【不登校、登校拒否】
不登校、登校拒否
不登校はそれ自体病気とは言えませんが、実際に不登校の人は神経症的問題が大きい場合がほとんどです。
昔は不登校の親はたいてい過干渉、過保護であったが。家にいるのは嫌なので学校に行かなくては、と思うのだがどうしても行けないというケースが多かったのですが、今は家が居心地が良いという人が多いようです。先のことを考えなければ、そう不安にもならなくて済むのでしょう。
最近は不登校の人はあまりにも多く、問題と言うより1つの役割や立場と認知されているようなところがあります。学校もそれなりに対処するもんだから、なおのことです。
本人はそういうつもりはなくとも無意識に、学校だけが人生ではないと開き直ってしまいます。
もちろん学校には行かなくても良いのですが、仕事をするとか、何かをしなければ人間やっていけません。自分から行動できる人は行かなくても良いかも知れませんが、やはり普通に考えると学校に行って勉強やら人間関係などいろいろ学んで成長するのが、やはり一番得策だと思います。
私が中高生の頃は、不登校という言葉は事実上まだありませんでした。
実際には皆無ではありませんが同年代でそういう人は見たことも聞いたこともありません。1人だけ学校は休みがちで、2/3位しか来ない人はいました。
虐待で学校には親が行かせない子や「アダルトチルドレン」のように(小さい兄弟の世話をしなくてはならないため)学校に行きたくても行けない子はご少数ですがいました。
小学校1年の時に、隣の席に学校を休みがちの子がいました。「お前、何で学校を休むんだよ!」咎めるように言うと、小さい弟や妹がいるので面倒をみなくてはいけないからだと答えました。「えっ!親はいないのか?」「おかあさんは病気でお父さんは働いているから」
悪いこと言っちゃったなと思いつつ「それじゃ、学校なんか来てる場合じゃないな。今日はどうしてるんだ?大丈夫か?」「中学生のお姉さんがいるので、交代で面倒を見ている」「ふ~ん、たいへんだな」
その後は同じクラスではなかったのですが、小学校4年のときの運動会のこと、運動会は給食ではなくお弁当です。寿司屋がその子の所に出前を持ってきて、下の子(1年と2年だったか)に分けていました。可愛そうで見てられなかった。
だいぶ後で聞いたところでは、父親がアルコール依存症で、暴力もあったのか、母親は子供を遺棄し家を出て逃げてしまったようです。そのうち転校してどこに行ったのかわからなくなりました。
今で言う、アダルト・チルドレンです。小学校1年でも、ずいぶんしっかりして見えた。今はどうしているのだろうか?
他でも述べたように、私は12歳、中学1年の時に精神病が重症化し、学校には適応でなくなり、学校に行くのが辛かったです。勉強はもちろん、遊びも殆どできない。とくに辛かったのが体育など運動です。身体が重くて動かないし。
小学生の頃は、友達も多くて人気者だったし、女の子にもモテたし、勉強はやらなくてもできたし、運動などはだんだんダメになり、いろいろ神経症的、精神的な問題は次々と起こってはきましたが、それなりに克服しつつ何とかしていました。しかし、後で気づいたことですが、精神的な発達に関しては、土台が全くできていなかったのです。将来精神病になることは薄々わかっていました。
私に限らず学校も軍隊よりはまだましだ、殺されるわけでもないし人を殺す必要もないと思って、嫌でも学校には休まず通っていた生徒も少なからずいたのではないか?
当時はベトナム戦争が毎日のようにニュースになっていたし、軍隊上がりみたいな暴力的で理不尽な教師も少なくはなく、そういうヤツの存在自体も嫌で嫌でしょうがなかったが、そうした教師もさほど問題視されることはなかった。イザという時は刺し違える覚悟もあったが、教師も察したのか私自身はひどい目に遭わされたことはないです。
高校にも行きたくないし、働きたくもない。定時制でもとは思いましたが働けないのにそんなところに行くのも悪い気がして。結局、高校に行くしかない。高校は歩いて10分位の所だったのでその点はずいぶん助かりました。
なるべく人に迷惑はかけたり問題は起こさないように大人しくしていました。
しかしやはり学校に行くのは地獄に行くみたいで辛くてしょうがない。今から思えば、可愛い子はいるし、勉強したって、遊んだって、運動したって良いわけで、天国のようなものだったと思うのですが。
当時は精神疾患の理解もないので、親にも教師にも何も言わずバレないようにしていましたが、教師からは「やる気がないなら辞めろ!」と詰め寄られたりしました。
学校を辞めて大検なども考えましたが、当時はものすごく難しかったのです。大検に受かるくらいなら東大にも入れるくらいで、というより体育も実技あり練習しても無理だし。既に学生運動は下火になっていましたが、その対策だったようです。大検も徐々に簡単になり、合格しても受験資格が得られるだけで高卒にもなれませんでした。
今は高卒認定試験になり、ずいぶん簡単になったようです。
通信制なども事実上なかったので、そういう学校があればどんなに良いかとも思いましたが、今から思うと学校に行くしかなかったから、苦しくても何とかなったのかという気がします。行っていれば少しは友達もできるし(患者ばかりだったが皆病院など行かない)大学にも進学できました。
【事例】私事ですが、
私の甥(姉の息子)が不登校になりました。住んでいる所はいわゆる高級住宅地のすぐ近く、殆どの子供は少なくとも中学からは受験して私立に行きます。地元の中学はそうでは無い子が行くため、かなり「ガラが悪い」大げさに言えばスラム化しているという。
甥は体格も小さくひ弱だし、気も弱いので、とても地元の中学には行かせられない、と私立を受験しましたがいわゆる「良い所」は落ちて、それでも某私立大学の付属中学には何とか合格したので行き始めました。
ところがそこでいじめにあってしまったのです。そんなに激しいものでは無かったようですが。その後、引きこもり。
机の引き出しを見たらナイフがびっしり、当時は生徒が先生を刺し殺したりして問題化していた頃です。姉はすっかりビビッてしまいました。
「ナイフをよく見ろ!全てアウトドア用のものだ」「本棚にもビーパルとか並んでいるじゃないか」中学生では一人アウトドアなんか殆どの子はできません。親だってやらないじゃないか。
人を刺したりするやつは、かならず親に酷い目に遭わされている。無意識にその報復を他者にするんだ。アンタはそんなことしたのか?暴力はなくとも言葉の暴力とか?
そうじゃなければ、そんなことするわけない。
このセルセラの元になる治療を受けてだいぶ改善しましたが、どうしても中学には行きたくない、ということで親は自由にさせました。その後、中学にはたまに行って先生に会ったりするだけで何とか卒業ということにしてもらい、その間、自分でアルバイトを探して働き、相手先もよく理解してくれて可愛がってくれたようです。本人も一応マジメだし、イヤなヤツでもない。独りでアウトドア系の趣味もやっていたようです。
やはり高校にも行きたく無いということで、そのまま勤労生活を続け、大検にも受かり、大検だけでは高卒にもならないので、大学は夜間部に入り、そのまま仕事を続け(勤務先は変えたようだが)、卒業後、就職して転職もしましたが、結婚もして、地方公務員の試験を受けて、今は自治体で働いているようです。
彼の場合、才能能力はなくとも、仕事や趣味で学校に替わるような経験を積む事ができたわけです。
子供はまだ精神的に健康なので、短期の治療でも改善し、学校に行くようになるのですが、問題は親の方です。親が自分の問題を理解し克服する気になった場合は良いのですが。逆に親が自分の問題を理解せず、治そうともしない場合は、軽症でしっかりした子以外は確実にうまくいきません。せっかく良くなっても親に足を引っ張られてしまうのですが、いくら反抗的でも親には勝てず追い詰められてしまうのです。
【事例】
中学2年、中学は最初の頃は行ったようだが、1年の5月から保健室登校、その後間もなく全く行かなくなったようだ。拒食症ではなく、食欲不振ということだろうけど、あまり食べておらずガリガリに痩せている。
学校から児童精神科を勧められて受診し、最初はカウンセリングみたいなことを受けていたようだが、結局良くならないし何にもならない。やはり薬を飲まされ、お決まりのパキシルなど、量は少ないはずだが、やたらと効きが良かったらしく、頭痛や吐き気が強く、とても飲めたものではなく、そう伝えても薬を変えるだけで、他の悪作用がひどくなったりするだけである。薬でよくなるわけはないことは分かっており、本人も親ももう二度と病院には行かないと言うことであった。
遠くはないが他県から来ており、その地域には私も10年ほどいたことがあり、彼女が行っていたクリニックの児童精神科医には勉強会などで会っており、一応知っている人物である。
物腰柔らかく、優しそうで、おそらく評判は良いはずで、薬もあまり出さない方である。日本で良心的な児童精神科医を挙げるとすれば3本の指には入りそうである。しかし、良心的だからこそ、結局のところ却って悪質かも知れない。見るからに悪質なら、患者や親もかかりたくはないだろうし。
一回のセラピーですっかり元気になり、オーラもびっくりするくらい輝いてきた。「ああっ!お腹すいた!」と声もすっかり変わって帰っていった。
予測通り、次の朝は学校に行こうとして自分から起きたのである。そんなことは少なくともここ1年半以上はない。だるいとか、疲れたとか、眠いとか言ったようだが、母親はだったら休んだほうが良いと学校に行くのを止めたのである。
普通の中学生だって、そんなこと言うのが当たり前である。普通なら、「何いっての、若いのに」なんて言うのが当然である。
不登校の治療は親の治療が難しい。
母親はそんなに干渉的でも過保護でも、心配症でもなく、物分りは良さそうに見えたのだが。やはり子供に依存しているのは親の方です。
【事例】
親は入室してきたのですが、娘(中学3年)は入ってこない。
臭いが気になるって、まだ入ってないけど。
どんな家でも店でも入ったら臭いがするし、それがわからない人は殆どいない。一瞬は「うっ!」とか思うのですが、余程でなければ普通は数秒後には気にしないし数分後には慣れてしまってもう感じることができないはずです。
たいていの場合、本人も家族も繊細で過敏だと思ってしまうのですが、そうではありません。誰でも感じることがわかったからって敏感ではなく、神経質で過敏な人はむしろ感覚は悪いです。では駅からココまでくる間にどんな臭いがしたか?お花の匂いもしたはずですが、たぶん感じ取れてはいない。感覚を良くするには鍛える必要がありますが、それを避けているので。
ではなぜ神経質な人はちょっとした不快でもイヤで耐えられないのか?心が小さいと言えばそうですけど、何が嫌かと言うと過去の嫌な体験が苦痛でイヤなのです。自覚はなくもとトラウマとなる記憶は脳の底にあってもよみがえってしまう。
やはり父親が威圧的で怒鳴ったりするタイプのようで、それに嫌悪感を持っています。そうした過去の嫌な体験が、臭いやら音やら些細なことがトリガーになって脳の中に嫌な感覚が起こってしまい、それが嫌なわけです。私がオッサンだからといって父親と同じ臭いがするわけではないし、もちろん怒鳴ったりはしませんが。
学校に行くと親父みたいな教師や他の生徒に虐められるのではないかと錯覚してしまう。不登校がちょっとした虐めから始まることも多いですが、激しい虐めに会う人はむしろ学校からも逃れられない場合が多い。
不登校の親自身が心配症で、学校は怖い所、良くない所だと思っている場合も多い。
自然に学校に行くようになったと言う場合は、たいてい親が子供へのかかわりが少なくなり、自分のことをするようになった場合である。パートに行ったり、趣味をやったり、中には新興宗教にハマったとか。宗教のご利益ではなく、宗教に関心が向き重要になったからです。
自分のことをやった方が良いし、お金がなければパートでもすれば良いし、お金があれは趣味でも良いけど、「お母さんは何がしたい?」
「娘と一緒にお酒が飲みたい」
娘はまだ中学だから酒は飲めないし、将来、飲むんだったら友達とかでしょ。若い頃は親と酒なんか飲んだりしないよ。
「娘と一緒に旅行したい」
普通は中学生にもなったら、たまに家族旅行は行くかも知れないけど、親と一緒に遊びに行ったりしない。ディズニーランドなどに行くにも友達と行くのが普通で家族と一緒じゃ楽しくない。
やはり親が子供に依存している。特に母親と子供は共依存、共生関係になっている場合が多い。「いい加減、息子を開放してやれよ」そう言ったら目が醒めたという人もいた。
とりあえず、親の子離れ、子の親離れが大事です。中学生くらいになったら、親は「子供」と言ってはいけません。息子、娘というべきで、たいていの親もそうしているはず。逆に「お母さん」とは言ってはならず、「俺のおふくろが」「私の母が」と言うべきです。言葉は大事でそれだけでも他の生徒からすると違和感がありとけこめない。
同時に中学生くらいからは親を自分の子供として扱えなくてはなりません。そうしないと親になってもやはり子供を育てられない。親は自分の子供だと思わず、下宿させている甥や姪だと思ってなるべく距離を置いて接するべきです。もう中学くらいになると親ができることも殆どなるなります。何をしても何にもしなくても良くない影響を与えてしまうので、影に隠れて暖かく見守る位にした方が良いです。不登校に限らず、他の患者の場合も同様ですが。
昔は皆兄弟が多く、上の子は下の子の面倒を見るのが当然でした。もちろんさすがに子供を背負って学校に行ったりはしませんが。学童保育なんて言葉を初めて聞いたのは高校生の頃だったでしょうか?小学校に行く年齢なら、自分が小さい子の面倒を見るのが当然で保育の対象になるなんて信じられませんでした。
当所の提唱するセルセラは不登校でも自分ひとりで治療ができます。親への対処法や、虐められなくなる精神強化法も伝授しています。