向精神薬の(副)作用は自傷や自殺だけでなく他害、事件も多い。

「死刑になって死にたいから、殺す」拡大自殺の実行者と車を暴走させる高齢者…その背景にある恐るべき真実 薬物の副作用で人はおかしくなる | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

精神科医の和田秀樹氏は、「薬の副作用が一因となって自分や人を傷つけようとしたり、体は起きているが寝とぼけた状態になって車を暴走させたりすることがある。警察やメディアは容疑者などが日頃飲んでいる薬を調べるべき。また、コロナワクチン接種後の死亡者を巡ってもワクチンの副作用・副反応との関係などをもっと開示するべきだ」という

和田春樹は精神科医と言うよりも受験の専門家だけあって時々まともなことを言う。

新型抗うつ剤 SSRIの賦活化症候群(アクチベーション・シンドローム)による自殺などは既に多くの人に知られているが、薬の作用には自傷だけでなく他害もあることはあまり知られていない。

最近だと、電車内の放火事件や同居の親族に対する放火殺人事件とか、車でバス停に突っ込むといった事件はおそらく向精神薬をやっている可能性が高い。

鬼束ちひろの救急車蹴っ飛ばし事件などの奇行も、違法薬物は検出されなかったようだが、まず間違いなく向精神薬の影響があるはずである。
松田沙也加の自殺においてもしかり。ある程度の期間、服薬すると止めるのも危険である。

かつて麻薬・覚せい剤などの使用者による犯罪が多かったが、今は処方薬(向精神薬)の服用者の犯罪が多い。それは警察の人も認めていた。

米国で時々起こる銃乱射事件の犯人の殆どは向精神薬服用者である。


ここでも精神科医にしては割にまともなことを言ってる。

東大医学部卒・和田秀樹「私が偏差値の高い子に東大医学部をお勧めしないこれだけの理由」

東大医学部卒・和田秀樹「私が偏差値の高い子に東大医学部をお勧めしないこれだけの理由」(プレジデントオンライン) – Yahoo!ニュース

彼が言うように、東大に限らず、精神や心は勉強も研究もしていない。いつの間にか脳神経医学専攻臨床神経精神医学講座になってる。関心ないから知らなかったけど、前からそうだっけ?

東大に入るのはそんなに難しいとは思えないけど(実際に学生のIQの平均は120程度らしいので、たいして地頭が良いわけではない)理IIIともなれば一桁違うはず。

頭脳の無駄遣いというべきか。所詮、価値のあることや有益なことには役に立つ頭脳ではない、ということか。受験勉強のやり過ぎでおバカになるのか?
今までの人生の中で殆ど勉強したことがない私にはわからないが、特に精神科医は事実から学ぶということが徹底的に苦手なのは確かだ。
実際に東大医学部出身者で知ってる人は数人くらいだけど、あまり優秀ではなかった。

もちろん他の大学も同じようなもんだ。
なり手がいないので、東北の某大学の落ちこぼれが各地方国大の教授になっているらしい。でも何年もしないうちに務まらないので辞めて、すぐに交代しているらしい。
それで教育が成り立つのか?って、もう随分前から実質的に精神科医を教育しているのは製薬会社の営業担当者だし。MRって言うのか?何の略だ?昔はプロパーと言ったと思う。

昔はどの大学の教授は誰でどんなことをやっているか、ある程度は知ってたけど。治療などできなくても、それなりに名の知られた学者研究者が多かった。もちろんとてつもなく酷いのもいたけど。俺が昔勤めていた地方国大もそうだが。関わりたくもないので一切相手にしなかった。


与太話です。

国語(現代国語、現代文)の勉強は大事です

【国語(現代国語、現代文)の勉強は大事】

国語(現代国語、現代文)の勉強は大事です。
文章が読める、書けるつもりでも意外にできていない人が殆どです。文章がきちんと読めなければ問題文の意味もよくわからないし、上手く書けなければ回答も上手くできない。
当たり前ですが、なかなか自覚するのも難しい。

国語は短期の学習で成績向上につながるだけでなく、他の教科の学習にも役立ちます。
英語を読解したり書いたり訳したりするためにも、もちろん国語力は必要です。
論理的な思考ももちろん大事で、理系の科目だけやっても半分位しか身につかないのでは?

数学の本質は計算ではなく、言葉の定義や操作です。円周率とは3.14でもπでもなく、円の直径と円周の比率ですが、それが何を意味するのかが問題です。
逆に数学の勉強は言葉の勉強、論理の勉強とも言えるでしょうけど。

大学教師をやっているときに、国家試験の対策を担当していました。国立大学は基本、ほったらかしですが、私立だと合格率は学校の評判にも関わるし重要なので模擬試験だの卒業試験をやって、デキの悪い学生は留年させられる。それで授業料も随分余分に取れますが、学生や父兄の方もあと1年だけなら、となるわけです。

しかし、私のいた国立大学でもかなり落ちる人がいて、就職してから就職先にも迷惑をかけるし、クビになるし本人も困る。臨床に役立つ勉強をしなくてはならないのに、いつまでもそんなことに時間や労力を使うのも無駄と言えばムダ。

そのときに思ったのはやはり国語力が乏しい学生が多いということです。必要なのは主に読解力ですが。
あまり成績の良くない学生が、よく「引っ掛け問題が多いから注意しなくてはいけない」などと言っていました。

基本、試験にはひっかけ問題はありません。特に入試や国家試験などには。
もしそのような誤解を招きやすい問題があったとしたら、不適切問題になるので問題をつくる段階で徹底的に排除されるか、採点対象から外されるはずです。

要は、問題はわかりやすく誤解がないように書かれているのに、自分が勝手に誤解して勝手に引っかかっている。
逆に問題を正確に読むことができれば、ヒントになるようなことが問題文にはいくらでも隠されています。推論も必要ですが。

その勝手にやたらと引っかかっている学生は、普段もこちらが言わんとすることの意味や意図がうまく伝わらず、やはり話が通じ難かった。

あまりでかい声では言えませんが、私は現役のとき現代国語は得意になりましたが、漢文・古文の勉強はほぼ全くやらず完全に投げていましたが、入試のときに時間が有り余っていたので、問題を見ていたら答えがけっこうわかった、もしくは推測できました。
もちろん合格した。

最近の事情は知りませんが、その頃のリハビリ国家試験の合格点は6~7割程度と言われていました。
マークシート方式で5択から選べば良いので、デタラメでも2割とれるし、高校程度の勉強をそれなりにやっていれば半分はとれるのでは?とさえ思えてしまう。
もちろん3~4年も専門の勉強をしていれば、合格できるのが当たり前で、実際に自分の卒業した専門学校は創立以来、一人も落ちた人はいませんでした。しかし国立大学を出ても落ちる人がけっこういるのです。

※国語が苦手な人は…

とりあえず、国語が苦手な人は文章の読み方が荒く、正確に読んでいません。
推測して考えるのは良いのですが、文章を正確に理解せずに、著者の考えや意図に自分の勝手な推測を紛れ込ませてしまう、思い込みや先入観を持って読んでしまい、それを修正できない、といった問題もあると思います。
当然のこと、問題文を読むときにもそうした傾向があり、知識があって答えられるはずでも、問題を読む時点で正答から外れてしまいます。

よく本を書いた人が、自分の書いた本が国語の入試問題に出題されたのでやってみたら、あまり点数が取れなかったなどと言う話がありますが、これはある意味では当然と言えば当然です。
問題を読んで得られることだけしか回答にはならないので、いくら著者の考えや言いたいことを理解していても、あるいは推測して当たっていても、それで答えるわけにはいかない、そうでなくては答えられない問題は問題として不適切です。

もちろん、大学に入ってからも仕事をするようになってからも文章を読んだり書いたりすることは重要です。
これも大学教師をしている時によく思ったことですが、ちょっと難しい文章になると途端に理解できない学生がよくいました。高校までの教科書にはあまり難しい文章は出てきませんが、専門書となるとどうしても文章も理解が難しくなります。

やはり専門的な知識を得るには本を読んで理解して勉強する、ということも大事ですが、文章が理解できないのでは勉強にならない。頭が悪いわけでもないし、英語もそこそこできるのに、日本語を読む能力が乏しい学生も少なくなかったと思います。

「読み、書き、そろばん」とはよく言ったもので、もちろん聞く、話す、ということも含めて。
「そろばん」は現代ならさしずめパソコンですが、当時は普及し始めた頃で、基本的なことはできた方が良いと言っても意外に抵抗を示す学生がいました。まだ、若いのに。
研究とか言っても使えないので、私はパソコン教室の先生じゃないんですけど、ずいぶん教えました。物理の先生はBASICとか教えてたけど使い物にならない。

ある卒業生に「何でやらないのか?」と聞いたら、「パソコンができたら仕事を頼まれて断れない。だから憶えないようにしている。」と言われて唖然としましたが、それから何年もしないうちに電子カルテが普及し、使えない人は医者でもリストラという事態にもなりました。
「仕事はやった奴が勝ち」です。

とりあえず、今は良い参考書や問題集もあります。
きちんとやれば短期で国語力はつくはずで、国語の成績だけでなく、他の教科の成績も上がるはずです。
もし回答を間違えたら、なぜ間違えたのか徹底的に自分の認識や理解、思考回路の検証が必要で、こうしたことは他の学問分野や人間関係など様々なことに役立つ、というよりむしろ必須のことです。。

なぜ受験コースを敢えて提唱するのか

【なぜ受験コースを敢えて提唱するのか】

私が受験勉強を奨励するかしないかと言えばどっちでもあります。

・もう科学技術の発展はこれ以上必要ないのではないか?
・AIだの何だのは人を幸福にするか?社会を豊かにするか?
・勉強も科学技術も人間を疎外する。(のではないか?少なくともそういう面はある)
・ガリ勉だの競争だのは、中国や韓国その他の国に任せて、日本は本当の「先進国」を目指すべきではないか?
・差別、抑圧や階級社会、格差拡大はけしからん。競争社会は大嫌い。
 ますます世知辛い世の中になってしまうぞ。
・もはや学歴社会ではない。(これは皆が言ってる)
・これからの時代、知識の蓄積が役に立つわけではない。
 (これも皆言ってるけど…)
・精神科医など受験勉強のやり過ぎで頭がパーになったのではないか?
・高学歴の人にも視野が狭い人が多い。偏見もあるだろうけど特に医者
などなど、否定的なことばかり言ってるし。

だからこそ、避けられないなら(避けるという道も大アリだと思いますけど)
・効率よくなるべく時間をかけず楽しくやった方が良い。
・青年期の通過儀礼としての意味はある。
・人間、目標がないとなかなかやらないものである。
 目標を自分でつくって達成するという体験も必要
・精神的なプレッシャーに耐えつつ克服する体験も必要
・後々、様々なことを知るための認識の枠組みみたいなものはある。
・どうせやるなら、知識ではなく事実を知り理解して、他のことにも役立つようにしよう!
などなど、とも思いますけど。

でも、それだけなら私が受験勉強のことを言う必要もないと思います。

和田秀樹という精神科医で受験勉強の専門家もいるし。
彼は中々良いことも言ってるし、精神科医としても割にまともな人だと思います。精神科医の活動は実質殆どしていないようなので。

それでも敢えて、受験コースを提唱するのは…
・やる気、根気、集中力など大幅に改善、向上させる方法を知っている人は、私以外にはたぶん誰もいない。
・受験に役立つだけでなく、精神の健康、生涯の幸福に役立つことを教えることができる。これも実質、私以外には殆どいないでしょう。
・それは善を目指すことでもあり、人類、社会、世界、未来に貢献することでもある。
・これからの未来を担う若者たちをサポートしたい。
・この治療法を後世に残したい。
ということです。

他にも書きましたが、その方法は精神疾患の自己治療法と同じです。
したがって受験コースと言っても、マニュアルの販売、相談・施療指導と提供できることは同じです。患者さんと受験生を区別する必要は基本的にはありません。
「受験コース希望」と書いて頂ければ、簡単なリーフレットをオマケしようかと思ってます。気が向いたらね。
もちろん、実際に相談・施療指導にいらした方にはなるべく個々人に合わせた指導をします。

実績もあります。
実際には私自身は殆どと言っても良いくらい、勉強はしたことがないです。
私立文系の大学に行くときは3~4カ月くらい、医療系専門学校(競争率が高くけっこう難関)に行くときは1~2カ月かそこらしか勉強はしていませんが、短期で大きな成果を上げた実績はあります。
一応、文系も理系の勉強もしているし、多少とも体育(運動学)や音楽の勉強もしています。
勉強らしい勉強はしていない、というよりできなかった主な理由は子供の頃から精神病になったからであり、能力的にはともかく、広い意味では決して勉強嫌いではないかも知れません。
医療系国立大学の教師も10年以上の経験があり、多くの学生を見てきました。入試の担当委員もしていたことがあり、採点に関わったり、センター試験だけでなく、試験監督も随分やりました。そういうのは皆、やりたがらないので。

何よりも、長年セラピーをやって不登校などの患者さんの治療に大きな成果を上げ、成績も全く振るわなかった生徒が、難関の高校や大学に行ったり、勉強など手につかず殆どやらなかった人がやるようになった、といった実績は数え切れないくらいにあります。
これだけの実績は他にはないはずです。

他の理由としては、あまり馬鹿正直に言うものではないかもしれませんが、お金を稼ぐためです。
この自己治療法を今後世界に広めるためは、多少とも資金は必要であり、それ以前に私の生活も成り立たなくはなりません。
とりあえず受験という目先の利もあれば、求めてくる人も少なからずいるだろうと思うので。

というわけで、受験コースを提唱し、受験勉強についてもこれから書いて行きたいと思います。