもないので双極性障害とも言えず、幻覚妄想があるわけでもないので統合失調症とも言えず、服薬で悪化した結果をさらに取り繕おうと悪あがき、薬てんこ盛りにするための苦肉の策として使われるようになり広まったようだ。
【統合失調症(の疑い)】
統合失調症はホントの発達障害でも発達障害(誤診)でもないが、統合失調症と診断すれば、「精神科医は今日も明日もやりたい放題」であり何でもありだ。
発達障害(誤診)というよりも殆どの場合、悪質であり薬漬けも激しくなり電気ショックなどの有害・危険性の高いこともやり放題になってしまう。
発達障害(誤診)は統合失調症(誤診)に対しては多少の歯止めにはなると言う面もないわけではなく、一部の反精神医療派の人が発達障害(誤診)の呪縛・陥穽にはまるのはこうした事情もある。
しかし、発達障害(誤診)でも統合失調症(の疑い)でも、薬漬けで薬害性中枢神経疾患、障害者化されてしまうので、結局の所行きつくところは同じだ。
最初は発達障害(誤診)とされても薬害性の統合失調症様の中枢神経障害になることは、すでに多く報告されており、そういうケースは今後どんどん増えるはずである。
もちろん精神科医にはホントの統合失調症と、薬害性の中枢神経障害の区別はつかず「もっと早く受診して服薬していれば予防できたはずだ」と自己欺瞞・正当化するのであるが。
もっともそれ以前に、コンサータだのストラテラで上がったり下ったり、双極性障害と診断されるようになる場合も多い。当然のことながら常用量離脱も起こる。そんなことをしていれば当然、脳破壊され薬を止めても不可逆的な後遺症が残る。特に子供の場合は大人よりも。
多くの場合は、子供が「皆が自分の悪口を言ってるかもしれない」などと言うと、妄想扱いされて統合失調と診断されることが多い。
子供は言葉足らずなのは仕方がないのに、そこを分かってもらえず言質を取られる。
早期化している事情はあるだろうが、思春期なら多くの人が思うことだ。
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この分野ではやはりものごとは正しく理解し、言葉は正確に使わなければ有害甚だしくなってしまう。
精神科医が今後、薬漬け障害者化の先に目指すところは、薬害を誤魔化すためにも脳内チップ埋め込み電気刺激などであろう。
昔はそんなこと言うだけでも、考えるのも憚れるのであったが。
ふた昔前はロボトミーはもちろん電気ショックも廃れており、精神科医でも大多数は脳そのものを弄るのは反対派が多かった(本音はともかく)。
マッドサイエンティストみたいな精神科医は少数派であり、精神科医の中でもそのような者は嫌われていたのであるが、それが主流派となった。
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しかしながら,発達障害(誤診)が広まるそれなりの背景、もしくは理由、混乱が生じる要因も全くなかったわけでもない。
例えば、超未熟児や乳幼児疾患で昔なら助からず生きていけなかったはずの子供が、保育器の中に入れられて生後数か月も親の直接的愛情や養育を受けることができなかったなど。
こうしたことは旧来の心的外傷とは別質の、オジサン・オバサン以上にはほぼあり得ない、トラウマももたらしていることはある。
家庭環境や親の療育の問題や犯罪被害などのショックな出来事による、いわゆる心的外傷・トラウマとは異なる質を持つものである。
もちろんこの場合も基本的には後天的であり環境因であり、遺伝的・先天的な脳の病気ではないので発達障害(誤診)と言うべきではない。
私の知るところでは「こういう子供なら素人的には発達障害(誤診)と考えてしまうのももっともだな」と思えるケースはすべてこうした事情や背景があった。
こうした子供の場合、知的障害とは言えないがやや知能の遅れがあったり、知的には優れていてもいろいろと偏りや歪み、学習経験の乏しさがある。
ADHDと診断される子供は、早生まれが多いと前にも書いたが、超未熟児だとそれに数か月の遅れと、それプラスその間の発達促進環境の乏しさが加わることになる。
病院を離れて母親の手に返された時を誕生日とするならその差は小さくなるが。
やはり身につけるときに身につけるべきことを身につけないと後が難しくなるのもまた事実である。
幼稚園や保育園、学校などで同じ年齢の子供を集めるのはもちろん理由がある。回りの子が少し年上の子供ばかりだとメリットもあるだろうが、やはりハンデを負いやすく後々まで尾を引くこともあるだろう。
そのようなことはあるのだが、子供ならまだこれからの学習経験が必要であり、療育,教育環境や対応が大事である。
それを精神医療漬け、薬漬けにしたら脳の発達を阻害するばかりでなく、発達・学習経験も奪い元も子もなくなる。
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でも、「子供が精神的問題を呈して本人も周りも困っている例は現実にたくさんあるだろ、どうしたら良いのか?」
発達障害(誤診)と考えず神経症(心因性、環境因、PTSD)とすれば中らずと雖も遠からず、害は少ないとは言える。神経症は精神科の治療対象ではないのが定説である。
神経症とは神経そのものの病気ではなく、使い方や状態はもちろん良くない不適切だとは言えるが、もうちょっと正確に言えば無意識による神経の使われ方がまずい、ということである。
くり返すがもちろん脳の病気としたり、安定剤だの抗精神病薬だのは論外。しかし精神科医はそれをやる。
児童精神科医が行う有害なことはいくらでもあるが、有益なことはほぼない。
臨床心理士や心理カウンセラーなら良いと思うかもしれないが、全く悪いわけではないにしても、彼らの果たす主な役割は、結局の所、精神科につなげるということである。
適切な家庭環境、教育環境において健全適切な対応をすべし、と言うしかない。
家庭は家庭の、親は親の、学校は学校の、教師は教師の本来の役割をきちんと果たすべき責任がある。もちろん社会的問題でもあるが、とりあえずはそこに戻るべし。
教師も余計なことばかりで忙しくなったりストレス多くなっているようだが、無駄なことから解放されて、本来の役割を果たすべきである。
「子供を精神科医に近づけてはならない。
少なくとも今の段階では。
もちろん当所の治療は、適切に受ける意思があればどんな人でも改善できるもので害もありませんから子供でも治療可能です。
対象は今の所、小学校高学年くらいから。
あまり小さい子には向かない治療法ですので、その場合は親が受けた方が良いです。親が良くなれば家庭環境や子供の接し方も変わるので、子供の方も改善が見られます。
※ポン中なんて言葉を知る人も少なくなったので余談ですが。
ポン中というのはヒロポン中毒でシャブ中といった言葉が広まる前に使われていました。
ヒロポンは昭和20年代前半には一般市販薬だった覚せい剤(旧向精神薬)、肉体労働者や看護師など夜も働く人を中心に広まり、薬物中毒が蔓延した。
昭和25年には発売禁止となり、これをきっかけに「覚せい剤取締法」や「麻薬及び向精神薬取締法」が施行された。
私の知人は戦後間もない小学生の時にポン中になり、中学生の頃、コレはヤバいと気づいたので、のたうち回って死に物狂いの苦しみを乗り越え短期で断薬し、発売禁止になってから闇で仕入れて売りさばき、極貧なのに大儲けした金で高校に進学できたという。
そうした経験があるので向精神薬についても熟知していた。
その頃の高校進学率は今の大学より少ない位。何とも隔世の感あり。
こちらもご参照下さい。
発達障害 (1):発達障害(誤診)の拡大と混乱
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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発達障害 (1) : 発達障害(誤診)の拡大と混乱

発達障害(誤診)-その1
発達障害(誤診)の拡大と混乱
今日、「うつ病キャンペーン」病気喧伝、即ち受診者(薬害被害者)の増加も頭打ちとなった現在、精神科医が遺憾なく無能さや有害さを発揮しているのは子供に対してである。
そもそも、職業として成立しないはずの児童精神科医と称する者もやたらと増えてきた。
悪しき「発達障害(誤診)ブーム」、発達障害喧伝は数年前から拡大し続けている。
もちろんこれを問題にせざるを得ないのは、言葉の使い方が間違っているばかりでなく、子供を犠牲にする悪質な精神医療過誤・向精神薬害問題だからである。
発達障害については前にも少し書いたことがありますが、ここで一応整理しておきます。
駄文なので整理にはなっていないかもしれませんが。
NHK クローズアップ現代 「子どもに広がる向精神薬の被害」
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発達障害(誤診)問題は言葉も非常に錯綜しており誤解も招きやすい。
ここでは、とりあえず、本来の発達障害を「発達障害」として、最近増えている精神科医や教師、児童相談所関係者等から発達障害とされている子供もしくは大人(敢えて言うならただの子供か精神的問題の大きい人、あるいは精神疾患(脳の病気ではなくPTSD)、を「発達障害(誤診)」とします。
ホントの発達障害に関しては別問題であり、精神医療の対象ではないし、当所の治療の対象でもなく、私自身も門外漢です。
そもそも発達障害というのは医学上すでに確立した概念である。
発達障害(誤診)は有害なだけでなく、これまでの医学に反しており医学を全く無視した間違いでもある。
発達障害とは具体的には、脳性麻痺、精神遅滞(知的障害・知恵遅れ)、ダウン症、(ホントの)自閉症、重度心身障害、二分脊椎などのことであり、殆どは遺伝や周産期のトラブルの後遺症であり、多くは中枢神経障害でもあるが、基本的には精神疾患ではなく、精神疾患はは発達障害には含まれない。もちろん併合することはある。
基本的には発達障害は養育訓練やリハビリの対象であり治療の対象ではない。
リハビリも広義には治療ということになるが、病気・疾患そのものを治すという意味での治療と言う言葉は当てはまらない。
私の長年の親友には、発達障害(ホントの)リハビリ分野では第一人者がいて、しょっちゅう会っているので発達障害について話を聞く機会は多いし、私自身もボランティアで介助などしていたこともあるし、発達障害児施設に数か月いたこともあります。
元々はリハビリ系なので多くの発達障害児を見ていますが、治療の対象として関わることは今後もありません。
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精神疾患は常に精神発達上の問題でもあるので、発達障害(誤診)と言うのは一見正しい見方で、悪いことではないように思う人が多いかもしれませんが…
精神科医や(養護学校ではなく一般の小中学校の)教師が発達障害(誤診)と言う場合はほぼ全て間違っており、反精神医療派の人でさえその間違いを踏襲し誤診の陥穽に囚われている人が多い。
障害とは疾患そのもの病気そのものは治らない、ということでありそれを受け入れた上での対処が必要だということです。
スキーで骨折しギプスを着けて杖をついている者はケガ人であって身体障害者とは言いません。
精神障害という言葉も本来望ましい言葉ではありませんが、かつて長らく精神医療の対象の殆どは重篤な精神分裂病であり、治らない(精神科医には治せない)ことを既定の事実とした上で広まり一般化したわけです。
日本でバイクと言えば、かつてはエンジン付のオートバイ、カブやスクーターなんかのことで、今もそうした言い方はしていますが、最近は自転車のことをバイクと言うようになりました。
(ホントの原チャリ、原動機付自転車を知ってる人はかなりの年輩ですね)
それで特に混乱も問題もないし、米国ではバイクといえば昔から自転車のことなので、むしろ訂正したことになります。要するに二輪車ということですから、いずれにしても間違いではありません。
机のことを椅子、椅子のことを机と言ったとしても(そのような使われ方をすることあるし)、多少の混乱はあっても人の勝手で、机に座って椅子の上のメシを置いて食べたって大して害はありません。
机が木製だとしても植物に分類し、水や肥料をやって、もっと高くしようとする愚かな人はいませんね。
しかしそれ以上に愚か、奇妙でかつ甚だしく有害、危険、被害甚大なことを行っているのが子どもに対する精神医療の現状です。発達障害・誤診蔓延と向精神薬漬け。
もちろん治療ができるなら、あるいは発達上の問題を克服するための援助ができるのなら,大いに精神医療はどんどん拡大すべきです。程度はともあれ、いかなる人も精神疾患という面はあります。
しかし現状では子供に対する精神医療は甚だしく有害、危険でしかありません。
例によって話がくどくなりましたので、ここで整理しておきますと。
・認識、行為の誤り:精神科医や教師、毒親など
 発達障害(誤診)は脳の病気として子どもを薬漬けにする。
・言葉遣いの誤り:一般の人や一部の反精神医療派の人など
 精神発達上の問題に対し発達障害(誤り)という言葉を使う。
もちろん前者の方がはるかに悪質ですが、後者も絶対に訂正すべきです。単なる間違いでは済まされません。
子どもを被害者とした犯罪的「医療」行為に加担し、精神医療過誤・向精神薬害の拡大、増長させることになるからです。
 反精神医療派の一部の人は、発達障害なんてないと言うけど、前述のとおり、もちろんホントの発達障害はある。自閉症は社会毒の影響などと言うのは矛盾している。それがないというのではないが、別に自閉症が増えたわけでもなく昔から多いし。
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なぜ発達障害(誤診)が広まったのか?
ここ数十年で特に新たな精神医学上の発見があったわけでもないし、新しい種類の精神疾患の発症があったわけでもありません。
典型的な「統合失調症」や「うつ病」などはむしろ少なくなり、精神疾患は多様化したという面もありますが、それも表面上のことです。
精神疾患の子供が増えたわけでもなく、発達障害(誤診)という言い方は誤診であるばかりでなく医学的にも定義上間違いです。
専門用語は定義されており、その定義から著しく外れている物事に対してその言葉を使ってはいけません。誤解や間違った対応を広めるからです。
精神分析は廃れたが、学問としての精神医学の中で、特に何かの変化があったわけではなく、誤診、誤解、混乱が広がり、子供にまで大いに精神医療の被害を広げてしまったということです。
悪い意味で精神科の敷居が低くなり、受診者が増え、うつ病キャンペーン、病気喧伝は既に頭打ちとなり、発達障害(誤診)すなわち脳の病気とすることで、その対象を子供に向けて拡大し、被害も拡大しているわけです。
「心の時代」と言われるようになり「スピリチュアル・ブーム」はあっても、精神医療の世界では口先だけで、うつ病は脳の病気という根拠のないウソがばら撒かれ薬害が広まり、心の問題ははないがしろにされてきました。
何と!生後数か月の子供さえ、発達障害(誤診)とされ、薬漬けにされている例も少なからずあるらしい。
そんなに子供に薬を飲ませたいなら、自分の子供に飲ませればいいじゃないか(そんなことできるわけないだろ!)」という人もいるけど、実際に自分の子供に向精神薬を飲ませて発達をデザインしたいなんていう、とんでもない精神科医もいるらしい。もちろん結果は目に見えている。慢性薬物中毒、中枢神経障害者だ。
昔、自分に生まれたばかりの子供を預けてもらえば、芸術家にでもスポーツ選手にでも学者にでも宗教家にも、いかようにでもしてみせる、と豪語して顰蹙をかいまくった心理学者がいましたけど。
もちろん結果は目に見えてる。精神病、PTSD・心的外傷後ストレス障害である。
フロイトの症例にもそういう人(の子供)がいたな…。
シュレーバーだっけ? ねずみ男? 忘れたけど。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と提唱した毒オヤジのスパルタ教育で息子2人は精神病になった。
世知辛い世の中になり、子供をとりまく環境も大いに変化し、要求されることも多くなり、子供も多くのストレスにさらされるようになったとは言えますが、過保護で甘やかされている面もあります。
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かつては児童精神科医という職業は成立しなかったし実際にほぼ皆無であった。なぜか?
そもそも精神の発達や成長とは子供が様々な精神病的・神経症的問題に陥りつつそれを克服していくことである。
従って、多少の神経症的問題は発達上の必要なプロセスでもあり、治療の対象にはならないし、すべきでもない。
もちろん精神医療に治療はできない。
そのある段階で優位な神経症的もしくは精神病的な状態に戻って、そこから抜け出せなくなっているのが精神疾患の症状である。(悪性の退行と固着)
逆に良性の退行により健康的な精神を取り戻すことが治療にもなる。子どもの頃は精神的には健康的なものである。神経も生き生きと働いている少なくとも殆どの人は大人になってからよりも。
一見、異常にあるいは奇妙に見える、病的で重篤な精神疾患といえども、普通の人に全くないことを症状として呈しているのではなく、程度や時期や状況の問題であるともいえる。
これを理解している人は精神科医に限らず殆どいないが。
優れた天分を持つ人が、若い頃から純粋に深く苦悩すれば精神的な危機に陥るのはむしろ当然であり、優れた業績を残した芸術家や学者、思想家などは殆どそうだと言っていいくらいで、枚挙にいとまいがない。
またそれを乗り越えることを通さなくてはそうした才能・能力は開花、実現しないだろう。
中高年のうつ病なんていう人の苦悩と同じようなことを10代の頃から、とっくに先取りしているわけで、まだ若いのでそれなりに元気はあり、典型的なうつ病みたいにはなり難い。
そうした若い人も少なくなり、芸術家や学者なんかも小ぶりな人ばかりになった気がする。中高年の「典型的なうつ病」も殆どいなくなったと思う。苦悩することは目先のことや自分とせいぜい周辺のことばかりか…
♪ドブに落ちても根のある奴は~ いつかは蓮の花と咲く~♪

ドブもなくなったけどな。花が咲かなくても悪い人生とは言えないが、薬漬け廃人ではそうも言えないだろう。
感染症にもならなければ免疫がつかないので健康でもありえない。ということは精神的な病気や健康についても言える。
純粋培養で育った人間は保育器から出せば途端に病気になる。現実にはありえないけど。
強迫神経症になってはいけないが、何事かを成し遂げるには強迫性も必要である。
不安や恐怖を積極的に持たない人間は、トラブルやリスクに対する認知能力も対処能力も身につかない。幼児の頃なら大人が守ってあげればよいだけかもしれないが、いつまでも過保護は子供をダメにする。
また「神経症的能力」を身につけてそれを生かすことも発達において必要なことでもある。
強迫的能力を持たない者は、一廉のことを身に着けたり成し遂げることもできないだろう。
皆が好きな受験戦争に勝ち抜いて一流大学に入ることでさえも、強迫的、完全主義的学習能力が必要である。
強迫神経症の人は強迫観念や行動が問題というよりも、それが有用なことには生かせず無駄で有害なのが問題だろう。それなりのことを達成する人もいるが、自分や他者に有用な強迫行動はむしろ乏しいことが多い。
不安もしくは恐怖神経症の人は無用な不安や恐怖に憑りつかれていても、持つべき不安・恐怖はむしろあまり持たず、そのための対処能力が低いのが問題だろう。強迫神経症の人は強迫的になるべきことではあまり強迫的にはならない。単純化していえば。
但し、もちろんそれも理由があってのことであり、基本的には現在のことではなく過去(主に幼児期)のことに反応、影響されている。
また、ほぼ健全な発達といえども、子供は不均等発達するものであり、同年代の子供より著しく劣っている面があっても、少なくとも一時的には普通である。
必要なことは「普通の適切な養育者の対応や教育」であり、もちろん薬や精神医療ではない。
多くの場合、年齢が進むにつれて「発達凸凹」は目立たなくなる。(これも精神科医や教師や毒親が使うし基本的な認識の誤りを伴っているのてあまり使いたくない言葉だが)
数学など天才的な能力を発揮する子供もいるが、簡単なこともなかなかできない盆暗もいる。しかし、そのような勉強嫌いの子でも、小学校高学年ともなれば掛け算割り算ができない子は殆どいない。
因数分解などとっくに忘れた大人は多い。それができなければ微分・積分もできないはずだが。
連立方程式さえ忘れた大人も多いだろう。殆どの人には日常的には必要なく、必要なら身に着ければ良いだけだ。
大器晩成なんて言葉はもはや殆ど死語ではないだろうか?
昔は手のかかる子供の方が可愛いなんて親も教師も良く言ってたものである。
確かに虐待は増えたし、(暴力や遺棄など)犯罪的な虐待の範疇には入らない、精神的虐待は元々多かったし、それは傍で見ていたとしてもわかり難い。
あまり使いたくない言葉だが「毒親」としか言いようがない人は、昔から少なからず存在した。
そうした場合、子供の方は青年期以降、重篤な精神疾患に陥ること必至だが、子供の頃にはむしろ問題は表面化しない場合が殆どである。
親は自分の育て方は問題なく、むしろ良かったはずだと正当化する。
「他愛的な子供は身を亡ぼすのが常である」、「手のかからない良い子ほど危ない」そうした子供こそ後に重篤な精神疾患になったり問題が起こりやすい、などとはよく言われていたことである。
前項でもココにそうした例を挙げておいた。
「ある同級生(統合失調症)」
仮に将来重篤な精神疾患に陥ることが分かった子供がいたとしてとしても、精神科医にできることはなく(せいぜい優しくお話を聞いてあげる位か)、むしろ無自覚に親と一緒に抑圧し、精神的虐待のお先棒を担いだり,増長されてしまうのがオチである。
かつては実際にはそういう子どもが、発症以前に精神科を受診することはほぼ皆無であり、受診しても精神科医にできることは全くないし、発症してから受診してもらうしかなかった。
(といってもやはり薬漬けだったが)
向精神薬は必要悪ではあっても良くなるわけではない、という認識は当然で、まして予防に使えるものでは到底あり得えずそんな発想をする愚か者は精神科医と言えども皆無であった。
ベンゾ系安定剤の有害さについてもそれなりには知られており、大して効果がないこともわかっていた。
実際に神経症的問題で精神科を受診しても、多少のことは「あまり気にするな、誰でも多かれ少なかれはある」などと言って帰すことが多かった。
従ってホントの発達障害でも、発達障害(誤診)でも児童精神科医の出る幕などない。
ふた昔位前のまともな精神科医には、そのくらいの理解や分別はあったのである。
今の精神科医を教育・指導したのはそういった先輩精神科医ではなくではなく、製薬会社の営業の人である。
(教育というより洗脳であるが。)
今はプロパーではなくMRって言うのか?何の略だ?
脳の伝達物質云々は実際にあっても原因ではなく結果である。なるべく原因に近いところで治療を行うのが当然であるが、いつの間にか精神医療に限らず医療の常識ではなくなってしまった。
エビデンス主義は本質的治療よりも目先の利だけの追及となり、対症療法自体が医療の目的化した。
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児童精神科医が出始めたのは、摂食障害など比較的早く発症する例が増えたのがきっかけであろう。治療ができるわけではなくとも栄養補給などとりあえず医療的な必要な面はあった。
不登校が問題になり、多くの場合は神経症的問題を抱えているのも事実であった。後に触れるがこの傾向は今は随分違ってきている。
それでも我々が若い頃は児童精神科医を自称するものなど数えるほどもいなかったのである。大人の神経症でさえ基本的には精神医療の対象外で、実際に受診する人も殆どいなかった。
しかしここ数年、自称児童精神科医も雨後の筍のように増え、精神科医と言えば猫も杓子も発達障害(誤診)と言い出し、子供まで餌食にして薬害を広めるようになってしまった。
発達障害(誤診)拡大は虐待やいじめなどの問題から目をそらし、見て見ぬふり、否認するためでもある。 実際にADHD等、発達障害(誤診)とされている場合、精神的虐待であることも多い。いじめも大人の目から隠れて行うことが多いので見過ごされやすい。
向精神薬は控えめ、カウンセリング、精神療法と言ってもそんなことが精神科医にはまともにできるわけではなく、薬漬けのためのアリバイ作り、口実づくりでしかない。
薬は使わないずに治療の努力をしてきましたが、やはり発達障害(誤診)遺伝の脳の病気なので薬が必要です、というわけです。
服薬すれば一時的には「効果」のある場合も一部はあるので、受診が必要だと錯覚してしまう。もちろんその「効果」さえ長く続くことはない。
子供にって向精神薬は脳破壊薬でしかない。もちろん大人にとっても同様だが、まだ脳が発達途上にある子供に対する有害さ危険性は桁違いに大きく、結局の所、薬漬け、ホントの障害者(薬害性の中枢神経障害)にさせてしまう。ハッキリ言ってしまえば化学的虐待である。
親や教師、臨床心理士や心理カウンセラーでさえ本来の役割を放棄し、有害さしか発揮しない危険な児童精神科医に丸投げ。
悪いのは教師ではなく学校の責任ではなく、もちろん親の育て方や家庭環境でもなく、子供が悪いのでもないけど、問題は子供の脳の病気・発達障害(誤診)だというわけです。
学校、教師、親と精神医療の間に現実歪曲空間が形成され、子供はそこから逃れることができない。
モンスター・ペアレントという言葉も殆ど死語になりつつあるようです。「毒親」という言葉は今でも患者は良く使うけどタブーかな。あまり良い言葉ではない。毒親もそうならずをえずなるべくしてなっており、被害者でもあり自分では直せないのだから。
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既に被害甚大だが、まだまだ被害の拡大はこれからである。
というのは、発達障害(誤診)ブームはもうすでに何年も前から激しい勢いで拡大しており、何と!児童精神科医を受診するだけでも半年待ちだったりするからである。
教師などから受診を勧められても(というより強要されても)まだ未受診の子供も多く、既に精神医療の毒牙にかかった子供は全体から見ればそれ程多くはない。
自殺者の数は(反精神医療派のおかげで)近年は僅かながらも低下しているのに、若い人の自殺が増えているのはそれが要因もである。SSRIによる賦活化症候群、アクチベーション・シンドロームも若い人の方が起こりやすい。
酒でさえ全く悪いとは言わないが、徐々に脳を破壊させる。我々くらいの歳にもなれば、ほぼ毎日飲んでる人と、飲まないかもしくは時々しか飲まない人とでは随分差が出ている。
やはり前者は身体の病気にもなっているが、酒が明らかに脳に悪影響があることがわかる。精神科医や一般の人、もちろん本人には特に、にわかり難いが。
なぜ子供に酒を飲ませてはいけないのか。向精神薬よりは酒でも飲ませた方がまだましだが、さすがに子どもに酒を飲ませるバカは滅多にいない。
このままの勢いだと、普通より健康的な子供でさえ発達障害(誤診)とされ、殆どの子供が発達障害(誤診)とされてしまう。
不健康な子供より、むしろ子供らしく素直で健康的な子供の方が発達障害(誤診)とされる傾向さえ既に起こっている。
そういう子が生きにくい時代だという背景はあるにしても。
Sさんの子供も学校で発達障害(誤診)扱いされて、教師に精神科の受診を勧められたと言ってたな。
「うちの夫は精神科医なんですけど」
結局の所、アクチベーションシンドロームによる自殺を免れて命が続いたとしても,障害年金や生活保護をもらって廃人的障害者の人生か。
そうなると、もちろんそれを支える人も必要である。税金、保険料も上がるばかりだ。
まともな医療が行われているなら消費税の増税など必要なかったはずである。もしくは税金は上げても保険料は下げることができるはず。
「このままだと、この国は医療で潰される」ある医療ジャーナリストの言、決して大げさではない。
「子どもを精神科医に近づけてはならない」
この項、続きは…、こちらをご覧ください。
発達障害 (2):発達障害(誤診)の病名など
発達障害(3a) 発達障害(誤診)の症例-1、統合失調症の疑い、AD/HD 注意欠陥多動性障害

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統合失調症の原因(ある同級生)

ある同級生のこと(統合失調症の原因)
私が中学に入学したのは1971年である。思春期の始まり、多感な時期である。
入学早々、大久保清の事件がニュースになり、それは随分、気の滅入ることであり大いに苦悩した。前年にハイジャック事件や大阪万博があり、この年にドルショック、翌年には浅間山荘事件があり、中学3年の時にはオイルショックが起こった。ベトナム戦争は徐々に終結に向かっていった。
それらのニュースは良く覚えている。
赤軍派メンバーの名前など今でも諳んじているほどだ。新聞は読んだが、勉強は全くしないのでそういうことは記憶に残っている。
彼らも世界の平和や人々の幸福、自由と平等を目指していたはずなのに、なぜあんなことになってしまったのか?
連続婦女暴行殺人事件も集団リンチ殺人事件も、私にとっては深刻な問題であり子供なりに真剣に考えた。中学1年ではあまりに重すぎる課題ではあったが、勉強にはなった。
2つの事件が起こった群馬には何の因果か仕事の転勤で移住し、30歳~40歳までそこで過ごすことになった。
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私の中学は主に2つの小学校から来た生徒が一緒になった。団地の中の新設校であり、4期目ということになるはずだが、校舎は前年に出来たばかりでまだ新しかった。
その時に私とは別の小学校から来たある女生徒を一目見て一目ぼれした、という話ではなく、将来的にあの子は精神分裂病になるに違いないとハッキリ感じた、というよりわかったのである。
既に表情や姿勢、しぐさにもその兆候(というより症状そのもの?)は現れており、背後に親の様子や家庭環境も透けて見えるようだった。もちろん親には会ったことも見たこともない。
透視能力などあるわけでもないが、子供というのはしばしばそういうものである。
既に若干名は精神分裂病の患者のことも噂には聞いたことがあったし、その家族的背景や成育歴など、知ることはごく僅かでも、ある程度の察しがついていた。
一般的に統合失調症の親は一見きわめてマトモでむしろ立派に見える。その子供もまた発症するまでは多くの場合、マトモすぎるくらいマトモである。少なくともたいていの場合はそう見える。
家庭の中を覗いて見たとしても、やはりそう見えるかもしれない。
虐待というのには当てはまらず、普通は暴力はないし言葉の暴力でさえなく、敢えて言うなら有害感情の暴力か。
統合失調症の親は必ずしも愛情がないわけでも薄いわけでも与えないわけでもない。どちらかと言えば愛情を与えて剥ぎ取るのである。その分を取り返すかのように、というよりも利子以上の分も暴利を貪る高利貸しの如く。
もちろんそれだけが原因ではないのだが。
納得がいかない人は、失恋を考えるとわかりやすいかもしれない。
ただ単にこっちが好きでも相手にその気なし、脈なし、つれない態度や返事だけなら、ガッカリしたり落ち込んだりもするだろうが、それほど傷つくわけではないしあっさりと諦めもつく。またしばらくして口説けば相手も気が変わるかもしれないし、こっちも執着はしていないので他の人にすれば良い。
ひどく傷つく場合は相手にも愛情があり、それなりに深い相互的な恋愛感情に基づく精神的な関係があった場合である。別に嫌われたわけでもなく、単に相手が心変わりしただけでも激しく傷つくことは経験のある人ならわかるだろう。
それは幼児期のトラウマの再現でもある。恋愛関係は常に転移・逆転移関係でもあるのだ。陰性転移と陽性転移はコインの裏表のようなものでもある。
『サリヴァンの精神科セミナー』みすず書房にはこうした会話がある。少し引用してみる。
ライコフ
そうね、今はやる時じゃないが、いつかは、例えば自我変化を起こす自我容量の水準が何であるかを論じたい。これは僕自身のためでもある。僕が何年かを共に過ごした統合失調症の家族の全部だが、家族も患者とまさに同程度にクレージーだというのがほんとうだ。思考障害も同じことだ。R.D.レインなどが出している膨大な資料はもう古い。家族の中では実際に統合失調症が全く正常(ノーマル)だということは、われわれの多くがたぶん前から知っている。しかし、父親、母親、きょうだいたちが(患者と同じように)精神科病院の同じ病棟に入院していない事実をどう説明する? あの連中はクレージーなのに(普通の人間が)するとされることは全部している。自我能力がそれを可能にしている。なぜか思考障害の封じ込めができている。
クヴァニース
--もう終わる時間だよ。

というわけで、話が佳境に入ってきたところで対談は終わっているのだが(時間の問題じゃないだろ)、少なくとも中学1年の時の私はそこで思考停止にはしなかった。
R.D.レインの『引き裂かれた自己』を読んだのは高校に入ってからであったが。
幼児期において、特に認識主体と客体、自分と他者、自己と対象、睡眠と覚醒、現実と幻想といったことが、十分には区別がついておらず、まだまだ未分化で自我が確立していない(一次過程が優位な)段階で、極端な愛情剥奪を受けると、大人になってから(多くは思春期~青年期)ちょっとしたショックな出来事やストレスや不適応など、些細なことでもあっけなく精神が崩壊し統合失調症を発症する。
しかし幻覚・妄想といえども脳の異常によるものではなく、普通の人には無いことが起こるわけでもなく、生後数か月レベルの幼児の精神構造への退行・固着である。普通の幼児の精神状態と違って、はるかに強大な不安や恐怖に支配されたものだが。内面化されたトラウマの再現でもある。
十分に自己が確立した人なら、覚醒時には意識から排除できており、睡眠時に悪夢のような形で起こるようなものである。寝ぼけているときに幻覚・妄想があるのは普通の大人でも普通のことだ。
統合失調症の状態は、もちろん寝ぼけているのとは違うのだが半覚醒状態と言えなくもない。
解離された感情や衝動、情動、欲動などが再び覚醒時の意識の中に侵入し、自己を支配してしまい、抗いようもく対象化不可能になってしまう。
先に述べたような、未分化な段階の精神構造への退行であるが、それも全面的に退行するわけではない。
愛情を伴った承認が得られなければ、感情・感覚、認知・認識や思考も、自分のもの、確かなものにはならないのだ。一旦、確立したかのように見える自我や対象関係も、極めてあやふやで脆いものでしかなく、あっけなく崩れてしまう。
先に「些細なことでもあっけなく、崩れてしまう」と書いたが、それは一般的に言えば、もしくは傍から見ればということであって、当人にとっては生死を分ける崖っぷちの瀬戸際、文字通り死活問題である。
例を挙げるなら、お店のバイトを始めたが、「いらっしゃいませ」が上手く言えないなと。
それは最後の審判、死刑宣告であり、人間社会からの抹殺、世界からの排除であり、二度と昇らぬ日が沈む。
それには幻覚・妄想ではなく十分な現実に即した理由がある。
まだ若いのに…というのは、申し訳ないがハッキリ言って素人の浅はかさ。
生きるか死ぬか。実際に自殺する者もいる。生きるのか!?…、然らば精神の自我の崩壊。
私は独力で統合失調症≪精神分裂病≫(の少なくともその殆ど)がPTSD・心的外傷後ストレス障害であることを「発見」していた。中学、高校の時はfぼろげではあったが大学の頃はかなり明確にはなっていた。もちろん上に述べたことが全てではない。
独力とは言っても独自ではなく、もちろんずっと昔からそういうことを発見していた人はいたが、それが一般の精神科医には理解できず少数派だったということである。今は極少数派だけど。
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とてつもない芸術的表現をする子供もたまにはいるし、それは自分の中になければ表現できないはずで、少なくとも他者には伝わらないはずだ。その感性は子供自身のものであるより大人の投影という面も大いにあるだろうけど。
私に関してはそのような才能はからっきしなかった。もしかするとないではなく発揮できなかったのかもしれない。引き出す環境があったら発揮できるわけでもないだろうけど。
私に限らず殆どの子供はそうなのかもしれない。
当然のことながら、もちろんその女生徒に対する感性や認識も私自身の投影という面はあった。
ちょっと自慢になってしまうのかもしれないけど…、今わかっていることの多くは基本的には当時もわかっていた気がする。というより子供というのはそういうもんだ。
私自身はそれから40年以上、そのままの延長で来ているだけである。治療法を身に着けたのは、それから20年ほど後だが。
精神科医とて子供の頃は同様の感性や洞察、そうした才能・才覚があったのではないだろうか? 
いつの間に「心を折った」のか? あるいは徐々に認知がねじ曲がったのだろうか?
おそらくは本人も気づかないうちに。
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結局、彼女とは3年間同じクラスになったことはなく、話したこともないし声を聞いたことさえ多分ないし、何らかの噂を聞いたこともない。彼女とのかかわりは同級生というだけで、廊下ですれ違ったり校庭で見かけたりする以外の関係はない。
小さい中学だったので、何がしかの問題を起こしたり奇妙な面を露呈すればもちろん周囲に伝わるはずだし、そうでなくとも殆どの生徒のことは何かと噂にはなり、決して目立つ方ではなかったが私のことを全く覚えていない同級生も多分いないはずである。
彼女は存在感薄く全く目立たず殆ど話題にもならず、3年間特に問題になるようなこともなかったに違いない。教師ならもしかすると病気に関して何がしかのことを知っていたのかも知れないが、そのような教師がいたとも思えない。要するにその段階ではまだ発症していないはずである。
彼女は高校には進学したはずだけど、どこに行ったのかも知らないし、その後の消息も知らなかった。中学卒業以来、記憶には鮮明に残っており、(自分の頭のハエも追えないくせに)頭のどこかでは薄々とはいつも気にかけて心配もしていたが、その後30年ほど最近まで噂を聞くこともなかった
最近(といっても数年前)同窓会をやるために同級生の消息を調べた折に、同級生の一人から聞いたことは…
「確か…、随分前に親に殺されて事件になった」というのである。
やっぱりそうか…、そういう結果になってしまったか…と。
さすがにそこまで具体的な予想をしていたわけではないのだが。
詳細はいまだにわからないが、やはり発症し精神科を受診して入退院はしていたようである。
大学に進学したのかどうかも知らないが、察するにおそらく仕事も結婚もできず、ひたすら精神的に追い詰められていたのではないかと思う。
おとなしく気の弱そうな子だったが、親に対する暴力くらいはあったのかも知れない。(窮鼠猫を噛む)
私は大学以来地元からは離れていたし、新聞もテレビも見なかったので事件については知らず、同級生とはそれなりに付き合いを保っていたが、彼女の噂も全く聞いてはいなかった。
皆そのことは知らないか、もしくは隠ぺい記憶のようになっており、そのひとりの同級生以外は誰も彼女のことを口にするのは聞かなかった。
首都圏近郊だし住宅地として発展した場所なので、殆どの同級生は地元からそう離れていないのに。話を聞いた同級生でさえ記憶ははっきりしていない様子だった。
彼女と小学校も同じだった友人に聞いてみたら、彼も地元からは離れており、やはり亡くなったことは知らず、彼女のことは中学の頃は覚えていないが、小学校の時の様子は良く覚えていた。
子供の頃は利発で良い子で真面目で優秀だったという。中学の時はそうでもなかったけど。
私が初めてフロイトを読んだのも、日本医師会会長・武見氏の「精神科は牧畜産業発言」を知ったのも、中学の時である。向精神薬害についてもごく基本的なことだけはわかっており、精神医療の現状についてもある程度の察しはついていた。
精神疾患についての専門書もいくらか読んだことはあるが、「こいつら何にもわかってねー、クソの役にもたたねぇ」ので、それ以降は読んでいない。後に専門学校の試験や国家試験もそれだけでクリアした。
従って、精神科医になりたいなどと思ったことは一度もないが、紆余曲折あって20代後半には精神医療関係に従事することにはなり、現在に至る。
もちろん自分自身のこともあるが、彼女のことも無関係ではない。
ついでの話だが、一目ぼれというか気になった女の子は、いかにも家庭環境も良さそうだった。
30数年後同窓会で会ったときには、私も幹事をやったのでずいぶん感謝された。この人とも同じクラスになったことはなく、話をしたのはその時だけである。
あまりデキは良くなかったはずだが、いかにも幸福な家庭をもっているようだった。
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