【精神疾患と症状の意味】
精神疾患の場合、症状が病気ということではありません。よく特定の症状だけが病気と考える人もいますが、症状は多岐に渡るのが普通です。もちろん全てが悪いわけではありませんが。
体の病気で言えば熱が出るとか痛みがあるとかいうのが患者さんの主訴です。
しかし、なぜ熱が出るのか、痛みがあるのかについて解明し対処しなくては治療にはなりません。確かに熱や痛みは苦しいです。しかし、熱には解熱剤、痛みには鎮痛剤だけでは患者は死んでしまう可能性が大いにあります。
患者さんがそれを求めてしまうのはもちろん人情というものでもありますが、医者もまたそうした対処療法至上主義、神経中心主義の信仰や呪縛に囚われており、医学はこの対症療法を主に「発展」し、対症療法自体が目的化し、今となってはあらぬ方向に迷走しています。
それが精神医療過誤・精神医療過誤・向精神薬害をもたらし、特にここ20年ほどは甚だしく拡大したのは、そうした間違いが基になっています。
うつ病患者の脳にセロトニン不足はあったとしても原因ではなく、精神状態に伴う脳の状態としての結果の一面に過ぎません。
精神疾患は「脳の病気」器質的な疾患ではなく、機能性の疾患です。「脳の病気」なら精神疾患ではなく、中枢疾患です。もちろん、生物としての脳の偏差は誰にでもあり、そのことが精神疾患に影響しないわけではありませんが、原因となるわけではありません。
例えばスポーツが並外れて得意な人は、元から遺伝的な脳の違いもあるでしょうけど、全く運動しなければスポーツ選手にはなれません。逆に不得意な人も、適切な練習を繰り返せば、選手は無理でもそれなりにレベルには到達できるはずです。こうした運動神経の発達も、脳の問題でもなく、練習や訓練の結果以外にも、精神疾患の症状の現れである人もいますが。
症状にはそれ以上の悪化を防ぐという、防衛的な意味もあります。風邪をひいたらウイルスに対処するために熱が出るのと似ているかも知れません。
一見、奇妙に異常に見える精神病患者の症状には必ず、過去に理由があります。例外なく、幼児期からの心的外傷トラウマがあり、それが生涯に渡って影響しています。発症する以前から、発達上の問題、適応力の乏しさといった問題はあり、病気は発症の以前から始まっていると言えます。
精神疾患の症状は全て、どんな人にもあるものですが、それが桁違いと言っていい位に酷くなったものということも出来ます。一見、脳の病気、異常に見える統合失調症の幻覚・妄想も実は誰にでもあるもので、2歳半以前の幼児には構造的には優位な精神機能です。
精神症状は、概ね発達上の「退行」と「固着」の問題です。土台があやふやな精神発達しか獲得していなければ、一見しっかりした青年や大人になっても、適応上の問題などから簡単に過去に優位であった精神状態に戻ってしまうし、そこから抜け出せなくなってしまいます。
どんな人も、不安も恐怖も緊張もあり、落ち込むこともハイになることもあります。その理由も「健常者」と病者とは同じと言えば同じなのですが、病気の場合、過去、特に幼児期の問題が甚だ大きいのです。
誤解を恐れずに言えば、失恋で落ち込むといった問題と、うつ病で落ち込むのは、機序としては同じと言えば同じです。恋愛関係の問題は様々な精神的不調をもたらすことがあります。もちろん良い恋愛関係は、治療的、癒し効果ももたらすもので、夫婦になっても基本的には同様です。
幼児期からの親子の関係も、恋愛関係も愛情の問題ではあります。語弊はありますが、幼児期から失恋を繰り返しているような子供が将来、精神疾患になってしまうのです。やはり精神的な問題が大きい人は、恋愛関係も上手く行かず、過去の体験と重なってしまうのでより深刻な精神状態に陥りやすいのです。
発達上の問題はどんな人にもあり、病気の人はこの問題が大きいとは言えますが、本来の「発達障害」と精神疾患は違います。『発達障害』という言葉は精神科医にも一般の人にも濫用されていますが、正しい理解が必要です。
『発達障害』は誤訳が元になっていることもあり、2023年を目処に訂正されるようですが。
子供は健康的ではありますが、子供の成長、成熟そのものが精神疾患の克服の過程でもあります。精神症状は誰にでもあるものですが、発達段階のある時期には優位でありそれを克服することが成長でもあります。これまた語弊はありますが、十分に発達できず、発達しそこなった人が病気であるとも言えます。
やはり健康な大人に成長するためには、適切な環境や親や周囲の愛情が不可欠ですが、虐待もあり、いわゆる虐待の範疇の入らない、精神的虐待はそれよりも比較にならないほどおおいはずです。これらが生涯に影響しないわけはありません。
症状は様々な意味を含んでおり、特定の症状を向精神薬などで改善しようとしても効果はせいぜい一時的で根本的な治療法ではないばかりか、対症療法としても上手く行かないことが殆どです。
精神神経は一体のものだからで、やはり根本的な治療が必要です。
身体の病気でも同様なのかもしれませんが。
性格上の問題、個性、弱点欠点など、精神科医にも一般の人にも極めて恣意的、主観的な捉え方をされていますが、精神的な弱点や欠点、問題点や、人間的な未熟さの全てが症状と考えるのが妥当でしょう。性格上の問題とされることも、症状そのものとは言えなくても、その現れではあります。
精神疾患の分類は、症状に応じて、というよりも精神科医と患者にとって主観的に問題となる症状によって、便宜的に分類されているだけで、本来、疾患分類は成立しません。先程に述べたように人間にはいろいろな困難や問題があり、その程度が人によって甚だしく異なるというだけのことなので。
強いて分類するなら人間を分類するということになってしまいますが、そんなことは不可能です。
かつて、精神分裂病と言われた頃は、それ以外の精神疾患と明確な一線があるかのように見える場合が多かったのですが、統合失調症と名称を変える頃には、病像自体もずいぶん変化がありました。今日では重症でなくても幻覚・妄想のある人もいますし、一過性のストレスでも現れる場合もあります。他の精神疾患も軌を一にして、病像の変化はありましたが、ずっと前から少なくとも我々には予測もできていたことです。
また時代と共に変化があり、前世紀の疾患分類も19世紀の終わり頃に成立したものに過ぎず、社会や文化、生活様式、人々の考えや価値観、精神的なあり方によりずいぶん変わってくるのは当然です。それ以前はおそらく「狐憑き」などの憑依精神病のようなものが多かったと思われますが、今でもそのような人はいます。